みだれ梅

    作者:矢野梓

     この街の春は梅の香と共にやってくる。春一番はとうの昔に吹き過ぎたけれど、今年は梅の開花は遅かった。ようやく紅白の花が庭園を彩るようになったのは二月も末を迎える頃。このごろにしては珍しく穏やかな風が庭園を渡ってゆけば、柔らかな花の香がゆったりと広がってゆく。
    『……ミダレウメ。カタカナがちょっと歪んでいるのね』
     女の指が見事な枝垂れ梅の大木のプレートをなぞる。そのすぐ脇には鏡のように静まる池。覗き込めば逆さまの花の枝の向こうに蒼い空。黒いスーツの女はゆっくりとそのふちに立ち、白い着物をふわりと肩にかけた。
    『うん、みだれ梅。この着物の名はそれにしましょう』
     ひらひらと風に揺れる着物の裾は紅梅色のグラデーション。よく見れば点々と飛んでいる紅に細い枝。どうやら紅梅に見立ててあるらしい。
    「いまどき風流なことだな、じいさん」
    「なるほど、羽衣の天女かの、ばあさん」
     四阿で何とはなしに眺めていた老夫婦が微笑を交し合う。そんな声が聞こえていたものか、女はつかつかと2人の方へ――。
    『天女とは過分な褒め言葉……だから最初はあなた方にします』
     年寄りの血は少し鮮やかさには欠けるのだけれど――不吉そのものの女の言葉を老夫婦は理解できなかった。内容もさることながら、どこからともなく取り出された白い鞭に気を取られて。
    「な、なにを……」
     2人が腰を浮かしかけるよりも早く、その首はころりと女の足元へ。倒れ損ねている胴から噴き出す血飛沫を女は白い着物で受け止める。染まったばかりの紅に女は筆で細い枝を書き足して。
    『次は子どもにしましょうか』
     ここのところにもう一枝、この時期だけしか着られない梅が枝の衣装。できるならもっと艶やかに、華やかに。この世で一番美しい赤で。
    『ああ。いましたね。子ども達……』
     池の向こうには幼稚園から遠足にでもきているらしい集団。女が走れば着物は影の如くひらひらと。飛び散る飛沫に、甲高い悲鳴。その中心で心地よさげに着物を広げる女の図はまさに阿鼻叫喚。
    『私のナンバー603。ああ、あとどれだけ染めれば序列をあげることができるのでしょう』
     そこまで呟いて、女は何か思いついたようにくすりと笑う。子ども達の体がぴくりとも動かなくなっていることなど、その瞬間には忘れ去ってしまった。
    『そうそう。そういえば来るのよね。灼滅者――』
     微力ながら力を持つ者のくせに、何か間違っているあの連中。ことのついでに彼らを正しい道に戻すことができればきっと……。先程よりもずっと赤の増えた着物を、女は満足げに肩に羽織った。くすくすと零れる声に逃げ惑う人々の足音。
    『さあ、まだまだ染めますよ』
     女はぐるりと周囲を見渡した。蜘蛛の子を散らすように逃げていった者達の叫びが聞こえてくる。より大きく響いてくる方向は――ナンバー603、その名は橘花。彼女の殺戮はまだ終わらない。

    「あ~、悪ぃんだけど……依頼です。チョ~ゼツ……むかつくヤツ……です」
     教室に入ってきた灼滅者達を出迎えた水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)。いつもよりもだいぶ屈託ありげなその様子に、灼滅者達は顔を見合わせた。
    「ものは六六六人衆……」
     声に感情が色を付けるとすれば、この時の慎也の声は漆黒に近かった。このごろよく聞く『ゲーム』の話だと灼滅者達もぴんと来る。
    「つまり、あれか? こっちの闇堕ち待ちってやつ?」
     灼滅者の1人が確認を取ると、少年は苦々しげに頷き、システム手帳を開いた。六六六人衆が妙な動きを始めたとの報が学園にもたらされてから割と経つのだが、この手の話は未だ収まる気配を見せてはいない。今回の六六六人衆は女性で、ナンバーは603、名は石飛・橘花というらしい。下位といえば下位には違いないダークネスだが、上昇志向は人一倍、おまけに血飛沫が大好きという猟奇趣味。戦うとなればかなりの腕前を見せるであろうし、とにかく早くカタをつけないと彼女の周辺に累々と屍の山が築かれてしまう。

