砂の牙城 ~666に挑め~

    作者:矢野梓

     大都会は眠らない。大都会は止まらない。そして大都会には――悪の跳梁する闇がある。その魑魅魍魎の闇の中を、髪を高く結い上げた少女がゆったりと歩いていた。黒い絹地の着物には銀糸の流水紋様。一見するとどこぞの料亭の若女将かともまごう風情だが、すれ違う人々は例外なく背筋が粟立つのを覚えた。その眼光の鋭さに。
    『ナンバー……ナンバー603。ひとまずはそれですね……』
     接待帰りのビジネスマンや飲み会帰りらしい大学生、誰もが足早にわたってゆくスクランブル交差点の中央で、少女はと夜の空を仰いだ。晴れているのに星は全く見えなかった。地上に溢れる光の中を彼女は再び歩き始める。まるで魚の群れの中を行くようで、少女はくっくっと喉を鳴らした。
    『水のない魚達……斬れば血を吹く魚達……』
     誰も振り返る者のない雑踏の中、少女もまたその中に紛れこんでいった。

     15分後――。どういった方法でか、彼女は高級マンションの屋上にいた。入り口はオートロック、管理人常駐のセキュリティもダークネスにとっては何ほどのこともない。そっと気配を探れば目的地である最上階の部屋では今まさに『取引』が始まろうとしていた。豪華な彫刻を施した机の上には小型のアタッシュケース。開かれたそこに見えるのは光の粒。尋常でない数のダイヤモンドがシャンデリアの光に煌めいていた。ソファーに向き合う男はどう見てもカタギのそれではなく、それぞれが背後に刀や銃を持った屈強な男を連れている。
    『愛人宅で取引……ですか』
     つまらない、今夜も上位の六六六人衆に出逢えなかった――少女は吐き捨てるように呟くと音もなくベランダに降りる。黒地の着物の上に羽織った浅葱色が風をはらんだ。
    『……!!』
     次の瞬間、分厚い硝子は粉々に砕かれ、取引の現場は混乱のるつぼと化す。
    「どこの組のもんだ、てめぇ」
    「どうしてここが」
    「指の1本や2本で済むと思うな」
     さまざまな怒号とぎらつく刃をものともせずに、少女は部屋の中央へ突き進む。背中に染め抜いた『誠』の一文字が踊っているような躍動感。
    「おい、姐さん。新撰組きどりたぁ粋ってもんだが……」
     見事な業物を手にボス格らしい男が少女の肩に手を置いた。瞬間、男の右手がぼとりと落ちる。愛人の悲鳴が調子っぱずれに響き渡った。
    『うるさいですよ、貴女』
     少女の2撃は今度は男の首筋を。盛大に上がった血飛沫が愛人の白いドレスを紅に染め上げる。
    『……血の紅……橘花……』
     ああそういえば私はあの女を越えなければなりませんでした――少女は女を見つめてにこりと笑った。復讐に燃える男達、逃げようとする男達、それらの全てを少女は女の目の前でやってのけた。
    「わ……わたし……殺すの……」
     女の問いはもはや人の声とも思えない。少女はさらに嫣然と笑う。
    『だってあなた、人の世のごみでしょう?』
     なら仕方ない――人を斬っていながら少女の刀は血脂1つ浮いてはいない。女の目が狂気の色に見開かれる。
    『大和守安定【贋】の露となりましょう』
     振り下ろす刀には一切のためらいがなかった。ごとりと人形のように転がった女を見下ろし、少女は刀を半紙でぬぐう。ばさりと投げ上げた幾枚もの紙がひらひらと部屋を舞う。天誅――墨痕淋漓と書かれた文字を読む者はもういない。

