●もう一度、もう一度だけでいい
横たわる青年の頬を、少女の白い指先が辿る。
損傷がひどい身体と違って奇跡的にかすり傷しかついていない顔は、今にも目を開いて笑いかけてくれそうなほど穏やかだ。楽しんで来い、と送り出してくれた今朝と、まるで変わっていない。
「そ、いちろ……」
まるで名前を呼ぶことそのものが罪であるかのように、少女の声は震えていた。
「なんで……イーファのこと、おいてくの……っ」
今度こそ、ちゃんと見送ることができると思っていた。聡一郎と同じ言葉をちゃんと喋れるようになった頃に、泣いたとしても笑顔で――それは、幼い少女の願いだった。
「目、さまして……おわかれ、させてよ、そいちろ……!」
だから、仕方なかったのだ。たとえそれが『頼ってはいけない力』だと心の底では感じていたとしても、少女にはそれに縋るしか術がなかった。
ずっと傍にいてほしいなんて言わないから。目を覚まして、お別れをさせて欲しい。
●もう、二度と
「ノーライフキングへと闇堕ちしかけている方がいらっしゃいます。彼女を止めて下さい」
灼滅者達を前に、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)はまずそう言い切った。
「お名前は三栗谷・イーファさん、小学一年生です。フランス人の父親と日本人の母親を持つハーフですが、一年ほど前……まだ五歳の時にご両親を事故で亡くしています」
イーファを引き取って日本に呼び寄せた叔父の名を、聡一郎。面倒見がよく、両親を失って引きこもりがちになったイーファの心も間違うことなく柔らかく扱っていた男だった。
「彼女は、まだ人の意識を残しています。完全に闇堕ちする前に止めることができれば、灼滅者としての道もあるかもしれません。ただ、」
ふ、と姫子が言いにくそうに眉を寄せた。
イーファは、もともと両親を失ってふさぎ込んでいたのだ。それを、聡一郎がゆっくり解きほぐしていた最中だった。その聡一郎が両親と同じようにして突然交通事故で死んでしまったとなれば、イーファを立ち直らせることは相当難しいだろう。
「あくまで第一の目的は新たなダークネスの誕生を阻止することです。彼女がどうしても闇から離れられないのであれば、その命を絶ってください」
静かな姫子の声に、その場に重い沈黙が流れる。姫子は一度瞬きをし、詳しい状況の説明へと移った。
「彼女は聡一郎さんの遺体を引き取った日の深夜、自宅一階にある和室で、聡一郎さんを眷属として蘇らせます。そうして絶望するのか満足するのか……その時の彼女の心境までは分かりません。ただ、彼女は聡一郎さんを連れて家の外へと出ます。向かう先は家の裏にある雑木林です」
聡一郎を眷属とする前に接触すると、闇堕ちのタイミングがずれて救うことも灼滅することもできなくなってしまう。だが逆に、聡一郎を眷属とした後であれば、自宅でも雑木林に行ってからでも、いつ声を掛けても構わない、と姫子は言った。
どちらにせよ、相対する敵は二人。
「イーファさんの方は、サイキックソードに似た漆黒の剣で戦ってきます。聡一郎さんの方は影業を使用してきますが、イーファさんは彼を積極的に戦いに加えようとはしないでしょう」
逆に聡一郎を狙えばイーファの隙をつくことも可能だが、そうすれば説得は絶望的と考えた方が良いだろう。
「まだ六歳の女の子です。皆さんも見ていて辛いと思いますが……どうか、よろしくお願いします」
切なげに眉を寄せた姫子は、そう言って静かに頭を下げた。
参加者 | |
---|---|
日辻・柚莉(ひだまり羊・d00564) |
レンヤ・バルトロメイ(天上の星・d01028) |
迫水・優志(秋霜烈日・d01249) |
御神・白焔(死ヲ語ル双ツ月・d03806) |
ゲイル・ライトウィンド(陰陽携えし風の祓魔師・d05576) |
オリキア・アルムウェン(ハンガーマスター・d12809) |
三田・十(十の弾丸・d14373) |
華表・穂乃佳(高校生神薙使い・d16958) |
●あなたのあたたかい目がすき
「……来た」
