阿佐ヶ谷地獄~死の無窮動

    作者:中川沙智

    ●泥黎
     朝日がまだ姿を現さない頃合に、早朝の地下鉄南阿佐ヶ谷駅から次々と姿を見せる人影。始発には早すぎる時間帯に蠢くには、異様とも言える人数だ。
     否、それは人ではない――アンデッド達だった。ゆらりゆらりと、だが確かな足取りで、大量のアンデッド達は市街地へと向かう。暗がりであろうとも意に介さず、鍵を壊し窓を割り住居に侵入する様はあたかも地獄絵図そのもの。
     阿佐ヶ谷に屍人の気配が充満する。腐臭が漂い、一部白骨化したアンデッドが蔓延る。だが眠りについたままの人々は何事が起きているかをまだ知らない。
     徒党を組んだアンデッドの集団が侵入したのは、ある一戸建て住宅だ。典型的な核家族であろう一家は、不幸にもアンデッドの襲来に気づいていない。
     階段を上り手近なドアを無造作に開け、ベッドで寝息を立てる少女の様子を窺ったのはほんの僅かな時間だった。
     枕元で大きく振るわれるのは、凶刃。
     少女はアンデッドの一体により幾度となく刺し貫かれる。無造作に引き抜かれたナイフからは鮮血が滴り、壁にまでおびただしく赤が迸った。大量の出血はとめどなく、枕やシーツを濡らしていく。
     切られた場所が悪かったのだろう、少女は目を見開いたまま即死した。
     声を上げることも無念さを訴えることも、叶わずに。
    「どうしたんだ、」
     物音に気付いたのは父親だ。部屋のドアを開け娘の名を呼ぼうとして、目の前の惨劇に次ぐ言葉を失う。血の気が引く。
     一斉に、アンデッド達の虚ろな視線が父親に向けられる。
    「あなた?」
    「来るな!! 逃げろ」
     ようやく異変を知り姿を現した母親に注意を促すと同時に、アンデッド達が父親に群がった。避けることなど、出来ない。
    「ひっ……!!」
     殴打される夫。切り刻まれる夫。貪られていく夫。短い叫びを上げて咄嗟に駆けだした母親の背にもアンデッドが迫る。
     階段を駆け下りる。追いかけてくるアンデッドもホラー映画のように緩慢な動きではない。驚くべき俊敏さで母親を羽交い絞めにする。
     背中に差し入れられる短剣の刃。
     傷口から青い筋肉の繊維が覗く。瞬く間に細身だった母親の肢体は大きく膨れ上がり、寝間着を巨躯が引き千切る。
     高く高く咆哮が響く。
     その場に顕在したのは一体の蒼き異形、人であったが人であらざるもの――デモノイドだった。
     窓の外には庭が広がり、その向こうには崩壊していく住居が見える。
     朝日はまだ、姿を現さない。
     
