コバルトブルーの右腕

    作者:中川沙智

    ●lost
    「てめぇ、もう一度言ってやがれ!」
     胸倉を掴み壁に押し付ける。歯の奥を噛み睨み付けるも、目の前の相手は顔色ひとつ変えなかった。
     むしろ淡々と呟く。声色に感情は、含まれていない。
    「『お前に工房を継がせる気はない。』……どうだ、言ってやったぞ。至近距離なのだから聞こえているだろう」
    「ジジイ……!!」
     腕に力を籠めるが状況は変わらない。さして広くもない工房の中、立っているのは自分と相手の二人だけ。作業道具の類は奥の部屋だが、既に絵付けされた器の数々が棚に鎮座している。
     静かに静かに、見守っている。
     余裕を崩さぬその態度が腹立たしくて憎らしくて、思考が徐々に沸騰していく。
     もはや自分が何を望んでいるかもわからない。
     更に一歩踏み出した、その瞬間。
     頭の中で何かが弾けた。かと思うと右腕が異様な脈動を始め、目を見開いた時には服が破れ青い筋肉が露わになる。
     彼が覚えているのはそこまでだ。
     理性を喪失した青い巨躯は掴んでいた相手をいともたやすく縊り殺す。それだけでは飽き足らず、幾度も剛腕で殴打する。
     青に赤が、散る。

     骨がひしゃげ血が迸る。
     同時に、青色顔料で精緻に絵付けされた椀が真っ二つに割れた。
     
    ●restart
    「一般人が闇堕ちしてデモノイドになる事件が発生しようとしているわ」
     教室に集まった灼滅者達の顔ぶれを確認し、小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)は慎重に言葉を紡ぐ。
     鶴見岳、愛知県、そして阿佐ヶ谷。先の『不死王戦争』で刃を交えた者もいただろう。複雑な心境を抱える灼滅者もいるかもしれない。
     でもだからこそ向かって欲しいのだと、鞠花は告げた。
    「デモノイドになったら理性が欠落するわ。暴れ回った結果多くの被害を出してしまうでしょうね。ただ今回未来予測を『アウトプット』することが出来た……デモノイドが事件を起こす直前に現場に突入することが出来るのよ」
     つまり灼滅し、被害を未然に防ぐ可能性は残っているということ。
     灼滅者達への強い信頼を籠め、鞠花は説明を続ける。
    「阿佐ヶ谷で類似のケースがあったらしいから知ってるかもしれないわね。デモノイドになったばかりの状態なら、多少の人間の心が残っている事があるのよ」
     よく聞いて頂戴――鞠花は真摯な眼差しで前を見据えた。
    「その人間としての心に訴えかける事が出来れば、灼滅した後に、デモノイドヒューマンとして救出する事が出来るかもしれないわ」
     救出出来るかどうかは、デモノイドとなった対象がどれだけ強く人間に戻りたいと願うかどうかに大きく左右される。デモノイド化した後に人を殺してしまった場合は、人間に戻りたいという願いが自然と弱くなる。助けるのは困難だろう。
     
