虚無への旅路

    作者:矢野梓

     春は名のみの山々に鶯の声はまだ遠く――だがその地は確実に春への歩みをふみだしていた。谷には水の響きが戻り、やがて大地を潤すだろう水が少しずつたまり始めている。本格的に山の雪解けが始まれば、谷川の轟きは耳にも雄々しいものとなるだろう。
    「……今年は春が少し遅いか」
     壮年……いや初老と言っていいだろうか、その男性は一人ごちた。だいぶ歩きやすくなった山道を彼はしっかりとした足取りで進む。この地方では水の確保は昔からの大問題。今はダムや用水がいろいろ整えられてはいるけれど、この時期に山を回り、その年の雪解け具合を測るのはこの地方の大切な早春の仕事。
    「サラリーマンならリストラ世代だがなあ……」
     ふもとで農業を営む身。決して気楽な生活ではないけれど、と男性は苦笑い。だがこうして澄んだ空気の中を歩めることは幸福なことであるとは思う。さて、今年の山のご機嫌は――。
    「……ん?」
     目指す谷川への細い道。その遥か向こうで地響きのような何か。地震にしてはあまりにも局地的、かといって雪崩の類では勿論なく。
    「……青い……鬼?」
     隆々と盛り上がった筋肉は鎧の如く、振り回す左手は刃物の如く。男性が驚きで動けぬうちにそれは見る間に近づいてきて。
    『……グオォォ……シ……ク……グゥウ……』
     聞こえた響きは人の声のように思われたが、あれはどう見ても人のそれとは思われない。ようやくすべきことを思い出した男性が脱兎の如く踵を駆け出した。そのすぐ後ろで青い化け物の息遣いがどんどん大きくなってくる――。

    「あ~悪ぃんだけど、依頼でなんでぇ……す」
     教室に集った灼滅者を前に水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)は口を切る。小学生でも仕事は仕事、今はエクスブレインの立場だからと敬語を通そうとする辺りはなんとも子供で、集まった面々もそれぞれに微笑を押し隠す。
    「デモノイド……覚えていますよね」
     慎也の言葉に灼滅者達の表情が僅かに揺らいだ。無論鶴見岳での激戦を忘れることはない。あの青い異形が今度は何を引き起こしているというのだろうか。
    「奴……あれらは現在愛知県の山間部を徘徊しています」
     鶴見岳の敗北を受けて廃棄されたのか、それとも脱走状態ででもあるのか、それは全くの不明。だがデモノイドはいわゆる暴走状態というやつで、遭遇した生き物を片っ端から排除しようとしてしまうようだ。
    「どーも何かを命じられてるって風情じゃねぇ……ないんですが」
     理性無き異形が明確な目的もなしに暴走しているとなると出会ってしまった人々にとっては災厄どころの騒ぎではない。これ以上の被害を出さないためにも、すぐに灼滅に向かってもらわねばならないのだ。

    「場所はここ……細いけれど一応道はある所です」
     慎也が示した地図はとある農業地区からほど近い――徒歩で言うなら小一時間といったところか――の山のなか。
    「この辺には谷川があるそうで、独りの壮年男性が雪解けの具合を見に行っています」
     その様子で今年の農作業の始まりを定めるのだとかで、彼の役割は大切なもの。そこで奇禍に巻き込まれようとしているというのだから、何とも気の毒なことだ。
    「一応、今ならデモノイドと彼の間に割り込むことは可能です」
     幸いなことに男性は健康で頑健な人である。落ち着いて転ばずに走ってくれさえすればぎりぎりのところで助かるだろう。
    「ひとまず、彼の安全を確保したうえで、皆さんにはデモノイドの灼滅を――」
     デモノイドは1体。味方でなければ総てに攻撃を仕掛けるであろうから、ターゲットを灼滅者達にうつすことは造作もない。遭遇地点からわずかに下った所に林業やその他の作業用に拓いたような平地があるから、その辺りでなら取り囲むことも陣を組むことも可能になるはずだ。
    「デモノイドの能力は……ごぞ、ご存じですね」
     その強力な肢体での殴る蹴るは尋常の強さではないし、刃と化した左腕は近接してきている者をまとめて薙ぎ払うことができる。一体どんな実験をすれば人間をこうまで凶悪にできるのだろう。全くソロモンの悪魔の組織は恐ろしい。
    「でもどうやらデモノイドには『期限』のようなものがあるようですよ」
     未完成だった故なのか元々そういう性質を持っているのかは定かではないが、このデモノイドは体に壊死のようなものが始まっているらしい。それでも強さは灼滅者の遥か上をゆくものであるが。
    「……苦しいのかもしんねーな」
     敬語も忘れて少年は呟く。人としての生を失い、さらに今、異形としても朽ちゆく痛みの中にあるのなら暴走もまた納得のいくものではあるのだけれど。だがそれを赦すことは灼滅者達の仕事ではない。

