阿佐ヶ谷地獄~しあわせな朝の為のポルカ

    作者:日暮ひかり

     ……おかあひゃん。
     ……おとうひゃん。まだこないろ。
     おねえひゃん。ねえどこいくろ。ここ、どこ。……ぼくのうちは?

     高校生ほどの少女が幼い弟を背負い、廃墟と化しかけた早朝の街をひた走っている。
     東京都杉並区阿佐ヶ谷。
     ここは、つい昨日までそう呼ばれていた場所のはずだ。
     ぐずる弟の問いに少女は答えない。父は、さっきよくわからない何かに引き裂かれて死んだ。母は、よくわからない何かの攻撃で瓦礫となった家の下敷きとなり、やはり死んだだろう。
     信じられなかった。ただ、私は生きのびなければいけないと思った。
     一秒が刻まれる毎に、なにかが崩壊する音とだれかの悲鳴があちこちから響いた。
     すぐ隣を逃げていた人の足音が血飛沫とともに途絶えた。
     戦争。
     まるで遠いと思っていた言葉が頭をよぎった。
     命が消えていく。日常が消えていく。目を合わせたら死ぬと思ったから『よくわからない何か』が果たしてなにであるのか、少女はきちんと見ていない。
     ただ、毒々しい青の身体と、ゲームで見たゾンビのようなものが時々視界のすみで蠢くのは嫌でも見えた。
     彼らの傍には決まって血だまりがあり、両脇には潰れた家々が前衛芸術のように奇妙に連なって、そびえていた事も。

     東京都杉並区阿佐ヶ谷。
     この地獄を脱しなければならない。
     駆ける少女の背を異形の眼が捉えた。
     それから。
     ――それから。
     
    ●warning!!!
    「おい。近々、阿佐ヶ谷が壊滅するぞ」
     鷹神・豊(中学生エクスブレイン・dn0052)はやけに据わった眼でそう告げた。

     たちの悪い冗談にすら聞こえる。
     ソロモンの悪魔『アモン』によって生み出されていたはずの生体兵器デモノイドが、何故か地下鉄南阿佐ヶ谷駅から現れたアンデッドと共に阿佐ヶ谷地区を襲い、壊滅させるという不可解かつ致命的な予測が出たようだ。
     デモノイドは最初から居るわけではない。
     アンデッド達の持つ儀式用の短剣のようなもので斬られた住民のごく一部がデモノイドと化し、暴れまわり、最終的に阿佐ヶ谷が滅びるのだという。
     短剣の正体はお察しというところだ。
    「なぜこのような事態になったのかは調査中だ。我々は原因究明を急ぐので、急で悪いが君達はとりあえず壊滅を止めてきてくれないか。撃破対象はアンデッド……それにデモノイドも。容赦なく灼滅せよ」
     一部の灼滅者たちはでも、と続けようとする。
     鷹神は無言で教卓を叩いた。
     最後まで聞いてからにしてほしい。そう言いたいのだろう。
     
     明け方の街を屍の群れが行軍する。
     或る一軒家に押し入った奴等は、寝ている住人をナイフでめった刺しにする。
     血濡れの皮膚が異質な青色と化し、身体は醜く膨張し、やがて誕生した2体のデモノイドが血だまりで咆哮をあげる。
     そのとき、隣家の住人が騒ぎに気付いて起きた。
     玄関口のドアをぶち破って駆けこんだ異形に父親は驚きの声をあげる。間もなく飛び掛かられ、異形の刃が彼の身体を八つ裂きにした。
     ――――――~~!!!
     言葉にならない異形共の奇声が家の中に響く。家具や壁の破片が塵となり飛び交う中、母親は必死で裏口から娘と息子を逃がした。夫の死を見せまいとした。
    『逃げなさい。お父さんとお母さんは、後から行くから』
     母が笑った刹那、家は崩壊し瓦礫と化す。
     
     瓦礫から這い出た異形たちは、逃げる娘をわざわざ追ったりはしない。
     奴等は街の異変に気付き逃げ出そうとする人々を気紛れに殺しながら、家に閉じこもり嵐が過ぎるのを願う人々の希望を家ごと潰し、進んでいく。
     救いの一抹も残らない。
     娘と小さな息子も、結局街を抜けることなく死んでしまう。
     …………。

