阿佐ヶ谷地獄~遠い夜明け

    作者:牧瀬花奈女

     南阿佐ヶ谷駅は静かだった。耳に意識を集中させれば、蛍光灯の光が僅かに揺らぐ音が聞こえそうな気がする。
     時刻は午前4時より少し前。まだ始発が動いていないにも関わらず、ホームにはほんの少し人影がある。徹夜をして今から帰るところか、早朝から出掛けなければならない用事があるのだろう。
     眠たげな顔で地下鉄を待っていたその中の一人が、不意に引きつった声を上げた。
    「な、なんだ、あれ!」
     つい先程まで、無言で地下鉄の到来を待っていた線路。その上を、異形の存在が歩いていた。その数は、10や20では収まらない。
     形だけならば、それは人の姿を保っていると言えなくもなかった。だがその皮膚は半ば腐り落ち、あちこちから骨や歯が覗いている。ぼろぼろになった衣服と、手にした銀に輝く短剣が、その異様さを際立たせていた。
     アンデッド。彼らがそう呼ばれる存在である事を、人々は知らない。
     ずるりとホームに這い上がって来るアンデッド達を見て、地下鉄を待っていた人々は悲鳴と共に駅の改札口へ向かって駆け出した。アンデッド達は緩慢な動きで、ずるずるとその後を追って行く。
     やがて駅から外へ出た彼らは、徒党を組み、市街地へと足を進めた。まだ眠りから覚めていない一般家庭の扉を破り、中に侵入する。
     アンデッドの一団に押し入られた家庭が、血と悲鳴に満たされるのは、それから間もなくのこと。
     
     その日、阿佐ヶ谷は地獄と化した。
     
     阿佐ヶ谷へ急いで欲しいんです。
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は、教室に集まった灼滅者達にそう言った。
    「デモノイドが阿佐ヶ谷に現れました。このままでは、阿佐ヶ谷地区が壊滅してしまいます」
    「デモノイドって、鶴見岳で戦ったっていう……?」
     瞬きをする御厨・望(小学生ファイアブラッド・dn0033)に、姫子は頷いた。
    「デモノイドは、ソロモンの悪魔『アモン』に生み出された筈ですが、今回は何故かアンデッドによる襲撃で生み出されています」
     阿佐ヶ谷地区に突如として現れたアンデッド達は、儀式用の短剣のようなものを装備している。その短剣による攻撃を受けた者の中から、デモノイドとなる者が現れるようだ。
    「確認は取れていませんが、少し前にソロモンの悪魔の配下達が行っていた儀式に使われていた短剣と、同様のものかもしれません」
     とにかく今は、これ以上の犠牲を出さないために、アンデッドと、生み出されてしまったデモノイドの灼滅をお願いします――緑の瞳を悲しげに伏せて、姫子はそう言った。
     
     灼滅者達が阿佐ヶ谷へ到着する頃。
     青い屋根のその民家は、悪夢の舞台となっていた。
     まだ眠りの中にいた3人の家族は、許可無く侵入したアンデッド達により、まどろみから叩き起こされた。
     まず、幼い娘を庇って母が死んだ。
     次に、我が子を逃がそうとした父が死んだ。
     最後に、泣く事すら忘れた娘に、銀の刃が振り下ろされた。
     冷たい一撃が娘の喉を突き、既に血に塗れた床の上へ、小さな体が崩れ落ちる。白い手が力無く空を掻いたかと思うと、その指がぴくりと跳ねた。
     白かった肌は徐々に青く変じ、細い腕が不気味なまでに隆起する。
     やがて娘は起き上がった。
     1体の、デモノイドとして。
     
    「皆さんに向かって欲しい民家には、3体のアンデッドと、生み出されたばかりのデモノイドが1体います」
     場所は、玄関から入って右手のリビングです、と姫子は付け加える。
     アンデッドが暴れ回ったせいか、リビングにあったソファやテーブル等は破壊され、戦いの支障になるようなものは無いという。
     アンデッド達はそれほど強くないが、短剣の一撃を受けた際に、毒を流し込まれる事がある。デモノイドに特別な能力は無いものの、ただただ強いだけの相手がどれほどの脅威かは、戦った事のある者ならば知っているだろう。
     アンデッドもデモノイドも、その攻撃は後衛までは届かない。だが、デモノイドの攻撃は複数人を巻き込む事があるという。
    「辛い戦いになると思います。でも……どうか、お願いします」
     せめて、これ以上の悲しみが生まれる前に。
     生み出されたばかりのデモノイドが、誰かの命を奪ってしまう前に。
     倒してあげてくださいと、姫子は頭を下げた。


