人も琴も共に堕つ

    作者:矢野梓

     常なる緑に風が渡る。さわさわと竹の葉のこすれあう音は和琴の音色にもよく似合う。綾子の住む北小路の家はそんな竹林を越えたところ。この日も彼女は実家の広い縁側に毛氈を敷き、和琴を据えていた。
    「竹の秋、なあ。春も近うなってはるんかいな」
     さらりとかき鳴らしてみれば簡単に冷たくなってしまう指先。どうやら春はまだ名前だけのものらしい。
    「音もよう鳴らん……」
     もともと雅楽の楽器は湿度などなどに左右されやすいもの。綾子は丁寧に調べを整え始めた。こんな朝は姉も調律に心を砕いていることだろう――綾子は遠く東京の空の下にいる双子の姉を思った。自分は京都で姉は東京の音大付属の高等部でそれぞれに技を磨こうと誓ったのは1年前。その時姉妹はそれぞれの琴を取り替えて。以来綾子はその琴を大切にしてきた。恐らくは姉も……。
    「……?」
     びんと耳障りな音が耳朶を打つ。指でもひっかけてしまったかと慌てて綾子が整え直しても、音は微妙な狂いをみせて。
    「どうしたんだろう……」
     おかしい。おかしい。おかしい、おか……。何度やっても合わないこの調べ。頭の中が不快な音に占領されていくような。一体今朝はどうしたと――。
    「……姉さん? 何かあった?」
     その瞬間、彼女の中で何かが弾けた。最後にかき鳴らした音もまた何かが狂い始めたことを物語るようにずれたまま。

     それがヴァンパイアへの転落の始まりであることなど、無論綾子は知る由もない。

    「悪ぃんだけど、事件です」
     水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)の表情は初めから冴えなかった。だがものがダンピールと聞けばそれも納得せざるを得ないだろう。灼滅者達は表情を改めて少年の言葉の続きを待った。
    「ま、今回の場合は救える可能性がある分だけマシってとこなんだ……ですけど」
     彼女の名前は北小路・綾子(きたこうじ・あやこ)、今度2年生に進級する高校生で京都在住。小さな頃から和琴だの筝だのといった伝統的な楽器を習っていた人だという。
    「雅楽つーか、そういう系統の音楽を継承している家の人みたいですね」
     で、なんでそんな家の人が闇堕ち騒ぎを起こしているかといえば、原因はどうやら彼女の双子の姉。こちらは東京の高校で研鑽に励んでいたということなのだが。
    「こっちは完全に堕ちちまった。つまり正真正銘のヴァンパイア……」
     感染……と灼滅者にも重い沈黙が落ちる。ヴァンパイアとはそういうものだと知ってはいても、自らに因のない果というものは何とも心地の悪いもの。
    「……妹のほうならまだ可能性がある、ってことか」
     灼滅者の呟きに慎也は黙って頷いた。完全なダークネスになりきっていない今ならば、こちらにも打つ手はある。灼滅者として救えるか、ダークネスとして葬るか――それは彼女とここにいる灼滅者達次第ということになるのだが。

    「北小路は姉に合流しようと動き出しているところです」
     慎也は机の上のシステム手帳の間から、手書きの地図を取り出した。綾子の家は京都の郊外。彼女は衝動のままに家を飛び出し、徒歩で京都駅に向かっているという。
    「実際駅まではかなりの距離だけど……電車やらタクシーやらを使わなかったってぇのは、不幸中の幸いで……」
     どうやら待ち伏せが可能らしい。場所は小さな山の竹林の中。ちょうど今時分は筍堀りのもの好きがいないではないけれど、かの盆地はまだ底冷えの日々が続いている。うろうろしている一般人も千客万来というわけではない。
    「ここに茶屋というか無料休憩所みたいなのがありますから……」
     少年が指さすところは小高い丘の頂上付近。ちょうど市街を眺め渡せるところらしい。季節が季節だけに峠のお茶屋さんも今は店じまい。広さの点から言っても戦闘に差し支えることはないはずだ。
    「北小路の能力は無論、ダンピールのそれ」
     紅蓮斬、ギルティクロス……と慎也は右手の指をきっちりと3本折った。加えて左手の指を1、2、3。
    「こっちは鋼糸の分な」
     さすがに琴を得意とする者は糸も操るということなのか、今回の敵は多彩な技をお持ちのようだ。説得するにしても灼滅するにしても、一筋縄でいかないことだけは確かなことだろう。

