灼熱アンダーグラウンド

    作者:

    ●侵蝕の炎
     夜の地下道。幅3メートルほどの道に走る中心線は、すれ違う人の流れをその境界で分けるため。
     見上げる天井の向こうは、大きな交差点だ。車の流れを円滑にするべく歩行者の道として用意された地下道は、オフィス街が近いこともあって、昼間は人の足が絶えない。
     しかし、深夜ともなれば、歩く人の影は無かった。
    「……はぁ、はぁ……怖ぇよ………」
     そこに、1人の少年が居る。
     ぎゅっと、紺のジャージに包まれたその身を抱える様に蹲る。本来照明の少ない筈の地下道は、少年を中心に明るく照らされている。
     その身に、炎を纏う少年を中心に。
    「何だよ、この火………!……ひっ」
     ぎゅう、と膝を抱える腕に更に力を込めると、獣のような爪がぐっと肌に食い込んだ。
     そこから、血の代わりに噴き出す火炎。
    「……怖ぇよ……!!」
     徐々に、身を包む火炎の勢いは増している。自分の体が変わって行くのを、少年は為す術なく見つめる他ない。
     少年が完全に人の姿を失うまで、もう、そう時間は残されていなかった。
     
    ●灼熱アンダーグラウンド
    「今夜よ!」
     空は既に闇色。人もまばらな教室に、唯月・姫凜(中学生エクスブレイン・dn0070)は忙しなく駆け込んだ。
     その慌しさに何事かと集まった灼滅者達の前でノートを広げながら、姫凜は今日も告げるのだ。
     サイキックアブソーバーが齎した、明確なる未来予測を。
    「イフリートに闇堕ちしかけている男の子が居るの。慌しくて申し訳無いけど、向かって頂戴!」
     紅の瞳が、祈るように灼滅者達を見た。
     少年―――立川・蹴人(たちかわ・しゅうと)は、小学6年のサッカー少年だ。
     勉強面はちょっと残念だが、努力家で、いつも一生懸命。
     サッカー選手になるのが夢、と満面の笑みで言う様な、爽やかで明るい少年だという。
    「毎日、夜にランニングするのは蹴人くんの日課なの。でも今夜、ランニング中に体がイフリートへと獣化してしまうのよ」
     当然、蹴人はダークネスのことなど知らない。ただただ、突然体を包み込む炎と、体が獣へと変わって行く恐怖に苛まれるだけだ。
    「イフリートは知性無き獣よ。でも蹴人くんは、人通りの多い場所を避けて移動する様なの。……本能的に、獣化すれば危険だって解っているんじゃないかしら」
     何も知らない筈なのに、人を傷つけない道を選び、行き着く先はある大通りの地下道。
     車線が多く道幅広い幹線道路には、夜中ともなれば車通りは変わらずとも、歩行者の姿は見られない。
    「蹴人くんの行動を見るに……彼、未だ意識を残しているんじゃないかしら。そうだとすれば、あなた達と同じ―――」
     ―――灼滅者と、なりえるかもしれない。闇堕ちから救い出せるかもしれないと、姫凜ははっきりと告げた。
     蹴人が居るのは、岩手県盛岡市―――東京駅から新幹線を使っても、盛岡駅まで行くだけで2時間半はかかる。
     そこから更に発生する移動時間を考えても、灼滅者達が現地へ到着するのは蹴人が地下道へ入ってからだという。
    「地下道は直線よ。入ってしまえば、蹴人くんは見付かるわ。……炎に包まれて、一際明るく見える筈だから」
     既に、その体はイフリートと化している。知性は無く、言葉はその時点では恐らく届かない。戦うしか無い。
     しかし、イフリートが弱ってくれば、その動きをぎこちなく止める瞬間が必ず来ると、姫凜は語る。
    「いわば、蹴人くんとイフリートのせめぎ合い、でしょうね。体の中……あなた達に見えない所で蹴人くんがダークネスと戦う瞬間が必ず来るわ。彼を救う言葉を掛けるとすればその時よ」
     放っておけば、蹴人は完全にダークネスへと堕ちるだろう。しかし、呼び掛ける言葉次第で、蹴人は自分を取り戻すことができるかもしれない。
    「何か蹴人くんの闇堕ちを招いたかは解らないけれど、元々、夢に一生懸命だった蹴人くんだから……助け出して、夢、叶えて貰いたいわ」
     姫凜は、必死だった紅の双眸を緩めて微笑んだ。一助になるかは解らないけれど、と、最後に教えてくれたのは、蹴人の名前の由来だ。
    「亡くなったお父さんが付けた名前だそうよ。サッカー選手になって欲しいっていうお父さんの夢を叶えたくて、頑張って来た……助けてあげて。あなた達になら、それが出来るわ」


