それは大きな犬だった

    作者:斗間十々

     桃子は犬が苦手だった。
     嫌いでは無い。けど、怖い。
     小さい頃大きな犬に追いかけられて――それは自分が小さかったから、そう思ったのかもしれないけれど――、その恐怖がずっと染みついて離れなかった。
     皆が楽しそうに動物が可愛いと話すから、「犬が苦手」の一言で会話の輪から外されるのが怖くて今まで黙っていたけれど。
    「ね、遂にパパが犬飼って良いって言ってくれたの!」
     ある日、一番の友達だと思っていた香苗がそう言った。
    「え、よ、良かった……ね?」
     精一杯勇気を出してそれだけを言った。
     香苗が携帯を出してくる。画像を見せてくれるのだろう。でも、それだけは。犬は見るのも怖い。追いかけられた記憶が蘇る。
    「ほら、この子――」
    「や、やだぁぁぁぁ!」
     桃子は逃げ出してしまった。
     謝らないと。ごめんね、犬が怖いの、って。
     でも、何て言えば良い? 香苗ちゃんの顔に犬が重なってうまく話しかけられない。
     ――その日から桃子は夢を見るようになった。
     犬に囲まれる悪夢。遠くから香苗が自分を責める悪夢。
    「怖い、怖いよ……香苗ちゃん、ごめんね……怖いよ……」
     

    「みんな、事件だよ!」
     教室に入った灼滅者達を出迎えたのは、須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)と朝比奈・夏蓮(アサヒナーレ夏蓮・d02410)。
    「少し前、夏蓮さんは猫に追いかけられる悪夢を見てる男の子を助けてきたんだけど……」
    「それじゃ今度は犬。それも犬が怖いと思ってる子を取り囲む、なんて事件があるんじゃないかなぁって思ってまりんちゃんに調べてもらったんだよ!」
     そして見つけたのが、今回の悪夢。
     悪夢を見ているのは小学6年生の瀬名・桃子(せな・ももこ)という女の子。
     桃子は小さい頃のトラウマで犬が怖い。
     それを隠していたのだが、友達の香苗が最近犬を飼い出した。
     だから友達である自分に教えてくれた――までは良かったのだが。
    「桃子ちゃんは、犬がほんとに怖いんだよ」
    「そう、だから……写真を見せてもらった途端、思い出がフラッシュバックして悲鳴を上げて逃げちゃったの」
     夏蓮とまりんはどこか悲しげに言う。
     うまく弁解しようと思っても、香苗とその犬が一緒にインプットされてしまって、うまく話も出来なくなってしまった。
     謝りたい、仲直りしたい。でも、犬が怖い。
    「そこにシャドウがつけこんできたの」
     シャドウは桃子が思い描く通りの『怖い犬』を配下として夢の中で桃子を囲い、自分自身は香苗の姿を取って、桃子を責め続けている。
    『逃げちゃうなんて、最低』
    『犬が怖いなんて、ありえない』
     シャドウはそんな風に、桃子の恐れる言葉を吐き続ける。
    「そんなこと続けられたら、心も傷付いて眠れなくなって、いつか死んじゃうよ!」
     だから助けてあげて、と、まりんは灼滅者達に願い出た。
     方法はいつもの通り、まず、桃子の心を少しでも救ってあげること。
    「犬が怖いのはそう簡単にぬぐい去れないと思うけど……せめて、少しでも和らげて、友達と仲直り出来るくらいには助言してあげて欲しいんだ」
     つまり、『悪夢』というシャドウのフィールドを壊すこと。
     悪夢では無く、希望に変えて欲しいということ。
    「その間、犬のフリをした配下はずっと唸って脅してくるし、ニセモノの香苗さんはずっと桃子さんの心を傷つけようとしてくるよ。でも、みんな絶対負けないで!」