    「感染ってーのもやっけぇな……厄介なことですね」
     だがそれでもエクスブレインが可能性を見つけ出した以上は、伝えるのが仕事だと慎也は思う。そして灼滅者達もまた、自分の依頼を使命と思ってくれることだろう。
    「当然危険は伴いますが……彼女までヴァンパイアにするのだけは避けてやってください」
     慎也は音もなく手帳を閉じると、深々と一礼し、灼滅者達を送り出した。


    参加者
    南・茉莉花(ナウアデイズちっくガール・d00249)
    ディステル・ゲッフェルト(シルバーブラッド・d01199)
    若宮・想希(希望を想う・d01722)
    立見・尚竹(誠義・d02550)
    函南・喬市(暗夜血界・d03131)
    クラウストラ・カルブンクルス(内に秘めたる懺悔の念・d05426)
    一色・などか(ひとのこひしき・d05591)
    リア・ブラントミュラー(蒼瞳の家出娘・d15294)

    ■リプレイ

    ●悲しみの春
     耳を澄ませばさわさわと竹林を渡る風の音。目をこらせばわずかに黄味をおびた竹の葉が空への視界をふさいでいる。竹の秋といえば春の季語。だが灼滅者達が待ち伏せているその山は春と呼ぶにはあまりに冷たい大気に包まれている。
    「闇堕ちした姉妹か……。遠く離れてても心はひとつって事なのかな」
     リア・ブラントミュラー(蒼瞳の家出娘・d15294)の呟きはすぐさま雪のように白さに変わる。だが灼滅者達の心を心底寒からしめているのは京の冬などではなく、この場所へやってくる闇堕ちしかけの少女、北小路・綾子。
    「双子の絆、か……」
     全く、ヴァンパイアって奴は業が深い――若宮・想希(希望を想う・d01722)は沈痛な面持ちで首を横に振ると、南・茉莉花(ナウアデイズちっくガール・d00249)もしみじみと零す。
    「感染ってつらいね……」
     大切に想う人であるからこそ巻き込んでしまう。それが吸血鬼という種族だといってしまえば身も蓋もないが、なんと因果な事だろうか。
    「双子に、感染に、助かりそうって……のはなあ」
     クラウストラ・カルブンクルス(内に秘めたる懺悔の念・d05426)の表情がわずかに硬くなったように見えた。
    「なんか他人事じゃねぇんだよな……」
     灼滅者達の間に風音だけの時が過ぎる。竹の葉のこすれる音はあたかも彼らの不安のように大きく響き、木の間隠れに見える市街地も寒々とした中に沈黙している。
    (「本当に他人事とは思えない……」)
     双子で闇堕ち。クラウストラにとっては自らの過去を思い出すには十分な要素。兄と自分、どちらが闇堕ちをしたのか、どちらが巻き込まれたのか、今となっては判然としない事ではあるけれど、あの一件で兄に残った傷を忘れた日は1日とてない。だから助けられるものならば助けたかった。自分がこうしていられるように――。
    「……何とか綾子さんだけでも救わなければ」
     言葉にも面にもでないクラウストラの思いを汲むかの如く、立見・尚竹(誠義・d02550)が言葉を継いだ。
    「ああ、双子だからって共に堕ちる事ない」
     想希も深く頷き、リアの言葉がそれに続く。
    「人を辞める所まで一緒にさせるわけにも行かない……か」
     再び吹いた冬の風に、竹の葉が小さな竜巻を作る。ディステル・ゲッフェルト(シルバーブラッド・d01199)は夏よりも薄い緑の葉をゆっくりと拾い上げた。遠くから筍を探しているらしい人の声が運ばれてくる。春がそこまで来ているのならば、せめて悲しみだけの春にはさせたくはない。
    「灼滅すべき宿敵を増やしたくはないし……」
     何より肉親からの感染を見過ごすわけにはいかん――函南・喬市(暗夜血界・d03131)もきっぱりと言い切る。その決意表明を言祝ぐようにどこかで竹を打つ澄んだ音が響いてきた。誰かがどこかで小石でもぶつけたのだろうか。一色・などか(ひとのこひしき・d05591)はそっと目を閉じた。耳を澄ませば風の音も葉擦れの音も一つの雅楽を作り上げているかのよう。北小路姉妹もこの音を耳に楽の修行に励んできたのに違いない。
    「和の音と書いて和音……本当にその通りですよね」
     だからこそどうしても助けたい。同じく音楽を愛する者として――人間誰にでも大切なものがあり、そして大切な人がいる。なればこそ感染を起こす吸血鬼の存在はいっそう許しがたい。灼滅者達は無言で武装を整えるとそれぞれの持ち場についた。尚竹の作る殺界に人の声はぱたりと途絶えた。

