幸福な悪夢~Fagrahvel

    作者:泰月

    ●ソウルアクセス!
    「準備はよろしいですか?」
     ソウルアクセスを使える弥由姫が仲間を見回す。
    「さぁて、頼むよ。みゆきち、みやー」
     さりげなく呼び名を使いつつ、縁が頷き返す。色眼鏡はまだ外したままだ。
    「このままでは、彼女はまるで呼吸する死体だよ。起こしてあげいとね」
     ローランドも2人の世界から戻ってきた。
    「はい。……行けます」
    「うん、行こう」
     どちらも言葉少ないながらも迷いなく、えなと妃菜も頷く。
    「今度こそシャドウの目的も探れると良いのですけど」
     シャドウの目的を気にするりんご。
    「行ってみれば、なんとか、なるよ」
     テストをヤマカンで乗り切るエールはここでも淡々と言う。
    「んじゃ、ソウルアクセスいきまっす!」
     琥太郎が力強く頷いて、8人は少女のソウルボードへと入って行った。

    ●幸せすぎる夢
     晴れて高校生となった少女は、アルバイトを始めた。
     パティシエと言う夢を叶える為の、一歩。洋菓子店の調理補助である。
     とは言え、少女の料理の経験はほとんどゼロ。学校の調理実習で一緒になった友人からは『包丁を握らない方が良い』とすら言われた事もある。
     最初の内は、酷い失敗ばかりで散々なものだった。
     クビにならないのが不思議なくらいだ。
     だが、いくら失敗しても怒られても、少女はめげずに上達を信じて努力した。
    「お疲れ様。今月頑張ってくれたから、バイト代、上げといたよ。上手くなったな」
    「わ、ホントですか。ありがとうございます」
     そして今では、少女の菓子作りの腕は店主に褒められる程になり、時給も上がっていた。
    「卒業してからもウチで働いて貰うのもアリだなぁ」
    「でも、いつか海外で修行したいんです。フランスとか」
    「ふぅん。じゃ、その時は俺も一緒に行こうかな」
    「――え?」

    「成程、こりゃまた随分と……」
     ソウルボードに突入して垣間見た少女の夢の日常に、縁が思わず唸る。
    「失敗を重ねてもクビにならず、菓子作りは上手くなって、おまけに年上店主といい感じ、か……」
     良くできている、と聞いてはいたが、ここまでとは。
     最初は失敗続きな辺り、なんとも現実的である。
    「幸せな日常過ぎていっそ残酷だね。他の可能性が死んでしまっている」
     可能性が死滅している。ソウルボードに入る前からローランドが抱いていた感想だが、実際に夢の世界を見たあとでも変わっていない。
    「あの少女に、これが夢の世界だと認識させる必要があります。それが出来れば、目を覚まさせる事が出来る筈です」
    「でも、シャドウもどっかにいる筈ッスよ。黙って見てるだけとは思えないんで、また撃退することになるんじゃないかと」
     弥由姫と琥太郎、シャドウハンターの2人が、少女を目覚めさせる為に必要な手段と、潜む危険を告げる。
    「シャドウとは望む所ですわ。それより、どう説得するか考えないとですわね」
    「あ、あの……サイキックを見せてこれが夢だと話してみる、のは」
     りんごが考えこんだ所に、自信なさそうにえなが声をあげた。
    「ああ、有りッスねー。でも、オレらを敵と思われるとシャドウに力を与えちまうんで」
    「……あと、あの人が、自分で目覚めようって思ってくれた方が、夢だと判ってもショックが少ない、と思う」
     少女を案ずる、妃菜の言葉はおそらく正しい。それほどに、この夢は幸せすぎる。
    「あ、そうだ。さっきの、留学。あれも、あの女の人の夢、だと思う。あの人の部屋……貯金箱、あったよ」
     エールは少女を起こす手がかりになればと、部屋を見ていた。その中に留学資金と書かれた貯金箱があった事を思い出す。
     情報は集まってきた。
     如何にして、少女に夢と認識させるのか。
     この幸せな悪夢の世界を終わらせられるかは、8人の灼滅者の肩にかかっている。