    参加者
    科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)
    風宮・壱(ブザービーター・d00909)
    村上・忍(龍眼の忍び・d01475)
    耶麻・さつき(鬼火・d07036)
    崎守・紫臣(激甘党・d09334)
    雨霧・直人(甘党ダンピール・d11574)
    ジンジャー・ノックス(十戒・d11800)
    聖刀・忍魔(残忍な悪魔・d11863)

    ■リプレイ

    ●閉鎖空間の微熱
     夜中の幹線道路は、昼と比較すれば少ないのだろうが――それでも絶えず地下への階段をヘッドライトが照らすだけの車通りがあった。
     路面は、包む寒気に凍り付いている。硬質な反射光を見つめる風宮・壱(ブザービーター・d00909)は、柔らかい榛色の双眸を緩め、空を仰いだ。
     見慣れた故郷の空。胸いっぱいに吸い込む空気は冷たくも懐かしく、壱を記憶の奥へと誘う。
    (「季節が、ちょうど逆。……俺も初めて炎出した時は怖かった」)
     自分が炎に目覚めたこの地で、同じく炎の恐怖に震える命がある。壱にとってそれは、決して人事ではなかった。
     救う立場として此処に立つ――決意に微笑む壱の脇、同じ様に侵蝕の恐怖をその身に知る雨霧・直人(甘党ダンピール・d11574)は、手首に飾る歴史深きロザリオを手に階段先の暗闇を見つめていた。
    (「俺は、闇に堕ちた先の自分がどうなるかをある程度知っていた……それでも、自分が自分を失う恐怖を拭えなかったのだから……」)
     この暗闇の先に、独りで恐怖と戦う少年が灼滅者達を待っている。幼い彼が誰にも拠らず混乱の中に在ると思えば、自然ロザリオを握る手も強く堅く結ばれた。
     逸る気持ちを抑え、直人は凍りついた地下階段へと歩み寄る。
     一段、一段と滑らぬ様注意深く進みながら、ジンジャー・ノックス(十戒・d11800)は武蔵坂学園を発った時を思い起こした。
    (「エクスブレインの子、駄目なら灼滅して下さいとは、遂に一言も言わなかったわね……」)
     必死の瞳で救出を訴えてきたエクスブレイン。少年の救出は、できると確信できる情報ではないにも関わらず――その言葉に込められた信頼を感じ取ったジンジャーは、何処か自嘲気味に微笑んだ。
    (「私達が助けて帰るって本気で信じてるのかしら……人を信じられるって、羨ましいわね……」)
     私だって、信じたい。用心深い性質が、簡単に人を信じる素直さを阻むから――物思いに足元へ視線を落とすと、聖女の正装の裾を僅かに上げ下った階段が終わりを迎えたと知れる。
     乾いた空気のそこは、橙の光、そして不自然に撒かれた業炎の支配する空間だ。
     2つの入り口が密閉を許さぬまでも、そこは閉鎖的で息苦しい。無機質な石造りの壁は、生まれた熱を逃すまいと周囲を覆いつくしていた。
    「俺らが出来るのは、手伝いだけだ。後は本人の意思……」
     聖刀・忍魔(残忍な悪魔・d11863)が呟く言葉は、ごう、と轟く炎に消える。しかし、紅の瞳はその光の中心に居る威風堂々たる獣を捉えた。
     唯一の出口へ向け吹き抜ける熱風に、ロングコートが棚引き、揺れる。
    「……抗え、惨たらしい運命に」
     忍魔のその言葉が合図か、灼滅者達が次々とスレイヤーカードの封印を紐解いた。
     蹴人に己が過去を重ねる崎守・紫臣(激甘党・d09334)は、どこか張り詰めた表情を浮かべ身に宿す炎を解放した。
     手に馴染んだ鉄塊の如き巨大刀『金剛夜叉刃』を握り締め――過るは、己が身を捕えた炎から救われた時の思い。
    「蹴人、お前は絶対そっち側には行かせねぇ。……俺らが絶対助けるから、頑張ってくれ!」
     叫んだ紫臣の声が前線へと駆ける灼滅者達の背を押すと同時――巨獣の鋭き咆哮が、地下道へ響き渡った。