    「場所はとある庭園。入場料とかかりますが、その辺りはまあこちらで手配しますんで……」
     慎也が広げて見せたのはとある武家の別荘地。現在は名園として整備され広く一般に開放されている。旧主が梅の花を好んだとかで園内には様々な種類の梅の木が早い春を彩っている。
    「ソイツが特に好んでいるのはこの池のふちの枝垂れ梅」
     示された写真を見れば確かにそれは堂々たる風情の幹にしなやかな枝を垂らした美しいものであった。花色は他の紅梅よりも一際濃く、花も幾分大きいようである。
    「ヤツはこんな風な染めを自分の着物にもしてぇんだとさ」
     しかも染料は人の血で――吐き捨てるような呟きは素のままの少年のもの。丁寧語にするのさえ忘れるほど慎也は嫌気がさしているらしい。
    「なるほどね。血の染みを花に見立てて、か」
     確かにそれは悪趣味だ。だが灼滅者をおびきだし、尚且つ自分の趣味を満足させる手立てを考えつくというのは流石に六六六人衆ならではだ。
    「……乱れ梅、と彼女は呼んでいるんですけどね」
     橘花が得意とするのは鞭と糸。鞭は枝垂れ梅の枝の如くしなやかで至近のものを打ちすえる。無論その細い先端は刃物の如く鋭いから、切り傷を作ることも朝飯前だ。
    「糸の方は遠距離武器なんでぇ……です」
     切れ味は抜群であるし、敵をからめ捕ることもできるという。遠近いずれも自在に操る上に体力は相当。正直言えば10人で束になっても確実に勝てるとは言い難い。だがそれでも何とかしなければならないのが、灼滅者の役目である。まずは一般人の殺戮を止めること、そしてかなうならば橘花の灼滅を――重い荷が今、灼滅者達の肩にかけられた。

    「繰り返しておきますけど、第一の目的は一般人の殺戮阻止です」
     彼女の目的は人間の大量殺戮と灼滅者の闇堕ち。どちらも叶えることができれば彼女としては万々歳なのだと、慎也少年は深い息をつく。逆に言えばこちらが闇堕ちを出さず、彼女を撤退させることができればこの上ない成果ということができるだろう。
    「作戦と呼吸……どちらも必要な仕事です」
     どうかよろしく――慎也は教壇を飛び下りる。姿勢をきちんと正すとぺこりと頭を下げた。そんな彼に送られて、灼滅者達は血の花の咲く庭園へ向かう。


    参加者
    蒔絵・智(黒葬舞華・d00227)
    大松・歩夏(影使い・d01405)
    シルフィーゼ・フォルトゥーナ(小学生ダンピール・d03461)
    沖田・菘(壬生狼を継ぐ者・d06627)
    飛鳥・清(羽嵐・d07077)
    リリアナ・エイジスタ(オーロラカーテン・d07305)
    桜庭・翔琉(枝垂桜・d07758)
    上倉・隼人(伝説のパティシエ・d09281)

