修学旅行~美ら海水族館、黒潮の海に浸る

    作者:中川沙智

     武蔵坂学園の修学旅行は、毎年6月に行われます。
     今年の修学旅行は、6月18日から6月21日までの4日間。
     この日程で、小学6年生・中学2年生・高校2年生の生徒達が、一斉に旅立つのです。

     今年の修学旅行は、南国沖縄旅行です。
     沖縄そばを食べたり、美ら海水族館を観光したり、マリンスポーツや沖縄離島巡りなど、沖縄ならではの楽しみが満載です。
     さあ、あなたも、修学旅行で楽しい思い出を作りましょう!
     
     
    ●生命の神秘、恵みの海
     修学旅行の2日目は、沖縄美ら海水族館に行く事から始まる。
     午前中に訪れるということもあり、比較的他の観光客も少なめだ。ゆったりと館内を観覧する事が出来るだろう。それに朝は海水――この水族館は海水を汲み上げて常時循環している――が澄んでいて、水槽を一層幻想的に見せてくれる。
     水槽に屋根はない。自然の太陽光が降り注ぐため、沖縄の燦々とした光が魚達を浮かび上がらせてくれるだろう。

     長いアプローチを進めば、世界最大級の大水槽が目の前に広がる。
     それこそが沖縄美ら海水族館の大きな見どころのひとつ、『黒潮の海』だ。
     メインの観覧面でもあるアクリルパネルの高さは8メートルを超す。まさに床から天井まで、すべてが水に包まれるような感覚になる。
     琉球列島の周辺を流れる黒潮に棲む回遊魚達が、ダイナミックに泳ぐ姿を目の前で見る事が可能だ。最も有名なのは世界最大の魚、ジンベエザメ。コバンザメを従えておおらかに泳ぐその様は、まるで『黒潮の海』の主のよう。
     迫力では優雅に身を翻すナンヨウマンタも負けてはいない。他にもマグロやカツオ、アジ等の回遊魚の俊敏な動きも見逃せない。多様な魚が、それぞれ美しい身のこなしで群泳を披露してくれる。
     通路の照明はほとんど落とされているので、青い水槽の中をはっきりと見る事が可能だ。デジカメや携帯で写真を撮るのもいい記念になる。
     さて、どこからこの光景を見てみようか。
     正面のアクリルパネルはまさにメインステージともいえる場所。迫力ある巨体をパネルに張り付くようにして見るのも、回遊する小さな魚の泳ぎを余さずチェックするのもいい。縦にも横にも広い水槽は一幅の絵のようだ。
     それともアクアルームに足を運ぼうか。そこはあたかも海底の特等席。ベンチに腰を下ろし見上げると、アクリルパネルの天井に魚達が泳ぎ回る姿を見る事が出来る。大きな魚のお腹を見る機会など、そうそうないだろう。
     少し疲れたならカフェ『オーシャンブルー』に寄ってみよう。大水槽の真横に位置しているから、沖縄ならではのドリンクや軽食を楽しみながら、ゆっくりとジンベエザメを見る事だって叶うだろう。
     どのアングルも、きっと忘れられない興奮と感動を齎してくれる。

     沖縄美ら海水族館は『命のゆりかご』とも呼ばれる。
     ナンヨウマンタの出産や珊瑚の産卵、ジンベエザメの飼育等。いのちを育み、巡り巡る豊かな海がそこにある。それは、沖縄の海の恵みそのものだ。
     雄大な海の神秘と美しさが、人々が訪れる時を待っている。
     
     
    「……行ってみたいと思ったんだ」
     修学旅行のしおりを手に、鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)は目を細める。静かなる海の底、生き生きと回遊する魚達。大きな身体で悠然と泳ぐジンベイザメ。
     普段の生活では決して出逢うことのない青い世界に、翔は興味を引かれているようだ。
    「折角沖縄に行くんだし、海や命のめぐりを間近で見る事が出来ればと思って……」
     しおりに落としていた視線を上げ、翔は改めて問いかける。
    「君さえよければ、一緒に行ってみないか。……どうかな?」
     空も海も、生き物も。
     沖縄では格別の色彩を抱いて迎えてくれるから。
    「行こう。皆で、……修学旅行を、楽しみに」
     それもきっと、掛け替えのない想い出のひと欠片になる。