    参加者
    影道・惡人(シャドウアクト・d00898)
    藤平・晴汰(篝火・d04373)
    霜月・薙乃(ウォータークラウンの憂鬱・d04674)
    雨積・熾(白馬の王子様・d06187)
    ソフィリア・カーディフ(春風駘蕩・d06295)
    ディートリヒ・エッカルト(水碧のレグルス・d07559)
    雪乃夜・詩月(夢誘う月響の歌・d07659)
    セーメ・ヴェルデ(煌めきのペリドット・d09369)

    ■リプレイ

    ●紅
     血の臭い。
     青い屋根の民家へ足を踏み入れた灼滅者達が、最初に感じたものはそれだった。夜明け前の阿佐ヶ谷に満ちる地獄の香りは、まどろみの中を泳いでいた幸せな家庭をも包み込んでいた。
     玄関から右へ曲がり、灼滅者達はリビングに至る。
     そこに広がる光景を目にして、藤平・晴汰(篝火・d04373)は橙の瞳を見開いた。
     床に敷かれたカーペットにも、少し前までは白一色だったであろう壁紙にも、血の色が溢れている。短剣を手にした3体のアンデッド達が、緩慢な動きで灼滅者達の方を向いた。
     まだ鮮やかな血溜まりの中心にいるのは、青い肌と隆々とした筋肉を持つデモノイドだ。
     ほんの数時間前まで、幼い娘だった存在。
     誰が何を企んでこの家族の幸せを奪ったのかと、ソフィリア・カーディフ(春風駘蕩・d06295)はチェーンソー剣を握る手に力を込める。
     橄欖石の色をした聖衣の裾を揺らし、セーメ・ヴェルデ(煌めきのペリドット・d09369)が中衛に位置を取った。妖の槍を構える彼女の内には、ここにはいない『奴等』への怒りが静かに渦巻いている。
    「……間に合わなくて、ごめんね」
     悲しげに詫びる霜月・薙乃(ウォータークラウンの憂鬱・d04674)の前に、雨積・熾(白馬の王子様・d06187)が進み出た。彼の隣に立つ雪乃夜・詩月(夢誘う月響の歌・d07659)の周囲を、紫の印が刻まれた光輪がふわりと舞う。
     デモノイドが灼滅者達を認め、地を震わせるような声を上げた。
     何故、あの子はデモノイドになってしまったのだろう。尽きぬ問いと憤りを抱きながら、ディートリヒ・エッカルト(水碧のレグルス・d07559)は自らを覆うバベルの鎖を瞳に集中させた。その傍らで、御厨・望(小学生ファイアブラッド・dn0033)がリングスラッシャーを舞わせ、小さな光輪を詩月の盾にする。
    「おぅヤローども、やっちまいなッ」
     勇ましい声は、ライドキャリバーのザウエルに跨った影道・惡人(シャドウアクト・d00898)のもの。ガトリングガンの引き金を絞り、弾丸を嵐の如く撒き散らす彼には、戦いへの躊躇は全く感じられなかった。
     例えいかなる相手であろうとも、敵となった時点で倒す以外の選択肢は存在しない。敵の事情に頓着するつもりは、彼には無かった。
     弾丸を受けたデモノイドが吼え、刃のような形に変形した腕を晴汰へ振り下ろす。切っ先が肩に食い込んで、ミリタリー服に血が滲んだ。
    「……全力で行こう」
     詩月が静かに言い、銀の瞳へバベルの鎖を集める。
     望まず生まれた異形の存在が、誰かを殺めてしまう前に。
     悪夢が、新たな悲しみを生む前に。
     灼滅者達は、床を蹴った。

