阿佐ヶ谷地獄~その手を繋いで

    作者:天木一

    ●阿佐ヶ谷地獄
     地下鉄南阿佐ヶ谷駅。まだ始発が動くには早い時刻。
     誰も居ないはずの地下鉄の線路をぞろぞろと歩く人の群れ。
     否、それは人ではない。人の形をしているが、体は傷つき、腐り、内臓は剥き出しで、心臓は動いていない。手したナイフだけが爛々と輝く。
     それは死者の群れ。アンデッドの大群だった。
     まだ日の昇らぬ時間。その群れは地下線路を進む。その先にあるのは……人の住む地上。
     安穏な日常に、腐臭が漂う。
     手にしたナイフが赤く染まる。地獄の釜の蓋は開かれた。
     
    ●緊急事態
    「みんな、来てくれたんだね。大変な事が起こったんだ」
     能登・誠一郎(中学生エクスブレイン・dn0103)が切羽詰った様子で灼滅者達を迎える。
    「阿佐ヶ谷にアンデッドの大群が現れたんだ」
     アンデッドの襲撃を受け、既に多くの人達が犠牲になっているという。
    「そして、アンデッドの持つナイフで殺された人が、鶴見岳の戦いで戦った、あのデモノイドに変貌しているようなんだ」
     デモノイドは、ソロモンの悪魔『アモン』の生み出したものであるはず、なのに何故『アンデッド』が生み出されているのかは分からない。
    「もしかしたらアンデッドの持つナイフが、ソロモンの悪魔の配下たちが使っていたナイフと同じ物の可能性がある……」
     だが今は詮索をしている場合ではないだろう。
    「このままでは阿佐ヶ谷が壊滅してしまう。これ以上被害が広がらないうちに、皆さんにアンデッド及び、デモノイドの灼滅をお願いしたいんだ」
     
    ●惨劇の現場
    「おかーさん! もう走れないよぉ」
     母と子が手を繋ぎ、まだ夜も明けぬ閑散とした街を進む。見れば親子は寝巻のまま。
     人っ子一人居ない、まるで廃墟のような街。静けさが耳に痛い。乗り捨てられた車が道を塞ぐように放置され、赤いものを垂れ流す物体が到る所に転がり、地面に染みを作っている。
     疲れた娘が足をもつれさせ倒れ込みそうになる。
    「もう少し、もう少しだからね」
    「うん……わかった」
     まだ幼稚園くらいだろうか、小さな足を必死に動かして母についていく娘。
     止まったら死んでしまう。行く当ても無く、恐怖から逃れる為にただ足を動かす。
     何でもない一日のはずだった。あの動く死体の大群が現れるまでは。
     それはあっという間の出来事だった。突如現れた死体達。マンションが襲われ、死体は逃げ惑う人間を見るや、ナイフで滅多刺しにして殺して回ったのだ。
     母と子は、他の人達が犠牲になっている間にマンションを出ることができた。
     角を曲がる。そこに見たものは、横転した車。そして、その横には無数の死体が老若男女関係なく折り重なっている。その周りには動く死体達が居た。
    「う、うわぁぁぁぁん!」
    「ひっ」
     その光景を見て、泣き出した娘の声に気付いた死体達がゆっくりと振り向く。
     母親は必死で手を引き逃げようとする。だがもう限界だった。
     アンデッドに母親は引き倒され、娘と手が離れる。手にしたナイフが振り上げられた。
    「お、おかーさ……」
    「あ……」
     母親の胸に刃が心臓を貫く。その時、その身に異変が起きた。体中の肉が隆起し、身体が巨大化する。肉は鮮やかに青く変色し、人間だった名残は跡形も無くなり、そこに怪物が生まれた。
     青い怪物は思う。何か大切な事があったはずなのに、それが思い出せない。思考にノイズが走る。どす黒く心が塗り潰される。
    「オオオオオォォォォォォ!」
     闇夜を切り裂く怪物の咆哮。本能のままに怪物は人を狩る為に動き出す。
     その視線は目の前にいる小さな存在へと向けられた。
     
    ●戦場へ
    「阿佐ヶ谷はここ武蔵坂から近い場所だ。そんな場所でこの騒動、何か意味があるのか……」
     誠一郎は少しの間考え込む。だがそれも束の間、頭を掻いて切り替える。
    「今はとにかく、敵を倒すのが最優先だね。今、この瞬間も犠牲者は生まれ続けているんだ。皆さんの力で、どうか悲劇がここで終わるように、街を、人々を守って欲しい」
     灼滅者達は頷き、急ぎ教室を出る。目指すは阿佐ヶ谷。地獄と化した街へと駆ける。


