●予兆
始まりはとても静かだった。
早朝と呼ぶにも躊躇いの残る暗がりの中、『それら』は現れた。
某地下鉄の駅から、ぞろりぞろりと這い出してくる。
途切れることなく続くその光景は、まるで不気味そのものだ。
当然ながら、『それら』は地下鉄の利用者などではない。
闇に紛れ動く姿は人のようで、しかし、生身の人間とは決定的に違う。
ある者の血肉は腐りかけ、またある者は肉が剥がれて黄ばんだ骨がむき出しになっている。
だが、『それら』の中にそんなことを気にする者はいない。
なにせそういうものなのだ。
気にする方がどうかしているし、気にすることができるような頭も心も、とうに機能を停止していた。
だから『それら』は、与えられた指令を為すべく淡々と動く。
その手に握りしめられるのは、其々に独特な雰囲気を纏うナイフ。
誰もが所持しており、持っていない者などいやしない。それがなくては目的を達成できないのだから。
相も変わらず、駅の出口からは屍たちが吐き出され続けている。
一体、どれだけ現れたというのだろう。
やがて『それら』はある程度まとまりあうと、無数の徒党に分かれ、寝静まった街へと広がっていく。
全てを壊し、絶望へと導くために――。
●予知
「阿佐ヶ谷にデモノイドが現れた」
帚木・夜鶴(高校生エクスブレイン・dn0068)は、ずばり端的に事件を語った。
表情こそ崩れていないものの、それほどに差し迫った状況なのだろう。
集まった灼滅者をざっと見回すと、すぐに説明を再開する。
「デモノイドは覚えているな? ソロモンの悪魔『アモン』によって生み出されていた筈の存在なんだが……今回の元凶は悪魔じゃない」
一瞬の間を開け、夜鶴は続けた。
「その出所は『アンデッド』――」
彼らの襲撃が元凶だ。
「どうやら彼らは皆が皆、儀式用の短剣と思しきものを装備しており、それで攻撃を受けた者の一部がデモノイドとして覚醒するらしい。儀式で短剣といえば、以前、悪魔の配下たちが行っていたものとの関連性も気になるが……こちらは裏付けがあるわけでもないからな」
まずは、目の前の事件である。
「事は急を要する。取り急ぎ、阿佐ヶ谷へ向かってくれ」
●悲劇
廊下に点々と零れる液体。
寝室に出来上がった紅色の染みは、時間とともに黒ずんでいく。
ベッド脇のデジタル時計には『03:58 AM』の文字。
つい五分前、この家に起きている者はいなかった。
そして今、この家には生きている者がいなかった。
闇をつんざく金切声はもう聞こえない。
足音も悲鳴も呻き声も、全てはとっくに途切れている。
赤子を庇うように抱き被さる母親。
子供部屋の前で、中へと手を伸ばすように倒れた父親。
そして、その部屋では真っ赤に染まった布団の上に、少年が小さな身を横たえていた。
誰もが深い眠りについている。
呼吸も忘れるほど、深い眠りへ。
そのことを確認すると、血塗れた刃を握った『それら』はゆらりと背を向け動き出す。
何も起こらない以上、もうここに用はない――はずだった。
「ア――――……」
ふと、静寂を破った小さな声。
動き出した『それら』は立ち止まり、ゆっくりと後ろを振り返る。
そちらにあるのは子供部屋。
声は、中から聞こえている。
「アアアア――――ァッッ!!!!」
骨の軋む音がした。
筋肉繊維の切れる音がした。
常人ならば耳を塞ぎたくなるほどの状況下で、『それら』は黙って事を待つ。
間違いない。
これは『成功』だ。
未だ明けぬ闇の中で、蒼き獣が目を覚ました。
●幕開
「このまま放っておけば、阿佐ヶ谷地区は壊滅する」
夜鶴は、はっきりと断言する。
だからこそ、行かねばなるまいと。
けれど、油断はするなと。
「……阿佐ヶ谷は武蔵坂からあまりに近い。深読みなどしたところで仕方がないが、気は抜くなよ」
皆が無事であるために。
「そして、どうかこれ以上の被害を食い止めてくれ」
言って夜鶴は灼滅者たちを送り出した。
参加者 | |
---|---|
ピアット・ベルティン(リトルバヨネット・d04427) |
シルバ・アルバラード(愚昧な・d05064) |
灰咲・かしこ(宵色フィロソフィア・d06735) |
フランキスカ・ハルベルト(フラムシュヴァリエ・d07509) |
ルリ・リュミエール(バースデイ・d08863) |