     そして、もし桃子に希望が生まれたら――シャドウが『悪夢』を壊されたと思ったら、今度は配下共々シャドウは本性を出して襲ってくるという。
     その姿は、今までの『香苗』のフリをしたまま、桃子が怖いと思っている犬を合わせたような、悪夢に悪夢を重ねたもの。
    「もちろん、犬達も襲ってくるよ。ただ……シャドウを怒らせて現実に呼び出しちゃったら、今はみんなの手に負えない。けど、それよりも、そんな姿を見てたら、せっかくみんなが励ましてても桃子さんは香苗さんまで怖くなっちゃうかもしれない」
     だから、早く夢から追い出して。追い出すことだけを成し遂げて、とまりんは言った。
    「それでね、戦闘になるとシャドウは前衛でシャドウハンターと、龍砕斧に似たサイキックを使ってくるよ。配下の方は同じ前衛が2体で、後衛が3体」
     配下は犬の姿のまま襲い掛かってくる。
     その姿は現実より大きな、闘犬の姿。
     唸り声を上げればその一列全員の傷の治りを遅くし、飛びかれば傷と共にブレイクする。
     犬達はその姿に違わないそこそこ強さを持ち、更に弱体化しているとは言えシャドウもいる。全滅を狙うのは難しいだろう。
    「だから今回もやっぱり、桃子さんを勇気付けてあげる方に力を入れて欲しいんだ。戦ってる間も、シャドウはひどいことを言い続けると思うから……桃子さんの一番怖がってる言葉も。それで桃子さんの心が砕けてしまわないように」
     もう大丈夫って思わせることが出来たら、この悪夢なんか終わるんだから。
     そう言って、まりんは灼滅者達に笑顔を向けた。
    「みんな、頑張って。それじゃ、いってらっしゃい!」


    参加者
    光・歌穂(歌は世界を救う・d00074)
    牛房・桃子(牧歌的闘牛・d00925)
    朝比奈・夏蓮(イチゴ牛乳のフシギナチカラ・d02410)
    日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)
    白石・深紅(甘き真紅の蝶・d04323)
    水樹・亜璃子(重低音歌姫(アニソン限定)・d04875)
    英・蓮次(劫炎拳吼・d06922)
    南波・柚葉(偽心坦懐・d08773)

    ■リプレイ

    ●犬
    『最っ低!』
     ソウルボードの中に声が響いていた。
     女の子の泣き声がする。
    『ウゥゥゥ……ッ』
     犬の低く獰猛な声が続いた。――女の子の泣く声がする。
    「まったく、シャドウはいつもイジメばっかりだね、ろくでもない!」
     ソウルボードに潜り込みながら、光・歌穂(歌は世界を救う・d00074)は思わず唇を尖らせる。その隣で日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)もこくりと頷いた。
    「うん、子供の頃怖いものって、ずっと怖いままだったりしますですよね。そこにつけこむなんて、シャドウさんは性格悪いです……」
     響く泣き声に心が痛む。
    (「桃子ちゃん……」)
     牛房・桃子(牧歌的闘牛・d00925)は偶然にも、その女の子と同じ名前を持っていた。でも、だからこそ初めての戦いでも頑張ろうと強く思う。
     人と犬。それが重なる程のトラウマを抉るシャドウの行いに、南波・柚葉(偽心坦懐・d08773)はぼんやりしたまま、それでも普段よりも少しだけ眉を潜める。
    「宿敵ってピンとこないけど、あんまり気分いいもんじゃないや。早く出てって貰おうかな」
    「ええ、まずは過去の記憶の犬より目の前の犬、ですね。……桃子ちゃん!」
     犬に囲まれて泣きじゃくる女の子。
     瀬名を見つけた。
