少女ハ舞ウ。漆黒蝶ヲ引キ連レテ

    作者:一縷野望


     誰もが母親になれるわけじゃない。
     でも、ここにいるのはみんなお母さん。
    (「……うん、いらないよね」)
     と。
     肩で切り揃えた髪を揺らし、少女はブランコから軽やかに降りた。
     目の前の砂場では、おもちゃの取りあいでやいのやいのしている子供の上で母親同士も諍い中。
    「どうしたんですかぁ~?」
     人好きのする微笑みで近づけば、母親達は互いに自分の子供の正当性を主張はじめる。
    「あなた見てたでしょ? この子がうちの子のスコップを取上げたのよ!」
    「あら、貸してくれるって言ってたわよ。ねぇ?」
    「んー……」
     ――喧嘩両成敗。
     ふわり。
     少女の足下からナニカが飛び立ったような、気配。
     ぶじゅり。
     泣いてる子供に蝶の形の染みができたかと思ったら瞬く間に真っ黒に呑み込まれ、後には小さな躰に詰まっていただけの紅と肉が残される。でも水はけの良い砂に、命の証はあっさり吸われた。
    「ひっ、ひぃぃ……えりあちゃん?!」
    「きゃあぁあ?! りゅん? りゅん?!」
     いいないいなぁ名前呼んでもらえる子はいいなぁ、と、少女は羨ましい気持ち一杯で蝶を放つ。母親二人もまた蝶の影に呑まれた。

     ――きっと、灼滅者達も、ちゃんと名前を呼んでもらえてる子なんだろうなぁ。
     
     他の遊具で遊んでいた母子達も異変に気づくが、遅い。
    「全部、いらない」
     抱えてる想いを解き放てば、人なんて簡単に冥府に堕ちていく。
    「いいよね? ボクもあたしもさぁ、ママと一緒なら……」
     寂しくないよネ?
     

    「そうだね。ママと一緒なら寂しくないよ、きっと。でもさ……」
     天国か地獄か知らないけれど、堕とされた死には倖せがなにひとつ、ない。
     灯道・標(小学生エクスブレイン・dn0085)は俯きケープを止める花飾りを弄ると、一旦口を噤んだ。
     教室に灼滅者達が揃ったのを確認し、物憂げに再び唇を開く。
    「六六六人衆、序列第五三六位『無子(なこ)』……それが今回の相手だよ」
     見た目は10代半ばの少女である彼女は、ある公園にて母子を殺し尽くすのだという。
    「彼女の狙いは、キミ達だよ」
     灯火色の瞳は瞼で翳る。標の声がまた途絶えた。
     彼女はタガの外れた殺人狂じゃない。
     彼女は待っているのだ、灼滅者達が現われ惨劇を止めようと試みるのを。
    「灼滅者を闇堕ちさせたいんだと、思う」
     きっとそんな彼女は扱く怜悧。
     新興住宅やマンションがひしめく地方都市の一角。
     少子化と言われ長いが、若い夫婦が多く暮らすこの辺りには子供の姿を見ることも多いらしい。
     惨劇がはじまるのはその中にある公園から。
    「海へ抜ける遊歩道があってさ、人の行き来は結構あるんだ」
     止めるタイミングは、無子がブランコを降りて二組の母子の前に立ったその瞬間だと、予測は告げる。
     事前に避難させることは残念ながら、無理。
    「これはボクの予感みたいなモノだけど……」
     言おうかの迷いは『予感』などという曖昧なモノで余計な負担をかけたくないからか。
    「一般人の避難に向いたESP、色々あるけど……ただ使うだけだと上手くいかない気が……する」
     ――この場所にいるのは母。子を命がけで護りたいという強い意志を持った生き物達。
    「使う際に適切な言葉をかけないと、逆に無子に利用されるかもしれないなって……思ったよ」
     無子の目的は灼滅者達の闇堕ち。
     どれだけ堕とせるか指折り数えて心で舌なめずり。
     灼滅者達が、無辜の人達を護る為に動きがちと言うのもお見通し――舞台装置を使わないわけが、ない。
    「無子は、殺人鬼と影業のサイキックを使用する。とてつもなく強いよ、気をつけて」
     酷いことを強いている自覚は、ある。
     逃げるように窓の外へ目をうつし、けれどやはりちゃんと向き合うことがせめてもの筋だと、少女は8対の瞳それぞれと視線を絡める。
     何を言おう、何を言えば。
    「あのさ……」
     見送りの言葉、でてこなくて。
    「どうして無子は此処を舞台に選んだんだろうね」
     どうして、母と子が集まる此の場所なんだろうね――?
     零れたのは、この場の誰もが答えるコトのできない疑問だった。


