外道蛭

    作者:九連夜

     コンサートの開始を待つ会場というのは、独特の空気に包まれる。友達と交わされるおしゃべりや笑い声にもこれから始まるお祭り騒ぎへの期待感が籠もり、それは開演時刻に向けて次第に膨れ上がっていく。
     間もなくの開演を告げる放送と共に照明が落ち、会場に集った百人近い少女たちが生み出すそんな熱気が最高潮となった、そのときに。
    「お客様、本日は女性の方限定のコンサートで……ぐぎゃっっ!!」
     突如、ステージとは反対の側から異様な声が響いた。会場の後方にいた何人かの少女たちが振り返ったその先で、バン、と大きな音を立てて出入り口の扉が開く。
     外界への道を防ぐようにそこに立っていたのは異様な姿の男だった。上から下まで黒。それも普通の服装ではなく、身体の線が見えるラバースーツ。剥き出しになった首から上の顔立ちがなまじ端正と言えるものだけに、見た目の違和感が非常に強い。
    「お、可愛い娘がいっぱいだねぇ。ほうれ」
     二十代半ばと見えるその男は、にんまりと笑うとラバー製の手袋に覆われた右手を一振りした。幾条もの光の線が宙に煌めいたとみるや、その軌跡に重なった3人の少女たちの顔に一瞬遅れて真紅の線が走る。
    「え……きゃあぁあ!?」
     上がった絶叫は、計ったように同時に途切れた。続いてその手足を半ば以上切り裂かれた少女たちの頭が、バランスを失って床に落下する鈍い音と共に。
     一瞬、会場全体に静寂が落ち、ほんのわずかな間を置いて無数の悲鳴が会場全体に響き渡った。
    「んーん、いい響きだねえ。さすがコンサート会場」
     青年は心地よさげな表情を浮かべると、指揮者が指揮棒を振るような調子で両手を大きく振り上げる。さらに幾つもの顔が切り裂かれ、その場は吹き上がる血潮と悲鳴に満ちた阿鼻叫喚の地獄と化した。
    「もっといい声を聞かせてくれよぉ!」
     そんな声を上げながら青年は逃げ遅れた少女の一人の首筋を切り裂き、引き寄せて傷口にかぶりつき鮮血を啜ると、紅く染まった顔で哄笑した。
    「さあて、灼滅者とかいう連中は来るかな? まあ、来なくても全然問題ねえけどなあ!」
    「……これが、私たちが何もしなかった場合に数日後に起きる惨劇です」
     教室に集まった灼滅者たちに向かって、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)はあえて淡々とした調子で未来予測の解析結果を告げた。
    「犯人は言うまでもなくダークネスで、自分のことを『蛭』と名乗っています。六六六人衆の一人で序列は四六五番、かなり強力な相手と言えますね。卑怯な真似や、女子供をいたぶり殺してその生き血を啜るのが大好きという……本物の下衆で、外道です」
     侮蔑か嫌悪か、わずかに表情を歪めた姫子は、努めて冷静な声で説明を続けた。
    「彼の目的は灼滅者をおびき出して闇堕ちさせ、『正しいダークネスとして覚醒させる』ことです。もし誰も来なければ彼は虐殺を楽しんでそのまま帰ります。誘いに乗るのは非常に癪ですが、無差別殺人を見逃すわけには参りません」
     彼が現れるのは現在売り出し中でコアなファンがついたロックバンドのコンサート会場だ。女性ファン限定の特別ライブが開かれる、その直前の時刻を狙って乗り込んでくるらしい。
    「入場チケットは学園で用意できますし、立ち見のコンサートですので位置取りはある程度自由にできます。ただ問題は……」
     バベルの鎖。ダークネスの持つその予知能力をかいくぐろうとすれば、少なくとも彼が最初の攻撃を放つその瞬間まではこちらから手を出してはいけない。その禁忌に反する行動をとると『蛭』は待ち伏せを察知し、さらに狡猾で卑劣な罠を仕掛けてくる危険がある。
    「また、会場に集まったファンの方々への対処も考えなければなりません。突然の事態に呆然とするかパニックに陥るかのどちらかでしょうから、理性的な避難は期待できません。『蛭』は灼滅者を見れば戦闘を仕掛けてきますが、攻撃のついでに女の子を切り刻む機会があれば嬉々としてそうするでしょう。彼女らが逃げ切るまでの数分間、どうにかして彼の注意を惹き付ける必要があります」
     あるいは誰かが誘導にあたれば、避難にかかる時間を短縮できるかもしれない。ただ当然、人手を割いた分だけこちらの戦力は減る。戦いながら誘導するなどという器用な真似は、少なくともこの外道ダークネス相手には無理だ。
