幸福な家族

    作者:蔦草正果

     手に取ったナイフが誘いかけるように艶かしく輝いている。
     胸と、喉と、どっちが痛くないのかな?
     私が消えれば楽になる。それだけは、確かなんだけれど。

    「お父さん、今日返ってきたテスト。これ」
    「98点? 最低のケアレスミスだな」

    「折角夕食作ってあげたのに! なんで残すのよ!」
    「だ、だって、いつも作ってくれないから……」
    「なにそれ、嫌味? しかも外食してきたとか、無駄遣いしないで!」

    「あんたなんて生まなきゃよかった」
    「おまえといると気分が悪くなる」

     ――――目が覚めた。

     朝の光が眩しい。
     ベッドを降りて部屋から出ると、お父さんとお母さんが今まさに会社に行くところで。
     お父さんは慌ただしく前を横切りかけて脚を止め、頭を撫でてくる。
    「おうおはよう、行ってきます」
    「行ってらっしゃい」
     お母さんはスカーフを整えながら、朗らかに笑う。
    「今夜の夕飯何がいい?」
    「ん。ハンバーグ」
    「了ー解。じゃあ行ってきまーす。学校、遅刻しないようにね」
    「はあい」

     大好きなお父さんとお母さんは、いつだって私に元気をくれる。

     あんなものは夢。
     あんなものは、ただの夢。
     

     教室にいたのは、冷ややかな声のエクスブレインだった。
    「一般人が闇堕ちしてダークネスになろうとしている。が、人間としての意識がまだ残存している。灼滅者としての素質があるようなら、救い出すことこそが最善手だろう」
     だが、と彼は続ける。
    「最優先事項は異なる。完全なダークネスを生む、それこそを回避しなければならない。灼滅すべきと判断したならば躊躇は許されない」
     対象の名前は鴛水・紫鳥(おしみず・しどり)と言った。
    「性別は女。成績優秀、品行方正な中学一年生。とのことだ」
     彼女がソウルアクセスで入り込んだのは、両親のソウルボード。その書き換え内容は――"一人娘が愛しくてたまらない"。
    「ダークネスによって歪められた感情だ。このまま放っておけば彼女の両親はそう時間も掛からずに衰弱死するだろう。そして鴛水・紫鳥もまた、完全なダークネスへと転じる。それだけは阻止しなければならない」
     紫鳥が眠るのは午後十時。それ以降の時間帯を狙ってソウルアクセスするのが最適だという。
     『今の』両親なら、余程の非礼を働かない限り紫鳥の友人を名乗っても疑うことなく通してくれるだろう。
    「無論、接触さえ出来れば手段はそれ以外でも、好きにしてくれて構わない」
     ソウルボード内で紫鳥はシャドウハンター相当の力をふるう。配下として引き連れているのは二体の影にして影業使い。
     ちなみに――彼女は自覚していない。
     『両親は十三年間ずっと、自分を溺愛してきた存在』。
     そういう風に自分のソウルボードすらも書き換えてしまっていることを。
     
    「余計なことを考えなければさほど危険性はない任務だ。武運を祈るよ」
     酷薄な薄笑いを残し、エクスブレインは教室を出ていった。


    参加者
    西羽・沙季(風舞う陽光・d00008)
    エミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818)
    結城・桐人(静かなる律動・d03367)
    霞翠・湊(未成無窮動・d03405)
    桃野・実(瀬戸の鬼兵・d03786)
    七生・有貞(アキリ・d06554)
    巴津・飴莉愛(白鳩ちびーら・d06568)
    猪坂・仁恵(贖罪の羊・d10512)

    ■リプレイ

    ●偽りの友人
     ――可愛い娘のお友達なのだから、心配することや疑問を抱くことなんて何もない。
     歪められたソウルボードの上できっとそんな理屈が構築されていたに違いない。夜の二十二時に訪問してきた年齢のばらばらな四人の少女たちを前にして、鴛水家の母親は最初不思議がったものの、その礼儀正しさに元々薄かった警戒をすんなりと解いた。
    「明日の祝日に朝から一緒にお出かけする約束で、今日はお泊りの約束を紫鳥ちゃんとしたのですが……」
    「紫鳥お姉さんのお部屋におじゃましても、よろしいですか?」
     猪坂・仁恵(贖罪の羊・d10512)の言葉にエミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818)が続ける。
    「あらあらあの子ったら。待ってて、呼んでくるわ」
    「あっ。待ってください、なら紫鳥お姉さんをサプライズでびっくりさせてあげたいです!」
     エミーリアが間髪入れずに引き止めると、そう? と小鳥のように首を傾げて。
     それもそうね、とすぐに悪戯めかして笑い、少女たちへと娘の部屋を指し示した。