    参加者
    鍵守・鷲矢(万色の華炎・d01854)
    桜庭・晴彦(インテリと呼ばせないメガネ・d01855)
    佐伯・真一(若者のすべて・d02068)
    レイ・キャスケット(今この時を大切に・d03257)
    櫓木・悠太郎(嘘と壊音・d05893)
    村本・寛子(可憐なる桜の舞姫・d12998)
    炬里・夢路(漢女心・d13133)
    今川・克至(月下黎明・d13623)

    ■リプレイ

    ●阿佐ヶ谷
     そこは地獄だった。
     道は赤黒く染まり、其処彼処に人だったものが転がっている。
     鼻が痛くなるような腐臭と、錆びた鉄の匂いが混じる中を、灼滅者達は足を止めずに急いで進む。
    「地獄絵図、とは正にこの事ですね……」
     目にした凄惨な現場に今川・克至(月下黎明・d13623)は息を呑んだ。
    「全く、胸糞悪りぃ」
     苦く吐き捨てるように、桜庭・晴彦(インテリと呼ばせないメガネ・d01855)は言葉を洩らした。
    「酷い……罪もない一般の人間を犠牲に出すなんて、絶対に許さない……!」
    「何の関係もない一般人が何故こんな目に……」
     街を襲った惨劇に佐伯・真一(若者のすべて・d02068)は憤る。
     淡々と表情を変えずに、櫓木・悠太郎(嘘と壊音・d05893)は動かぬ骸の横を通り過ぎる。だがその目には強い意思が宿っていた。
    「こんな事絶対に許さない、許されるはずがない。これ以上被害を拡大させるわけには……」
    「こんなの、冗談じゃないわヨ全く。コレが悪じゃなかったら何だっていうの」
     レイ・キャスケット(今この時を大切に・d03257)はその惨状に言葉を無くす。揺ぎ無い瞳で前を向く。既に覚悟は決まっている、これ以上の犠牲を出さない為に。
     炬里・夢路(漢女心・d13133)もまた目を覆いたくなるような光景に、顔をしかめた。
    「成り立てのデモノイドってもとに戻るのかな?」
     戻せるなら母親も助けてあげたいと、村本・寛子(可憐なる桜の舞姫・d12998)は呟く。
     その呟きに皆は沈黙する。誰も軽々しく答える事が出来ない。確率は低い、その事は皆が分かっていた。
    「ああ、そうさ、わかってる。けどよ、試しもしねぇで諦めんのは……ねぇよな」
     分かっているのと、諦めるのは違うと、鍵守・鷲矢(万色の華炎・d01854)は決意に満ちた目で語る。それは多くの仲間の気持ちの代弁だった。
    「この惨状をこれ以上広げるわけにはいきません。急ぎましょう!」
     克至の声に皆が頷き、先を急ぐ。

