テリトリー・ロスト=笑む蜘蛛の彷徨

    作者:藤野キワミ

    ●嗤う
     絶命する瞬間の絶叫には、魔力がある。
     甲高い金切り声、枯れ果てた擦れ声、すすり泣く涙声、いろいろあれど、そのすべてに水島・テイ子は魅了されている。
     異形を見たときの混乱と混沌と恐怖と恐慌と、そのほかすべての『おそれ』がないまぜになった絶叫を聞きたい。
     血が見たい。たくさんの血が見たい。殺したい。たくさんの人間を殺したい。堕としたい。たくさんの出来損ないどもを、目覚めさせてやりたい。
    「ははは……」
     水島・テイ子はナイフを弄んで、病的なまでに生白い頬に凶暴な笑みを刻みこんだ。
     楽しかった。
     あのときの心躍る感覚は今でも思い出せる。
     人間の肌にぶすりとナイフを刺した快感とは別の快楽があった。
     殺したい。
     殺したい。
     その衝動を解き放つ瞬間の、天にも昇る快楽をまた感じたい。
    「ここで殺したら、あいつら来るかな。あたしを殺そうと無駄にあがきに来るかな、そうしたら殺せるかな、ふふふ、あはは、ははははは!」
     水島・テイ子は嗤う。
     真っ赤な唇を三日月のように歪めて、深紅の双眸をぎらつかせて、弁当を広げる人間を見下ろした。
     桜色の広場が朱に染まる瞬間を夢想して、ナイフを舐めた。
     命の危機にさらされているとは、思いもしない花見客を、ぎらつく深紅と、薄気味悪い複眼が舐めまわす。

     さあ行け、恐怖を恐慌を地獄を!

     水島・テイ子は嗤う。
     取り乱す人間どもが力なく死んでいく様を、桜が真っ赤に染まる様を、美しい花筵が朱の絨毯へと敷きかえられていく様を、はじける絶命の瞬間を、血が枯れていく様を、ああ、なんて甘美な瞬間――
    「さあ来い、はやく来い、あたしと遊ぼう」

     ふふふ、あはは、あはははははははは!

