青き蹂躙

    作者:江戸川壱号

     チェーンソーを抱えた男が二人、山の中を歩いていた。
    「今年は本当に寒いなぁ……。花粉も多いっていうし、踏んだり蹴ったりだぜ」
     若い方……といっても三十代半ばだろう男がぼやく。
     もう一人は六十代に見えるが、足腰もしっかりしていて足取りはこちらの方がしっかりとしている。
    「なんだお前、花粉症か? 大変らしいな」
    「大変なんてもんじゃないっすよ。目は痒いわ、鼻は詰まって頭痛はするわ……」
     山道を登りながら、若い男は切々と花粉症の辛さを語っていたが、その声が不意に止まった。
    「……じいさん、アレ、なんすか。熊、じゃないよな?」
    「あんな熊がいるもんかい。あんなモン、見たこともねぇ」
     足を止めた二人が呆然と見るのは、山道の先に立つ見たこともない何か。
     遠目からなら、青い炎が立っているようにも見えたかもしれない。
     だが数メートルの距離からでは、理解できぬ醜悪さばかりが際立つ。
     間伐にやってきていた二人は本能的な恐怖を感じて後退るが、彼らが動けたのはほんの数歩。
     悲鳴をあげることも出来ぬまま、二人は青い獣の豪腕によって、物言わぬ肉塊と化した。

    「急にすまなかったな、お前達。サイキックアブソーバーが俺を呼んだ……。この意味が分かるな?」
     神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)は解きかけのルービックキューブを机の上に置き、灼滅者達を振り返った。
    「鶴見岳の戦いでソロモンの悪魔が使役していた『デモノイド』を覚えているか? どうやらアレが事件を起こすようだ」
     デモノイドが現れるのは、愛知県の山間部。
     そこに間伐に訪れていた六十代の男と三十代の男の二人が運悪くデモノイドに遭遇し、殺されてしまう。
    「このデモノイドは誰かの命令を受けているわけではなく、暴走状態にあるようだ。何故暴走状態なのか、何故こんなところに出現したのか? 鶴見岳の戦いに敗北したソロモンの悪魔が廃棄した可能性もあるが、詳しいことは分かっていない」
     不明なことは多いが、暴走状態とはいえデモノイドはダークネスに匹敵する戦闘力を持っている。
     このまま放置すれば、ヤマトが予知した二人だけでなく多くの犠牲が出て看過できない災いになることは想像に難くない。
    「お前達の力で、灼滅してくれ」
     デモノイドはその巨大な腕や、腕を変形させた刃で殴ったり斬ったりしてくるようだ。
     攻撃方法そのものは単純で近くのものしか攻撃できないが、その威力は恐ろしく強い。
    「今から向かえば、ギリギリで男達がデモノイドと遭遇する直前に辿り着けるだろう。ポイントは地図に記しておいた」
     そう言ってヤマトは、書き込みのされた地図を差し出す。
    「ダークネスでないと言っても、その力はダークネス並。侮ることは出来ないが――お前達ならやり遂げると信じてるぜ」


    参加者
    科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)
    乾・舞夢(スターダストガール・d01269)
    村上・忍(龍眼の忍び・d01475)
    九井・円蔵(デオ!ニム肉・d02629)
    ロロット・プリウ(ご当地銘菓を称える唄を・d02640)
    ワルゼー・マシュヴァンテ(システマ教開祖・d11167)
    ティオ・トレント(星海廻り・d12970)