    ■リプレイ

    ●梅花、乱れ咲く
     遅く訪れた春にその花はよく似合う。芳香が冬に凍てついた心を漸く解きほぐしてくれるようなその日、庭園では1つの事件が起きようとしていた。
    「胸糞悪いぜ……命を何だと思ってやがる」
     上倉・隼人(伝説のパティシエ・d09281)が全速力で目指すのは大きな枝垂れ梅のある池のほとり。続くシルフィーゼ・フォルトゥーナ(小学生ダンピール・d03461)がドレスをひらひらさせてゆくのにも花見客は目を白黒。だが沖田・菘(壬生狼を継ぐ者・d06627)にもリリアナ・エイジスタ(オーロラカーテン・d07305)にも人々の視線を気にしている余裕はなかった。何しろ相手は六六六人衆。急がなければここにいる全員が603の彼女――石飛橘花の『染料』とされかねないのだ。
    「……」
     隼人の胸に不安にも似た想いが湧き上がる。果して自分は強くなれただろうか。大切な人を守れるのか。だが今はそれも心の底に押し隠し――。
    「……血塗られた着物など、見たくもありません」
     走りながらも菘は大きく首を振った。全く人の血飛沫で梅が枝を描こうなどとは悪趣味もここに極まれり。
    「絶対、橘花の思い通りなんかさせないっ」
     リリアナの宣言に桜庭・翔琉(枝垂桜・d07758)も真剣な面持ちで頷いた。
    「命を軽んじるお前達は何があろうと赦されるものじゃない」
     独り言のような呟きには決して軽い響きはない。翔琉の心の中に浮かぶのはかつて彼を闇堕ちへと落とし入れ、まるで遊びのように嘲笑を浴びせた相手の顔。彼らにとっては人の命などは己の玩具のようなものでしかなないのだ、と思い知ったあの時。
    (「俺は絶対許さない。お前達、六六六人衆を」)
     静かな中にも漲る仲間の怒りを、飛鳥・清(羽嵐・d07077)も感じ取っていたのだろう。池が見えてきた時には、彼女もまた怒りで拳を震わせていた。長閑そのものの光景に血の惨劇は似合わない。護りたいものはここにいる全ての人が享受する春。

    「……いた」
     大松・歩夏(影使い・d01405)の声が低くなる。話に聞いていた四阿まであと数十メートル、まるで子供の毬のように老人達の首が転がったのが目に入る。
    「――こんなに胸クソ悪いものだとはね」
     清の唇からこぼれた言葉に歩夏はぶるりと震えた。あれが闇堕ちした姿と思えばそれも無理からぬこと。今彼女達が対峙しようとしているのは正真正銘の殺人鬼、六六六人衆なのだ。蒔絵・智(黒葬舞華・d00227)もごくりと唾を飲みこんだ。
    『……灼滅者? 早かったのね』
     橘花の声は耳を疑いたくなる程音楽的だった。思わず聞きほれてしまった歩夏は慌てて自らの頬をぱんと打つ。
    (「もしもの時には助けてくれる仲間がいる」)
     だから、今は――灼滅者達が武器を構えて歩を進めれば、
    『どんな枝ぶりにしましょうか』
     女は優美そのものの手つき絹地の上でまだ濡れ濡れと輝く赤に枝を書き添える。菘は眉をひそめた。胃液が逆流したかのような吐き気。彼女も和服を愛する者ではあるけれど、まさかこんな物を目にする日が来るとは。
    『答えてくれないのなら……私の好きに染めますよ』
     女は着物をふわりと肩にかけた。池の向こうに響く子供達の笑い声に耳を傾ける。
    「させません!!」
     菘の怒りはそのままりんと響く声へと変わる。どんな音にも邪魔されることなく届くその声が告げるのは一刻も早い避難。続いてリリアナがパニックを先導すれば梅見の苑は瞬く間に大騒ぎ。六六六人衆の女は興を削がれたかのように肩を竦めた。
    『ではせめてあと一筆……』
     視線の先には右往左往する子供達。ふわりと舞うような足取りで橘花は大地を蹴った。
    「…………っ」
     橘花の着物に飛ぶ隼人の血は極上の紅蓮。だが橘花は興ざめたように裾を翻す。幼児の血を取り損ねた橘花は割って入った隼人をねめつける。敵同士の間に流れる奇妙なほどの沈黙。
    「……おまえのお遊びはそこまでだ」
     それでもシールドの力を癒しと護りとに変えて隼人は宣言する。だが返ってきたのは冴え凍る月のような薄い笑み。
    『ここまで? いいえ、これからでしょう』
     ひらりと揺れた着物には点々と赤い花。時がたてばすぐ黒ずんでしまうから手早く染め上げなければ着られないの、と橘花は小首をかしげてみせる。
    「あんたなんかの思い通りになんてさせない、ひっこんでな、オバサン!」
     智の叫びにもその笑みは変わらない。
    「今日の遊び相手は儂らであろう?」
     シルフィーゼの言葉にもゆったりと笑んだまま。
    『ええ、そうですよ。あなた達も遊び相手』
     私の序列をあげてくれる大切な――橘花の声は鈴を転がすかのように。翔琉と歩夏が殺気を漲らせても、それが人を更に遠ざけても、彼女は全く動じない。敵の大きさがじわりじわりと灼滅者達の心に染み入ってくる。だがそれが六六六人衆との戦いなのだ。