     水樹・亜璃子(重低音歌姫(アニソン限定)・d04875)がその名を呼べば、瀬名はびくっと顔を上げた。その顔は、恐怖に満ちていて、直後咬み付く勢いで犬が牙を見せたその前を、英・蓮次(劫炎拳吼・d06922)が走って割って入る。続いて白石・深紅(甘き真紅の蝶・d04323)も瀬名を隠すようにふわりと降り立った。
    「そうはさせないよ。落ち着いて話をしたいからね」
     瀬名は再び顔を隠して震えている。怯える瀬名の頭を深紅は撫でて、
    「怖いものは怖いし、嫌いなものは嫌い。私は恥ずかしい事じゃないと思う」
     言った言葉に一度顔を上げたけれど、向こう側でくすくすと笑うニセモノの香苗の声に、瀬名は再び辛そうに顔を歪ませる。
    (「怖いのは怖いのに、追い討ちをかけるなんてひどいよね……!」)
     震え続ける瀬名に朝比奈・夏蓮(イチゴ牛乳のフシギナチカラ・d02410)は一度だけきっとシャドウを睨む。そうしてから、ぱっと明るくこう言った。
    「桃子ちゃん、怖いものは我慢しなくてもいいんだよ。みんなが好きなものを、桃子ちゃんも好きにならなきゃいけないなんてことは、ないんだよ!」
     瀬名が瞳を開いた。

    ●友達
    「何よ……あなた達!」
     香苗が声を上げる。同じように、瀬名も不思議そうに見上げていた。
    「ここの犬は私たちが追い払ってあげるから、しばらく我慢だよ!」
     歌穂の屈託無い笑顔に、瀬名は恐怖を抱いていなかった。引き込まれるようにその笑顔を見つめている。
    「私も桃子っていうのよ。おんなじ名前だね」
     だから助けに来たの、と、牛房と一緒に蓮次もしゃがみ込む。目線を合わせて蓮次は瀬名の頭をぽんぽんと撫でて。
    「事情は知ってる。犬が苦手な人って、きっと沢山いるよ」
    「でも、」
     瀬名の目に涙が溜まる。
    「お兄さんも苦手な動物いるんだ、よくわかんないけど怖くて。追いかけられたら逃げちゃうぜ!」
    「……お兄ちゃんも?」
    「私も昔はちょっと怖かったし」
     たはは、と頬をかく歌穂に瀬名が瞬けば、後ろで犬が大きく吼えた。びくっとする瀬名に、柚葉はせめて、決してその姿を見せない。
    「……判ってても、怖いもんは怖いよね。克服するのも大変だと思う。誰だってそゆトコあるさ」
    「わたしも!」
     夏蓮がぴょんと元気に片手を挙げた。
    「わたしね、メロン苦手なんだ。友達はおいしそうに食べてるけどどうしても苦手で……でもね! 食べ物だってみんな好き嫌いがある、それときっと一緒なんだよ!」
    「メロン、だめなの?」
    『桃子ちゃん!』
     瀬名が思わず笑いそうになった所で、香苗が咎めるような声を上げた。
    「香苗ちゃん、ごめ……」
     謝りかけた瀬名を、亜璃子は遮った。
    「本当の友達ならそんなこと言いませんですよ」
     え、と、瀬名は驚いたように灼滅者達の背から首を傾げて香苗を見る。吠えた犬に、また灼滅者達の背に隠れてしまうけれど。
    「この子は友達に見えるかもしれないけど、ニセモノだよ! 本物はあなたにこんなこと言うような子じゃないでしょ?」
    「でも、私、逃げた……っ」
     重ねてくれる歌穂の言葉にも瀬名は、再び涙を込み上げてしまう。
    「そうよ。桃子ちゃん、最低ー!」
    「……!」
     大事な友達の声で、シャドウは言い続ける。その心を抉り続ける。
     たまらず牛房はぎゅっと瀬名を抱き締めた。大丈夫だよという言葉が瀬名を包む。少し間を置いた後、差し出されたものがあった。
     深紅の飴玉。お菓子は好きと聞かれて、瀬名はこくんと頷いた。
    「……甘い物は人の心を柔らかく癒してくれる。今はそれでこの夢を耐え抜いて」