    ●曇る
    「六六六人衆の水島・テイ子を戦うことはできないでしょうか」
     詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)の問いに、エクスブレインの少女――須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)は目を瞠り、次の瞬間、眼鏡の奥の双眸を曇らせ、沙月を見やり、そしてみなを迎えた。
    「うん、実はね、その水島さんの、未来予測が出たんだよ」
     瞬間、灼滅者たちに緊張が走る。
     エクスブレインのそれが伝播したのか、それとも過去の報告書に目を通したことがあったのか、それは定かではない。
     前回、闇に堕ちた灼滅者を見て味を占めた水島・テイ子は、今回もそうやって遊ぼうと花見客へを眷属を向かわせるという。
    「花見客を……」
     沙月の静かな呟きに、まりんはこくりと頷く。
     城下の広場で咲き誇る桜を愛でながら、弁当を広げる人々を襲い、灼滅者たちをおびき出そうというのだ。
     慎重な水島・テイ子は眷属――むさぼり蜘蛛とネズミバルカンをけしかけ、灼滅者たちを弱らせてから、たっぷり時間をかけて蹂躙したがるようだ。
     そして、眷属が討たれ、『殺人領域(テリトリー)』が壊滅しそうになると、そのときの状況で去るか、戦いを挑んでくるという。
     明らかに前回までの彼女より積極的になっている。
    「で、『そのときの状況』って?」
     灼滅者の言葉に、まりんは「言い忘れてたね」とはにかんだように笑んだ。
    「闇堕ちしてるかしてないか、だよ」
    「また、闇堕ち……」
     思うところがあるのか沙月が呟く。
     テリトリーが崩壊した時点で灼滅者の中から闇堕ちした者がいなければ、水島・テイ子との戦闘になるだろう。
     そして、すべての戦闘中、一人でも闇堕ちした時点で、彼女は満足して去っていく。
    「みんなにお願いしたいのは、水島さんの撃退だよ」
    「撃退?」
    「灼滅じゃなくて?」
     疑問の声が上がる。それにまりんは頷いて、
    「そう、撃退。水島さんが撤退する条件っていうのがもうひとつあって、10分戦ってみんなが闇堕ちしない場合、面倒くさくなっちゃうんだろうね、帰ってしまうの」
     向こうに撤退条件がある以上、いくらでも策を練ることができる。
     まりんは、「それじゃあ、まとめるね」と眼鏡を押し上げた。
     大前提として、水島・テイ子が行おうとしている大虐殺を止めることがある。より多くの一般人を『殺人領域』から避難させてほしい。
     そして、彼女の絶対的な黄金比でもって形成されている『殺人領域』を破壊すること。
     『殺人領域』とは、二十体の眷属の集団がいかんなく殺戮できる領域を指す。
     『殺人領域』の破壊とは、すなわち眷属の討伐だ。
    「水島さんが使役する眷属は、むさぼり蜘蛛とネズミバルカンだよ。数は半分半分」
     むさぼり蜘蛛は特攻してきて、ネズミバルカンはその砲台を遠距離からいかんなく発揮するだろう。
     水島・テイ子は、花見客がピークを迎える昼の十二時半ごろ眷属を解き放つ。
     ただし、それ以前に広場を封鎖することはできないだろう。屋台がすでに軒を連ねているし、なにより封鎖により人がいないとなれば、水島・テイ子の方が場所を移動するだろう。そうなれば、その影を踏むことすらできなくなる。
    「水島さんはテリトリーが壊れると、単身で乗り込んでくるよ」
     そして、闇堕ちさせようとナイフを手に襲ってくる。
     その力は、強大なもので灼滅は困難を極めるだろう。
    「みんなが闇堕ちしないで水島さんを撤退させることができればいいけど……ううん、私が弱気じゃダメだね!」
     万が一、闇に堕ちてしまった場合、水島・テイ子の思うつぼだ。
    「闇堕ちを出さないで、お帰りいただきましょうか」
     沙月は他の灼滅者たちと小さく頷き合って、まりんへ視線を戻した。
    「危険な事件だけど、怖い事件だけど……闇堕ちしないで、みんなで帰ってきてね!」
     努めて明るく、まりんは笑った。


    参加者
    東当・悟(紅蓮の翼・d00662)
    詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)
    佐津・仁貴(中学生殺人鬼・d06044)
    雨柳・水緒(ムーンレスリッパー・d06633)
    銀・紫桜里(そして私はセカイを拒絶する・d07253)
    ワルゼー・マシュヴァンテ(教導のツァオベラー・d11167)
    ナイン・ドンケルハイト(金翼のエメラルド・d12348)
    天野・白蓮(斬魔の継承者・d12848)

    ■リプレイ

    ●叫ぶ
     うららかな春の昼は一変した。
    「逃げろ! 走れ! できるだけ遠くへ行くんや!」
     東当・悟(紅蓮の翼・d00662)は全身に殺気を噴き上げ、
    「私たちが食い止めます! みなさんは逃げて!」
     割り込みヴォイスで大声を張り上げるのは、詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)だ。
     駆けつけた灼滅者たちの姿よりも、異形の怪物どもにパニックを起こしている人々は、しかし、天野・白蓮(斬魔の継承者・d12848) らの言葉に従うように一目散に逃げていく。
    「花見はまた今度にするんだな」
    「命あっての物種って言うでしょう?」
     ナイン・ドンケルハイト(金翼のエメラルド・d12348)の視線は殺意に満ちていて、殺界を作り上げる。
     罪のない市民を巻き込んで、私欲を満たす水島テイ子のやり方は、虫酸が走る。度し難い愚かな行為だ。一言、否、一刀いれてやらねば――雨柳・水緒(ムーンレスリッパー・d06633)は《妖刀 新月》を携え走る。
     放たれた眷属の群れが放つ恐怖か、それとも灼滅者たちの放つ声、殺気が効いているのか、あるいは両方か――市民たちは慌てふためき、唐突に現れた地獄から逃れようと、必死に走っている。
     そんな彼らに声をかけ、守るように白刃を輝かせる。
    「ママぁぁぁぁ!」
     大声を上げて泣き喚く子供が母を呼ぶ。小さな体で大人たちの中を走ることは出来なかったのだろう、転んで母を呼ぶ。
     その弱い声は蜘蛛をおびき寄せた。しかし、そこには水緒がいる。
    「この刃からは逃げられませんよ」
     蜂の巣をつついたような喧騒の中にあって、それでも聞こえる静かな声。
     一閃。
     転んだ子供に凶牙をむこうとしていた、むさぼり蜘蛛の足を一本落とす。
     それが、開戦の合図となった。