    ●攻撃と護りと
     ひゅんと空気を切る音は隼人の耳元で。遥か後方を逃げてゆく子供達を見やったほんの一瞬のことだった。腱を切られた隼人は池の辺に蹲る。
    『結構しぶとい。完全に逝ったかと思ったのに』
     確かに彼がディフェンダーでなければ橘花の思う通りの展開になっていたに違いない。
    「はは……大丈夫、俺はまだ生きてるよ」
     だが隼人は再び自分にシールドの癒しを施し、菘の光の輪の援護も受けて何とか立ち上がった。見渡せば仲間達の包囲網は既に完成されている。歩夏のロッドから大地を揺らさんばかりの雷撃が生まれた。ちりちりと橘花の髪が乱れ、その眼に初めて敵意が浮かべ。シルフィーゼの展開する魔力の霧が灼滅者達を更なる狂戦士へと変えてゆく。その様も彼女はじっと見据えたまま。
    『なるほど……ただの染料ではない、と』
     橘花は鞭を握り直す。
    「『ゲーム』の相手をしてやるって言ってんだ、来なよ」
     清のシールドは空色の輝き。羽のように軽い身のこなしに、流石の六六六人衆もわずかに避けるタイミングを見誤った。確かな手応えは清の手に。間髪を入れずに翔琉も橘花に肉薄しシールドの力を思い切り叩きつける。思った以上のダメージに橘花は微かに眉根を寄せる。だが彼女の狙いはこの場で最も深手を負っている隼人その人。
    「させるもんかっ」
     リリアナは異形と化した腕を橘花の背へ。だが橘花はうるさそうにそれを振り払い、自分の獲物を射るように見つめ。
    「しっかりしな、まだ倒れる訳にゃいかないよ!」
     智の防護の符が橘花の脇を抜けてひらりと舞った。体力的には万全とはいえないまでも動きの自由を取り戻した隼人は飛び退って距離を取り、自身のソーサルガーダーを発動する。
    『……お前のせいで』
     肩にかけた着物がふわりと風をはらんだ。舞のひとさしを見るような錯覚。だがその優美極まる指から飛ぶのは智を恨む銀の糸。あっという間に体力の大半を失った智。メディックとはいえ日頃から研鑽を積んだ灼滅者を一撃で追い詰めてしまうその力に、我知らず灼滅者達の足が止まった。
    「あんたみたいなのに負けてたまるかー!」
     相手の気に飲まれかけ一瞬の危うさを智は裂帛の叫びで吹き払う。仲間達は反省を込めて互いを見やるとすぐさま攻撃に移った。歩夏の両手で練られたオーラは狙いも確かな砲撃に。心臓の真上を突かれた橘花がバランスを崩したところへリリアナは火焔に包まれた武器を振り下ろす。
    「ボクの全力、全部もってけっ」
     紅蓮の攻撃は全身全霊傾けて避けえた橘花だったが、続くシルフィーゼの斬撃までは流石に体が動かない。日本刀を覆う緋色のオーラが自らの生気を吸い上げていくのには無論なす術もなく。
    『……』
     紡がれようとした言葉は翔琉の魔法の矢が射ぬく。魔法使いの気が凝るその一矢、真直ぐに光の尾を引くそれが橘花の喉を突き抜けていく様は、清の目にもしっかりと焼きつけられた。
    『……お前達』
     ゆらりと立ち上がった六六六人衆の全身から静かな闘気が立ち上ったかのように見えた。橘花はするりと着物を肩から滑らせ、梅の枝にかけた。まるで汚れることを惜しむように――それはこの日初めて見る、彼女の本気の顔だった。

