阿佐ヶ谷地獄~アンジュ・プルランの声

    作者:西宮チヒロ

    ●Morendo
     夜の果てに、白が滲む。
     鳥の囀りで目が覚めた。身体を起こし、ぼうとする意識のまま、ベッドの傍らに置かれた鏡を見た。
     映りこむ少女は、見目が抜きんでて秀でているわけでもない、至って平凡な顔立ち。
     けれど美羽は、自分で一番だと思う笑顔をひとつ、鏡へと向ける。
    「今日こそ、言うよ」
     胸の内に眠る想いに気づいてから、もう2年。
     未だに、わたしの声は言葉にならない。
     幾度となく伝えようと思ったけれど、その度に意気地のないこの心は縮こまって、わたしは言葉をなくしてしまう。
     音にならなかった想いが募れば募るほど、胸にはこんなにも、言葉が溢れていくというのに。
     けれど、それも今日でおしまい。
     2年前の今日、先に卒業していってしまう彼の背を見ながら気づいたこの気持ちを、今日こそ伝えよう。
     いつものように、お弁当を作って。朝練に出るであろう彼を迎えに行って、そうして届けるのだ。ずっとずっと、言葉にならなかったわたしの声を。
     美羽は、意を湛えた瞳をひとつ瞬かせると、手早く着替えを済ませた。紺色のセーラー服。この制服も、もうそろそろ着納め。来月からは、航平と同じ学校のブレザーを着て──そうして変わらず隣を歩いていられれば、どんなに幸せだろうか。
     落ち着かぬ気持ちのまま、階下へと降りる。途端、激しい音を伴って玄関の扉が開かれた。
    「──!?」
     眼前に飛び込んで来たのは、朽ちながらも尚動く屍たちと、薄暗い視界に一閃する光。一拍遅れて、激しい痛みが全身を襲った。一瞬にして抜けていく力。胸に深々と突き立てられたナイフを伝い、赤赤とした血が床へと流れてゆく。
     それが、最期に見た景色。

     わたしの声は、言葉にならなかった。
     
    ●Precipitando
     誰もいない音楽室。
     硝子越しに白み始めた空を見つめていた小桜・エマ(中学生エクスブレイン・dn0080)は、不意に届いた幾つかの足音と声に気づくと、掌の音楽プレイヤーを止めた。イヤフォンを外して振り向くと、縦に緩く巻かれたミルクティ色の髪をふわりと揺らしながら、ちいさく会釈する。
    「朝早くからありがとうございます。ゆっくりと話している時間も惜しいので、早速本題に入りますね。
     ──アンデッドたちが、阿佐ヶ谷に現れました」
     その数は、数え切れぬほど。
     地下鉄『南阿佐ヶ谷駅』から現れた彼等は徒党を組み、そのまま阿佐ヶ谷の市街地の住居に進入。今も尚、住人の殺戮を繰り広げているという。
    「そして……彼等に攻撃された人の中から、デモノイドも現れ始めているんです」
     攻撃されれば大抵の者が死んでしまう中、一部の人間がデモノイドに変化するのだと少女は言う。
     本来、デモノイドはソロモンの悪魔『アモン』により生み出されたもの。
     だが、今回は何故かアンデッドによる攻撃で生まれているのだ。
    「アンデッドたちの武器は、何かの儀式に使われそうな短剣なんですが……もしかすると、この間ソロモンの悪魔の配下たちが行ってた儀式で使われてたのと、同じものかも……」
     桜色の指先を唇に当てて僅かに考え込むも、エマはすぐに灼滅者たちへと視線を戻す。
    「いずれにしても、このままじゃ阿佐ヶ谷付近の壊滅も時間の問題です。急いで現地に向かって──彼等を、止めて下さい」
     
     視界を、緋が埋め尽くす。
     噎せ返るような腐臭と、血の臭い。住宅街のあちらこちらにある庭の緑は斑な赤に染まり、無数の血を吸い、黒く濁ったアスファルトの路を、無数の屍人が埋め尽くしている。
     屍人が、意味もなく民家から引きずってきた骸を血溜まりの海に落とした。隣の家から悲鳴が響く。瞬間、窓硝子へと大量の血飛沫が飛び散り、そして声は止んだ。
     中心に在る一際大きな影は──デモノイド。
    『ダ……、……カ……』
     かつて少女だったそれの口許から、言葉にならない声が洩れた。
     