    ●耳過ぎる風の言葉
    「……北小路綾子さん、だな」
     喬市の声は実に丁寧で深い。だが当然の事ながら綾子は怪訝そうな顔を改めはしない。
    「お姉さんが心配で会いに行くつもりかもしれないが……」
     想希が言いさした途端、綾子の表情が変わった。即ち怪訝から警戒へと。
    『あんたさん方は……』
     身に余る大荷物を抱きしめ綾子が引いたところで茉莉花も姿を見せる。
    「突然でごめんなさい。私達は武蔵坂学園から来た――」
     長い説明が始まる。人を変え、言葉を変えて丁寧に。灼滅者の事、ヴァンパイアの事、そして闇堕ちという恐るべき事態の事。
    「お姉さんはもう貴女の知る人ではありません」
     想希の言葉は簡潔で平易。
    「そして妹の貴女もダークネスに堕ちようとしているの」
     茉莉花の話もまた虚飾なく、明快。伝達は完璧だった。ただしその疎通は相手が通常の状態であればこそ。
    『騙されへん……』
     ぎゅっと大きな包みを抱え込む。
    「それ、琴ですね……」
     ディステルの瞳が哀しげに揺らいだ。瞬間、綾子の全身から警戒のオーラが湧きあがったように見えた。
    『なぜ?』
     灼滅者達は綾子から視線をそらす事なく吐息を零す。彼闇堕ちへの坂を転がりつつも、この人は琴を持ち出したのか。その大きさも運ぶ不自由もまるで考慮に値しないかの如くただ抱きしめて。
    「……その音が狂ってきているのは貴女が一番ご存知だと思います」
     などかの鎮痛な声は灼滅者達の思いを表し切っていた。
    『……ねえさんの……』
     綾子の唇が震える。不審と怒りとに。この連中は知りすぎている。自分の知らない事までも。言葉からして関東の人間らしいが、まさか東京で姉の邪魔をしているのだろうか――はっきり口にしないまでも、綾子の表情はありありと語っている。喬市はゆっくりと首を横に振った。やはりこれだけで説き伏せられる程闇堕ちは生易しものではないのだろう。
    「貴女がここで踏みとどまらないと……」
     その琴も響かせる事ができなくなってしまう――茉莉花は畳み掛ける。貴女がお姉さんと技を磨くと誓った事も、何もかもがダメになる。
    「それを阻止しに来たのだけれ……」
     茉莉花の言葉はごとりと重たい音に遮られた。綾子が茶屋の縁台に琴の包みを置いたのだ。
    『姉さんが待ったはる……』
     ただ一言、呟いて灼滅者達に向き直る。まるで彼らとの対決が避けえないものだと判っているかのように。
    「残念ながらお姉さんはもう君の知るお姉さんではない。だが……」
     君まで一緒に闇に堕ちてはいけない――喬市の答えもまた戦う者のそれ。低く発せられた言葉に尚竹とクラウストラも姿を見せた。
    「アンタを助けに来た、そいつらの仲間だ。 いきなり現れてびっくりしたかもしんねーが……」
     事ここに至っては致し方ない。綾子の心はまだ吸血鬼に堕ちた姉に添う事へ傾いているのだから。
    『……どいて。ジャマせんといたって』
     きらりと光る鋼の糸が数多い前衛陣をとらえて奔る。それが結界糸という名を持つ事を綾子自身は知らないだろう。自らの技に何よりも驚いているのは彼女。だがダークネスの心は既に戦う方法を知っている筈。
    「……」
     想希は静かに眼鏡を外した。懐かしい京都の風が彼の金の瞳を乾かす。それでも希望はある――だから涙は要らない。必要なのは力と心の戦いなのだ。