     3LDKの奥の部屋。
     忍び込むに似て慎重に入ると、整然と片付いた部屋の中で鴛水・紫鳥は眠っていた。
     月明かりを頼りに西羽・沙季(風舞う陽光・d00008)が窓を開ける。見計らったようにするりと猫が入り込んできて、少年の姿になった。
    「大丈夫? 七生くん。寒かったよね」
    「なんとか。マンションっつっても一階だったし。ここ、リビングからは離れてる。テレビも付いてた」
    「なら、ちょっとうるさくしても静かすぎても大丈夫そうだね」
     七生・有貞(アキリ・d06554)の報告に、巴津・飴莉愛(白鳩ちびーら・d06568)がほっとしたように胸を撫で下ろす。
     カーペットに座り込んだエミーリアのバッグと服とリュックから蛇と猫がまろび出て、仁恵が鞄を逆さにするとぼとんともう一匹、犬が落ちてくる。
    「……痛い」
    「すまねーですよ」
     犬変身を解いて静かに抗議を申し立てる結城・桐人(静かなる律動・d03367)のその横で、蛇は霞翠・湊(未成無窮動・d03405)に、猫は桃野・実(瀬戸の鬼兵・d03786)へと各自人間の姿に戻っていく。他の仲間の鞄から出て待ちかねていた二匹の霊犬が主の傍へ寄った。
    「……もう少し犬でいてくれても良かったのに」
    「既に二匹もいるだろう……」
    「多ければ多いほど……」
    「俺のクロ助で良かったら撫でてやってよ。――それにしてもさ、シャドウって自分の分まで書き換えれるのかよ……」
    「出来るっすよ。それでもう入れますけど、準備はいいっすか」
    「あっ、待ってくださいっ」
     寝台から落ちかけている左手首に視線を落としていた湊が、小さく声を上げたエミーリアへ向けて静かに首を横に振る。振り返ったエミーリアから伝言ゲーム式に有貞へと伝わり、ソウルアクセスの準備は整った。
    「変な姿勢で入ると寝違えるから、気ィつけて下さいっす」
     紫鳥の寝顔に目を止めていた沙季は、そっと目を伏せて小さく呟いた。
     ――ごめんなさい。
     あまりに安らかなその眠りを、でもわたし達は、壊すために来たの。

