阿佐ヶ谷地獄~蒼ノ牢獄、紅ノ世界

    作者:那珂川未来

    ●嘆きは紅に染まる
     人が殺されてゆく。
     街並みは蹂躙されて、その面影を全て無にされてゆく。
     ああ、ここは血の海で。
     死体が積もる大地で。
     化け物になった人たちは、誰かを手に掛けなければならない永遠の地獄に囚われて。

     私は、イつまでコの醜い肉ノ中で嘆き続けていられル……ノ……ダ……ロウ……。
     
    ●迫る地獄
     机には紙の山が置いてある、というよりはぶちまけられていて。それに取り囲まれるように腰掛けている、髪の色も身なりもちょっぴり派手な男は、
    「待ってたよ、灼滅者サン」
     人が入ってきた気配にくるりと顔を向けると、サングラスをちょいとずらして紫の眼を晒す。変声期がまだなのか、高い声が何処となくミスマッチだ。
    「今回、皆に行ってもらう地区の解析担当、エクスブレインの仙景・沙汰(高校生エクスブレイン・dn0101)だよ。よろしくネ」
     するりと机から降りて、
    「じゃ、解析の結果を説明させてもらうけれど……」
     そう言ってばらまかれた資料の中から必要なものだけを選びとると、沙汰は先程のでの軽い雰囲気を完全に沈黙させ、きりりとした表情で、今回始まる惨劇の予測の説明を始めた。
    「鶴見岳や愛知県周辺にも出没していたデモノイドのことはキミ達も知ってるよね? 因みにオレはつい先日報告書で知ったんだけど……」
     転校してきたばかりの沙汰の周りにある半分以上は、どうやら今までのデモノイド事件に関する資料の様だ。見た目のチャラさにおける信頼性の低さを、勤勉さで補い、信頼を得たいという努力の表れなのか。
    「実はさ、杉並区阿佐ヶ谷地区に大量のデモノイドが現れて、阿佐ヶ谷地区が壊滅させようとしているみたいなんだよ。だから、超特急で現場に向かってもらって、この場所に出現してしまうデモノイドを倒してほしいんだよね」
     沙汰は現地までの地図を開いて見せて。現地までの最短距離を示す道筋もマーカー済みだ。
    「今回のデモノイドは、愛知県における暴走とか、鶴見岳でソロモンの悪魔に使役されていたこととまた違うっぽい。何故かっていうと、アンデットが持っているナイフに刺されることによって、デモノイドが誕生するんだ」
     アンデッド達は、儀式用の短剣のような物を装備しており、その短剣で攻撃されたものの中からデモノイドとなるものが現れるらしい。
     んーと、沙汰は考え込むように首をかしげながら、
    「まだまだ未確認なんだけどさ。少し前にソロモンの悪魔の配下達が行っていた儀式に使われていた短剣と同様のものなのかも……」
     どのみち現場に行けば何かわかるかもしれないねと沙汰。 
    「とりあえず今は、これ以上の被害を生み出さない事が先決だね。アンデッドと、そして生み出されてしまったデモノイドの灼滅をお願いするよ」
     初めての依頼に係わった人が、怪我なんてしてほしくないから。沙汰の差し出した手書きのメモ用紙には、敵の能力が記されている。
     
