愚者につける薬は

     その日、国道に面した深夜営業のドラッグストアは、招かれざる客を迎えていた。
    「いらっしゃいま……なっ、何だこいつ!?」
     不幸な店員は、来訪者がデモノイドと呼ばれる存在であり、魔法の力を使えることを知らない。故に、店員自身が生きながら氷像に変えられたことも、最後まで気づかなかった。
     邪魔者を排除したデモノイドは、不意に自分の掌へと視線を落とした。
    「グッ……グオ?」
     黒ずんだ肉の欠片が、ぼろっ……と掌から剥がれ落ちていた。
     よく見ると掌だけでなく、身体のあちらこちらが黒ずんだ状態になっている。
    「グオォォ……!」
     デモノイドは悲しげな咆吼を発すると、店内に並んだ薬に手を伸ばし、片っ端から掌にすり込んでいった。
     どう見ても飲み薬のタブレットだったり、ただの化粧品まで、がむしゃらにすり込み続けた。
     
    「デモノイドの襲撃事件が、愛知県東部で何件か起きています。
     豊川市内の国道沿いにあるドラッグストアが襲われる事件も、その一環です」
     呼び集められた灼滅者達を前に、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は告げた。
     ただ、問題のデモノイドの様子は、これまでと比べて少しおかしいようだった。
    「どうも、強化された体細胞が壊死を始めているらしいのです。
     ドラッグストアが狙われたのも、壊死を直す薬を求めてのようですね。もちろんそんな薬は店にはないのですが、その程度の判断力すらデモノイドからは失われているようで」
     元から強化に無理があったのか、あるいはメンテナンスを受けられなくなったが故か……いずれにせよ、彼らデモノイドもソロモンの悪魔の被害者なのだろう。
    「ですが、それは別の被害者を生み出してよい免罪符にはなり得ません!」
     姫子は言葉にぐっと力を込めた。
     デモノイドはソロモンの悪魔から魔法の力を与えられており、また腕力を活かして殴りかかったりもする。それでも、灼滅者達がうまく力を合わせれば勝てない相手ではないはずだった。
    「問題は、ドラッグストア前の国道が幹線道路であり、深夜なお通行する車が少なくないこと。そして、バイパスとなる道路もあまり一般に知られていないことです」
     例えば、最速でデモノイドに接触した場合、戦場はドラッグストア手前の国道脇となる。しかし、何も考えずにそこで戦えば、車が巻き添えになる可能性は非常に高い。人通りを避けるESPなどの使用も考えられるが、それだけでは交通渋滞を巻き起こしてしまうだろう。
     一方、ドラッグストアの内側までデモノイドを呼び込むことも可能である。これなら車に被害は出ないだろう、しかし店内で戦闘すれば多数並んだ商品が悲惨な目に遭うことは想像に難くない。
     第三の選択としては、店の前の駐車スペースを戦場とすることも考えられる。これは国道脇と店内の中間で、車と店の両方に、さほど致命的でない被害が出る可能性があるだろう。
     さらには、まったく別のひと気のない場所にデモノイドを誘導して戦う、という選択肢もあり得る。だが、判断能力に乏しく、日本語の説得が通じる保証もなく、ただ壊死を直せる薬を求めているデモノイドをうまく誘導するのは至難の技だろう。
    「いろいろ考えることはおありでしょうが……それでもあなた方なら、周囲への被害を抑えて目的を達成できると信じています。
     どうかこれ以上、デモノイドが他人にも、そして彼ら自身に対しても不幸を撒き散らすことがないようにしてください」
     姫子は頭を下げた。


    参加者
    ビスカーチャ・スカルチノフ(しべりあんぶりざーど?・d00542)
    迅・正流(黒影の剣士・d02428)
    七瀬・仁人(ヘマタイト・d02544)
    桧原・千夏(対艦巨砲主義・d02863)
    リオーネ・ブランシュ(運命黙示録・d04884)
    風見・孤影(夜霧に溶けし虚影・d04902)
    八重垣・倭(蒼炎の守護者・d11721)
    冬永・雫(心に眠る業火・d12993)