    ●偽りの家族
    「失敗してねーですか」
    「だいじょうぶ、合ってますよ」
    「……ほら。ベッドの上に鴛水がいない」
     開口一番の仁恵の言葉に、シャドウハンター三名だけが涼しい顔をしていた。
     無理もない。
     ソウルボードの中はソウルアクセスする直前に見ていた景色そのままだ。紫鳥の部屋。本棚の中身さえ克明に再現されている。
    「あ、気ィつけろ巴津。ドアを開けたら全く違う光景ってことも時々あるから」
     有貞が言うと、今まさにドアノブに触れかけていた飴莉愛がわたわたと手を離した。それからもう一度触れて、慎重にドアを開ける。
     何の変哲もない廊下は、しかし現実世界で見たものと明らかに異なる、昼のような光に満ち溢れていた。
     右手側からテレビの音が流れてきている。それに混じって家族の談笑が聴こえる。
    「たった三人の、幸福な家族、か」
    「……でも、偽物だ」
     足を踏み入れたリビングの中心には、どこかぼやけた輪郭をしたこたつがあった。卓の上にはざるに積まれた蜜柑。囲んでいるのは三人。
    「こんばんはお姉さん」
     飴莉愛が声を掛けた瞬間、テレビへと顔を向けていた三人のうち、紫鳥だけがこちらを振り返った。さらりとしたショートボブ。全く無防備なパジャマ姿をしていて、団欒の中にいながら表情が乏しい。侵入者に向けた当惑においてもなお、僅かに眼と口を開いただけ。
    「え。なに。誰」
    「わたしは飴莉愛です。あのね、お姉さんのパパさんとママさんが大変なの」
    「大変って……なに……?」
    「……鴛水さん。このままだとお父さんたちが死んじゃう。助けるには鴛水さんの力が必要なの」
    「ニエ達は紫鳥の持っている能力と、同じ能力で紫鳥に会いに来ています」
    「私、あなた達なんて知らないし、能力って……」
     紫鳥が言葉に詰まった段階で、す、と呼吸をひとつ置いて有貞が切り出した。
    「これは夢じゃねえ。俺達はお前の、ソウルボードと呼ばれる精神世界にアクセスしてここにいる。お前は俺達と同じ手段を使って自分の両親のソウルボードを書き換えてるんだ」
    「その能力で心を書き換えられた人は、使用結果が悪くても良くても衰弱して死ぬです」
     紫鳥は一同を見上げたままの姿勢から動かなかったが、やがて緩々と淡々と首を横に振った。
    「書き換えなんて、私してない。してないから、お父さんとお母さんは死んだりなんてしないよ」
    「……紫鳥自身も、自らに能力を使用してるです」
    「そんなわけ」
    「去年の誕生祝いは何だったの、お姉さん」
     飴莉愛の問いかけに、紫鳥の眼が初めて彷徨った。
     こたつを囲むあとの二人は、相変わらずテレビを話の種に談笑している。時々蜜柑を剥きながら。
    「それは、ケーキと、誕生日プレゼントと……」
    「プレゼントは何でしたか、紫鳥お姉さん」
    「覚えてない、だ、だって、お父さんとお母さんは私に沢山プレゼントをくれるから」
     エミーリアの追求を汲んだ沙季が、ためらいがちに、けれど確かに続ける。
    「……片付いた部屋、でしたね。鴛水さん」
    「ソウルボード上ですらな。"沢山のプレゼント"は、お前のどこに入ってんだ」
     有貞の淡々とした指摘に、空間が歪んだ。
     見えない巨人に叩き潰されたようにぐしゃりと壁が歪曲し。
     テレビから流れてくる人の声は奇怪にねじ曲がり、耳に不快な違和感を注ぎ込む。
    「やめて」
     うずくまり頭を抱えた紫鳥が絞り出した小さな声に、反応したのは桐人だった。
    「このままでは両親もお前も死ぬ。……両親が死んだら、お前を見てくれる人はいなくなってしまうかもしれない。……それでも、いいのか?」
    「だって。だって、あんな。あんな」
    「両親が死んでも構わないって思うのはシャドウの手だ」
     実が紫鳥の肯定を否定する。
    「お前の体や心も何もかも奪いたいから楽な道を選ばそうと、甘い言葉を囁いている。『お前』は違うだろ。笑いあって暮らしたいんだろ? 違うと言うなら、それこそ嘘だ」
    「――ッ違ったりしない! でも、だって、笑い合えなかったんだもの……!」
     後ろの廊下が螺旋状にねじれ始める。囁きに似た、聞き取れないけれど確かな悪意と嫌悪を潜めた声があちこちから聴こえる。
    「私頑張ったよ。頑張ったの! でも!」
    「……覚えてるんだね。自分が消えたくなる程、辛かった事」
     観察する類の眼差しをしていた湊が、口を開いた。
    「何が嫌だった? 愛してくれない両親? 愛されない自分? ……それでも、笑い合いたかったんだ。本当は。頑張ってもみた、愛されてなくても好きだった、……その気持ちさえ、"夢"にするの?」
    「も――もう諦めたの! 幸せなのっ私はこれで、……!」
     窓の外は快晴の青から紫と赤の渦へと変わっていく。飴莉愛が紫鳥からふっと視線を外した。
    「ね、お姉さんの隣に二人いるね。パパさんとママさん?」
     ――こちらを向かずにいた影が、ゆらりと立ち上がる。
     振り返ったその顔は、優しさとは程遠い。笑った顔など想像も出来ない造形。けれどその片方にはどことなく覚えがある。全く印象は異なるが、ついさっき見たばかりの紫鳥の母親の面影。ではもう片方は父親だろう。書き換える前の、現実世界の顔。
     間もなく足元から全て黒く塗りつぶされていき、正真正銘の影になった。
     リビングが、決壊する。歪な悪夢へと。