木々の隙間から一軒の家を黙視していた御神・白焔(死ヲ語ル双ツ月・d03806)が、口を開くとともに布をかぶせたライトを揺らす。
白焔の視線の先では、目標の二人、イーファと聡一郎が寄り添うようにして歩いていた。否、あれは寄り添うというよりは――
「聡一郎、イーファの手を引いているね」
戦闘の音を遮断するべくサウンドシャッターを発動させたオリキア・アルムウェン(ハンガーマスター・d12809)が悲しげに呟く。あれがイーファの望みなのだと思うと、胸を痛ませずにはいられなかった。
「ゆずも両親やおねーちゃんが急にいなくなったら、って思うとすごく胸がきゅってするの。イーファちゃんまだ小さいのに……」
ぐす、と鼻を鳴らす日辻・柚莉(ひだまり羊・d00564)に、レンヤ・バルトロメイ(天上の星・d01028)がほんとうにね、と同意する。
真っ直ぐと灼滅者達の方へと向かってくる二人は、もうすぐそこだった。
「そろそろ行きましょうか」
ゲイル・ライトウィンド(陰陽携えし風の祓魔師・d05576)の声に一同が頷く。
ざり、と土を踏みしめる音が聞こえるまで近づくと、聡一郎の影に半分隠れたイーファがはっと顔をあげた。
「こんばんわ……なの……たすけに……きたの」
なるべく怖がらせないようにと優しく声をかけるのは、華表・穂乃佳(高校生神薙使い・d16958)だ。ぺこりと下げられた頭の後ろから、
「お前がイーファだろう? それで、そっちが聡一郎」
くい、と聡一郎を親指で指して迫水・優志(秋霜烈日・d01249)が続く。
驚きに目を瞠っていたイーファは、『聡一郎』という言葉にびくりと体を震わせると、じり、と一歩後ずさった。
怒られることを理解しているようなその表情に、三田・十(十の弾丸・d14373)がゆるく首を振る。
「俺は叱りに来たんじゃない」
「あ……」
「別れが言いたかったんだろう? なら、アンタは悪くない」
「俺たちはイーファちゃんと同じ、不思議な力を持ってるんだ」
「イーファちゃんにね、叔父さんと、ちゃんとお別れさせてあげたくて来たの」
戸惑うイーファに、レンヤと柚莉が続いて優しく語りかけた。しかし、イーファの後退は止まらない。
「……イーファ、お別れしたくて、」
逃がさないようにと灼滅者達が二人を囲む様にして動くと、イーファは逆に斜め前へと身を動かした。まるで通せんぼをするように、聡一郎の体を背中に庇う。
「でも、そいちろ、そいちろじゃないの。こたえてくれない……笑ってくれない……っ」
「それは、」
「でもっちゃんと、そいちろなの……!」
口を開きかけたゲイルを遮るように、イーファはぎゅっと目を瞑った。
「だから、今度はイーファがそいちろとお話できるようにおしえてあげて、それで、ちゃんとお別れしたら、さよならするからっ」
固く目を瞑ったまま、イーファは言い募る。
まるで自らに対して言い訳をするかのような口調に、オリキアがそっと口を開いた。
「本当は、お別れしたくないんだよね?」
びくん、とイーファの身体がこわばる。小さな手のひらが、白くなるほど強く握りしめられていた。
「ごめんなさい……っ」
お別れする。そう思っていたのに、いつまでもつないだ手を離せない。
それを叱ってくれる聡一郎は、もういないのに。
「ごめんなさい――――!」
イーファの手が、漆黒の光に包まれた。
●あなたのやさしい背中がすき
(「仕方ないよ……目の前に立たれてしまったら、手放したくなくなってしまうのは……」)
例えそれが本当の『本人』でないと分かっていても、それでも尚縋ってしまう。その気持ちが、オリキアにはよく分かる。
だからこそ、まるで自らを大罪人だと貶めるような顔をして剣を握る少女に、そんな顔をしなくてもいいのだと教えてあげたかった。
「Ready.」
十が解除コードを唱えると共に、ギグバッグから二挺のバスターライフルを取り出す。イーファの漆黒の剣から放たれる光の刃を飛び退いて避け、高速演算モードへと移行した。
「お前がしていることは、出発直前の飛行機に乗っていた人を途中で降りさせて、用事に突き合わせている様なもの。分かるか」
どれだけ足掻こうとも、旅立つその事実を変えることはできない。