    参加者
    茅森・妃菜(クラルスの星謡・d00087)
    巫・縁(アムネシアマインド・d00371)
    高宮・琥太郎(ロジカライズ・d01463)
    三日尻・ローランド(王剣の鞘・d04391)
    加賀見・えな(日陰の英雄候補生・d12768)
    霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)
    黒岩・りんご(凛と咲き誇る姫神・d13538)
    エール・ステーク(泡沫琥珀・d14668)

    ■リプレイ

    ●接触
    「夢の道先案内人でっす♪」
     バイトを終えた雪の目の前に現れたのは、笑顔でそんな事を言う高宮・琥太郎(ロジカライズ・d01463)だった。
    「……はい?」
     怪訝な顔になる雪。
    「ココは雪チャンの夢の中なんでっす!」
    (「正直、胡散臭いよね今のオレ!」)
     とは言え、ここで怯んで怪しまれてはいけない。
     琥太郎は気恥ずかしさやら何やらに耐えて、笑顔を保ち堂々と振舞う。
    「ねえ、君カッコイイけど、芸能人?」
     怪訝な顔はしつつも、雪は琥太郎を警戒はしていないようだ。
     同時に一般人を魅了する能力を使ったからだろう。ある種の興味が混じった様な好意的な部類の視線を向けてくる。
    「こ、このままだと雪チャンの未来が大変なコトになっちゃうんで、そ、そのお知らせに上がりましたー」
     だが異性からの友情以外の好意は、琥太郎には経験も耐性もない類のものだ。ぶっちゃけ照れる。
    「顔赤いよ?」
    「や、えと、それは……」
     雪に顔の赤さを指摘されれば、一気に余裕が消えていく。
     助けを求めて周囲に視線を送ると、少し離れた所にいる三日尻・ローランド(王剣の鞘・d04391)と最初に目が合った。
    「他の人達も、芸能人?」
     釣られて雪が同じ方に視線を向けると、ローランドはキラキラした笑顔でウィンクを返した。雪を威圧しないように、彼なりの友好的アピールだ。
    「雪ちゃん。いきなり夢だとか未来だとか言われたって怪しいのは分かるけど、お願いだからオレらの話を聞いてくれないかな?」
     巫・縁(アムネシアマインド・d00371)が、言葉を選んで助け舟を出す。
    「直ぐには信じられないと思うけど、それでも、耳は傾けて欲しいな」
     どこか眠そうな雰囲気のエール・ステーク(泡沫琥珀・d14668)も、雪を見上げて話を聞いて貰う様に頼み込む。
    「オレたちは、雪チャンを助けに来たんだよ」
    「そう言われても……」
     困惑した様子で、信じる素振りはない雪の袖を、茅森・妃菜(クラルスの星謡・d00087)が引いた。
    「どうしたの?」
    「見てて。……ローラ」
    「ああ、任せてくれ」
     妃菜の言葉に、ローランドが頷く。次の瞬間、ローランドの格好が白シャツ黒ズボンのどこにでもいそうな普段着から、一瞬に豪華で煌びやかな衣装に変貌した。
     何と言うか、ワイヤーで釣られてたりしても似合いそうな感じにキラキラした格好だ。若干、イロモノ感がないわけでもない。えくすかりばーも心なしかうざそうだ。
    「ふふ、どうだい? こんな事、現実に出来ると思う?」
    「わ、凄い! 早着替えのイリュージョン?」
     どうせやるなら派手に、と思い切りよく変身したローランドだが、マジックの類と思われてしまった様だ。
    「ローラセンパイのもダメっすか。じゃ、最後に1つお願いがあるっす」
     余裕を取り戻した琥太郎が、笑顔で雪に言った。

