蒼い涙

    作者:篁みゆ

    ●鎌倉市某所にて
    「あ~もう、早くしてったらっ! まったくトロいのね! おばあさまの華道の授業が始まっちゃう!」
    「あ、動かないで……」
    「もう、着付けくらいもっと手早く出来ないの!? 何をやらせても並以下なんだから!」
     傍目から見れば、小学校高学年くらいの少女に三十代前半くらいの女性が怒鳴られている様子は違和感を覚える。だがこの家ではそれが日常茶飯事だった。
    「梨歌ーそろそろ始まるよー」
     ガラッ……障子を開けて入ってきたのは中学生くらいの少女。こちらも和服を着ている。
    「もうっ、帯はお姉ちゃんにやってもらう! あんたなんかもういい!」
    「きゃっ……」
     ドンッ……梨歌と呼ばれた少女は、膝をついて帯を結ぼうとしていた女性を思い切り突き飛ばした。女性はバランスを崩して畳の上に倒れる。
    「ちょっと、梨歌……」
    「いいからお姉ちゃんは帯を結んで!」
    「……」
     中学生くらいの少女は倒れてしまった女性を気にしながらも、梨歌の帯を結んでいく。その手際はよく、着物に慣れ親しんできたことが伺えた。
    「急がなきゃっ!」
     帯を結んでもらった梨歌は上機嫌で廊下に出て行く。
    「緋紗子さん……」
    「ほら、遊歌ちゃんも早く行かないと、お義母様が待っていらっしゃるわ」
    「でも緋紗子さん、大丈夫……?」
    「大丈夫よ、いつものことだから」
     上半身を起こした女性、緋紗子は弱々しく笑った。この家で唯一自分を気にかけてくれるこの子が、自分の味方になることで家族から、一族から疎まれてはいけない、緋紗子はそう思うから。
    「お姉ちゃん、早くー!」
     遠くから梨歌の声が聞こえる。
    「ほら、行ってらっしゃい」
    「……うん」
     後ろ髪を引かれるようにしながら、遊歌は部屋を出て、障子を閉める。障子と廊下の向こう、ガラス窓のごしには、庭の美しい花々が見える。
     障子が閉められてから、緋紗子は畳に突っ伏すように泣いた。
    「っ……ふ……」
     何で私だけ、何で……。
     後妻なんて歓迎されるばかりではないとわかっていたけれど、それでも毎日が辛い。辛く当たられることに慣れてしまえればよかったのだけれど、そうもいかなくて。
     せきを切ったように涙があふれる。と同時に血液がどくどくと脈打った気がした。
     気がつけば、緋紗子は蒼い化け物となって、目の前の障子を打ち破っていた。

    「……可能性はないよ」
    「そんな……」
     教室を訪れた灼滅者達は、痛ましげな表情を浮かべる神童・瀞真(高校生エクスブレイン・dn0069)と、彼の言葉に絶句する向坂・ユリア(つきのおと・dn0041)を目にした。
    「ああ、来てくれたね」
     灼滅者の訪れに気がついた瀞真に示され、灼滅者達は空いている席につく。すると瀞真はそっと和綴じのノートを開いた。
    「現在、『一般人が闇堕ちしてデモノイドになる』事件が発生しようとしているよ。デモノイドとなった一般人は、理性も無く暴れ回り、多くの被害を出してしまうんだ」
     だが、今回はデモノイドが事件を起こす直前に現場に突入できる。だからなんとかデモノイドを灼滅し、被害を未然に防いでほしいと瀞真は言う。
    「デモノイドになったばかりの状態ならば、多少人間の心が残っていることがある。その人間の心に訴えかけることが出来れば、デモノイドの動きを一瞬止めるといったことが可能かもしれない」
     瀞真は一旦言葉を切り、ユリアを含めた灼滅者達をぐるりと見回してから再度口を開いた。
    「残念だが、このデモノイドがデモノイドヒューマンとなる可能性はないよ。でも……願わくば、安らかな眠りを与えてあげて欲しい」
     気の毒な人なんだ、瀞真は言う。
    「名前は塙・緋紗子(はなわ・ひさこ)、32歳の女性だね。何代も続く旧家である塙家に後妻として入ったのだけれど、義理の娘の遊歌(ゆか)君以外からは冷たい仕打ちを受けているようなんだ」
     もしかしたらよくある話かもしれない。ただ家が格式を重んじるからして、我が家にふさわしくないだの財産目当てだのと言われているのだろう。旦那は母親の手前、強く出られないらしい。
    「家族だけでなく、親族である一族にもあまり歓迎されていないらしくてね。そんな状況だと毎日辛いだろうね」
     ある日、もう一人の義理の娘である梨歌(りか)に手酷く扱われて、我慢ができなくなった彼女はデモノイドと化してしまった。
    「デモノイドと化した彼女は、屋敷で行われている義母の華道教室に集まっている娘たちや親族、一般人を殺してしまう。自分を唯一気にかけてくれている遊歌君までも手にかけてしまう」
     彼女がデモノイドになる前に突入することはできない。デモノイドになる前に突入してしまうと闇堕ちのタイミングがずれてしまい、違うタイミングでデモノイドになってしまうからだ。被害を防ぐには、緋紗子がデモノイドになった直後に突入するしか無い。
    「緋紗子さんはデモノイドになると、庭に面した和室の障子を破って出てくるよ。廊下と庭にの間にはガラス窓があるけれど、庭から彼女に接触するのが最もいいと思う。なんとか彼女の気を引いて、華道教室の行われている部屋へ行かせないようにしてほしい」
     華道教室の行われている部屋は緋紗子のいる部屋から3部屋挟んだ先にある。破壊音を聞いて人がこちらに来る可能性もあるので注意が必要だ。
    「彼女には、悪いところは無いんだ。ただ、周りが彼女を気に入らないから色々と難癖つけているだけで、彼女自身は精一杯努めを果たしている」
    「なんとか、彼女の心を軽くしてあげて、安らかに眠らせてあげたいですね」
     ユリアの言葉に瀞真は頷き、頼むね、と灼滅者達を見回した。


