幸福な悪夢~それはまるで呪文のように

    作者:高遠しゅん


    「すっかり春だ。朝、目覚めたくない日も増えたな」
     櫻杜・伊月(高校生エクスブレイン・dn0050)は窓の外を見やった。
    「ここ何日かで、子供たちが眠り続けるという事件が発生している。これは高位のシャドウ『慈愛のコルネリウス』が関係していると予測された」
     コルネリウスの名を聞いた、教室に集まった灼滅者たちの表情は硬い。
     伊月は手帳を開き、小さく息をついた。それだけ厄介なのだろう。
    「彼らの見る夢は、各々に特別に用意されたものらしい。個人の現実と恐ろしいほどよく似ており、夢に囚われた者は現実と思い込み、疑うことはない」
     夢の中でも多少の不幸はあるが、本当の不幸に陥ることはなく、努力すればするほど報われ続け、更に幸福な夢となる。
    「勿論、努力がなければ幸福も訪れない。だが努力は必ず報われる……現実より余程良い世界というのは皮肉だな」
     現実は努力が報われないことも多く、立て続けの不幸不運に嘆く者も少なくない。
     窓を背に、伊月は灼滅者たちの意思を確認する。
    「事態を放置したなら企みは成功と見なされ、コルネリウスは規模を広げ更に多くの者を夢に捕らえるだろう。最悪、町や都市全ての住人が夢の中、だ。どんな幸福な夢であっても、それが現実でない限り真実の幸福ではない」
     ここから先のエクスブレインの言葉は、言われずとも灼滅者達にはわかる。
     夢を見る本人に世界が夢であることを理解させ、夢から現実に連れ出すことだと。


     伊月は地図を広げた。ごく一般的な住宅街、一件の家に印を付ける。予測された少女が眠っている家だと。
    「ソウルアクセスを行おうとすると、コルネリウス配下のシャドウが少女の傍らに出現する。君たちも知っての通り、現実世界に実体化しているシャドウは活動時間に制限はあるものの、他のダークネスと比べてもかなりの強敵となる」
     シャドウは眠る少女を傷つけるような事をせず、戦闘に支障はない。危機に陥れば少女の夢に逃げ込むので、戦略を立てるにも都合が良い。
    「シャドウが命を捨てて君たちに向かってきたなら、戦闘はかなり危険なものとなる。注意してほしい」
     現実世界でシャドウを撃退し、逃走させることに成功したなら改めてソウルアクセスし、少女の夢に入ることになる。
    「ただ、戦闘で重傷者が多く出た場合や闇落ちする者が出た場合、夢の中のシャドウと戦うことは困難となる。一旦、学園に撤退することになるだろう」
     灼滅者達が頷くのを、伊月は確認した。
     現れるシャドウは、真紅のダイヤを散らしたぶよぶよとした不定形の塊だが、頭にちょこんと緑の三角帽子をかぶっているという。
    「配下はなく単体で現れる。普通に戦って完全灼滅するのは、今の時点では不可能と言えるほど強力だ。くれぐれも油断のないよう心がけてほしい」
     使用する技はシャドウハンターと同様のものに加え、広範囲にダイヤのトランプをばらまくことで追撃ダメージを与える技も持っている。後衛でも攻撃が届くことを考えると、布陣などにも変化が出てくるだろう。

     伊月は手帳を閉じた。
    「極めて扱いにくい相手で、戦闘は困難を極める。決して無理をしないでくれ。工夫して撤退にさえ追い込めば、ソウルボードに干渉できるのだから」
     そして言いにくそうに。
    「……『頑張れ』という言葉は、時に残酷なものだ。それでも」
     眠り続ける子供達を救い、コルネリウスの企みを阻止するためにも、頑張ってきてほしい、と小さく呟いた。


    参加者
    七篠・誰歌(八篠の四季姫・d00063)
    板尾・宗汰(ナーガ幼体・d00195)
    秋庭・小夜子(大体こいつのせい・d01974)
    王子・三ヅ星(星の王子サマ・d02644)
    高柳・綾沙(疾る剣の娘・d04281)
    緋野・桜火(高校生魔法使い・d06142)
    月原・煌介(月の魔法使い・d07908)