黒蜜・あんず(帯広のシャルロッテ・d09362) |
下総・水無(フェノメノン・d11060) |
紅月・燐花(妖花は羊の夢を見る・d12647) |
●
『地獄絵図』――。
そんな言葉が、生々しい響きをもって下総・水無(フェノメノン・d11060)の胸を過る。
無秩序に破壊された玄関。
廊下を辿る汚れた足跡。
だが、それを拭う人など最早いない。
噎せ返るような血の匂いが、この場を支配していた。
それは、ほんの先刻まで誰かがここで生きていた証――。
「……許し難い」
フランキスカ・ハルベルト(フラムシュヴァリエ・d07509)が憎々しげに洩らす。
胃の中身がせり上がってくるようなこの感覚は、決して周囲に充満する匂いの所為などではない。
「ア、アァ……――――」
廊下の奥から苦痛にも似た呻き声が聞こえる。
そして続く、引きずるように重い足音。
ずる、べた、べた、べたん――……ぐしゃんっ。
突然の破壊音に、ルリ・リュミエール(バースデイ・d08863)は思わず目を閉じた。
砕ける音。
潰れる音。
そっと目を開けた先では、複数の影たちが蠢きながら近づいてくる。
五つの屍と蒼の獣――なのに、その足は赤く濡れていて。
その理由など、考えたくもなかった。
「今ここで……貴方を止めます!」
心を決めて、ルリは構える。
だが、あちらの方が速かった。
振りかざされたナイフが呪いを呼び、締め上げるような竜巻が灼滅者へ襲いかかる。
それはまるで、犠牲者達の悼みのように。
「あんたたちは、許さない……!」
斬り裂く痛みをものともせず、黒蜜・あんず(帯広のシャルロッテ・d09362)が風の中を突き進む。
沸き上がる感情の全ては、拳に乗せて。
強烈な一撃とともに揺らいだアンデッドの懐に、すかさず水無が踊り込んだ。
「死人に歩き回られては、迷惑なのですよ」
そんなことでは、殺し屋稼業が成り立たない。
冷淡な言葉とともに突き上げた槍は屍を貫き、今度こそ、それを本当の死体へと変える。
どさりと崩れゆく身を尻目に、彼女は素早く身を引き――しかし、獣の速度が僅かにそれを上回った。
「オ、オオオォォォォ!」
振り上げられた蒼き腕が、彼女を薙ぐ。
咄嗟に展開したシルバ・アルバラード(愚昧な・d05064)の障壁も間に合わない。
軽々と飛ばされる水無の身体に、誰もがその威力を思い知る。
二度目は、耐えられないと。
すぐさまフランキスカが水無を癒すと、灰咲・かしこ(宵色フィロソフィア・d06735)はその動きを牽制すべく弾を放つ。
「グアァォォォッッ!」
痛々しい叫びに身を捩る姿はまるで幼子そのもので、かしこの深い瞳が微かに翳る。
だが、感傷に浸っている暇はない。
間断なく襲い来るナイフに、紅月・燐花(妖花は羊の夢を見る・d12647)はその身を滑らせ、盾となって受け止める。そして、その陰からはピアット・ベルティン(リトルバヨネット・d04427)が飛び出した。
「出し惜しみはしないの。全力で行くの!」
捻じり込まれる魔槍。
その隙にルリが燐花の傷を塞げば、癒えると同時に燐花も続く。
「滅びの音色よ、我が身に宿れ」
構えたギターを搔き鳴らし、守りを固めるとともに音波を撃ち込むが、敵に倒れる気配はない。
どころか、二体の屍が揃って灼滅者達へ駆け出した。
「そうは、させないよ」
シルバが割り込み堰き止める。されど、彼一人で二体はさすがに厳しい。流れた一体は、そのままピアットに襲いかかる。
「――ッ!」
「ピアちゃんの傷はルリが!」
「承知した!」
ルリの声にフランキスカが応え、光輪と流星の矢が次々と飛び交い傷を癒す。
しかし、受けるつもりで身構えていた者と、攻撃の為に常にその姿勢を特化した者では傷の深さが違う。ピアットの傷は、癒えきらない。
それでも、数を減らさぬことにはじり貧だ。
「ブリュレにしてあげる!」
あんずの振り翳した炎がアンデッドを焼き尽くし、焦げた異臭だけが後に残る。
これで、ようやく二体目だった。
●
呼吸を整え、燐花は周囲に清めの風を巻き起こす。
回復量としては微々たるものだが、それでも皆の体から緩やかに毒が抜けていく。
かしこもブラックフォームで自己強化を済ませると、再び心を引き締めた。
敵は四体――油断は出来ないが、無意味に恐れる必要も無い。
