ミゼリコルデの誘い歌

    作者:旅望かなた

     その男は無精髭の生えた幾分くたびれた中年男であり、手にした高級ギターは明らかに道楽の果てのお飾りと、誰もが思った。
     ――けれど、演奏の開始と共にそれは一変する。
     超絶技巧のアルペジオには、溜息。
     リズムよく鋭いビートには、手拍子。
     そして心地良いバリトンの歌声には、歓声。
     ――でも、演奏の終焉に向けて、それは盛り上がるではなく、むしろ一つ一つ声が消えていく。
     ちらと目を走らせる男は、何かを探しているように。
     異国の言葉に混ざる呼びかけの言葉――おいで、おいで、おいで闇を灼く者。
     けれどそれが現れる前に、演奏が終わるならば。
    「Amour、Musique、――Misericorde」
     愛、音楽、――慈悲。
     そう男が最後のフレーズを歌い終えた時、輪を作っていた観衆は誰も、息をしていないのだ。
     手拍子一つ与えられず、けれど男は満足げに歩き出す。
    「来ないなら、それでもいいぜ……でも、来なければ、その分死ぬんだ……それも、慈悲か?」
     大量殺戮に気付いた人々の悲鳴を背後に聞きながら、男はニィと笑ってみせた。
     
    「いくら音楽好きでも、音楽使って殺しちまう奴はどうかと思うぜ?」
     万事・錠(残響ビートボックス・d01615) の言葉に、嵯峨・伊智子(高校生エクスブレイン・dn0063)が「マジでねー六六六人衆の考えることはわかんないねー」と頷いて。
    「つーわけで! 音楽で殺戮を繰り返す六六六人衆が現れたんだずぇ!」
    「……淫魔じゃなくて?」
    「ああ。バベルの鎖のおかげで一般には全く漏れてねぇが、目撃者を見っけてな」
     サイキックアブソーバーから予知の裏付けも取れていると、錠はストリートミュージシャンが集まる通りの地図を取り出し、ある一点に印をつける。
    「一見風采の上がらねえ中年男だが、その腕は確かだ。――音楽も、殺しもな」
     サイキックアブソーバーが予知した、男のバベルの鎖に気取られぬタイミングは、演奏が始まった数分後。
    「奴らは、俺達灼滅者が来るのを待っている気配がある。そして……」
     錠は息を吸い、吐いた。
     そして忌々しげに、吐き捨てるように告げる。
    「俺達を、闇堕ちさせようとして来る」
     こくり、と伊智子が真剣な顔で頷いて。
    「だから、みんなの心を削るようなこと、平気でやってくると思うんだよね。かなり、危ない依頼だと思う」
     だけど、お願いします。
     そう、伊智子は深く頭を下げる。
     
    「奴のナンバーは五七一。名乗りは、ミゼリコルデ……強敵だぜ」
     拘りなのであろうか、彼はギターによって戦いを繰り広げる。バイオレンスギターのサイキックを、一通り使えるのだ。
     また殺人鬼と同じサイキックも、効果は同じだがギターの音色によって引き起こす事が出来る。
     さらに――彼の鏖殺領域には、特徴がある。
     相手に、痛みを感じさせぬのだ。
     死の恐怖すら味わわせないまま、一般人を死に追いやることができるのだ。
     もちろん灼滅者達ならば、痛みがなくても己の体がどれだけの傷を受けているか、悟る事も出来るだろうけれど。
     ――ミゼリコルデ。慈悲。そして助からぬ人に、安らかなる死を与える短剣の名。
     傍らで頷いていた伊智子が、口を開く。
    「お願いしたいのは、『一般人の殺戮を、なるべく少ない被害で止める』こと。でもって、ミゼリコルデを……撤退させること」
     灼滅出来るものならば、もちろんそれに越したことはないけれど――非常に難しいと、伊智子は唇を小さく噛んでから「だから、今回の目的は目の前の被害を食い止めることなんだ」と言って。
    「そして、ミゼリコルデの目的が誰かの闇堕ちである以上、誰かが闇堕ちするのが一番の近道かもしれない……」
    「……しゃらくせえ!」
     錠がばん、と教卓を叩き、挑戦的な笑みを浮かべる。
    「上等だ、灼滅者ってやつが、どれだけ闇に抗えるか。一般人を守って、闇堕ちもどこまでしねーでいけるか、見せてやろうじゃねーか!」
     賛成する奴はこっち来い、と錠が言えば、応じる声が次々に上がる。
     それを見つめた伊智子は小さく、「ありがとう」と笑みを浮かべた。