    「夢? あの香苗ちゃんも、夢?」
     瀬名は瞬いてこのソウルボードを見渡した。ほんの少し解れた緊張を見て、翠も落ち着いた、しかし真剣な声を瀬名にかける。
    「本物の香苗さんは、怒っていないと思いますですよ」
     瀬名が翠を見た。
    「桃子さんがしっかりお話したなら『そうだったの? 早く言ってよー』って、笑ってくれると思うのです」
     柔らかく笑ってくれる翠に押され、亜璃子も続く。
    「まずは逃げたことを謝って、正直に香苗ちゃんに『犬が嫌いである』という事を告げるべきでしょう。ただし、意味もなく嫌いなわけじゃなく『こういう理由があるの』と説明して」
     謝る――瀬名が繰り返した。
    「だから、ここから一緒に帰って、仲直りしにいこう?」
     夏蓮が手を差し伸べた。おずおずと灼滅者達を見渡していた瀬名は、柚葉と目が合った。
     表情の読み取れないような柚葉が、言った言葉は。
    「……ホントは謝りたいんだよね?」
     瀬名がはっと顔を上げる。
    「大好きな友達なんだし、きっと伝わる。それに、黙ってる方が心配するよ」
     瀬名の目に涙が再び溜まってくる。
    「……私、」
     牛房に抱き付き、その顔を埋めたまましゃくり上げた。
    「本当の香苗ちゃんに会いたいよ。ごめんねって、言いたいよ……!」
     その時だった。
     しんと一瞬、犬の声の一切が途切れた。香苗の笑い声も。そして。
    「桃子ちゃん、そんな人達の言うこと聞くんだ。さぁいてーい……」
     香苗の声がくぐもり、ぐにぐにと顔が変わっていく。
     瀬名が息を飲んだのがわかる。
     シャドウが本性を現わしたのだ。香苗の姿は犬のように口が裂け、牙を持った。
     そしてニセモノの香苗が言った。
    「桃子ちゃんなんて、だぁい嫌い!」

    ●戦い
     その途端、犬達が獰猛に唸って飛びかかる。
    「桃子ちゃん!」
     飛び出したのは蓮次、柚葉。二匹の犬の牙をその腕で受けた。蓮次が見れば、瀬名はまだ牛房に抱き付いていた。
     蓮次は牛房の瞳を見て、理解する。
     今は攻撃の手を休んででも、この子を護る。勇気付けたい。たった数秒だけでも。
     その意図に気付いて、蓮次は犬に向き直った。瀬名を任せたのだ。
    「大丈夫だよ、お兄さんが盾になるから。すっごく強いお姉さん達もついてる、心配すんな!」
     でもっと言い掛ける瀬名を牛房は抱き締め続ける。
    「大丈夫! 桃子ちゃんは私たちが護る!!」
     瀬名はぎゅっと目を閉じた。
    「卑怯なシャドウは正義の魔法少女夏蓮ちゃんが成敗しちゃうんだからっ! ヒーローは怖がっている女の子の味方なんだよ!」
     ウィンク一つ、夏蓮は今の内と光輪を獰猛な犬へと叩き付ける。犬がますますもって唸りを上げるが、嵐のような弾丸がそれを許さない。
    「本物の犬をいじめるなら気が引けますが、偽物なら容赦なしです」
     ガシャンと亜璃子はガトリングガンをその身に引いた。
    『邪魔ぁするなあ!』
     香苗が吼えるように天を仰いだ。そこから打ち出される漆黒の弾丸は柚葉を貫いていく。
    「くっ……」
     重い攻撃――これが、シャドウ。
     けれど今日は少し機嫌が悪い。柚葉も身を屈め、唸るように駆け出し、香苗を盾で殴りつけた。その先でにやにやと顔を歪ませる香苗――いや、シャドウ。
    「……ミッション開始。開放する」
     夢幻と名のついたバスターライフルを構えたのは深紅。夢の中でさえお菓子を口に入れたまま、真紅のフォルムから光線が穿たれて犬が下がる。
    「糖分切れたら、楽しいものも楽しくない。戦闘も遊びもね」
