テリトリー・アゲイン=蜘蛛の振る舞い

    作者:藤野キワミ

     俄然面白いことになってきた。
     閉ざされた世界で無限の殺戮を楽しんできたが、出来損ないどもを完全なるダークネスへと変貌させてやるなど、また一風変わった楽しみが増えた。
     序列。
     この身を縛る面倒くさくも甘美な糸。否、面倒この上ない呪縛だ。
     666人いる中の、586番目の女――水島・テイ子は、それでも些事だと笑い飛ばす。
     作戦にイレギュラーはつきものであることは自明の理。過去の瑣末なんぞ振り返る必要はない。
     もっとも、この『殺人領域』に不備はないのだから。

     さあ、来い。早く来い。
     そして、最期の快楽を、命の消える極上の快楽を、あたしに味わわせてちょうだい。

     女は笑う。凄烈な微笑みを刻む。足元には名前も知らない男児たちが肉塊となって四肢を投げだしている。
     水島・テイ子の手に握られている狂刃は、朱に染まりぬら光る。噎せ返るほどに鮮血の香りは甘く濃厚で、官能をくすぐる。
     まだ殺し足りないとむさぼり蜘蛛どもが低く呻く。ネズミバルカンどもの耳障りな鳴き声もまた、暴れ足りないと不平そうだ。
     『殺人領域』に運良く入り込んできた子どもでシュミレートしてみたが、結果は上々。胸が躍るのを抑えられない。このまま哄笑してしまおうか――水島・テイ子は舞い上がっていた。