    参加者
    宍倉・太一郎(羅断の迅戟・d00022)
    両角・式夜(黒猫ラプソディ・d00319)
    八重樫・貫(疑惑の後頭部・d01100)
    万事・錠(残響ビートボックス・d01615)
    蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)
    瑠璃垣・恢(キラーチューン・d03192)
    如月・陽菜(蒼穹を照らす太陽娘・d07083)
    明日・八雲(十六番茶・d08290)

    ■リプレイ

     突如現れ、素晴らしき演奏を披露する奏者――それが殺戮の音楽であり闇の殺戮者であるということに、気付くは灼滅者達のみ。
    (「――この人達を誰も殺させない」)
     ぎゅ、と明日・八雲(十六番茶・d08290)は唇を引き締めた。そして、観衆達の中に混じり、時を伺う仲間達一人一人へと視線を向ける。
    (「こいつらを誰も堕ちさせない」)
     そう、八雲は心に誓う。そして、そっと時計に目を落とした。
     行動開始と約した時間は、演奏開始から二分三十秒。
     ぶらり、と両角・式夜(黒猫ラプソディ・d00319)が偶然やってきたかのように一般人に紛れ、演奏へと聞き入るふりをして風采の上がらぬ男――ミゼリコルデの様子に目を凝らす。
     まだ、鏖殺領域の気配は感じられぬ。聴衆達もまだ賑やかに、手拍子や歓声を上げ続ける。
     二分。
     ぎゅ、と八重樫・貫(疑惑の後頭部・d01100)が、ニット帽を深くかぶり直す。
     二分十秒。
     携帯電話をいじりながら、蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)がそっと物陰に身を潜めた。次の瞬間手の中に現れたのは、二丁の銃。そして彼の心には、狙い定めるスナイパ―の誇り。
     二分二十秒。
     万事・錠(残響ビートボックス・d01615)が「UNLOCKED」と小さく唱えた。密やかに手に取るサイキックソードは、先日の戦いで闇に堕ちた友人のもの。刀身はその瞳と同じ灰色。
     二分三十秒。
     時計の針が刻んだその瞬間、灼滅者達は一気に動く。最初に現れたのは錠が吹き鳴らす警笛の音!
    「ハァイ、注目ゥ! 今からお前ら全員ブチ殺しまァす!」
     殺気が一気に錠の体から放出される。その手に握られた常人の想像を超える武器、そして狂気に染まったかのような叫び、放たれる殺気に聴衆達はひ、と息を呑む。
     それと、合わせて。
    「全員殺してやるよ。死にたくなきゃ無様に必死にに逃げ回れ!」
     瑠璃垣・恢(キラーチューン・d03192)がナイフを振り回す。本来の彼の声とは違う甲高い叫びに、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。
     ナイフの軌道が誰一人傷つけぬよう細心の注意が払われているのは、彼とその仲間だけが知っている。
     同時に展開されたパニックテレパスが、恐怖を与えると同時に彼らの命を救うのも。
    「ここは危険だ! 死にたくなければ向こうへ逃げろ!」
     割り込みヴォイスを張り上げ宍倉・太一郎(羅断の迅戟・d00022)が叫ぶ。指さしたのは、少し離れた薬もと貫のいる方向。
    「通り魔がいる! ここから離れろ! 遠くへ逃げろ!」
     慌て過ぎた転んだ老人を助け起こした瞬間、仲間のものではない殺気を感じ八雲はさっと老人に覆いかぶさる。
     次の瞬間、背中に強烈な痛みを感じた。ちょうど、彼が庇っていなければ老人の首が跳んでいたであろう場所に。
    「残念だなぁ、殺せてたら、いいショックだっただろうにね」
     肩をすくめる無精ひげの男に、八雲はさっと武器を構えながら向き直る。
    「貴方の相手は俺達だ。俺達と遊んでよ。待っててくれたんだろ?」
     そう言いながら、八雲は老人には視線一つ向けず強気に笑う。
     気配と足音で、かなり遠くまで逃げたであろうとわかる。傷一つ、なく。
    「危険だ、離れろ走れ!」
     さっと手を挙げ、大きな身振り手振りで貫が惑う聴衆達を誘導する。
     走り出す民衆と逆行し、如月・陽菜(蒼穹を照らす太陽娘・d07083)はふわりと駆けた。ミゼリコルデの逃げ場を塞ぐように。
     握り締めたカードが、食い込むほどに力がこもる。原動力となるのは非道な敵への燃える怒り。
    「正義のヒーロー、ここにあり!」
     ダン、と地を蹴った陽菜が、まだ誰の血も流れていないと確かめて力を解放する。
    「悪趣味な演奏会は……このヒーローが、許さないっ!」
     叫ぶとともに影が舞い。絡み付き、敵を攻撃すれどなお演奏を止めぬ男の脚を縛り上げる。
     しゅ、と恢のナイフが、初めて狙いを定める。殺人鬼の名は持てど、それは無辜の民衆ではなく――、
    「手始めにてめえだ、その耳障りな音を止めやがれ!」
     ミゼリコルデの左腕を、的確に貫く。錠がそれにサイキックソードの一撃を加える。友である恢と完全にタイミングを合わせ、灰色の刀身が確かに、敵を穿った。
     太一郎が反対側に回り込んでやはり腱を断たんとばかりに獅子吼の號刃と名付けた巨刀を振るう。そして彼が飛びのいた次の瞬間、太一郎の体の影から舞った弾丸が、左腕に連撃を加える。
     けれど。
    「面白い、面白いねぇ灼滅者」
     舞った血の量は、僅か。弦を弾く手の動きも、僅かにしか鈍っていない。
    「さぁ、楽しませてくれるかい?」
     強い。
     灼滅者達が息を呑む音が、彼ら自身の耳に大きく響いた。

