カタン。
自転車を漕いだ青年が、一軒一軒ポストに新聞を入れていく。
阿佐ヶ谷にある高級住宅街。
もう少しで持ち場を回り終わるという頃。前方の坂を、人影が登ってくる。
「おはよーございま……」
ウォーキングや、ランニングだと思った。ここ数年、そういうのが流行っているから。
けれど。
『……ヴォオオオオ……』
それは、人ならざる者達の呻き声。踏み出すたび、肉が崩れ落ち、道路を汚し、近付いてくる。
――ガシャン!
窓ガラスが割れる音。暫くして。
「……きゃあああああああっ」
「わぁあああああああッ!?」
坂の向こう側から聞こえてくる。朝の静寂を破る、恐怖に満ちた、
――本物の悲鳴。
それも、尋常な数ではない。
「あ、ああぁあ……」
青年はその場から足が動かない。自転車が倒れた。
腐臭がする。
「阿佐ヶ谷にアンデッドが出た。それも大量にだ」
神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)は挨拶もそこそこに切り出した。学園中、あちこちがざわついた空気なのは、そのせいだろう。多くの灼滅者に正に今、それらに関する説明が行われているのだ。
「しかもこのアンデッド、ただ人を襲っているワケではない。襲われた人間の中から、デモノイドになる者が現れた」
デモノイド。ソロモンの悪魔『アモン』により生み出された、悲しき存在。
それが何故か、アンデッドの襲撃により生み出されている。
「アンデッド共は儀式用の短剣らしき物を装備している。それに攻撃された者が、デモノイド化しているようだな」
それも、全ての人間がデモノイド化しているわけではないようだ。
未確認情報によると、その短剣らしき物は少し前、ソロモンの悪魔の配下達が行っていた儀式で使っていた物と、同様の物である可能性もあるらしい。
「真偽はともかくとしてだ、お前達には急ぎ、阿佐ヶ谷の住宅街に向かって貰いたい。そこにアンデッド達と、デモノイド化した人間がいる」
一軒の住宅でそれは起きた。
灼けるような痛みに男が目覚めると、隣で寝ているはずの妻の死体を見ることとなった。仰向けに口を開け、胸や腹から血が出ている。その、妻の傍らに。
ぽたぽたと血が滴る。カーテンが閉じられた薄暗い室内でも、それははっきりと見えた。
腐敗した、異形の化け物。
次に男を襲ったのは恐怖でも痛みでもなく、――熱。全身を襲う熱は男の組織を変え、崩し、内側から、人であった形そのものを変えていく。男の腕がミシミシと軋んだ音を立て、筋肉が盛り上がる。掴んだベッドの縁を、握っただけで木が割れた。
ベッドを踏み潰すと、腕の一振りで扉を粉砕させる。向かうは人の居る場所――娘の、部屋だ。
五つにも満たない娘は異変に気付くことなく熟睡している。その寝顔に。
デモノイドと化した男の腕が、振り下ろされた――。
「お前達の任務は、家に侵入したアンデッド三体と、この家の主である男の『灼滅』だ」
状況を語るヤマトの口調は厳しいものだった。
「家へは南側の庭に面した一階の窓が壊されているから、そこから入ってくれ」
正面は吹き抜けになったリビングキッチンで、左には仕切のない小さな和室がある。和室の奧の階段は上り口が廊下を向いている。
「キッチンと和室の間に廊下が通ってるイメージだな」
ヤマトは殴り書きしたらしい見取り図を指さしていく。
両親の寝室と子供部屋は二階。子供部屋は丁度キッチンの真上だ。
階段の窓側の手摺りは上りきると、リビングを見下ろせる背の低い壁に繋がっている。
「デモノイドはここだ。アンデッドは寝室に一体、二階廊下に一体、一階に一体だ」
子供部屋の上をとん、と指が弾いた。
一階のアンデッドは徘徊しているので正確な位置は判らない。二階の寝室の扉は破壊されているから、ただ前を通過しようとすれば敵に身体を晒すことになる。
「アンデッドだけでも厄介だが、最も警戒せねばならんのはこのデモノイドだ。体力がある上に、一撃が高確率でクリティカルヒットするぞ」
その一振りが、後衛にまで届かないのが幸いか。
そこまで説明したヤマトは、初めて渋面を見せた。
「漆黒の闇へと挑むお前らを導くのが俺の使命……とはいえ、今回ばかりはお前達の生存経路を『絶対』の解として出してやることが出来ん。……だが、敢えて言わせて貰うぞ」
見取り図が、ヤマトの手の中で握り締められる。
