邪気なき羅刹

    作者:矢野梓

     ビルの立ち並ぶ都市部にも時に息つく場があるのは幸いなこと。
     心のなごむ一幕に、明日への風が吹く――そんなふうに思えることは幸いなこと。
     ただし、それが人と人とのつながりである限り。

     その公園は都会の中にぽとりと落ちた緑のしずくのように見えた。空をゆく鳥達ならばきっと翼を休めに立ち寄るし、仕事の合間に慌ただしく昼をかこう人々もこの季節は木漏れ日の中を歩きたくなるだろう。だが光があれば影が生まれるのがこの世の習い。ましてやダークネスの暗躍するこの世界では――。
     その女性が木漏れ日の中で笑い声を聞いたのはとある春の昼間のこと。取引先まで出かけた帰りにこの公園に立ち寄った時のことだった。珍しく早くに仕事が片付いて、少しばかりの寄り道は許されると寄ったのだけれど。
    「パンダ……の、帽子よね。あれ」
     シロツメクサの花畑の中でピコピコ動いていたのはパンダの耳。信じがたいことだがどうやら子供が遊んでいるらしい。
    「どうしたの? こんな時間に……」
     お母さんかお父さんと一緒なのかな――そう聞こうとした瞬間、その少女は振り返った。
    「……え?」
     女性は我を忘れて素っ頓狂な声をあげた。そこにいたのは確かに少女だった。だが髪は白銀のように白く、細身の体を覆う白いワンピースもなぜが裾を裂いたかのよう。て
    「あなた……ここでなにを?」
     少女は背丈からの印象ほどには子供ではなかった。だが、だとすればますますおかしい――。幼い子供でないとするならば今頃は学校があるのではあるまいか。
    「……ねえ、ひとりなの?」
    「え? ええ、まあ」
    「そう、ならいっしょに遊んで?」
     ふらりと立違った少女は微笑んだ――ように見えた。それがちっとも自然に見えないのは虚無と闇とを底にたたえたその瞳ゆえだろう。
    「花かんむりを作っているの……」
     わたしのお人形を飾る白い花――少女の手が女性の腕をぎりりと握りしめた。そのものすごい力に女性は思わず眉根を寄せた。
    「……何を」
     と問う暇もなく、ぼきりと鈍い嫌な音。自分の骨が折れたのだと女性が悟るまで半瞬、それが小さな悲鳴となるまでさらに半瞬。
    「あれ……壊れちゃったの?」
     まだ早すぎるでしょ――少女はきょとんと首を傾げた。ふわりとパンダの形の帽子が落ちた。
    「……角?」
     白銀の髪には目立ちすぎる黒曜の煌めき。女性の驚愕には何の興味も示さぬままに、少女は今度は女性の足に手をかけた。
    「こっちを捻ったらもっとおもしろいかな?」
     女性の顔から血の気が引いた。今自分が捕まってしまったものの正体は判らない。けれどもそれは絶対に普通の人間ではありえない。