    「デモノイド……放っといたっていずれは壊死してくんだろうけどさ」
     独り言のように慎也少年は呟く。だが灼滅者達の視線に気がつくと、すっと言葉づかいを改めた。
    「壊死、灼滅、いずれをとってもあるのは虚無への道だけです」
     ならば被害者ができるだけ少ない道を――エクスブレインの表情になった少年は灼滅者達を見渡すと、深く頷いて彼らを冬と春の狭間へと送り出した。


    参加者
    幌月・藺生(葬去の白・d01473)
    一之瀬・祇鶴(リードオアダイ・d02609)
    領史・洵哉(一陽来復・d02690)
    室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)
    風波・杏(陣風・d03610)
    冴渡・柊弥(影法師・d12299)
    桐山・明日香(風に揺られる怠け者・d13712)
    輪廻・彩喜(小学生殺人鬼・d14059)

    ■リプレイ

    ●春浅き
     所は愛知、雪残る山の奥。歌を思う鶯も今はまだ鳴きようがない浅い春。桐山・明日香(風に揺られる怠け者・d13712)の黒髪を撫でる風は確かに芽吹きの気配を含んではいたけれど、同時に雪の匂いも運んでくる。だが灼滅者達が気にかけるのは風の匂いなどではなく、この先にいるという異形のもの。
    「暴走するデモノイドさん……」
     てごわそうですけれど頑張ります――幌月・藺生(葬去の白・d01473)が踏みしめる土は雪混りに柔らかい。この分では戦闘場所も雪はかなりとけていることだろう。
    「デモノイド……人造されたダークネス、ねぇ」
     一之瀬・祇鶴(リードオアダイ・d02609)は軽く首を振った。ソロモンの悪魔が何をもくろんでいるのか、正直なところは判らない。だが命を戯れに使うとは、なんと人を愚弄したことか。
    「元が人間とはいえ、こうなっては正に『化け物退治』ですよね……」
     冴渡・柊弥(影法師・d12299)も深く頷く。足手まといになる訳にはいかない――そんな気持ちで心が満ちれば、進む足取りも我知らず早くなる。鶴見岳の戦いから今回のデモノイドの放浪。一体どんな連鎖のなせる業なのか領史・洵哉(一陽来復・d02690)にとっても、つかめない事の多い今回の事件。だが風波・杏(陣風・d03610)にとってみれば、これも己の宿敵につながる事。ソロモンの悪魔が何かを画策してくるのなら、魔法使いたる自分はそれを絶対に阻まねばならない。そんな彼の気持ちを察したものか、輪廻・彩喜(小学生殺人鬼・d14059)は杏の瞳をじっと見つめて言った。
    「人かどうかは、心で決まると、言ってました」
     それは彼の保護者がくれた言葉。
    「デモノイドさんは……もう、人ではないのです、か?」
     少年の問いに杏は黙って空を見上げ、室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)はそっとその肩に手を置く。
    「デモノイド……赦せないけれど」
     自分達には灼滅という手段がある。デモノイドは壊死しつつあるのかもしれないとエクスブレインは言っていた。それゆえに暴走せずにはいられないというならば、灼滅は解放へのただ1つの道。
    「……急ぎましょうか」
     祇鶴は仲間を見渡した。この先には彼らが救わねばならない人がいるのだから――。