    ■リプレイ

    ●命の導き手
     エクスブレインが用意した地図を頼りに、灼滅者達は山道をひた走っていた。
    「メーワクな置き土産だぜ、まったく。被害出る前にぜってー止める」
     先頭を行く科戸・日方(高校生自転車乗り・d00353)の表情は苦い。
     ソロモンの悪魔が起こした今までの事件等から、デモノイドの作成に当たっても一般人が犠牲になっているのではと考えている日方は、やりきれぬ思いを決意に変えて押さえ込む。
     被害を食い止めたい思いは続く七人も同じだ。
    「うん。誰かが傷つくのが分かってて見過ごすなんて出来ないよ……」
     最後尾を行くティオ・トレント(星海廻り・d12970)もまた、ソロモンの悪魔が使っていたデモノイドが相手ならば尚更と、宿敵への思いを抱いている。
    「暴走したデモノイド、ねぇ……。ソロモンの悪魔が単純に放棄しただけなら良いんですけど、この状況事態に目的があったら、その意図が掴めないと厄介ですよねぇ」
     ソロモンの悪魔の意図を危惧するのは、九井・円蔵(デオ!ニム肉・d02629)とクラリス・ブランシュフォール(青騎士・d11726)である。
     ソロモンの悪魔の新戦力『デモノイド』は、ただでさえ謎だというのに、今回の事件でまたひとつ謎が増えてしまった。
     これは果たして灼滅者やダークネス組織への陽動なのだろうか?
     それにしては不可解な点が多い。
     だが二人とも、今は先の危惧より優先すべきものがあることも、理解していた。
     八人の視線の先に、二人の男の背中が映る。
     まだ青い獣の姿がないことに安堵しながらも警戒は解かず、速度を上げて男二人の前に回り込むのはクラリスと村上・忍(龍眼の忍び・d01475)。
     その動きを確認して円蔵は間伐にやってきた男二人へ向けてパニックテレパスを送る。
     途端に挙動不審になる彼らに向けて、円蔵は緊迫した声音を作り呼びかけた。
    「このまま進んではいけない。来た道を戻りなさいな」
    「こっちに逃げて!」
     続けてティオが男二人の手を掴み促すようにしながら、もう一方の手で山を下りる道を指し示す。
     パニックに陥っていた二人は、円蔵とティオの緊迫した声と、示された具体的な指示に救いを得たように何度も頷くと、慌てた様子で来た道を引き返し始めた。
     その時――
    「来たよ!」
     敵を引き付ける為にディフェンダー陣より更に前へと出ていた乾・舞夢(スターダストガール・d01269)と日方が、青い獣の姿を視界に捉えていた。

    ●守りの楔
    「ほらほら、こっちだぜ!」
     青の巨体を影で縛りながら、日方はあえて大声で挑発する。
    「向こうへは行かせねぇ、絶対」
     間伐業者の二人は逃げたとはいえ、まだ充分な距離とは言えない。
     彼らを逃がす役目を負った仲間を信じて、敵を己に引きつける為に日方は前へ出る。
     日方が引き付けた敵を後方へ行かせぬ為に道を塞ぐ盾となるのはクラリスと忍だ。
    「――きたれ」
     封印解除して青い甲冑を身に纏ったクラリスが盾を掲げて己の防御力を上げれば、忍もまた盾を掲げる。
     だがこちらは獣の動きを器用に手足で捌きつつ接近したかと思うと、掲げた盾ごと手の甲で撃つようにして殴りつけた。
    「ここを通す訳には行きません。せめて、私に衝動を存分にぶつけてお行きなさい……」
     促した通りに、怒りに駆られたデモノイドが唸りを上げて豪腕を忍へと叩き付ける。
     いくら守りを固めた灼滅者とはいえ、忍の華奢な体躯は強烈な一撃に吹き飛んでしまうかのように見えた。
     だが、危険を承知で忍が怒りを買ったのは作戦通り。
     既に円蔵とワルゼー・マシュヴァンテ(システマ教開祖・d11167)が放ったシールドリングが忍の盾を覆っており、勢いとダメージを減じた攻撃は忍の体力を大きく削りはしたが、致命傷には至らない。
     だがそれは、そこまでしてもダメージが大きいことの証明でもあった。
     敵の一撃の重さに奥歯を噛みしめて耐えた忍を、ロロット・プリウ(ご当地銘菓を称える唄を・d02640)の天使を思わせる歌声が癒していく。
    「歌うは、賛美歌」
     その響きと重なって流れ出したのは、舞夢の持つ携帯電話の音。
     咎人の大鎌『刈り取るもの』で敵の動きを抑えている隙に、拳からマテリアルロッドの魔力を叩き付けていた舞夢は、着信に気付くとにんまりと口元を引き上げた。
    「さてさて、くらーいくらーい闇の世界へようこそ!」
     幼い容姿に不似合いな凄まじい殺気が、辺りを包み込む。
     敵へ挑む灼滅者達の表情に僅かばかりの余裕が戻ってきたのは、それが一般人二人の避難が完了したことを示すからだ。
     倒しきらねば完全とは言えないが、ある程度の距離を離れてくれれば、この殺気に満ちた一角に彼らが再び近寄ってくることはない。
     後は、デモノイドを逃がさぬようこの場で仕留めるだけ。
    「鶴見岳の決戦には参加できなんだが……連中の残滓、魔法使いの宿命としてキッチリ掃除するとしようか」
     ソロモンの悪魔の落とし子、デモノイド。
     ならばデモノイドを倒すのもまた魔法使いたる己の宿命と、周囲に神々しく光輪を纏わせたワルゼーは優雅な仕草で契約の指輪『Goldka"fer【黄金蟲】』を嵌めた指をデモノイドへと向けてみせた。