    参加者
    篠雨・麗終(夜荊・d00320)
    瑠璃垣・恢(キラーチューン・d03192)
    四季・紗紅(小学生ファイアブラッド・d03681)
    天河・蒼月(月紅ノ蝶・d04910)
    イブ・コンスタンティーヌ(楽園インフェクティド・d08460)
    祝・八千夜(虚言虚構ノ万華鏡・d12882)
    ミスト・レインハート(闇夜の疾風・d15170)

    ■リプレイ


     花の甘さ孕む風に濡色髪を遊ばせて、イブ・コンスタンティーヌ(楽園インフェクティド・d08460)は仲間を嫋やかな笑みで見送った。
    「ヴァリーさま」
     傍らに佇む『彼』に眼鏡越しの融けそうな紅をうっそり向ける。こんな状況でなければ共に歩く薄紅回廊はさぞや……。
     否。
     死を突きつけ縛ろうとしても結局は零れ落ちてしまう愛し人。母になるなぞ願うも烏滸がましい、決して囓れぬ果実。
     だから。
     押し流されそうな羨望に、抗いたい。
     ……護りたい。

    「わぁああん!」
     とうとうスコップを取上げられた子が泣き出したのをきっかけに、尖った言葉の応酬を始める2人の母。
     ――此の醜悪さは、愛。
     一歩、二歩、三歩……母達の前に立った時点で、無子はこの場に異物が混ざるコトに、気づく。
    「けんぱっけんぱっ!」
     灰髪を風に遊ばせ跳ねる少女、異物。
    (「まさか、1人じゃないよね」)
     どう関わってくるのかなぁと胸躍らせながら流れに身を任せる。そんな無子にほぼ同時に気がついた母親達は、自分の子の正当性を我先に吼えた。
     ――此処だ。
    「瑠璃垣・恢」
     吐息のような名乗りだった。
     だが割り入るように立つ瑠璃垣・恢(キラーチューン・d03192)の身には、普段の儚さとは真逆の意志が纏わり付いている。
     護りたい。
    「麗終……」
     純朴な暗色の帽子を押さえ、虚っぽで投げやりに見える篠雨・麗終(夜荊・d00三20)の事も。
     花見をしたことがない――そんな誘い水を彼は飲み干した。壁張り巡らし愛着避ける女は自らの変化に戸惑いながらも彼を護ると誓う。
    「祝・八千夜っつーンだわ」
     藤の花が綻ぶように、祝・八千夜(虚言虚構ノ万華鏡・d12882)は口元に華やぎと安寧連れた弧を描く。
     予知で知り得た無子の母子への羨望。
     自分の出自があやふやで、良く分からない自分がいる。
     ……だからこそ『名』の掛け替え無さを知る自分は『無』の少女の羨望が分かる気も、する。
     ――『敵』接触、確認。
     ヒルデガルド・ケッセルリング(Orcinus Orca・d03531)は、無機物を思わせる銀髪を隠したフードをかきあげ耳に手をあてる。
     確認済みの逃走経路。
     敵から極力死角なのは、滑り台。
     ブブブ。
     母親は携帯のバイブ音に階段をあがりかけた足を止める。開いた画面には『非通知』の文字、一向に切れない様子に眉が顰められる。
    「非通知なんだけど鳴りっぱなし……」
     携帯は取れと命じるように手の中で震え続ける、諦めたように彼女は受信ボタンを押した。
    『落ち着いて聞け』
     不審露わな滑り台の母を遠目に、天河・蒼月(月紅ノ蝶・d04910)は祈る。どうか母子手を取り逃げて。お母さんも子供も一緒に無事がいい。
     殺したくないから母達からの別離を選んだ――大好きだから、一緒にいれなかった。
     孤独から生じる寂莫は何時だって胸を灼く。
     でも。
     家族への大好きもまた、灯火のように胸をあたためる。
    (「彼女が堕ちた『闇』は、なんだろう」)
     知りたい。
     果たして、知っていればあの時彼女を護れたのだろうか。
     ……知っていれば、今、無子を救えるのだろうか。
     ミスト・レインハート(闇夜の疾風・d15170)は、プラチナチケットを効果的に使う言葉を探しながら、視線は無子へ。
     納めた刀の柄を握り締め唇を噛みしめる。まだ抜かない、いや、できることなら彼女の血で刃を汚したくは、ない。
    「けん、けん……」
     四季・紗紅(小学生ファイアブラッド・d03681)もまた遊びながら無子を伺い片足跳びで近づいていく。
    (「なぜここなのか? 彼女の本当の名前は?」)
     知りたい問いを胸に抱え込みながら。
     されど無子の答えがなんであれ、命を消す行為は唯々虚しいと紗紅は絶対の答えを見つけてはいるのだけれど。