    ●青き魔物
     谷川へ続く細い道。初老の男性がその道を一歩踏み込んだ時に感じたのは違和感。いやむしろもっと不吉な――。
    「青い……」
     木の間隠れに動くそれは確かに青い。一体何だと目を凝らそうとしたその時、足元を1匹の犬が駆け抜けていき……熊笹の薮に飛び込んだ瞬間い上がる気味悪い叫びごえ。と同時に犬の体がぽーんと投げ返されてきた。深く穿たれたばかりの傷も生々しく。
    「くーちゃん!」
     続いて聞きなれない少女の声。犬が応えるかのようにぱたりと1度尾を振った。一体何が……と振り返れば、そこにはトレッキングシューズに足元を固めた少年少女。
    「君たちは……」
     青い何かも気になるが、こちらもこちらで……男性の脳裏には混乱と混沌とが渦巻いた。
    「……危ないから早く逃げて下さい!」
     香乃果の切り出しもそれに輪をかけて。何の事かと問うよりも早く、彩喜は男性の腕を取った。
    「あれはくまより危ないから、おじさん、一緒に逃げま、しょう」
    「『あれ』?……君はあの……」
    「一目散に!」
     男性の疑問の一切を封じるように、彩喜は腕をつかむ指に力を込めた。不安で仕方のない風を装って見上げれば、とにもかくにも男性は走り出す。他の少年達も後に続くものと信じて。
    「ちょっと……」
     一瞬振り返ったその刹那、彼が感じたのは何とも形容しがたい殺気。それが柊弥の技である事など無論知りようもない。その瞬間、男性の意識の中から矛盾の一切が消え去った。意識の中に残るのはただここを去らねばという思いだけ。
    (「貴方の命も大切な山も確り護りますね」)
     全力で下ってゆく2つの影を見送って、香乃果は視線を前に戻した。藺生も今や全身全霊の気を、姿を現しつつあるデモノイドに向けている。
    「ほれ、でくのぼうさん……こっちへおいで?」
     明日香は小石を1つ拾い上げたかと思うと、すぐさま手首のスナップを利かせた。空を切って飛ぶ石はくーちゃんの背中を超え、薮の中に吸い込まれる。
    『……グオォォ!!』
     雪崩を呼ぶようなその叫びこそ、灼滅者達が待ち構えていたもの。
     
    「……この手に、刃を」
     懐からさらりと取り出されたカードに静かな声。刹那、柊弥の手の内には1本の槍がある。祇鶴は唇の端だけで笑みをつくり、宣言する。
    「さぁ、終りを始めましょうか」
     その意味を正確に理解したのは勿論彼女の仲間達のみ。全身に闘気を漲らせながら、デモノイドが全身を現した。刃と化した長い腕が早春の陽射しには不似合いなくらいギラついている。
    「くーちゃん!」
     全身を総毛だたせ、仁王立ちでデモノイドの進路に立ちはだかる犬。男性へ危機を知らしめた時の傷口はぱっくりと開いたまま。傷ついたものの匂いを逸早く嗅ぎつけたデモノイドの腕が大きくしなった。藺生が呼びもどす暇もなく、青い刃は唸りをつけてくーちゃんを――その刃が当たるその瞬間さえ、霊犬は微動だにしなかった。そしてその一瞬は灼滅者達が完全に戦闘態勢を整える時間として十分だった。
    「ありがとう」
     その言葉が誰の声だったか藺生には判らない。だがくーちゃんの姿を見てくれた仲間達の心に使命感の炎が燃え上がるのを感じとる。道は既にひかれた。デモノイドが辿る虚無への道が。ならば後はあの青い悪魔の背中を押してやるのみ。

    ●虚無へ、戦闘経由
     灼滅者達の誘導は中々に巧みだった。雪残る広場にデモノイドを誘い込んだ時にはすでに完全な陣が組まれていた。だが災いはあっさりと明日香の上に降る。小石を投げられた意趣返しというわけではないのだろうが、その狙いは正確だった。そのダメージの大きさを当人より正確に理解したのはメディックである杏。
    「行け、リングスラッシャー! 桐山を守るんだ!」
     キラキラと輝くリングが明日香の傷を半ば癒すと、藺生も同じ光の輪を生んだ。
    「ディフェンダーが幸いしましたね」
     なんとか癒し切ったのを知ってほっと胸をなでおろすと、デモノイドの胸に香乃果の槍が深々と刺さっているのが目に入ってくる。青い皮膚を流れ落ちる真っ赤な血。人と同じ色をしているという事実が、あまりにも悲しく、痛々しい。だがそこで攻勢を緩める事は本末転倒。祇鶴は自らの中に潜む闇を漆黒の弾丸に形を変えて。
    「図体が大きいとやっぱり当てやすくていいわね……」
     槍傷を更に深くえぐる一撃はスナイパーならではの技。仲間達の妙技に感嘆しつつ、洵哉も防御の盾を呼び出した。デモノイドの攻撃は確かに侮れるものではない。だがこちらも侮ってもらっては困るのだ。
    「そうだね。やられっぱなしではね……」
     雷の気はみるみるうちに明日香の拳を覆う。見事な一撃もデモノイドの鎧のような筋肉を突き破る事はできなかったが、代わりに柊弥の漆黒の弾丸が死の毒を送り込む。それはまさにジャマーの面目躍如。萌芽を迎える時が定かならずとも、灼滅の種はできる限り多く植えつけておくに限るのだ。