     普通の人間なら角なんかない…….。
     普通の人間の腕はあんな獣のようなものじゃない……。
     普通の人間なら――。

    『悪鬼』。天使のように可愛らしく、悪魔のように残酷で――女性に死をもたらす者の名を無論彼女は知る由もない

    「あ~、悪ぃんだけど……事件です」
     いつものように前置きをしながら水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)が教室に入ってくると、灼滅者達は既に話を聞く体勢を整えていた。
    「あのぅ、花守・ましろ(ましゅまろぱんだ・d01240)さん……に間違いありませんか~」
     遠慮がちに高村・乙女(天と地の藍・dn0100)が声をかけると、少年ははっきりと頷いた。過日の阿佐ヶ谷におけるデモノイド騒ぎ。その中で闇に堕ちてしまった仲間の名は灼滅者達にとっては特別な響きを持つものだ。
    「だが、目の色が違う……」
    「髪の色も、だ」
     信じがたい思いは彼らにとっても同じことなのだろう。
    「だけどもよ……」
     嘆息混じりに慎也はそっと首を振る。エクスブレインとしての仕事に手を抜いた覚えはない。これは間違いなく『彼女』なのである。
    「ここに……」
     慎也は状況を再現したCGの一点をゆびさした。ましろと思しき人物の首には銀細工のペンダント。パンダの形をしたそれにアメジストの紫の光は確かに見覚えのあるものだ。加えて『鬼神変』を使うとなると……。
    「――どうしたらいい?」
     灼滅者の1人が意を決したように切り出した。慎也もすぐにそれに応える。即ち件の公園の地図をだし、システム手帳を広げて――。
    「彼女は確かに闇堕ちをしました」
     その後の彼女は元の人格とはうって変って、好奇心の赴くままにお人形遊びを楽しんでいる。だがその心はまだ完全なダークネスにはなりきっていないはずだ。今なら急げば彼女が遊び始める前に現場へ到着することができるだろう。
    「となると~、誰か囮ですねぇ」
     乙女がのんびりと口を挟む。件の女性が声をかけてしまうよりも早く、こちらが仕立てた囮を1人送り込む。うまく彼女に声をかけさせることができれば少なくとも一般人に迷惑は及ばない。できれば囮は油断を誘える女性の方がいいだろう。彼女のお人形として気を引ける容姿ならばなお良い。
    「ま、最悪お前がやればいいんだけどな」
     慎也は乙女を見やって肩を竦める。誰が適任かは相談してもらうとして、ましろ本人と遭遇できたならばすぐに説得なり戦闘なりにかかってもらいたい。
    「判っているとおもいますが、現在の彼女は羅刹……」
     当然羅刹の力は存分にふるってくるし、影業使いとしての腕前も平素のものとは比べものにならない。幸いといっていいのかどうか、敵は彼女1人きり。
    「いわゆるクラッシャータイプですよ」
     慎也の言葉に灼滅者達の間で沈黙がおりた。羅刹の力で攻撃主体――となれば戦うにしても苦戦は必至。説得するにしても、こちらもある程度のダメージは当然覚悟しなければならないだろう。だがそれでも、灼滅者達は引くことはできない。彼女は阿佐ヶ谷のあの惨劇に終止符を打ってくれた人の1人なのだ。彼女のいるべき場所は『あちら』ではない。

    「というわけだから、1つ、皆さん、頼みます」
     ついでにこいつもよろしく――慎也少年は教壇を降りるとぺこりと頭を下げた。その横で乙女もまた神妙に礼をする。乙女が戦闘分野でどこまでやれるかははなはだ心もとないが、花守・ましろを救いたい思いは彼女も同じ。
    「えっと、完全な闇堕ちになんかさせませんよ~」
     その言葉に灼滅者達は一斉にに頷いた。


    参加者
    日辻・柚莉(ひだまり羊・d00564)
    榊・那岐(斬妖士・d00578)
    九湖・奏(たぬたん戦士・d00804)
    蒼月・碧(小学生魔法使い・d01734)
    アルヴァレス・シュヴァイツァー(蒼の守護騎士・d02160)
    東谷・円(乙女座の漢・d02468)
    八重垣・倭(蒼炎の守護者・d11721)
    宮代・庵(小学生神薙使い・d15709)