    ●それぞれの役目
     間伐業者二人の避難を誘導する役目を負っていたティオもまた、戦線に復帰していた。
     携帯を通じて避難完了の連絡を入れたのはティオである。
    「ボクなんかでも、少しでも皆の支えになれたら……!」
     学園の仲間と依頼に出るのが初めてのティオにとって、知能もなく理性も崩壊させた暴走デモノイドとの戦いは恐ろしいものだった。
     距離をとって狙いを定めることに集中しているティオに攻撃は届かないが、その分だけ前衛を担う者達が青い獣の暴威に晒されている。
     血を流し痛みを堪えながらも殲術道具を振るう仲間達の力に、僅かでもなるのだと神経を研ぎ澄ませてマテリアルロッドから竜巻を放った。
     敵は一体。威力は他の仲間に届かなくとも、命中させることに集中したティオの竜巻は確かにデモノイドを捉え、繊維のような青い表皮を削っていく。
     それは敵の防御力を削ぎ、敵に肉薄して刃や拳を振るう仲間達の助けへと繋がった。
    「うなれっ!」
     舞夢小さな拳がオーラを纏って神速の連打を繰り返し、日方の解体ナイフが足下を切り裂く。
     ダークネスに匹敵すると力を持つと言われるデモノイドに、そのひとつひとつはかすり傷かもしれない。
     だが全員が力を合わせれば倒すことは不可能ではないと、彼らは信じていたし、知っていた。
    「ちっ、まだ元気かよ」
     舌打ちする日方の額から、血が流れる。
     傷は痛むし、ナイフを持つ手だって何度も震えそうになった。
     こんなデカイ化け物相手に戦うのが怖くないなんて嘘だ。
     力を振るうことだって、怖いに決まっている。
     すぐ傍らに闇が待っていると灼滅者なら誰だって知っているのだから。
     だがこの力があるから、戦える。守れるものがある。
     デモノイドに殴られ、吹っ飛ばされ、あちこち血だらけの泥だらけだが、汚れる度に恐怖が少しだけ薄れていった。
    「支援、させて頂きますっ」
     ロロットの優しい歌声が響き、傷が癒えていく。
     守りを信条としたクラリスが果敢に前へ出て、傷を負った日方を庇うつもりか忍が盾を構えてその前に立った。
     タイミングをずらし怒りを買うことで攻撃を引きうけている彼女ら二人は、癒せぬ傷を多く抱えている筈なのにそれでも庇う為に前を行く。
     ワルゼーと円蔵のサイキックにより、徐々に敵の動きも鈍くなってきていた。
     皆が皆、やるべきことをやっている。
     それがこんな強敵にも立ち向かっていく力になっているのだ。
     恐怖はなくならない。でも心強さに支えられれば立ち上がれる。立ち向かっていける。
     だから日方は、今度は自分が自分の役目を果たすべく忍と目配せし互いの位置を確認しながら青い獣へと向かっていった。
     デモノイドはいま、立ち塞がったクラリスへ向けて豪腕を振り下ろすところ。
     奇しくも相対する青と青――。
     だが青い甲冑を纏ったクラリスは微動だにしない。
     彼女の中にも、デモノイドの成り立ちの予測に対して思うところがある。
     それでも憐れむことはすまいと決めた心は、揺るぎなかった。
     己の弱さをも罪と断ずる彼女は、己の盾を、覚悟という盾でもってさらに支えているのだろう。
    「呪われた肉体から開放されるまで、その暴威の矛先は僕等が引き受ける。我が盾、我が剣。やすやすと砕けると思うな」
     仲間達の支援によって威力を増した盾と甲冑は、彼女を青き蹂躙から確かに守りきったのだ。
    「――言ったはずだ、その暴威は僕達が引き受けると」