    ●灼熱アンダーグラウンド
     炎が包む戦場に巨獣の放つ炎の奔流が注がれ、更なる熱を生む。
    「イフリートか……なんとかしてみますかね」
     前へ出た6人一斉に受けた圧倒的火炎を唯一かわし、何処か肩の力を抜いた気楽さで響いたのは、耶麻・さつき(鬼火・d07036)の声。
     直後、手に持つ大型シールド『さつきすぺしゃる1号』から放つ癒しと護りの壁が、前列の全員を包み込んだ。
    「そんなカッコじゃボール蹴れないだろー?」
     癒しの光の中、戦闘中とは思えない朗らかな響きを乗せて。壱が放つは怒りを誘う盾の一撃だ。勢いに押され、巨獣は一瞬ぐらりと体制を乱す。
     その攻め手を継ぐべく動いたのは村上・忍(龍眼の忍び・d01475)だ。
    「……その子は渡さないわ」
     平時は抑揚豊かな美しい声音が、凜の響きを纏った。
     手元で翻した『赤鉄の棍』をとん、と地面に一突きすると、熱を奪う氷柱が直線の軌道で地を這い上がり、獣へと迫る。足元を掬った冷たさに、ギャウ、と獣が奇声を上げた。
    「蹴人!」
     炎の中、轟音と共に上がる獣の咆哮の合間を潜って、科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)は蹴人の名を呼ぶ。
    「負けンな蹴人!」
     応じる様子は無い。呼び声は届いていないかもしれないが、それでも――可能性がゼロじゃないなら、意味はある。
     だから、届くまで止めない。獣の中に息づく蹴人が、少しでも早く自身を取り戻せる様に。
     助けたいと願うから、日方は呼びながら周囲包む炎が生む死角を飛び出し、殺人者の死を射抜く黒き斬撃を見舞った。
     地下に轟く灼熱はますます熱く、気流が熱風となって吹き荒れる。
     紫臣の妖の槍が螺旋の一撃を繰り出せば、額から汗が飛び散り一瞬で気化した。前線の仲間達は、短時間の戦いで既に汗だくだ。
     乾きを感じたジンジャーは、仲間の身を虚ろに隠すべく夜霧を送る。
     肌に燻る炎をもしっとりと包み消し去るのは、癒しの配置の恩恵。軽くなった体で、直人は手にする日本刀『霧雨』に赤きオーラを纏い、逆十字を切った。
     直人の身に流れる呪われた一族の血は、闇が齎す恐怖を何よりも知っている。表情こそ淡々として無表情であっても、直人が蹴人への思いを乗せ放った一撃は重く深く炎獣の体を斬り裂いた。
     傷から噴き出す火炎に、戦場の温度が更に上昇する。吸い込む空気にさえ肺を焼く様な熱さを感じて、直人は軽く咳き込んだ。
     苦しい。しかし怯むわけには行かない。……目前で痛みにもがく獣の内に眠る命も、今独り、苦しい筈なのだ。
     打ち合いは続く。時折その名を呼びながら続く必死の攻防の果てに、必ず蹴人へ思い届くと信じて―――。

     変化は、突然だった。
     忍魔が、獣捕らえるべく己が影をその手に跳躍、一気に間合いを詰めた時。近付いた獣の歯列の隙間からふと、微かに鼓膜を揺らす音を感じた。
     ぱらりと落ちる長い髪を耳にかけ、意識を耳へと集中させる。忍魔が紅蓮の瞳を閉じると――。
    「………サン」
    「――!」
     微かに届いた声は、獣の咆哮とは別の色を持っていた。そして、同時に炎獣の身体から抵抗の気配が消えたのを理解して、忍魔は響く声音で叫ぶ。時が来たのだと仲間へ知らしめる為に。
     その時―――イフリートが、蹴人とのせめぎ合いに立ち止まる、その瞬間。
    「蹴人、祈れ! そしてお前の夢を言ってみろ!」
     忍魔が突如張り上げた声に、灼滅者達は瞬時に状況を理解した。