    ■リプレイ

    ●闇へ伸ばす手
     風は未来へ吹いていく――その日その公園を吹き過ぎた風は確かに未来へ向かって吹いていたように長南・雅は思う。目指すのは闇を抜けた先に溢れるだろう光。ましろという1人の友。灼滅者達の前に平穏そのものの真昼の風景が広がっている。萌芽の春を迎えた木々に笑う花々。人影はまるでなかった。それどころか都市特有の潮騒のような喧噪さえ今は皆無。一馬や絵莉羽、唯が巡らした殺界が行き届いた証左であろう。加えて京音や葛葉・雅の割り込みヴォイスや王者の風で万が一の事故も防がれる筈。それらの効果を確かめるとアリアーンや沙季達はサウンドシャッターを施した。
    「これで心おきなく想いを届けられる」
     武士がほっと一息つくと沙季達もまた神妙に頷き。既にましろ救出の実行班がシロツメクサの咲くあの場所をぐるりと遠巻きにしている時刻。ビルの谷間のブロッコリーのような緑に茜はそっと視線を送る。若葉の木漏れ日の中で『羅刹』はどんな顔をしているのだろうか。かつて自分が堕ちた時の事を思えば掌で踊る春の光さえも絶望に思える。そんな彼女の肩に蒼はそっと手を置いた。ボク、だって、闇から、帰ってこれました――その囁きに茜もまた微かに笑む。
    「大丈夫、ちゃんとひなたぼっこ部の流儀で復帰記念お祝いしたげる」
     そのまま堕ちるなんて、絶対に許さないんだから――桜子の呟きに蒼は肩を震わせ、月人もにやりと笑った。部の流儀。それは闇堕ち経験者たる彼が通った道。そして彼は今回、復帰を待つ者の気持ちを我が身のものとして痛感する事となったのだ。
     
     新緑の屋根の下にはシロツメクサの花畑。白い花に踊る光はこんな時であるにも関わらず美しかった。
    (「……どいつもこいつも、いざって時は闇堕ちすりゃ良いと思ってんのか? 甘い考えも大概にしろよ」)
     微風にゆらゆらと揺れる白い花を遠目に、東谷・円(乙女座の漢・d02468)は息を殺す。こうして残される側に立てば闇堕ちという言葉そのものまでをも憎まずにはいられない。たとえそれしかなかったのだろうと忖度ができるにしても、やはり円は堕ちる事を肯定したくはない。張りつめたオーラに日辻・柚莉(ひだまり羊・d00564)はそっと彼の様子を窺ったが、すぐに白い花の陽だまりに目を戻す。標的たる『パンダ帽子の少女』はまだ姿をみせてはいないようだ。小さな安堵の息が洩れた。握りしめた指が僅かに震えている。絶対に失敗できない戦いを前に恐れがないとは言えない。
    「ましろちゃんに、帰ってきて貰うんだっ」
     その思いに比べれば戦いへの恐怖など何程の事か。柚莉の言葉に榊・那岐(斬妖士・d00578)とアルヴァレス・シュヴァイツァー(蒼の守護騎士・d02160)は微笑を交し合う。
    「……必ず先輩を連れ帰ってみせます」
     そして全員で帰るんです、皆で――アルヴァレスの言葉は、水に沁み込む砂のように九湖・奏(たぬたん戦士・d00804)の心にも染み入っていく。瞼を閉じれば浮んでくるのはクラブ仲間のほわっとした笑顔。あの和みの時が永久に失われてしまうなど、考えるだけで背筋が凍る。それは今日ここに集った40を超える面々が同じく抱く思いであろう。だからこそある者は人を払い、そしてある者は囮となり、それぞれの役目を果たそうとしているのだ。
    「……今、往くからな。待っていろ」
     八重垣・倭(蒼炎の守護者・d11721)は季節外れのマフラーをギュッと握りしめて、腹の底から言いきった。その呟きに唯は信頼をこめて一瞬彼を見つめた。
    (「……ましろちゃんの王子様」)
     それに沢山の友達。だから絶対ましろは思い出してくれるだろう。いや、そうして見せる。今ここにいる全部の人の想いをかけて。

    ●邪気なき羅刹
    「頼んだぞ、皆」
     陽炎の声に送られて、蒼月・碧(小学生魔法使い・d01734)は確りと頷いた。着せられているのはゆるふわ系のスプリングコート。お人形のように――とアキ乃が心をこめて用意してくれたものだ。高村・乙女(天と地の藍・dn0100)が碧の青い花の髪飾りを直してやると、彼女は毅然と花畑へと向かう。その小さな背中に祈りを託し、宮代・庵(小学生神薙使い・d15709)は乙女や柚莉らと共に遠い木陰に座り込む。『彼女』が来るまであと少し――。