    ●証明
    「パティシエ目指し、てるんだよね。良かったら、何か作って、欲しいな。私、お菓子、大好きだから」
     やや脈絡のないお願いではあったが、雪はエールのお願いを快諾し、灼滅者達を連れて洋菓子店へと戻った。
    「店長。なんか、私にお菓子作って欲しいって……借りて良いですか?」」
    「ふむ? 構わないよ」
     そうなると出てくるのが、店長だ。
    「ここのスイーツには前から目を付けておりましたのよ? 良ければ色々とお話を……」
     雪の頼みをすんなり聞いた店長に、霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)が精一杯媚びてみせる。万が一にも、これからの邪魔にならぬように、と思っての事だ。
     しかし、店長は弥由姫の振る舞いを気にする事なく「ごゆっくり」とだけ言ってどこかに引っ込んで行った。
    「……変ですわね」
     後に残され首を傾げる弥由姫。媚びる演技と同時に一般人を魅了する能力も使っていたのだが、全く効いた様子がなかった。
    「ミユキ……えっと、みゆきち。今の、効かなかった?」
     恥ずかしそうにしながらもあだ名で呼び直し、妃菜が弥由姫を見上げる。彼女も、店長に同じ能力を使うつもりがあったのだ。
    「ええ。先ほど、雪さんには効いた様子でしたのに……」
     ソウルボードの中は、夢を見ている本人の都合に大きく左右される。この場合は雪だ。
     琥太郎の時は、彼に好意的になる事が、雪の不都合になる事ではなかったからだ。
     しかし店長が『他の異性に好意を抱く』のは別だ。雪にとって、店長はただの一般人ではない特別な立場にいる。故に、魅了の力は効果を発揮しなかったのだ。
    「ねえ、何を作ればいい?」
     雪の声が、考え込みそうになっていた灼滅者達を引き戻す。
    「あ、あの……出来れば、私達も一緒に」
    「わたくし達2人も一緒にいいでしょうか?」
     おずおずとしながら加賀見・えな(日陰の英雄候補生・d12768)が言い出し、黒岩・りんご(凛と咲き誇る姫神・d13538)が途中から引き継ぐ。
    「3人で? うん、いいよ」
     2人の提案はすんなり受け入れられた。
    「では、わたくしの名にちなんでアップルパイなどいかがです?」
    「ええっと……りんごさんの名前にちなんでアップルパイを作りましょう」
     そしてえなとりんごと雪、3人並んでのお菓子作りが始まる。勿論、ただ楽しくアップルパイを作るのが目的ではない。
    「雪さん、リンゴは角切りでよろしいですの?」
    「角切り?」
    「……リンゴの切り方、です」
     こうして細かい作り方を尋ねる事で、曖昧な部分を指摘する事で、雪に違和感を持たせる狙いだ。
    「鍋にバター引かなくてよろしいですの?」
    「忘れてただけ!」
    「あの……オーブンは何度に、すれば……?」
    「確か1000度?」
    「明らかに高すぎですわ」
     質問しては、おかしな所、曖昧な所を1つ1つ指摘していく2人。
    「この店、ケーキが多くて、パイは普段作らないから、だから!」
    「……おかしいって、思ってるんですね?」
     弁解を始めた雪を、えなが静かに覗き込む。眼鏡越しに見る雪の瞳が、揺れていた。
    「本当の貴方は、今そういう事を一つずつ覚えている最中のはずです」
     追い詰めるような行為に心苦しさを感じつつ、りんごも雪に告げてゆく。
    「叶った様に思える事でも、現実ではないのですよ」
    「本当に……夢なの?」
     状況が動いたのは、雪のその一言の直後だった。