     エクスブレインは、それより先はいかなる質問にも答えなかった。
     ただ、齢不相応なすれた笑みを浮かべるのみだった。
    「阿佐ヶ谷……武蔵坂から近すぎると思わないか。……嫌な予感がする。鷹神は鬼畜なり悪魔なり、君達は何とでも好きに思えばいい。繰り返す。君達の力が必要だ。……灼滅せよ」
     覚悟はとうに済んでいると見える。
     そのデモノイドが元はどんな人間であったのか。
     彼はすべて知っている筈だったが、最後まで誰にも話さなかった。 


    参加者
    薫凪・燐音(涼影・d00343)
    龍餓崎・沙耶(告死無葬・d01745)
    皆守・幸太郎(微睡みのモノクローム・d02095)
    森田・依子(深緋の枝折・d02777)
    土方・士騎(隠斬り・d03473)
    阿剛・桜花(硬質圧殺粉砕系お嬢様・d07132)
    関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)
    エミーリエ・ヴァレンシュタイン(破壊的シスター・d09136)

    ■リプレイ

     夜明け前の薄明に覆われた阿佐ヶ谷の街は、まだなんとか原型を留めている。到着した八人は他の敵との交戦を避け、予知で示された道筋を一心に駆けた。やがて目的の家の屋根が見えてくる。
     八人が前の路地に辿りついた時には、支えを失いバランスを崩した家は既に崩れ落ちた後だった。
    「……お母さん!!」
     弟を背負った少女が叫び、茫然と立ち尽くしている。意を決し、駆け出そうとする少女の前にエミーリエ・ヴァレンシュタイン(破壊的シスター・d09136)が立ち塞がる。
    「待って。街は今とても危険な状態よ。無理に動かない方が安全だわ」
    「あ、貴女は……?」
    「貴方の味方よ」
     エミーリエが言い終わると、瓦礫がもぞもぞと動いた。2体のデモノイドに4体のゾンビが緩慢に這い出してくる。獲物の気配に気づくと途端に奇声を発し、敵意をむき出しにし始めた。少女の弟は恐怖に泣き声をあげ、姉の背中に顔を埋める。
     両親の命を奪った異形を前に肩を震わせる少女を背に隠し、皆守・幸太郎(微睡みのモノクローム・d02095)は下がるよう促した。
    「怖いだろうが、此処に居れば俺達が守る」
     幸太郎の落ち着いた声音に合わせ、荘厳な斬艦刀を握る森田・依子(深緋の枝折・d02777)が柔らかく笑んで見せる。迫る屍の動きを遮るように土方・士騎(隠斬り・d03473)が踏み出て、光を纏う拳の連撃を叩きこんだ。
    「露払いは私がする。子らを頼む」
     濡れ羽色のポニーテールを揺らし、肩越しに少女を振り返る。
    「君は弟を護ることだけ考えればいい。できるな?」
     少女はやや間を置いてはいと頷き、弟をけして離さぬよう背負い直した。
     腕の刃を構え走り出す異形を薫凪・燐音(涼影・d00343)が遮った。彼女の細腕が鬼の力を宿し、歪に変形する。燐音の拳が青い異形の足元にめり込み、瓦礫を砕く。その音に、もう1体が燐音の方を向く。
    「ほら、お前の相手は俺だぞ」
     薄氷色の盾で守備を固めた関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)が即座に異形の視界を塞ぐ。信を置く戦友は多い。背を預け、すべての盾となる事にもはや躊躇は無い。
     遠くで爆発音が響き、多数の悲鳴が上がった。幸太郎は耳を傾けぬよう前だけを見る。2体の異形が同時に刃を振り翳すのを見定め、澱みない動きでラベンダーの光輪を静かに走らせる。光輪と盾が、無慈悲な斬撃から燐音と峻を護ったが、衝撃は盾を貫き二人の服を裂いた。
     龍餓崎・沙耶(告死無葬・d01745)は穏やかな笑みを崩さず、負傷の深い燐音へ更に光輪の守りを与える。敵の動きを冷静に観察しながら彼女は言った。
    「ふぅん……どうやら、目の前の敵をただ殴る程度の思考しか持っていないようです」
     燐音と峻が異形を1体ずつ抑える間に屍を掃討する。まずそこからだ。
    「お久しぶり、ゾンビさん。浄化される覚悟はできてらっしゃる?」
     考えなく姉弟の方へふらふらと向かう屍共に、エミーリエがくすくすと笑みながら銃を構えた。どこをどう撃ち抜いてやるか、計算を始めながら。
    「一般人を巻き添えにした戦争なんて好ましくないわね。戦うなら、正々堂々やりましょう? 私達、灼滅者と」
     姉弟の命を絶対に助ける。その信念を胸に秘め、ここまで来た。
    「ここから先は一歩も通しませんわ!」
     赤の鎧姿も勇ましい阿剛・桜花(硬質圧殺粉砕系お嬢様・d07132)が、依子と士騎の前に仁王立ちで構えた。虚ろの霧が敵陣を覆う。依子の杖の枝先に点る閃光が爆発となり、霧を輝かせながら光が四散する。
     ――いけない。
     屍の1体が消えたと同時、依子は喉の奥にちりつく痛みを覚え、咄嗟に口を閉ざした。
     毒だ。夜霧と一体化し更に毒性を増した怨念の風が、前衛を飲もうとしている。依子の視線は、屍が振り回している例の短剣へ向けられた。
    「お二人の方へは行かせませんわよ!」
     異形の相手に集中する燐音と峻への攻撃を、桜花は一人で受けようと回りこむ。深さを何倍にも増した三人分の毒霧が身体を蝕み、全身に痺れが走った。
    「こんなもの……どうって事ありませんわ!」
     桜花は何だかすごいオーラを身体中に漲らせ、気合で風を跳ね飛ばし僅かな毒を受けるにとどめた。更に別の屍が放った士騎への斬撃を盾で受け止め、傷が開くのを回避する。これが阿剛家の気迫というものならすごい。最後まで前衛を死守する信念が娘を奮い立たせるのか。
    「一 撃 必 殺!!」
     カウンターで放つ桜花の鉄拳が、惑わす夜霧を打ち砕き屍の顔面にめり込んだ。首が千切れても平気で蠢くそれに士騎の杖が追撃を入れ、依子の剣が縦真っ二つに叩き斬る。屍はようやく動きを止めた。