静止状態から急加速してイーファの背後へと回り込んだ白焔が、説きながらも死角からイーファの首を狙う。
咄嗟に身を逸らしたイーファは、首筋を掠めた攻撃にひゅ、と息を飲んだ。
「イーファ! お前の気持ちは判るよ。俺もお前と同じだから……最後のお別れ、出来なかったから!」
優志の放った裁きの光条が、目映い光と共にイーファの剣とぶつかり合って大きな音をたてる。
その隙をついて、レンヤの妖の槍が螺旋の唸りを込めてイーファを穿った。
「ぅ、あ……っ」
「何も、怖がることなんてないんだよ」
血反吐を吐くイーファに、レンヤは眉を下げて笑う。
「俺も子供の頃、大好きだった人とお別れした時、塞ぎこんでた。でも、励ましてくれる人は、周りに沢山居て、長い時間をかけて、こうして立ち直って」
だから、今すぐ元に戻ろうなんて思わなくていい。それをできない自分を責めることもない。
穏やかなレンヤの声を、イーファは腹に突き刺さった槍と共に引き剥がした。
「……だめ、なの。イーファ、そいちろに、ひどいことしてる……わかってるのに……!」
イーファの剣が、黒々とした光を放って爆発する。至近距離での爆発は、レンヤと十の体を巻き込んだ。
「白き祝……呪いを……災いを……払いたまへ……」
穂乃佳の吹かせた優しい風が、吹き飛ばされた二人の体を包み込む。その間にも、急停止と斜め後ろへの飛び退きを同時にやってのけた白焔が、再度イーファへと斬りこんでいた。
「白焔!」
オリキアが警告の声を発する。
イーファの背後から、漆黒の影が鋭い刃となって白焔を襲った。聡一郎が、無表情に右の手を前へとかざしている。
「三栗谷さん、今の聡一郎さんを見てどう思いますか」
絶望にも似た表情で聡一郎を振り返るイーファを、ゲイルの影が捕えた。
「本当に聡一郎さんが好きだったのでしょう? しっかりお話出来るように言葉も勉強していたんですよね。急なお別れで悲しかった、だから、頼ってはならない力だと感じていたとしても使ってしまった。それは仕方のない事です」
「いきなりだったもんね。ちゃんとお別れしたいと思うのは当然のことだよ」
あくあくと声もなく喘ぐイーファに、柚莉が導眠符を飛ばしながら続いて語りかけた。
「だけど今の叔父さんとお別れしたいんじゃないよね」
「あ、あああ……っ」
核心を突く柚莉の言葉に、イーファが悲鳴のような声をあげる。体に巻きつく影から逃れ、放たれた刃が、優志とゲイルの間を斬り裂いた。
●あなたの大きな手がすき
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ……っ、そ、いちろ……!」
全てを拒絶するように目を瞑ったイーファが、ただ我武者羅に握った剣から刃を放つ。
「ゆずちゃん!」
防護符を飛ばそうと構えていた柚莉に迫った漆黒の刃を、レンヤは無理やり体を割り込ませることで防いだ。刃とぶつかりあった槍の先が、耐えきれない衝撃に悲鳴を上げる。
「琥珀!」
続けて放たれる刃に、柚莉はナノナノ・琥珀に前に出るように命じた。琥珀の生み出したしゃぼん玉が、刃を受け止めて破裂する。
防御など考えてもいないイーファに、十の放った魔法光線が突き刺さった。
「大丈夫だ」
衝撃に瞠目したイーファに、十の落ち着いた声が降りかかる。
「確かに、アンタのしたことは間違いだったかもしれない。それでも、俺が今、ここでアンタをゆるそう」
間違えたら正せばいい。そう続いた十の言葉に、ふるりとイーファの体が震えた。
「イーファ、分かるだろ?」
攻撃の手を止めたイーファを、シェパードの様な姿をした優志の影業が噛みつき抑え込む。
「このままじゃ、お前は聡一郎が大切にしてくれた『イーファ』じゃなくなってしまうんだぞ? それでもいいのか?」
まるで縋るように、イーファの手が傍らに立つ聡一郎の手を掴んだ。
――ああ、なんて冷たい。
「イーファ、ボクは家族を、両親とお兄さんを失った。あなたと少し似ているの」
唇を噛みしめて俯くイーファを、オリキアの穏やかな声音が包み込む。