    ■リプレイ


     エクスブレインの記した地図に従い辿り着いたのは、住宅街の中でも比較的立派な家だった。庭木は丁寧に整えられており、春の花が咲きほころぶ庭もある。
     真夜中なのに、シャッターを開けたままのガレージは空。家人は出かけているのかも知れない。
    「こんな時間に、女の子一人残してお出掛けか」
     七篠・誰歌(八篠の四季姫・d00063)が二階の窓を見上げて呟いた。そもそも娘が眠り続けていることに気付いているのか、とも思う。
    「情けない話だけどよ。最初、ちょっといい夢だなっておもったよ」
     努力が必ず報われる、幸せな世界。現実はそう都合良く動いてはくれず、努力も苦労も無駄になることだって多いのだ。秋庭・小夜子(大体こいつのせい・d01974)は言葉を濁す。
    (「夢、縋る気持ち……判る。誰だって、幸せのほうがいい」)
     街灯の光が金の髪をほのかに輝かせる。月原・煌介(月の魔法使い・d07908)は、言葉に出さずとも瞳を雄弁に語らせて。
    「見つけたわよ、眠り姫さんのお部屋」
     箒でくるりと住宅の廻りを巡っていたリンデンバウム・ツィトイェーガー(飛ぶ星・d01602)が、緊張感をほぐすような口調でふわりと降り立った。その膝から霊犬のりゅーじんまるも飛び降りる。
     リンデンバウムが指すのは二階の角部屋。
     灼滅者たちは塀を飛び越え屋根に移り、ベランダに降り立つ。窓には鍵も掛かっていない。
    「……女の子の部屋、なんだよね」
     何となく入りにくそうにしていた王子・三ヅ星(星の王子サマ・d02644)は、部屋の様子に少し戸惑う。
     ちり一つ落ちていないほど清潔に片付けられた、子供部屋にしては広すぎる部屋には、学生らしく勉強机と本棚、あとはクローゼットの類がある。だが、あまりにも整いすぎていた。必要な物しか置いていない、個性といったものがまったく感じられない。
     ベッドで眠るのが少女でなければ、男女どちらの部屋なのか分からないほどに。
     年齢は中学生ほどだろうか。幸せそうな寝顔の向こう側にいるシャドウを、高柳・綾沙(疾る剣の娘・d04281)沙は憎しみを込めた目で見つめている。その背中を心配そうに煌介が見ているが、ここまでの間、彼女は一言も口を開かず視線すら合わせなかった。
    「準備はイイかしら?」
     陣を組み、全員がカードを起動させた。綾沙も念のため、ESPを使用し戦闘音を遮断する。階下に人がいるかもしれないから。
    「相手にするのは初めてだが、現実での実力がどの程度のモノか確かめてやろう」
     緋野・桜火(高校生魔法使い・d06142)がバスターライフルを両手に構える。
     そっと綾沙の手が少女の額に触れるか触れないか、その時。
    『キィィィァアアアアア!!』
     ぐにゃりと空間を歪ませて、歪んだ塊が虚空から落ちてきた。
     白地に血色のダイヤを散りばめた、ぶよぶよとした物体と表現した方がわかりやすい。伸び縮みする頭らしき場所にちょこんと乗った緑の三角帽子が、趣味の悪い冗談のように映る。耳障りな甲高い声が周囲に響きわたった。
    「精神を一方的に支配される被害者の屈辱、失敗と撤退の屈辱で返してやるよ!」
     足元で影を唸らせ、板尾・宗汰(ナーガ幼体・d00195)が叫びかえす。
     短くも長い戦闘の幕が切って落とされた瞬間だった。


