瑞雪の花

    作者:矢野梓

    「ここ……どこ?」
     少女は1人呟いた。答える者が無いことは重々承知の上だったけれど、どうしても問わずにはいられない。彼女が雪深いこの地に来たのは学校のスキー教室のため。ついさっきまではクラスメートたちと楽しく滑っていた筈だったのだ。なのにいきなり起きたあの雪崩。目の前が一瞬で真っ白になった恐怖が再び少女の体を震わせる。だが幸いにも彼女はスキー板を失くしただけで、けが1つしてはいないのだ。だがじっとしていれば寒さはしんしんと体の熱を奪ってゆく。少女はただ山を下ってゆくこと以外考えることはできなかった――。

    「あ……あかり?」
     やがて林の向こうに見えたのは確かに小さな炎だった。懸命に近寄ってみれば朽ちかけたお社に蝋燭が1本あげられている。
    「よかった……人が来るところなんだ」
     社の向こうは断崖絶壁。だがその下に広がる群青は確かに彼女達が泊まっているホテルのある湖だ。街の明かりが何とも懐かしく少女の目に飛び込んできた。
     扉は押してみれば何とか開いた。寒さは大して変わらないけれど、ここなら吹き込む雪をしのぐことはできるかもしれない。中央には囲炉裏のような四角い囲い。
    「火を……」
     苦労して蝋燭の火を移すと社のなかがぼんやりと明るくなる。今のうちにもう少し燃えるものを――室内を見渡しかけて、少女はひっと息を飲んだ。
    『…………』
     いつからそこにいたものか、部屋の隅には黒髪の男が端坐している。練り絹のように長く美しい髪に縁どられた顔は端正としかいようがなく、切れ長の目に埋め込まれた黒は澄んだ闇そのものに見えた。
    『…………』
     男が呼んだのは人の名のようだった。だがそれは少女のものではない。震える唇は否定の言葉を紡げず、少女はただ首を横に振るばかり。
    『……我が名は瑞雪。この地の雪を統べるもの』
     見忘れたとは言わせない――そう呟く声もまた、男のものとは思えない程に儚く澄んで。
    「……ちが……う」
     ようやく紡ぎ出せた言葉は自分の声とは思えぬくらい、震えていた。
    『なぜ話した……』
     話せば2度と逢えないものを。そなたは私を望まぬというのか――。男の声は苦しみと悲しみに満ちているように聞こえた。だがそれは少女にはどうにもしてやれぬもの。
    『…………』
     男の口が知らない女の名を紡ぐ。せっかくつけた炎は一瞬にして消え、少女の体が一気に冷えた。鼓動でさえも凍りつくようなその冷気。どさりと体が崩れ落ちる。だが少女には自分に何が起こったのか、判らぬままだった。命尽きるその瞬間に至るまで――。

    「あ~、悪ぃんだけど……ちいっと寒いとこまで行ってくん……ださいませんか」
     依頼の時は丁寧に――日頃から言っている通りのことを水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)は実践していた。端正な文字でびっしりのシステム手帳から抜き出したのは1枚の写真。遥か脚元に群青の湖を抱く冬山の風景だった。
    「事件が起こる場所は山の中の神社跡……」
     今はもう古い社殿だけが残るその場所に、雪女伝説さながらの事件が起こるという。その正体は言うまでもなく都市伝説。
    「ま、実際は雪『女』じゃなくて、男なんだけどもさ……」
     慎也はどこへともなく視線を泳がせる。雪男というイメージでもなく、かといってか弱い女性というわけでもなくといった今回の都市伝説をどう位置付けたものか、彼なりに迷っているのかもしれない。
    「まあ人に話せば殺すとかってのは、雪女伝説まんまだし……」
     冷気で人を殺すという点では雪女そのものである。
    「名前はミズキかミズユキかはよく判んないんだけど、そんな感じ……」
     慎也がボードに書き出した文字は『瑞雪』。なかなかに雪女らしい字面ではないかと、灼滅者達も目線をかわす。確かにそんな美男ならば新たな伝説となるもの不思議はないのかもしれないが……。だがどんなに美しい名であろうと、哀しい思いが隠れていようと、人を殺している以上、放置しておくわけにはいかない。伝説には必ず終止符が打たれるべきなのである。