    ●青い怪物と少女
     最初に視界に入ったのは巨大な青い怪物。次にその周囲に居る動く死体の群れ。そして怪物の傍に居る小さな少女だった。
     少女に向かって振り下ろされる拳。その前に悠太郎が滑り込むように割り込む。その身を盾に重い拳を受け止める。後ろに居る少女には届かせないと衝撃に耐え、押し留める。
     デモノイドに向かってレイが高く跳躍する。オーラを身に纏い、蹴りが頭部を直撃した。ぐらりとその巨体をよろめかせて、一歩後ろに下がって距離を置いた。
    「よし、間に合った!」
     その隙に克至を先頭に、夢路、寛子の3人が少女を守るように周囲を囲む。
    「大丈夫……助けにきたよ!」
     寛子は少女に笑みを向けて、安心させようと声を掛ける。
     悠太郎が少女へ振り向くと、優しく呼びかけながら、眠りを呼び込む風を送る。
    「大丈夫。もう大丈夫だから、ゆっくりおやすみ」
    「おかーさ……」
     少女は母を呼びながら、ゆっくりと目蓋を閉じて、倒れるように眠りに就く。
    「絶対助けてあげるから」
     夢路はそんな少女を優しく抱きとめ、静かに横にした。
    「手荒な真似をせざる負えねーが、お前の相手はこっちだ。ちょいと付き合って貰うぜ」
     晴彦はエネルギーの障壁を張り、駆けつけた勢いのままデモノイドにぶつかる。よろめき尻餅をついたデモノイドは鋭い目で睨みつける。
    「ゴォォォォォォォォォ!!」
     デモノイドが咆える。怒りの籠もった声。攻撃してきた灼滅者達を敵と認識して、破壊衝動のまま襲い掛かる。周囲に居た死体達も、生きた人間の獲物を見て動き出す。
     悠太郎は咆哮と共に拳を振り回すデモノイドに呼びかける。
    「貴方の娘でしょう? 大事な家族でしょう! 思い出してください!!」
    「あんた母親だろ?! 娘を想う気持ちの強さ、見せてくれよ!」
     群がるゾンビを少女から引き離すように、鷲矢は手に集めた炎で吹き飛ばし、声を張る。
     そんな鷲矢に向かい放たれる青く大きな拳。晴彦がその攻撃を受けようと割って入る。
    「アナタが命を脅かしてる子はアナタにとって何だったの、どうか思い出して」
     夢路は小さな光輪を幾つも放ち、味方の盾とする。拳は光輪を貫くが、勢いの衰えた攻撃を晴彦が障壁で防ぎきった。
    「まだあの子にはあんたが必要だ。難しくても何でも、持ち直してくれねーといけねーんだよ! ちょっとでも意識が残ってるなら、なんとか堪えて、あの子のとこへ戻ってやってくれ!」
    「グゥゥゥォォォォ!」
     晴彦の力強い説得に対し、唸るように咆えるデモノイドの動きが止まる。その周囲から死体達が襲い掛かってくる。
    「凍って貰いますよ!」
     克至の視線が死体の群れを貫く。瞬間、空気が凍り、死体達が凍りつく。不可視の魔法が冷気を生んだ。
    「僕の命に代えても、ここで食い止め、灼滅する! 阿佐ヶ谷は僕達が平和な街に戻すんだ!」
     凍りつき、動きの止まった死体の群れに飛び込み、真一はギターを叩き付ける。死体の胴体がぐちゃりと嫌な音を立てて吹き飛び、腐臭のする臓器が散乱する。
     そこで寛子が情熱的に踊る。それは激しくも美しい舞い。そのリズムに乗ってギターを振り回して死体達を次々と叩き伏せる。
    「この子にはお母さんが必要なの! お願い、戻ってきて!」
     良く通る声はデモノイドの耳に届く。
    「デモノイド……いや、少女のお母さん! 目の前に居る存在が思い出せないのか?」
     真一も死体と戦いながらも声を届ける。
     そんな真一の背後から1体の死体が首筋に噛み付こうと近づく。
    「私が相手だよ!」
     そこにレイが飛び込み、雷を帯びた蹴りを顔面に叩き込む。衝撃に死体は目玉を飛び出させ、口が裂けて顎が落ちた。
    「グギギィィ……ゴオオオオオオ!」
     歯を食いしばるような音。僅かに動きが止まっていたデモノイドが狂ったように動き出す。それは全てを破壊しようとするかのように、所構わず殴りつけていく。
     デモノイドの腕から生やした刃が、少女を守る克至に向けられる。
     悠太郎がその刃を受け止めた。手にしたのは透き通る結晶の盾。攻撃の衝撃を相殺すように盾は砕け散った。
    「駄目……なんですか」
     僅かに眉間に皺を寄せ、声に苦渋が混じる。
     どれだけ言葉を重ねても、青い怪物に人の意識は戻らない。敵意を受け、戦いに身を置く事で破壊衝動に飲み込まれ、心は黒く染まってしまっている。
     これ以上説得しても意味は無い。灼滅者達は漠然とそれを理解してしまった。
    「クソッ……手はもう汚してきた……行くぜっ!」
     鷲矢の体が炎を纏う。それは全てを燃やし尽くすように激しく猛る。
     灼滅する為の戦いが始まる。