    ●始まる
     母に抱き上げられて逃げていく子供を横目に、
    「……いきます」
     ぎろりと睨みつけてくるむさぼり蜘蛛どもを睨み返して、銀・紫桜里(そして私はセカイを拒絶する・d07253)が呟く。刀に収斂させた気魄を発露させ、斬り下ろす!
     刹那、佐津・仁貴(中学生殺人鬼・d06044)が疾駆、紫桜里が斬り付けたむさぼり蜘蛛に黒死斬を閃かせる!
     水緒に足を斬り落とされ、紫桜里と仁貴の猛攻を喰らった専属は灰燼に帰した。
     ワルゼー・マシュヴァンテ(教導のツァオベラー・d11167)はその様子を見て、「む、負けてられんな」と愛用のマテリアルロッドを振り上げ、走れない老人を狙うネズミバルカンを殴りつける!
     叩き込まれた大量の魔力の奔流にネズミバルカンは苦しげに前歯を鳴らしたが、バレットストームが吹き荒れた。
     ナインだ。
    「やらせないわよ、眷属風情!」
     気魄を纏う鉛の雨に打たれてひるんだ眷属に、白蓮が死の魔法をかける。体の奥底から凍結していくネズミバルカンは、そのまま凍りつき息絶えた。
    「守るから安心しいや、じいちゃん!」
     腰を抜かしている老人を背に庇った悟の螺穿槍に切り刻まれたのは、先刻とは別の氷漬けのネズミバルカンだ。
     そして、沙月が舞った。演舞と攻撃の表裏一体――しゃらんしゃらんと《雪夜》がむさぼり蜘蛛を斬り裂いていった。

