タテマエは殴れない

    作者:なかなお

    ●その一言で
     小さいころから習っている空手。
     先生はいつも言ってた。人を傷つけるために、ここで鍛えた技を使ってはいけないよ、って。
     だけど。
    『そうそう、本当に美羽って空気読めないよねー』
     そう言って笑った親友を蹴り飛ばしたとき、全身に駆け巡ったのは痛快な満足感だけだったんだ。
    「はっ、はっ!」
     まだ夜も明けきらない寒空の下、神部・美羽は息を吐くようにして掛け声をあげながら、家の庭で一人組手をしていた。目を固くつむり、親友の姿を頭に思い描きながら、首筋に蹴りを、鳩尾に拳を埋めていく。
     頭を吹き飛ばし、体を折って地にうずくまる親友の姿を想像している時だけは、不思議と安心できた。
     でも、それも今日までだ。
    「美羽、そろそろお風呂に入らないと、ご飯食べそこねるわよ?」
     他の誰でもない美羽の蹴りのせいで三日間学校を休んでいたあの親友は、今日、学校に来るらしい。

    「別に、本心で言ったわけじゃないと思うんだ」
     須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)はきゅ、と眉を寄せると、困ったように笑った。
    「女の子って、周りに合わせちゃうことが多いから。でも、偶然聞いた美羽ちゃんには、それが本音に聞こえたんだよね、きっと」
     今回の相手は神部・美羽、中学三年生。幼馴染でもあり親友でもあった留依が自分の陰口をたたくのを聞いてしまい、それがきっかけとなって六六六人衆に闇堕ちしかけているのだ。
    「普通なら闇堕ちして人の意識も消えちゃうんだけど、美羽ちゃんは今は空手に熱中することでどうにか殺人衝動を堪えてるんだ。六六六人衆としての力は持っているけど、まだなりきってはいないよ。だから、助けられる可能性もある」
     まだ人を捨てきっていない美羽は、灼滅者の素質を持っているかもしれないと言う。
    「声もまだ届くと思うからあんまり考えたくないけど……もし完全に闇堕ちしちゃうようなら、その前に灼滅してほしい」
     そこで一度お願いね、と言って話を区切ると、まりんは机の上に今回の戦闘場所となる路地と空き地の写真を取り出した。
    「学校の帰り道、この空地で留依ちゃんが美羽ちゃんを待ち伏せしてるの」
     留依は怒っているわけではなく、謝りたいと思っているらしい。
    「留依ちゃんは、今回のけがの原因を親にも先生にも言ってない。きっと、自分が美羽ちゃんを傷つけたって分かってるんだろうね。だから、ここで謝ろうとするんだけど……」
     一度留依の姿を目にしてしまえば、美羽の頭には留依を殺したいという気持ちしかなくなってしまう。話をするどころではないだろう。
    「みんなは留依ちゃんが美羽ちゃんを引き留めたところで二人の間に入って、まず留依ちゃんを逃がしてあげて」
     当然美羽は留依を追おうとするだろうから、それを引き留めつつ、説得しながら戦闘でKOしなければならない。
    「使用するサイキックは殺人鬼のみんなと同じもの。あと、鞄の中にカッターナイフを持ってるから、それを取り出すのを許してしまえば『解体ナイフ』と同等のサイキックも使ってくる」
     獲物がなかったとしても、幼いころから空手で鍛えているという点があるため油断はできない。
    「二人に、ちゃんと話す機会をあげたい。私はお願いすることしかできないけど……」
     助けてあげてほしい。まりんは真っ直ぐにそう言った。


    参加者
    来栖・桜華(櫻散華・d01091)
    月雲・彩歌(月閃・d02980)
    識守・理央(マギカヒロイズム・d04029)
    水無瀬・楸(黒の片翼・d05569)
    エリ・セブンスター(蒼桜特攻隊・d10366)
    雨海・柚月(迷走ヒーロー・d13271)
    エアン・エルフォード(ウィンダミア・d14788)