    「……まずは対象のことがわからなければ話にならないわね。説明するわ」
     鞠花は机の上に何枚かのプリントと地図を広げる。
    「今回デモノイドとなるのは黛・諒太(まゆずみ・りょうた)君。中学三年生ね。その日彼は、その筋では著名な磁器職人として知られる祖父の元を訪れているの」
     地図の上、指先で示されたのは地方のとある集落だ。磁器生産で名の知れたその地域は、職人や工房の数は少ないながらも手作業にこだわり、優れた磁器を生み出している。
     地域の更に奥まった一角に、諒太の祖父は工房を構えている。
    「中学三年生ともなれば、高校進学の進路も考え始める時期よね。諒太君は後継者不足で悩むその地域の磁器職人になる、おじいさんの跡を継ぐ……そう、伝えようとしたみたい」
     ただそこで、僅かな歪みが生じたのだという。
    「おじいさんは諒太君が迷っていることを知っていた。そりゃそうよね。周りは高校や大学に進学するのが当たり前。諒太君自身彩色に興味があって絵付けの手伝いはしていたみたいだけれど、それなら他にも色んな選択肢があるわけだし……可愛い孫だからこそ、その未来を狭めるようなことをしたくなかったのよ」
     だから敢えて強く拒絶した。後腐れがないように、未練や後悔が残らないように。
     それが諒太がデモノイドになる切欠になると知る由もなく。
    「突入出来るチャンスは諒太君とおじいさんが言い争っている最中、『諒太君がおじいさんに一歩詰め寄った』その時が最速で最後。シビアだとは思うけど、それより先に介入すると闇堕ちのタイミングがずれてしまうの」
     いかに迅速にことを成すかが重要となる。自然と鞠花の声も緊張感を増し、言葉を継ぐ。
    「救出を狙うなら、少なくとも諒太君自身の手でおじいさんを殺してしまうことは絶対に避けなくちゃ駄目よ。何らかの手段で気を惹かないと、猶予はないわ」
     デモノイドと化す諒太への対策は勿論、祖父の保護にも策を練らなければならないだろう。
     あとこれは個人的な希望も兼ねた予測ね、と鞠花は付け足して。
    「それと……もし可能であれば、工房の壁際にある棚におじいさんが作った磁器が並んでいるから、出来るだけ損害がないように努めてもらえると嬉しいわ。その磁器の中には、諒太君が絵付けをした作品もあるらしいの。そんなのが壊れてしまうなんて、悲しいじゃない」
     工房の入り口は換気のため大きく開けているし、庭先には広い空地もある。
     昼間ということもあり明るく、視界や足場に影響はない。
    「諒太君はデモノイドヒューマンとサイキックソードのサイキックをすべて使いこなすわ。以前相対した人はわかっているでしょうけど、その腕力は他のダークネスに引けを取らないわ」
     鞠花の口から漏れるのはため息。
     互いに互いを思ったが故の心遣いが、生死を分かつ決定的な溝になってしまわないように。
    「少なくともすれ違いが生じたまま悲劇に至ってはいけないと思うの。皆なら大丈夫、そう信じてるわ」
     鞠花は視線を真直ぐに投げかけ激励を飛ばす。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    篠原・小鳩(ピジョンブラッド・d01768)
    詩夜・華月(白花護る紅影・d03148)
    野崎・唯(世迷言・d03971)
    ライラ・ドットハック(蒼の閃光・d04068)
    ストレリチア・ミセリコルデ(銀華麗狼・d04238)
    小鳥遊・葵(ラズワルド・d05978)
    結城・麻琴(陽烏の娘・d13716)
    天霧・彰人(高校生デモノイドヒューマン・d16797)

