阿佐ヶ谷地獄～未明に出でし

■リプレイ

●光はどこに
　未だ明けやらぬ空の下、漂うは死の匂い。この街にうごめく闇の眷属は果たしてどれほどの数なのか。
「全く素敵過ぎて反吐が出ますよ」
　未明の死地を駆ける高瀬・薙（星屑は金平糖・d04403）の手に携えられた槍の名もまた未明。
　そう、ここは死地だ。町のそこかしこに破壊の爪跡が見て取れる。
　神堂・律（悔恨のアルゴリズム・d09731）の眉間にしわが寄る。
「街壊滅なんざ、冗談じゃねぇ」
「絶対に許せません、何としても阻止しますっ」
　翠玉の瞳を細め、穂之宮・紗月（セレネの蕾・d02399）は足を速めた。
　ここには、平穏な生活があったはずだ。平凡で幸福な朝を迎えるための健やかな眠りの時間だったはずだ。それを。
　胸中に渦巻く思いはすべて前へ進む力に変えよう。
　大きく割れた窓。靴の裏で砕けたガラスが耳障りな音を奏でた。
　踏み入れた部屋にむせかえる血の匂い。おびただしい赤が床と壁を彩る。
　けれど足は止めない。
　この先に、まだ救えるかもしれない命がある。
　崩れた扉をくぐり、海保・眞白（真白色の猟犬・d03845）は眉をつりあげた。
「助けられる可能性があんなら諦めねェ……！」
　アンデッドが振り返る。
　その奥にうごめく青。
　大きな爪を備えた足がクリーム色のカーペットを踏んだ。盛り上がった肩から千切れた布団が落ちる。
　片隅に置かれたランドセルが、目の前の青い生き物がまだ年端も行かぬ少女なのだと告げていた。
「ねえ、貴女のお名前は？」
　武器を構えたアンデッドには目もくれず、夕永・緋織（風晶琳・d02007）はまっすぐに『少女』を見つめる。穏やかな声と表情で。
「覚えている？　両親が付けてくれた、大切な贈り物よ」
「グ、ゥアァ……ッ」
　ぎこちなく開かれた口から零れたのは獣のような唸り声。
　それは少女の答えだったのか、デモノイドの産声だったのか。
　太い腕が振りあげられた。
　鉤爪を振り下ろす動作がどこか苦しげに見えるのは願望かも知れない。それでも佐々・名草（無個性派男子(希望)・d01385）は両腕を広げる。
「助けに来たよ」
　振り下ろされた剛腕をライドキャリバーの轟天が受け止める。ホイールが大きくきしんだけれど、大丈夫だとでも言うように傾いた車体を起こした。
　アンデッド達が迫る。
　濁った声を上げてナイフを振り上げる。突き出した指から光線を放つ。
　腕をかすった光に柳眉をしかめながら逆霧・夜兎（深闇・d02876）は見た。デモノイドが一瞬だけ震えたのを。
　――まるで、怯えたように。
「回復は任せるぞ、ユキ」
　後方で名を呼ばれたナノナノが羽ばたいた。
　頷き、夜兎は顔を上げる。冷静に状況を判断すればこそ、彼は鋼糸を握る手から力を抜いた。
　新城・七波（藍弦の討ち手・d01815）が目を見開き、やがて頷く。
「今回こそはきっと」
　愛知県で灼滅したデモノイドは、最期に人としての言葉を紡いだ。そこに心が残っていることを知った。繰り返すまい。今度は、こちらから声をかけるのだ。
「僕の声が聞こえますか。あなたはまだ戻れるはずです！」
　デモノイドの咆哮が未明の町に響き渡った。