    ■リプレイ

    ●ちょっとの擦れ違い
    「(こういうのはちょっとした擦れ違いだと思うのでござるよね~)」
     広々とした空地と道路を仕切るようにして立つ『立ち入り禁止』の看板にもたれかかる少女――留依は、顔を見ずともわかるほどに寂しげだった。時折左脇腹を擦っていることからして、美羽に蹴られたのは腹らしい。
     雨海・柚月(迷走ヒーロー・d13271)はその後ろ姿を目を細めて見つめながら、猫となっている自らの体をぐっと伸ばした。空地の正面に立つ家の玄関では、こちらは犬の姿となったエリ・セブンスター(蒼桜特攻隊・d10366)が番犬よろしく大人しく座っている。
    「(人間関係妥協は必要だろーけど、傷つけるって分かるだろうコト言うのはどーかと思うなー)」
     だからって力に訴えてイイ訳じゃないけど、と心の中で続ける水無瀬・楸(黒の片翼・d05569)は、空地の左手にある電信柱に身を隠し、エアン・エルフォード(ウィンダミア・d14788)と来栖・桜華(櫻散華・d01091)、月雲・彩歌(月閃・d02980)も同じようにしてそれぞれ路地に身を潜めていた。
     エリアル・リッグデルム(ニル・d11655)も同じく路地に立ってはいるが、こちらは留依の視界に入る範囲で、携帯電話を弄るふりをしてやり過ごしている。
    「来たか」
     一人空飛ぶ箒を使って空地の裏に建つ家の屋根上に潜んでいた識守・理央(マギカヒロイズム・d04029)が、少し離れた曲がり角からとぼとぼと一人の少女が歩いてくる姿を捉えて呟く。風にさらわれそうなほど小さなそれが仲間に聞こえるはずもなかったが、それを伝えるにはがらりと切り替わった空気だけで十分だった。
     彩歌が、もうじき美羽が現れるであろう方向をじっと見つめる。
    「私も人付き合いの得意なほうではないですが。……だからこそ、お二人には良い結果を迎えてもらいたいな」
     思わず零れ落ちたのは、純粋な願いだった。
     どうか、と思うと同時に、少し怖くなる。誰もが嘘をついて生きている事くらいは理解しているし、自分も感情を偽る事だってある。だがもし美羽と同じ立場になったら、自分はどうするのだろうか、と。
    「(……いや、)」
     今自分達がこうして話し合いの道を提示する以上、迷うまでもなく、自分も腹を割って話し合うべきだろう。逆に言えば、その覚悟があって初めて、自分達は美羽に真っ向からぶつかっていくことができる。
     ざり、と靴がアスファルトを擦る音が響き、俯いていた留依がぱっと顔を上げた。
    「美羽!」
     曲がり角から現れた美羽と呼ばれた少女は一瞬大きくその瞳を見開き、すぐにぐにゃりと歪ませる。そして次の瞬間そこにあったのは、憎悪に染まった真っ黒な双眸だった。
    「留依……」
     囁くように、それでいて射抜くように美羽がその名前を呼ぶ。
     留依が何を言うよりも早く美羽の手が肩から提げられた鞄に突っ込まれたとき、「わふん!」と咎めるような犬の声が飛んだ。美羽が視線だけで確認した先では、先ほどまでおとなしくお座りをしていた犬がしっぽを下げ、耳まで下げて悲しそうにこちらを見つめている。
     その一瞬の隙を、灼滅達は逃さなかった。