    ●爆ぜる
     花見を楽しんでいた市民はすでにいない。
     こんな眷属なんぞさっさと屠り、本命たる六六六人衆の一人、水島テイ子を撤退させねばならない。
     回復と攻撃のバランスを取りながら、八人は消耗しながらも眷属を屠っていく。
     白蓮のフリージングデスがじりじりと眷属たちを弱らせて、水緒の影業が蜘蛛を切り刻んでいく。
    「影の刃の切れ味はいかが?」
     応えるのは噴き上がる血――威力は申し分ない。しかし放たれるバルカン砲の攻撃が水緒の体力を削っていく。
     仁貴のナイフが蜘蛛の装甲を突き破り、柔らかな肉に突き刺さった。水島と戦うのはこれで二度目だ。前は刃を交えることもできなかったが、今回は違う。仁貴の握るナイフは水島を貫くことのできる距離にあるのだ。そのためにはこんなところで燻ぶっていられない。
     むさぼり蜘蛛から殲滅していくという全体の方針に従って、じりじりと蜘蛛どもの体力を削っていく。沙月の援護が背中を押して、彼女の手が回らなかった者も己を回復させる。
     状況は良くない。だが悪くもない。致命的というものでもないはないが、各々の消耗は無視できない。
     それでも一体、また一体と確実に屠っていく。眷属へのダメージが集中しないようにとターゲットを見極める仁貴のナイフが走り、迫りくる蜘蛛に強烈な拳打の応酬を叩き込むナイン。消滅していく蜘蛛の後ろにいたもう一体の蜘蛛がぎちぎちと牙を打ち鳴らす。
     その蜘蛛に水緒は華麗に影を操って攻撃――果たして、これは寸でのところで躱された。
     次の瞬間、蜘蛛が粘着質な糸を吐き出し水緒の足に直撃――絡め取られた水緒にさらなる攻撃が襲い来る。
     幾多の砲台から放たれたバルカン砲は、水緒とナインの頭上に降り注いだ。着弾、爆発――それはほとんど同時に起こる。
    「「――っ!!」」
     二人の悲鳴は耳を劈く爆発音に掻き消され、沙月の悲鳴も届かない。
     爆煙が霧散し、グラウンド・ゼロに残されていたのは、倒れ伏した水緒の姿だった。
    「水緒!」
     彼女を庇うように、ナインは弾丸の驟雨を巻き起こした。
     打ち抜かれるネズミバルカンの様子を、息を切らしながら見据える。
    「これだけの数……ブレイズゲートより、辛いわね……」
    「まだ、なんとでもなるぜ!」
     白蓮が白刃を煌めかせ、蜘蛛を一刀のうちに斬り捨てた。
     ネズミどもへ凶悪な殺気を放ち、眷属どもの攻撃を受けまた躱し、バニシングフレアが炸裂、紫桜里は紅蓮斬を見舞って眷属の生気を吸い上げる。
     めまぐるしく移りゆく状況は、確かに灼滅者の方へと動き出している。
     壊滅する蜘蛛の前線に、ネズミバルカンはいきり立つ。だが、もはや負け犬の遠吠えにしか聞こえない。耳障りな金切り声が聞こえるが、それを封じ込める白蓮の氷結魔法、そして仁貴の膨れ上がる殺気。
     仁貴の真横では最後の蜘蛛が絶命している。ワルゼーだ。彼女は渾身の拳を叩き込んで、蜘蛛の腹を引き裂く。その後ろに控えていた残ったネズミを見れば、あと二体。
     前哨戦の終わりは見えた。
     クラッシャーたちの連撃、ナインの影が蠢き、メディックの癒しが戦場を浄化する。
    「これで、終いだ!」
     白蓮が氷の魔法を発動させ、ネズミを凍結させ粉々になれば、辺りに女の哄笑が響き渡った。