     さあ、来い。早く来い。
     あたしの『殺人領域』に踏み入ったその時が、あんたの最期、そして新しいあんたの始まり。

     寒さが一層厳しさを増す日本列島。その中の一都市、武蔵野。そのまた一学校、武蔵坂学園。そのまた一室。
     須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)はひょっこりと顔だけ覗かせて、中の様子を確認した。
     教室の中にはたまたま居合わせた灼滅者が、放課後トークを楽しんでいる。
    「ねえ、みんなにお願いしたいことがあるんだけど、良い?」
     まりんの呼び声に、談笑をやめて彼らは顔を見合わせ、大きく頷く。
     エクスブレインの緊張が、室内に一気に伝播したのだ。
    「蜘蛛みたいな六六六人衆が、また感知できたの」
     以前にも察知したことのあるダークネスで、六六六人衆の一人、水島・テイ子だ。
     前回は下水道で罠を仕掛けて殺戮を楽しもうとしていたが、灼滅者たちの活躍の甲斐あって一般人が犠牲になることはなかった。
     否、興味をなくした水島・テイ子があっさりその場を立ち去っただけに過ぎない。
     そんなダークネスが、また現れたというのだ。
    「やっぱり強いのよね、彼女」
     あの日から、幾日経ったことだろうか、序列は当時の642番からいくらも上がり水島・テイ子はさらに強く、余計に厄介になったと、まりんは続ける。
    「余計に?」
    「そうなの。前は六六六人衆だけの中で序列争いをしていて、殺戮のこと以外どうでもいいって感じだったんだけど、どうも違うの」
    「違うって、なにが?」
    「うん……水島さんね、灼滅者が来るのを待ってるみたいなんだ」
     緊張と戦慄の帳が落ちる。
    「この学園の灼滅者を闇堕ちさせようとしてるみたいなの」
     これは以前まったく感じなかったものだ。
    「でもね、知っちゃったからには、止めるしかないと思わない?」
     眼鏡の奥の瞳が、不安そうに細められた。
    「水島さんは、今回は公園に罠を仕掛けたみたいなの」
     まりんは抱えた資料の中から一枚の地図を取り出して、みなに見せる。
     広い緑地公園の見取り図だ。その一角、公道と公園の遊歩道の境目にあるアスレチック広場に、赤いバツ印がつけられていた。
    「ここの遊具の補修工事が行われる予定で、今は封鎖されてるの。で、水島さんはここに目を付けたのね」
     己の眷属で獲物を弱らせて止めを刺す。罠を張ってじっと待つ、ひたすら待つ、息をひそめてその最高の瞬間を想像して夢想して切望する。
     なんとも我慢強いダークネスだ。
     そんなある意味一途な水島・テイ子が潜む広場は針葉樹で囲まれ、遊歩道から入口にはロープが張られている。
     その入口から見て、左側から大きな滑り台やたくさんのネットのついたピラミッド型の遊具、次いで丸太の平均台、その奥にうんてい、ロープウェイ、そして一番右側にはブランコと砂場があった。
     補修が行われるのは、このピラミッド型の遊具だ。
    「小学生の男の子たちがこの広場に入っちゃうから、それまでに水島さんをこの公園から追い出してほしいの」
     予知できたのは男児たちだが、このままでは確実に工事の作業員までもが犠牲になりかねない。
     まりんは、眼鏡を押し上げて、
    「今回の罠も、前に八人の灼滅者が戦ったのと同じような、眷属で相手を弱らせてからおいしいところを全部もっていっちゃう作戦みたいで、なんていうのかな、なんとかの一つ覚え?」
     さらっと毒を吐いてもまりんの笑みは無邪気。
     湧いて出てくる眷属はむさぼり蜘蛛と、ネズミバルカン。数は計り知れない。
     彼女の『殺人領域』は眷属どもの力が発揮できないとすぐに崩壊してしまうもので、ある程度の眷属を倒してしまえば、修復することを諦め、『殺人領域』を放棄するだろう。
     であるから、灼滅者には、眷属を無双してもらいたいのだ。
    「クモとネズミ合わせて24体――これだけ減らせば、追い払うことはできるはずよ」
     眷属どもは目の前の獲物に対して全力で向かってくる。戦術なんぞない。ただ破壊衝動のままに牙をむいてくるだろう。
     むさぼり蜘蛛は腹の大きな口で噛みつき、粘着質の強い糸を吐いてこちらの自由を封じてくる。
     またネズミバルカンも見た目通り、背負った砲台からの爆撃、鋭い牙を突きたてての噛みつき攻撃を仕掛けてくるだろう。
     広場は遊具があるとはいえ、十分に広い。好きなだけ暴れることができる。
    「水島さんには絶対に手を出さないでね、しつこいようだけど、これだけは絶対に約束して」
     まりんは一息ついてから、最後に忠告する。
    「何も知らない一般の人たちの殺戮を止めることが最優先になるけど――みんなが闇堕ちなんてしないならその方がずっと良いの」
     言って彼女は微笑む。
     水島・テイ子の目的は灼滅者を闇堕ちさせてあげること。そして殺戮を楽しむこと。血を見たくて仕方がない――それを阻止するには相当な力がいる。
    「みんな、無事で帰ってきてね」
     まりんには願うしかできなかった。


    参加者
    黒瀬・凌真(痛歎のレガリア・d00071)
    東雲・凪月(赤より紅き月光蝶・d00566)
    東当・悟(紅蓮の翼・d00662)
    風見・空亡(超高校級の殺人鬼・d01826)
    詩夜・華月(白花護る紅影・d03148)
    佐津・仁貴(小学生殺人鬼・d06044)
    虚中・真名(緑蒼・d08325)
    ワルゼー・マシュヴァンテ(教導のツァオベラー・d11167)

    ■リプレイ

    ●灰色の空
     冷たい風が過ぎていく。空には重苦しく分厚い雲がひしめき合っている。
     まだ春の足音は聞こえない。
     しかし、今は天気のことはどうでもいいことだ。
     東当・悟(紅蓮の翼・d00662)は鋭い黒瞳をさらに尖らせて、工事予定の日程が書かれている看板を見つめる。黄と黒の規制ロープの向こう側、だだっ広い広場はこれから戦場となる。
     詩夜・華月(白花護る紅影・d03148)もまた殺気を噴き上げ、赤瞳を広場へやる。
     一般人は無意識のうちにこの広場を避けることだろう。
    「ほな、行こか」
     悟はみなを振り返って、にいっと笑う。
     宿敵の引き起こす事件に直面するのは初めての佐津・仁貴(小学生殺人鬼・d06044)は、大きく息を吐いて、解体ナイフを握りしめた。強く強く握りしめる。そうすれば心が闘志で燃え上がる気がした。
     スレイヤーカードを手にふっと吐息。
    「――紅に染まれ、月華」
     戦場へと、彼らは足を踏み入れた。