「今回のことで気になることは色々とあるだろうが、お前達。アンデッド、デモノイド――これ以上の被害を、許すな」
参加者 | |
---|---|
羽嶋・草灯(グラナダ・d00483) |
一之瀬・暦(電攻刹華・d02063) |
藤堂・優奈(緋奏・d02148) |
八握脛・篠介(スパイダライン・d02820) |
上木・ミキ(ー・d08258) |
橘・希子(織色・d11802) |
寿・叶恵(鉄工戦士キュポライオン・d13874) |
水蓮寺・閾(アグレッシブチキン・d14530) |
●阿佐ヶ谷
街が本格的に活動し始めるまでの微睡みの時間。それは最早、何処にも存在しない。
倒れた自転車。ばらまかれた新聞紙。住宅街のそこかしこに犠牲者を求め徘徊する屍の群れ。坂を下ったすぐの所に、その家はあった。
窓硝子が割られ、カーテンがはためいている。
一階の敵がリビングに現れていないのを見て取ると、一之瀬・暦(電攻刹華・d02063)は階段に直行する。藤堂・優奈(緋奏・d02148)が続き、水蓮寺・閾(アグレッシブチキン・d14530)がサーヴァントを先行させる。
「今回ばかりはさすがの自分もトサカに来たっすよ……」
閾を追い抜いて上木・ミキ(ー・d08258)、羽嶋・草灯(グラナダ・d00483)はリビングに踏み込むなり、跳んだ。空中で宙を蹴り、更に跳躍する。吹き抜けを軽々と。
ダン。
敵は正面。突然の闖入者に屍はナイフを振る。毒の嵐。
「ガルダ号、行くっす!」
指示に応え、ライドキャリバーが回り込み、寝室に飛び込んだ。勢いを殺さず、体当たりその儘、屍を押し戻す。
その隙に暦、優奈と、彼女のビハインド、零は子供部屋に駆け込む。
「こっちは任せて下さい」
寿・叶恵(鉄工戦士キュポライオン・d13874)が寝室の抑えに回り、八握脛・篠介(スパイダライン・d02820)も上がってくる。子供部屋に全員は入れない。その脇を、草灯が滑るように入室すると。
絨毯の床に色取り取りに並べられた玩具箱には、溢れんばかりにぬいぐるみや人形が詰まっている。女の子らしい色合いの箪笥やカーテン。ポールハンガーに、きちんとかけられた制服、黄色い幼稚園帽。その巨体が室内にいるだけで、他は日常のまま。
それは酷くアンバランスな構図。異様さと、異質さと。
蒼い巨体は、ベッドの脇に立っていた。
一瞬攻撃するのも忘れ、目の前の光景に見入る。
冗談のように大きな拳に付着しているのは、血――。
「……くそっ!」
優奈の声に絶望が混じる。草灯が動き、デモノイドの注意が向くが、先んじて暦が動いた。
「お前の相手は私だ」
抱き上げられた子供は頭から血を流している。無駄口は叩かない。草灯は暦に殴られ、よろめく巨体の脇の下をすり抜けると、廊下で待ち構えていた篠介に手渡す。
繋がった。だが、まだだ。
デモノイドが怒りの声を上げる。
廊下の敵目掛けて、ミキが光輪を飛ばす。そこを子供を抱え直した篠介が駆ける。
「……ついてきてくれそうですね」
肩越しに振り向いて、状況を確認した叶恵は下がり始める。血を流す子供が見えたが、ここで取り乱すわけにはいかない。大人びた思考が感情の起伏を押さえ付ける。
一階では橘・希子(織色・d11802)と閾が待っていた。段飛ばしで降りてくる篠介の顔色を見て、二人は尋ねるのを止める。
「ちいとの間、頼んだ!」
「うん!」
「了解っす!」
庭に出る彼を追い掛けるようにして、階段を駆け下りてくる一同を迎える。
二階の機銃掃射の音が、消えた。
「! ガルダご」
一同の頭上に影が射す。
――ズン。
地響きすら立て、デモノイドが吹き抜けを飛び降りた。その拳にはビハインド。澪の細首を、締め上げる。
「零!」
目があった――気がした。
ウェーブ髪の少女の姿が霧散する。
この家の主であった男は、蒼い巨躯からその拳を振り下ろした。
「しっかりするんじゃ!」
「う……」
サイキックの光の下で、小さな娘は泣き出した。死に立ち会う覚悟すらしていた篠介はその様に胸を痛める。無理もない。蒼い化け物に襲われたのだ。それだけでもショックだろうに――、
「………………」
とにかく今は、すぐ傍で戦う仲間達が合流できるよう、この子を隠さねばならない。
置いていかれる、と悟った幼子はまた泣き出したが、大きな手に万感を込めて、篠介は幼子の頭に手をやる。
「迎えに来るからな。絶対に、ここを動くなよ」