    「あ~、悪ぃんだけど……事件です」
     灼滅者達が教室の扉を開けると、開口一番水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)は言った。教壇の前の席には先ごろ学園入りしたばかりの高村・乙女(天と地の藍・dn0100)の姿も見える。
    「モノは六六六人衆……といいますか、沖田・菘(壬生狼を継ぐ者・d06627)さんかと思われます」
     灼滅者達に席に着くように促しつつ、慎也はすぐに本題に入った。人の心はまるで砂の城のようなものですねと少年は呟く。時に高くそびえ、時にもろくも崩れ去り――六六六人衆のゲームについては学園の灼滅者ならば誰でも知る所になっている。そしてそれに関連していわゆる闇堕ちが多く出ていることも。
    「え~っと、つまり……沖田さんは六六六人衆の暗躍を止めるために、六六六人衆になってしまったですか~」
     乙女ののんびりとした口調は、何とも慎也をイライラさせるものではあるけれど、今はそんなことをどうこうしている場合ではない。闇堕ちを果たしたといっても彼女はまだ完全なダークネスにはなりきれていない。
    「というと?」
     灼滅者の1人が質問すると、慎也は静かに告げた。今語って見せたことは場合によってはなかったことにできるかもしれないのだ、と。確かに沖田・菘は六六六人衆としての序列をあげようと行動を開始している。だが事件を巻き起こすスピードは極めて緩やか。おまけに同じ六六六人衆同士のことはともかく、一般人が殺されたという話はまだ聞いていない。他の連中がむやみやたらに手当り次第であるのとは状況が異なっているようだ。
    「だから、もしかしたらまだ救ってやれるかもしんねぇ……いえ、しれません」
     そこで、と慎也は今度はとあるマンションの見取り図を取り出した。現場はダイヤモンドの密輸取引が行われる場所だとのこと。今から急げば彼女が屋上からベランダに降りる直前で補足できるかもしれない。
    「そうなると、取引の方は~?」
     乙女のツッコミに慎也は少々うるさそうに手を振った。確かに密輸団は放ってはおけない悪の巣窟ではあるけれど、この際は大事の前の小事ということで。こちらは一般人の社会の仕組みでなんとかしてもらうとしたものだろう。
    「ここは灼滅者にしかできないことを優先ってぇこって、1つ!!」
     慎也はぱんと掌を打ち合わせた。
    「屋上への侵入……管理人さんとオートロックの細工については、こいつに任せますんで」
     慎也は乙女の頭をこんとつつく。
    「はい~、え~っと、よろしくお願いしますよ~」
     ぺこりと頭を下げた乙女もまた、闇堕ちしかけから帰ってきたばかり。とても他人事とは思えないのだろう。現場は先にも言った通り、高級マンション。広さは十分にあるし防音設備も完璧だ。危ない取引に使われるだけあって、安全性は『本職』の人達がしっかり確保してあるはずである。屋上の騒ぎに気付かれさえしなければ、ヤのつく団体さんの命もまあ保証されるだろう。
    「てことで、これが沖田さんのデータな」
     少年はシステム手帳のリーフを1枚丁寧に外した。灼滅者達が覗き込んでみれば几帳面な文字が整然と並んでいる。
    「沖田さんの得意は日本刀。『二尺四寸の大和守安定【贋』が愛刀なのは闇堕ち前と変わらず」
     加えてもう一振り、三尺二寸の日本刀も持っている。使うサイキックは推して知るべしだ。
    「それと殺人鬼の……とな」
     使ってくる技は灼滅者達にも実に馴染みのあるものだ。今更の説明は必要ないだろう。だが闇堕ちした彼女の力は平素のそれとは段違い。
    「まともに当たれば10人でかかっても勝つのは覚束ないでしょう」
     説得するなりすることができれば話はまた変わってくるけれど――慎也の言葉に誰もが、ただ押し黙る。何を言っても、何を聞いても、心の重しは取れそうもない。

    「というわけだから……」
     慎也はパタリとシステム手帳を閉じる。今回の敵は2重の意味で強敵である。純粋に六六六人衆としてみれば苦戦は必至であるし、完全に堕ちきってはいないと聞けば灼滅一辺倒というのも抵抗を覚えることだろう。その間隙を突かれてしまえば沖田・菘は二度とこちらの世界には返ってこない。
    「無事救出できればよし。でなければ完全な闇堕ちが待っています」
     そうなれば残る道は灼滅のみ――。再び重たい沈黙が灼滅者の上に落ちかけた。果たして闇に堕ちたダークネスの心も砂の城のように切り崩すことができるだろうか。
    「大丈夫ですよ~。私もいますから……」
     だが、乙女はのんびりと立ち上がると、教壇の少年に、そして仲間達に笑みを向け。この乙女が一番大変なんじゃん――慎也の目は明らかにそう語っていたけれど、灼滅者達はそっと視線を外す。
    「ともかくお気をつけて・……」
     慎也は教壇を降りると、ぴょこんと頭を下げた。ついでに乙女の頭も下げさせて――。灼滅者達の移行は手早く支度を整えると、夜の町へと駆けだしていった。