    ●怒涛
    「鶴見岳の戦いで刃を交えたデモノイドが、阿佐ヶ谷に現れたわ」
     教室に集まった灼滅者達を見据える小鳥居・鞠花(中学生エクスブレイン・dn0083)の眼差しは厳しい。それだけ緊迫した事態になっているという事実を雄弁に物語っている。
    「このままだと阿佐ヶ谷地区が壊滅してしまうわ。大至急、阿佐ヶ谷に向かって欲しいの」
     デモノイドはソロモンの悪魔『アモン』により生み出された存在であるはず。しかし今回は何故か『アンデッド』による襲撃で生み出されているのだと、鞠花は告げた。
     机の上に広げられた資料。その中の一枚に描かれているのは、儀式用の短剣のようなもの。アンデッド達が装備しているものらしい。
    「この短剣で攻撃された人間の中にはデモノイドとなるものがいるみたい。まったく、洒落にならないことをする輩がいたものね」
     ため息ののち、あくまで未確認情報よ鞠花は言葉を継ぐ。少し前にソロモンの悪魔の配下達が行っていた儀式に使用されていた短剣と同様のものである可能性もある、と。
     だが、今すべきことはその情報を精査することではない。
    「これ以上被害を生み出さないために、アンデッド達と、そして生み出されてしまったデモノイドの灼滅をお願い。皆なら出来る、そう思わせて頂戴」
     鞠花は深く頭を下げた。顔を上げた彼女は真直ぐに灼滅者達を見据え、今回彼らに対応してほしいのだという敵の資料を指し示す。
    「出現するのはアンデッドが五体にデモノイド……に、なってしまったものが一体ね。鶴見岳の戦いや愛知県の事件で戦ったことがある人もいるでしょうから、わかっていると思うけれど……デモノイドは力だけならダークネス相当よ。それにアンデッド達が加わるんだから厳しい戦いにならざるを得ないわ」
     かのイフリートを滅するための主戦力として動員されたデモノイド。それに加えて決して少なくはない数のアンデッド達。
     状況の厳しさは、言うまでもないだろう。
     アンデッド達とデモノイドはある一軒の家を壊滅させたのち、庭に出て次の標的を探している。その瞬間であれば敵のバベルの鎖の裏を掻くことも可能となると鞠花は告げた。庭は広く遮蔽物もない。戦うには充分な広さと言えるだろう。
     惨劇の前に止めることが出来ないのは歯痒いけれど、と鞠花は言葉を紡ぐ。
    「……使う技については情報を得られたわ。参考にしてみて」
     アンデッドが繰り出す遠距離単体攻撃は、灼滅者達が得た強化の力をも砕く【ブレイク】の効果を持つ。また解体ナイフのサイキックもすべて使いこなすため油断は許されない。
     対してデモノイドの攻撃手段は近接攻撃に限定される。ただしその威力たるや相当なもの、ダークネスに引けを取らない腕力は脅威そのものだ。
     アンデッド一体とて雑魚ではない。それが五体。加えてデモノイドまで。
    「アンデッドが暴れ、人が死に、デモノイドが蹂躙する……そんな事態、見過ごすわけにはいかないわ。危機的な状況だけれど、デモノイドによって阿佐ヶ谷全体が壊滅することは阻止したいの」
     鞠花は信頼を瞳に湛え、灼滅者達に向き直る。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」
     教室を飛び出していく灼滅者達の背を見送り、鞠花はふと眉を顰める。
    「……阿佐ヶ谷は武蔵坂から近すぎるわ。何か理由があるのかしら?」
     考え過ぎならいいのだけれど。
     そう低く零した声は誰の耳にも届かなかった。


    参加者
    置始・瑞樹(殞籠・d00403)
    リリー・スノウドロップ(ほわいとわふー・d00661)
    函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)
    青柳・百合亞(電波妖精・d02507)
    椙杜・奏(翡翠玉ロウェル・d02815)
    嶌森・イコ(セイリオスの眸・d05432)
    柏葉・宗佑(灰葬・d08995)
    霧咲・透(儚き孤影・d10083)

    ■リプレイ

    ●葬送
     早朝の薄暗い中、幾つもの影が駆けていく。
     今この街を地獄と言わずに何と喩えればいいのだろう。視界の隅で蠢く異形。充満する血と汚物の入り混じった匂い。建物がひしゃげて潰れ、崩れ落ちる光景。断末魔の声。
     震える身体を必死で叱咤し、青柳・百合亞(電波妖精・d02507)は自分を奮い立たせて前を向く。
    「これほどまでの景色は忘れることなどできないでしょうね」
     喉の奥に苦いものが染み渡る。五感全てが恐怖と拒絶を訴えてくる。それでも尚急ぎたい。事態を考えると悠長にはしていられない。
     闇に還るのとはまるで異質な、ひどく悲しい悪夢を止めたくて。
     けれど。
    (「――わたしたちには、それが出来るの」)
     照明を手にした嶌森・イコ(セイリオスの眸・d05432)が胸中で呟いたと同時、ガラスが力任せに破られた音がした。その瞬間、灼滅者の誰もが状況を理解する。
    「ここだね。間違いない」
     本来であれば正しい意味で安らかな眠りについていたであろう一軒家を、椙杜・奏(翡翠玉ロウェル・d02815)が見上げる。歩を早めて庭に回り込むと、今まさに家から出てきたであろうデモノイドとアンデッド達が周囲を見渡していた。
     蒼き巨体を瞳で捉え、霧咲・透(儚き孤影・d10083)は知らず唇の端を噛む。
    (「最悪ね。最悪よ。強制的に変異させるだなんて」)
     透は鶴見岳の戦いでデモノイドと刃を交えていた。あの時は知らなかったとはいえ、自分の呑気な認識に腹が立つ。元は人間ではないかと想像はしていたが、まさか望まざる形で無理矢理生み出されていたとは思いもよらなかったのだ。
    「すべてを灼滅する。今はそれだけよ」
     表情は硬い。そんな透の囁きに置始・瑞樹(殞籠・d00403)は言葉もなく頷いた。そうするしかないと正確に理解していたからだ。
     誰も隠そうとしていなかったから当然だが、突如として現れた気配と灯りに、アンデッド達も気が付いたようだ。屍でありながらも、虚ろな眼孔には邪魔者を排除する意思を感じさせる。アンデッド達の纏う服に飛び散っている血痕はまだ赤い。
     切なくも鮮やかに、赤い。
    「お邪魔します」
     この家の住人に敬意を払い、先陣を切って庭に足を踏み入れたのは柏葉・宗佑(灰葬・d08995)だ。傍らの霊犬・豆助と共にアンデッド達とデモノイドに向き直る彼の視線は鋭い。眼鏡のレンズ越しに五体と一体とを、数えた。
    「……これ以上人の理を歪めさせない。狩りはそこまでだ」
     緊張が走る。灼滅者達が庭へ入り陣を整える。アンデッド達も距離を測りながらナイフを取り出した。設置された照明の光を弾き、刃の輪郭が閃く。
    「ゲームみたいだけど、これ、現実なんだよね……」
     デモノイドが生み出され、ゾンビやスケルトンなどアンデッド達が徘徊している阿佐ヶ谷地区。間近で触れ、函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)は凛と前を見据えた。
    「わたし、できること、全力でやるよ。悲しいことは、繰り返させない……!」
     ゆずるの隣でナノナノのしまださんも意気込んでいる。デモノイドも様子を窺いながらこちらを見定めていることがわかる。
    「阿佐ヶ谷の大惨事は止めます。結構やられてしまっていますが、これ以上はさせないのです」
     リリー・スノウドロップ(ほわいとわふー・d00661)は霊犬のストレルカをひと撫ですると、気丈に視線を上げる。彼女の銀の髪がしなやかに風に靡く。
     空気が張り詰める。戦意が沸騰し、各々が殲術道具を構える。
     誰ともなく庭に散らばるガラスの破片を踏むと、生命とは無縁の硬質な音を立てた。それが開戦の合図となったことに、灼滅者達は後で気づくことになる。
     朝日はまだ、姿を現さない。