    ●蒼は魂の牢獄
     とある阿佐ヶ谷の住宅。彼女は掛けてあったエプロンを身に付けると、楽しそうに冷蔵庫から卵を取り出した。
     今日はどんなお弁当を作ろうかと考えていると、まるで塀に車でも衝突したような音が聞こえてきて。
    「え、やだぁ……もしかして事故でも起きた?」
     リビングのカーテンを少し開けて、音の方向を探労使した時。
    「きゃあーーーーーー!?」
     そこに、何かが張り付いていた。
     血まみれで、息も絶え絶えの、お隣に住む、まだ若い自分たちを孫のように可愛がってくれる老夫婦だった。
    「は、早くここから逃げなさ……」
     ひぃひぃと、喘ぎながらも、お婆さんは可愛がっている夫婦にせめて危機を知らせなければとやってきたけれど。
    「阿佐ヶ谷の街は……も、もう……ばけ……」
     真っ赤な手形を残しがくりと事切れるお爺さん。お婆さんも、ふらりと真横に倒れてしまって。
     その向こう、明らかな人外が存在していた。ゾンビだった。よく映画で見たことのある形そのもので。
    「――なかん凄い音がしたな……」
     ねぼけ眼で起きてきた彼女の旦那は、呑気に挨拶をしながらリビングへと。
    「あ、ああ……だ、ダーリン……」
     もうどんな顔をしていいのかわからない。なんといったらいいのかわからない。目の前に起こっている現実が受け入れられない彼女は、ゆるりゆるりと後ずさりしたあと、夫の腕の中へと飛びついて。
    「どうした、そんにお……」
     夫が目を見開き悲鳴を上げたのはすぐ。命の危険を感じて、共に逃げようとしたけれど時すでに遅く。
    「うっ……」
     彼女は、ゾンビに背中を刺されたのだ。
     普通なら血があふれ、死にゆくはずの肉体は、呪いに囚われ変質のスイッチを無理矢理押された。
    「あ、あああ……」
     自分の腕が、まるで化け物のように太く変質してゆく。そしてそれは自分の意思に反して獲物を探るように動き出し、彼女は夫から飛び退くと、ぷるぷると震えながら絶叫した。
    「にげ――ガ、ガグガガギギッッ!」
     言いきる前に、言葉は、声は、異形へと。体毛に覆われてゆく顔から、涙のように無理な変形によって生じた体液が溢れ――。
     
     ああ、逃げて逃げて逃げて逃げて。殺したくない殺したくない。
     誰か助けて――私が……ワタシガキエル。

    「ひぃぃぃぃ、な、なななな、ナユ!?」
     完全に腰の抜けた夫は、逃げることすらままならず――。
     化け物と化した妻と、そして腐敗した存在に、その命を消されようとしている。

    ●魂の行く先
     これから向かう先に起る出来事を話し終えると、沙汰は地図に目を落とす。
    「可哀想だよね……せっかくダーリンと一緒になれたってのにさぁ……」
     サングラスの奥、雨雲のように悲しみを湛えた瞳を隠すように、ブリッジを押し上げる。
     今までたくさんの犠牲になった人を救うことができなかったもどかしさと、その怒り、悲しみ、解析しかできない自分に悔しそうに唇をかみしめて。
    「まだ人の意識は残っているんだよ。それなのに、大好きな人を殺める瞬間まで魂に焼き付けなくちゃならないなんて――今までは救う手だてなかったけれどさ、でも、デモノイドとなったばかりの今なら……」
     どうにか元に戻してあげる方法はないのだろうか。声が届けばあるいは。そう沙汰は小さな希望を口にするけれど。それがどれほど難しいことなのか分かっているから。小さく首を振って。
    「ごめん。まず今は、救える限りの人の命を守る事だったよね。危険な依頼だけどさ、気を付けていって来てよね。また、この教室で会おうよ」
     それがオレ達の関係だからさ。そう言いながら沙汰は笑みを浮かべ。せめて彼女の愛した人だけでも助けてあげてほしいと。
    「待ってるよ」
     


    参加者
    白・朔夜(迷い込んだ黒兎・d01348)
    枷々・戦(左頬を隠す少年・d02124)
    日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)
    川西・楽多(ダンデレ・d03773)
    桃野・実(瀬戸の鬼兵・d03786)
    黛・藍花(小学生エクソシスト・d04699)
    神代・煉(紅と黒の境界を揺蕩うモノ・d04756)
    逢瀬・奏夢(番狗の檻・d05485)