「でもね、そこにいる聡一郎はあなたの大好きな聡一郎じゃないんだよ。……思い出して。どうして蘇らせたの? 聡一郎に言いたかった言葉。あなたは持っているはず」
言いたかった言葉。どうして、蘇らせたのか。
「聡一郎さんは……もう本人……じゃない……だから……幕引き……するの」
「その力は貴方を貴方で無くしてしまう……きっと聡一郎さんも貴方が貴方のまま成長する姿を見たかったはずです。だから、自分で居たいと強く思って下さい」
穂乃佳とゲイルの言葉に、イーファはゆっくりと聡一郎を見上げた。
「さよなら、……してあげよう?」
囁くように告げる柚莉の後ろで、白焔がかちりとサイキックソードを構える。イーファはそいちろ、と一度だけその名前を紡いだ。
するりと、繋がれていた二つの手が解ける。
「……痛むが、耐えろ」
白焔の迷いなき一閃が、イーファの体を切り裂いた。
●あたのぜんぶが、
倒れ伏すイーファが、今にもかき消されそうな吐息を零して胸を上下させる。
「三栗谷さん、待てなくて申し訳ないですが……」
傍らに膝をついて、ゲイルが控えめに口を開いた。起き上がるイーファを、柚莉が手伝う。
「聡一郎さんと、ちゃんとお別れしましょう。御自分の手で……できますか?」
「つらいなら……私たちが……するの」
ぴく、と震えたイーファの肩を、穂乃佳がぎゅっと抱きしめる。穂乃佳の霊犬・ぽむも、小さなその体に寄り添った。
「それに、ここでお別れしても、ビハインドという形で傍にいてもらうこともできる」
慣れない言葉にぼんやりと瞬くイーファに、優志が分かりやすくその存在を説明する。イーファはゆっくりとオリキアを振り返った。
尋ねるような視線に、オリキアは仄かな笑みと共に一つ頷く。
「リデルはボクのビハインドだよ」
だが、それ以上は何も言えなかった。いいとも、わるいとも、オリキアには言えない。
イーファは暫し考えるように目を伏せると、ゆるりと首を振って一言、
「だいじょうぶ」
と微笑んだ。そして、いつの間にか純白の光を放つそれへと変わっていた剣を再度手に握りしめる。
「お別れ、する……そいちろ、もう、ねむらせてあげる、から」
それでいい? と問うように光る瞳に見つめられ、白焔は背中を押す様にゆっくりと頷いた。十が心配そうな色を含んだ声音で、無理をすることはない、と言う。
「アンタに、十字架は重すぎる」
「……そいちろと、はじめて会ったときにね」
真っ直ぐに案じてくれる十の漆黒の双眸に、イーファは小さく言った。
「おれのそばで、さみしい思いはさせない、って……おれが父親で、母親で、あにきで……ぜんぶやってやる、って、言ってくれた」
でも、ずっと、とだけは言わなかった。一度喪失の痛みを知った少女に、彼はその場限りの甘い言葉を吐くことを良しとしなかった。
その優しさを、ちゃんと覚えているから。
「だから、だいじょうぶ。……だいじょうぶ、だよ」
「……そうか」
その言葉に、確固たる自信を感じたからではない。むしろ崩れ落ちそうな自分を必死で奮い立たせているようなか細い声だったから、十はそれ以上は何も言わなかった。
イーファの剣が、かちりと聡一郎の腹に向けられる。かたかたと小刻みに揺れる剣先に、レンヤはそっとイーファの背を撫でた。
ぽたりと、一粒の雫がイーファの頬を伝う。
「そいちろ……っごめ、ね……ずっと、ずっと、……ありがとう」
突き刺さった剣から放たれた光の刃が、聡一郎の体を光の中へと溶かして行く。
光ごと柄まで埋められた剣を受け止める聡一郎は、まるでイーファを抱きしめているようだった。
――Bonne nuit,ma cherie.(おやすみなさい、わたしのいとおしいひと。)
作者:なかなお |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年5月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 18/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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