    参加者
    玄鳥・一浄(風戯ゑ・d00882)
    大神・月吼(戦狼・d01320)
    櫻井・さなえ(甘党で乙女な符術使い・d04327)
    炎導・淼(炎の韋駄天・d04945)
    前田・慶華(大ふへん者・d12186)
    佐藤・良輔(鋼拳を継ぎし者・d13360)
    十六夜・深月紅(哀しみの復讐者・d14170)

    ■リプレイ

    ●闇への階段
     灼滅者達の足音が階段に響いていった。マンションの監視カメラの類は高村・乙女(天と地の藍・dn0100)らの細工で既に沈黙をしているだろうが、人を感知するセンサーだけが生きていた。フロアに一足踏み込むごとに瞬く光は、彼らが背に負うものを思えば場違いな程。だが光の中にくっきりと浮び上がるコッケーカッキロサ・カギカギカギリィロ(殺人鬼・d09521)こと、ロサの小さな体はもっと場違いに見える。
    「闇堕ちゲームなんて、あんたらで勝手に堕ちてけばいい……」
     そのまま闇に沈んじゃいな。あたしはあんたらが大嫌いなんだ――呪うように吐き出された言葉は高い天井にこだまの様な響きを残す。
    「……」
     ラルフはそんな少女の肩にそっと手を置いた。確かに六六六人衆を両親の仇と狙うロサにしてみれば、クラブ仲間の沖田・菘が六六六人衆に堕ちようとしているのは耐え難いのであろう。思いはラルフも織緒も同じで。そんな『武部“SPIRIT'S”』の面々を十六夜・深月紅(哀しみの復讐者・d14170)はそっと見守る。クラブこそ違えど、彼女も菘とは知らぬ仲ではない。とりあえず一発ぶん殴らないと――少々物騒に聞こえなくもないけれど。
     闇堕ち――灼滅者ならば誰もが抱える黒い闇。それが今回彼らが相手にするものだった。先日皆の前から姿を消してしまった菘の動向がやっと掴めたのである。佐藤・良輔(鋼拳を継ぎし者・d13360)も逸る心を無理に抑え込み、最上階へのステップに足をかけた。闇堕ちの事情に関しては同じ依頼に赴いた翔琉からも聞いている。だから菘の思いも痛い程理解はできる。
    「だが、ダークネスと化す事を望んでるワケじゃねぇ……」
     きっぱりはっきり言い切った横で櫻井・さなえ(甘党で乙女な符術使い・d04327)もそっと息をついた。菘はこのマンションで行われる密輸取引を潰す為にやってくるのだという。悪を懲らし、人の世のごみを無くすとの宣言と共に。
    (「たとえ闇に落ちたとしても、以前の志はどこかに残っているものなのでしょうか」)
     悪事を赦せぬ心意気は以前の彼女のままなのだろうか――さなえの胸に湧く疑問。だがそれエクスブレインが描いてみせた未来はそんなものとはまるで無縁の凶行の図。それを遂行させてしまえば彼女の心は益々深い闇に囚われてしまうに違いない。
    「ったく最近は迎えに行く回数が多いな」
     辟易したような舌うちは炎導・淼(炎の韋駄天・d04945)もの。だがその声の響きとは裏腹な表情を読みとって玄鳥・一浄(風戯ゑ・d00882)は薄く笑んだ。
    「まぁ何度でも連れ戻してやるがな!」
     対する淼もにっと笑い返し、
    「彼等の血で汚れたくはあらへん筈の彼女の為にも」
     一浄は表情を改めて菘と深い繋がりのある者達を見やった。屋上への扉はもう後数歩。あの扉が開けばきっとそこは阿鼻叫喚の巷と化す。堕ちゆこうとする者と引き上げようとする者のせめぎあいが平穏の内に終る筈はないのだ。ならば互いの力が互いを殺す刃とならぬよう、ただ力を尽くすのみ。
    「どっちもよう判るから……」
     堕ちたもんの強さ恐ろしさも、勝つ為に堕ちた弱さ強さも――。一浄が言葉を引取ると、前田・慶華(大ふへん者・d12186)が最後の段を飛ぶ様に越えた。広い踊り場の向こうには、古式ゆかしい鉄の扉。裏方組から託された鍵が慶華の手の中で澄んだ音を立てた。
    「何があっても絶対に帰ってきて貰うよ」
     まだあたしとの模擬試合、決着つけてないし――独白のようなその呟きに、大神・月吼(戦狼・d01320)も大きく頷いた。
     