    「灼滅対象は瑞雪ただ1人。1対8と言う訳ですから……」
     強いですよ――慎也の一言は単純明快。確かに灼滅者8人でかからねばならないとすれば相応の強さは当然のこと。
    「まず注意すべきは見えない雪……というか氷」
     トランプのカードを返すように慎也は手帳のページを1枚、灼滅者達に示してみせた。吹雪を起こし、生き物の体温を奪い凍らせてしまう力を瑞雪は持っているのだそうだ。
    「それも単体攻撃じゃないんで……」
     複数同時に凍らされるとなれば戦いにも不利になるだろうし、何よりも危険極まりない。それだけでなく彼は冷気の槍を飛ばすこともできる。さすがに寒い土地の都市伝説はどこまでも寒々しい技を使うもののようだ。
    「雪とか氷とかを操るのは勿論ですけど、瑞雪本人も相当な槍使いですから……」
     その辺の注意も怠りなく、と慎也少年は言い切る。大勢で取り囲めば回し槍で薙ぎ払われるし、捻りこむような一撃を食わらされることもある。加えてこの地はいわば彼のホームグラウンド。雪の大地での動きは当然彼の方に有利に働くと考えておいてもらいたい。
    「まあ、おめぇさん……いえ皆さんの作戦を以ってすれば決して倒せない敵ではありませんので……」
     十分な準備と作戦を準備してくれと慎也は言った。

    「ともあれ、負けるわけにはいかない勝負というのは確実にあることです」
     これ以上雪が悲しい思いを生まないように――そんな風に呟きつつ、慎也は教壇を降りる。現地までの地図と当日の天候状況などを記したメモをあずけると、少年は勢いよく頭をさげた。
    「ここはひとつ、よろしくってぇことで!!」
     まるで祭りの前ででもあるかのような、威勢良さ。そんな声を背に受けつつ、灼滅者達は一路北国へ。


    参加者
    水鏡・蒼桜(真綿の呪縛・d00494)
    エリオ・ロッカ(まじゅつしの弟子・d00915)
    堀瀬・朱那(空色の欠片・d03561)
    櫻井・さなえ(甘党で乙女な符術使い・d04327)
    八坂・百花(魔砲少女見習い・d05605)
    小川・晴美(ハニーホワイト・d09777)
    月守・代近(朔之夢・d11811)
    獅子堂・音々(天下御免の爛漫娘・d13816)