    ●朱色の槍
     うぞうぞと湧いて出てくる眷属の数に、黒瀬・凌真(痛歎のレガリア・d00071)は、うげえと顔をしかめた。
    「蜘蛛にネズミが眷属て……陰湿な奴の周りにはこんなヤツらしか集まらんのかね」
    「ま、犠牲者が出る前に止めなきゃだね」
     自分にできるすべてを出し尽くすと東雲・凪月(赤より紅き月光蝶・d00566)も蠢く眷属どもを眇めた目で睨む。
     転瞬、凪月はバトルオーラを纏って駆ける。
    「こんな『殺人領域』……この刃で破壊するよ!」
     むさぼり蜘蛛へと突き込まれた螺穿槍――それを受けた蜘蛛は悲鳴じみた鳴き声を上げ、ぎちぎちぎち…と戦意を剥き出す。
     凪月の後を追うように、風見・空亡(超高校級の殺人鬼・d01826)が走る。
    「早いですねぇ、東雲さん。さーて、と……」
     クラッシャーたちが戦いやすいようにと彼らを守るディフェンダーを買ってでた空亡は、龍砕斧に宿る『龍因子』を解放しながら、すべての攻撃をその身で受けきる覚悟を固めていた。
    「おお、それでは我らも気を引き締めるとするか」
    「はい。みなさん、後ろは任せてください」
     虚中・真名(緑蒼・d08325)とワルゼー・マシュヴァンテ(教導のツァオベラー・d11167)は互いに目配せして、それぞれの武器を構える。
     人を守るということの重大さの一端を知ることができるのなら、この戦いに参加した意味を見いだせるだろう――真名はそんなことをふと思う。
    「ん、任せた!」
     くるりとメディックを振り返った仁貴はスートを胸元に浮かべ、ぎちぎちと不快な歯軋りを立てるむさぼり蜘蛛へと突貫する。
    「よっしゃー! 空亡に負けてられへんでー!」
     場違いに明るい声は、悟なりの士気を保ち上げる術だ。
     ぶんぶんと槍を振り回し、凪月が初手を食らわせ、今、仁貴の目の前にいる蜘蛛へと更なる槍を突き立てる。
     引き抜いてからも悟は眷属を威嚇するように、槍を振り回し空を斬り続ける。そうすることで眷属の意識が一瞬でもこちらを向けば儲け物ではないか。
     そしてそのむさぼり蜘蛛へと凌真の気魄が凝縮されたオーラキャノンが放出され、鋭い爆音を轟かせた――土煙が晴れたころ、一体のむさぼり蜘蛛が消えていた。
    「よし! 速攻勝負でいかせてもらうぜ!」
     凌真はマテリアルロッドで肩をぽんぽんと叩きながら、好戦的に笑む。
     刹那、辺りが霞む――真名の夜霧が立ち込めた。
     後方からの支援に華月は夜霧を引き裂いて、最接近していたむさぼり蜘蛛の死角となり得る脇へと滑り込み、黒死斬を見舞う。その直後、神秘に満ちた制約の弾丸が蜘蛛の四肢を麻痺させた。
    「うむ、上々」
     華々しく開幕した戦闘は、これから正念場を迎える。