    ●手放す
    「蜘蛛どもの力はどうだった? ネズミどもの鳴き声、ウザかったでしょう?」
     くるんくるんとナイフを弄びながらゆったりと歩み寄ってくる。
     六六六人衆の一人、序列五八六位の女――水島・テイ子。
     存外小さな背丈の、悪趣味な白装束に身を包んだ水島は、真っ赤な唇を醜悪に引き上げた。
     獲物の姿に歓喜しているように見える。
    「初めまして。私は、詩夜沙月。今日はあなたに借りを返しに来ました」
     そんな水島に、沙月は昂ぶる感情をなんとか抑えながら、告げれば、
    「そんなのどうでも良いわよ、なんの借りかもわかんないし」
     しれっと会話が続く。やはり機嫌が良いらしい――否、これから己の手で灼滅者を闇堕ちさせられると喜んでいるだけか。
     饒舌に水島は続けた。
    「ありがとうくん、この間はえらく吠えていたけど、強くなったの? 今日こそあたしを楽しませてくれる?」
    「ありがとうやない! あがりとうや!」
    「あまり図に乗るなよ、碌なことは起きんぞテイ子よ」
    「俺もあれから少しは強くなったつもりだ、相手してもらうぞ」
     ワルゼーが凄みを利かせて、仁貴はバトルオーラを燃え上がらせて水島を見据える。
    「……ふーん、見知った顔がある。もしかして、あたしってモテモテ?」
    「冗談は顔だけにしろ」
     辛辣に吐き捨て、ふんと鼻を鳴らした白蓮に、鼻白む水島――しかしそれも一瞬のことで、一層楽しそうに、心底狂ったように、一等慄かせるように、嗤う。
    「もういいでしょ、早く殺ろう――もうあたしウズウズが止まらないのよ!」
     黒と金のツートン頭がぐんっと低く落ちて、驀地にナイフを閃かせる。一刀された空気は颶風となって怨念を呼び、ワルゼーらを引き裂いていく。
     込められたヘドロのような怨讐が、体内を駆け巡り、力を奪っていく。
     眷属どもとの戦いで疲弊しきった今の体には、ひどく重い水島の攻撃に背筋が粟立った。水緒が倒れた今、水島の猛攻を耐えれるかわからない。
     だが、耐えなければならない。
     あと六○○秒――耐えて耐えて耐え抜けば、水島の興を削ぐことが出来る。
     沙月の風が癒しの想いを乗せて吹き抜け、ワルゼーの体を侵した毒を消し、悟の防護符は仁貴の体力を回復させ、
    「命の花散らせるもんか! 遊びで殺すな! ふざけんなや!」
     仁貴もまた己の眼前にシールドを展開させた。ナインの足元から伸びる影業が水島を飲み込んで、白蓮が黒死斬で踏み込んでいく。
    「こいつ喰らって、頭冷やしてきな!」
     閃光百裂拳を叩き込んだワルゼーは、顔を歪めた水島を睨んで、
    「ふん、痛かろう。しかし貴様の悪趣味のツケはこんなものではないぞ」
     彼女の背後から紫桜里が飛び出す――そして死角からの強烈な斬撃に、水島は凄絶に笑った。
     その不気味さにナインは眉根を寄せ、水島の動きを封じ込めようと縛霊撃を放つ!
     しかしそれは見事に回避され、水島の操るナイフを鈍らせようと白蓮も雲耀剣を見舞う!
    「遅くない?」
     ひらりと躱され空を斬った白蓮は素早く体勢を立て直し、水島に集中した。
     その横では、仁貴のシールドが紫桜里の守りを固めている。
     《Zwillingsdespot【双子の暴君】》に滾らせた魔力を叩き込んで、《月華美刃》を容赦なく振り下ろす。それでも、水島は涼しい顔をしている。
    「痛い? これが? これがあんたたちの本気? ちゃんちゃらおかしいわね」
    「なに?」
     攻撃をヒットさせたワルゼーは眉を顰め、転瞬、瞠目した。突き出されたナイフの切っ先から、呪われた猛毒の颶風を生み出す!
     吹き荒れる突風に巻かれる中、沙月の清めの風がそれを浄化していく――しかし、ワルゼーを侵した毒は消えない。
    「痛いっていうのは、もっと甘美なもの、もっと完璧で愉悦に満ちているの! こんなのは、痛くない」
     悟の放った防護符がワルゼーに張り付くも、眼前に迫った水島のナイフを躱しきることも受けきることもできなかった。
     彼女の言うところの、『完璧で甘美な愉悦』がワルゼーを支配したのだ。
     悟の怒り、紫桜里の悲鳴、沙月は息を飲んで、それでも白蓮は唇を噛み締め、「トドメを刺される前に!」と発破をかける。
     悟がワルゼーの体を抱き上げ、退避させる。力の抜けた人はとてつもなく重い。しかし、この重さは命の重さだ。それを抱えられるというなら、本望ではないか。
    「思い通りには、させないっての」