     掃討が進む傍ら、全てを粉砕する異形の刃が峻の脇腹を薙いだ。斬撃どころではない。半ば打撃と化した重い一撃で、峻が軽々と弾き飛ばされ瓦礫に突っこむ。燐音は視界の端にそれを捉えた。次は自分か。涼しげな空色の眸で再び、己の前の異形を見やる。
     この中で一番年下の少女である事は、燐音にとって護られる理由にならない。皆が覚悟するならする。いや、その覚悟を、それ以上の覚悟で守ってみせる。
     神様じゃないから、少女の親の無念を晴らすなんて言えない。
     でも、皆を無事に帰す約束だけは、死んでも貫き通したいから。
    (「覚悟に歳等関係無い。ソレ理由にしたら、失礼でしょう」)
     燐音の影が異形を絡め取り、移動を阻む。峻が受けたものと同じ粉砕の斬撃が、盾の護りを貫き肩を裂く。激しい威圧感。強烈な痛み。だが影の触手は解除しない。皆の方には、絶対に行かせない。
     瓦礫から灰青色の氣が立ち昇り、峻が飛び起きる。幸太郎は二人の傷を癒す為夜霧を走らせた。屍も異形達を癒す為に霧を招く。霧が入り乱れ、深い深い朝靄と化し凄惨な戦場を覆っていく。
     それでいい。眠気覚ましには悪趣味すぎる。
    「気分が優れませんか?」
    「ああ、ちと早く起きすぎて眠くてな。困ったもんだ」
     沙耶は幸太郎に、どうぞお大事に、とのみ返し、それ以上追及しなかった。感情の読めぬ笑みを浮かべたまま、峻の相手取る異形に魔の矢を放つ。冷酷無比な切っ先で少し霧が晴れた。
     士騎を襲った屍を桜花の盾が押し返した。よろめいた一瞬の隙を、エミーリエの眸は逃さない。
    「悪魔と屍王が手を組むなんてね……ふふ、喧嘩でも売ってるのかしら?」
     未だその裏は不明だが、どちらもシスターの宿敵。ゆえに取る手段は浄化のみだ。
     どこを撃ち抜いたら良いかは計算済みだ。1発――もう1発いける。二連の魔法光線の光を浴び、黒のシスター服が一瞬白みを帯びる。眉間と心臓を見事に撃たれ、屍は奇声をあげながら昇天した。
     残る1体を杖で打ち、依子は抑えの二人を見やった。体力で一歩劣る燐音が苦しそうか。
    「そろそろですね」
     大事な決意をするように息を深く吐き、彼女はその先の『元人間』を見つめた。
     程なくして、エミーリエの銃が最後の屍も撃ち抜く。
    「楽しかったわ。さよなら」
     腕が震えるのは反動のせいだけではない。銃さえあれば、彼女にとって戦場こそが天国だった。