     デモノイドの腕が旋風を生む。前衛陣――香乃果、洵哉、明日香が薙ぎ払われる。雪解けの大地に叩きつけられたはしたものの、すぐさま香乃果は反撃に出た。両掌には杖の感触。真横に振ったその刹那、固い手応えが肩口にまで響いてくる。流し込んだ魔力に青い体が痙攣した。その隙を洵哉は見逃さず盾を振り上げる。ぎろりと大きな目が彼を見下ろしてきた。吸い込まれそうなその瞳に宿るのはやはり『怒り』なのだろうか。
    『!!!』
     動物とも魔物ともつかない叫び声がほとばしる。だが杏の声は対照的なまでに理性ある人のもの。
    「凍てつけ。これが、終わりへの一歩だ」
     それがデモノイドから熱と命を吸い上げるものだという事は、灼滅者だけが知っていた。自らの身に何が起こったかもわからぬまま雄叫びをあげるその喉を、今度は祇鶴の弾丸が突き抜ける。大きく姿勢を崩したデモノイドに、藺生と明日香は狙いを定めた。片方は催眠を誘う魔力の符を、片方は天をも焼こうかという炎となったその武器で。そこにあるのはデモノイドの形をした炎であった。デモノイドにしてみれば災厄の極み。が、灼滅者達にしてみれば未だ道半ば。戦いはここから更に激しさを増していく事になる。

    ●命燃ゆ
     彩喜が戦場付近まで戻ってきたのは、業火が紅蓮の柱となったその時だった。男性を無事に安全な距離まで送り届け、念の為にと殺界形成を施して、戻って来てみると仲間達はデモノイドを徐々に追い詰めはじめたところだった。勿論それは仲間達の無傷を意味するところではない。デモノイドの一撃は彩喜の遠目からでも鳥肌が立つほどであったし、回復に走る杏と藺生の動きにも余裕めいたものは読み取れない。
    「はやく……」
     合流を果たさないと――勝敗の別れ道は多分すぐそこ。今はとにかくできる限りの攻撃を。彩喜の足が一層早くなった。
    「目的も、主義も、何もなく殺す事がなによりも嫌いなのよ、私は!」
     祇鶴の細く美しい糸が光の跡を残して青い体に絡み付く。きりきりと糸の締まる音は琴糸のそれを思わせる。時に捕縛を呼ぶその技に仲間達が続く。振り下ろされる盾は風を生み、オーラで覆われた拳の連打がデモノイドの体に吸い込まれ。それでもなかなか怯みを見せないその敵に、灼滅者達はただ呆れる以外の言葉を見つけられない。
    「それでも……」
     誰かの呟きが正面の敵だけを見据える仲間達の耳朶を打った。そう、それでも引くわけにはいかない。無尽蔵に見えるあの力にも終わりは必ず来るのだから。
    『……シテ……ク……』
     ゆらりと敵の体が立ち上がる。怒りに支配されているのだろう。狙うのはやはり洵哉。大きな腕が彼の脳天に叩きつけられる。あと数センチずれていたらそれは致命傷だっただろう。勿論、メディック陣が折にふれてかけてくれたシールドの力。それなくしても彼が立ち続ける事は不可能だったけれども。
    「そう簡単には倒れませんよ!」
     自らを鼓舞し洵哉は顔をあげた。仲間達の視線が一点に集中している。
    『…………』
     長くだらりと垂れた長い腕。
    「……痛い、のでしょうか」
     最後尾で聞こえた声に、誰もが耳をそばだてた。ご無事です――明瞭な彩喜の一言で懸念は全くなくなった。
    「遅く、なりました」
     肩なの鞘を払いながらの少年の挨拶に杏はそっと笑んだ。前方ではクラッシャーを自任する香乃果が魔法の矢を手の内に。
    「デモノイド……貴方、もうすぐ壊死するのね」
     小さな呟きは果たして青い異形に聞こえたものかどうか。もとは同じヒトであっただろう、あの異形。あれは果たして彷徨える者なのだろうか。
    「……こんな姿にされた上に棄てられたの?」
     香乃果の矢に射抜かれたデモノイドの喉からは断末魔にも聞こえる叫び声。その声さえも断ち切るように、彩喜の刃が光る。耳を打つのは腕の筋が切れるようなその音。半ば断ち切られた刃の腕をかばうようにうずくまったデモノイドの背は隙だらけ。間髪を入れず祇鶴が狙えば、細い糸は刃の如く厚い筋肉を切り裂いて。
    「追加だ、爆ぜろっ!」
     炎の弾丸が杏の手を離れたのはその刹那。血の赤も傷の黒さも燃え上がる炎の中では意味を失い、ただ耳を聾する叫びだけが山を揺るがす。戦いはいよいよ佳境に入ろうとしていた。