     素早い避難活動の後、その場に残ったのはミゼリコルデ、そして彼をひどく小さな包囲で囲む灼滅者達のみ。
     男の指が素早いメロディを作り上げる。痛みなど少しも感じぬのに、身体からひどく力が抜けていく感覚が酷く疎ましい。
     サウンドシャッターを発動して戦場の音を切り離した式夜が、霊犬のお藤と共に癒しを飛ばす。それでも完全に傷を癒すには幾分足りず、すぐさま式夜は次の符を抜く。
    「誰も死んじゃいないんだ、上手く行ったら錠の奢りでピザパーティだ!」
    「おう、約束したからな!」
     式夜の言葉に錠がにやりと笑ってサイキック斬りを繰り出す。けれど「諭吉全部飛ばす勢いで行こうぜ!」と続けて言われた言葉には、僅かに唇の端を引きつらせた。
     戦に似合わぬ軽口。けれど、その目は、その手は、その脚は、ミゼリコルデを逃がすまいと動く。強敵との戦いという非日常の中、日常で己を繋ぎ止めようというのか――この面子、頼もしいなぁと八雲が静かにそれを見つめた。
    (「怖くもある。守りたいものが多いことは怖いことだ」)
     夜霧が素早く展開され、暗き中傷が癒えていく。メディックたる八雲は、全力で出来ることをすると決めている。今は、癒しを。
     物陰から飛び出した徹太が、包囲網に加わりそのままガトリングガンの引き金を引く。無数の弾丸を吸い込んでおきながら、ミゼリコルデが体を動かせばその大半が地に落ちる。
     けれど幾つかずつ、僅かずつ、ミゼリコルデも傷ついている。
    「ある先輩が言っていた」
     ふと、太一郎が口を開く。鋼鉄の拳に力を宿しながら。
    「日々の傍らには常に音楽があるのだと」
     懐かしむようにそう言葉を紡ぐ。拳を真っ直ぐに突き出し、言葉も真っ直ぐに。
    「楽しい時は盛り上げて、落ち込んだ時は慰める、いつも世界は愛しい音で溢れてると。俺は音楽に明るくないがそれは正しいと信じている」
     音楽が、日々に寄り添うものだから。
     そのまま太一郎は、獅子の咆哮の如く唸りを上げて斬艦刀を叩きつける。
    「音楽が死に寄り添う事はあるだろうが、死を運ぶとは認めない!」
     斬、と確かに手ごたえが、あった。
    「へぇ?」
     けれど今までで一番深き傷を刻まれながら、ミゼリコルデは呆れたように笑ってみせる。
    「けれど同じ音である言葉は、人を傷付けもする。ならば人を傷付ける音楽も、あってはいいと思わないかい?」
    「お前のそれを、俺はミュージックとして認めない」
     静かに戻った口調で、恢がミゼリコルデの背後に迫っていた。首筋に突きつけたナイフを、躊躇なく引く。鮮血。
    「息の根諸共、ここで止めてやる」
    「――やれるものなら」
     陽菜の螺旋の刃をくるりとギターで受け止めながら、貫の抗雷の拳を半歩の移動でかわしながら、くすとミゼリコルデは笑う。奏でるメロディは、やはり痛みも何も感じさせぬけれど――手の、足の力が抜けていくのが、わかる。
    「けれど、俺に死という慈悲を与えるならば、君達も俺と同じじゃないかい?」
    「おまえの言う慈悲って何だ」
     徹太が照準を定め、引き金を引く。炎を纏った弾丸が、一斉にミゼリコルデに吸い込まれ、その体が燃え上がる。
    「死が救いであって堪るか。そんなもの、苦しみしか残してやれなかったヤツの言い訳だ!」
    「苦しまないように、してあげてるんだけどね?」
    「詭弁だ!」
     徹太の叫びに、ミゼリコルデは「分かり合えないようだね」と肩をすくめた。
     節くれだった指が弦を弾き、たん、と地を蹴る。向かった先は――恢。
     死角からの一撃は、殺人鬼たる恢の得意技。それでも、見えなかった。