    ●蒼
     熾がデモノイドとの距離を詰め、その肩をシールドで力いっぱい殴り付ける。外見からデモノイドの感情を推し量る事は難しかったが、ゆるりと頭をもたげたその動きは、彼に対して怒りを感じているように見えた。
     ソフィリアは障壁を仲間にも広げ、加護を与えた。晴汰も盾の力を使い、自らの傷を癒す。
     アンデッドの1体が薙いだ短剣を避け、薙乃はピンクの天使で飾られたバスターライフルの引き金を引いた。紡がれた円盤状の光線が、アンデッドの胸を撃ち抜く。
     セーメの唇から零れたのは、歌姫の如き神秘的な旋律。美しい調べに秘められた魔力が、デモノイドを惑わせた。
     ぐん、と風を切る音を立てて、彼女へアンデッドの短剣が振り下ろされる。流し込まれた毒は、ホームズが撃ち出した霊力で癒してくれた。ももから癒しの光を受けた望が、熾へ盾の加護を与える。
     もう1体のアンデッドの短剣が、ソフィリアの腹を横に薙ぐ。間近に迫ったそのアンデッドには構わず、彼女はデモノイドに接近し、青い体をエネルギーの障壁で思い切り殴り付けた。
    「貴方の相手はこちらです……全力で止めて見せます」
    「オレの事も忘れるなよ」
     熾の足元から音も無く黒い影が伸び、青い体へ触手のように巻き付く。晴汰は鋼糸を操り、デモノイドを絡め取った。
     ぎちり、と体に巻き付く鋼糸を軋ませ、デモノイドが熾に腕の刃を振るう。二の腕に走った痛みは予想以上だった。
     惡人が放つ弾丸が傷付いたアンデッドの背を反らせ、ザウエルの射撃が同じ相手の傷を抉る。
     詩月から飛んだのは、高い純度で圧縮された魔法の矢。淡く輝く矢はアンデッドの胸元を貫き、弾けるように消える。
     もがくアンデッドを見据える詩月の瞳には、何処か複雑な思いが滲んでいた。罪無き命を利用する蛮行は、許してはおけない。けれど、このアンデッド達もまた、ダークネスに弄ばれ、造られた存在なのだ。
     薙乃の指が空中をなぞり、赤きオーラが浮かび上がる。描かれた逆十字に引き裂かれ、傷付いたアンデッドが床に崩れ落ちた。セーメは槍を低く構え、傷を負っていないアンデッドへ神秘の調べを届ける。
     ディートリヒのマテリアルロッドが弧を描き、輝く十字架が戦場に降り立つ。眩い無数の光弾は、アンデッドとデモノイドの傷を等しく抉った。
     望が小さな光輪を飛ばし、熾の傷を癒す。足りない分は、鉄子とガザ美が補ってくれた。惡人を乗せたザウエルがアンデッドの1体へ突撃し、その足を抉る。
     詩月の肩にアンデッドの短剣が深く突き刺さり、傷口から毒の痛みが広がった。足を抉られたもう1体の斬撃は、晴汰の胸を真横に裂く。
     熾は内から炎を噴出させ、サイキックソードに纏わせた。アンデッドに向けられた碧眼には、強い光が宿る。
     ごく普通の家族から、平凡な幸せを奪った忌まわしい短剣。もう二度と、それを使わせる訳には行かない。
     振り抜いた光剣は、彼の心のままにアンデッドを真っ直ぐに裂き、その身を灼き尽くした。
     デモノイドの刃が前を守る灼滅者達を一列に薙ぐ。ソフィリアは雷の闘気を拳に宿し、デモノイドの顎を打ち据えた。
     晴汰が盾を広げて傷を癒し、詩月は最後のアンデッドを魔力の矢で穿った。ぐらりと傾ぐ肢体に止めを刺したのは、制裁の力を秘めたディートリヒの光。強い輝きがアンデッドを打ち据え、半ばまで腐り落ちた体が床に倒れ伏す。
     残るは、デモノイドのみ。
     灼滅者達の眼差しを受けて、デモノイドが咆哮を上げた。