    ■リプレイ

    ●プランニング
    「戦闘に十分な広さがあり、周辺の人通りも少ない空き地……」
    「そして、デモノイドをそこまで誘導するための通路も必要、と」
     風見・孤影(夜霧に溶けし虚影・d04902)と八重垣・倭(蒼炎の守護者・d11721)の2人が、後ろから七瀬・仁人(ヘマタイト・d02544)のノートPCを覗き込む。
     地図を検索していた仁人が、ディスプレイの1ヶ所を指さした。
    「……ならば、ここか」
     市街地の中にぽっかりと広がった深夜の広場は、確かに戦闘場所として相応しいように見えた。
     ドラッグストアを襲撃すべく国道脇を進んでいるデモノイドに対して、灼滅者達が採った策。
     それは、もっとも被害を少なくでき、かつもっとも失敗のリスクも大きい、安全な戦闘場所への誘導策であった。
    「できるだけ苦しませずに終わらせたいものだけれど……」
    「例え悪魔の被害者であっても一般人を巻き込むのはいけないから、ここは必ず食い止める、ね」
     冬永・雫(心に眠る業火・d12993)とリオーネ・ブランシュ(運命黙示録・d04884)の2人が先行して、待ち伏せのために広場に向かった。
     倭、孤影、仁人の3人はいざという時の対処、そして誘導役の支援のため、国道が見える位置で待機。そして、両者の中間の道路を迅・正流(黒影の剣士・d02428)が固める。
    「ああ、雫もリオーネもよろしく頼む。あとは……」
     倭は国道の方角をじっと見据えた。
     遠くに小さく見える『渋滞情報 km』と書かれた電光掲示板。そこには今、何らの数字も表示されていない。
     もしもデモノイドが誘導に釣られてくれず国道をさらに進んだ場合、倭は迷わず殺界を発動させるつもりだった。そうすれば国道沿いを戦場としても、犠牲を避けることはできる。しかし、引き替えに車の行き場もなくなるため、渋滞が発生する。あの電光掲示板に、数字が灯ってしまう。
     デモノイド誘導の任務を負った仲間に、すべての命運は託されていた。

    ●ブルーム・チェイス
    「そろそろ、来る頃デショウカ」
     箒に乗ってふわふわと浮かびながら、ビスカーチャ・スカルチノフ(しべりあんぶりざーど?・d00542)が立て看板の陰から国道の様子をうかがう。
     いくらバベルの鎖があるとは言え隠れていなければ、空を飛ぶ少女は交通量の多い国道沿いではちょっとした騒ぎになりそうではあった。あまつさえビスカーチャが、わんこ付け耳とわんこ付け尻尾と首輪という、ファンシーだかシュールだかわからない格好をしているので余計に。
    「だな……エグい真似しやがるもんだな、ソロモン連中もよ。まぁ、連中をぶち抜くのは、今度の楽しみにとっとくか」
     桧原・千夏(対艦巨砲主義・d02863)もまた宙に浮いていた。ただしこちらは箒でなく、巨大なバスターライフルの砲身にまたがっている。
    「シッ……来まシタ」
     ほどなく、目的の影が姿を現した。
     ドラッグストア目指し進んでくるデモノイド。そのこめかみの位置に黒ずみがあるのを確認すると、千夏は看板の陰から素早く飛び出し、こめかみに一撃を浴びせた。
     ただし、サイキック攻撃を、ではなく。
    「ほらよ、お前を治す薬はこいつだ!」
     シューッ、という涼しげな音。
     それはごく普通の、スプレー剤の缶であった。
     もちろん薬効などない。ただ、吹きつけられた時の冷たい感触と、刺激臭とはそれなりにある。判断力の衰えたデモノイドからしてみれば、わかり易い壊死の薬に見える可能性は十分にあった。
     そして一方で、ビスカーチャの箒からは、似たような薬がいくつも詰まった籠が下げられている。
     これらの薬を餌としてデモノイドを誘導する。それが灼滅者達の計画であった。
    「グオッ……?」
     どうやらデモノイドはスプレー缶を、壊死を治す可能性のある薬と認識したようだ。
     千夏は自分に向かって突進してくるデモノイドを確認し、バスターライフル箒でひょいと空中に浮かび上がった。
     つかず離れずの距離を保ちながら国道をそれて、待ち伏せ用の広場への道の、上空を進む。後ろを振り返るまでもなく、デモノイドがスプレー缶を奪うべく自分達を追いかけてくる雰囲気がわかる。
    「成功、デスネ」
     ビスカーチャが微笑む。確かにここまでは、灼滅者達の計算通りだった。
     しかし、ビスカーチャも千夏も、デモノイドの魔力を十分に計算していたとは言えなかった。
     猛然と2人を追ってくるデモノイドから、マジックミサイルが雨霰と降り注ぐ。ターゲットは2人の魔法使い、ではなく、千夏1人。
     千夏が身に着けた中学制服の効果か、多少は直撃を避けられている。それでもデモノイドの魔力は強大で、一撃がヒットするごとに彼女の体力と気力をごっそりと削り落としていく。
    「ぐっ……!?」
    「千夏、大丈夫デスカ?」
     無傷のビスカーチャが心配そうに呼びかける。
     デモノイドにとって興味があるのは千夏が目の前で使ったスプレー1つ、ということだろうか。ビスカーチャの籠の中身が薬であると認識されているかも疑わしい。
    「ああ、何とかな……」
     苦痛に顔を歪めつつ、箒の上で立て続けにブラックフォームを開放する千夏。ビスカーチャもシールドリングで、そして霊犬『八丸』も浄霊眼で支援する。それでも、千夏の疲労の色は急激に濃くなっていく。
    「ようし……そのまま釣られて来い、こっちだ!」
    「無双迅流の真髄は、闘志にあり!」
     倭ら3人、次いで正流も合流し、壁として千夏の前に立ちはだかった。彼らの牽制によって、デモノイドの攻撃もどうやら分散されたようだ。
     それでもデモノイドはスプレーをなお諦めていないらしく、隙あらば射線が通る瞬間に千夏を撃ち落とそうとする。
    「ぐうぅ……まだ、まだぁっ!」
     スプレー以外の薬も実際に使ってみせる、もしくはスプレー缶を他人にローテーションで渡す、等によってデモノイドの注意を千夏以外にも分散させた方がよかったのかもしれない。だが、今となってはせんないこと。
     人々の被害を避けるため、何としてでもデモノイドを戦いの場まで誘導し切る。その強い意志だけが千夏の身体の、最後の一線を支えていた。