    ●声を聞かせて
     心待ちにしたその瞬間が、遂に訪れた。
    「蹴人……!」
     戦いの最中、幾度もその名を呼び続けた日方の表情が綻ぶ。安心はまだできないが、それは確かに、救出へ向かう兆し。
    「蹴人君ですね……?」
     忍が確かめる様に呼びかけると、獣は先程までの闘志が嘘の様に、視線を素直に忍へと下ろした。
     言葉が届く。返答こそ無いが確かに届いていると知れるその様子に、紫臣は喜びで胸がいっぱいになる。
    「蹴人! 突然こんなことになっちまってワケわかんねぇよな!」
    「……ギャ、グゥ………ト……ウゥ……」
     しかし直ぐに、獣はもがく様に爪を備えた両手で頭を抱えた。苦しみ上がる獣声は不安定に人語と混ざり合い、その意味を汲み取ることはできない。
     それでも、揺らぐ今が声を届ける好機だ。
    「お前、夢があるんだってな?  サッカー選手になって親父さんの夢を叶えたいっていう夢が……!」
     紫臣は、蹲る巨体の奥に秘められている蹴人へ届けとばかりに強く強く語りかけた。
    「その炎に勝てるかは、お前の心次第だ! 俺にだってできた、絶対勝てる!」
     蹴人に重ねる、自分自身。かつて、炎の闇に包まれた自分を救った心を、今度は自分が蹴人に送る。
     ――信じて、打ち勝てと。
    「自分自身を信じろ蹴人!」
     援けならば、いくらでも――思う刹那、苦しみもがく炎獣がその鋭き爪を振り下ろす。
     重力任せに落ちた腕を飛び退いてかわし、さつきは声を張り上げた。
    「……っ、アンタの夢はそんなチンケな炎に負けるもんじゃねーだろ!」
     高く結い上げた黒髪が頬にかかったのを振り払う。前列の仲間へもう一度輝く守りの壁を展開させると、さつきは熱に痛む肺にも構わず、大きく息を吸った。
    「アンタのシュートで炎ごと蹴り破ってきな!」
     吐き出す一括と同時、忍魔が横からふわりとイフリートへ攻め寄った。あと少し足りない。内側から闇と戦う彼の心を引き出す為に、もう少し攻めなくては――。
    「夢を叶えたいなら、力の限り言葉に出せ! 生きたいと!!」
     息が鼓膜を震わすほど間近で、腹から強く放つ声。直後、手に持つ駆動式の刃が獣の炎噴き出す傷口を抉った。
    「ギャウゥアアアア!」
     耳を劈く絶叫が地下道一帯にこだまする。あまりの悲痛さに顔をしかめたジンジャーは、それでも佇まいは清楚に、落ち着かせる様に静かな声で語りかけた。
    「……落ち着いて私達の話を聞いて頂戴。蹴人くんを、助けに来たの」
    「怖がらないで。貴方の中のそいつは、貴方が確り捕まえてます……大丈夫」
     言葉重ねる声は忍。ゆっくりと炎渦巻く空間を、自身が燃えるのも厭わず獣へと歩み寄り、微笑んだ。
    「負けないで……貴方達の夢は、そんな奴に好き勝手にされていいものじゃないでしょう?」
    「貴方を内側から乗っ取ろうとするものは、私達が追い出すから。心を強く持って。自分のままでいたいと、願って」
     混乱する心に、言葉がはっきりと届く様に――2人が紡ぐ言葉の1つ1つが、静かに戦場へと落ちる。棒立ちの獣へ、果たしてその声は届いているのか――。
    「頑張るのよ。獣になったら、サッカーも出来なくなってしまうわ……そんなの嫌でしょう?」
     ジンジャーの言葉に、獣の瞳が大きく見開かれた。やや後方で仲間の説得を見守っていた直人は、揺らいでいた獣の瞳の中に優しい色が滲んだことに気付き、真紅の瞳を安堵に緩める。
     大丈夫。思いは、届いている。その証拠に――。
    「…………とうさん……」
     長い沈黙の果てに聞こえた声は、確かに少年のものだった。