●光を信じて
　眞白の腕に衝撃が走った。白い髪が夜闇に跳ねる。Cherubim――大剣を思わせるシルエットのバスターライフルが青い爪を押しとどめて悲鳴を上げた。威力を減じてなお強烈な一撃。
「お前はどんな人だった……！？　どんな夢があったよ……！」
　押されぬよう足に力を入れながら、顔を上げる。
「俺たちが手伝うからッ！　訳の分からねェ衝動なんかに負けんなッ！」
「このまま、何もかも奪われたままで全て終わりにしてしまうのは悲しくありませんか」
　今までとは違う結末を望めるのだとしたら願いたい。
　祈るように目を細めた薙の足元で、シフォンと名づけられた霊犬がぴんと耳を立てる。
　夜兎もまた、今ばかりは常のからかいも意地悪も投げ打って声を張った。
「戻って来いっ！　今ならまだ間に合う」
「貴女の姿を思い出して。悲しみに耳を塞がないで。手を伸ばせば、私達が掴むから」
　紗月の右手が掌を上にして差し出される。
　アンデッドのナイフが髪を一筋散らした。肩に走った痛みなど何ほどのものか。揺らいだ腕をもう一度伸ばす。
　床に広がるのは千切れた布団。はみ出た羽毛。流れた血。
　ささやかな、ごく普通の暮らしがあっただろう部屋が壊れていく。
　律の眉があがった。掌に爪が食い込む。
「ここはてめぇの家だろ！　思い出せ！　ココで生きていた、暮らしてた記憶を！　てめぇは人殺す化けモンじゃねぇ！　人間なんだよ！」
　瞳はひたすらにデモノイドを捉える。そこにある少女の心を見つめる。
　デモノイドが腕を振り上げた。
「諦めないでください。あなたは人間です！」
　血を流しながら七波が叫ぶ。青い腕は止まらない。
　けたたましい音を立てて轟天が吹っ飛んだ。派手な音を立てて歪むフレーム。
　名草の体が震える。大丈夫、轟天はすぐに戻ってくる。自分に言い聞かせていたら、デモノイドの唸り声が耳をついた。
　ああ、そうだ。
「怖いよね。ほんの一瞬で世界が壊れるんだ。それだけじゃない、君も壊す側に回ってしまう」
　それは、闇堕ちの危機をはらんだ灼滅者にとっても身近な感情だった。
　いつだって付きまとう恐怖を跳ね除けるものはひとりひとり違うだろうけど、それはきっと大切であたたかい、心に灯る、光だ。
　彼女にとっての光となりうるものを、緋織はひとつ知っていた。
「……貴女の両親は逃げて、と、生きて欲しいと思ったの」
　今際の一言は娘への願いだった。
　誰よりも少女に近い人から注がれる、愛情だった。
「だから、辛くてもどうか、返ってきて……負けないで」
　瞬間。
　暴れまわっていたデモノイドがぜんまいの切れたおもちゃのように止まった。
　ぎこちない動きで巡らせた首は、緋織と名草の前で止まる。鋭い牙の並んだ口がゆっくりと開いた。
「負ケナ……カラ、ダカラ……」

　――助けて。

　直後、再びデモノイドは嵐のように暴れだす。膨れ上がった左腕から長大な刃が生まれ、壁に大きな傷が走る。
　激しさを増した動きを前にして、緋織は小さく深呼吸した。天星弓を構える。
「はい。痛いでしょうが少しの間だけ耐えてもらえますか」
「その手を掴むから、必ず」
　黒曜石の欠片をきつく握りこみ、名草は微笑んだ。
　ひとつの日常（せかい）は終わってしまったけれど、今見える未来（せかい）を終わらせたりするものか。