    参加者
    凪・あやか(トムティットトット・d00897)
    華宮・紅緋(クリムゾンハートビート・d01389)
    月見里・无凱(深淵に舞う銀翼・d03837)
    天外・飛鳥(囚われの蒼い鳥・d08035)
    螢揺・詠祈(桜祈想・d15122)
    秋乃・信(夢の羽間・d15306)
    御印・裏ツ花(望郷・d16914)
    リリー・アラーニェ(スパイダーリリー・d16973)

    ■リプレイ

    ●家柄に潰されし彼女への思い
     灼滅者達はエクスブレインの察知したタイミングを待つ間、塙家の庭へと隠れていた。旧家というだけあって庭も綺麗に整えられていた。さすがに全員でひと所に隠れることはできないため、それぞれ緋紗子の出てくる部屋が見える位置に隠れる。
    (「同じ家族なのにどうして仲良くできないの? せっかく一緒にいられるのに……なんで自ら幸せの芽を摘むの? 俺にはわかんないよ…!」)
     幸せだった家族を失った身である天外・飛鳥(囚われの蒼い鳥・d08035)には、なぜ家族皆が一緒にいられる状況を自ら壊そうとするのかがわからない。じっと、硝子の向こうの障子を見やる。その中では恐らく梨歌による緋紗子いびりが展開されているのだろう。
    「……お家騒動、難しい、です」
     ぽつり呟いたのは螢揺・詠祈(桜祈想・d15122)。
    (「うたには家族も、きょうだいもいません。だから、気持ちはよく解らないのですけれど。血が繋がっていなくても、家族になれるのではないかなって思うのです」)
     だから、哀しい。そう単純にはいかないと解っていても、辛い。
    「うちも旧い家やけど、こないなのわからへんなぁ。なしてやろね。好きやて結婚しとるんに、旦那さんが守ってくれはらんかったんは」
     不思議そうに凪・あやか(トムティットトット・d00897)が零す。家も悪いかもしれないけれどもしかしたら緋紗子は旧い家に入るということがよく解っていなかったのではないか。お家柄というのは結構大変だから。
    (「まぁ、旦那はんも悪い思うけど。好きな子ぉぐらい守れる強さもってほしい、やね。せめて、娘ぐらい何とかしはってくれたらよかったんに」)
     言っても詮無いことだと解っていても、どうして、と募る想いは止められない。
    (「やだやだ。日本ってこういうメンドくさい家が多いわけ?」)
     リリー・アラーニェ(スパイダーリリー・d16973)は眉をしかめて溜息をつく。今回許せないのはダークネスではなく、愚かで浅ましい家族達だと思う。
    「人間関係の縺れは嫌になりますわね。わたくしなら口論を仕掛けますけれど、この者は如何にも従者気質。従えるには良くても、張合いが無いですわ」
     聞いた緋紗子の様子を思い浮かべ、御印・裏ツ花(望郷・d16914)は厳しい見解を述べる。
    「周囲のことまで、わたくしは知りませんけれど、彼女の理解者が他にもいれば良かったでしょうにね」
     しかしその後に述べられた言葉は尊大ではあったが緋紗子を思っているもののように聞こえた。
    「上辺だけでなく、他者を深く理解しようとするならば、時には衝突せねばならぬ時もあろう。退くか、進むか。選び取れる者が優れているとわたくしは思いますの」
     裏ツ花の言うとおり、選択ができた方が世の中は上手く渡れるだろう。しかし選び取ることが出来ない者も世の中にはいて――それこそ緋紗子のような人間の方が多いのかもしれない。
    「家の格式ですか。そういうのはよく分からないですけど、そういう考え方もダークネスが人間社会に持ち込んだんでしょうかねー? ほら、ダークネスは闇堕ちを誘発させるために、人間社会を生きづらいものにしているってよく言うじゃないですか」
    「どうでしょうねぇ」
     華宮・紅緋(クリムゾンハートビート・d01389)の言葉に答えたのは同じ茂みに隠れている月見里・无凱(深淵に舞う銀翼・d03837)。
    「お家騒動と言ったモノは身内で解決してくれと言いたいが、デモノイドが関連してるなら我々出番ですが……唯一の味方である遊歌を殺させるワケにはいきませんし、せめて、人とし殺してあげますよ」
     廊下を、足音を立てないようにしてしずしずと歩く少女の姿があった。少女は緋紗子のいる和室の前で立ち止まり、中を覗く。彼女が遊歌のようだった。その後、遊歌は室内に入っていく。梨歌の帯を締めるためだ。
    (「身体が壊れる前に心が壊れてしまった。そのような方にお渡し出来る言葉は如何なものでしょうか」)
     秋乃・信(夢の羽間・d15306)は考える。緋紗子にかけてあげられる言葉というものを。少しでも彼女が報われるような言葉はないものかと。
     程なく、障子を開けて出て来たのは遊歌より小さな女の子。こちらが梨歌だろう。帯を結んでもらって上機嫌のようだ。そんな彼女に鋭い視線をぶつける者もいる。出ていけるものなら出て行って文句を言ってやりたい。緋紗子がデモノイド化してしまう一因である彼女に。
     続けて心配そうに室内に視線を送りながら遊歌が出て来た。遊歌が去っていけば、いよいよ緋紗子の闇堕ちが始まる。灼滅者達はそれぞれ緊張感を持ってして障子の閉まった和室を見つめた。