    「……敵は殺人鬼と鋼糸のサイキックを操ります。最悪、10人までの犠牲は覚悟しなければならないでしょう。それほどやっかいな相手です。ですが、せめてそこまでに犠牲を抑えて彼を撤退に追い込んで下さい」
    『蛭』は少しでも身の危険を感じるか何らかの理由で戦う気が失せれば撤退する、灼滅は非常に困難な相手なのでそれで十分――そう姫子が言い添えたところへ、灼滅者の一人が手を上げた。
    「あの、女性ファン限定のコンサートですよね。男性陣はどうやって会場に……」
    「女装して下さい。『蛭』の好みはリボンやフリルやレースです」
     さらりと返すと、姫子は集まった灼滅者たちに深々と頭を下げた。
    「非常に面倒な敵ですが、皆さんが頼りです。どうかよろしくお願いします」


    参加者
    月見里・月夜(ほげアアアアアアアア・d00271)
    久織・想司(妄刃領域・d03466)
    木通・心葉(パープルトリガー・d05961)
    樹宮・鈴(奏哭・d06617)
    花菱・爆(リア充爆発しろ・d08395)
    月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)
    ティート・ヴェルディ(九番目の剣は盾を貫く・d12718)
    神楽・蒼護(蒼天翔破・d13692)

    ■リプレイ

    ●女装博覧会
     その日、ティート・ヴェルディ(九番目の剣は盾を貫く・d12718)は不機嫌だった。強大な敵との戦闘を控えた灼滅者とは思えないほどの不満と怒りに満ちていた。
    (「……敵はまだか」)
     心の中で呟いて顔を上げて、ふと視界に入ったものの正体を認識して、その怒りは完璧な仏頂面へと昇華した。
    「ん?」
     ティートの視線を受けて振り向いたのはゴシックドレスに身を包み、瞳と同じ青い大きなリボンをつけた長身の美女……のフリをした神楽・蒼護(蒼天翔破・d13692)だった。蒼護はのんきな笑みを浮かべると、緑を基調にしたレースのワンピースに同じく緑のリボンをつけた「女装仲間」に声をかけた。
    「お、すごい、似合ってるよ~」
     彼曰く、「あんまやりたくないけど、女の子達が殺されそうなのを止めないとだもんね!」。蒼護自身は派手派手な女装もさほど気にしていないらしい。
    (「黙れ」)
     ティートは口の中で罵り、ウィッグの髪を寄せて表情を隠すと周囲を見回した。
    「…………」
     ティートに負けず劣らずの無言かつ仏頂面で、やや離れたステージ寄りの位置に佇むのは、一般人の避難誘導役を買って出た月見里・月夜(ほげアアアアアアアア・d00271)だ。見事なメイクで鼻筋の通った凛々しい美女に化けたまではよかったのでが、そのぶ厚い胸板と筋肉のついた肩はどうしようもなく……それを力技で隠そうとした結果、彼の全身は壮絶な量のピンクのフリルに覆われていた。
    「……むぅ」
     一方、蒼護の脇で微妙な吐息を洩らしたのは花菱・爆(リア充爆発しろ・d08395)。派手な原色の地に花火柄を散らした和ゴスに足の太さと臑毛を強引に隠すニーソ、さらに黒の巻髪のカツラとフリルたっぷりのリボンカチューシャをつけた不思議少女風味の姿は、他の3人とはまた別方向で異彩を放っている。
     そう、女性ファン限定ライブの開始前のコンサート会場に集ったゴス系衣装の170センチ越えの美女たちの姿は、詰めかけた少女たちの注目を集めていた。
    「ふむ。我ながら良い出来だぜぃ」
     そんな4人を少し離れた場所から眺め、樹宮・鈴(奏哭・d06617)は満足げな表情で頷いた。
    「うん、これなら敵の目も誤魔化せそうだな」
     木通・心葉(パープルトリガー・d05961)がぶっきらぼうに応じる。美女4人衆のメイクと服のコーディネイトのかなりの部分は、この2人の趣味もとい手腕によるものだ。
    「面白いものを鑑賞中のところを悪いけど、そろそろお客さんよ」
     フリルブラウスにデニム、髪をまとめたリボンがちょっとしたアクセント。男性陣とは対照的にこざっぱりした姿の月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)が視線を鋭く後方に走らせながら注意を促す。
    「きたみたいですね」