    ●賭するもの
     リオーネと雫が待つ広場が、見えた。
     もう誘導のための遠慮はいらない。ここなら思う存分、戦える。
    「や、やったぜ……」
     千夏の顔色は真っ青だった。ダメージと回復の繰り返しが、殺傷ダメージの蓄積として彼女の身体を蝕んでいた。
     本来なら千夏もここでバスターライフル箒を降りて、ジャマーとして戦う予定だった。しかし、傍目で見ても今の彼女が、強大なデモノイドとの戦闘に耐えられるとは思えない。
     箒から飛び降り、予言者の瞳を開放しながら、ビスカーチャが叫んだ。
    「千夏殿、そのまま行ってください! あとは自分達に任せて欲しいであります!」
     いつものわんこな彼女とは異なる、プロの兵士としての言葉。それはビスカーチャが、千夏を戦友と認めリスペクトした証であった。
    「すまねえ……みんな頼むぜ」
     役目を果たしたスプレー缶を地面に投げ捨てると、千夏はバスターライフル箒に乗ったまま、戦場から離脱した。残りの7人が広場のスペースを活かし、デモノイドを取り囲む。
    「もはや助かるまい。武士の情け……その痛みから……解き放ってやろう!」
    「貴様を助けてやりたいが、オレには未だに灼滅以外の道が見えん……すまんな」
    「悪魔に魂を売った代償は大きくて……偽りの力では、結局何も得られない。
     リオに出来るのはアナタを殺す事。それが唯一……その肉体から解放し、救う為の手段なの」
    「デモノイドでさえ、生きるという強い意志を持ってるのか……だが、それは許されないことなんだ。悪く思うな」
    「認めよう……その生きようとする意思は……何よりも正しく、尊く、そして美しいものだと。
     だが……こちらの勝手では、お前を生かしておく都合がつかない……悪いな」
     どれが誰の想いの吐露であるのか。混ざり合って判然としない。
     だがいずれにせよ、彼らにできることは1つであった。
    「黒影騎士“鎧鴉”、見……斬!」
    「これ以上動くなよ!」
     正流が無敵斬艦刀『破断の刃』を手に斬り込む。孤影は日本刀『八咫月』を低く構え、デモノイドの足の腱を狙う。
    「ターゲットロック――ビスカーチャ・スカルチノフ、狙い撃つゼーッ!!」
    「――殲滅、開始します」
    「そのまま動かないで、そのままジッとして……」
     ビスカーチャはバスターライフルを構え、リオーネは精神の暗黒の弾丸、雫は制約の弾丸を放つ。
    「ぐっ……腐っていても、この豪腕ぶりは流石だな」
     一方、相手の拳をWOKシールドで止めた倭は、びりびりと震えるような圧力に唸った。
     それでも、悲愴な戦闘は長くは続かなかった。
     ひと時の攻撃力は強烈でも、もはや維持するタフネスが伴っていない。
    「……やはり、治らんか」
     仁人は仲間の後ろから、じっと見ていた。デモノイドが自らを癒しの光で包もうとしても、回復の効力は黒ずみの部分には働いていなかった。壊死した体組織は、もはやデモノイド自身のものですらなくなってしまっているのだろう。
     そして、ソロモンの悪魔から与えられた回復の魔法では、雫に麻痺させられた身体を元に戻すこともできない。
     体力の限界か、麻痺で足がもつれたせいか。やがてデモノイドは地響きとともに倒れた。
     なおももがいている。戦い、そして生きようとしている。だがそれを果たせない。
    「暫くすれば治ります……少し寝ていて下さい」
     正流が千夏の投げ捨てたスプレー缶を拾うと、倒れたデモノイドの元にしゃがみ込み、静かな音とともに噴射した。
     もちろん治すためではない、ただひと時の平穏をデモノイドにもたらしたいがために。
    「……、……」
     デモノイドも応えて、何か言ったようだった。
     聞き取れないほどの弱々しく小さな声。ただ、それがデモノイドとの最後のやり取りであることだけは理解できた。故に、灼滅者達は。
    「そんな姿にされて、苦しみながら死を迎えるのは辛いよね……だからこれでもう、苦しみや痛みからも終わらせてあげる。
     最後はどうか安らかに眠って、ね……」
     リオーネが『メメント・モリ』の銘をもつ大鎌を振り上げて。
    「この月の下に、散れ……」
     孤影が『八咫月』から居合いを放って。
    「無双迅流――紅蓮爆華斬!」
     そして正流も立ち上がり、『破断の刃』を構えると、火葬するが如き大量の炎を注ぎ込んで。
     痛みを感じる暇もないほどのダメージを、一気にデモノイドに叩き込んだ。半ば崩壊した肉体はたちまち形を失い、どろどろに溶けて、そして大地に還っていく。1度は自然な生命たることを拒絶したデモノイドが、再び自然な生命たることを受け入れたかのように。
     後にはただ、人の形をした黒い地面の染みが、広場の土の上に残された。