    ●ああ、蒼の――
     ドゴッ――障子が内側から打ち破られ、蒼い腕と身体がその残骸を身体につけながら部屋から飛び出してくる。その巨躯は廊下に収まりきらず、外と廊下を隔てている硝子の大きな窓を割った。ガラスの割れる音が響く。
     助力に訪れたロザリアと流希、静樹はそれを華道教室側で聞いていた。教室内がざわめくのがわかる。ロザリアは冷静に、流希は殺界形成を発動させて、静樹は声掛けをしながら集まっている人々の避難を促した。
     一方、緋紗子の変貌した姿を見た灼滅者達は。
    「響かせて」
     飛鳥が解除コードを口にし、殺界形成を発動させる。
    「華宮・紅緋。これより灼滅を開始します」
     紅緋は屋敷へと飛び出しながら胸元にハートのマークを具現化させて魂を一時、闇堕ちへと傾ける。同情も憐憫も透明な黒に塗り潰される。
    「とにかく、どんな事情があろうとデモノイドは止めないといけないです」
     サウンドシャッターを展開。戦闘音を遮断する。
    「俺は君の辛さはわからない。まだ大人じゃないし、お家の問題も経験したことないから……」
     緋紗子に接近した飛鳥は、彼女の死角に入り、『エコーズ』を振るいながら声を上げる。
    「でも君の味方になってくれた存在…遊歌のことは傷つけないで……! それは君が一番望んでいるはずだよ」
    「……ユ……カ……?」
     小さく緋紗子はその名を呟き華道教室へと向かおうとした身体の向きを変える。
    「緋紗子さんと言いましたか貴女の名前。ええ、いいんですよ覚えていなくとも自分の名前なんざ。ただし少女のことだけは思い出すのです!」
     无凱はシールドで自らの守りを高め、緋紗子を再び見つめる。
    「いつも辛い立場にいた貴女を救ってくれていた温もりを。敵ばかりのこの屋敷で唯一貴女を気にかけていてくれた存在を。そして、いつも貴女に手を差し伸べてくれていた、遊歌のことは忘れてはなりません!」
    「……ユカ?」
    「ひーさこはん。緋紗子はん。遊びましょ」
     あやかがまるで友だちを誘うように緋紗子に呼びかける。緋紗子があやかを視認したその隙に光の刃が蒼い身体を襲う。
    「はよぉ気付いてあげられへんでごめんな。もっと、聞いてもらえる人が居ったら良かったな。旦那はんにでも、娘はんにでも、愚痴が零せるほどに心許せたらよかったんにな」
     優しい言葉が緋紗子を目指し、空気に乗って飛んでいく。
    「哀しかったですね。辛かったですね――ごめんなさい、うたはその気持ちも思い出も」
     わからない、けれど。詠祈のその気持ちは、捻りを加えた槍撃から伝わるようで。下肢を穿たれた緋紗子は小さく呻き声を上げた。
    「貴女は充分強く在りましたよ」
     信の言葉は赦し。言葉に傷つき、態度に傷つき、それでも今まで堪えてきたのだからもう十分だと。
    「それでももう心が壊れたのでしたら、あとは、ゆっくりと休息してよいのです。だから、私達は貴女を灼滅します」
     少しでも苦痛を少なくして倒してあげたい。信は指輪から石化の呪いを放った。
    「そうね、貴女は何も悪くない。悪いのはあいつらね。リリーなら八つ裂きにしてやりたいって思うわ」
     信の赦しに合わせるようにして、リリーも緋紗子に声をかける。
    「でもね、そうさせるわけにはいかないのよ。貴女を人のまま眠らせてあげる為には……ね」
     武器に宿した炎。浄化の炎のように見えるそれを、リリーは緋紗子へと与える。
    「ヴオォォォォォォン……」
     悲しげに、緋紗子が呻き声を上げた。リリーは思う、緋紗子がこんな醜悪な化け物になってしまったのは、家族が緋紗子に与えた『呪い』だと。そして、『人を呪わば穴二つ』――いつか彼らも自らの身を滅ぼすだろうと。
    「……本来は、ね。リリーとしては八つ裂きにしてやりたいけど……心を鬼にして助けてやるわよ」
     数部屋向こうにいるだろう緋紗子の家族達を思う。皮肉いっぱいの言葉を紡いだリリー。
    「あなた、奥ゆかしくって良い人なのでしょうけれど、少々気弱が過ぎるのではなくって? だから義理の娘にもふざけた態度を取られるのですわ」
    「……ムスメ、ムスメ……ヴ、アアアア……」
    「厳しく当たるのは自身も辛いでしょう。けれど母親ならば当然の務めですわよ」
     裏ツ花は華道教室の方から万が一誰かがやってこないとも限らないので目を光らせていた。今のところその心配は無さそうなので、緋紗子に言葉を投げかける。それは厳しい言葉ではあるが、正論でもあった。だが、今の緋紗子には少々厳しすぎる――でも。
    「あなたは優しくて臆病過ぎましたわね。最後に抗って御覧なさい。あなたを想う者を、傷付けはせぬという形で示して」
     挑発するような裏ツ花の言葉は彼女への最期の餞。緋紗子にだって胸に秘めた強い思いがあるはず。それを最期に示す場を与えようという心遣い。
    「ユカ……ユカ……キズツケタクナイ……マモリタイ」
    「もっと強く示せますわよね?」
     裏ツ花は自分の腕を異形に変えて、緋紗子を殴りつける。向坂・ユリア(つきのおと・dn0041)は指輪から魔法弾を放った。
    「ユカ、ユカ……」
     遊歌への強い想いはあっても異形化した身体は制御しきれないのか、緋紗子は刃を取り込んだ腕を振るう。それは无凱へと躊躇いなく振り下ろされる。
    「貴女の咆哮は泣き声のよう。辛いのならここに留まらなくてもよかったのに」
     ぽそり、呟いた紅緋は緋紗子が振り下ろした腕をかいくぐって懐へと入り、異形巨大化させた腕を振るう。
    「あなたが遊歌さんを手にかけないよう、この場で灼滅します。せめて、いい思い出だけ持っていってください」
     ユカ、と連呼する緋紗子を見ていると、本当に遊歌だけが彼女を留めていた救いであったのだと感じた。