    「愛知県の事件では、デモノイドとなった人を救うことはできませんでした。でも」
     デモノイドとなったばかりの今なら、もしかしたら。そう言って、エマは灼滅者たちの瞳を見つめる。
     可能性は、本当にごく僅か。
     それでも、通じるとも知れない言葉を掛け続けたならば──。
    「……確証はありません。ですから……私は、皆さんに託します」
     どうか、お気をつけて。
     仲間たちの背を見送りながら、エマはそう祈るように掌を重ね、指輪に触れた。


    参加者
    神薙・弥影(月喰み・d00714)
    仙道・司(オウルバロン・d00813)
    村上・忍(龍眼の忍び・d01475)
    宇佐・兎織(リトルウィッチ・d01632)
    天咲・初季(ブルームスターマイン・d03543)
    百枝・菊里(アーケインワーズ・d04586)
    メルキューレ・ライルファーレン(教会の死神人形・d05367)
    淳・周(赤き暴風・d05550)

    ■リプレイ

     苛烈な一撃が、再び宇佐・兎織(リトルウィッチ・d01632)を襲った。
     容赦なく振り下ろされた蒼い巨腕。
     初手は喰らってしまったその一撃を、二度目は確りと魔女杖で防いだ。短く洩れる声。フードについたうさ耳を揺らしながら耐えるその傍らで、淳・周(赤き暴風・d05550)もまた、屍人の刃を両手に纏った炎で受け止める。

     現地は酷い有り様だった。
     阿佐ヶ谷は血塗れの街と化した──。そうエクスブレインから伝え聞いてはいたものの、うっすらと明け始めた澄んだ空の許、噎せ返るような血のいろと臭いは、まるで悪夢であった。
     百枝・菊里(アーケインワーズ・d04586)の助けも得ながら、天咲・初季(ブルームスターマイン・d03543)はパニックテレパスで周囲の住人へと屋内への避難を呼びかけたが、そのときも今も、生きる者の姿は見えない。声が届いたのだと、急ぎ駆けつけたことでひとつでも護れた命があるのだと、神薙・弥影(月喰み・d00714)はそう祈らずにはいられなかった。
     代わりに、対峙すべき相手は容易く見つかった。
     日常から解離した風景の中央に蒼き巨体を見留めた村上・忍(龍眼の忍び・d01475)は、身を屈めて一気に路地を駆けた。嫋やかな金糸を靡かせながら、腕に宿した闘気で低空に緋の一閃を描くと、
     ──さあ、『敵』は此方ですよ……!
     幾度目かの路地を曲がったところで、その拳を民家の塀へと激しく叩きつける。
     瞬発的な破壊音は、デモノイドたちの気を惹くため。
     そして懸念するまでもなく、策は成功した。振り向く巨体と屍人たちの姿に、灼滅者たちは改めて身構える。
    「ボク、美羽さんを助けたい……! 助けて、告白させてあげたい……!」
    「司さん……」
     仙道・司(オウルバロン・d00813)の──妹のような幼馴染みの、そのちいさな拳が震えていた。憤りやりきれぬ想いは、忍もまた同じ。
    「……そうですね。まだ、人間に戻れるかも知れません」
     絶対出来る、と断言を躊躇う。それでも、真っ直ぐに見つめる藍の瞳には一切の迷いもなく、忍は静かに頭を振った。
    「やってみましょう」
    「はいっ……!」
     微笑む忍へ瞳を煌めかせると、司は大きくひとつ頷き、解放の言葉を明瞭なる声で紡ぐ。
    「救いの時は来たれり、Now The Time!」
    「いと高き神よ──私は喜び、誇り御名をほめ歌おう」
     同じく言を重ねたメルキューレ・ライルファーレン(教会の死神人形・d05367)の制服が、たちまち真白な法衣へと転じた。