    ●奈落
     地を踏みしめ、デモノイドに一気に肉薄したのは瑞樹だ。
     手の甲に展開したエネルギー障壁の盾で殴打する。したたかに腕に叩きつけられたデモノイドに殺気が宿る。その刹那、ゆずるが瑞樹の動きに連携して指輪から魔法弾を放った。
     闇の力が制約となりデモノイドを蝕む。
    「今のうち、に……!」
    「了解!」
     奏の龍砕斧に炎が這う。狙ったのは最もデモノイドに近い立ち位置のアンデッドだ。力づくで振るうと屍に火の鱗粉が散る。宗佑と豆助も続いて前に出て、アンデッド達とデモノイドの分断を図る。
    「そっちはよろしくね」
     高速移動でアンデッドの群れに突入する動きはまさに龍の翼のよう。威力こそ多少及ばないものの、アンデッド達の気を惹くには十分だ。
    「わかりました、宗佑先輩」
     その分自分達はデモノイドを抑えることに専念しよう。イコも前線でデモノイドとアンデッド達を引き離すべく槍を翳す。槍が纏う想いを燃やした焔は白銀に煌き、そのまま蒼き異形を深く貫く。
     乱戦を防ぐため、そして一刻も早くこの戦いを終わらせるため。彼らは体力に劣るであろうアンデッド達を一掃してから、デモノイドに集中攻撃すると決めた。
     だからこそ列攻撃のリスクを踏まえてまで、前衛を厚くし後衛が補佐する布陣をとったのだ。
     だがデモノイドとて黙ってはいない。火の粉を払うかの如く手を振るい、迸るかと思えた炎は延焼することはなかった。腕を見る間に刃の形に変化させる。
     斬り裂くというより叩き斬る。剛腕から放たれる一撃が瑞樹を襲う。守りに徹していてさえ体力を大きく穿つ威力に顔を顰める。
     それでいい。自らが盾となれば仲間達が傷つくことはない。そんな瑞樹の気概に応えたのか、しまださんがふわふわと浮かぶ癒しのハートを届ける。
     追従し瑞樹を狙おうとしたアンデッドの前に立ちふさがる人影があった。
    「行かせません。貴方達の相手はこちらですよ」
     百合亞が螺旋の捻りを加えた槍の穂先で眼前を抉ったのだ。
     全部を止めることは無理でも、守る力があるならやるしかない。それがまだ生きている命のために出来ることのすべてだ。
     流れるように連携を引き継いだのは透。自らの片腕を巨大な異形と成し、百合亞の攻撃したアンデッドを凄まじい膂力で粉砕する。一体目。確実に殲滅すると決めた透の表情は揺るがない。揺るがないほうが、いい。
     味方を倒した透を脅威とみなしたのか、アンデッド達が波状攻撃に転じた。吹き荒れる毒の嵐が前衛陣を襲う。誰もが咳き込む中、怨念が弾丸となり飛来するのを透は視界の隅で捉えた。受け身をとるが間に合わない。
     しかし前で受け止めてくれたのは豆助だった。破裂するような音に、この弾丸が強化の力をも砕くものであることを灼滅者達は知る。
     豆助は懸命にアンデッドを睨む。お返しとばかりに六文銭を連射する。
     先を越されちゃったなぁと宗佑は苦笑するも、それは自分も負けていられないと思うからこそ。油断など微塵も存在しない。
     癒し手の面々は否応なしに体力が劣る。そして長引かざるを得ない厳しい戦いとなる以上、作戦の要となる。その事実を理解しているからこそ、庇うために前に立つ。それは護り手たちの共通認識だった。
     傷を負った豆助に温かな光が降り注ぎ、浄霊の眼差しが毒を排除する。リリーとストレルカだ。一気に傷が塞がるのを確認し、奏の視線は再びアンデッドを捉える。
     弱っている個体を的確に見定め、出来る限りアンデッド達を早く片付ける事が自分達の役割。
     腕を大きく交差させる。赤い霊光は逆十字となりアンデッドを斬り裂く。穿たれた屍は精神の奥底まで破壊され、白骨化し崩れ落ちた。
    「二体目、だね」
     翡翠の瞳を眇めて奏が呟けば、アンデッドの掃討を担う仲間達が声もなく頷いた。