    ■リプレイ

    ●地獄の中
     瓦礫と血肉が散乱する中、傾いた街灯が不規則に点滅している。濃い闇を切り裂きながら住宅を燃やす炎。クラクションが抑揚のない音を延々と叫び続け、電線が火花を振りまきながらアスファルトの上を踊っている。
     地獄へと様変わりした阿佐ヶ谷を目の当たりにして、黛・藍花(小学生エクソシスト・d04699)は顔を微かにしかめた。あまりにも酷な現実に、こんな惨状を生み出しダークネスへの憤りも募る。
    「救える人を、救うべき人を一人でも多く……」
     僅かな可能性があるならば、全力で掴みに行きたい気持が、最悪の足場を駆け抜ける力になって。
    「絶対に、助けましょうね……」
     自身に誓うように、そして仲間と気持を重ねるように言いながら、白・朔夜(迷い込んだ黒兎・d01348)は決意新たに件の住宅へと飛び込んだ。
     リビングでは、生まれたばかりのデモノイドが、内から溢れ出る力に歓喜するように咆哮を上げていて、すでにその腕は強烈な破壊力を練りあげる苛烈な突きを打ち出さんばかりに膨れ上がっている。
    「止めますですよっ」
     身軽で小柄な日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)は、荒れたリビングの中を危なげなく駆け抜け旦那を庇うように前へと。桃野・実(瀬戸の鬼兵・d03786)も霊犬クロ助と共にひっくり返ったソファーを軽々と乗り越え、藍花のビハインドも両翼を担うように続く。
    「旦那さんは殺させやしません、僕たちが護ります。だからあなたも必ず、旦那さんの元へ帰ってくるんです……!」
     デモノイドと旦那の射線を塞ぐように川西・楽多(ダンデレ・d03773)は立ちはだかって、言葉を投げかけて。
    「さ、早く」
     デモノイドの気はこちらが引きますからと訴える楽多に、逢瀬・奏夢(番狗の檻・d05485)は頷くと、とても一人では歩けそうにない旦那に肩を貸してあげて。
     一秒でも早く安全な場所へと移動するため、多少引き摺る様な形で玄関へと。
     デモノイドがその太い腕を突き出してきた。
    「愛する人をその手で……なんて事、絶対にさせたくありませんです!」
     咄嗟にかばいに入る翠。鋭い一撃は、翠が踏ん張りきれぬほどの破壊力。これでも急所は外しているのだから、デモノイドの破壊力は、生まれながらに完成していると言えた。だからこそ翠はその意識を自身へと向かせたのに、咄嗟に放てる攻撃は神薙刃とフォースブレイクのみ。
     シールドバッシュの活性化ミスは正直痛いが、悔やんでいる場合ではないとカミの風を呼び寄せる。
    「ナユさん、いまならまだ間に合います! あなたの愛する人達を……その人達の事だけを強く思ってくださいです!」
     神薙刃を打ち込んださらに先の魂に訴える翠。風が吹き抜けた瞬間、ゾンビから血が飛ぶ。瞬間、デモノイドが雄叫びを上げた。
     灼滅者の戦闘の意思に反応したかのように、デモノイドが明確に破壊の本能を湧き上がらせ、ナユの魂を押し黙らせるように凶暴さを完全覚醒させる。
    (「早くしないとナユの命が危ない……!」)
     いきなりの危険信号に、神代・煉(紅と黒の境界を揺蕩うモノ・d04756)は早急なゾンビの排除を狙う。
     武具之影-無相-を槌のように変化させると、それをカミの刃にくらりとよろめくゾンビへとそれを打ちつける。
     朔夜が解き放つシールドリングの後押しを受けながら、実は浜姫を手に、デモノイドへと肉薄。
    「男の人は無事だ。ちゃんとここから離れてる。俺達はあんたに武器を向けてる、それはあんたをその青い化け物から引き剥がす為だ。助けたいけど、それはあんたが自分を忘れない事が一番大事なんだ。だから闇に溶けるな」
     今助けだすから。実が至近距離で放つご当地ビーム。デモノイドの意識を時に強く向けることに成功し、枷々・戦(左頬を隠す少年・d02124)の放った制約の弾丸が蒼い肉の中へと割り込んだ。
    「奥さん、少し我慢してくれ」
     前衛陣を襲ったデモノイドの毒霧の下をすり抜ける様にして戦は近づくと、ジグザグラッシュで穿った力を増殖させて。
     藍花はターゲッティングされたゾンビへと斬影刃。闇が薄い刃となってゾンビの体を切り裂いて。しかしまだ倒れず踏ん張るゾンビへ、
    「行って、1秒でも早くアレを殺して」
     ビハインドが口元に笑みを湛えながら霊障波を。
     だがかばいあうゾンビたちに、二人の攻撃は分散。集中打で一気に落とせないのが辛いところ。
    「お前らに構ってる余裕は無いんですよ……!」
     的確に弱っているゾンビを探り当て襟をつかもうとしたが、即座に出てきたのは最もダメージの少ないゾンビという事実。
    「全力で行きます、よ!」
     ならば強打で一気に落とす。
     楽多はそのまま脳天から叩き落とす様に地獄投げ。砕ける頭蓋。とはいえ相手はゾンビ。残った力だけを頼りに立ちあがろうと。
    「どうか倒れてください……」
     ならばこちらはサーヴァントによる回復の手厚さを生かして戦いましょう、朔夜の掲げた手から放たれた光は、敵の天頂を埋め尽くす。
     セイクリッドクロスの輝きに、頭蓋を無くしたゾンビは消し飛んだ。