    ■リプレイ

    ●白の社へ
     一足進むたびに、さらさらの筈の雪が灼滅者達の足を攫う。分厚い雲は昼の光を通す事はなく、白と灰色に沈んだ景色の底に湖の群青だけが寒々しい程に色濃い。そこはまるで雪の一族が支配する王国のようであった。
    「さ、寒い……全くなんて所に出てくるんだ都市伝説!」
     早く帰って炬燵に入りたいぞっ――獅子堂・音々(天下御免の爛漫娘・d13816)は吐く息さえも白く凍らせつつ雪をこいだ。寒冷適応の力により寒くはなくとも、流石に雪男がうろつくような場所は尋常の雪ではない。
    「雪男なのにっ、毛むくじゃらじゃないのね」
     小川・晴美(ハニーホワイト・d09777)も懸命に足を動かす。懸命に着こんだ服のお陰でひとまずの凍傷は免れているものの、纏わりつく雪で彼女はまるで雪達磨。世界を覆う雪に慈悲はなく、汗をかきながら凍えるという矛盾の中に彼らは放り出されていた。
    「こんな雪でスノボしてみたいネェ♪」
     だが堀瀬・朱那(空色の欠片・d03561)は意気揚々。ウィンタースポーツを楽しめる者にとってみれば舞い上がるパウダースノーには、はしゃがずにはいられないのかもしれない。
    「あかん、あかん!」
     エリオ・ロッカ(まじゅつしの弟子・d00915)は慌てて首をふる。たとえどんなに美しい雪でも、戦いを控えた今は邪魔でしかない。
    「さ、ちゃっちゃと終らすでー」
     足回りの不自由さはどう頑張ってもなくなりはしないけれど、こうなっては一刻も早く都市伝説を倒して温かい所へ戻りたい。まあ動きづらいのはね……水鏡・蒼桜(真綿の呪縛・d00494)も吐息と共に周囲を見渡した。
    「メンバー的に戦い慣れていない者も多めだし……」
     我知らず深くなった蒼桜の吐息に、月守・代近(朔之夢・d11811)はひょいと肩を竦めた。本格的な依頼が初であるのは確かな事。
    「ごめん、できるだけ足を引っ張らないようにするし……」
     スパイク付きの靴が凍った雪を噛む音がやけに高く聞こえた――。まあまあと八坂・百花(魔砲少女見習い・d05605)が割って入る。今はとにかく最善を尽くす事こそが最優先。体力を消耗すればそれだけ思考のクリアさも失われるというもの。百花はこれまでも幾度かそうしてきたように雪の上に巣を展開した。慣れない雪山であればこそ、休める場所に出た時はきちんと休んでおかねばならない。櫻井・さなえ(甘党で乙女な符術使い・d04327)は静かに笑むと、皆にも休息を取るように勧める。
    「……にしても本当に雪深い」
     幼い頃から雪に慣れ親しんだ彼女にしてみても、ここの雪は何とも淋しいもののように思える。それは瑞雪と呼ばれるあの人の心のなせる業なのか……そう思えばそれも成る程と思えるのだけれど。
    「結局、大した事は判らなかったのよね」
     晴美は首筋の汗を丁寧にふき取りつつ、百花の方を向くと彼女も力なく同意を示す。彼女達は近辺の聞き込みや当地愛に溢れる人々が集うSNSを利用しての情報収集に努めたのだ。だが特に目新しい事も得られぬままの今がある。
    「悲恋と言えば聞こえはいいけど、破滅的な恋はしたくないわね……」
     この地にあるのは恐らく報われる事のなかった恋物語。それは誰しもが十分に予想できたのだけれども。
    (「どんな思いがあろうともそれを凶行の理由にしていい筈がない」)
     さなえは落ちかかってきた濡れ羽色の髪をかきあげた。仲間達の視線が誰からともなくその長い髪に注がれる。そういえば瑞雪と名乗る雪男もそれは美しい黒髪を持っていたのだったか――。
    「行こうか……」
     百花は巣を解いた。地図によれば件の社まではもう幾らもない。