    ■リプレイ

    ●smalt
    「ジジイ……!!」
     工房に不穏な空気が充満する。
     諒太と祖父は互いに睨み合い、だが決して視線を逸らそうとはしなかった。諒太は烈火のような怒りを籠めて、祖父は澄んだ水面の如く冷静に。
     諒太の靴が地を踏む音が微かに鳴った、その時だった。
    「だめーっ!」
     周囲の雑音も意に介さず、割り込んだ野崎・唯(世迷言・d03971)の声が真直ぐに走る。もっと的確な言葉を用意出来ればよかった。けれど他に何も思いつかなかった。
     声に籠めたのは、絶対止めなければという真摯な想いだけ。
     諒太が身を強張らせた瞬間、硬質な何かが割れた音が工房の入口で響き渡る。聞き慣れた、だが聞き慣れたくはないそれ。咄嗟に諒太と祖父の視線が向かう。
     正体はすぐに知れた。ストレリチア・ミセリコルデ(銀華麗狼・d04238)が磁器のひとつを地面に落としたのだ。だがそれは祖父の作品ではない。あらかじめストレリチアが入手していた市販の磁器だ。
     加えて彼女は銀の髪を翻し、眩い光を纏ったかと思えば小学生の少女から十八歳の娘へと変身する。
     ありえないと言ってしまえば簡単だが目の前で見てしまえば紛れもない事実、諒太は動揺のあまり祖父を掴んでいた腕を放した。
     生じた隙を見過ごす灼滅者は、この場に誰一人存在しない。
    「悪いけど、そこまで」
     素早く諒太と祖父の間に身を滑らせたのは詩夜・華月(白花護る紅影・d03148)だ。唯を始め他の数人の灼滅者も追いつき、祖父を背に庇う。
    「……あんた達は」
     祖父の口から漸く声が絞り出されたが、続きは言葉の形をとらなかった。
     つい先程まで祖父の胸倉を掴んでいた諒太の右腕が異様な脈動を始める。瞬く間に彼の腕の筋肉が青く染まる。一気に膨れ上がった全身はかつて中学生の少年だった面影を残さず、巨躯の怪物と化した。
     目の前でデモノイドとなった諒太を天霧・彰人(高校生デモノイドヒューマン・d16797)は固唾を呑んで見据える。こうなってはもはや猶予はない。
     諒太が祖父を傷つけることのないように、一刻も早く戦場を屋外へと移す。
     それが灼滅者達の総意だ。
    「……あなたは自分の大切な人を、一時期の感情で失うつもり?」
     紫の瞳が諒太を睨む。ライラ・ドットハック(蒼の閃光・d04068)は拳に魔力を圧縮させる。間合いを詰め諒太へ肉薄すると、入口に向けて跳ね飛ばす程に打ちつける。
     青い巨体の体内で流し込まれた魔力が爆破する。ぐらりと後方へ揺らげば、勢いに乗って駆けたライラは身を反転させる。
     彼女のしなやかなシルエットが、入口で逆光に浮かび上がる。
    「……こっちよ。そこは戦うには狭すぎる」
     ライラを敵とみなした諒太が咆哮を上げ踵を返す。
     その背を掴む手が、二人分。
    「麻琴さん、合わせますわよ!」
    「いっちょやるわよ!」
     唯と結城・麻琴(陽烏の娘・d13716)が二人がかりで、角度をつけて投げ飛ばす。力づくではあるが、諒太がライラを追おうとした動きも相まって入口の外へ出すことに成功する。
     篠原・小鳩(ピジョンブラッド・d01768)が素早く周囲に視線を走らせる。壁の棚に並ぶ磁器は多少揺れはしたものの、割れる気配は見られない。
     ほっと息をつき思いを馳せるのは、阿佐ヶ谷では救うことが出来なかったデモノイド。今も思えば胸の奥が痛みで痺れる。
     けれど。
    (「今度こそ……!」)
     破魔の術杖を握る手に力を籠める。小鳩も入口へと走り出した。 
     諒太と祖父への割り込みそのものは、多少連携に欠けていた面もあるかもしれない。
     たが最善をと力を尽くした灼滅者達の想いが結実した。戦場は屋外へと移されている。
    「下がってて!」
     麻琴が残した声が工房にこだまする。いまだ状況が把握出来ないのだろう、祖父は呆然と外へ視線を向けている。小鳥遊・葵(ラズワルド・d05978)が穏やかな物腰で、宥めるように背に手を添える。
    「ここは危ない。僕達に任せて、避難を」
     視線を泳がせると、作業道具の類がある奥の部屋が目に入った。下手に外に出るより中に居たほうが安全かもしれない。葵は祖父を促し奥の部屋へ連れていく。そして迎えに来るまで、決して外に出ないよう念を押す。
     虚ろに動揺を瞳に映す祖父の口から、細々とした声が漏れた。
    「諒太を」
    「え?」
    「あんた達がどこの誰かは知らんが、諒太を、頼む」
     異様とも言える出来事、状況は把握出来ていないに違いない。だが真っ先に気遣うのは、他の誰でもない孫のこと。
     葵は真摯に頷き、部屋を後にする。
     万が一に備え殺界形成を発動させる。その後工房からは誰一人として出てくる気配はなかった。