    ●闇色の風
     眷属の数は多い。
     しかし悠長に数えている暇はない。こちらが油断をすれば、あっという間に飲み込まれてしまうだろう。
     各個撃破、確実に一体ずつ減らしていこうという作戦だが、それは裏を返せば消耗した体で元気一杯の眷属を相手にし続けるということだ。減らせど減らせど、眷属どもの攻撃の波は引かない。
    「やらせるかよ!」
     眷属の波に翻弄され口調を取り繕っている余裕すらなくなった空亡は、鋭く尖った牙を突き立てんと凌真に迫っていたむさぼり蜘蛛の前に立ちはだかり、龍砕斧を突き出してその攻撃を受け流そうとした。
     ぎぎぎぎぎ……
     耳障りな擦過音に眉を顰め、歯を食いしばる。
    「空亡!」
     悟の声にハッとなる、眼前の蜘蛛のその後ろに控えていたネズミバルカンの砲台がこちらを向いている、刹那の衝撃、悟に突き飛ばされた彼女は眷属どもを睨める。
    「大丈夫か、いけるか?」
    「まだ、大丈夫……!」
     胸元にスートマークを浮かび上がらせて空亡は気丈に笑った。
     悟も負った傷から炎が噴き上がっている。その勢いは、彼の傷の深さを物語っている。シールドを展開し、回復や盾を付与していく――ワルゼーと真名の回復だけでは足りなくなっているのだ。
    「虚中殿、来るぞ!」
     ワルゼーの喚起が戦慄を誘う。
     目の端で複数のネズミバルカンが立て続けにバルカン砲を放ったのが見えていたのだが、むさぼり蜘蛛どものあぎとを防ぐことで手いっぱい――否、後衛を狙わせまいと動いた空亡がいた。
     己の身で仲間を守ると決めた。盾となり壁となって貢献すると決意していた。いくら仲間の傷を肩代わりしてきただろう――限界は近い。
    「させるか!」
     負った傷は誰よりも深く、後衛を守るほどに体力は残っていなかった。しかしその身は動く。
     全身への衝撃に空亡は大きく目を見開き、ひゅっと息をのんだ。
     彼女が守ろうとした二人には、まだ砲弾が向かっている。遠のいていく意識をひっ捕まえて唇を噛み締めた。
     しかし、空亡に襲いかかる凶牙は容赦がなかった。止めを刺すように強靭な大顎で空亡を噛み牙を突き立てる!
    「――――っ!?」
     声にならない激痛に、繋ぎとめた意識が猛烈に遠ざかっていく。四肢から力が抜けていく。思うように動けない。
    (「あ、れ……」)
     そして空亡はその場に崩れ落ちた。
    「空亡ちゃん!?」
     凌真の呼び声は、彼女に届く前に掻き消される。
     凄まじい爆音。
     強烈な轟音。
     大きな衝撃は、ワルゼーの悲鳴とともに広場に響き渡った。
    「うう……」
    「無事か、虚中殿!」
    「な、なんとか……」
     ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、第二波が迫って来ている。
    「真名君! 諦めんなよ!」
     倒れた空亡を抱える凌真の怒号に応えるよう、飛び退って躱す――しかし真名の着地地点に狙い澄ましたかのような弾丸が爆発する。
     着弾した猛烈な痛みは身を焼く熱さとなって真名の意識を彼方に連れ去っていく。
     そこへ、前線の空いた隙間から侵入してきたむさぼり蜘蛛の大顎が、彼を噛み砕く!
    「うああっ!?」
    「虚中殿っ! くっ、小癪な…!」
     ぎりっ薄気味悪い眷属を睨むワルゼーだったが、彼女とて無事ではない。その弾道すべてが真名を狙ったのもではなかったのだ。
     決定的なダメージは防げたが、油断はできない。
    「無事か!?」
    「虚中殿が……」
     ぐったりと意識を失い、戦える状態にない彼を背に庇い、苦汁を飲み込んでワルゼーは声を張り上げる。
    「万全とは言えぬが、心配無用! まだ戦える!」
     彼女の発破に、前衛がぴりっと締まる。
     あと十二体。戦力を欠いた今の状況を打破できるもの――脳裏を過る闇の足音――それを振り払って、各々の武器を握り直した。