     速さが、違う。
     けれど同時に、恢の振るったナイフは確かにミゼリコルデの腱を切った。深く深く――力量差を押し切り、相討ちに、持ち込んだ。
    「――人を殺さない俺達がなぜ殺人鬼と呼ばれるか判るか」
     どくん、と心臓の真上に、浮かぶのは漆黒のスート。
    「殺戮衝動を秘めているからだろう?」
    「違う」
     その即答に、ミゼリコルデがへぇ、と面白そうな顔をした。怒気を込めた口調で、踏み込みと共に斬、と恢はナイフを薙ぐ。
    「お前ら、六六六人衆を殺す存在だからだ。後悔と、恐怖の中で死んでいけ」
    「……ふ、あはははははは!」
     愉快そうな笑い声が響き渡る。鮮血を撒き散らしながら、ミゼリコルデの奏でる演奏が激しさを増す。
    「できるものならやってごらん! ははは、久しぶりだよこんなに楽しいのは!」
     吹き荒れるような激しいビートに、殺気の勢いに、それでも追いつけ追いつけと八雲が夜霧を呼び仲間達を覆い隠す。今回復する、と声を上げるけれど、重複を恐れるような状況ではない。
     ただ、傷が深い。
     それでも。
    「仲間に恵まれる、強い貴方と戦える、これ以上のことってないね!」
     リングスラッシャーから分離したシールドリングが、戦場を駆け抜けて陽菜の身を守る盾となる。それに八雲は満足げに頷く。
    「今回本気で怒ってるんだからね……・徹底的にやらせてもらうよ!」
     小さな体いっぱいに、怒りと決意を詰め込んで。す、と引いた腕を突き出し「アサクサビーム!」と叫べば、与えた傷は僅かでも陽菜に生まれ育ちし街の勇気を与えてくれる。
     そしてそのまま踏み込んで、巨大なる無敵斬艦刀を一気に頭の上から斬り下ろす。派手な動きは幼い身で大きな武器を扱う故でもあり、そしてミゼリコルデの視線を、動きを、惹き付けようとする故でもある。
    「いたぶってほしいのかい、レディ?」
     ミゼリコルデのギターの一撃を受けながら、それでも陽菜はさらに跳ぶ。式夜がお藤の視線と合わせてさっと符を抜き、その傷を癒さんと投げつける。
     ――次の瞬間。
     無精髭の男は、目の前で笑っていた。
    「お嬢さん。そして坊や。考えてるんだろ」
     もしも幾人もが倒れても、この戦いに勝てないならば。
    「解放したいと、思ってるんだろ?」
     トン、トン、とミゼリコルデの指が、初めて弦から離れて。
     陽菜と式夜の心臓の上を、順に叩く。
    「……何をっ!」
     怒りを露わにし、陽菜は一気に距離を詰め拳を叩き込む。たとえ堕ちねば勝てぬとしても――今は、まだ。
     そして式夜は、ふ、と鼻で笑ってみせた。
    「ハッ、でもそんな誘い方じゃ子猫も誘えねぇよ」
     もっと魅力的な事して貰わんとな、と肩をすくめる式夜に、そっかぁ、とミゼリコルデは肩を竦めて。
     次の瞬間、ミゼリコルデが一気に戦場を駆け抜けた。
     恢の腹を、ギターのヘッドが背まで貫かんと突き刺さる。ごぶ、と喉を駆け抜けようとする血を飲み込み、恢は胸にスートを浮かべてみせた。
     けれど。
     ギターをそのまま捻られ、恢の体は前に倒れ込む。その目は開いたままミゼリコルデを睨み付け、けれど意識は閉ざされて。
    「――そんなに俺に奥の手を使わせたいのか?」
     なおもギターを叩きつけようとしたミゼリコルデの前に、太一郎が躍り出て挑戦的に笑う。仲間が倒れた動揺など、見せぬ顔で。
    「使ってくれるのかい?」
    「見たければ殺す気で来い。本気の殺し合いの中でこそ遣り甲斐がある」