    ●azurite
     蒼天に響く咆哮は嘆きの慟哭か。誰も知る由はない。
     諒太は右腕を巨大な刀に変化させる。鋭利な蒼き刃は巨躯に似合わぬ素早さで繰り出され、ライラを力任せに薙ぎ払う。彼女自身に動じた様子はないが、その滴る血から傷の深さはひと目で知れる。
    「大丈夫! 今、治すからね!」
     唯は己の魂の奥底に眠る闇を引き出し、癒しの力と成してライラに注ぐ。見る間に傷を塞ぎ、術力をも齎す。
     絶対に諒太も祖父も、器たちも守ってみせる。そのために自分に出来るのは、仲間達が誰も倒れないよう支えること。声をかけ、諒太が闇の淵に堕ちる前に引き留めること。
    「諒太くんお願い、聞いて!!」
     唯は再び声を張り上げる。
     人間に戻りたいと、諒太自身に願って欲しい。
     その想いは灼滅者誰もが共有するもの。誰ともなく視線を交わし、最初に言葉を紡いだのは小鳩だ。
    「お爺さんの本当の気持ち、わかってあげてください……!」
     思い返すのは事前に聞いた、諒太と祖父とのすれ違い。
     誰だって自分の決心を挫かれたら辛い。
     それでも。
    「拒絶の言葉は本心からじゃなく、諒太さんの将来を真剣に考えているからこそ、だと思いますよ?」
     噛み締めるように問いかけて、けれど言葉だけでは伝わらないことも知っている。小鳩は自らに攻撃を惹き付けるべく、手の甲に生じさせたシールドで諒太を殴打する。
     怒りが宿るのを確認すると、小鳩は翡翠の瞳を僅かに眇めた。少しでも時間を稼ぎ、その間に皆の声が届くよう願わずにはいられない。
    「同感ね。祖父がどうしてあんな事言ったか、考えてみたの?」
     小鳩に続いたのは華月だ。諒太の背後をつき、流れるような動きで繰り出したのは深紅の長槍。
     脚の腱を狙い抉れば、諒太はたまらずたたらを踏んだ。
     華月は意識の戻る可能性がある限り呼び掛けを続けると決めている。指先の延長が如く槍を振るうと、声に更に力強さが宿る。
    「嫌いな相手には、言葉すらかけないのが人間よ。厳しい言葉はあんたを想っているから。大事だからこそ」
     あんたの道を狭めたくないと思ってる――素っ気ない口調ではあるが、告げた赤の瞳は逸らすことを許さない。逃げることを許しはしない。
     擦れ違ったまま終わるのは本意ではないはず。だからひとまず、救うことに専念しよう。華月にもたった一人の家族である姉がいる。大切だからこその想いは理解出来るから、このままで終わらせるわけにはいかなかった。
     諒太に生じた隙を狙い、華月と同様に前に出ていた麻琴が攻撃を継ぐ。
    「悪いけど、こっちも全力で行くからね!」
     陽光色のポニーテールを靡かせ翔ける。諒太の顎下に滑り込むと、雷を宿した拳を思い切り突き上げた。
     雷の名残が麻琴を守る。身体中を巡るのは闘気の雷だけではない。家族の諍いは悲しい。互いを想うからこそ起きる悲劇を防ぎたい。
     想いの奔流は自然と言葉の形をとる。
    「諒太くんもお祖父さんが大事だから、後を継ぐって決めたんだよね? 同じようにお祖父さんも諒太くんが大事なの」
     多少なりとも磁器職人の世界に触れていたならその苦労も知っているはずだ。祖父とて諒太が大事だから、愛しいから、手伝うことを許したに違いない。
     微かに、ほんの微かに――諒太の指先が揺れたのを彰人は見た。恐らく傷を受けたからという理由だけではない。
    「……今の時代、職人になるってのは思っている以上に大変な事だからな。一度ですんなりと受け入れて貰えるほど甘くないって事だ」
     彰人が操る力は諒太と酷似したもの。狙いを定めればデモノイド寄生体が手の甲に這い、その肉片が液体となり放たれる。
     強酸性のそれは諒太の青い身体を腐食させ、装甲そのものとも言える筋肉を傷めつける。
    「本当になりたいならその熱意を認めてもらえるまで何度でも食い下がってでも認めさせるべきだぜ」
     響き渡るのは理性なき蒼き異形の叫び。
     頭上に広がる青い空の色。
     今日の空はどことなく、絵付けに使う顔料の青に似た色をしている。