    ●かつての友か
    「よォ……迎えに来たぜ、沖田サン」
     良輔の声が真っ先に飛んだ。その先には黒い着物に身を包んだ人影。屋上のライトが浅葱の羽織をはっきりと照し出す。クラブ仲間達にはお馴染みのそれには『誠』の一文字が染め抜かれている筈だ。
    『……誰がこの者を呼ぶのです?』
     真直ぐに見返してくる藍の瞳が翔琉には痛かった。まるで心臓を射抜かれたかのように。
    「沖田……」
     呟きが擦れる。ナンバー603石飛橘花と対峙した日がまざまざと思い出され。戦闘不能は4人までと決めていたあの戦いが。最後のリタイアは他ならぬ翔琉自身。最後の記憶は一振りの刀。そう、今のあれが手にしている、大和守安定【贋】。
    『……序列持ち、ではないようですね』
     再び聞こえたその声もあの時のまま。それ以上の言葉を紡げぬ翔琉に代ってローゼマリーが叫ぶ。
    「Reiß dich zusammen!」
     しっかりしてくだサイ――それは彼女の故郷の言葉。かつて菘を混乱させた事もあった響きは、しかし今の菘には通じない。怪訝そうな表情を灼滅者達に向けると菘は近づいてきた。張り上げずとも声の届く範囲に。けれども決して踏み込まれぬ間合いで。
    『けれど……やれば序列が上がりそうな位には強いようですね』
     刀研ぎ位にはなれそうな――にこやかに冷たいその声に、ロサの眉が跳ね上がる。まさか彼女も所謂ゲームの仲間入りをしたがっているのだろうか。
    「闇堕ちして六六六人衆入り? 冗談でも怒るよ!」
     それを合図に灼滅者達は一斉に武器を構えた。弓に槍にそして斬馬刀……それが何を意味するものか無論菘に判らない筈はない。
    『大和守安定【贋】――その露になりなさい』
     鞘が音もなく払われる。美しい波紋に月吼の目がきらりと光る。身の丈程の斬馬刀にも鋭い輝き。
    「昔取った何とやら……久々に剣で戦うのも悪かねえだろ」
     つー訳でちょいと付き合いな――月吼の言葉が終るか終らぬかの内に、二尺四寸の日本刀はどす黒い闇に包まれた。闇はそのまま前を守る灼滅者達を押し包み、数知れぬ痛みとなってその体に食い込んでいく。一浄は僅かに唇を歪めた。皮肉な笑みにも見えるその表情の下の激情は誰にも知られる事はない。一切は黒死の斬撃がその一端を伺わせる他には。間髪入れずに月吼の斬撃、更には淼の腕が風を切るように撓った。殴打の音は夜の闇の中では一層不吉に、禍々しく。
    「沖田菘! 聞こえるかっ!」
     すぐ傍での叫びに轟くばかりの雷鳴が重なる。さなえの一撃が菘の肩口を直撃したのだ。
    『……』
     じりっと僅かに下がって沖田・菘はいったん刀を収めた。かと思うと純白の襷を浅葱の羽織の上からきりりとからげ。
    「沖田サンが目指してるのは、武としての頂だろう?」
     見覚えのあるその所作にシールドを張る良輔の心は痛む。それがせめてもの武への礼儀だと言っていたのは沖田の筈だったのに。だが今はまるで聞く耳を持たず。目にもとまらぬ早業で抜かれた刃が銀の光となって灼滅者達に向けられる。
    『失敬な、六六六人衆を辻斬り呼ばわりとは――』
    「貴様に話してるんじゃない、菘に話してるんだ!」
     深月紅の指輪からは魔法丸。クラッシャーの勢いのままに飛び出すそれには彼女の思いも込められて。大きく穿たれた銃痕からは真っ赤な流れ。それでもロサのナイフをかわし、慶華の槍をガードする菘の体捌きは流石なもの。
    「逃げんの? 沖田総司の名を受け継ぐ者がさ」
     体勢を整える為に一歩引いた菘に慶華は畳み掛ける。試合……否、死合いという文字が脳裏に浮かぶ。それ武士の務めだと言いあっていた日々はそんなに遠いものだっただろうか。
    「……行くよ、先輩」
     慶華の槍は水平に。銀色の穂先に僅かに星の光が降りそそぐ。