    ●闇の平坂
     綾子の腕前は確かなものだった。灼滅者達の雷撃を見事なまでの槍さばきを。受ける度に綾子の表情から戸惑いが消えていった。今はもう異形の腕の出現にさえ、眉1つ動かさず鋼糸を操り。
    「さすがに上手ですけど……貴女に、その使い方は似合いませんよ」
     貴女の指に似合うのは美しい音色を奏でる琴糸であるべきなのに――想希が広げるシールドの内側から喬市と尚竹の槍が伸びる。左右からざくりと上がる嫌な音に血の匂いが混ざる。綾子の片眉がぴんと跳ね上がった。
    「頭を冷やしてください……といいたいところだけれど」
     氷の技は今日のディステルに用意はない。代わりに綾子の背中を突き抜けたのは複雑な捻りを加えられた3本目の槍。ジャマーの与える異常は常の3倍。綾子を屠る事が目的ではないけれど、闇堕ちから解き放つにはそれに匹敵する力が要る事もまた事実。
    「お互い困った姉を持ったものですね」
     私にもまた双子の姉がいるのですよ――ディステルの言葉に綾子は不快な顔を隠さない。
    「必ずアンタもアンタの姉貴も『救って』やるから安心しろ」
     いろんな意味で――今の綾子には到底理解できない叫びであっただろうが、クラウストラは己の足元から影を呼び出した。それは見る間に無数の触手となって敵を絡め捕る漆黒の。
    『……たす……ける……?』
     背中へ突き抜けた槍が引き抜かれる痛みに顔を歪めながらも、綾子の唇は動く。
    「……一度心身を整えて、それから改めてお姉さんにお会いしましょう」
     何をすべきかも、そのときに自ずと見える筈です――そう、姉の正体も救いの道が灼滅ただ1つである事も。
    (「なんだか初依頼が大変な事になっちゃったけど……」)
     激しい技の応酬にリアの背中を冷たい汗が伝った。引き絞られた弓は限りない勢いを癒しの矢に乗せて茉莉花へと。
    『行かな、ならん……どいたって』
     緋色のオーラが奪うのは茉莉花の命の力。回復をとディステルの手が泳ぐ。だがそこに生まれる筈の防御の符は今はなく。
    「行かせるわけにはいかないの」
     貴女まで吸血鬼にはしたくない――ゆらりと茉莉花は立ち上がる。大丈夫だからとディステルに微笑かけると闘気を雷に変化させ。拳が蒼天を目指せば、敵の背は土にまみれる。弾むように倒れた綾子から、喬市は思わず視線を逸らした。昔除いた闇の淵をもう一度覗き込んでいるようなそんな気分に襲われて。
    (「もしもあの時堕ちていたら義妹もこんな風に道連れに……」)
     そう思うと、ダンピールとして今がある自分に安堵さえ覚える。綾子の姉も常の状態ならばきっとそう思うだろう。もうかなわない夢ではあるけれど、せめて『妹』には――喬市の糸が綾子を捕えなどかの光の矢がその喉元を射抜く。
    「……お姉さんの音、覚えてますよね?」
     それを継ぐのは貴女なんです――などかの声を耳に尚竹の黒の斬撃は冴え渡り、クラウストラの紅の攻撃もそれに続く。痛みに零れる綾子の歯の軋みを痛々しく聞きながら、ディステルは手の内に自らに巣食う暗い想念を練り上げて。それが毒を呼ぶ弾丸となるまでに時間はかからない。そして真っ黒な傷口に毒が回り始めるまでも。