     ――――~~!!!
     言葉にならない異形の奇声が響いている。不敗の暗示で与えた傷が癒え、腕の筋肉がみるみる膨張し破壊力を高める。屍の残した夜霧のせいだ。
     先に燐音の方を手伝ってくれ。
     峻がそう言ったのは少し一人になりたかったからでもある。自分だけが、願望を捨てきれずにいると知っていた。
    「デモノイド。お前は人に戻りたくないのか?」
     異形達の答えは無い。代わりに絶対不敗の咆哮が二つ重なって響いている。先程までと同様に。
     …………。
     捨てるのが下手だから、彼はいつも一つ余分に傷を作る。薄鈍の弓を引き絞る背は頼もしげに映った。矢を射る顔は、見えない。
     澄んだ青の軌跡を残し、矢は異形の腕を貫く。抑えの支援に駆けつけた桜花が、鋼の拳で追撃を入れた。こんな事もあろうかと用意していたブレイクで、敵の強化は完全に砕かれた。彼女は屈託無い笑みでばしんと峻の背を叩く。
    「よくここまで頑張りましたわね! 後は私達にお任せですわ!」
     峻は苦笑いで返す。励ましは身体の傷にとてつもなく効いたが、お陰で救われた。もうどれだけ傷ついてもいい。
     打撃より重い痛みの代わりに得たのは、鷹神が泥を被ってまで隠した真実の一部。
     2体同時に相手取る必要がある時、呼びかけが届く事はけして無かった。

    「止めねばならん」
     時を同じくして、士騎の唇の端を血が滑った。未だ体内に残る毒が身を蝕んでいる。決意の証である殺人刀を吠え続ける異形へ突きつける。混ざり合う二つの叫びが彼女には慟哭に聞こえていた。
     辛かろうに。少女は幸太郎の背に隠れながらも、身を守る為顔をあげている。弟はもう泣く元気も失ったようだ。
     デモノイドも、姉弟も、仲間も、皆が哀しみ苦しんでいる。
     幸太郎も、いつもの眠い顔の下にやりきれぬ思いを抱えていた。
     姉弟の命を救う為、誰もが痛みに耐えている。だが異形の下に隠れた顔を知れば、この姉弟は泣き叫び止めるだろう。己を鬼か悪魔と思うだろう。
     世界が不条理で理不尽なのも、変えられない運命がある事も判っていた。しかし、これはあまりにも――。
    「どうしましたか? 戦いに集中して下さい」
     顔には出ないが幸太郎ははっとした。前線に出れぬ沙耶は少し退屈そうに回復に徹している。
    「ああ……何にせよ、やることは一つだ」
     幸太郎の夜霧が深みを増し、辺りは夢の中のようにぼやける。士騎は静かに瓦礫を蹴り、背後へ回った。曇りなき刃に背を裂かれ、頭を垂れた異形の額目がけて依子は野獣の如く跳躍し、大人しい文学少女の容貌にそぐわぬ豪快さで躊躇なく杖を振り下ろす。救う方法を示せない現状に折り合いはつけたつもりだ。籠めた魔力が暴発し、異形の口から炎が噴き出た。
     鋼鉄拳のブレイクを警戒し、彼らは即効性のある追撃サイキックと、砕かれる以上の速度で補充される盾エンチャントを徹底的に用意したのだろう。幸太郎の夜霧が撒く妨害効果とそれが上手く絡み、単純な力量差を埋める冴えた戦法となった。
    「苦しいですよね……ごめんなさい。でも、斬ります」
     森には獣が潜む。悶え苦しむ異形と、崩れた家を眼鏡越しに見る依子の瞳は、ふっきれたように穏やかで強い。
     これ以上、街も、心も、命も……壊させない。何一つ救われない戦場では終わらせるものか。
     急激に傷つき始めた異形達は、命を奪う刃を振るい始める。
    「噂以上の強敵ね……まあ、それくらいじゃないと、こっちとしてもやりがいがないけれど!」
     そのしぶとさと破壊力は再びエミーリエの腕を震えさせた。暫く戦いは平行線のまま続いたが、やがて燐音に限界が訪れる。一瞬の隙を突かれ、拳が腹にめり込んだ。盾が砕け、骨の軋む音がした。異形が僅かに息を漏らした。二発目の気配を察し、咄嗟に鬼の腕を突き出す。拳を押し返し、燐音は素早く飛び退いた。今は生きて帰るときだ。皆にも己にも、帰りを待つ人がいる。
    「下がります!」
    「ようやく私の出番というわけですね」
     沙耶はすらりと刀を抜きながら前へ進み出た。回復を絶やさぬよう、護り手の消耗時は1ターン1組のみ前後衛を入れ替える。異形の攻撃は後衛に届かない。手数で劣る彼等にはだめ押しとなった。
     エミーリエの銃撃が轟き、依子の拳が遂に異形の1体をよろめかせた。沙耶は微笑みを湛えたままに走り込み、その首筋にそっと刀をあてがう。彼女には唯の仕事だ。豆腐でも切るような軽さで首を落とされた異形は、一瞬聞き取れない奇声を発しぐずぐずと溶けていく。
    「遅いですわ! 倒しちゃうかと思いましてよ」
     異形の斬撃を盾でどうにか受けながら、駆けつけた仲間達に桜花は強がりを言う。峻は心なしかぼんやりした瞳で待ってたぞ、と浅く笑った。散々瓦礫に突っこんだ彼らの負傷は深い上、余計なかすり傷だらけでひどい有様だが。幸太郎は紫の光輪に念を送り、淡々と峻の傷を塞ぐ。まだ戦闘不能は出ていない。これは並大抵の事でなく、一点の隙もない以上の戦術が導いた結果だ。
     影に捕縛され多数の攻撃を受けながらも、異形はがむしゃらに刃を振るった。生きたいとあがいているようにも見えたし、何も変わっていない気もする。覚悟を終えた灼滅者たちには意味の無い事だ。
    「終わりにしよう」
     士騎の殺人刀は夜霧に濡れて鈍く輝いていた。せめて親であったかもしれない彼だか彼女の為、未来を生きる子を活かす。この剣に刻んだ答えはその為のものだ。
    「私も答えよう、鷹神君」
     ――私にできることは、共に痛みを分かつくらいだ。
     士騎の言葉や峻のした事を聞けば、先輩達は俺の想像を超えるお人好しだと彼は驚き、悲しみ、少し怒り、微かに喜ぶだろう。
     濡れた刀は泣いているようにも見えた。涙を断つ刃は死角から異形の喉を貫き、今度は断末魔すらも殺した。慟哭は響く事なく、人であった何かが静かに溶け去っていく。濃霧がうっすらと晴れ始めていた。