    ●君の声
     玄関に退避の成功し、奏夢まだ気が動転している旦那を落ち着かせるようにしながら、
    「良く聞いてほしい。ナユをこっちに戻すにはお前の力が必要だ。いや、お前にしか出来ない」
     奏夢の言葉に顔を上げると、
    「可能性はゼロじゃない。あんな姿になってもお前を愛した人だ。まだ彼女の意識が残っている可能性が高い。これからしたい事でも何でもいい。声をかけてやってくれないか?」
     短い時間で、どれだけ旦那を説得できるか。この重要な役を担う奏夢の目は、想いを伝えられるように真剣で、力強く。
    「本当に?」
     両手に縋りつく旦那の目は、真剣だった。
    「声が届けば戻るかもしれません。戻ってもらいましょう……? 大切な、人なんでしょう……?」
     後衛位置にいる朔夜へは、そのやり取りは明確に伝わっていたようで、実へシールドリングを展開させながら言葉を添えて。
     後押しに頷く旦那。協力を得たことを確信して、奏夢はすぐさま前線復帰を。翠に続き煉の斬影刃に切り裂かれたゾンビへとシールドバッシュを打ちつけ、その体を吹き飛ばす。
     残るは一体のゾンビも虫の息だが、デモノイドを担当している実の体力も心許なくなっているのは薄明だった。怒りを与え一人で受け持つのは、長期戦はになると致命的な怪我に繋がりかねない。実はサーヴァント使いの制約が身に掛かっているため余計だ。
     決して倒れさせまいと、回復を重ねるサーヴァントたち。奏夢と翠の攻撃も、ディフェンダーとしての動きも、力が入る。
    「させん」
     吠えたけるデモノイドの一撃を肩代わりし、血に濡れる奏夢だがすれ違いざまにギルディクロス。クロ助やキノ、ナノナノが必死に癒しの力を届けようとふわふわの癒しと清き輝きを実と奏夢に届けて。
    「消えなさい」
     藍花の指先から放たれる弾丸と、ふわりと舞いながら放つ霊撃が、ゾンビの体に鮮血を咲かせて。
    「あとは、お前を引き剥がすだけだ!」
     先程与えたレーヴァテインの炎を広げる様に、影業を大きく展開させ薙ぎ払う戦。奏夢の合図に、旦那は張り裂けんばかりの声で呼びかけ始める。
     その言葉を遮らぬよう注意しながら、楽多は内に閉じ込められているナユを呼ぶ。
    「旦那さんの声が聞こえますか? あなたが帰ってくることを願う、あなたを世界一想う声が!」
    「オレ達とナユ、アンタの最愛の人が必ずその牢獄から連れ出してやる」
     漆黒の槌を形成し、叩きつける煉。
    『グアアアアア!』
     再びぶち当るレーヴァテイン。そして重なるプレッシャーに、怒り狂ったように叫び声を上げるデモノイド。
     けれど止まらない。
     微塵も怯まない。
     声が届く様子はなく、衰えるどころかますますその本質を開花させてゆく。そしてこれほどまでに肉体を追い詰められようと、決してナユの魂を噛みくわえたまま離そうとしない。
    「ヤバイ。このままじゃ」
     切り刻まれてゆく希望に、戦は焦りを隠せない。
    「くそぅ」
     何故届かない。普段は口数少ない実も膨れ上がるデモノイドの意思に苛々を口にして。
     何が悪かったのか。誰もが考える。
     ゾンビを排除し、説得の場を整えることを優先して攻撃を仕掛けてしまい、デモノイドの戦闘本能を煽ってしまったのが良くなかったのか。
     暴走し、殺気の膨れ上がったデモノイドを止めるすべが倒すことしかないのなら、我が身傷つこうとも先にナユの意識を強く引き出すことが先決だったのだろう――。
     だからって、諦めたくなかった。ナユが倒れる、若しくは自身が倒れる最後の瞬間まで。
    「オレは……オレ達はそんな事認めはしない!!」
     煉はきつく拳を握りしめる。 
    「アンタの大切な彼は絶対に殺させない。そしてナユ……アンタも死なせない! そのまま死なせてなんかやらないからな」
     まだ意識があると信じ、たった一つの可能性がある以上。煉は喉が潰れんばかりの声で叫び続ける。
    「だからアンタも全力で抗え! 彼を殺したくないと言う叫びに偽りが無いなら……殺さなくて良い様に帰って来い!」
     引きずり出してでもナユを助けたいという意思の表れだった。
     しかしその気迫のこもった叫びも、デモノイドのひときわ大きな咆哮がかき消してしまう。
    「この!」
     早く砕かねば。それが単純な焦りにならないよう努めながら煉は、その想いをのせた一撃を。
     煉のロケットスマッシュで体全体が激しく振動したように見えたが、ナユの意思が浮上しそうな気配はない。
    「……戻るんだって、元の自分に戻って大事なものを全部取り戻すんだって、そう願って下さい」
     藍花は叫び続けながら制約の弾丸を撃ち放つが、嘲笑うようにデモノイドが鋭い突きを打ってきて。
    「頼む、何とか元に戻ってくれ! 少しでも可能性があるなら、頼むから……!」
     悲痛な思いで、攻撃を繋ぐ戦。その穢れた肉だけを焼き焦がす様に放つレーヴァテイン。デモノイドの肌の上に深緋が吹き上がる。
     ――お願いします。お願いします。お願いですから戻ってください――。
     朔夜はきつくそう願いながら空間に奏でる旋律。
     赤く染まる世界に慈悲が響く。
    『ガッ……ガッガッ!』
     音波によって砕けた皮膚の裂け目へ、翠が打ち込んだフォースブレイク。激しい振動に身を折るデモノイドへ、楽多は間合いを詰める。手加減攻撃で、この醜悪な牢獄を割り、なんの罪もない彼女を救いだそうと。
     そしてもしも彼女が助かったなら、その体を受け止めてあげることもできる様に。
     ボロボロであろうとも、飛び込んできた獲物に機械の如く反応を見せるデモノイド。届く前に叩き潰そうと手を振り上げる。
     リーチは確かにデモノイドの方があった。
     しかし、どうしても救いたいという楽多の強さは、それを上回った。
     叩き潰そうとした両腕は空振りし、完全にがら空きとなった胸元へと、楽多の拳がしたたかにめり込んだ。
    『ガッ――!!』
     外皮は吹き飛び、胸から腹にかけて肉が完全に抉られ消える。
     けれど――。
     必死になって掴み取ろうとしたものはもう消えていて、そこに残っていたのはからっぽの絶望だった。
    『ダ……』
     デモノイドが腹を上にしてひっくり返る。
     ぴくぴくと痙攣し、その闘争本能はようやく終焉を迎えたのだ。
     楽多は顔を伏せ瞑目し、そして、がくりと崩れると無言で打ち震えた。