     そうして至った、今。
     誰も、デモノイドはおろか屍人たちにすら手出しはしていなかった。
     ──大切な人と大切な想いがあるのでしょう。思い出して!
     最初に発した菊里の声に、ほんの僅かではあったがデモノイドの──美羽の動きが止まったように見えたからだ。
    「何か心に引っかかってることがあるから、完全にデモノイドになってないんじゃないかな?」
     兎織の疑問。それは仲間たちにとっての望みであり、希望の一欠片であった。
     ここで攻撃をしてしまっては、いくら重ねたとて、言葉なぞ通じやしない。
     少しでも戻れる可能性があるのなら、出来る限りのことを試したい。試さずに諦めることなど、したくはない。
    「ねぇ……っ、キミのお名前は──……!」
     そう発した瞬間、兎織は陰った頭上に気づき、反射的に身を翻した。一拍遅れ、少女が直前まで居た場所に美羽の拳が突き刺さる。
     ほんの僅か、だが確かに一瞬遅れた動きは、やはり躊躇いを帯びているように思えてならない。
     語りかけようとする仲間を、地上では周たちが、空では初季たちが支え、そうして自ずと皆、防戦に徹しながら灼滅者たちは言葉をかけ続けた。
     誰が言い出したわけでもない。
     けれど、元より誰も先制攻撃を仕掛けようと思っていなかったことも功を奏したのだろう。先走る者もなく、ただ美羽を助けたいという一心で、ひたすらに耐えながら懸命に呼びかける。
    「その大切な想い、伝えないまま諦めるの!?」
     美羽の動きを見つめていた、その間を付いて屍人の繰り出した切っ先が弥影の脇腹を捉えた。皮膚を断ち、深く肉を抉った冷刃はすぐさま引き抜かれ、代わりに傷口を凄まじい熱が襲う。
    「弥影さん……っ!!」
     上空を旋回していた菊里が、すかさず喚び起こした内なる闇を弥影へと注ぐも、全快までは至らない。痛みを堪えながら掌で脇腹を押さえる。屍人さえも今は美羽の仲間。ならば今はまだ、反撃はすべきではない。
    「美羽さん、告白、するんでしょうっ! その決意を忘れないでっ」
    「そうです! 気持ちは声にしないと伝わらない! 航平さんを好きだという気持ちを、伝える前に忘れてはいけません!」
    『……ッ、ゴ……ェ……!』
     司とメルキューレの叫びに、美羽の口元が僅かに動き、音が洩れる。

     ──コウヘイ。

    「なあ、今、航平って……!?」
     空耳でもいい。周は思わず口端を上げると、仲間を振り返った。飛行し、より美羽の頭上近くにいた菊里もまた、大きく瞳を見開く。
     瞬間、美羽の咆吼があたりへと轟いた。
     藻掻き苦しむかのように頭を抱えるも、やおら顔を擡げたかと思えば、その巨腕が一気に振り下ろされる。右へと薙いだ腕はメルキューレを身体ごと捉え、ブロック塀へと叩きつけた。
    「メルキューレ……!!」
     咄嗟に割って入った周は、その身を盾として仁王立つ。背に広がり靡く髪が、未だ暁も見えぬ景色に澄んだ緋色を添える。迷いなどない。この身は、この力は、仲間を、誰かを護るためにあるのだから。
    「大……丈夫、です。負けません! ……無事に帰ると、約束しましたからっ!」