真剣な瞳の光に、少女は目にいっぱい涙を溜めて。小さな頭がこくんと縦に振られ、植え込みの入り口が隠される。
聞きわけの良い子でよかった。それが、悲しい。
――それは、エクスブレインが口に出せなかった可能性。
彼らが、自ら掴み取った瞬間だった。
「もういいぞ!」
「行こう!」
その声を聞いて、真っ先に反応したのは暦。
庭に出ると、春の陽気など微塵も感じられない、ねっとりとした絡み付く臭気があった。
灼滅者を追い掛けて、デモノイドが庭に出てくる。屍も三体。これで不意を打たれる心配は消えた。
前衛六人中、四人の高火力で、一気に屍を殲滅する。
「轟け正義の炎! キューポラービームッ!」
叶恵のビームで屍は吹っ飛んだ。期待を裏切らないその姿に、草灯は口笛を吹く。
「借りは返すぜ」
デモノイドが振るう豪腕を刀の鍔で受け、優奈は吸血鬼の力を解放する。光輪が彼女の周りに集い、力を分け与える。ミキだ。
「篠介さんの出番はありませんよ」
「ぐ」
「ははっ。頼もしいな!」
日本刀を一閃。
デモノイドが吼える。拳の一振りが、芝生を乱れさせる。
がむしゃらに振り回されるその腕は脅威で。ミキはつい癒しの詩を歌いたくなる。
「一緒に歌うかのう!」
仲間を、友を思う気持ちは、伝わるから。老成した彼の雰囲気がミキを包み込む。
「……はい」
篠介とミキ。力強い低音に、ぎこちない少女の声が重なる。それは輪唱し、斉唱する。癒しの二重奏。期待されるのは重く、逃げ出したくなるけれど。こんな風に信頼される期待なら。
――ジャラン、と鎖の音が聞こえるようだった。
無限にも見える影の鎖。足下から呼ばれたそれは、暦の指先を辿りデモノイドへと絡み付く。障害を与えんと、暦は正確無比な攻撃を繰り返す。
放射された霊力が蒼い巨躯を縛り――腕の一振りで、霊力が四散する。
「効きづらいみたいだね」
草灯の姿が視界から消えた。デモノイドがその姿を捉える頃には、彼の槍が蒼い躯を切り裂いている。
「言う割に楽しそうだな」
「そりゃ、ね……!」
暦に答える草灯は笑っていた。事実愉しい。だが実は負けず嫌いなのだ。表には決して出さないが。
効くまで叩き込む!
「なら、これはどうだ?」
そんな草灯の様子をちらりと横目で見て、暦は能力を切り替える。影使いから、闘気の使い手へ。打ち鳴らした拳から、パリパリと漏れ出る光。腭へ向かい、打ち上げる。放電――庭から空へ。薄暗がりに、雷の華が咲く。
デモノイドが、悲鳴を上げる。
「希子は、欲張りだから」
拳に乗る気の塊。立ちはだかる蒼い巨躯に、連打を叩き込む。
「平和な日常を、平然と踏み躙る」
そんな暴虐は、私が、許さない。
言葉と共に叶恵の身の内から吹き出す炎。すらりと伸びた肢体は憧れのヒーローが持つ姿そのもの。正義の炎が光の剣に宿り、巨体を炎上させる。
咆吼が早朝の空気を切り裂いた。
●灼滅者
デモノイドの巨体から繰り出される豪腕を暦、優奈が肩代わりする。サーヴァント二体が足止めをしてくれたとはいえ、ディフェンダー二人の負担は倍となった。
ついに暦がふらつき、背中を閾が支える。
「今度は自分の番っすね」
閾が、ライフルとガトリングを担ぎ、前に出る。敵前逃亡を辞さない閾にも、退けないことがあるのだ。
やる時はやるっすよ。口の中だけで呟いて、ガトリングガンをリロードする。垂直に落ちてきた拳をガトリングで受け止め、這わせた気ごと、押し返す。
「た、お、れ、ろ、っす――!」
長身とは言えない少女が芝生を踏み締める。伸び上がる動きにつられ、ツインテールの毛先が流れる。デモノイドの巨体がほんの僅か、浮く。そこへ、研ぎ澄まされた殺気と刃が降り注ぐ。
「熱いね」
揶揄しながらも、一番心奮わせているのは彼だった。普段とは打って変わった口調の草灯が持つナイフはとてもよく手に馴染む。
「仲間が死ぬなんて嫌なんですよね」
どこかぶっきらぼうに告げるも、ミキの猫背は頼もしい。
癒しきれぬ傷すら、彼らは織り込み済みだった。遅滞のないポジション変更が互いの穴を埋める。
退かない敵。刻まれる傷。デモノイドが雄叫びをあげる。怒りと禍々しさと、そして――、
それだけではない、何か。
ただの感傷かも知れない。あの部屋を見て、両親の娘へ注ぐ愛情が見えた気がしたから。
(「置いていかれるのはどんな気持ちだろう」)
戦いは楽しい。それでもふと、草灯は思ってしまった。あの子は「生き残らなければよかった」と思う日が来るだろうか?