    『ガァァウッ』
     後衛の犬達も動き出す。邪魔だ邪魔だとはやし立てるように唸り声が3つ重なり灼滅者達その全て全員に声を届かせた。
    「いけない。3体が違う列を狙うなんて、シャドウさんもやりますですねっ」
     風が舞った。まずは一番に攻撃を受けるだろう、最前列の仲間達へと翠は舞う。
    「ほらほらぁ、桃子ちゃん。そこから出てきなよぉ」
     シャドウがげらげら笑う。
     犬に香苗にその声に、瀬名が怯えたが、歌穂の声は変わらない。
     元気で陽気で、とっても明るく響く声。
    「悪い犬は倒す! こっちも悪夢を見せてあげるよ!」
     歌穂は炎を纏って叩き付けた。犬がギャアウと鳴いて炎に燃える。
     燃えるはしからコールタールのようにどろどろとソウルボードに溶けて消えるシャドウの配下。
    「桃子ちゃん、ひどーい。犬、死んじゃったよぉ。犬も私も怒ったよ?」
     途端再び襲い掛かる犬達は、唸り声だけに留まらない。
     個体、個体が全て牙を剥いて飛びかかった。
    「これは……危ないね」
     前線で夢幻を構えていた深紅だが、一斉に飛びかかった犬を見て、方針を変える。
     シャドウを追い出すこと、何より大事な、この女の子の心を救うこと。
     その足を鈍らせるべく、犬の腱を撃つ。
    「近寄らせないです!」
     亜璃子も飛びかかる犬へ向けて拳を連打する。キャウンと言って仰け反る犬は、まだ、健在。
    (「ちょっとずるいかもしれないですけど……」)
     亜璃子はきっと犬を睨んで、自分に念じた。
    「アルティメットモードです!」
     瀬名が思わず牛房から顔を上げた。見れば亜璃子から溢れ出すオーラは、まるで悪を砕く正義のヒーローそのもの。
     目をまん丸くして灼滅者達の背を見て、瀬名は牛房を見た。
    「私たちがついてるよ」
     牛房が笑う。
     ニセモノの香苗が傷つけた蓮次を見れば、とても痛そう。けれど、夏蓮がにっこり笑って盾を、符を、その背に撒く。
    「背中ががら空きだよ! ……なんてね♪」
    「それって回復の時に言う言葉か?」
     蓮次と夏蓮は一瞬顔を見合わせてくすりと笑った。――笑っていた。
    「この夢も、本物の香苗さんのことも心配しないで、お話ししに行きましょうなのですよ」
     翠も笑っていた。
     飛びかかった犬に、危ないと瀬名が目を見開くも、翠はすかさず印を切る。
    「つむじかぜ――」
    「ガァッ!」
     犬がどろどろとまた夢に沈んでいく。
     うろたえた犬も逃さず、歌穂の影が丸呑みにすべく咬み付けば、踊るようにぴしっと歌穂は人差し指を犬に向ける。
    「歌って踊って世界を平和に!」
     それは絵空事には思えなかった。
     この人達なら、きっと。
     瀬名は見上げる。
    「なによぉ」
     香苗の変形した豪腕が強烈な打撃力を持って再び柚葉に叩き付けられる。
     全力で防御をしていてもその衝撃に柚葉はよろけてしまう。間髪入れずに夏蓮の小光輪と翠の符が包み込み、その全ての傷を癒し尽くす。
     しかし、他の灼滅者達は決定的な打撃を与えない。あくまで行うのは牽制のみ。後方に控える犬達が襲い掛かってもそれは変わらない。
     苛立つように香苗がもう一度、蓮次を薙ぐ。
    「……平気?」
    「ああ」
     シャドウを請け負った柚葉と蓮次が頷き合う。
     犬のような香苗が不満そうにぐるぐると鳴く。
     遊んでいた獲物は庇われて、恐怖を薄れさせている。
     灼滅者達はそれを護ると盾となり、しかし決定的な戦闘にも応じずただ時間が経つ。
     心を傷つけても、身体を傷つけても、癒してしまう。