●胸に光を
「さぁ、始めようか」
「やりましょうっ」
　好き勝手暴れてくれたアンデッドに対して夜兎が唇の端をつりあげ、紗月は符を五芒星に展開する。
　傷口から広がる痺れは緋織の風が吹き飛ばした。軽くなった体で灼滅者達は攻勢に転じる。
「グゥ……ッ」
「ふざけたことしやがるダークネスどもに容赦はしねぇ」
　もちろん、その眷属にも。
　素早く踏み込んだ律の日本刀が鋭く一閃。足を縫いとめられたアンデッドは死角からの攻撃をかわせるはずもなく、袈裟がけに斬り捨てられた。
　もとより屍だったそれは、血も流さずに床に伏す。
　こんな事態を招いたアンデッドを逃すつもりはない。出口までの視線をさえぎり、七波は輝ける十字架を降臨させる。
「聖なる十字よ、彼の者の牙を抜け」
「ウグアアァ！？」
　溢れる光がアンデッド達の体を灼いた。
　薙の瞳が前に出ようとした敵の動きを捉える。横に飛んで迎撃。
　未明にはびこる地獄絵図、自分にどれほどのことが出来るのかと思っていた。流れ星に願うほどの期待しかしていなかった。短く吠えるシフォンの視線が痛い。
「どこまで出来るか解らないなんて、言っていられませんね」
　黒柄の槍を構えなおせば、暁に染められた飾り紐が大きく踊った。凍てつく妖気がつららとなって、たたらを踏むアンデッドの胸を穿つ。
　このまま一気に。踏み出した律と眞白に青い刃が唸りをあげた。圧迫感に肺の中が空になる。
「なら、少しでも」
　何かあればと名草の刀がデモノイドの首にはまった金属具を狙う。甲高い音を立てて亀裂が走るが、変化は見えない。
　斬り、撃ち、縛り。
　次々と繰り出される攻撃は徹底して敵の自由を奪い、確実に数を減らしていく。
　短く息を吸い、七波は心惑わす符を放つ。もとより屍の相手に、心と呼ぶべきものがあるのかは知らねども。
「安らぎの園へ」
　ひらり。張り付いた符が最後のアンデッドを永久の眠りに落とした。
「グオォ……ッ！」
　デモノイドの咆哮は、あるいは少女が痛みをこらえる声なのかもしれない。
　機械仕掛けの弓を強く握りしめ、紗月はその大きな瞳に『彼女』の姿を映しこんだ。
「待っててね。貴女のココロの輝きに、ボクも応えてみせるから」
　荒い呼吸に痛む喉も、傷口から流れる血も関係ない。
　全霊の力で引き絞った弓から放たれる一条の矢。

　宿る心が幼い少女のものであろうとも、その力がダークネスに匹敵することを灼滅者は嫌というほど知っていた。
　どこかアンバランスな体躯からは予想もつかない瞬発力も、丸太のごとき豪腕から繰り出される攻撃のすさまじい威力も、何もかもがこちらに膝をつかせるには十二分。
　だからこそ、灼滅者は遠慮も手加減も油断もなく、全力の攻撃をぶつける。
　その向こう側にこそ、負けないと告げた彼女の手があると信じて。

「我放つは盾なり」
　七波が１枚の護符を引き抜く。自らの肩に当てた符が痛みを和らげた。
　数分前より濃くなった血の匂いに顔がゆがむ。
　凍りついた腕をきしませながらデモノイドが刃を振りぬいた。動きを妨げる糸や傷をものともしない一撃。
「つ、ぅ……！」
　距離を詰めていた名草の体に青い刃がめりこんだ。肉がそげ、鮮血がしたたる。
「大丈夫……だよ」
　君の世界は終わらせない。
　顔を上げて精一杯の笑顔を向けた後。力をなくした体は刃に引きずられて崩れ落ちた。
「……っ」
「お前に殺戮の一端なんて担わせてやるものかよ！」
　同じ攻撃に晒されていた律の前に眞白が割り込む。眼前に構えたCherubimを重たい刃が叩いた。
　呼吸が荒い。守りを固め、こまめに回復していたとはいえ、攻撃を何度も引き受けてきたのだ。蓄積したダメージは大きい。
　歯を食いしばって反撃する。
「紫明の光芒に虚無と消えよ……ッ！　バスタービームッ、撃ェーッ！！」
　他の者もそうだ。疲労はもはや限界に近い。
　瞳の色を変えながら、緋織は眞白に光の盾を飛ばす。ユキもまた懸命に癒しを飛ばしていた。
　薙が槍を握る手を突き出す。指輪から放たれた魔力弾がデモノイドの肩で弾けた。
　間に合っているというよりは回復できる体力が知れているがゆえに、薙はシフォンを前に行かせた。自身は指輪と影を交互に操り、少しでも動きを封じようと狙いを定める。
「焦りは禁物、とはいえ」
「後がなくなってきたじゃないか」
　夜兎の唇は状況に反して笑みを刻む。右頬に貼りついた髪を払い、床を蹴った。両の指に絡めた鋼糸を振るい、デモノイドの四肢に巻きつける。
　律の刃が巨躯を支える足に傷を入れ、七波は影を走らせた。
「グゥアアァッ」
　紗月の魔法で熱を奪われた体は身じろぐたびに冷気が突き刺さり、じわりじわりと体力を奪う。向こうだって、決して余裕のある状態ではない。
　カーペットを踏む獣のような足が、動きを鈍らせた。
「そこっ」
　月草の髪が踊る。紗月の放った魔法はしかし、完全に見切られた。かわした勢いのまま踏みこんだデモノイドが腕に力を込める。
　唸る空気。赤く染まった爪が七波の体を捉えた。
「ぐ……っ！？」
　まだ子供の肩に食い込み、血肉をえぐる爪。押しつぶされる程の衝撃に踏ん張りきれず、膝をつく。
「七波さん！」
　床に鈍く響いた音に悲鳴が上がる。
「……シフォン、行きますよ」
　いまだ朝には届かぬ槍を構え、薙は腰を落とした。シフォンのくわえた退魔神器が微かに輝く。
　血にむせぶ部屋の中、立っている灼滅者は重い腕で武器を振るう。緋織が懸命に背中を支えた。
「きっと、あと少しだから」
「そろそろ終わりにしよう」
　暴れるデモノイドの側面に回り込み、夜兎が指輪をはめた手を突き出した。無防備な脇腹に魔力が撃ち込まれる。
「ガアァッ！？」
「これ以上の悲劇は、止めてみせる」
　デモノイドが首を巡らせた反対側、律が日本刀を振り上げた。半ば背を見せる位置となったデモノイドは気配を察して身を翻そうとするも、糸の食い込んだ足の傷がそれを許さない。
　残る力を振り絞った一閃。
　胸に大きく走った一文字からどろりと青が融けだした。巨大な体が床に倒れる。
「…………」
　肩を上下させながら、灼滅者達は視線をそらせない。
　どろり、どろり。
　デモノイドの青が溶けていく。
　はたして。
　――溶けた青の下から、パジャマ姿の少女が姿を現した。