    ●未来の友か
    「静か、ですね」
     1階の管理人室付近からは屋上の気配などまるで覗えない。由乃はちらりと椅子に倒れ伏した管理人に目をやった。俄かに仕掛けた魅了に管理人は完全に由乃の管理下。
    「お見事でしたよねえ」
     惚れ惚れするように乙女が見つめる。このマンションに住む友人が近くの排水溝に鍵を落した云々と芝居っ気たっぷりのシナリオで誘き出してのラブフェロモン。加えて旭がちらつかせるプラチナチケット。乙女や旭だけでは手に余ったかもしれないセキュリティ関連も、当の管理人が協力してくれれば障害でも何でもない。
    「ボクにはこれ位の事しかできないけど……」
     幾重にも隔てられた屋上を旭も見上げた。皆、頑張って沖田先輩を取り戻してね――そんな囁きに乙女も小さく頷いた。

     下の者達のサポートは戦う者達の後顧の憂いを完璧に取払った。戦慄すべき技量の持ち主となった菘との渡り合いでは、それ以外の事に心を向けていてはやられてしまう。それ程に闇堕ち下者の強さというのは強烈だった。
    (「怖い。怖いけれど……」)
     さなえは皮膚が粟立つのを止められない。防護の符ゆく先は深手を負った月吼。彼自身のオーラによる癒し、良輔のシールドの力、それらを以ってしても谷の如く刻まれた傷をなかった事にするのは難しい。対峙して初めて肌で感じた闇堕ちの強さ。その闇の果てしなさ、罪深さ。だがさなえにはとても菘を責める気にはなれなかった。誰かを守る為の手段が他になかったとすれば自分も同じ選択をする日が来ないとも限らないのだ。それが灼滅者の宿命である限り。
    『やはり、お強い……ですね』
     私と共に来ませんか――嫌な笑いが菘の顔に浮んだ。瞬間、深月紅のナイフが緋のオーラに包まれる。炎の如く爆ぜる欠片は虹色に、直刀、曲刀、両の手の動きは鮮やかに。
    「ふざけるな、ふざけるなと言ってるんだ! 沖田総司の子孫が、そんな闇に負けていいのですか!」
     菘の帰りを皆待ってるんだよ――走る斬撃に、慶華は歌声を重ね、
    「私だってそっちには行かないよ!」
     戦うのはアンタの中に巣食った闇だけなんだから――ロサのナイフがそれに続く。
    『……皆?』
     菘の呟きに初めて疑念の響きが篭った。だがそれはまだ剣士としての彼女の技量に影響を与えるまではゆかず……。
    「……っ」
     あわやというところで目の前に割り込んできた赤茶の短髪に、ロサの目が大きく見開かれた。直に刃を握る淼の指からは赤い蛇が這うかのような流れ。
    「鶴見岳で……」
     淼は言葉を継いだ。鶴見岳の一言に確かに菘の頬はひきつったのだ。
    「……俺の後輩が世話になったな」
     あの時てめぇらを救う為に堕ちた奴はちゃんと戻って来たぜ――語りかける声だけが夜の闇の中に淡々ととけていく。動きを止めた菘に灼滅者達の視線が突き刺さる。
    「聞こえてはるやろ、皆の声……あんたはん、ほんま果報もんやで」
     一浄の言葉はあくまでも静か。菘の意識が一瞬一浄へ逸れた隙に、淼の体が真紅の炎に包まれた。
    「てめぇも見送る側の気持ちわかってんだろっ!」
     炎を宿した武器が動けぬ彼女の上に落ちるのと、一浄の魔力が流れ込むのはほぼ同時。
    「護る為に堕ちた路なら……護るために戻っとき」
     それがどんなに難しい事か知らぬ彼らではないけれど、道があるなら突き進む。道がないならそれを拓く。その位の事はしてみせる。
    「それが、この戦いってやつだよな」
     軍艦さえも断ち切るというその刀を、月吼は小枝の如く軽々と――腱が断たれる音と共に菘の視線が揺らいだ。そう、まるで迷いの中にいる者のように。

    ●砂の牙城を崩すとき
     数えきれない時が息つく暇もない攻防の中に移ろっていく。

     ――お前が羽織っているそれは単なる飾りか?
     ――背負っているその文字は誇りではないのか?