    (「最悪……駄目そうなら、闇落ちもやむを得ません、けど……」)
     煮え切らずに留まるシャドウに、亜璃子は決意をしていた。それでも早く帰ってくれれば良いこと。
     ただ、帰ってくれさえすれば――。
    「……香苗ちゃん!」
    「桃子ちゃん!?」
     全員が振り返った。今の今まで庇われていた瀬名が、震えながら一歩、シャドウに踏み出した。
     危ないと告げる灼滅者達から進み出て、牛房の手を繋いだまま。
    「私……ごめんねって、言う。本物の香苗ちゃんに言うから。怖いけど、……それよりもっと、香苗ちゃんと友達でいたいもん!!」
    「――――」
     ソウルボードの中に風が吹いたようだった。
     その言葉にニセモノの香苗が揺れる。
     はっと気付けば香苗が牙を剥きだしていた。再び護るべく布陣する灼滅者達、しかし、その牙は振り下ろされない。
    「――興醒めよぉ……」
     どぷん、と。
     真っ黒い影となり、香苗は、シャドウはソウルボードの海に沈んで消えた。

    ●明日
    「桃子ちゃん、よくがんばったね!」
    「本当に、良かったです……」
     夏蓮がぎゅっとその姿を抱き締めると、まだ震えているのに気が付いた。それでも瀬名は笑っている。
     最悪の事態にならなかったことを亜璃子も安堵して、すうはあ、と息を整える瀬名に差し出されたのは棒キャンディー。
    「これあげる。……よく頑張った、そのご褒美。頑張った子には、ご褒美。それが普通だから」
     深紅に言われてくすぐったげに笑うけれど、
    「ううん、これから……香苗ちゃんに、言わなきゃ。だよね、お姉ちゃん達」
     それもまた勇気出さないといけないこと。夢から醒めて、一人の力で。
    「お話のきっかけは挨拶から、です。登校の時なんていいんじゃないかなっ?」
    「言ったろ。お兄さん達もついてるよ」
     翠のアドバイスに、蓮次の言葉。この夢が終わっても紡いでいく思い出は、瀬名の力になるはず。
     瀬名は夢の中の棒キャンディーを抱き締めた。
    「ねえ、桃子ちゃん。もし犬に慣れたいならトイプードルみたいなちっちゃい犬もいるよ」
    「えぇっ……う、うん……」
     歌穂の言葉にやっぱりまだ少しビクついてしまった瀬名に、深紅はしゃがみ込む。
    「怖いものは怖くても……君と遊びたいっていう動物は可哀想。そして動物を嫌いになってしまう君も可哀想。少しずつでいいから、まずは触れてみて。そして慣れていって、仲良しになって、ね」
    「うー……嫌いじゃ、ないの。怖いだけ」
     怖いものから解放されるには、時間が足りない。
     けれど、夢から醒めたら一歩歩み寄れる。そんな気はする。犬……と、瀬名はおずおず小さく呟いて、その姿に柚葉もほんの少しだけ、心のどこかにことんと柔らかい気持ちが落ちてきた。
     瀬名は笑っている。
     瀬名はもう一度牛房の手を握って、それから一人で歩き出した。
    「不安なら私たちがついていこうか?」
     牛房の言葉に、瀬名はううんと首を振る。
    「きっと、大丈夫。だよね? いってきます。お姉ちゃん、お兄ちゃん達!」
     夢から醒めに走り出した少女の背中はもう、一人ぼっちの寂しいものではなかった。

    作者:斗間十々 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年4月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 12/キャラが大事にされていた 1
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