――何も考えずにいられたら。
辛い。希子はぎゅっと眉を寄せ、涙を堪える。手が届くなら。守れる限り、守り抜く。それが、希子の目指すものだから。
護るべき一般人だったモノへ、刃を向ける。
理不尽だ。怒りを向けるべき本当の相手は、彼ではないのに。それでも叶恵は手を休めるわけにはいかない。他を害するものを止めるのがヒーローの――灼滅者の、役目ならば。光線がデモノイドの腕を灼く。灼滅者の一撃一撃が、彼であった躯を傷付けていく。
――『灼滅せよ』
彼らの脳裏に響く、エクスブレインの声。厳命された、その意味。灼滅者の宿命。様々なものが頭の中で掻き回され、纏わり付き、解ける――。
その中でも、たった一つ。これだけは。
「何とち狂っとるんじゃ! お前さんは父親じゃろうが!」
叫びに応えるように、デモノイドが吼える。
ヴォオオオオオォオオオオオオオ――!
助けたかった。救ってあげたかった。父と母と、子。『普通』の家族。幸せが、ここにはあったはずだ。
ごめんな。
「ごめんな。ごめんな――」
優奈が刀を振り抜いた。
人の形を失ったモノ。断末魔の悲鳴が胸を締め付ける。
蒼い躯はゆっくりと、地に伏した。
満身創痍の蒼い躯。たった数時間前まで人だったそれから視線を移し。ミキは仲間達をぼんやりと眺める。
嗚呼。
たまらなくめんどい。誰かが絶対に悲しむ、この状況が。
「チクショウです……」
この悔しさを。憤りを、誰にぶつければいい?
「……寝ちゃったっすか?」
優奈の腕の中で幼子は眠っていた。血と涙の痕を閾が拭ってやる。
「全部、悪い夢だったと言えれば良かったですね……」
子供に戻った叶恵が、自分より年下の少女を見上げる。目覚めた時、怖い夢だったね、もうそんな夢は見ないよと、言ってあげられたら。
「父ちゃんと母ちゃん、一緒に守れなくてごめんな」
守るように優奈は少女をかき抱いた。
謝っても謝っても、戻らないもの。
撫でられた幼子は安心しきったように眠っている。
せめて、夢の中だけは。
……お願いですから、起きて下さい。あなたまで死んだら娘さんが一人になっちゃうんですよ。一人はとても寂しいんです。
だから。
一人寝室に戻ったミキは声をかけ続け、手を尽くした。
けれど、母親の命の灯は戻ることなく。
細い肩を窄めて、ミキが出てくる。猫背が更に小さく見えた。そんな背に、希子は声を掛けることが出来ずに。
「希子はまだ、弱いね」
代わりに漏れた弱音は、思いも寄らぬほど震えていた。自覚した途端、涙が零れる。
自分達は弱い。身も、『心』も。ダークネスがひとたび本気で動き出せば、容易く翻弄される。こうも無力を、思い知らされている。
それでも。
黒煙が上っていた。火事になったのかも知れない。見えない範囲にも被害は広がり続けているだろう。
空はまだ、白む気配を見せない。
日が差し込むまで、暫しの時が必要だった。
作者:ナギ |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年3月22日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 3/感動した 6/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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