    ●漆黒の瞳
     蜘蛛とネズミを合わせて、十四体を屠った。
     それでもまだまだ広場には眷属どもが蠢いている。しかし止まるわけにはいかない。
     目に流れ込んでくる血をぐいっと拭った凪月は、戦神を降臨し魂を燃え上がらせ、ダメージを回復させた。
     息を乱す凪月を狙うむさぼり蜘蛛へと仁貴は、渦巻く怨嗟の奔流を放ち、たちまちのうちに眷属どもを飲み込んでいく。
     ダメージを大きく与えるものではないが、それでも一気に多くの眷属を傷つけることができ、各個撃破を掲げる今の作戦においてやはり大きく貢献するその一撃は、バトルオーラを纏って突進する凌真の連撃を助長する。
    「っ!」
     鋭く息を吐いて凌真は、オーラを発露させた拳を何発もむさぼり蜘蛛へと叩き込んでいく。その凄まじいラッシュにたまらず蜘蛛は息絶えた。
     あと九体。
    「よし! 次!」
    「ふわあ、すごいなあ…ううう、負けてられるかあ!」
    「東当殿! 右のネズミだ!」
     ワルゼーの忠告にいち早く動き、狙われた仁貴をバルカンネズミの牙から庇う。
     凄惨な炎が一気に噴き上がる――苦痛に歪んだ顔に、無理やり笑みを刻み込む。
    「こんなんでやられるか…!」
    「うむ、やられてくれるなよ、東当殿!」
     瞬間、悟の体にジワリと力が沁み入ってくる。それがワルゼーの闇の契約だと瞬時に気付く。仲間がいる。それが今、眷属どもに立ち向かえる何よりの力になる。
    「ごめん、悟……助かった」
    「かまへんて! 仁貴は無事やったか?」
     気遣えば仁貴は力強く頷いた。
    「よーし、おしゃべりも大事だけど、ちょっと手伝えー! お願い!」
     ネズミバルカンの牙をなんとか防いでいる凌真のSOSに苦笑を洩らして、炎を纏う悟は疾走する。
     しかし、むさぼり蜘蛛の吐いた糸が悟の足に絡みつき、盛大に転倒した。それを好機を受け取ったのか否かは定かではないが、ぎぎぎぎぎ…と低くうねりを上げる咆哮を上げたむさぼり蜘蛛に呼応するようにネズミバルカンの喚声が上がった。
     間髪いれずに、打ち上がるバルカン砲に戦慄する。猛烈な勢いで撃ち込まれた砲弾は仁貴の腹を肩を足を焼いて、息を詰まらせた。
     砲撃の衝撃で立ち上がれない仁貴を、格好の獲物と踏んだのか、むさぼり蜘蛛が一気に距離を詰めてきているではないか。
    「させない!」
     華月が妖冷弾を解き放つ! 瞬く間に氷漬けになった蜘蛛だったが、それは一瞬で打ち破られ、蹲る仁貴を飲み込まんと大顎を開き、牙をめり込ませた。
    「うあああああああ!?」
     聞くに堪えない凄惨な悲鳴に凌真もまた、息を飲み、意識が闇に傾く。
    「なんちゅう顔してんねん! 妙なこと考えんなよ、凌真! まだやれんで、そうやろ!?」
     悟の声に凌真は、冷や汗を流して、
    「当たり前、だろ!」
     しかし二人の鼓舞しあう会話が耳に入らなかった女がいた。
     赤く染まっていく地面、仁貴の体から力が命が流れ零れていく――それを目の当たりにして、華月の決意は固まった。
     リミットだ。
     さあ明け渡せ、その体を明け渡せ、血を欲しろ、快楽を貪れ、享楽に耽れ、殺せ殺せ殺せ…

    「みんな、あとはよろしく」

     華月の声は、いつもと変わらず平然と――それでもどこか悔しげに紡がれた。
    「全部――殺すわ」
    「華月!」
     凪月の悲壮な絶叫に、ワルゼーが一喝した。
    「たわけ! 貴殿まで堕ちることはなかろう! 堕ちてくれるな、灼滅者であろう……!」
     これ以上水島の思い通りになるまいと、されど、それ以上に惨劇を食い止めるために、華月は修羅へと変容した。