    ●止めという名の救い
     蜘蛛の糸のようなリリーの鋼糸で動きを封じられた緋紗子はなんとか攻撃を試みようと、強酸性の液体を飛ばす。直撃しそうになったユリアを信が庇う。裏ツ花は无凱に分散させた小光輪で癒しを与え、ユリアは歌声で信を癒す。
     紅緋は緋紗子の周囲を巡りながらヒット&ランを繰り返してダメージを与えていく。
    「……怖いよね……大丈夫、安心して。すぐに楽にしてあげるから」
     高速の動きで緋紗子の死角に回り込んだ飛鳥は悲しげに、彼女を斬りつけて。无凱が攻撃をしかける度に鈴の音が鳴る。その鈴の音は、緋紗子の心を鎮めることができているだろうか。
    「吐けるもんがあるから吐き出し。全部抱えたままで逝くんは寂しいわ。辛いも苦しいも、吐き出し。頑張ったな。お疲れはん。よぉ頑張った。言うたるから」
    「ヴ、オォォォォォォォォ……」
     あやかの言葉に、泣くように呻く緋紗子。それが彼女が吐き出したいものなのだろう。声を上げて泣きたかったのかもしれない。縋りたかったのかもしれない。あやかは異形化させた腕を振るう。
    「せめて、涙はとめられますように。花が咲きますように」
     詠祈が放ったのは冷気のつらら。この冷気で彼女の涙を凍らせてあげたい。
    「強くなれ、傷付くなと言う事は簡単です。でも、積み重ねられた傷は深く大きくなるものです。その傷の深さは誰にもわかることは無い。そう、私は家族に教えられてきました」
     言葉ではなく、養父の眼差しと彼の思い出に。だから信は緋紗子を赦す。赦すことしか出来ないけれども。その弾丸が赦しの一助となるように。
     リリーは巨大な刀に変えた右腕を突き刺す。裏ツ花はあやかの傷を癒し、ユリアは飛鳥を癒す。紅緋の石化の呪いを受けて、緋紗子の巨体が傾いた。
    「……君のこと楽にしてあげる手段がこれしかなくてごめん」
     傾いていく彼女に、飛鳥は歌を送る。美しい歌声で紡ぐのはレクイエム。
    (「この歌がせめてもの弔いになるなら、俺は声が枯れるまで歌うよ……!」)
     ……どうか、安らかに。