     肋骨を幾つかやられたのだろう。たまらぬ激痛に胸を押さえるも、けれどメルキューレは顔を上げた。軋む四肢に力を入れ、半ば無理矢理身体を起こして立ち上がると、再び美羽へと視線を向ける。
     蒼き異形は、血塗れの海で再び啼いた。
     腕を振いながら、脚を振り下ろしながら。絶えず牙の並ぶ口元から洩れる声は、まるで嗚咽のようで、その物悲しげな響きに菊里の眸に憂いが滲む。
    「泣いて……いるの……?」
     気づいてしまったのだろうか。
     足許に広がる血に。
     己の手でつけてしまった、無数の傷に。
     そうして気づいて、それでも止まらなくて、止められなくて、どうしようもできなくて、もうやめてと、これ以上誰も傷つけないで、と。そう泣き叫ぶ声に聞こえて、たまらず初季は声を荒げる。
    「美羽ちゃん……! ねぇ! 本当はこんなこと、したくないんでしょ!? 幸せを、大切なものを、自分で壊したりなんてしないでよ!」
     けれど少女のものならざる腕は、再び無慈悲にも兎織を襲った。防ぎきれなかった衝撃が、肉を割き骨を砕いて、黒ずんだ地面に新たな紅花が咲く。
    『……コ……シ、ェ……』
     微かに零れた声。
     それはまるで死を望んでいるかのようで、兎織が悲痛な色を浮かべてがむしゃらに叫ぶ。
    「っ、ダメだよ……! 暗い心に負けちゃダメなんだよっ……!」
    「そうだよ! 止めてほしいって、思ってるんでしょ!? 私達が絶対に止めるよ。だから、あなたもがんばって。負けないで!」
     諦めたりはしない。
     手放したりはしない。
     そう声を振り絞る初季の傍ら、屍人からの攻撃を躱しながら、メルキューレが、弥影が強く語りかける。
    「苦しいでしょうけど自分を見失わないでください! 絶対に助けますから!」
    「貴女はまだ戻れる可能性がある、例え僅かだろうとその可能性を信じて!」
     必ず戻れるとは言えない。
     けれど、可能性がある以上は足掻いてみて欲しいから。
    「そうですよ! ボク達が貴方を元の姿に戻して必ず助けます! それをどうか信じて!」
     この手で助けられるものは全て救う。
     その意思を瞳に宿す司の隣で、忍も静かに口を開く。
     辛い記憶を抱えて生きろとは言わない。
     けれど、このままでは異形として記憶され、異形として死んでゆくのみ。
     だからせめて──人として。
    「どうか抗って下さい、貴女の望みを思い出す事で! 今まで大切にして来た想いと共に生きるか……せめてそう試みて、人として死ぬ為に! 損する事など何もないのですよ……美羽さん!」
    「なあ、美羽! てめぇは生きたいんじゃねぇのか? 生きて、また未来を作りたいんだろう?」
     たとえヒーローたる周とて、誰かの代わりに生きることなぞできはしない。
     だからこそ、伸ばされた掌はいつだって取りたい。
     もし、此処にあったはずのささやかな幸せがまだ救えるのなら、それに全力を賭す。
    「なら、怖がるな。畏れるな。望んでみろ。アタシ達が助けるから!」
    「美羽さん、私たちと帰りましょう……好きだと思える人が待つ日常へ」
    「だから今、心に浮かんでること、強く意識して……!」
     メルキューレに続き、兎織がそう祈るように両手を重ねた瞬間──、