    ●再び、萌ゆる日を
     果てのない螺旋階段を上り続けるような疲労が灼滅者達に積もる。時に見切られ、時に叩かれ、戦いは続いていった。だが雪が必ずとけるように、無尽蔵に見える体力も尽きる時が来た。
    「苦しみながら戦わざるを得ない……デモノイド達も哀れに感じますね」
     半ば断ち切られた腕に薙ぎ払われた洵哉。だがそのダメージも最早始めの方とは比べものにならない。殴られる瞬間に感じる苦しそうな息づかい。灼滅者達が何重にもかけた罠、その負荷がじわりじわりと追い詰めてきた結果であった。ならばここからは最後の仕上げ。香乃果は長く影を伸ばす。鋭い刃と化したその影が主の意のままに敵をきりきざむと、藺生も回復を杏に任せて影業に命じた。たった一言呟くようなそれだけで、無数の触手がデモノイドの体に絡み付き。
    「デモノイドさんは、生きたいのかな? それとも死にたい?」
     そう問いかけている藺生の自身、死にたい筈がない事くらい百も承知だ。ただ利用されただけの異形の事を思えば、心は哀しみで潰れそうになるけれど。
    「…………その生命、私の糧に、します」
     楽にしてやれる方法はただそれだけ。彩喜は迷わず大地を蹴った。左手に握った刀の重みを最大に活かして肉を絶つ。鈍い手応えに少年は瞬時、眉をひそめたが、すぐさま離れて明日香と柊弥に場所を譲る。オーラに鎧われた拳の連打、神業かともまごう槍の突き。もげかけていた腕は完全に切断され、青い巨体が膝をつく。
    『……シテ……クレ』
     殺してくれ――そういっているように聞こえたのは、皆の錯覚だっただろうか。
    「かわいそうに。誰とも知られず、怪物のまま消えていくのか」
     杏が呟く。一瞬、誰もが押し黙った。さやさやと枝を渡る風の音が妙に淋しげに鳴り、香乃果はぎゅっと槍を握り締めた。
    「もうこれ以上苦しまなくて良いよ」
     指先に込めるのは万感の思い。灼滅する事が貴方への救い――信じる気持ちはそのまま槍へ。螺旋の力が穂先へと走る。狙いは誤る事なく、心の臓。
    『……ガ……トウ』
     聞こえぬ響きを補完する事が許されるならば……前衛陣は最後の言葉に耳を傾ける。が、それももう無駄な努力となってしまっていた。足元には原形さえもとどめない青い何か。

    「お疲れ様です、皆さん」
     柊弥が武装を解いた。僕はもっと鍛えないとダメですね――仲間達の技は柊弥にとっては実に頼もしいものだった。これから自分を待つものは研鑽の日々。だが今はとにかく、無事仕事を終えたのだ。
    「……彼らの生まれた意味とはなんなんだろうね?」
     明日香も祈るように武器を収めた。凶悪極まりない敵ではあっても命は命。灼滅者達は散っていった命に祈りを捧げた。いつかはこの戦いも数あるものの1つになるだろうと杏は想いを馳せる。だが今だけは心から覚えておいてやりたいと思う――。
    「……山間部のどこかに、施設があるって話、ですよね」
     彩喜は静けさの戻った山を振り仰いだ。いずれはエクスブレイン達から新たな情報がもたらされる時もくるのだろう。ソロモンの悪魔達もこのまま引き下がるとも思えない。仲間達もまた、それぞれの思いを抱えて空を仰ぐ。

     遠く、どこかで何かが割れるような音が聞こえた。あれは恐らく谷の上流。山の雪が砕ける春の音なのだろう。デモノイドの影の消えた山に、新しい命の萌える春が来ようとしていた。

    作者:矢野梓 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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