     現実に現れたシャドウは、存在するだけでサイキックエナジーを大量に消費するため、活動時間には限界がある。
     今回は10分。その間耐えさえすれば、エナジーを使い果たしたシャドウは少女の夢に撤退する。そうすれば、ソウルアクセスで少女の夢の中に棲み着いたシャドウを斃すことができる。彼らは持久戦を選択した。
    「捻り潰してやるわ」
     オーラを拳に纏わせた綾沙が、真っ先に飛び出した。闘気を雷に変え抉り込もうとした、狙った場所がぐにゃりうねって形を変えた。
    「えっ!?」
    「綾沙」
     囁く声。
     一瞬で天井に貼り付いたシャドウが、鞭のようにしならせた腕を振り回す。避ける暇も無く突き出されてきた闇を纏った鋭い切っ先は、綾沙を庇う煌介の肩を深く抉った。
    「……ごめん」
     シャドウにとっては何気ない一撃だっただろう。それでも体力をごっそり持って行かれた感覚がある。
     視界がちらつき、胸の奥に封印したはずの傷が疼き出す。半身を赤に染め、煌介はお守りのように懐に忍ばせていた小さな紙片を服の上からなぞった。
    「回復はボクたちに任せて!」
     後衛の三ヅ星のリングスラッシャーから小光輪が飛来し、煌介の傷を癒した。それだけでは完全回復まではほど遠いが、まだ戦いは始まったばかりだ。
    「ここで頑張らなきゃ、この子は夢に捕われたままになるんだ」
     ボクも頑張る。だから、絶対に負けるものか!
    「りゅーじんまる、お願い」
     リンデンバウムが霊犬の背を撫でた。ほの白い浄眼の光も重なり、トラウマまで完全にぬぐい去る。いいこ、と頭を撫でてやってから、リンデンバウムは思案する。
    「そうね、呪い漬けにしてあげようかしら」
     指輪に込められた石化の呪いが、血色のダイヤに幾筋もの亀裂を走らせた。
    「……確かに、幸せだと思う」
     小夜子が床を蹴り、展開したシールドを大きく振りかぶった。
    「だけどな、人生つまんないだろ、そんなの!」
     力任せに強く叩きつける。奇怪な声を上げて身を捻り、シャドウが床に落ちてくる。
     すかさず桜火が零距離でバスターライフルの銃口を突きつけた。
    「一方的に押しつける、迷惑な幸福もあったものだ」
     銃声は2発。
     ぐずぐずと柔らかいシャドウの体に一瞬ぽかりと開いた穴はすぐに塞がるが、ダメージは蓄積されていると、冷静な桜火の眼には見て取れる。
     人頭蛇身を形作る影業が、唸りを上げて迸る。
    「人の心、土足で踏み荒らしてんじゃねぇよ」
     絡みついた影の蛇体が、シャドウの体をちぎれんばかりに締め付ける。ずるりと這い出た不定形の体から、無数の棘が生えた気がした。
    「来るぞ、気をつけろ!」
     誰歌が声を上げた。
     棘が竜巻のように舞い上がり、ダイヤのエースを模って灼滅者たちに襲いかかる。
     それの隙を縫って、誰歌は壁を蹴りつけた。勢いで突き込んだ解体ナイフの鋭利な切っ先は、ずぶりと抵抗もなく根元まで埋まり、でたらめな軌跡で肉を切り裂いて引き抜く。何とも言えない異臭とどろりとした液体が床にこぼれ落ちる。
    「まったく、気分の良いものではないな」
     カードの嵐は前衛達を襲っていた。
     振り払っても次々来るカードに全身を切り裂かれ、視界は白と赤に塞がれる。
    「窓、外に出たよ!」
     体をカードで守らせたシャドウが、開いた窓から出て行くのを見つけた三ヅ星が声を上げる。室内での戦闘が、少女に危険と思ったのか。
     皆で意見を合わせるまでもなく、灼滅者たちはシャドウを追って窓から飛び降りた。