    ●深淵
     アンデッド一体とて雑魚ではないとエクスブレインは告げていたし、それは紛う事のない事実だ。多彩な攻撃手段に防護を付与する回復手段。どれをとっても重なれば灼滅者達を脅かし、最悪撤退を余儀なくされていたかもしれない。
     だが今回は灼滅者達の連携と作戦が上回った。声を掛け合い攻撃対象を集中させ、逆に狙われた仲間がいれば気を逸らすために敢えて技を放ち介入した。
     アンデッドの数は着実に減っている。残るは満身創痍の一体のみ。
    「これでとどめです!!」
     自らに発破をかけるように宣言し、百合亞はガトリングガンを連射する。蜂の巣となったアンデッドは仰向けに投げ出され、そのまま二度と動くことはなかった。
     百合亞は鼓動を宥めるように呼吸を整える。怖いのも、気持ち悪いのも、感覚を閉ざして今だけは知らんぷり。灼滅者とてサイキックを行使できるとはいえ、元はといえば変哲のない少年少女なのだ。
    「これ以上汚れた空気にしたくないです」
     どうか死した魂に安らかな休息を。祈りを胸に踵を返すと、脈動する青い巨躯が目に入る。
     しまださんやリリー、ストレルカが癒しの力を余すことなく捧ぐ。ディフェンダーの瑞樹とイコが自分でも回復を図ることで粘り、ゆずるも彼らが倒れないよう留意しつつ意識を集中させ何度も攻撃を重ねた。
     それでも尚デモノイドは立ち続ける。恐るべき体力に息を呑む。
     前触れなく家族を襲った悪夢という現実。覆る事はないと知っている。
     怒りはおろか悲しみにも囚われず、イコは冷静にデモノイドの前に立つ。それは一族の教えと、亡き両親に愛を注がれ巧みに訓練された賜物による鋼の心を持つゆえに。
     一刻も早く解放するために退かず緩めず、強くあれ。
     効けばそれも苦しい事だけれど、敢えて。
    「おかあさん」
     取り囲んでいた前衛陣は確かに、デモノイドの動きが一瞬硬直したのを見た。だがその直後に剛腕から繰り出される一撃がイコを襲う。
     巨躯の死角に回り込んだのはゆずるだった。ロッドを叩き込み、デモノイドの鎧とも言える筋肉を腫らし牽制することで攻撃を止めたのだ。
    「大好きなお友達だし、いつも頑張ってくれてる、から」
     守ってもらってばかり、じゃない、よ。そうゆずるの口元が動いたのを見て、イコは微笑みを返す。
     だがデモノイドはもう片方の腕――刃と成したほう――で斬りつけてきた。脅威を本能的に直感した瑞樹が庇う。歯の奥を食いしばってでも止める。自身が破壊されることなど厭いはしない。
     ここまで来ればあとは力押しだ。宗佑は影業を躍らせる。
    「……行くよ、豆助」
     宗佑が念じると影業が迸った。影がデモノイドを飲み込み覆い尽くし、トラウマを発現させる。
    「定められた死なんて認めたくない。あなた達家族を守りたかった」
     継いだ豆助が斬魔の力を宿す刀で斬り裂く。デモノイドがたまらず声を上げたのは、慟哭だろうか。宗佑の胸の奥に傷ではない痛みが燻る。
    「おやすみなさい、せめて安らかに。空でまた巡り会えますように」
     瑞樹の傷はリリーが再び癒しの光を操ることで軽減させる。緩やかな治癒の光、心まで傷つく中でどれだけの助けになる事だろう。
    「ストレルカもお願いするのですよ」
     促され、霊犬から施される浄霊の光は信頼の視線を飛ばしているよう。ふと安心するのは何故だろうか。蓄積した痛みが和らぐのがわかり、宗佑はありがとうと呟いた。
     誰もが疲弊していた。身体的な傷だけではない。程度の差こそあれど、こころに棘のような痛みを感じている。
    (「あれは既に人ではない。あれに以前の姿を見出すならば、そのほうがよほど冒涜している」)
     だから刃は揺るぎもしない。きっとそう。表情こそ硬いままだが、繰り返し自分に言い聞かせる透の手は震えている。
    「待っていて。その自然ならざるカタチから、すぐに解放してあげる」
     もはやどれだけ傷つこうとも倒しきる覚悟だ。透は足を使って回り込みペインティングナイフで切り刻めば、傷口が広がったデモノイドはついに膝をついた。
     あとひと押しだと誰もが認識する。
     もしかしたら自分自身に言い聞かせているのかもしれない。奏はゆずるへ静かに零した。
    「こうなってしまったからには、終わらせないとね」
    「んん。……わかってる、よ」
     ゆずるの瞳に翳りが差す。揺らぐ感情がないと言えば嘘になる。
     けれどそのままでもいいから、目は逸らさずにいよう。
    「家族のこと、あなたのこと、助けられなくて、ごめんね」
     二人は早朝の阿佐ヶ谷を駆ける。指先から噴出する炎は暗闇を焼き龍砕斧に宿る。奏が高く跳躍しデモノイドの脳天に叩きつけると、その隙にゆずるが懐へ滑り込む。
     至近距離で流し込められた魔力は、幾度となくデモノイドの体内で破裂する。
    「今はどうか、安らかに、眠って」
     願いを籠めて、祈った。
     デモノイドの身体はぐずぐずと音を立てる。
     そのまま溶け、庭に水溜まりのように広がった。
     命の欠片も、身体の一片すら、残さずに。