●夜明けの光
　その時胸に込み上げた情動を、なんと表現すればいいだろう。
　律が膝をついて少女を抱き起こせば、瞼こそ閉じられていたものの胸は規則正しく上下している。
　歩み寄った紗月が床に投げ出された左手をそっと持ち上げる。少し冷えているけど、確かに血の通った温度がした。
「戻ってきてくれて、ありがとう」
　やわらかく手を握りこめば、少女の睫毛がかすかに震える。瞬き。少しばかり薄らいだ闇の中に栗色の瞳が輝いた。
「あ……」
　緩慢に視線を巡らせる少女の様子を見て、緋織が笑みを浮かべる。見た限り怪我はなさそうだ。その後ろで相好を崩す眞白。
「よかった」
「だいぶ疲れてるみてぇだ。こんな状況だし、学園に連れて帰ろうぜ」
「その前に出来る限りのことはしてやりたいが」
　何を、とは口にしないまま夜兎は扉の向こうを見た。少女の両親が倒れている場所だ。
　紗月が目を伏せる。
「気持ちはわかりますけど、今は早く彼女を安全な場所へ連れて行きましょう」
「……夜明けも、近いようですしね」
　薙の視線が窓に向けられる。シフォンがぱたりと尻尾を揺らした。
　まだ街中にはアンデッドがいるかもしれない。こちらには重傷者もいる。疲弊しきった少女の心を思えばなおのこと、長居すべきではないだろう。
　瞳を閉じて冥福を祈る。
　夜兎と眞白が倒れた２人を肩に担いだ。うっすらと目を開けた名草と七波は、少女の姿を見て息を吐く。
「あの、ね」
　抱えあげられた少女は眠たげに瞬きを繰り返しながら右手を差し出した。必ず掴むと約束した手だ。痛む体で名草も手を伸ばす。
　両手に伝わるぬくもり。
　少女の頬に玉のような涙が次から次へと零れた。しゃくりあげる声は、彼女が彼女として生きている証だ。灼滅者が守れたものだ。

「っく、ひぅ……あり、が、と……っ」

　少女が精一杯に告げた言葉こそ、未明に出でし――あたたかな光。

作者：柚井しい奈	重傷：佐々・名草（無個性派男子(希望)・d01385） 新城・七波（藍弦の討ち手・d01815）  死亡：なし 闇堕ち：なし
種類： 公開：2013年3月22日 難度：やや難 参加：8人 結果：成功！
得票：格好よかった 0／感動した 10／素敵だった 2／キャラが大事にされていた 2
あなたが購入した「複数ピンナップ（複数バトルピンナップ）」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。