    ●雪の名を持つ男
    「外よりは……こちらかな」
     晴美の呟きに一行は黙って頷いた。代近がつけた蝋燭で検分してみれば確かに社は古く朽ちてはいた。が気をつけすれば床も何とか持ちそうだ。何より雪上での移動の難しさはたった今経験してきたばかりだ。ここでは広がった陣を敷く事には無理があるけれど、それでも雪の上よりはと代近は思う。
    「こーんな雪山に一人とか寂しくないんかな?」
     エリオは呟く。仲間達が黙りこめば後はもうしんとした静寂があるばかり。落ちる雪の音さえここではまるで聞こえない。
    「直接聞いた方がいいんじゃない? 彼に――」
     音々の指が部屋の隅をさした。それが誰をさすものか無論わからぬ者はこの場にいない。
    『なぜ……教えた……』
     成程、確かに呼ばれる名前に覚えはない。代近が蝋燭の炎を向ければ純白の着物の上から更に白い首筋、黒衣の髪に縁どられた端正な顔は今悲しみの色に満ちていた。
    「その名前の子を探してるのかな? それともその子の代り?」
     こんな場所で来ない人を待ってても淋しいだけだよ――代近の声は真直ぐに、人影がゆらりと立ち上がった。
    「……狩衣解呪」
     蒼桜の掌でぱちんと懐中時計が閉じられた。完全武装を整えた彼女は真っ先に軋む床を蹴った。メンバー中最大火力を有する身。初めての前衛、クラッシャーといった役どころに一抹の不安が過ぎらなくもないけれど。
    (「でも驕らない、侮らない。隙を見せれば必ず……」)
     あの男はあの槍で――蒼桜がそう思った瞬間、火傷かともまごう熱が自身の胸を突き抜けていく。肺から溢れた空気に自分のものとは思えない声が混ざり、仲間達の悲鳴は警鐘のように響き。心はひたすら演算のモードに向かっていた。一瞬の空白を置いてさなえも防護の符を飛ばし、朱那は巨大な腕をもって瑞雪を狙う。だが青年は軽くかわしただけで灼滅者達を等分に眺めやった。
    (「攻撃の意思には……敏感すぎる程なのですね」)
     さなえの頬を冷たい汗が下る。誰よりも早い動き、誰よりも強い意思。あの青年はそれをいち早く感じ取っていた。ならばこの陣は……。決して広いとは言えない社の中では足場は兎も角、互いが十分な距離を取る事は難しい。そこへ瑞雪の氷雪の力が降り注いだら――考えれば考える程薄ら寒くなってくる感情をさなえはやっとの思いで抑え込む。
    「……」
     蒼桜がかなりの深手を負ったショックから最も早く立ち直ったのは晴美。解き放たれた小さな光が行く先はディフェンダー陣。盾の力を施された代近は爆炎の弾丸を連射する響きに合せて、エリオもその槍に巧みな捻りを加えて見せて。端正な眉がきりりと寄せられた。紅蓮の炎に灼かれながらもその黒い瞳はなお濡れ濡れと美しい。伝説に聞く雪女とは非常な佳人だと聞くけれど、確かにあれは……だが百花はその美貌に取りつかれたりはしない。指輪をくるりと動かせば魔法の弾丸が尾を引いて。ジャマーゆえにかかるパラライズは常の3倍。これがいつ効力を発揮してくれるかはまるで謎ではあるけれど――そんな彼女の思惑を知っているのか知らぬのか、音々の日本刀が銀月の光を残して振り下ろされる。