     振り返りながら淡々と告げたのは久織・想司(妄刃領域・d03466)。カッターシャツに白のネクタイ、ロングスカートという清楚さを感じさせる装いに、黒髪につけた大きなリボンのついたカチューシャが素直な可愛らしさを演出している。だが女性陣3人に違和感なく混ざっていた彼もまた、敵の趣味に合わせて女装中の男性陣の一人だ。
     照明が落ちる。
     直後に会場入り口の大扉の向こうで響く声、途切れる声。
     固く重い物が何かにぶつかる鈍い音。
     それらが続き、わずかな間を置いて両開きの扉が一気に開け放たれる。
    「ようやく来やがったか、蛭野郎」
     ティートが呟き、わずかに腰を落として戦闘態勢に入る。その視線の先に現れたのは一人の男。黒のラバースーツと黒手袋に黒ブーツ。首から上は対照的なまでに白い肌、彫りの深い端正な顔。
     異様な姿の六六六人衆、『蛭』。
     けげんな表情で振り返る周囲の少女たちをよそに、玲、心葉、爆がさりげなく動く。蛭の正面の3人の少女を守るように。
    「お、可愛い娘がいっぱいだねぇ」
     乱入男の整った顔に浮かぶ下卑た笑み。
    「ほうれ!」
    「きゃぁぁぁ!」
     蛭の声を掻き消すように響いたのは玲の悲鳴。蛭の手から光る線が零れ出るより半瞬早く、パニックを装い少女たちを押しやる。さらに一歩前に出た爆は少女の一人をその身で庇う形になった。
    「ぎ」
    「きゃ」
     上がった悲鳴は二つ。鋼線で顔を刻まれた少女たちがその場に崩れてうずくまる。その二人をを庇うように、傷ついた和ゴス姿のままの爆が立ちはだかる。
    「相手、は……わたし……」
     チェーンソー剣を喚び出しつつ、裏声の小声での宣言に蛭男は完璧に騙されたようだった。
    「お、灼滅者か? 早速待ち構えてやがったか、しかもなかなかの上玉揃いときた」
     さらに玲、想司、心葉、蒼護、ティートと順番に舐めるように見回すと再びにんまりと笑い、蛭はどこかぬめっとした動作で両手を振り上げた。
    「一緒に遊ぼうじゃないか、たっぷりとなぁ!」

    ●鈴 on stage
    「変質者でーす! ステージ左右扉から避難してくださーい!」
     本日の主役よろしくマイクを手にした鈴の声が会場中に響き渡る。戦闘開始と同時に駆け上がったステージ上から、逃げ惑う少女たちに左手のライトで避難方向を指示する仕草も手慣れたものだ。
    「ほら、こっちだ……ですよ、急いで!」
     さらに鈴が示す先では、ペンライトを振る月夜が「割り込みヴォイス」に載せた裏声で少女たちをスタッフ用出入り口へ誘導する。だが混沌としていた会場に一定の避難の流れが形成されつつあるのを壇上から確かめつつも、鈴はわずかに顔をしかめていた。
    (「意外と手間取るかな?」)
     月夜と鈴の誘導は的確なものだが、まずいことに肝心の少女たち側に危機感が薄い。なまじ最初の被害を最小限に抑え、今なお敵の攻撃を何とか封じ込め続けているために、これが己の生死に関わる非常事態だということをわかっていないのだ。玲と蒼護が張り巡らせた殺界の効果で次第に遠まきになりつつはあるものの、繰り広げられる戦闘をライブか殺陣のように見物する娘たちは少なくない。
    「いざとなりゃ抱えて連れ出すか。早くしないと」
     以前の戦いの苦い記憶に顔を歪め、ポップキャンディを口に放り込みつつ呟いた月夜が素早く視線を走らせた先で、仲間たちは厳しい戦いを続けていた。
    「我が前に、爆炎を!」
     言葉と共に揺らめき膨れ上がった炎を纏う玲の蹴りと、敵への嫌悪感を力に変えたティートの拳が黒いラバースーツを焦がす。そこへ雷を宿した蒼護のアッパーカットがめり込み、心葉の横殴りの斬艦刀が一閃する。
    「……爆発」
     小声の主は爆。年齢に等しい年期を積んだ妄想力を振り絞って可愛げな表情をつくり、がんばるポーズからご当地ビームを放つ姿は、ある意味破壊力満点だ。
     だが。
     その全てを薙ぎ払うように黒い殺気が迸った。
    「ひゃぁはは!」
     舌まで出した嘲りの笑みと共に、ラバースーツから滲み出るように発した黒く粘っこくおぞましい気は、灼滅者たちの身体を覆い、侵蝕し、骨髄までも蝕んでいく。か弱そうな演技を続ける灼滅者たちの攻撃はそれなりに決まるのだが、それに輪をかけて強力な敵の技が嘲るように打ち返され続け、皆の体力は次第に削られつつあった。炎や石化やその他の特殊効果も、文字通りのシャウトの叫びと共に無効化されてしまう。
    「強いね。さすが四六五番!」