    ●cobalt
     工房の庭先において、説得を続けながらの戦いは続いている。 
     勿論戦闘にも手は抜かない。そんなことをすれば倒されるのは自分たちのほうだ。
     諒太から繰り出される攻撃の破壊力はまさに脅威そのもの。唯や葵が中心となり癒しの力を注ぐ。護り手を担う小鳩やストレリチアが仲間達の盾となり、可能な限り全体の負担を軽減する。
     彰人が重ねる制約や毒は確実に諒太を蝕むことに成功している。華月とライラ、麻琴が前のめりに攻撃の手を費やした。
     それでも尚、それ以上に。
     想いを届けたいと、灼滅者達は喉から、腹から、魂から声を上げる。
    「……最終的に将来を決めるのは自分だと思うの。だから、お祖父さんがどれだけ反対しても、諒太くんが決めて行動したなら止められないと思うのね」
     諒太くんは心当たりあるんじゃない? そう問えば少し腕の動きが鈍くなる。唯は確信を籠めて訴えた。
    「あのね、何をするにも遅すぎるなんて事は絶対ないんだよ」
     漆黒の瞳で捉えるは諒太の姿。魔力を高純度に詠唱圧縮し矢を生み出すと、一条の星の如く真直ぐにその肩を射抜いた。
     跡を継ぐのは今でなくても、職人の修行はこの先諒太が望む限りいつでも出来る。
     そう告げた小鳩に同意したのは華月だ。継ぐのは今しかできないわけじゃない。知識と経験を積んでもなお、その想いが曲がらないならその時こそ、胸を張って祖父に伝えればいい。
    「本当にこのまま怒りに身を任せてもいいのか……もう一度、自分の胸に聞いてみてください。今ならまだ間に合い、ます……!」
     徐々に諒太の動きが鈍化していることにライラは気づいていた。今や理性のない存在、デモノイド。それでも尚生きたいと願うため、もう一歩が必要なのか。
     天空のような蒼色の霊光を纏い、掌に影を宿して殴りつける。生じたトラウマが諒太に何を見せるのか知る由もないが。
    「……思い出しなさい、あなたの大切なものが何なのかを」
     ライラの言葉に猛然と頷いて、コバルトブルーのミニスカワンピを翻し、ストレリチアは前に立つ。傷を負い服が多少破けても構ってなどいられない。
    「諒太さん! 貴方はおじい様の事、嫌いではないのでしょう?」
     叫びと共に伸びた影の触手が、諒太の足を絡めとる。だからこそ跡を継ごうとしたはず。そして祖父も、愛情があるからこそ諒太の迷いに気がついたはず。
    「……お互いに思い合った結末が悲劇だなんて、馬鹿げてますのよ! だからお願い――戻ってきて下さいな!」
     諒太の身体がぐらついたのは、傷が重なったせいだけではないだろう。
     そう判断した葵は穏やかな声音で呟く。
    「自分と少し似てるなと思ったんだ。僕も祖父の後を継ごうと思ってたから」
     思いもよらぬ台詞に仲間達の視線も葵に集まる。大したことじゃないよと微笑みを唇に乗せ、葵は諒太に向き直る。
    「けど君のことを聞いて、僕の祖父も本当は複雑な気持ちだったのかなってはっとした。だから厳しいことも敢えて言われていたのかなって」
     葵の祖父は既に故人だし、自分の夢は一旦保留中だけれど。
     それ故に『共感』という視点で接することが出来たのかもしれない。
    「迷いがあったとはいえ、いや、だからこそ余計にというかな。一度は進もうと決めた道を、真っ向から否定されたら悔しいよな」
     その時灼滅者達は確かに目の当たりにした。
     諒太の動きが――止まったのだ。
     葵は視線を伏せ、けれど諒太にしっかり届くよう慎重に言葉を続ける。
    「けど、乗り越えなきゃいけないんだ。悔しさを怒りに変えたって何も生まれない」
     柔らかな笑みを浮かべたまま、葵は槍の穂先を向ける。生じるのは冴えた冷気。
    「君が誤ってしまったのはきっとその一点だけだ」
     迸る冷気は氷柱となり諒太を襲う。あらゆる意味で身動きが止まり、あと一息だということを誰もが察する。
     上げる叫びが哀しみに満ちているように聞こえたから、『人の声』に聞こえたから。
    「君の右腕は、君が本当に望むものを、選びとっていいんだよ」
     諒太の右腕には幸福を掴んでもらいたい。ハッピーエンドを目指したい。
    「そのためには、何が何でもその手を掴んで、闇から引き摺り出してやる!」
     麻琴は目の奥にこみ上げる熱いものには気づかぬ振りをする。全身全霊を籠めて、両手に籠めた霊光を諒太に向けて放出した。より精度を高めた一撃は諒太を大きく穿ち、巨躯を貫通する。
     デモノイド寄生体である青い筋肉の繊維質がほどける。溶ける。
     残ったのは気を失った状態で横たわる、諒太の姿だった。

    ●prussian
     諒太は目を覚ました。
     人間として。デモノイドヒューマンという、灼滅者として。
     誰もが彼の帰還を喜ぶ中、華月が灼滅者という存在と取り巻く環境、そして武蔵坂学園について説明する。誘いを向けたのはストレリチアだ。
    「諒太さん、結論を出すためにも私達と一緒に色々な事を学んでいきませんか?」
     決めるのは諒太自身の意思。それを尊重したいという考えの者も、自分で決断すべきだという者もいた。
     諒太も少しの間瞼を閉じて思索に耽っていた。頭の中の整理に時間がかかったのか、ややあって憮然とした表情のまま、学園へ行ってみると口にした。歓声が上がる。
    「……いずれ諒太さんの作った磁器が見られるといいです、ね」
     個人的な希望ですけれど、と掲げる小鳩の微笑みは花のよう。昔気質の職人は頑固で喧嘩早いというが、諒太もそういう性質なのかもしれない。彰人は僅かに口元に苦笑を浮かべた。
    「ジジイ、どこにいるんだ」
     葵が工房の奥の部屋で待っていると伝えれば、諒太は勢いをつけて立ち上がる。
    「……ジジイに、俺がこれからどうするか話してくる」
     様子を窺う灼滅者達に、諒太は困ったように苦笑してみせた。

    「今度はキレねぇよ。終わったら、こっち戻る」

     だから待っててくれと灼滅者達に言い残し、諒太は工房へと向かう。
     その道程は未来へのはじまりの道でもあったに違いない。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年4月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 1/素敵だった 9/キャラが大事にされていた 1
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