    『ブランコ側に通り魔がおり子供が危険』
     思わずブランコに視線が向く前に、
    『刺激しない様静かに』
     先読みしたようにヒルデガルドは制止する。
    『信じないのは勝手だが子供だけは守れ』
     ふつり。
     切れた携帯をじっと見つめる母親は膝にしがみつく我が子の存在で我に返る。
     ――悪戯であれ本当であれ、子供を連れこの場を離れねば。
     滑り台の上で的になる予定だった彼女達へ、この場を離れたいという意識を植え付けたのは大きい。
     ヒルデガルドは続けてお喋り中の母親に声をつなぐ。

    「そうやってみんなで名乗るのは、あたしへの嫌味かな?」
     少女は軽く戯けてみせた。
    「ならば、俺はきみを、なんと呼んだらいい?」
    「無子」
    「その名前本物なのかよ?」
     時間を稼ぐため八千夜は自分から問い掛ける。
    「変な質問」
    「俺の名前も後からもらったもンだからよ、15まで名無しだった。正確には番号で呼ばれていたンだ」
    「じゃあ、あなたも『バカ』とか『クズ』とか呼ばれてたんだ」
     この一言で、誇りある今の名の由来を八千夜は少女に語れなくなった。
    「闇堕ちゲームを、なぜここで? 前に相手にした五七一番は、人の多い場所を選んだ」
    「へぇ、怖いねぇ」
     恢の問いに少女は言葉を選ぶ、砂場の母子(えもの)が逃げぬように。
    「――この場所に、何か拘りでも?」
     丁度良いその問いがきた。
     では、引き金を引こうか。
    「はーい! ママさん達に質問です♪」
     粛々とした恢に相反するように朗らかに手をあげてにっこり。
    「?」
    「は、はい」
     呑まれたように答えた母親、灼滅者達が動く前に無子は脳天気な問い掛けをねじ込んだ。

    「ママとお子さん、どちらかしか助かりません。どっちの命をとりますかぁ?」

     母親2人は即答できなかった。
    「……迷っちゃいましたね」
     躰から『裁き』が溢れはじめる、灼滅者達が壁になってもそれを越え命をかすめ取る漆黒の殺意が。
     予測通り砂場の母は死ぬはずだった。
     だが、
    「お姉さん、待たせてごめんなさい」
     転ぶように駆け込んできた紗紅の抱きつきによりほんの一瞬逸れた。その機会を逃さずに麗終が槍を突き立て八千夜は逃げろと母親の背を押した。
     そして恢は肺の中味を全て出すように合図を叫ぶ、狂乱を放ちながら。
    「――来るぞ!」


    「公園は危険です」
     合図を耳にイブは前方の母子連れへ駆け込んでいった。
    「お子さんを連れてすぐに逃げて下さいまし」
     吃驚で立ち止まる二人の背を押すイブの傍らすりぬけ、ヴァレリウスは公園方面へ。

    「なぁんで庇うのかなぁ? アイツらは迷ったんだよ?」
     麗終が押し込む槍を片手で軽く掴み止め瞳を眇める。そして溢れた殺意をまるでついでのように目の前の四人に叩きつけた。
     序列の下方とはいえダークネスと彼ら曰く「なりそこない」の灼滅者、その間には圧倒的な差がある。
     そう、
     灼滅者としての多少の場数の違いなど厭わぬほどの圧倒的な差が、ある。
     ――艶やかに咲くは、紅血花。
     夥しい赫は『通り魔』という非現実的な単語に真実味という裏付けを塗りつける。