     そう笑って、太一郎は大ぶりの刃を細やかに使い死角に踏み込んだ。ぎり、と歯を食いしばった錠に、貫はちらりと視線を送る。
     友が闇堕ちし、ひどく取り乱した彼の姿を、知っているから。
     もう二度と、あんな思いはさせないと――表情にも仕草にも全くそれを出さないまま、けれどその思いで貫は皆の盾になろうと飛び出していく。ガンナイフの刃を背に突きさし引き金を引けば、錠がそれに並んでジグザグに変形させたナイフを振り下ろす。
    「サンキュ」
     小さな感謝の言葉を、貫は返事もせずに受け止めた。太一郎へと集中しかけた攻撃を黙って縛霊手を展開し受け止めれば、喧嘩仲間からもらったトンボ玉がゆらりと揺れる。
     小さな飾りは、けれど敗北からも闇堕ちからも貫を繋ぎ止めてくれる。
     そして彼自身が、錠を繋ぎ止めている。ふ、と息を吐けば、ミゼリコルデと父の面影が重なって、故に錠は苛烈に挑む。サイキックソードの出力を上げ、ナイフをジグザグに変え、さらには死角に踏み込み、変幻自在に攻め寄せる。
     お藤が必死に恢を戦場から運び出そうとする。苦戦する様子に、徹太が素早く手を貸した。手つきに気を配る余裕はないけれど、何よりも命を守りたい。
     それには目もくれず、ミゼリコルデは鋭いビートと殺気に満ちた音楽、そしてギターの打撃を繰り返し、的確に前衛を狙っていく。その中でも太一郎へと集まる攻撃を、錠が必死にその身で庇った。
     けれど、その錠の肩に飛び乗り軽々と蹴って、さらに届いた攻撃には守りの手は及ばない。
     ギターのヘッドを持って振り回した一撃に、太一郎は悲鳴も上げずに崩れ落ちる。最後に斬艦刀が、僅かにミゼリコルデの首の皮膚を切った。
     ぐ、と陽菜が唇を引き絞る。体力では太一郎に劣る彼女が、残されている理由は解っていた。
     必要とあらば、闇を受け入れる決意故だ。
     式夜もそれを理解している。仲間よりも脆き守りの彼が、残されている理由はひとえにそれに他ならぬ、と。
     このまま倒れる者が続出するなら、闇堕ちも辞さぬと思った瞬間。
     倒れた太一郎に徹太が、お藤が駆け寄る前に、さらにその頭にギターが振り下ろされようとした――。

     間に合わぬ。
     包囲を維持しようと思えば、太一郎の命が消し飛ぶだろう。
     そう思ったその瞬間、灼滅者達は。
     誰も欠けぬ事を、願った。

    「呼んでおいて逃げるとかないよな慈悲野郎!」
     貫の叫びにも構わず、ミゼリコルデは灼滅者達の僅かに空いた隙間から身を躍らせる。六六六人衆に、戦いの礼儀など存在せぬとばかりに。
     血が点々と続く足跡が、ミゼリコルデ自身も危険を感じるほどの傷を負っていた事実を残す。
    「……すまん」
     やがて意識を取り戻した太一郎が言えば、仲間達は皆首を振った。
     誰も死ななかった。一般人も、誰一人。
     誰も堕ちなかった。それが、今出来る最善手だった。
    「泣くな、万事。ピザ行くだろ」
     徹太が拳を掲げれば、錠がぱし、と拳を合わせる。
    「俺も、何も失いたくなかったから、おまえらで良かった」
     抜けるように蒼い冬の空を、見上げて。
     今は、ただ。
    「よし、ぱぁーっと行こ!」
     誰も失われなかったことを――喜ぼう。

    作者:旅望かなた 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 23/感動した 3/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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