    ●我を求めよ
     みずき――男は確かにそう名乗っているように聞こえた。漢字にすればずいせつ。めでたい時に降る雪だと代近は聞いていた。だがその名とは裏腹に彼の回し槍が生む風は彼を含む前衛陣――蒼桜、エリオ、音々を一瞬にして叩き伏せる。
    「本当は。本当は……だれかを……」
     幸せにしたかった、のかもね――苦しい息の下での呟きが瑞雪に届いていたかは判らない。
    『なぜ、話した……私を……』
     絞り出すような青年の呟きに朱那は僅かに目を伏せた。彼もまた何かを失くした者の1人。喪失の痛みなら彼女も知りすぎる程に知っている。
    「……アンタを作った想いは、何処から来たの」
     答えが聞けない事は百も承知で朱那は長い異形の腕を振るう。今度は捕縛の枷が3倍分。蒼桜がさなえと共に懸命に回復に励んでいる間、晴美のシールドの力を得てエリオは何とか距離をとり、代近はガトリングガンを構える。生み出される刃は風神の力を宿し、小気味よい連射音は瑞雪へ向けて。
    『……私との時を望んではくれぬのか』
     すらりと伸びた傷だらけの左腕。その先から蜂の巣になった羽織がぱさりと落ちた。音々の刀には真紅の炎が宿り、百花の指輪がその光をはねかえす。りんと清らかな鈴の音が古い社に聞こえた。
    「あんたの思い、このまま雪の中で埋もれさせてあげるよ!」
     祈るような音々の叫びに、瑞雪は力なく微笑した。刹那、ぴしりと空気が凍った。それは音もなく風圧もなく、前衛陣の熱を奪いゆき――。
    「……耐えました、か」
     蒼桜は息をついた。身に帯びていた防護の符の恩恵で氷の影響を免れた事はすぐに理解した。そして瑞雪には裁きの光が通じにくいことも。
    「アンタにあたしの炎が消せる?」
     武器に宿した炎は烈々と、これが雪の名を持つあの男をとかしてくれればいいものを――だが燃え盛る炎の中にあっても瑞雪はどこか悲しげなまま。対照的に晴美のギターの音色は儚さの中にも芯の強さがあるような。
    「風を……」
     晴美の言葉を受けてさなえも癒しの力を風に乗せ。だが必ずしも総てを払いきれないところに歯がゆさは残り。2人のメディックは後方――といっても確実に距離が取れている事は勿論ないのだが――から戦線を眺め渡した。エリオの槍さばき代近の神薙の刃、そして百花の魔法の矢に音々が青年の体の内に引き起こした魔力の爆発。ダメージの有る無しこそあれど、皆声を掛け合い、庇いあい、健闘してはいるのだが……。だが瑞雪の方も未だ衰えを見せていない現在、どこまで持ち堪えられるだろうか。晴美とさなえは次第に黒くわだかまり始めた不安を互いの笑顔で打ち消しあった。
    『……私の存在を話したものは……』
     重なる灼滅者達の攻撃を一身にあびながら、それでも青年は美しかった。エリオの槍の穂先が白皙の頬に赤い一筋をつけたときも。
    「誰か待ってるみたいやけど……待ち方しくったな!」
     それはこの場にいる誰もが共有する思い。もう誰にも彼の名を呼ばせはしない。血に濡れた伝説はもう、人の世のものではありえないのだから。