軽く地を蹴り、一気に敵との距離を詰めた水無に、同じくピアットも走り出す。
二人が拳を構えれば、あとは一瞬の出来事だった。
挟撃、衝撃、そして迸る魔力の爆発。
耐えかねた死体が床に転がる。
屍はあと二体。
カウントダウンを進めると同時に、シルバは展開した障壁で殴りつける。瞬間、反射のように振り上がったナイフが弧を描き、深々と彼の胸を抉り裂いた。
服の上から、どろりと浮かび上がる鮮血。
すぐに飛び出したルリの光輪が盾となって彼を庇い、傷を癒す。
だが、回復したのはこちらばかりではなかった。
アンデッドのナイフから、とめどない夜霧が溢れ出す。
「そんなことで、逃れられるとお思いで?」
行く手を遮る霧を突き抜け、燐花は小さく目を細めた。
解き放つは鬼神の力――振り下ろされた異形の腕に、あんずが続く。闘志を纏った拳を絶え間なく撃ち込み、あと一歩にまで追い詰めた。
途端。
「ーーっ!」
凄まじい衝撃音と共に、彼女を掠めるように蒼い腕が叩き落ちた。
当たらなかったとはいえ、歪に破れた床板に思わずぞっとする。
「すまない。……しばし、大人しくしていてくれ」
かしこは全ての感情を無表情の奥に仕舞い込み、足元で眠る狼を呼び起こす。
闇よりも深い影が口を開け、蒼の獣に頭上から喰らいついた。
「ガアッッ―――!」
怯んだように身を反すと、獣は見えない何かに抗うように、のたうち回る。
影が引き出した彼のトラウマとは、果たして――。
フランキスカはきゅっと唇を引き結び、矢を番える。
詮無きことに思いを巡らすよりも、まずは務めが優先だ。
「疾く駆け、我が敵の罪を祓うべし。貫け!」
放たれた矢は一直線に屍の胸を射抜き、損じることなく撃ち仕留める。
そして、最後のアンデッドの懐へと水無が身を潜らせた。
的確に、そして何より迅速に。
処理とも呼べる手際の良さでその身を穿ち、ぐらりと倒れかけたところをシルバの影が縛り上げる。
逃がしはしない。
身動き一つも、許さない。
微動だにすら出来ぬそれを、ピアットは真っ直ぐに見据え、容赦なく踏み込んだ。
小さく、けれど、キツくキツく握りしめられた拳。
そこには語りきれない想いが山ほど詰まっている。
『すぐそばに家族がいる』という、ただそれだけの日常。
それを手放したい人なんて、それが奪われていい人なんて――!
「これで終わらせるの!」
無数の拳は、途切れることなく撃ち込まれた。
●
全ての屍が無に帰すと、灼滅者の前には蒼き獣だけが立ちはだかる。
それは、ただ一人取り残された存在。
「汝に罪無し、されど、汝が罪を犯さんとするは見過ごせぬ」
低く唸り上げるデモノイドに、フランキスカが告げる。
聞こえているか、届いているかなど定かではない。
それでも――否、だからこそ、だろうか。
「祓魔の騎士・ハルベルトの名に於いて、汝を解放する!」
フランキスカがその身の炎を叩きつければ、熱に抗うようにデモノイドは腕を振り上げる。
邪魔なものはどうするか――壊すことしか、それは知らない。
「……なんて、惨い話なのだろうね」
ぽつりと小さくかしこが零した。
けれどそれは聞く者もない独り言。
素早く指先を動かし糸を繰ると、高く掲げられた腕を縛り上げる。
空中に捕われた腕は行き場を失い、一瞬生まれる僅かな隙――ほんの刹那にすぎぬそこへ、すかさず前衛たちが飛び込んだ。
撃ち込まれる拳。障壁。
冷気の氷柱がその身に埋まり、螺旋を描く槍はそこを貫く。
あらゆる意味で、長期戦を望むものなど誰もいない。
有利だとか不利だとか、そんなシンプルな理由じゃない。
ただ、あまりにも悲痛なその姿を見ていたくはなかった。
燐花は異形の腕を携えると、とうに失われたはずの何かを探るようにデモノイドを見据える。
歪みのもとに生み出された蒼き存在。
元に戻したいと願うことは――もしもの可能性を祈り、力をかざすことは間違っているのだろうか。
「ガァアアアアアァァァァ――!!!!!!!」
振り下ろされた腕と同時に轟く、一際高い咆哮。
それは大きく空を仰ぐと、その巨躯からは計り知れないほどの速さで突き進む。
一直線に、倒すべき灼滅者たちを目指して。
「――――ッッ!!」
咄嗟に割り込んだシルバは、闇雲に暴れる獣を抱えるように受け止める。
痛かった。
重かった。
苦しかった。
どうして、この子が――?