    ●シンプルに行こうよ
    「余所見は厳禁だよー」
    「……っ!」
     鞄に突っ込んだ手を引き出そうとした美羽の手を、楸が掴みとめる。
     美羽と留依の間に突然七人の人間が割って入り――その中にはそれまで犬と猫だったはずの者も含まれている――留依は呆然と目をみはった。
    「なに……なによっあんたたち!」
     美羽が悲鳴めいた声を上げ、腕を掴んだままの楸を突き飛ばそうと右足を引く。
    「僕らが何者かだって?」
     その足が蹴りだされるよりも早く、ふわりと美羽の頭上で風が吹いた。とん、と理解できない重みが美羽の左肩にのしかかり、後ろに突き飛ばすようにして離れる。
    「ヒーローさ。君を助けに来た、ね」
     美羽の肩を足場に地面に降り立ったのは、空飛ぶ箒を使用していた理央だった。
     ぐらついた美羽の体から、エアンがひったくるように鞄を奪い取る。
    「っ?! 邪魔しないでっあたしは留依を……!」
     殺したい。殺さなきゃいけない。
     血走った目で自分を捉える美羽に、留依はびくりと体をすくませた。そんな留依の体をプラチナチケットを発動させたエリアルが半ば強引にひっくり返し、押し進めながら事情を説明する。
    「今の美羽さんはとても凶暴で君をまた怪我させるかもしれない。落ち着くよう今から説得するから、少しだけ待っていて欲しい」
    「だ、誰……?」
     ここで教師だとでも言い切れれば楽なのだが、プラチナチケットで特定の対象に成りすますことはできない。エリアルは少し間を置き、美羽の道場の兄弟子だと答えた。
     留依のまとっていた警戒心が、とたんにふっと和らぐ。
    「そこをまがった先で座る場所でも探して休んでて」
    「留依イィィィイイッ!」
     曲がり角の先に吸い込まれていく留依の姿に、美羽のつんざくような怒号がとどろく。
     放たれた殺気は漆黒の闇となり、留依が消えた先を襲った。
    「させないっ!」
     闇に追われる留依に、彩歌の防護符が飛ぶ。防護符は闇を弾き、それに合わせるように柚付きがバイオレンスギターを激しくかき鳴らした。
    「留依さん、のところ、には、行かせません。美羽さん、が頑張ってきた空手、を暴力に変えてはダメです」
     尚も前に突き進もうとする美羽の行先を遮る様に、桜華の影が美羽を貫こうと追いかける。
     突如ぶわっと広がった殺気は、楸の殺界形成が完了したことを示していた。
    「上手い言葉は思いつかないからシンプルにね。アタシ達が勝ったら友達に謝ってもらう。アタシ達が負けたらあなたの好きにするといい。――さ、始めよっか?」
     エリがにっこりと笑って言い放った。

    ●言葉は難しい
    「はあッ」
     美羽の手刀を、今度は楸の殺気が闇となって受ける。美羽は足を回すようにして振り切り、同時に殺気を放ってその闇を切り裂いた。
     闇の中から飛び出すと、美羽は腰を落として構えるように空手の型を取る。
    「お綺麗なもんだね。ま、威力はあっても堕ちたばっかじゃそんなもんか」
     楸は軽く肩をすくめて言うと、ねえ、と続けた。
    「人に怪我させたのに先生から呼び出されたり、学校で噂になったりしてないでしょ? ソレってなんでだと思う?」
    「っ! そんなの知らない! 関係ないッ!」
     素早く上体を低く落として腕を引き寄せた美羽だが、やはり動揺は隠せない。美羽よりも一テンポ早く、エリが雷をまとった拳をその顎に飛ばした。
     さすがに反射神経はいいのか、美羽はとっさに突き出そうとしていた右腕で顔を庇う。
    「ぅ、ぐうっ」
     吹き飛ばされた体を空地を囲む木の壁に縫い付けるようにして、理央がオーラに包まれた拳で肉眼で捉えきれないほどの速さで連打した。
    「ずっと続けてきたんだろ、空手。それなら、自信も、誇りも、あるはずだ」
     そして、どうか届くようにと美羽の中に残った人の心に訴えかける。
     美羽は内臓をつぶされる感覚に目を見開きながらも、あがくように両腕を前にだし、なんとかその腕をつかもうとした。
    「どうせならその腕、誰かを助けるために使いなよ! その方が、傷つけるよりも、絶対に気持ちいい!」
     腕をつかむのが無理だと知れると、今度は足が出る。いやだいやだというように大きく首を振って、美羽は力任せに足を突き出した。
     それをよけようと止まった腕を今度こそつかみ、力任せに正面から突き飛ばす。
    「ッが、」
     美羽はそのままぎらぎらとした瞳で周囲を一瞥すると、傍にいたエアンへと飛び込んだ。
     潜り込むような体勢からの拳を、エアンは咄嗟に身を引いて避ける。だが間もおかずに上から叩き落された足は、両腕を交差させて受け止めるしかなかった。
     蹴りの威力と叩き込まれた真黒な殺意に、エアンの身体ががくりと地面に食い込む。
    「言葉は難しいよな」
     ぐっと奥歯を噛みしめながら、しかしエアンはなんとか言葉を紡いだ。
    「ちょっとした事で歯車が狂ってしまう事もあるから……目の前で見たものが全てだと受け取られてしまっても仕方がないと俺は思う」
     エアンの言葉に留依のことを思い出したのか、美羽が憎々しげに、苦しげに顔を歪める。
    「でも、君達は話し合うべきだ。力で表すのではなく、自分の素直な気持ちを相手に伝えないと意味がないよ」
     ふぐう、と呻くような声を出して、美羽は固く目をつむると足にさらに力を込めた。均衡が崩れた力の押し合いに、エアンの身体の軸がぶれる。
    「やだ、やだやだやだ! 留依なんて殺してやるんだからッ殺してやるんだから――ッ!」
     美羽は喉が潰れるほどの声でそうわめきたてると、エアンを横から薙ぎ払うようにして蹴り落とし、背後にいた桜華をがばりと音が聞こえそうなほどの仕草で振り返った。
    「エルフォードさん……っ、識守さん、も、今回復、します……!」
     膝をつく二人に、桜華の身体から放たれた霧が包み込む。その桜華を護るようにして霊撃を放った桜華のビハインド・櫻を、美羽の黒い殺意が飲み込んだ。
    「だめ……ッ!」
     途端に桜華がかき消えそうな悲鳴を上げ、その華奢な両腕を広げて櫻を背後に庇った。それと同時に自らの影を引き伸ばし、闇を、その先にいる美羽を切り裂く。
     闇の先では、柚月とエリアルが美羽と対峙していた。