    ●灼滅
    「どうしようもねーんだな……やってやるよ!」
     やるせない気持ちを押し殺して、晴彦はデモノイドにビームを放つ。体を焼かれ、怒る怪物は刃を向ける。
     そうして晴彦がデモノイドの注意を惹いているうちに、他の仲間が動く死体達を狙う。
     死体が大きく腕を振ってその爪を突き立てようとする。鷲矢はその攻撃を踏み込みながら紙一重で躱すと、手から生み出した炎の剣を振るう。炎刃は肩口から脇腹へと抜ける。肉の焼ける臭いと共に、死体は黒く焼けて崩れ落ちた。
     鷲矢を取り囲もうとする死体の群れに、ライドキャリバーの雷轟が機銃を撃ちながら突撃する。
     僅かに死体達が怯んだところに悠太郎が割り込み、新たに結晶の盾を作り出す。結晶は広く展開され、壁となって死体の群れを押し留める。
    「来いダークネス……順番に灼滅していってやる。最初に来るのはどいつだ……?」
     真一は近くの死体を1体ずつ、手にしたギターで殴り付け、頭を砕いていく。だが、頭を潰され、腐った脳髄を撒き散らしても、死体は執拗に獲物を求めて動き回る。
    「なら、動けなくなるまで砕けばいいだけ!」
     それならばと、レイは死体の腰に回し蹴りを入れる。死体の上半身が半回転すると、更に背中に後ろ回し蹴りを放つ。死体は地面に顔から背後に倒れ、動かなくなる。
    「後ろヨ!」
     夢路の鋭い声。レイの背後から死体が襲い掛かる。
    「くぅっ」
     咄嗟に避けようとしたが、間に合わず肩に爪の一撃を受け、服が赤く染まる。だが爪の持つ毒は電流の流れる体に排除された。
    「回復は任せて下さい!」
     その傷口に克至が光を放ち、すぐさま癒す。
    「寛子はアイドル、みんなに笑顔をもたらす存在……だからこれ以上、誰も悲しませたく、苦しませたく、ないの!」
     寛子の手にオーラが凝縮され、撃ち出される。レイを攻撃した死体の胸を貫き、大きな穴を開ける。死体はそのまま仰向けに倒れた。
    「悪いケド気分は最悪なの、相手をしてあげる気はないわ。さっさと土にお還りなさい!」
     不機嫌そうな声と共に、夢路が魔法の矢を放つ。それは狙い違わず、死体に突き刺さった。
    「貴方たちは何も悪くない、むしろ被害者だ。……でも、これ以上人を死なせるわけにいかないんです」
     武者鎧の如き悠太郎の右腕が死体の腹に叩き込まれる。腕から伸びる網のような霊力がそのまま死体を雁字搦めにする。
     そこに雷轟が機銃を撃ちまくり、死体は穴だらけとなって動かなくなった。
     残る1体の死体がナイフを手に襲い掛かる。だがその横から、バットのように横殴りにフルスイングしたギターが胴体を打ち抜き、死体は壁に叩きつけられる。死体はナイフを大事に抱え、這うように逃げようとする。そこに後ろからギターを振り下ろした。

    「残るは……」
     ギターを手に真一が呟く。
     これで死体は全て動かなくなった。残るはデモノイドのみ。
    「グゴォォォォォォ!」
     咆哮、伸びた青い腕。そして吹き飛ばされる人影。
     牽制していた晴彦が、拳の直撃を受けて飛ばされたのだ。肋骨が折れ、内臓が傷ついたのか口から血が流れる。
    「すぐに回復するの!」
     寛子が治療しようとしたところにデモノイドが迫る。両腕から生えた刃が襲い掛かる。
     迫る巨体の凄まじい圧力。だが後ろに居る少女を守る為に、避ける事は出来ない。直撃を受けると思った瞬間、視界に背中が映る。
    「させねぇよ」
     鮮やかに色を変える炎はまるで花火のよう。鷲矢が横薙ぎに迫る刃を炎の剣で受け止める。巨大な質量に、吹き飛ばされそうになるのを重心を落として堪える。
     更に左腕の刃が反対から迫る。そこに雷轟が滑り込み、身を挺して防ごうとする。刃を受けた車体に大きな傷を残しながらも、刃は止まった。
     寛子の天使の如き歌声が響き渡ると、晴彦の傷が癒えていく。夢路もまた光輪を飛ばし、傷ついた仲間の傷を治療する。
    「貫けっ!」
     槍を手に、克至がデモノイドに向かって踏み込む。鋭く体重の乗った突きが腹部を捉えた。捻り穿つ。
    「ギィィィィォォォ」
     苦痛からか、金属を擦ったような耳障りな声をデモノイドは叫ぶ。そして体当たりのように突進してくる。
    「おっと、次はこっちの番だぜ!」
     その突進に傷の癒えた晴彦が迎い討つ。全力で駆け、障壁を前に構えて、正面からぶつかり合う。車に衝突したような衝撃に、束の間意識が飛んだ。頭を振り見てみれば、デモノイドも同じように呆然と立ち竦んでいた。
    「これで……終わりにしてあげる!」
     隙を見せたデモノイドを横からレイが急襲する。膝裏に蹴りを放ち、脇腹に肘を入れる。バランスを崩したところへ、ハイキックが側頭部に綺麗に入った。
    「倒させて頂きます……」
     そこに真一が追い討ちを掛ける。手にしたギターをかき鳴らす。強烈なサウンドがデモノイドの脳を揺らす。
    「ゴァァァァァァァ!」
     両腕を振り回し、暴れるデモノイドにレイと真一が吹き飛ばされる。
    「貴方を止めてみせます」
     悠太郎がその腕の前に立つ。結晶の盾で勢いを止め、巨大な武者の右腕でデモノイドの腕をがっちりと掴み、動きを止めた。
     そこに克至が槍から冷気のつらら撃ち出し、足を凍結させる。
    「今、楽にしてやる」
     鷲矢の炎の剣が深々と、動きを封じられたデモノイドの胸を貫く。炎が内側から内臓を燃やしていく。
    「ガアアアアアアァァァ!!」
     断末魔の如き叫びと共に、青い怪物は倒れた。