    『──タス、ケテ』

     戦場に響いた、それは少女の、確かな声。

    「美羽さん……!!」
    「よっしゃ! 助けるぜ! 苦しんでいる人がいるなら助けに来るのがヒーローだからな!」
     言葉となった声に周が声を弾ませれば、司の双眸にもまた、光が宿る。
    「今すぐ助けます! 少し痛いかと思いますが……でも、想いは力に変わるから。だから」
     航平さんへの気持ち、強く持って。
     あなたの素敵な笑顔を、もう一度彼に向けられるように。
    「嘆きの天使よ。その悲しみの声を、ボクは止めましょうっ!」

     皆が、仲間を見渡した。互いに頷く。──あとはただ、討ち伏せるのみ。
     真っ先に飛び出したのは弥影だ。絶対に助ける。その心のままに一気に間合いを詰めると、朱なる十文字槍を捻りながら屍人の胸を深く穿つ。
    「人の幸せを最低な方法で砕くとは許せねえ! ……が、今は目の前の悲劇をぶち壊すのが先だ!」
     口端を上げて笑みを刻むと、周は塀に足を掛けて頭上高く舞い上がった。身を反転させながら屍人の背後を取ると、重く激しい炎撃でガードもろとも屍人を上空へと吹き飛ばした。
    「ダークネスにいい印象を持ったことなんてないけど、あえて言うよ……今回は怒ってるんだからね!」
     戦空から敵を睨め付けると、初季は片手に握りしめた槍へと湧き上がる怒りを注ぎ込むと、まるで獲物を狩る大鳥のように屍人めがけて滑空した。風を軋ませ、唸りをあげながら突き出された槍刃が、屍人の身体を貫く。
     美羽の抑えにまわっている兎織と司へと目礼すると、菊里は箒で戦場を回り込み上空へと舞い上がった。静かに怒りを滲ませた双眸が映すのは、眼科に広がる血染めの街。今回の一件──ソロモンの悪魔がアンデッドと手を組んだことを示すのだろうか。
    「……でも、今は目の前に集中ね」
     逡巡は一瞬。思考を切り替えると、菊里は艶やかな髪を後ろへ払った。指輪の煌めく指先をメルキューレへと向け、その身を蝕んでいた傷と痛みを瞬く間に癒せば、白銀の少年が放った弾丸たちは屍人たちの身体へと無数の風穴を空ける。
    「忍おねえちゃ……忍さん、そこですっ!」
     口をついて出てしまった、懐かしい呼び名。すぐさま言い直す幼馴染に淡く微笑むと、忍は眼前に無数の魔法弾を召喚した。司が指さす方、張り巡らされた鋼糸の合間を巧みに擦り抜けた弾丸が、哀れな屍人へと襲いかかる。
     たとえ傷と疲労が蓄積されていたとしても、呼気の合った灼滅者たちの前では、もはや屍人は無力な躯に過ぎなかった。確実な一打を重ねた末に、最後の1体が跡形もなく塵と化してゆく。その様を確りと見届けると、少年少女たちは静かに美羽へと振り返った。
     美羽たるデモノイドが、轟くほどの咆哮をあげる。
     それは美羽が放った声ではなく、確かに異形のものであった。けれど、気のせいか悲壮感はさほどない。まるで待ち望んでいるかのような、そんな期待感さえあった。
    「いくよ、美羽さん!」
     灼滅者たちが、一斉に地を蹴った。
     四方から、そして空から。残る蒼き巨躯へと、力を、技を解き放つ。
    「ごめんね。ちょっとの間、我慢するのだっ」
     兎織の盾による、強烈な一撃。大きく揺らいだ巨体を司の鋼糸が絡め取ると、周の、忍の炎拳が同時に見舞われた。火に飲まれた蒼き影がたまらず振り下ろした腕を躱した弥影は、脇から懐へと入ると幾重も連打を叩き込む。再び、逆方向へと揺らいだ影めがけ、初季の魔矢が、メルキューレの弾丸が、一閃を描きながら戦場を迸った。
     あと一手。
     そう見て取った菊里が、再び戦空を駆け抜ける。腕を喰らうように纏った縛霊手を突出し、一瞬にして展開した魔法陣の向こうに、美羽の姿を映した。
    「あなたの想い、こんなところで終わらせはしないわ」
     そう開いていた掌を握りしめれば、眼には見えぬ何かが、たちまち蒼き巨人のすべての熱を奪い去る。
     瞬間、蒼を包み込んでいた氷が、硬質な音を立てて砕け散った。
     氷が、そして蒼い皮膚が音を立てて零れ落ちてゆく。まるで孵化のような光景の奥、崩れそうな影を見つけて、灼滅者たちは慌てて駆け寄った。
    「美羽!」
    「美羽ちゃん!」
    「美羽さん!!」
     倒れ込んできた少女へと、菊里が微笑みながら両腕を伸ばす。抱きとめた肩を忍がまた支え、ゆっくりと横たえて抱き抱えた。不安を滲ませながら集う顔ぶれの中、うさ耳を弾ませた兎織が覗き込む。
    「あっ……息、してるよ……!」
    「良かった……」
     初季も緊張していた面持ちを和らげると、もう一度美羽の様子を窺った。今日だけで色々なことがあったのだ。無理に起こすのは酷と言うものだろう。
    「まだ何か悪影響があるかも知れませんね……一度学園へ連れていきましょうか」
    「うん、そうだね」
     穏やかに微笑み頷くと、弥影はふと視線を移した。乾き始めた血溜まりに光る何か。それが屍人の手にしていた短剣と気づくと、同じく視線を向けていたメルキューレが拾い上げる。
    「これが、例の儀式用の短剣でしょうか」
    「解らないけど……念のため、持ち帰っておきましょう」
     弥影の提案に、初季も首肯しながら顔を近づけた。
     それが本物であろうとも、異なるものだとしても、なんの理由もなく阿佐ヶ谷の日常を壊したのは、これほどにもちいさな短剣。
     そんなちっぽけなものが、あの異形を生み出した。
    「あいつら……尻尾見せたら絶対にぶちのめす……!」
     言葉を失うメルキューレと弥影に、周はやり場のない憤りをあらわにした。怒りのままに震える拳に、力を込める。
    「頑張りましたね……美羽さん」
     司が、深く眠る少女の頬を撫でる。
     きっと、告白も上手くゆく。
     何故なら、名は力。美しき羽は、地平の彼方へと航する力となって、言葉にならなかった天使の声は、いつか大気を震わせ音となる。

     忍は眦を緩めると、祈るように、囁くように声を零す。
    「……どうか、生きて下さい」
     この先、どれほどに辛く悲しいことがあろうとも──皆が、あなたの力となるから。

    作者:西宮チヒロ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月22日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 5/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 2
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