    ●悪夢の終わり
    「くっ……」
     戦はきつく拳を握り、思わず外壁を叩いた。煉も悔しさに唇を噛み、奏夢は瞑目する。
    「……私たちの想いは……」
     無情にも届かなかった想いに滲む涙、藍花は声を押し殺して。
     助けられなかった。
     あと一歩のところで、手が届かなかった。
     その現実に勝利を得ながらも打ちのめされそうになる者もいて。
    『ガ……アア……』
     デモノイドの指先が、必死に何かを探すように蠢いた。それは崩壊したデモノイドに抑えつけられていた、欠片ほど残っていた意識だった。
    『ア……ダ――』
     それはもうぐちゃぐちゃの顔で運命を呪い、全てを責める旦那へと、水分を失った砂のように音も無く崩れて行く腕を伸ばし、ひたすら最後の瞬間に抗いながら、
    『ダー……ヲ……助テクレて……アりが……と……』
    「奥さん……なのか?」
     そろそろと近づく戦の言葉に反応を示す余裕も無かったのだろう。ただ、ほとんど彼女の声に近いそれは、もうそよ風にすらかき消されそうな声で、
    『ダー……みンナ……自ブ……恨ン……ダメ、よ……?』
     言い終えた瞬間、消えた。
    「……ああ」
     最後の言葉を受け取った彼は、何もなくなった庭の真ん中で崩れると、堰を切ったように泣き叫んだ。
     わんわんと泣き喚く旦那の背中を見て、奏夢は唯一の肉親とも言うべき傍らのキノへと視線を落とす。
     奏夢は思う。彼はこれから、自分のせいで家族を失ったと責めながら生きてゆくのだろうか。自分の気持が足りなかったのだと悔やむのだろうか――。
     だからだろう。ナユは、そうなってほしくないから、恨むなと最後に残して。
     恨むなと言われても、それに苛まれるだろう。けれど肯定感を残してくれただけで、心の重荷はそれが支えてくれるのだろう。だからどうかそうあってほしいと願うこと、それはこちらの都合のいい幻想なのだろうか――。
     この近くに他のデモノイドやゾンビは見当たらないが、それでも長時間留まるのは危険。翠はそっと、旦那の肩を叩き、安全圏への退避を求めた。
     せめて、彼の命だけは、本当に安全な場所まで付き添うのが、此処に来た自分たちの役目。それを全うするのが義務なのだと感じているから。
     旦那はしばし妻が消え去った場所を、がりがりと爪で掻きむしっていたが、ようやくふらふらと立ちあがった。