    「……ねえ、ひとりなの?」
     その声は碧の全身を電流の如く駆け抜けた。逸る気持ちを懸命に抑えて碧は顔をあげた。
    「お姉さん、こんな所でどうしたの?」
     だが少女はその問いに全く頓着せず、一緒に遊んでと悪鬼とは思えぬ笑みで碧の手を取った。大きく頷いて見せたその瞬間――周囲の空気が一変した。
    「……な、に?」
     ましろの目が目一杯見開かれ、手にしていた花がばらばらと落ちる。視界に真っ先に飛び込んできたのは2頭の犬達。
    「お前……」
     それが見る間に戦士へと変貌を遂げた瞬間、風もないのに白銀の髪がふわりと揺れた。掴んでいる腕とは反対の腕がみるみると変化する。鬼神変だと碧が思うよりも早く、激痛が彼女の肩を駆け抜けていった。
    「こわれ……ては……ない、ね」
     意外そうな表情が浮んでいた。だがそれはすぐ羅刹本来の闘気のうちに消え失せた。ましろの中の羅刹は完全に血の匂いを楽しんでいる。
    「……敵、なんだね」
     誰にともつかぬその問いは炎に包まれた奏の武器によって報われた。紅蓮の火焔はアルヴァレスの目にも鮮やかであった。
    「さあ、待ち望んだ刻です……取り戻します。全力を賭けて」
     命中率をあげるのはアルヴァレスなりの敵への礼。その間に碧もシールドの力を癒しと護りとに振り分ける。ちらりと振り返れば仲間達が次々と駆けつけてくるのがよく判る。それぞれの戦支度は凛々しくもあり、頼もしくもある。だが羅刹の少女は無表情のまま、静かに帽子を木の枝にかけた。汚したくないからね――そんな呟きを奏は聞いたような気がした。

    ●剣と言葉と
    「お前、失せろ。羅刹に用はねェよ。丁度いい、桜に紛れて散っちまえ」
     円の展開する夜霧にもただ片眉をはねあげただけ。その全身をオーラがゆらゆらと包んでゆく。胸元を飾るアメジストに木漏れ日が一筋きらりと落ちた。
    「そのペンダントを着けて良いのはましろ、『お前』だけだ……『貴様』では、ない!」
     お前と貴様。2つの言葉を倭は明確に使い分けていた。聞いていた灼滅者達にとってもそれは自明の理であったが、ご当人は不快感も露わに攻撃を続けてくる。羅刹との戦いであるからには被るダメージも無論半端なものではありえない。だが灼滅者側の癒しの数と質はそれを確実に凌駕していた。六の夜霧が前衛陣を夜の霧で包むと、柚莉の防護の符がその合間を縫って飛ぶ。
    「琥珀! 一緒にましろちゃんを守って!」
     柚莉の命令にナノナノのハートも宙を舞い。続けて奏の霊犬・響の眼力が向けられれば碧の傷もほぼ消えて。回復に憂いが無い事を確かめると、アルヴァレスはロッドを振り下ろす。鈍い音と共に流し込むのは自らの魔力と願い。
    「一緒に行った仲間を助けたかったんですよね?」
     なら先輩はそちらに居ちゃ駄目なんです――アルヴァレスのその言葉に優志と花之介の瞳が揺らいだ。そう彼女は彼らを守る為に闇に堕ちたのである。
    「花守……お前がオレ達を助けてくれたように今度はオレ達がお前を助ける!」
    攻撃と共に呼びかける花之介の声に優志も呼吸を合せた。
    「――帰ってこいよ、花守」
     今日こそはちゃんと誰一人欠ける事なく、皆で揃って帰ろう――今はまだ届かぬ声と知っていても、呼びかけはやめる訳にはいかない。いっそ騒々しい程の説得が巻起る中、倭は手の甲のシールドに輝きを呼んだ。目の前の羅刹は燃える目を更にぎらつかせている。そこには無論彼の知るましろの面影はない。
    「こわすよ――」
     羅刹の呟きは怒りに満ちて。そこへ碧と那岐もシールドで追打ちをかける。『怒り』が自分達ディフェンダーに発動してくれれば戦況の有利を導ける。勿論守りだけで羅刹をどうこうできるとは思っていない。だからこそ庵はガトリングガンの連射を躊躇わず、奏は己の百の拳にクラッシャーの威信をのせた。
    「また、一緒に唐揚げ食べよう!」
     唐揚げを中にして築き上げてきた彼らの友情。それは部長である鷹次郎にとっても是非にも取戻したい日常で。
    「ぱしろ……揚げたての唐揚げを用意して、お帰りパーティの準備をして待っているぞ」
     皆がな――避難誘導を終えて集まってきている唐揚げ交流クラブの面々も一斉に頷いた。何が何でも連れて帰る。彼らの目は確かにそう言っている。言葉が武器になるものならば思いもまた同じ。攻防が激しくなるにつれて帰還を望む呼びかけも海のうねりのように大きくなっていく。