    ●影
    「2人とも、シャドウ出た」
     敵が出たと言うのに淡々告げるエールに、エプロンを外して飛び出す2人。
    「おっと。雪さんは此処にいて」
     釣られて動いた雪をローランドが止めて、扉を閉める。
    「アスカロン、アクティブ!」
     縁が叫んで、現れた巨大な刃を握る。
     次々とスレイヤーカードを解除し、それぞれの装備を構える8人。
     現実世界で撃退したのと同じ、ダイヤのスートを持ち歪な細長い腕を何本も生やしたシャドウが現れた。
     その前に、シャドウを守るように漂うのはテーブル。4つの足の先は槍の様に鋭い。
     更に、ケーキが寄り集まって歪な人型を作っていた。ケーキ魔人と言った所か。
    「……ケーキ、勿体無いな」
     エールが小光輪を盾とし守りを固めながらケーキ魔人に視線を送りマイペースに呟く。
    「わたくしたちで皆さんを護りますよ。そちらはお願いします」
    「ああ、そちらは任せましたよ」
     りんごの言葉に、えなが頷き答える。先ほど共にアップルパイを作った2人が、そのままタッグを組んで仲間達の庇い手を担う。やや距離を取って互いにシールドを展開。
    「前を頼むよ、かわいいひと! 今回は、僕が後ろからフォローするからね!」
     相変わらずの2人の世界を展開するローランドだが、すべき事は真摯に行う。相棒に出す指示は的確で、自身も影を操り触手としシャドウの腕に絡みつかせる。
     シャドウ一体だった現実世界とは異なる敵の布陣だが、戦い方が変えたのは灼滅者たちも同じだ。
     此度は、全員が防戦に回るつもりはない。
    「まずは配下から倒しましょう!」
    「雪チャンは返して貰うぜ!」
     弥由姫と琥太郎が同時に、螺旋の捻りを乗せた槍でケーキ魔人を貫く。
    「何体いようが、纏めてぶちのめす!」
     縁がオーラを纏った拳を連続で繰り出す。輝く拳の連打が、阻んだテーブルに拳の跡を刻み込んだ。
    「優しい夢。けど、とても残酷な夢。こんなの慈愛じゃない――わたしは、認めない」
     妃菜が高く上段に構えた刃に否定の意思を込めて、一気に振り下ろす。
     腕を深く斬り裂かれたケーキ魔人だったが、痛みを感じた様子はない。飛び退く前の妃菜にケーキの拳が弧を描いて迫る。
    「させない!」
     間に入ったえながシールドで受け止める。眼鏡を外し、口調を変えて。今のえなに戦闘前のおどおどした様子は既にない。
    「戦いとなると様子が変わりますのね」
     ほんの少し前のケーキを作っていた時のえなの様子とは別人の様な変わり様に、りんごが軽く戸惑う。
    「頑張りましょう」
     すぐに意識を切り替え、異常に耐える力を備えたシールドを仲間を覆う程に展開する。
     ――キィァァアァ!
     戦場に耳障りな音が響く。現実世界でも聞いた、シャドウの掌の口全てが発する精神を揺さぶる音。
     耳障りな絶叫が多重に響いて互いに反響し、前線に立つ灼滅者達を包んで理性を崩し怒りを掻き立てていく。
    「大丈夫かい、皆、かわいいひと」
    「前も思った、けど、この音、うるさい」
     纏めて精神を乱してくるなら、その全員を癒せば良い。
     ローランドとエールがギターをかき鳴らし、異常を払い立ち上がる力をもたらす響きを戦場に奏でた。

    ●意志
    「あなたの相手はこっちだ」
     えながケーキ魔人を展開したシールドで殴り付ける。敵の意識を自分に引き寄せる事を狙いとした一撃。
    「わたくしもいますわよ!」
     引き寄せきれない分は、りんごが。りんごが間に合わない時はえくすかりばーもいる。
     ローランドが天上を思わせる歌声を響かせ、エールが小さな光輪を飛ばして支える。
     ケーキ魔人が、腕を振り上げた所でその体制のまま動きを止めた。妃菜の放った石化の呪いの効果。
    「今だよ、みゆきち」
    「判っています!」
     応えて、弥由姫がロッドを叩きつける。流し込んだ魔力がケーキ魔人の内側で爆ぜてケーキが飛び散る。
    「よっすーセンパイ、こっちも行くよ!」
     ほぼ同時、琥太郎も同じくロッドをテーブルに叩きつけた。
     魔力が爆ぜ、衝撃で砕けた木片の残骸が飛び散る中に縁が飛び込む。竜殺しの名を持つ巨大な剣から放たれた超弩級の一撃が、テーブルに叩き込まれた。
     妃菜や琥太郎が仲間をあだ名で呼ぶようになり、えなとりんごの信頼は深まったり。そんな小さな変化が、連携精度を僅かながら高めていた。
    「さぁて、今度こそテメェをぶちのめす時間だ」
     配下のテーブルを叩き壊した刃をシャドウに突きつけ、縁が不敵に言い放つ。
     開始直後こそ互角の勝負かに見えたが、配下が倒れたこの時点で趨勢は灼滅者の方に傾いていた。
    『……何故だ』
     シャドウが掌の全ての口から声を発する。
    『何故、お前達は邪魔をする!』
     多重に響く声と同時に、シャドウが全ての拳に暗い影を宿して一斉に放った。
     拳の衝撃と宿る影が見せる幾つものトラウマの精神攻撃に、えなの膝が崩れかける。
     倒れる寸前、魂が肉体を凌駕する事で限界を越えて立ったえなを見て、ローランドが行動を変えた。
    「コルネリウスくんの世界を、認められないからさ!」
     シャドウに言い放ち神秘的な歌声をシャドウに響かせる。
    「此処は一見幸せだけど、本当の幸せじゃない」
     エールが飛ばした光輪がシャドウの腕を掻い潜って本体を斬り裂く。
    「雪さんの未来の可能性を取り戻すためですわ」
     えなの横から飛び出して、りんごが鬼を思わせる程に大きく変生した拳を叩き付ける。
    「雪チャン助ける為に決まってるだろ!」
     琥太郎が捻りを咥えた突きを放つ。
    「わたしにも優しさの意味はわからない。けど間違ってることだけは、解る」
     妃菜が上段に構えた刃を真っ直ぐ振り下ろし、シャドウの腕を斬り飛ばす。
    「過去を、未来を、そして彼女の今を奪う権利はテメェには無ぇんだよ!」
     シャドウに対抗するように、縁がオーラを纏った拳を連続で叩き込む。
    「私の頭を掴んだ挙句、不愉快な絶叫をご馳走様。お礼に一つ教えましょう」
     胸元にスペードのスートを浮かべ、弥由姫が迫る。笑みを浮かべても目が笑っていない。
    「私が上で! 貴方が下! 不変の真理を刻んで逝けぇ!」
     現実での戦いで耳元で響いたシャドウの絶叫がよほど癇に障ったのか。弥由姫にしては珍しい怒りを象徴するかのように、流し込んだ魔力がシャドウの内側で爆ぜた。
     いける。8人が思ったその時、シャドウが全ての腕を消して高くへ上昇していく。
    「また逃げるのか!」
     宙に浮かぶシャドウを縁が睨みつける。
    『お前達の事、コルネリウス様に報告せねばな』
     そう言い残して、シャドウは跡形もなく消えた。