    ●友だち開始
    「なぜ美羽殿は直に留依殿を狙いに行かなかったでござる」
     美羽の蹴りと柚月の拳が音もなくぶつかりあい、双方が睨みあう。至極近くで放たれた言葉に、美羽は大きく瞳を見開いた。
    「何故想像するだけで終わらせ安心していた? 美羽殿は本当は彼女を傷つけたくなかったのではござらんか」
    「ち、がう」
    「彼女は親友なのでござろう。その親友を傷つけて美羽殿は本当に良いのでござるか? 少しでも親友だと思っているなら、少しだけ踏みとどまって欲しいでござる」
    「ちがう、ちがうちがうッ」
     諭す様などこか優しささえ感じさせる声音に、美羽が唇を震わせる。まるで逃げるように身を引いた美羽を、彩歌の刃が捕えた。
     しゅん、と空を切る音と共に美羽の右肩から斜めに大きな裂傷が走り、血が噴き出す。二歩、三歩と後ろに下がった美羽の体を、エリアルがガトリングガンで押さえつけた。
    「留依さんは新しいクラスで仲間外れにされたくないから、周りに合わせたのかもしれない。自分を守る為に君を傷つけるしかなかったのかもしれない。本当の事は留依さんしか知らないだろうし、それを聞き出せるのは美羽さん、君しかいないんだ」
     向けられた銃口を、しかし美羽は見てはいなかった。それより先にある何かを見ているその瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
    「怪我を負わされて尚、謝りたいとした彼女の心に免じて、もう一度だけ向き合ってみませんか?」
     エリアルの後ろから飛んだ彩歌の静かな声に、ついに美羽はぽたりと一粒の涙を零した。そしてすべてを放出させるように、声なき絶叫とともに今までの比ではないほどの黒い闇を噴き上がらせる。
    「さがって、ください!」
     咄嗟に桜華が夜霧を発動させ、七人の体を守るようにして包み込む。
    「終わらせてやるよ」
     楸が不敵に笑い、きらめく炎が美羽の闇を食いつくした。

    「やれやれ」
     くったりと気を失った美羽を前に、理央がおどけたように笑いながら殴られた個所をさする。
    「何度『参った!』って言おうかと思ったよ」
    「ほんと、もう殴りあったり頭使ったり疲れたしお腹減った!」
     んんん、と伸びをしたエリが言葉とは裏腹に元気そうな声を出す。
     それに対して血や死に敏感で沈んでいた桜華は、柚月に連れてこられた留依に静かに歩み寄った。
    「周りに合わせるだけではダメです。その言葉の重みも考えてください」
     突然の助言に一瞬驚いたような顔をした留依は、しかしすぐに顔を歪めてこくりと頷いた。その様子に、エリがぱっと笑う。
    「美羽ちゃんが起きたら、留依ちゃんも一緒にご飯食べに行こう! 喧嘩終了、友達開始それでオッケー」
     ね、と言うその楽しげな声に、伏していた美羽が小さく身じろいだ。

    作者:なかなお 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年4月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 1
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