     彼等は無言で旦那を支え、崩壊した世界の下を歩く。
     失意に暮れる旦那へ掛ける声を考えあぐねていた時、不意に向こうが声を漏らした。
    「……せめて魂だけは人に戻ることができましたよね? ナユは、化け物じゃなく、人のまま死ねたんですよね……そうですよね……?」
     もちろんまだ納得なんてしていないだろう。けれど彼の中では、そう思わずにはいられなかったのだろう。そうしなければ、折角傷付きながらも頑張ってくれた灼滅者に対する感謝の気持ちを失い、自分の方が化け物になってしまうと、妻の言葉で気付いたから。
     最後に残した人の記憶、人としての言葉、それを頭の中でリフレインしながら、旦那はまた顔をくしゃくしゃにして、泣き出した。
    (「……だから、灼滅者でいたいんだよ。人をこんなゴミみたいに扱う奴らには、なりたくねぇんだよ……」)
     旦那の健気さに余計、悔しくって、居た堪れなくって、実は血の味を噛みしめた。

     阿佐ヶ谷に、太陽の光が照らし始める。
     この惨劇は少しずつ終息に向かっているものの、これにまつわる新たな激動を予感しながら、灼滅者達はひとまず帰路につく――。

    作者:那珂川未来 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月22日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 13/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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