    ●照光
     無事、シャドウを撃退した灼滅者達。だが、まだやることが残っている。
     雪に、目覚める決意をさせるのだ。
    「……君達、一体?」
     扉の向こうにいた雪が出てきた。
    「雪さん。貯金箱に貯めた夢を叶える為の資金を思い出してください」
    「……貯金箱?」
     りんごの言葉に、きょとんとする雪。
    「貴女の部屋の、貯金箱、見たよ」
     エールが更に言葉を続ける。
    「頑張って、貯めてたんだよね。まだ中学生じゃ、バイトも出来ないから、お小遣いから、かな? どれくらい貯まってた? 欲しいものとか、すごく、我慢して貯めたんじゃないのかな」
     雪の部屋でエールが探し出した、夢の為に雪が続けていた努力の象徴。
    「その努力、無駄にしないで欲しいよ」
    「ええ、貯金も、料理も、どちらの努力も無にしてはいけませんよ」
    「で、でも! これが夢なら、私は、本当は!」
     もう、彼女も薄々判っている。
    「完全に夢を受け入れてしまったら、雪ちゃんがやってきた過去の努力が全部無駄になってしまう。それだけはあってはならないんだよ」
     まだ、認められないでいる雪に、縁も言葉をかける。
    「夢ってのは諦めた時点で夢じゃなくなると思う。だから決して諦めないで欲しい」
    「ね、此処は優しい世界。けど、あなたはここで進める? 飛び立てる? ……手に入れられる?」
     そっと肩に手を置いて、妃菜も呼びかける。
     この世界は幸せかもしれない。でも、寝てたら先に進めない。現実で努力しなければ進めない。
    「大丈夫、帰ろう。夢の夜明けは、すぐ……そこ、だよ?」
    「夢を叶えるのに大事なことは成功のイメージ。これだけイメージできるなら、目指しましょう。外で」
     雪の手を取り、目を見て。えなが小さな声でしかしはっきりと告げる。
    「現実で練習して上手くなればいいんだよ。まだまだ時間も可能性もたくさんあるんだから」
     琥太郎が明るく言う。
     少し離れてローランドと弥由姫が様子をそっと見守っている。
     彼らの優しさは、雪の抱く、夢の終わる事への恐怖を少しずつ和らげて。

     ――幸福な悪夢が一つ、終わりを告げた。

    作者:泰月 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年5月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 6
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