     カウンターで攻撃をくらった玲に癒しの矢を放って援護しつつ、蒼護は素早く状況を観察する。蛭の目がぎょろつき、最初に傷を受けてうずくまったままの少女二人の上で止まったのが見えた。
    「まずい!」
     とっさに飛び出し、小柄な二人を両脇に抱える。出口の扉に向かって走りだそうとした瞬間、蛭の下卑た声が響いた。
    「かかったな~ぁ?」
     直後、灼熱の痛みが背中を切り裂いた。危うく倒れかかるが何とか踏みとどまる。
    「そこの変態、とまりなさい」
     静かに告げつつ放った想司の援護――赤黒いオーラが変じた弾丸が蛭の腹に直撃し。
    「手が、震えているだろう。……凄く、今帰りたいんだ……」
     射線上に素早く割り込んだ心葉が怯えた演技で挑発(?)する。
    「あ、あんたの狙いは灼滅者でしょ、玩具にするなら私達に、し、しなさいよ!」
     危機的状況を見て取った鈴もステージ上から涙声で呼びかけた。
    「ん~?」
     顔をしかめた蛭がわずかに見せたその隙に。
    「ほら、逃げて!」
     蒼護が蹴り明けた扉の向こうに少女たちは抱え出された。
    「こっちも完了だ!」
     ややあって、あくまで戦闘を観戦しようとする女の子三人を強引にスタッフ用出口に放り込んだ月夜が手を上げて合図を送る。
    「よおっし! 避難完了!」
     次いで最後の一人がステージ脇に消えたのを確認すると、鈴はステージ中央に仁王立ちした。
    (「ライブぶち壊しにするとかお前ミュージシャン馬鹿にしとんのか! お前マジ許さんこのクソド変態が捥げろ! 捥げろ!」)
     と本音を心の中で絶叫しつつ、マイクに向かって明るく叫ぶ。
    「ほーれ皆気張れい! 私らのライブは始まったばっかだぜ!」
    「知るかよ……あ?」
     鈴に向かって殺気を放とうとした蛭の表情が歪む。
    「はーっはっは、かかったなアホめ!」
     その目前でカツラを毟り取ったのは爆。不思議系美少女から、和ゴス女装野郎への一瞬の変化だった。
    「ほらサービスだ! 受け取りやがれ! 爆発しろクソ野郎!」
     投げつけられた花火の爆発はバベルの鎖に阻まれて有効打にはならなかったが、蛭のやる気を失せさせるには十分だった。
    「貴方の相手はこちらですよ、人ごろし」
     次いで想司もロングスカートを脱ぎ捨てる。下から現れたのは黒のパンツスラックスだ。
    「げぇ、野郎かよ」
     手を止めて呟いた蛭に、先ほどまでとは打って変わった毅然とした表情の心葉が告げた。
    「さて、本番はこれからだな。……楽しもうじゃないか、なぁ、蛭!」
     笑みと共に打ち込まれた拳がラバースーツの腹をえぐる。続く玲の炎の跳び蹴りは後頭部を捉え、軽く着地した彼女は元気に宣言した。
    「さ、演技はおしまい。ホンキで燃えていこうねー!」
    「あああ、仕方ねぇ!」
     蛭は頭を抱えて髪を掻きむしり……そして危険な目の色を浮かべて顔を上げた。

    ●野郎という武器
     さらに続く激闘のなか、蛭は問題無用な戦法に出た。
     女。あるいはそう見える者への単体集中攻撃。
     全員まとめての嬲り殺しから、個別に潰す戦法への切り替えは、むしろ灼滅者たちにとって不利に働いた。
    「くう!」
     少女たちをかばって傷を受けていた蒼護は、致命傷を受けても一度は立ち上がったが、二度は無理だった。
    「!」
     集気法が間に合わぬと見たティートは、とっさに切り替えた炎と共に怪猫爪――縛霊手を叩き付けるが、蛭のぬめった視線はその上を素通りした。
    「回復役から片付けるってのは、基本だよなあ!」
    「きゃっ!」
     延びた鋼糸の網が捉えたのは鈴。自身の治癒よりも前線の仲間の癒しを重視していたのが祟り、不意の一撃に耐えきれずに昏倒する。
    「ひゃっは!」
     勝ち誇る蛭の背を月夜のオーラキャノンが灼き、心葉の凄絶な斬撃が、想司のうねるようなオーラの刃が、爆のチェーンソーが切り裂き、とどめのように玲のガトリングガンから放たれた無数の炎の弾丸が着弾した。敵の姿が一瞬煙に巻かれて見えなくなる。やったかと思った刹那、声が響いた。
    「ひゃは」
     再び膨れ上がる殺気。
    「ははは」
     黒く粘く、その名のごとく、蛭のように。
    「はははははっ!」
     哄笑と共に会場全体を覆わんばかりの殺気の渦が消え失せたとき、心葉と玲の身体は床に伏せていた。