    ●輝く未来
     少年が獣に抗い最初に発した言葉に、壱はぐっと盾を握り締めた。
     胸が詰まる。独りで戦う間も、少年はずっと亡き父を思っていたのだろうか。手の届かぬ父へ、助けを求めていたのだろうか?
    「……なあ、サッカー教えたのって、君のお父さん?」
     少し心の膜に歪んだ視界を振り払い、努めて明るく壱は語りかける。
    「サッカー大好きだったんだね! 初めてボール蹴った時とか覚えてる? 初ゴールは?」
     当たり前に続く日常の中、蹴人の心にはずっと父の存在が在ったのだろう――だから恐怖の最中に居る今も、きっと彼の心には父親が寄り添っている。そしてきっと、その存在こそが彼を繋ぎ止める導線だった。
     ならば、その心に――父以外の、寄る辺を。
    「お父さんとの約束守る為に、ずっと独りでがんばってたんだな……」
     日方が、イフリートの腕に手を伸ばす。ふわりと触れた体表は熱く、舞う炎に手がじりじりと痛むけれど。
    「大丈夫、もう独りじゃねーぜ。俺らも一緒だから」
     心細さを拭う様に、その心に居付く恐怖を包み込む様に。送る言葉が、蹴人の心へふわりと落ちた。獣の瞳が、込み上げる感情に揺れる。
    「一つ一つ、思い出して。君の名前に込められた、お父さんとの思い出! ……君の名前、教えてくれる?」
     壱の明るい声に、仲間達が微笑んだ。直人も、日方も、忍も、さつきも、紫臣も。忍魔は表情こそ変わらずとも、緩んだ目元が新たな灼滅者を迎える温かな色を浮かべている。
     救い出せる。それは、全員が共有した確信。
    「……シュ、ウト…………」
    「カックイー名前だね! イイじゃん!」
     周囲を包む苛烈な炎の中に咲いた、陽だまりの様な壱の笑顔。
     ぽろり、と獣の瞳から一滴涙が零れ落ちた。はは、と喜びに破顔する日方が手に持つ解体ナイフで加減の一撃を見舞うと、切り裂いたそこからゆっくりと、灼熱の身体が穏やかな炎に散っていく。
     忍は、密かに用意していた小さな球体を取り出し、ころりと落とした。
     トーン……
     足元から静かに地下道に響いた音が、炎の獣の視線を奪う。夕陽色にも似た炎に照らされる忍の足元に小さく佇む、それはサッカーボールだ。
    「………」
     縫いとめられる様に小さな球体へと注がれた獣の視線に忍は柔らかく微笑み、問いかけた。
    「……一番大事な事、忘れてないんですね?」
     もう一滴落ちた、獣の涙。肯定する様に頷くそのまま前へぐらりと傾く身体を重力に任せ――大丈夫、と囁く柔らかな声音へ向かい、獣は瞳を閉じた。
    「――お帰りなさい。頑張りましたね……」
     倒れる巨体が炎となって空に散る――忍がその腕に受け止めたのは、ジャージ姿に身を包み眠る、まだ幼さを残す少年だった。

    「頑張ったね、蹴人!」
     笑顔のさつきと紫臣、日方に頭をがしがしと撫でられ、目を覚ました蹴人ははにかんだ。
     自分の身に起こっていた総ては、既に説明された―――ダークネス。灼滅者。武蔵坂学園。初めて聞くそれらの存在に、少しだけ不安気な表情を浮かべた蹴人。
    「……お前が人一倍頑張ってきたから、獣の力に飲まれることなく戻ってこれたんだ。闇堕ちした自分の心が弱いだなんて、思うなよ」
     仲間の声に続き言葉少なに届けられた直人の思い。不器用に紡がれる言葉には優しさが滲んでいたから、蹴人は笑顔でありがとう、と応えた。
     灼滅者達が蹴人へのねぎらいの洗礼を終えた時、見守っていた忍魔はふと、静かに問いかけた。
    「……お前の夢は、何だ?」
    「え?」
     顔を上げた蹴人に、真っ直ぐと忍魔の視線が注がれる。蹴人の口から未だ聞かない彼の夢。灼滅者達も、黙ってその答えを待つ。
    「……俺の夢は、父さんとの約束を果たすことなんだ」
     沈黙と注目に負けてか少し照れくさそうに笑って、蹴人は先を紡いだ。
    「誰もが名前を知るくらいのすげーサッカー選手になって、世界の舞台でこう言うんだ。『俺は蹴人。父さんが付けてくれた、世界一のサッカー選手の名前です』って」
     きらきらと、その瞳は未来を見て輝いている。その様子に、灼滅者達は顔を見合わせ笑った。
    「……そう。夢は信じていいものよ」
    「俺、日方っつーんだ。走るのなら得意だ、今度練習付き合うぜ?」
    「蹴人のポジションってどこ? 俺は壱! 俺もサッカーやるから今度一緒やろーよ!」
     灼熱の地下道に、響くは9人に増えた少年少女の笑い声。まだ仄かに熱気は漂うけれど、恐らく朝までには冬の冷気が全てを包む。
     灼熱のアンダーグラウンド。炎舞う戦いの果てに、8人に手を引かれて――輝く未来の可能性を秘めた新たな灼滅者が1人、地上へと帰還した。

    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月10日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 6/感動した 9/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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