    ●深紅の唇
    「あはははは!」
     突如として響く女の笑い声――ひやりと気温が下がった気がした。
    「なんなの、あんたたち! サイっコー! あははははは!」
     腹を抱え、大口を開け、声の限りに哄笑を続ける女が、遊具の上にいる。
     黒と金のツートンカラーの髪、病的なまでに白い肌を悪趣味な白い衣装で隠し、対照的に真っ赤な唇と瞳は、脳裏に焦げ付くほどに強烈だった。
    「そうだよ、それがあんたの本当の姿でしょう、ふふふ、あはは! 楽しいっ、これ、おもしろいじゃん!」
     言って笑う女――六六六人衆の一人、序列五八六番の女――罠を張り続ける一途な女――水島テイ子。
     満身創痍の四人の灼滅者と、闇堕ちして絶大な能力を発揮する華月が眷属どもを薙ぎ払っていくのを見つめている。
     吐かれた糸を引き千切り、放たれる砲弾を物ともせず、己から流れる血潮を顧みることもなく、塵を掃き捨てるようにむさぼり蜘蛛が消滅して、埃を吹き飛ばすようにネズミバルカンが次々に倒れ伏していく。
    「そやつで二十四体目だ!」
    「その身に刻め……!」
     気魄を発露させて無敵斬艦刀を振り下ろし、超弩級の斬撃を食らわせる!
     ぴぴっとむさぼり蜘蛛の肉片が凪月の頬を汚した。
     これでエクスブレインが明示した二十四体の眷属を討伐したことになる。
     しかし、誰もが苦渋に眉根を寄せる。
     闇堕ちを一人も出さないで水島を撤退させるとみなで誓い合った――水島の思い通りに闇に飲まれるのは癪だと決意したというのに、いかんせん数が多かった。
     悟と空亡がいくらもダメージを肩代わりし、そして空亡は倒れ、回復の要たる真名も力尽き、ワルゼーが一手に大役を引き受けたが、それでも間に合わなかったのだ。
     その結果を、水島は高らかに笑う。
    「あたしのテリトリーは壊れちゃったけど、そのぶん面白いもの見れたから、上々?」
     満身創痍の灼滅者を見下ろして、水島はさらに笑みを深める。
    「もっとさ、自分に素直になればいいじゃん。そこの子みたいにさ。ほら、あんたらの中の力はさ、暴れたいって殺したいって叫んでんのよ、聞こえない?」
    「うっさいわ! 俺は東当悟! いつかお前を倒したる! 絶対や!」
    「威勢だけは立派…はは! 本当、弱いなあ! まあ、もういいや――また機会があったら遊ぼうか、なり損ないの半端者諸君」
     くんっと背伸びして、彼女はこちらに背を向け、遊具から軽業師よろしく飛び降りた。
    「みんな、しっかり逃げてね」
     言下、闇に身を捧げた華月もまた仲間たちを振り返ることもなく走り出した。
    「待て、かづ、」
    「凪月くん!」
     凌真が凪月の腕を掴む。
     闇に飲まれ堕ちた華月の目にはもはや自分たちは映らない。そして、彼女もまた、血に駆られる。
    「詩夜殿……二度と、目を覚まさぬかもしれぬというのに」
     ぎゅっと拳を握り、ワルゼーはぽつりと呟いた。

    ●鈍色の雨
     脅威は去った。
     仲間一人の運命と引き換えに水島は去って行った。それは来るはずだった不幸を防いだことに他ならない。
     傷ついた仲間の手当てをしながら、みなで誓い合う。
    「おお、虚中殿、気付いたか」
    「俺、え、……」
    「終わったよ、あいつは撤退した」
     凌真が静かに告げる。
     混乱しているのか、真名はぼんやりとワルゼーと凌真の顔を見比べている。
    「……詩夜さん、は?」
    「空亡!」
     重そうな瞼を震わせて、少し嗄れた声は、こちらも意識を取り戻した空亡だった。彼女は華月がいないことを鋭く訊く。隠す意味もなく、ありのままを目を覚ました二人に説明した。
     そして出た答えは同じだった。
     助けよう。
     華月を助けることができるのは、灼滅者しかいない。なにより、彼女は仲間だ。
     行方をくらませた彼女と再会するときを今は待とう。
     そして、冷たい雨が降り出した。

    作者:藤野キワミ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:詩夜・華月(蒼花護る紅血華・d03148) 
    種類:
    公開:2013年3月3日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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