     ワルゼーを抱える悟から意識を反らせよう白蓮は走る。水島を足止めさせることが出来れば、後に続く仲間にチャンスが訪れる可能性は高い。だが、水島は凄絶に笑った。
     そして、白蓮の視界は真っ赤に染まった。
     誰かの声がする。護符の癒し、シールド、オーラ、それらが白蓮を癒そうと放たれるも水島の前でそれらは無意味だ。紫桜里が動く。水島の凶刃から白蓮を守ろうと走る、ナイフが閃く、間に合わない、息が詰まる、意識が遠のく――ブラックアウトした。
    「あれー? こないだの子みたいにならないの? そんなじゃあ、あたしは楽しくない」
     沙月の纏う空気が一変したのはその瞬間だった。仁貴も記憶が蘇る。だが、
    「挑発や! のるなよ!」
     悟が怒号を上げた。その悟もかっと頭に血が上っているのだが、我を忘れるわけにはいかない。
     沙月の目の色が変わったのを諌めれば、彼女は大きく息を吐いて水島を見据える。
     それぞれが回復に手を回す――それが今の精一杯だ。
    「テイ子。これ以上、貴女の思い通りにはさせないわよ」
     次々に倒れていく仲間を背に庇って、ナインは唇を噛む。
     ぐったりとして意識を取り戻さない水緒、静かに横たわるワルゼー、そして激痛に汗を流す白蓮――倒れた仲間の姿を思い出し、ナインは激しく鼓動する心臓を意識する。これが動いている限り、何度でも挑戦することが出来る。
     仲間を守る。闇に堕ちずに傷ついた仲間はなんとしても守る。そのためには、今動けるメンバーを大切にしなければなるまい。
     ナインは紫桜里へ治癒のオーラを叩き込んだが、それでも彼女の傷は完全に癒えない。
    「威勢のイイ子は嫌いじゃないわ」
     にたりと笑って水島が突っ込んでくる、そして姿を見失う――次の瞬間、ナインは息も出来ないほどの衝撃と激痛に襲われ、そのまま意識を持っていかれた。
    「弱いなあ!」
     困ったように水島。
     悔しい。誰もの胸に宿るのはそれだ。
     回復に手を回し、防御しようと集中すれど水島の動きは速すぎて強力すぎてそれどころではない。
     水島のどす黒い殺気に当てられた紫桜里は、ぎゅうっと締め付けられるような感覚を覚え、仁貴は――地面に膝をついた。
    「――くっそ……ッ!」
     溜まりに溜まったダメージが決壊したのだ。どうっと倒れた仁貴に、悟が駆け寄る。彼の脳裏に闇が過る。倒れた仲間の数、今にも倒れそうな紫桜里の姿、多くの想いを背負って立つ沙月――
    「あんたの本当の姿、見たいわ。その子を殺せば、あんたは変わる?」
     言うが早いか水島は驀地に迫りくる。
    「やらせないわ!」
     紫桜里が水島の進行を妨害し、その代償として彼女の凶刃をその身で受け、ふらりと体勢を崩した。
    「銀さん!?」
    「紫桜里!!」
     悟と沙月の悲鳴――しかし、水島はそれ以上踏み込んでこない。
    「わかった、今日はもういい。飽きたわ」
     存分に振るっていたナイフを弄び、三人を一瞥、大きなため息をついて踵を返した。
    「またね、なり損ないたち。次は、絶対に本当の姿にしてあげる」
     余力を残して去る水島の背を見送るしか、今の彼女らには出来なかった。

    ●笑む
     十分が経ったと気付いて、沙月は大きく息をついた。
     耐えた。
     もう駄目かと思った。
     でも、それも終わった。
     水島は去った。
     安堵が押し寄せる。
     闇堕ちを出さずに済んだ――晏如として、沙月の心はささめく。それでも叶うなら――
    「帰ろか」
     水緒らの手当てをしながら思う沙月に、悟がにこりと笑んで、
    「疲れましたね……」
     紫桜里も満身創痍、それでも晴れやかに笑んでいる。
     沙月は、こくりと頷いた。

    作者:藤野キワミ 重傷:雨柳・水緒(ムーンレスリッパー・d06633) ワルゼー・マシュヴァンテ(はお布施で食べていきたい・d11167) 天野・白蓮(技を持たぬ達人・d12848) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年4月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 16/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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