     ――長い、ながい攻防の時が、ひどくゆっくりと流れてゆく。

    ●冬の花と散れ
     纏わりつく冷気、瑞雪のジャマー並みの能力ゆえに十重二十重にと取りつく氷。戦いが長引くにつれて、徐々に味方の回復が多くなってきた事に焦燥感が降り積もる。
    『……』
     瑞雪が肩で息をついたのは更に時が過ぎてからの事。勝利の天秤が危ういところで灼滅者側にも触れていることが辛うじて判る。それは瑞雪の側も同じだったのだろうか。槍の穂先が音々に向けられる。瞬く間に生れたのは妖気のつらら。一瞬のことに身動きもならず音々は目を閉じた。貫かれる感触さえもが生々しく予測でき。
    「……このおにーさんが……女の子に傷付けさせはないよ?」
     だが痛みは彼女ではなく割って入った代近の体を突き抜けた。防御にたけた彼も重なるダメージの上に掛かる子の痛みには膝をつくほかはなかった。崩れ落ちた体には最早どんな癒しも受入れられる事はない。
    「……悪いけど」
     その最後の一言が誰に向けられたものなのか、仲間達は一瞬判断に迷った。だがそれは当然あの都市伝説の男への挑戦状であるべきなのだ。蒼桜のビームが魔法の光線となって迸ると、朱那も催眠を誘う歌声を解放する。朽ちた社に高々と響く歌声に、さなえも晴美も気を強く取り直す。苦しいのは敵も同じ筈。ならば自分達も癒しの風と音楽を。そして朗々と梁に響く音々のシャウトに仲間達の勇気は奮い立つ。
    (「黒死斬……がなかったのはあたしも計算外だったけど」)
     再び奔る百花の魔法弾。重ねるようにエリオも槍に螺旋の力を宿らせて。シャウトを使えないのは痛いけれども、事ここに至っては仲間を信じるのみである。
     幾つもの攻撃が飛び、幾つもの力がぶつかり合う。瑞雪の攻撃は時に後衛陣にまで及び、庇いに入ったエリオの肝をひやりとさせたことも幾度か。古い社の床は悲鳴のように軋み、やがて敵味方双方ともに肩で息をし始めた。
    「私の炎は絶対零度も阻めやしない!」
     音々の最後の力が真紅の焔となって雪の化身たる青年の横っ面を叩きのめすと、瑞雪はその眼に初めて怒りの色を浮べた。
    『……我は、この地の雪を統べるもの』
     見えない吹雪が前衛陣を巻き込んで吹き荒ぶ。音々は自らの中でぷつりと何かが途切れるような音を聞いた気がした。一気に色めきたった仲間の怒号と魔法や火焔の輝きが閉じられた瞼の裏にも眩しかった。だがそれが彼女がこの戦いでの最後の記憶。
     2人までもの戦力を失った灼滅者達。勝利の女神の微笑は一体どこまで遠くなるものか。それでも百花は魔法の矢を放つのを諦めず、朱那は瑞雪の力を停止させるべく結界を張る。もう幾つかかったか判らないパラライズの枷。どこかでこれが日の目を見てくれれば……それは渇望するがごとくの願いへと変っていく。
    『我が名を他人に伝えれば……死、あるのみ』
     瑞雪の槍の先に再び冷気が集まり出す。見る間に形となったつららが狙うのは蒼桜その人。
    「……!」
     蒼桜の脳裏に、残してしまう仲間達の事が浮んだ。自分がいなくなるその事に、彼女が思った言葉はどんなものだったか。
    「「……」」
     仲間達の間に走った沈黙は当分誰にも忘れ去る事はできないだろう。撤退、闇堕ち――続く攻撃の合間でさえ、巡る言葉は不吉そのもの。だがさなえは彼の体から火柱が上がるのをはっきりと見てとった。
    「貴方の孤独がどれだけ深かったのかは知らない……」
     寂しさゆえか、それとも真に心奪われたせいなのか、瑞雪がこの世の理を越えてさえ触れ合いたいと願ったことは誰にも責める事はできない。ただほんの少しのボタンの掛け違いさえ存在しなければ。
    『……死、あるのみ』
    大きく振るわれた瑞雪の槍からは、しかし何の波動も感じられなかった。
    「「パラライズ……」」
     2人のジャマー、朱那と百花の声が溜息のように重なる。それがどれ程の僥倖であったのか、その時の彼らには知る由もない。
    「なぁ。最後にお兄さんの名前、教えてや」
     何て読むん――苛烈な槍の一撃をぎりぎりで受け止めて、血を吐くホトトギスの如くエリオは問うた。
    『……ミズキ』
     小さく零れたが如きその言葉に、灼滅者達の乾坤一擲の攻撃が続いた。回復を捨てきってさなえが魔術の雷を呼び出せば、晴美も光の輪を刃に変えて。大きく傾いで倒れ伏した瑞雪に誰もが大きな息をついた。
    『……』
     最後に呼ばれた人の名はもう誰にも聞き取れない。
    「苦しみ続けるよりは、その子の事を赦して逝きなさい」
     百花のその言葉が、この地の雪を統べる男への手向けとなった。

     ――社の外では再び降り出した雪が彼らのつけてきた足跡を埋めようとしていた。
    「とりあえず、学校で貰った何かの種でも蒔いとこ」
     まるで花を撒くようにエリオは小さな粒を雪の上に散らした。いつかここにも春が来る。その時には瑞雪の思いも空へと還っているように――そんな願いを思い浮べつつ、灼滅者達は満身創痍の自分達の手当てにかかった。

    作者:矢野梓 重傷:水鏡・蒼桜(真綿の呪縛・d00494) 月守・代近(朔之夢・d11811) 獅子堂・音々(緋桜・d13816) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月22日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 9/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 4
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