     塀と住宅の間には、広くはないが綺麗に整えられた庭がある。
     春の花が咲いているそこを戦場にするには悪い気はしたが、誘導する余裕はない。戦闘音を遮っていたのは幸いだった。真夜中の住宅街に、音はひどく響きやすいから。
     全員が傷にまみれ、疲労していた。
     シャドウが体を伸ばし、一つのダイヤを光らせた。体に付いた傷がみるみるうちに消えていく。
    「……底が見えないな」
     あと何分耐えれば終わりが来るのか。高速演算モードに入った桜火が苦く呟く。時間の感覚などとうに失せた、元より時計があったとしても確認する余裕もなかったが。
    「奴を倒す力がねェのは、歯がゆいな」
     バベルの鎖を瞳に集めるのも何度目か。宗汰がぎりりと奥歯を噛みしめた。もっと強くなりたい、必ず強くなると心に誓う。
    「ここでお前とマトモに殺りあう気はない」
     前衛で攻撃を受け続けている綾沙が、肩で息をしながらも強く言う。
    「退け。私はその先に用があるんだ!」
     地面を蹴り、蒼いオーラを纏わせた拳を真っ直ぐに突き入れる。手応えがあったと感じた瞬間、目の前にシャドウの腕が迫り、とっさに転がって手を逃れた。灼滅者が、そう何度も同じ手を食らうわけもない。
    「りゅーじんまる、次」
     リンデンバウムが指さす方向に、霊犬が浄眼を輝かせる。ともに闇の契約を送っては、
    「大丈夫、背中は任せてね」
     援護役が余裕のない様子を見せてはいけないと、青いマントを翻し普段の調子で声を上げた。
    「――まだだよっ! まだ、やれるよっ!」
     三ヅ星もまた、シールドリングを放っては無理矢理の笑顔で答える。
     これまでの戦い、後方支援に徹したことはあまり経験がない。だが、前に立っていたときにどれだけ自分が援護に支えられていたか、今はっきりと理解した。だから絶対に倒れない、不安など口にしていられない!
    「全員、取り違えんなよ! 今は凌ぐのが仕事だからな……っ」
     片膝を地に付けたまま、小夜子もまた声を高くした。
     最前列で攻撃を受け続けた、小夜子の消耗は他より激しい。何度癒しても削られ、回復が追いつく暇がない。それでも、ここで倒れては少女を救うことができないと、気勢を上げて戦闘に食らいつく。
    「……落ち着いて、踏ん張ろ、すよ」
     表情に出せずとも瞳に光乗せ、煌介は蒼き星図の盾で癒しの力を広げる。
    「……カード、来る」
     ぐにゃりと歪んだシャドウが棘を放つ。
     棘はナイフの刃よりも鋭い無数のダイヤのエースに変わり、突風に乗って地面と平行に飛んできた。前衛たちは守りを固め、後方では回復の術を練り始める。
    「私の正義は、やられはしない」
     飛んでくるカードをナイフで弾き、誰歌は笑んでうそぶいた。
     体力は限界に近い。だが気力も力も、まだ尽きてはいない。あと何分だろうと、持ちこたえてみせると。
     カードの嵐が去ったとき。
     僅かな音を立てて、煌介が地に倒れた気配を綾沙は背中で聞いた。だが、振り返ることはしない。
     同時に、シャドウの姿が奇妙に歪み伸び始めた。
    「限界か!」
    『ィィィィァアアア!!』
     耳に突き刺さるような奇怪な叫び声を上げ、シャドウが黒い霧に変わる。吸い込まれるように、二階の窓へと流れ込んでいった。
    「お、おわった……?」
     緊張の解けた三ヅ星が、地面にへたり込んで息をつく。
     ひとつめの戦いは、灼滅者側の粘り勝ちで幕を下ろしたのだった。


    「ここからが本番ね」
     リンデンバウムが部屋を見渡す。
     先ほども感じた違和感。この部屋には『必要なもの』しか存在しないのだ。
     眠る少女は中学生ほどだろう。ならば、ぬいぐるみやマンガの類、雑誌の一冊や可愛いキャラクターもののマスコットなど、そういった物が一つくらいあっても良さそうなものなのに。
     一般的な勉強机、シンプルな木目のクローゼット、本棚には教科書と参考書の類がぎっしりと詰まっている。ベッドカバーは病院を連想させる白だった。
     子供部屋にしては広い部屋に、たったそれだけしか置いていない。
     これも『個性』というのだろうか。
    「随分シンプルだな」
     小夜子も見渡して呟く。自分の部屋と頭の中で比べてみるが。
     意識を取り戻した煌介も、不思議そうに周囲を見回している。
    「そろそろ始めようぜ」
     宗汰が声をかける。全員が床に座り態勢を整えた。
    「……すまない。君の心の世界、借りるぜ」
     一瞬灯ったかすかな光。
     灼滅者たちが見たものは――

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年4月17日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
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