     これは、現実、だ。

    「子供なんて自分の人生を侵食する異物だって思ってるんだよ。だからあたしはここを選んだ、それが答え」
     いらないよね? そんなお母さん達は。
    「いらないから、死ね」
    「させません」
     仲間が一般人逃がす間の時間を稼がねばならぬ、後はもう身を呈してでも。
     斃れたままで紗紅は覚悟を決めた藍で無子を絡め取る。攻め手に癒し手に、変じて仲間を活かしてみせる!
    「殺したところで、その虚しさが癒えることはないでしょうに」
     震える膝を叱咤し立ちあがった紗紅は、掌に招いた炎を苛烈な台詞と共に浴びせる。
    「……キミは」
     まだ子供なのに紗紅には揺らぎが見えないと無子の瞳に賞賛が滲む。
    「遊歩道の方へ逃げて!!」
     一方、滑り台から逃げる母子の背を庇うように蒼月は飛び出した。少しでもはやく皆の避難を済まさなければならない。四人が冥府か闇夜へ逝く前に。
    「出来るなら、向こうからくる人たちにも教えて!」
     ……伝える余裕がなければそれで良い、まず逃げてお願いだから。
     そう心に願いを描き、白群蝶は漆黒蝶を哀しげな眼差しで一瞬見据えた後、急転、黒髪の残像残し駆けるは子供らの元へ向う。
     まだ剣は出せぬ、怯えさせたくないから。それが例え自分の身を危険に晒すとしても、子の心に疵を穿つより我が身を疵つける方が遥かに良い。
    「逃げて下さい!」
     ミストはプラチナチケットを飾る言葉探しをやめ駆けだした。向うのは四人の母親の元。
    (「迷い蹲り、腕から零れ堕とすのは沢山だ、そんな罪に苛まれ闇に堕ちるのは……沢山なんだ」)
     途中ではあるが通り魔話を聞いていた大人はもはやそれを疑う余裕もない。
     だがかけっこをしていた幼子は、泣き出す子、転ぶ子、ぼんやり立ち尽くす子と、状態も様々な上にばらけ散っている。
    「子供いっぱい、殺すのよりどりみどりだねぇ」
     ひゅ。
     無子の頬を麗終の槍が掠め裂いた。
    「独りだからって妬むんじゃねえよ」
    「つまり、あなたはひとりじゃないんだね」
     確認するように問えば、虚ろな瞳が先程母を庇い黒い蝶に蝕まれた恢へと揺れる。
    (「なるほどね。割と簡単に堕ちるかも?」)
     ――無子は冷静に獲物を選別していく。

    (「状況、把握」)
     置いた駒がひっくり返されるように急変した事態を、ヒルデガルドは淡々と測っていく。恐らくこの場で一番冷静なのは彼女だ。
     ……滑り台の親子、避難完了。
     ……砂場の親子、1組残存。
     ……広場の母親、1人避難、三人残存。子供、5人残存。
     ……遊歩道、仲間の手により安全確保、か。
    「ここは貴方達だけでも先に逃げてください」
    「そうそう逃げればいいよ」
     ミストの言葉尻は恐ろしく冷徹な声で拾われた。
     その声は自分に似て非なる者、ヒルデガルドはほぼ自動的に分析しながら、通り魔が伝わっている大人側へと足を向ける。
    「子供が死んだってまた作ればいいんだから」
    「ッ」
     対する蒼月は、とうとう平静でいられなくなりつつある。
     その人は唯一人掛け替えのない一人、どうして彼女はそれがわからないのか――。
    「君は……」
     もう堪えきれず、蒼月は胸に抱えていた問い掛けを破裂させた。
    「君はどうしてこんな事……」
     詰問のようでいて、蒼月の声は憐情塗れ。
    「君の本当の望みは何?」
     せめてそれを聞かせて。
    「――」
     ふ。
     真白な瞼をおろし、少女は瞬間呼吸すら止めた。

    「一度外に出たらもうお腹には戻せない。
     いらないって突き返したくても、産まれたなら無に帰せない。
     一方で、もう少しあたためててあげたかったと望んでも、それは絶対叶わない」