    ●想いの果てに
     戦いは長く、説得は人を変え言葉を変えて続けられた。
    「貴方は羅刹などではなく、灼滅者の花守さんです。同じ神薙使いとしてこれ以上羅刹の貴方など見たくありません」
     庵の鬼の腕がましろの横っ面を叩いた。間髪を入れずに乙女も同じ技を送り出す。神薙使いのこの腕は鬼を封じる為のもの。かつてはましろもそう思っていたに違いない。ならばもう一度仲間の為にその腕を――織歌は弾かれたように前に出る。
    「あなたは私の命の恩人……生きてて貰わないと困るんです」
     あの時最後に戦線を離脱したのは織歌自身。それが闇堕ちの引金を引いてしまったと知った時のショックはとてもここでは語れない。だが皆まで言葉にしなくともなぎさにはそれが痛い程に判る。今目の前にいる人は子供のように純粋で残酷。それが破壊の方向へ傾きかけているとはいっても、ましろの心は天秤の如く揺れ動いている筈なのだ。
    「闇の力に負けないで……。どうか思い出して下さい。本当の貴方を!」
     無残に踏み荒らされた花の上にも天使の歌声は優しく響く。沙希もそれに合せて清めの風を送りこむ。だが彼女は未だ混乱の中。
    「黙って!」
     固く目を瞑ったましろ。鬼の腕が倭を狙う。だが彼女の混乱を表すかの如く、それはマフラーの房をすっぱりと切って後ろへ抜ける。お日様色の毛糸がはらはらと倭の足元に散った。彼女の元へ戻る鬼の腕が悲鳴のような軋みをあげていた。そういえば痛みも初めの頃より幾分弱まってはいないだろうか。
    「お前、自分で編んだこのマフラーまで忘れたのか?」
     マフラーを掛けた手がまっすぐにましろに向かって伸ばされる。
    「お前の気持ちはその程度だったのか……?」
     どれだけオレが嬉しかったと……泣くぞ、本気で――倭の声に羅刹の表情が揺れた。マフラーを切り刻むべく影業が伸ばされた。だがそれよりも僅かに早く一馬が割って入る。
    「……クラスの皆がお前の帰りを待ってるぜ」
     ぽたぽたと滴る血に見向きもせずに一馬は笑んだ。任せたと友を振り返れば倭もはっきりと頷いて見せる。今『彼女』は揺れている。光と闇の狭間で、人とダークネスの間で――そう知らされればアルヴァレスのチェーンソー剣もいっそう高らかに響くもの。奏の炎が走り、碧の魔法の矢が空気を裂く。庵の連射は正確なリズムを刻み、羅刹の力をそいでいく。
    「気になる人のお話してくれたよね……」
     柚莉は叫ぶ。あの時幸せそうだった。その笑顔が何よりも好きだった。多分それはこの人も同じ。ちらりと倭に視線をやれば、その彼には円の癒しが届いたところだった。
    「花見、楽しみにしてただろ……早く戻ってこねーと、折角の桜が散っちまうぜ」
     円はゆっくりとましろと視線を合せた。桜の一言に再び彼女の表情が揺れる。その一瞬を那岐は見逃さない。細身の体が矢の勢いでましろに迫る。日本刀の細い刃は正確にその腱を断ち切った。大きく大勢を崩した彼女に家庭科部の面々は言葉を降らせた。
    「花守、こんな所で何をしている。家庭科部の皆で花見に行くのではなかったのか?」
    「ほら、皆で迎えにきたぞ? 帰ろう、たくさんの仲間が待っている」
     将真の言葉が、陽心の伸ばす手が、総てましろに向けられるのを見守りながら、那岐も言葉を継いだ。
    「お弁当も皆準備できてます。後は花守先輩が戻ってくるだけです」