    ●防戦か膠着か
     そこからの戦いは2つの渦が互いの覇を競い続けるようなものだった。幾つもの傷と怒りとが橘花に重なり、深い傷が灼滅者達に穿たれる。2人のメディックと自己回復とで、突破されないだけの囲みを維持してはいるものの、話に聞いていた通り六六六人衆の力は並々ではなく、灼滅者達は次第に防戦と回復とに主眼を置かざるを得なくなっていった。
    「……!!」
     清の肩口から斜めに赤い花が散る。あまりに早い橘花の体捌きについてゆくことができなかったのだ。
    『残念、いい色なのに』
     彼女の声に含まれるのは明らかな怒り。KO寸前の智に攻撃がいかなかったことに心の底から安堵を覚え、同時にもしもディフェンダーでなかったならばと戦慄を覚え……。
    「花言葉……高潔、潔白」
     清は苦しい息の下から言葉を継いだ。確かにどれをとっても目の前の悪鬼に相応しいとは思えない。その花の着物を一体どんな顔をして纏うのか。
    「あんたがそれを纏うのは皮肉のつもり?」
     清の弾劾とほぼ同時に、灼滅者達は攻撃を連ねた。歩夏の影のナックルこそかわされたけれど、隼人と翔琉のシールドが左右から橘花を襲う。新たな怒りが2つ加わる脇で、菘と智は清に回復を。天使の輪の如く煌めく光に、防護の念を込めた符。
    「さあ、こっからだよ、気張りな!」
     そういう智のほうこそ痛手から十分に立ち直っているとはいえなかったのだが、前衛陣の消耗はやはり見過ごせるものではない。
    (「あと少し……なんだけど」)
     菘は一筋流れ落ちた汗を拭った。自分達メディックとディフェンダーの防御力、各自の自己回復。戦線はなんとも危うい均衡で保たれている。いわば負けずとも勝たずの状態である。どこかで攻勢に出なければ――だが菘の焦燥感にも似た想いをよそに、橘花はシルフィーゼの居合を紙一重でかわし、リリアナの攻撃を軽々と見切る。
    『そうですね、ここからですよね』
     橘花の唇が笑みの形を刻みこむ。その瞳が向く先は間違いなく肩で息をしていた回復役、智。銀色の糸が橘花の指先でぴんと伸びたのは一瞬のこと。ディフェンダー陣の背に冷たいものが走った。ここでもう一撃食らわされては……。
    「!!!」
     まっすぐに伸びた糸の終着は翔琉の左肩。狙いを邪魔された格好の橘花が思い切り眉をひそめる。
    「悪いが、誰一人欠けさせたくはないんでな」
     翔琉のそれはひどく静かなものだった。まっすぐに見据える目はただ1人の敵を真正面にとらえて。
    『私は多くの血が欲しいんですけどね』
     くすりと橘花は笑い、細い指で鞭を柔らかにしならせて――橘花と灼滅者達の戦いはさらに長くながく続いていく。