     謳うような答えは、果たして蒼月の胸に楔のような棘を刺した。
     そして幕があがるように瞼から現われた瞳(ぶたい)は唯々昏闇。
    「あは! お母さん方はどうぞ、快楽に溺れてお子さんを生産してくださぁい。新しい子、作りやすいように此の世から消して差し上げまぁす!」
     煽れ煽れ、罪悪感。
     あたしを押しつぶした罪にお前達も潰れてしまえ!
    「宙!」
    「来那ちゃん」
     母親は子供を護りたい、そんな生き物。
     彼女らは自分の命の危険を顧みずに、今ある子の命を掴もうと無謀にも踵を返す。
    「子供は自分たちが全力で護ります」
    「保証なんてないでしょ?!」
     結局は魂を刻んだ真摯さで押し返すしかないのだろう、ミストは一言呟いた「護ります」と。
    「……」
     ミストの声で遊歩道へ目を向けた母を、ヒルデガルドは導くように押しやった。だが腕をすりぬけ、孤立する子供の元へ向う母がもう一人。
     咄嗟に蒼月の方へと視線を向けるが、
    「怖がらないで。大丈夫……お家に帰ろう、ね?」
     こちらも子供達を集めるのに手一杯、そう判断した瞬間にヒルデガルドは子供側のフォローへ足が動いていた。
    「子供を守ろうとするお母さんにはご褒美あげるね」

     あなたを殺してあげます。

     慈悲を塗した素振りで揶揄に満ちた無子の声はかすかに震えていた。だが殺気は我が子へ向う母へと襲いかかる。
     果たして、漆黒に包まれたのは――イブの心から出でし想い人の映し身姿。
    「誰かの幸せを壊す権利など、あなたにはございませんよ」
     黒に蝕まれながらも立つ『彼』と指を絡め、イブは毅然と言い放った。


     残るは砂場の母子。
     でもまだ砂場の母子が残ってる。
     殺す、と煽りながら――無子の狙いは実は、恢。
    「ッ! させるか……よ」
     気がつき八千夜が庇おうとするも時既に遅し、下げたヘッドホンが宙を舞い恢は血の海に倒れ伏した。
    「ごめんなさい」
     俯く紗紅は、癒しの光から炎へ切り替え無子へと放った。
    「くっ……そ」
     悔しさで奥歯を鳴らし八千夜は恢を攻撃が当たる場所から遠ざけようとして、麗終の異変に気づく。
    「あ、あぁぁ……や……」
     失いたくない。
     ……音無く動いた唇。
     …………指が帽子にかかる。
     なにもかもなくした、でもまた灯ったぬくもり。

     ――なくすぐらいなら。

    「行か、ないで」
    「!」
     ぎゅ。
     血に塗れた視界の中で、恢は麗終の足首を掴みゆるゆると首を振った。
     ゆらゆら。
     軸無く瓦解しそうな心が、無子からは良く見える――。
    (「もう一押しかな」)

     うっかり死んでもそれはそれ。

     まだ見える細い糸の上の勝利を掴み取ろうと、ヒルデガルドがミストがイブが蒼月が駆ける駆ける駆ける!
     くすっ。
     それがおかしくって無子は無呪気に吹き出した。
     まるで走ってくる彼らはスローモーションのよう。だって、自分が黒蝶を飛ばせるのはもう『決っている』から!
    「冥府と『此方側』お好きな方を、どうぞ」
     まるで下腹部から生まれるように漆黒の蝶が迸る――行き先? 当然『恢』の元。
    「……あぁ……」

     いってきます。

     帽子を外した麗終の微笑みは、泡沫。
     恢の頬を熱い水が伝う。
     ――覆い被さる八千夜が今度は間に合っていたんだ。
     でも、
     でも、
     もしかしたら二度目は無いかもしれない。いや絶対、ない。ない、ない、ないないないないないないない!
    「……割と、大事だか……な」
     失いたく、ないんだ。
     ずぐ――。
     血瞳の女に胎を貫かれた無子は血のルージュで彩られた唇の端をもちあげる。指先に纏った黒蝶が行く先は、砂場で我が子に惨劇を見せじと目をふさぐ母親。
    「……だめ……」
     意識が逸れた隙に無子は舞台から悠然と、おりる。
     もし追えば、彼女はまだ画面の隅っこに引っかかる母子に蝶を飛ばす、ただそれだけだ。
    「いってきます」
     対になる言葉は「おかえりなさい」
     その望みはまだ、闇に融けきってはいないはずだ……。

    作者:一縷野望 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:篠雨・麗終(狂哀コォダ・d00320) 
    種類:
    公開:2013年3月26日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 15/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 5
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