    ●偽りの記憶
     エミーリア、有貞の胸元にトランプのスートが降りる。
     先手を切った仁恵が背の低い方の影に接近、零距離から獣の右腕を抉るように繰り出す。素早く退いたその刹那に沙季がマジックミサイルを放った。
    「……早く終わらせる。鴛水さんを苦しめたくないもの」
     組んだ手は祈りの形。決意の言葉に、実が同種の表情で顎を引いた。
    「――クロ助、頼むぞ」
     主の声音の微妙な違いを聞き分けた霊犬が、心配そうに一瞬だけ窺い、しかし俊敏な動きでもう一体との間に割り込んだ。攻撃を果敢に受け止めて跳ねた直後、影へと打ち込まれるバレットストーム。続くのは湊のホーミングバレット。
     飴莉愛がその間隙を縫って紫鳥の目前まで駆け込む。白鳩ビームを照射するその先、紫鳥から、入れ違うように闇色の弾丸が撃ち出される。苛烈な負傷を湊の霊犬が癒した。
     影が動く。放たれた影縛りは仁恵の身体を捉え、もう一体は大きく伸び上がった。実の前に広がり、ばぐん、と音を立てて飲み込む。
    「――……ッ、」
     硬直をほどいたのは場に吹いた清めの風。崩れ落ちかけたその足はかろうじて踏みとどまる。
     実の表情に残る恐怖のような、何かの名残を、桐人が捉えたかどうかは分からない。
    「……大丈夫か。……俺達がここで負ける訳にはいかない、頑張ろう」
    「こうしてる間にも着々と死にかけてるです、黙って散れですよ!」
     実と同様に縛りから解かれた仁恵が、蹴散らす勢いで目前の敵に斬りかかる。裂かれてぶれた影に再び魔法の矢が飛び、エミーリアのバスタービームによって完全にその存在が掻き消えた。
     それとほぼ同時。霊犬二体の攻撃に加えて有貞のデッドブラスターに貫かれ、もう一体も空間に霧散する。
     飴莉愛に眼前を抑えこまれていた紫鳥が、再度の攻撃を受けて距離を取った。
     ――罵倒に似た二人分の声が、四方八方から響き渡る。
     戦闘はあっけないほど簡単に終わった。
     飴莉愛の攻撃をまともに受けて、紫鳥は意識を失った。
     押して崩れ落ちたようなその脆さは、彼女がもう戦う気力を失ったが故に、他ならない。

    ●偽らざる――
     紫鳥の部屋は冷え冷えとしている。
     主は寝台の上に座り、抱えた膝に顔を埋めている。
    「これで、満足?」
    「……気持ちを利用したみたいで、ごめんなさい」
     沙季の言葉に、紫鳥は答えない。
    「鴛水さんが大好きな家族を助けたいっていうわたし達の気持ちは、本当。あのままじゃ死んでしまうってことも」
    「またあの毎日が戻ってくる」
    「そう分かっていても、お前は自分でソウルボードを修復した。紫鳥、お前はとても強い。……それに、修復してほしかっただけじゃない。皆、お前の力になりたいと思っている。見守りたい、助けたい。……生きてほしい」
     桐人の言葉にも、紫鳥は答えない。
     ぽつり、と仁恵が呟いた。
    「――家族を愛せないなんて、……悲しすぎるですよ。愛せない時は一緒にいれば、いるほど感覚が麻痺するです。……一度離れるべき、かもですね」
    「どこに、」
     いけばいいの。迷子のような問いかけに、被せるようにして実が言った。
    「俺達の学園に来い。それが今お前達家族に必要な方法だ。ずっとじゃない、冷静になれるまでこっちに身を寄せたらいいんだ。――自分を犠牲になんてしなくていい。お前が頑張ってたこと、全部無駄にすんな」
    「そうです。一緒に、ニエと逃げましょうよ。逃げても良いんですよ」
     そっと顔を上げた紫鳥の視界に、手を差し伸べる仁恵の姿が入ってくる。
    「君は決して、両親を殺したい程憎んではなかったでしょう。自らが消えれば、二人が幸せになると思って……逃げ場が無いと思ってたのですよね? だから、今は。今は逃げるのです」
     答えを急がないで、と沙季が言い添えた。
    「消えようと思うのは、それだけ好きってことですよ、ね。その優しさを、少しだけでも自分に向けてくれませんか」
     失礼するね。そう言い置いて、寝台に飴莉愛が上がる。暖かな手で紫鳥の手を取り、その中に一枚の紙を握らせた。
    「だから。一緒に行こう?」
     開いた掌。紙の中には、連絡先の書かれたメモ。
    「……、……私は」
    「ね、紫鳥お姉さん。ご両親と仲直りする機会は、今は無理でもきっと訪れますよ」
     労るようなエミーリアの声。
     震える肩に視線を留めたまま、湊が静かに問いかけた。
    「……決めるのは、自分自身だよ」
     それだけは誰にも侵されざる自分の判断。
     ――私は。
     最後にひとつ呟いて。
     差し伸べられた仁恵の手を取った。

    作者:蔦草正果 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月17日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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