    ●救い
    「こんな事しかしてあげられなくて……ごめん、ね……」
     地にへたり込み、ぽろりと涙をこぼすリオーネ。ビスカーチャのわんこ付け耳も、まるで彼女の悲しみを反映するかのようにへにゃっと倒れている。
     その地面の染みの上に雫が、近くで摘んできた小さな野の花をそっと置いた。
     仁人は死体が残れば回収したいと考えていたようだが、それすら果たすことはできず。灼滅者達にできるのはただ、デモノイドを『人』として弔うことのみであった。
    「なぁ正流……最後にデモノイド、何て言ってたんだ?」
     千夏も広場に戻ってきていた。バスターライフルを杖に突きながら、おぼつかない足取りで、それでも歩みを止めはしない。正流もうなずく。
    「少なくとも自分の耳には、の話ですが……『アリ……ガ……』と聞こえました」
     もし彼の言葉が正しいのであれば、デモノイドは灼滅者達に『ありがとう』と礼を述べたかったのかもしれない。衰えた判断力でデモノイドが理解できる、数少ない、もしかしたら唯一だったかもしれない日本語で。
    「デモノイドがただの生体兵器とは思わない、ちゃんとした意志がある。だから私は、こいつらを創りだしたソロモンの悪魔を許さない」
     孤影の言葉は淡々としていた。だが、ぎゅっと握りしめた拳の震えを見る限り、どれほどの激情が彼の中に渦巻いているのだろうか。
    「ああ……こんな気の重い任務は、これっきりにしたいな」
     静かに目を閉じる倭。
     冷たい静寂に包まれた深夜にあって、車の流れるエンジン音は絶えることなく、彼の耳に届いていた。
     そう、自分達は犠牲者を出すことも、国道を渋滞で止めることもなく、事件を解決できた。それが1つの救いであったかもしれない。

    作者:まほりはじめ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月4日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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