    ●碧
     刃と化したデモノイドの腕に、血がこびり付いている。それに気付いた薙乃は、胸の奥に微かな痛みが走るのを感じた。
     自らの意思とは無関係に、異形に変えられてしまった魂。誰かを傷付ける事など、望んでいなかっただろうに。
     薙乃のバスターライフルから放たれた光線が円盤状に広がり、デモノイドの肌に黒い筋を作る。
     少しでも早く、終わらせるのだ。このデモノイドの刃が、無辜の人々に突き立てられぬように。
    「僕はお前の『敵』……僕が裁く」
     セーメがデモノイドの傍らに迫り、槍を捻りを加えて突き出した。青い脇腹を、冷たい穂先が抉る。
    「裁きの光よ……敵に制裁を、味方に慈悲を!」
     ディートリヒの掲げた掌から鋭い光条が溢れる。慈悲の力となった光は熾を包み、彼を蝕む痛みを和らげた。望のリングスラッシャーが小さな光輪を生み、ソフィリアの側に浮かぶ。詩月の中に残っていた毒は、傑人が癒しのオーラで取り除いた。
     惡人の足元から黒い影が伸び、デモノイドの体をばくんと呑み込む。一時の拘束から逃れたデモノイドを、ザウエルの射撃が出迎えた。
     デモノイドの刃がソフィリアの肩を深く抉り、鮮やかな血を溢れさせる。盾と、守護者としての加護があるとはいえ、デモノイドの注意を引き付けている彼女と熾には、癒し切れない傷が蓄積されつつあった。
     チェーンソー剣を握り締める彼女に、晴汰が癒しを秘めた障壁を広げる。
    「俺たちが、しっかり守らないとね」
     彼に頷いて微笑を返し、ソフィリアは駆動する刃でデモノイドの傷を抉った。
     前を守る者が討たれれば、背を支えてくれる仲間を危険に晒す事になる。仲間の信に応えるためにも、倒れる訳には行かなかった。
     熾のサイキックソードが輝きを増し、光の刃がデモノイドに突き刺さる。詩月が柔らかな歌声を紡ぎ、青の巨体を惑いの淵へ誘った。
     続いてデモノイドを内から裂いたのは、薙乃の生み出した紅の逆十字。セーメが槍の妖気を氷柱へと変え、僅かに傾いだ体を貫く。青い体が、仄白い氷に包まれた。天上の歌声が鎮より響いて、詩月に加護を与える。
     ディートリヒの拳にオーラが集い、デモノイドに向けて放たれる。光弾と化したオーラは胸元に命中し、氷を散らして涼しげな音を奏でた。
     惡人の銃撃を刃で弾き、デモノイドは熾に肉迫する。細い体を鋭い一撃が容赦無く打ち据え、一瞬だけ息が詰まった。
    「手伝う……ね」
     リングスラッシャーを忙しく舞わせる望へそう声を掛けて、セーメは掲げた槍の穂先から温かな光を溢れさせる。
     熾の炎がサイキックソードに宿り、輝く刃が朱色に揺らめく。弧を描いた切っ先はデモノイドの腹を抉って、内からその身を焼いた。ぐっ、と、低い呻きがデモノイドから漏れる。ソフィリアのチェーンソー剣が、傷を更に深くした。
     晴汰が鋼糸を操る指を動かし、細く硬い糸をデモノイドに食い込ませる。薙乃の放った光弾に、傷付いた体が反った。
     体勢を崩すデモノイドの姿を、詩月の眼差しが射抜く。
     歪められた命を救う術がないなら、せめて、此処で終わらせましょう。
     彼女の歌が優しく響き、デモノイドの体が、ぐずりと溶け崩れた。

    ●藍
     娘の両親の亡骸は、寝室近くの廊下に倒れていた。手が伸ばされているのは、我が子を守ろうとしたが故だろうか。
    「これ、あの子のかな?」
     廊下の端に猫のぬいぐるみが落ちているのを見付け、熾はそれを拾い上げる。少しくたびれているが、綻びや目立った汚れは無い。大切に扱われていたのだろう。
    「優しい子だったんだろうね」
     詩月が僅かに目を伏せ、ぬいぐるみの頭を撫でる。
     熾は暫し考えた後、そのぬいぐるみを両親の間に横たえた。デモノイドにされてしまった娘の体はもうここには無いけれど、せめて心は両親と共に安らかに眠って欲しい。
    「こんな事しかできなくて、ごめんなさい……」
     失われた命へ、ディートリヒは祈りを捧げる。その傍らで、薙乃も手を合わせた。
     物言わぬ家族の姿を見ていると、目頭が熱くなる。溢れそうになる涙を堪えていた晴汰は、不意に背中に生温かい感触を覚えて振り向いた。見れば、いつの間にか後ろに立っていた望が、ぺたぺたと背中を撫でている所だった。
    「痛そうだったから」
     よく分からない事を言う少年に、そこは痛くないかなぁ、と晴汰は困ったように笑った。
     何故、この家族は壊されなければならなかったのか。何者の企てなのか。
     灼滅者達の疑問に対する解は、静けさを取り戻した家の中には無かった。
    「必ず見つけ出しましょう……こんな事件を引き起こした犯人を」
     そして、灼滅してみせる。
     黙祷を終えたソフィリアの言葉に、セーメが緩やかに頷いた。ごく普通の『家族』を壊した誰か。決して許す事は出来ない。
    「そろそろ帰ろうぜ」
     窓の外へ目を向けていた惡人が、そう言って仲間を促す。
     まだ外は暗い。けれど、やがて空は白み始めるだろう。
     夜明けは、もうそれほど遠くはなかった。

    作者:牧瀬花奈女 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月22日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
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