     立ち上がれないましろの唇が震えはじめる。それは那岐達のよく知る彼女の表情に少しだけ似通っている。
    「!!」
     そのキャノンはまっすぐに那岐を襲ったけれど、彼はただ黙って耐えた。指は無意識なのか髪留めの房に絡められ。じっと見据える黒い瞳に羅刹の喉から悲鳴にも似た叫びが上がる。
    「ましろさん……」
     帷はそんな彼女の傍に膝をついた。差出したスケッチブックには描きかけの肖像。
    「……わ……たし……」
     風にも紛れてしまいそうなその呟きを帷は確かに聞き取った――細い指が恐れるかのようにスケッチブックに伸びてくる。あと数センチというところで帷はページを破り捨てた。
    「……や……やめて――」
     刹那迸った叫び声はまさしくましろのものだった。
    「はい、描き直し。また一から始めよう、ましろという人生を……」
     帷はすっと立ち上がり、入替るようにアルヴァレスと庵が前に出る。その手のロッドから送り込まれるのは戻ってきてほしいという切なる願い。
    「……手を伸ばすから! 負けないで下さい己の力に!」
     そこからの攻撃は見事の一言に尽きた。倭のシールドに奏と碧の炎。
    「花も、いえましろ先輩!」
     那岐もまたシールドの力を最大限に引出せば、円は癒しと狙いアップの援護とを与え。
    「他人の為に動くのが『花守ましろ』だろ? ダークネスに……羅刹なんかに負けてんなよ!」
    「そうですとも、1人で人形遊びなんかしてないでさっさと帰ってきなさいっっ!」
     2人の叫びは天を衝き、庵の杖はましろの体を内側から揺さぶってゆく。乙女はそっと目を伏せた。ましろのシャウトが聞かれるようになるのはきっともうすぐ。そして仲間達は手加減攻撃へと切替え始めるのだろう。事実、戦いはそのような趨勢を辿る。
    「面白い事、楽しい事、嬉しい事を一緒に探しに行こうって、約束しただろ!」
     幾つもの攻撃と幾つもの回復との末に三度倭の声が通った。その漆黒の影が彼女を絡め取る。
    「お前と一緒じゃなかったら駄目なんだよ!」
     だから、戻って来い、オレ達の所へ。オレの隣へ――その叫びに、仲間達の言葉と攻撃が次々に重ねられる。さながら嵐のように、そして大海のうねりのように。
    「……ま……とくん……」
     最後の一撃とばかりに手加減攻撃を仕掛けた奏。その瞳から涙が溢れたのはその瞬間だった。彼女の唇が紡ぎだした言葉は紛れもなくあの人の――倭の足が大地を蹴った。その腕にましろはゆっくりと倒れ込んでくる。
    「……」
     最後の呟きはもう彼にも聞こえない。だが見つめ返してくる瞳は彼らのよく知る茶色のそれ。そこに疲れ伏して眠るのはもう羅刹ではない。

     灼滅者達の長い戦いは終った。しばしの憩いの後にはましろもまた優しい笑みを彼らに向けてくれるだろう――。

    作者:矢野梓 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年4月18日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 21/感動した 5/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 11
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