    ●手の温もり
     倒れたデモノイドの腕が何かを探すように宙を彷徨う。
    「ア……アミチャン、ドコ、ドコニイルノ……」
     それは娘の名を呼び、逸れた子を探す母の腕。死を間際にして正気に戻ったのだ。
     夢路が少女を抱き上げて、母の前に連れて行く。
    「娘さんならここにいるわヨ」
     その声に、青い怪物は視線を合わせる。そっと壊れ物を触るように、眠る娘の手にその青く大きな指が優しく触れた。
    「……おかーさん」
     無意識に娘が小さな手で指を掴み、寝言を呟く。
    「アア、ヨカッタ、アミ……」
     小さな手の温もりを感じて、無事に生きている事に母親は安堵の声を洩らし、娘の名を呼んだ。それが最後の言葉。
     青い体が溶け始める。それはすぐさま原型を失うと、大地の染みとなって消えてしまった。まるで最初から何も無かったように、この世界から跡形も無く。
    「ゴメンネ……」
     抱いた少女に夢路は呟く。安らかに眠る少女を前に、それしか言える言葉がなかった。
    「……クソッタレ」
     助けられるなら助けてやりたかった。だが届かなかったと、鷲矢は力なく毒づく。
    「……」
     レイは無言で消えたデモノイドの痕を見る。最初から割り切ったつもりで戦っていても、やはり内心は複雑だった。
    「この子だけでも、無事に連れて帰ってやろう」
     晴彦は眠る少女を見て、あんたの残した大切なものだけでも守ってやると、消えた母親に誓う。
    「うん! 絶対寛子たちでこの子を守るの!」
     熱く滲む視界を手の甲で拭い、寛子は赤くなった目で元気良く声を出す。その声は少し揺れていた。
    「どうか安らかに、もうこんな犠牲は出させはしません」
     そう言って悠太郎は暫し黙祷する。簡素な態度の中にも、心からの誠意が感じられた。
     その場を立ち去ろうとする間際、真一の視界に鈍い輝きが目に入る。倒れた死体がナイフを手に持っていた。
    「これは……」
     手に取ろうとするが、死体がまるで手の一部のように掴んでいて取れない。どうしようかと逡巡していると、風に乗り、どこからか死臭が強く流れてくる。
     ここは敵の居る戦場だ、ゆっくりとはしていられない。それに、最後にこの死体がナイフを持って逃げようとしていた事を思い出す。下手をすればこのナイフを持っている所為で、他の敵に襲われる可能性もあるかもしれない。
    「今はあの少女を逃がすのが最優先だね」
     一般人を守る状態でそうした行為は難しいと割り切り、真一は踵を返す。
    「もう直ぐ、夜が明けますね……」
     克至が空を見上げる。
     遠く東の空が明るくなってきた。闇に包まれた死者の時間は終わり、光溢れる生者の時間が訪れる。
     血と死で染まった戦場を、その光は洗い流すように照らしていく。
     眩しげに、その光を見上げる。
     小さな命を一つ背負い。灼滅者達は日の射す道を歩き出した。

    作者:天木一 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月22日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 8/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