    ●琴と逝き……
     苦しみに耐える少女の姿とは対照的に飛ぶ糸は銀の光を放つ。対する灼滅者達の攻撃も漆黒に紅蓮に、光に闇にと多彩さを増していく。
    「音楽は清らかな心、平常心が必要だという」
     尚竹の体がふっと綾子の視界から消えた。次の瞬間日本刀の波紋が綾子の腱の近くで閃いている。
    「……今の貴女にそれがあるだろうか」
     諭すような静かな響きは真上から。唇を噛んで立ち上がれば、入れ替わるように茉莉花の宿すオーラの緋色が目に入り。
    『同じ……力を……』
     一呼吸おいて見れば、彼らからは何ともつかない近しい『気配』。それがルーツを同じくする者が多い所以だという事は無論綾子に判る筈はない。だが灼滅者達はその微小な変化を見逃さなかった。
    「お姉さんを追う必要なんて、ないんです」
     貴女は貴女の道を歩いて――何度目かしれないシールドの防御を展開しつつ、想希は言葉を投げる。
    「お姉さんの琴……」
     などかが縁台におかれた包みに視線を送れば綾子の目もまた揺れかけた。刹那、喬市の糸が光もかくやとばかりの高速で飛ばされ、などかの異形の腕が綾子の首をかすめた。
    「大好きな音をこれから守っていけるのはお姉さんではなく貴女だけなんです」
     細く赤く残った傷を綾子は震える指でそっと押さえる。
    『琴……姉さんの……』
     震える足で琴に向かおうとする彼女をクラウストラの影が捕縛する。ここは一気に畳み掛けるとき。言葉で、思いで、そして心で。
    「だからどうか、私達と一緒に来て下さい」
     などかの願いに、
    「……自我をしっかり持って」
     仲間を支え続けてきたリアも声を張った。リア達の言葉に揺れる綾子にディステルの毒の弾丸をよける余裕はない。
    『……いやぁ!!』
     絶叫もしくは悲鳴。呼びようのない叫びが竹林の風音をもかき消して、銀色の鋼糸が緋色に染まり、この世で最も細い刃が尚竹の首を落さんと……。
    「っ!!」
     だが糸が絡まったのは庇いに入った想希の腕。緋色の糸から真紅の血が滴り落ちる。
    「ダメージ……」
     減じているのか――尚竹の問いは声にはならない。だが想希は察して確りと頷いた。
    「もう一度……その音色、奏でてください」
     お姉さんの琴で貴女が……がくりと膝をついた想希に代わって茉莉花となどかが前に出る。緋色に染まったオーラと彗星かともまごう魔法の矢。綾子は足止めが功を奏しているのか、回避の動きにキレがない。
    「ずっと一緒に歩いてきた人と違う道を行くのはとても辛いですよね」
     でもせねばならない決断も、時にはあると思います――などかの桜色の瞳には真剣な色。割れても末に、ではないけれど、これほどの縁なら次の世も逢えると思いを繋いで。
    『せねばならぬ決断……』
     ゆっくりと綾子の両の手が下がった。淡い霧が彼女を包む。回復の霧だという事を確かめて喬市は口を開いた。
    「共に雅楽の研鑽を積んだ姉ならば、きっと君までもが吸血鬼に落ちて琴の音を途絶えさせる事を望む筈はない」
     突き出した螺旋の穂先は綾子の体に吸い寄せられるように消えていく。クラウストラは杖を大きく振りかぶった。命中率は高くはなかった筈なのに――流れ込んでくる生気の温かさにクラウストラは瞑目する。この人はかえってくる……そんな確信と共に。

    ●琴と還り……
     心の闇を払うべく灼滅者達は最後の攻勢に出た。手始めは茉莉花の雷の拳。想希の黒の剣戟がそれに続くと、などかの鬼の腕、喬市の鋼糸が反撃を防ぐ。クラウストラの影業が生き物の如く奔るのをちらりと眺め、尚竹は刃を鞘へと納める。
    「我が刃に悪を貫く雷を 居合斬り 雷光絶影」
     神速の居合は銀の閃き。真昼の月かと思わせるその一瞬に綾子は瞠目するだけで精一杯。片膝をつくだけで耐えたのはいっそ天晴れ。だがもはや彼女はディステルの毒も彗星のように真直ぐに飛ぶリアの矢も避ける力を持ってはいない。竹林に冷たい風が戻ってきた。静かに崩れ堕ちるのは総てを出し尽くした少女。

     縁台に琴と並んで綾子はこんこんと眠り続ける。灼滅者達は祈るように目覚めの時を待った。綾子の今後は彼女次第。すぐに姉と対峙せよというのは酷な事ではあろうけれど。
    「まあ、選択肢はいくらでもありますから」
     これからの生き方も滅すべき敵も――ディステルの呟きに仲間達はそれぞれの表情で頷く。
    「行くとこ無かったら面倒くらいみてやるし……」
     クラウストラもそっと琴の包みを撫でた。目覚めたら長い話を聞いてもらう事になるだろう。などかはそっと笑む。彼女もまた三味線を習っている身。そんな事も含めて話せれば気楽な友達づきあいもできるようになるだろう。

     いつか綾子は自らの琴を探しに、姉を追う日がくるのだろうか。
     そしてその時は自分達も手助けをしてやることができるだろうか。

     想いは尽きない。だがそれはまだまだ先の未来の話――。

    作者:矢野梓 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月21日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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