    「こちらは4人。そちらはまだ余力はありそうですね、ひとごろし」
     想司が無表情に戦況を分析した。
    「……すまねえな。後、頼むぜ」
     爆が何かの覚悟を決めた表情で進み出た。
    「いや、ここは任せろ」
     途中から半ば無視され傷の浅い爆よりも、自分の方がふさわしい。そう判断した満身創痍の月夜は真っ直ぐに蛭を見つめた。
    「おお! ついに覚悟決めたかぁ!?」
     突然重くなった気配に何かを察したか、蛭は舌まで出して嘲笑いながら向き直った。
    「ああ!」
     月夜はポップキャンディーの棒を吐きだし、同時にピンクのドレスを一気に脱ぎ捨てた。双眼が禍々しい気を湛え、双眼が金色に輝き始める。己の魂を代償に仮初めの強大な力を得る禁断の奥義……闇堕ち。
    「ひゃは! は……ぁあ?」
     その直後、蛭がいきなりすっ転んだ。思わず動きを止めた皆の前で、蛭はゆっくり起き上がった。妙に情けない顔で月夜に問いかける。
    「……お前、男かよ」
    「だからどうした!」
     何故か状況が急変したことを感じ取り、月夜は奈落に落ちかけた己の魂をかろうじてつなぎ止めつつ叫び返した。
    「んー」
     嫌そうな目で蛭が見ていたのは月夜の服……ピンクのフリルドレスの下に着込んでいた特攻服だった。さらに顔をしかめて首を曲げて、緑のフリルワンピース姿のティートを見やる。
    「ってことは、まさかお前も女装野郎か?」
    「テメェのせいでこんな格好するハメになったんだぞ、糞野郎!」
     ティートは思わず怒鳴り返した。怒りの炎をまとったシールドが炸裂し、真正面からくらった蛭は大きくよろめいた。
    「あー、わかったわかった。闇堕ち量産競争とか、もういいや。俺ぁ、むさい野郎ども相手に怪我なんかしたくねぇんだよ」
     蛭は疲れた顔で回れ右、会場の出口に向かって歩き出した。その背には先ほどまでの異常な殺気はすでになかった。
    「待て……って」
     止めるべきかと一瞬悩んだ爆に向かい、蛭は背を向けたまま手を振った。
    「ま、おまえらそこそこやるってのは認めるよ。だから次は本物の女の子揃えて来てくれよな、そんときゃ最後まで切り刻んでやるから」
     バタン。
     捨て台詞というより敗北宣言に近い言葉を残して、蛭の姿は扉の向こうに消えた。
    「……ああ、やはり人ごろしにまともな人間なんていないんですね」
     想司が目を閉じて溜息をついた。
    「貴方も、そしておれも」
     そのまましばらく無言の時が過ぎた。
     やがて灼滅者たちは状況を理解し始める。
    「あー、これって」
    「……勝ったんだよな?」
     爆と蒼護はどちらからともなく顔を見合わせた。
    「勝ちだぁ? は……はは。畜生!」
     月夜はやり場のない怒りと苦笑いを浮かべたまま床に座り込むと、拳で床をぶん殴る。
    「悔しがる必要はないだろう。ほら」
     怪我の痛みを押し殺して立ち上がった心葉が周囲を指し示した。わずかに血が飛び散ったあとがあるだけで、他には何もない。苦しみ悶える怪我人も、倒れ伏す死体も、忌むべきものは、何も。
     玲が髪を払って大きく頷いた。
    「経過はともかく、私たちの勝ちよ。目的は完全に達成ね」
    「オレは二度とやりたくないけどな」
     その言葉の主語が「蛭相手」か「女装」のどちらだったかについては、ティートの胸に仕舞い置かれた。
    「ともかく、本日のライブはこれにて終了……」
     身体を起こして再びマイクを手にした鈴が、皆に向かって笑顔で一礼した。
    「皆さん、お疲れ!」

    作者:九連夜 重傷:木通・心葉(パープルトリガー・d05961) 月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030) 神楽・蒼護(蒼天翔破・d13692) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年5月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 16/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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