    ●苦界
     自分が倒れることがあっても仲間は倒れませんように――そう願い戦っていた灼滅者が多かったことを、彼らは知る由もない。
     結果として八人の仲間達と三匹のサーヴァントすべてが倒れずにここにいる。
     宗佑や瑞樹が周囲を警戒する中、イコや奏、透を中心として儀式用の短剣を探す。
     だが思った以上に捜索は難航した。アンデッド達が折り重なるように倒れていたし、よくよく観察してみれば戦いの際に使用していたナイフは無骨なもので、儀式に使うであろうものとは程遠い。戦闘中に万一にでも破損してはならないと思っていたのだろうかと、イコは表情を曇らせる。
     それでも命を奪う武器となりえる。それは避けたくて、灼滅者達は回収を急いでいた。
     その最中ふと指先に触れた冴えた刃。透は慎重に目を凝らす。
    「これかしら」
     あるアンデッドの骨の下敷きになっていた、装飾のついた短剣。エクスブレインが示していた資料のものと同じだ。
    「……こんなモノが大量に出回ったならば被害もそうだけれど、私達の心が削られるわね」
     仲間達に広がった沈黙は肯定だろう。丁寧に回収するも、近郊で民家が崩落する音が響き顔を上げる。
     阿佐ヶ谷はいまだ戦場の中。これ以上の捜索は難しいだろう。
    「ひとまず帰りましょう。……まだやるべきこともあるかもしれません」
     瑞樹の言葉に頷き、灼滅者達は帰還の途につく。
     戦時に散らさぬよう気を付けた草花に祈りと誓いを込める。イコ達が気を配っていたおかげで、戦闘が繰り広げられたにも関わらず庭は比較的整ったままだった。
     家族が――特に母親が慈しんだであろう庭には、春の花が一輪だけ風に揺れていた。
     ざらついた朝焼けの気配。空の果てで雲が流れる。灰色の雲は無情なほど速く、心拍数は上がったまま落ち着いてくれそうにない。
     百合亞はきつく瞼を閉じる。

     急速に奏でられる死の常動曲、フィナーレにはまだ遠い。
     地獄はまだ終わっていない事を誰もが理解していた。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月22日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 14/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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