    ●灼滅という名の癒しを
     ロロットは絶えず歌い続けていた。
     思いと願いをこめて、癒しの歌と音楽を奏で続ける。
    (「鶴見岳での戦いは、まだ、終わっていない……です、ね」)
     ロロットもまた、デモノイドの製造方法に『もしや』を抱く一人だ。
     もしも、想像の通りなら……。
     歌で癒すことが出来ればどんなにいいだろう。
     それが敵わぬならば、せめて本当の癒しが訪れるように精一杯戦うしかない。
     刃と化した腕の薙ぎ払いを盾で受け止める忍の表情にもまた、深い憂いが宿っていた。
    「最早暴れ狂うだけ、ですか……」
     厚い守りの力を得ながらも、仲間を庇い受けた数多くの傷はサイキックでは癒しきれぬものとなって彼女の体を重くしている。
     だがその誇り高く気高い眼差しは曇ることなく、青き獣を見据えていた。
     忍もまた、己の中に獣を飼っている。
     闇に堕ちれば、言葉も介さぬ炎の獣となる定め。
     そうならない為にも、己の中の獣を見失わず見定めていかねばならない。
     凜とした様で構えた天星弓から矢を放つ。
     それは青き獣を撃ち抜いたが――もしかしたら、彼女の中の獣を見据えた矢だったのかもしれない。
     首の辺りを射貫かれたデモノイドが、痛みの為にか無造作に暴れた。
     幾度となく殴られ切り裂かれ撃ち抜かれた体はどんな理由でか、ボロボロと傷口から解かれ崩れていくよう。
     それでも尚、行く手を邪魔する者を振り払う為に獣は崩れかけの腕を振るった。
    「くっ……!」
     受け止めたクラリスが膝を付きそうになるのをなんとか堪えたが、魂の力だけで立っているような状態である。
     デモノイドの終焉が近いことは分かるが、灼滅者達にも限界が近づいていた。
    「それにしても強いですねぇ、デモノイドってやつは」
     だがそんな様子をおくびにも出さず、円蔵は普段通りに笑う。
     持てる力を尽くして敵の弱体化を図ってきた彼には、どの程度弱っているのかも理解できた。
     あと一息だ。
     逃がすわけにはいかなかった。
    「ヒヒ、まぁ、いくら強くてもぼくの得物からは逃しませんが。絡め、締め上げますので、抵抗するだけ無駄ですよぉ!」
     円蔵から伸びた影が、デモノイドの地を蹴ろうとした足を捉えて絡め取る。
    「……だから、もうおやすみなさいな」
     小さく吐かれた円蔵の一言と眼差しから、常の鋭さが僅か和らいだように見えたのは錯覚だろうか。
    「タ……ム……」
     そして、獣が僅かに唸り声以外の何かを口にした気がしたのも。
    「ワルゼーさん、お願いしますよぉ」
    「任されよう」
     声を受け、頷いたワルゼーが自信満々の顔で進み出た。
     その手の契約の指輪には既に魔法の力が宿っている。
    「さぁ、神罰の炎に焼かれて眠れ!」
    「――ッ!!」
     傷つき崩れかけた体で、影から逃れようともがいていたデモノイドは、ワルゼーの魔法弾に胸を撃ち抜かれたところで、地を揺るがす咆吼の後に、その動きを止めた。
    「Gute Nacht」
     良い夢を。
     崩れゆくデモノイドにワルゼーが贈ったのは、そんな一言だった。

    ●無に捧ぐ花
    「なるほど、跡形も無く……であるか。できれば肉片でも持って帰って調査したかったのだが……仕方あるまい」
     灼滅されたデモノイドの死体はグズグズに解けて不定形の何かになり、ほどなくそれも地面へと消えていった。
     ワルゼーはデモノイドが倒れた辺りの地面を調べてみたが、これといって変わった点は見当たらない。
     何もないその土の上に、近くで摘んできた花を一輪置いたのは忍である。
    「あなたの姓名は存じませんが、これでご堪忍を。……どうか後は安らかにお眠り下さい」
     手を合わせ、もしかしたら人であったかもしれない名も知らぬ獣の冥福を祈った。
     忍の隣で一緒に手を合わせていた日方は、くしゅんとくしゃみをひとつして鼻をこする。
    「終わったなら、とっとと帰ろうぜ。……その、花粉がヤバイ」
     皆の傷を癒して回りながら飴を配っていたロロットが日方に渡してあげたのは、一人分だけ花粉症用の飴。
     照れくさそうに礼を言う日方の残りの傷を癒していると、森の奥からティオとクラリスが戻ってきた。
    「足跡は途中で途切れてるみたいだよ」
     周囲を確認したかったティオと他勢力やソロモンの悪魔の警戒を行っていたクラリスが、ロロットの提案もあって、デモノイドがやってきた方向を調べに行っていたのである。
     だが良い知らせも悪い知らせも得ることが出来なかった。
     デモノイドはどこから来て、そしてどこへ向かおうとしていたのか。
     それは謎のままのようである。
    「何も異変がなければ良いけれど……あまり良い予感もしないよね」
     果たして今回の事件は、鶴見岳の名残なのか。はたまた、新たな事件の予兆なのか。
     それはまだ彼らにも分からぬことだった。

    作者:江戸川壱号 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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