     デモノイドの消滅を待たず、峻は瓦礫の山へ走った。
    「私もお手伝いしますわ!」
     その思惑を察し、桜花も後を追う。必死で瓦礫をどける二人を少女は暫し茫然と見ていたが――やがて、ぼろぼろと声無く泣き始めた。未来予測には無かった顔だ。
    「……くそっ!」
     峻の一声が答えだった。桜花はやりきれなさに歯を食いしばり、血塗れの拳で地を殴りつけた。痛いほどの悲しみが場を覆う中、沙耶だけが真っ直ぐなふたりを憐れむように見据える。それはけして共感でない、全く別の哀情だ。
    「人はいつか死にます。『彼ら』にとっては、それが今だっただけですよ」
     厳しい言葉の全ては沙耶なりの、慮る所あっての言葉かもしれない。泥沼のように穏やかな笑みを湛え続ける美しき暗殺者から、真意を窺い知る事は誰にも出来なかった。
    「……さて、長居は無用ですよ。このタイミングでの大規模行動。陽動か、戦力の増強か、いずれにしろきな臭いです。そうでしたね?」
     沙耶は続ける。静かに腰を上げた二人の胸中を思い、依子は地に転がった例の短剣へ視線を移した。持ち帰れば回収の追手が来ない保証が無い。唯せめてと、剣で潰し叩き壊す。いつか訪れる救いを信じ、悲しみの連鎖を断つ。
    「罠かもしれない。監視や追跡者の影に注意して行こう。……君、走れるか」
    「……はい」
     士騎へ頷き返した彼女を中央に守り、十人は阿佐ヶ谷脱出を目指し駆け出した。大丈夫。必ず護るから。燐音が傍につき励まし続ける。
     少女のポケットには、幸太郎が渡したいつもの缶珈琲が入っている。
     何かを飲むというささいな『日常』の欠片は、今は自分より彼女に必要だ。弟と共にゆっくり取り戻してくれる事を願う。口に出すのは恥ずかしかった。
     死と隣り合わせの朝が終わる頃、珈琲は目覚めの一杯に使われるだろう。
     それは起こり得た未来のうち、最も幸せなものの一つに違いなかった。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月22日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 11
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