    ●散華
    「緋紗子さん、安らかに逝けましたか?」
     倒れた巨躯、消えゆく蒼に紅緋は問いかける。勿論いらえはない。
    「頑張ったなぁ、お疲れはん。よぉ頑張った」
     あやかは約束通り、心からの労いを捧げ。詠祈は祈る。
    (「もう来ない二度とだけれど、せめて、優しい思い出の中で……」)
    「緋紗子さん、緋紗子さん大丈夫っ……!?」
     その時、流希の制止を振りきって着物の裾をからげて廊下を走ってきたのは遊歌だった。荒れ果てた廊下と庭、割れた障子と硝子見知らぬ男女達。そして消え行く巨躯。
    「……緋紗子さんはどこ? ここに女の人がいませんでしたか?」
     必死に問いかける彼女に、信と裏ツ花が歩み寄った。
    「貴女に責任はありませんよ。貴女は精一杯緋紗子さんを思ったのですから。これからの貴女の幸せを緋紗子さんはきっと祈っています」
     信の言葉の意味を遊歌は完全に理解することはできなかっただろう。けれどもここで一から説明しても彼女を混乱させるだけだ。蒼い巨体はもう殆ど消えかけている。裏ツ花はそっと魂鎮めの風を発動させ、遊歌を眠らせた。
    「本当は、遊歌以外の家族に言いたいことがある。けれど……」
     飛鳥は怒りを隠せぬ様子で華道教室の方向を見つめている。彼女を殺したのは遊歌以外の家族だ、そう言ってやりたかった。
    「飛鳥さん……」
     持ちはわかります、とユリアが彼に声をかける傍らで。无凱は緋紗子の消え去った地面に花を供える。人として逝った彼女に、散華の意味をこめて。
    「お疲れ様。来世では幸せに」
     そっと地面に触れた花は、不思議と无凱の言葉とともに散った。
     消えゆく緋紗子をじっと見つめていたリリーの頬にはつぅ、と涙が伝っている。彼女はそれをあえて拭き取らず、手にした白い彼岸花、スパイダー・リリーを指先からそっと落とすように手向けて。
    「ごめんなさい……痛ましく、愛おしい貴女。……さよなら」
     冥福を、祈る。

     人として逝くことが出来た彼女は、幸せだったことだろう。唯一の味方であった遊歌を手にかけずに済んだのだから。暴力的衝動で恨みを晴らすという非人道的行動をせずに済んだのだから。
     ありがとう、そんな彼女の声が聞こえた、気がした。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年5月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 24/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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