    ●咲くを知らず、散るも知らず
    「……っ」
     智の目の前でリリアナの体が崩れ落ちた。敵の攻撃と味方の回復、その危うい均衡が壊れた瞬間だった。彼女の攻撃が見切られ始めてからでも随分と経っていた。これは相当に回復陣が頑張った結果だと言わねばなるまい。
    『さあ、どうします?』
     橘花の嗤いが深くなる。
    「……みすみす喜ばせてたまるかよ」
     翔琉はリリアナを抱えて立ち上がる。彼女への更なる攻撃は命の危険であると同時に闇堕ちの危機でもある。
    『そういってくれると、嬉しいですね』
     翔琉の背中に橘花の操る糸が飛ぶ。ざくりと刺さったその傷口がジワリと赤く染まってゆく。瞬間、青く透明な翼がその背に生えた。
    「いい加減にしときな」
     それが清のシールドのなせる業であることは仲間達のみが知っている。これ以上攻めさせてはならないと、シルフィーゼの日本刀が銀色の光となって奔ると歩夏は梅花の季節には合わぬ雷鳴を轟かせ。
    「絶対に、殺らせるものか」
     ふりあげられた大鎌は正しく咎人の為のもの。黒い炎のように影を宿したそれは隼人の手の中で操られ。
    『……よくも』
     彼女の怒りが今度は彼へと向けられた。またもや止めを刺し損ねた苛立ちが、今や橘花を鬼の形相へと変えている――灼滅者達がつけ込むならばこの瞬間だったはずだ。だが哀しいかな、彼らの攻め手は十分とは言い難い。
    「私たちの翼は、あんたなんかにゃ折れない!」
     それでも勝機を呼び込もうとする智の背中には炎の翼。炎の中から蘇る不死鳥のように――だが、神々しいまでのその輝きも橘花にとってはただの目印。銀色の不吉な糸のもとに2人目の灼滅者が倒れ伏す。
    「闇堕ちはしない、それに、絶対させ……ない」
     苦しい息の下からの告発に橘花の眉がきりりと上がる。いい加減にしろとでも言いたいのか、唇がわなわなとふるえている。
    『だまりなさい!』
     死の鉄槌を下そうとする橘花との間に、隼人と翔琉が割り込む。隼人の肩に再び紅蓮の花が散る。
    「下がって!」
     清と菘とがすかさず癒しにかかり、歩夏がオーラの砲で橘花の追撃を防ぐ。シルフィーゼの日本刀が緋色の輝きを帯びた。刹那、彼女の小さな体は一陣の風と化す。橘花の手からぽとりと鞭が落ちた。
    『……本当にしぶとい』
     その呟きこそ灼滅者にとっては本望だったことだろう。だが怒りに怒りを重ねた六六六人衆の本気に耐えるだけの力はさしものディフェンダー陣にも残ってはいなかった。シルフィーゼへの糸の一飛びに割って入れた隼人の神業。だがその胸から背へ突き抜けた細い糸には赤い血がつたい……。
    「……!」
     回復を送りかけた清が力なく首を振った。それでも後には引けない灼滅者達。残る5人の攻撃はまさに決死という名に値した。だがそれも最早蛮勇と呼ばねばならないものだったかもしれない。橘花の糸が4人目、翔琉を切り裂いたのは彼らの攻撃が一瞬止んだその隙である。
    「……4人」
     菘の唇が震えた。まさかと清が抑える肩を彼女はゆっくりと外す。大和守安定【贋】――菘は愛刀の鞘をすらりと放った。
    「あとを……」
     頼みますね……そんな言葉が聞こえたような気がするのは気のせいだっただろうか。歩夏の、そしてシルフィーゼの目の前でかつて仲間だった者の影が揺らいだ。
    「……闇堕ち」
     シルフィーゼの呟きが聞く者の心に刺さる。闇に堕ちた友の体が一瞬、沈んだ――かと思った刹那、橘花の体に赤黒い傷が斜めに走っていた。
    『美しい……これこそがあるべき姿』
     下手をすれば致命傷ともなりかねない傷を受けながら、橘花は高らかに笑っている。枝にかけた着物を取ると再び袖を通す。梅が枝模様はみるみるうちに橘花の血に染め直されてゆく。だが彼女はもうそんなものには一瞥もくれなかった。ただいずこかへ向かう菘だった人影を見送るだけで。
    『では、いずれまた』
     踵を返す石飛橘花を、灼滅者達は誰も追うことができなかった。手足は鉛のように重たく、美しく咲く梅に心を止める余裕はない。被害が最小限であったことを思い出すまでにも、今しばしの時が必要だったのである。

    作者:矢野梓 重傷:蒔絵・智(双離法師・d00227) リリアナ・エイジスタ(オーロラカーテン・d07305) 上倉・隼人(伝説のパティシエ・d09281) 
    死亡:なし
    闇堕ち:沖田・菘(壬生狼を継ぐ者・d06627) 
    種類:
    公開:2013年3月11日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 9/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 9
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