    「違うだろ。だったら抗えよ! ダークネス如きに屈してんじゃねえ!」
     月吼の言葉は刃のように菘を掠めていった。淼に盾の力を与えていた良輔も畳み掛ける。既に彼女の技の精度は落ち始めている。灼滅者達がしかけた足止めや捕縛もこちらを助けてくれるようになった。ならば。
    「『沖田』の名に恥じない武を、高みを目指す事なんじゃねぇのか」
     背中に背負った『誠』が泣いてんぞ――その呼びかけに応じるように、夜風が羽織をはたはたと揺らす。未だ後ろを見せぬ彼女の背では誠の文字も共に揺らいでいるだろう。菘の唇が震えだしたのを見て、慶華も紅蓮の炎を呼び出して。
    「『試合』と『死合』は別物……貴女が言ってくれたんだよ?」
     殴りつけるその刹那、炎が2人の間でちりちりと爆ぜた。また試合の続きをしようと語りかければ明らかに驚愕の色が応じてくる。

     ――あたし強くなったんだよ?

     呟きざまにすれ違う。その瞬間の菘の表情をヘカテーも翔琉も当面忘れる事はないだろう。驚愕とも恐怖とも違う、その何かを。
    「ここに来た者達は『死合』をする気も、『灼滅』する気もなさそうだぞ」
     ヘカテー達が決めているのは『連れて帰る』ただそれだけ――それも七代目『沖田・菘』その人だけを。
    「ここにはあいつはいない。またあいつが現れた時は皆で俺らで迎え撃つ……だから」
     湊が声を張れば動揺はますます大きく。
    「そう、今度こそ石飛橘花を俺達の手で――」
     翔琉の声を合図に、再び灼滅者達の攻撃が花となる。赤く、黒く、鋭く、深く。それらの全てが菘に吸い込まれていく様は、壮観でもありまた哀れでもあった。
    『……橘花……乱れ……梅の……紅』
     剣戟が、深月紅の頬を掠める。もはや庇いに入るまでもないと一浄は嘆息する。灼滅者達は漸く手加減攻撃に移る時機を見出した。さあ後は何度も手を差し伸べよう。沖田・菘その人が、その手を取ってくれる迄。
    「皆が貴女を信じて待っている。あなたが高みを目指すのを……」
     希の声は穏やかに、そして確実に。歩むのは真紅の海の上に非ず、ただ果てなく高い空の極みへ。
    「どうか思い出してほしい……」
     さなえの杖が作り出すのは魔術の竜巻。残っているダークネスの心ごと巻上げるような竜巻にさなえは祈りを託す。思い出してほしい。貴女が一体何者なのか。その根源を、そしてその渇望を。深月紅の剣戟が今迄にない冴えをみせ、ロサの拳が凄まじい連打を繰返す。
    「本当に闇堕ちしてしまったら……」
     護ってきたものもこれからの未来も全て手にできなくなっちゃうよ――ロサの願いは慶華の歌声に乗って菘を包み込む。
    『……未来』
     声の邪気が消えている――ラルフにはそう感じ取れた。
    「いつか掴むその栄光を分かち合い喜ぶ時は……君も一緒に」
     織緒が伸ばした手に、菘は震える指がおずおずと――。
    「ダークネスに乗っ取られて終り、なんてツマラナイ事をしないで下さい」 
     すっとあげられたラルフ右手は総攻撃を願う合図。何の打合せが行われていた訳でもないのに、灼滅者達の呼吸は正しく阿吽。黒死の斬撃が月吼ならば紅蓮の炎は淼の手で。深月紅の弾丸に慶華の穂先が続き、ロサは菘を守るその着物ごと切り裂いて。
    「帰ってこい! 沖田サン!」
     良輔はそんな言葉を拳に乗せて。吸い込まれるように決まったその拳。菘の体がくの字に折れた。
    「……が……とう」
     気を失うその刹那、彼女の唇が微かに動く。お帰りんさい――一浄の唇もまた、聞こえぬ程の声で……。

     灼滅者達には『お帰り』とかける言葉のある事が今は何よりも嬉かった。そして今、彼らの輪の中央には険しさの消えた顔で彼らの仲間が眠っている。

    作者:矢野梓 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年3月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 13
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