とめどない疑問はぐるぐると頭を巡り、決して消えることがない。
でも。
それでもひとつだけ、たしかなこと。
「何が何でも……皆を、護るんだ……っ!!」
強く誓い、シルバは全身でデモノイドを押し返す。
満身創痍はどちらも同じ。
違いといえば、癒してくれる仲間の存在くらいで――。
「ルリには、なにもできないのかな……?」
ぼろぼろの身体で踏みとどまるシルバに、ルリが手早く治療を施す。
ただひたすらに、もどかしかった。
何も救えないのかな?
誰も助けられないのかな?
逸らさず上げた視線の先では、傷だらけのデモノイドがゆっくりその身を持ち上げる。
もう、力ずくで止めるしかない。
ピアットは槍を握る手に力を込める。
頭ではずっとわかっていた、『灼滅』というたった二文字の選択肢。
少年がこれ以上大切なものを壊さぬように、一刻も早く彼を解放するために――覚悟なんて、とっくに決まっている。
ただ、悔しいのだ。
倒す事でしか終えられないという事実が。
「――……っ」
突き立てた槍から伝う重い手応え。
悶えるように揺れる蒼き巨体。
水無も魔槍を構えると、凝らせた冷気を撃ち込んだ。
どうしようもなく戻れない存在に為すべきことは、彼女とて冷静に認識している。
どんな悲哀も憐憫も、目の前の存在を救う糧にはなりえない。
だから。
「……御機嫌よう、さようなら」
そう言って別れを告げるしか、ないではないか。
「ガ、ァ……――ッ!」
掠れたようにデモノイドの声が洩れる。
だが、剥き出しの敵意も突き刺さるような戦意も薄れはしない。
むしろ時が経てば経つほどに、それは色濃くなって。
「もう……っ」
小さく呟き、あんずはその身に熱を纏う。
力強く飛び出せば、途端、威嚇するように獣が吠えた。
「グオオォォォォォォォオオオ!!!!」
聞こえないはずがない。
痛いほどに空気が震える。
その振動に何も感じないといえば嘘になる。
それでも、ここで立ち止まるわけには行かないのだ。
拳を握り。
引いて。
撃ち込んで。
「ガアァアアアアッ――…………、ハ……、……――ッ!!!!」
見事に入った渾身の一発。
獣は苦しげに息を詰める。
――――『帰りたかった』。
どろどろと崩れ出すデモノイドに、あんずは大きく目を見開く。
勿論、そんな言葉が聞こえるはずはない。
それは記憶のリフレイン。
過去に対峙したデモノイドの最期の言葉が、痛みとともに蘇る。
帰りたかった。
友人の元に。
恋人の元に。
家族の元に。
大切な、あの人の元に――。
べちゃりと嫌な音がして、蒼色の肉塊は完全にその形を失う。
からんと虚しい音がして、戒めの金属が床に転がる。
もはや獣も、獣をつなぐ鎖も失われた。
なのに、長い夜はまだ明けない。
「…………お空では、幸せになりますように」
重い沈黙を静かに破り、シルバはそっと花を手向ける。
為すべきことは成し遂げた。
報告書には、『成功』の文字が綴られるのだろう。
だが充足感も充実感も、ましてや満足感などあるわけもない。
胸にわだかまるこの感情は、なんと呼べば事足りるのだろう。
ピアットはそっと瞼を落とすと、罪もなく途切れてしまった命たちへ黙祷を捧げる。
どうか、どうか。
(「――……安らかに、お眠り下さいなの」)
この仇は、絶対に。
久遠とも思える深い闇は、きっとみんなで斬り裂いてみせるから。
「……戻ろう」
かしこが言う。
ここから、程遠くない学園に。
その意味するところは未だ読み切れない。
ただ一つ言えることがあるとすれば、この緊張を切らすわけにはいかないということくらいだ。
皆は無言のままに頷きを返すと、やがて、ひとりふたりと、静まり返った家をあとにする。
そして浴びる、外の空気。
もうすぐ冬も終わるというのに。
もうすぐ夜が明けるはずなのに。
今日のそれは、やけに冷たく感じられた。
作者:零夢 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年3月22日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 3/感動した 7/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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