    ■リプレイ

    ●海泳
    「沖縄といえば、美ら海水族館だよね!」
    「憧れだね!」
     一緒でとっても楽しい! と瞳を輝かせる九鳥に対し、木鳥は隣の存在が嬉しいという言葉すら照れて掠れる。
    「今日ばかりは、おれもはしゃいでも、良いよね?」
     弟の呟きに、まっかせてと姉の弾む声が返る。
     目の前に広がる大きな青い水槽。同時に気の抜けたため息が漏れる。
     ジンベエザメをはんぺんみたいと喩える言葉には呆れたけれど、繋いだ手から伝わるのは同じ気持ち。
     今度は家族で来たいって、ねだろうか。
    「何でこんな青い世界なんだろう……」
     朱里の声も水に溶けるよう。
     水槽に光が差し込む幻想的な青は、本当に海底にいる気分にさせてくれる。暫し非現実的な感覚に浸っていた樂も、友に呼ばれ水槽の側へ向かう。
     よく見ると身近な魚もいるはずなのに。
    「何でこんなに綺麗なんだろ?」
    「やっぱ生きてるからかな」
     肩を並べ名前のついたジンベエザメを指差し探す。上方でゆるり、応えるように尾が揺れた。
     聖光院・七の表情も綻ぶ。
    「ジンベエザメ……エイ……とってもかわいいです」
     うっとりと眺めつつ、誰かと一緒ならという想いが思考の隅を過る。
     少し、青い物思いに耽る。
     想像以上に綺麗で大きくて――とてもあたたかい。きっと海中もこんな世界なんだと千明は感激を胸に抱く。
    「あ、翔! 翔も見たー? あのおっきいジンベエザメ!」
     振り向いた鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)も頷く。
     他の場所もと足を進める彼女の言葉が残る。
     ちあき、いまとってもしあわせよ。
    「おおおおー……っ!」
    「わぁ――」
     幻想的な雰囲気はまさに圧巻。座草・悠とアロアは息を呑む。クラスの友達と一緒に見るからか、景色は一際鮮やかだ。
    「はー、こんだけでけぇ水槽よく作れるねぇ……」
    「本当に海の中にいるみたい!」
     正直期待せずにいた瑠音も、想定外の規模に視線を外せない。メリーベルもデジカメ片手に歓声を上げる。
     先に来た事がある祢々が見やすい場所を確保すれば、只管皆で見惚れるばかり。
    「あ、翔。クラスの皆も来てるよ。一緒に見よう!」
     ミケが手を振り、瑠音の誘う声も飛ぶ。祢々が一緒に行こうかと促せば、翔も首肯する。
     合流し、皆で同じ青を観る時間。
    「実に壮観だ。正しく黒潮の海の底にいる気分になる」
    「凄いですね……以前、葛西のマグロ水槽を見た時と同じ……いや、それ以上ですよ」
    「というか、黒潮って何だった? その辺は苦手でな」
     尚竹が噛み締め、デジカメを携えた三成が感嘆の声を上げれば、クラウドが質問を投げかける。尚竹が答える間に、
    「ねえねえ、あの魚は何て言うのかしら!」
     メリーベルも矢継ぎ早に尋ねる。子供みたいにはしゃぐ気持ちは止まらない。それは座草も同じで、小さく声を漏らして笑みを交わす。祢々も密かに微笑んだ。
     海の中を切り取ったみたいに、きらきらしていて本当に綺麗。今日晴れていてよかったと、ゆずるは透ける光にため息を吐く。
     ミケも気持ちよさそうに泳ぐ魚達に、目を細めずにはいられない。
    「海の底にいる気分になると落ち着くのは何故だろうな」
     ゆずるの隣で水槽を眺めていた翔に尚竹が訊く。生命は海から誕生したというからそのせいかもな、そう答えて眦を下げる。
    「みんなは、どの子がすき、かなぁ?」
     ジンベエザメが特に気に入ったらしいゆずるが首を傾げる。
     縫子があの迫力はすごいと洩らせば、クラウドも大きくて強そうだと同意する。
     翔はどれも好きで決められないと悩み顔。確かに一番を決めるのは難しいと縫子は笑みを零す。
    「大きさも泳ぎ方も、皆個性があって」
    「そうだね、しかし大型魚類は面白いよね」
     鯨等哺乳類も含むけどという声で、ようやく皆が水瀬・瑞樹の存在に気づく。どうやら水槽の向こうの世界に没頭していたようだ。
     マンタもマンボウもコバンザメも其々の特色が可愛い。
     暫しの間の後、唸る。向こうからすれば自分達を観察してるのかもしれない。
    「写真撮らないのか?」
     携帯で何枚も撮影していた瑠音に、水瀬は感動までは記憶できないからと首を横に振った。ふとミケがカメラを取り出す。
    「そうだ記念写真! ね、皆も一緒に写そうよ」
    「ボクもボクもっ。翔くんも、ほらっ!」
     座草が翔の腕を引っ張り、一緒に来た顔ぶれが揃う。撮影を通行人に頼むかセルフタイマーを用いるか考えあぐねた末に、
    「仲野せんせー、写真撮ってもらっていいかな!」
     縫子が通りかかった担任教師に頼んだ事が決定打になった。女子に囲まれている姿を撮りましょうかと三成に言われ、翔が動揺したのはその少し後。
     和やかな空気に包まれ、アロアは身を翻すジンベエザメを目で追う。
    (「こういうのって何かイイなぁー」)
     何てない事で少しセンチメンタルな気分になるのも、この歳この瞬間だから。
     かごめには最初の、八尋には最後の修学旅行。
     一緒に来られた嬉しさは、繋いだ手から互いにじんわり伝わる。小さな海の風景や魚達が綺麗なのも、大切な人と観るから尚更。
     刹那かもしれないこの時が、本当に幸せ。
    「写真撮ろうか」
     青の世界を背に並んでカメラを向ける。シャッターを押す瞬間、八尋の耳元でかごめが囁いた。
    「一緒に来てくれて、ありがと。先輩、大好き」
     幸福が広がる。
     ――僕の一生の、宝物。
     モデルのバイトをしているから日焼けは怖い。雅は唇に笑みを刷く。
    「水族館、中涼しいし天国!」
    「来るのは二度目だが……やはり、圧巻だな」
     玉兎が呟けば、海洋図鑑を手にした心葉も頷く。自らがちっぽけな存在だと思わされるよう。海を切り取ったみたいだわとルナエルは静かに零した。
     デジカメを取り出した玉兎に心葉が首を傾げる。
    「どうした、おたま。写真を撮るのか?」
    「ああ。帰って友人達に見せれば思い出話にも熱が入ると思ってな」
     他の三人に並ぶよう促すも、写真が苦手な心葉に撮影役を奪われかける。
    「……雅、両手に花だな? いや、雅自身も花なのか……?」
    「両手に花? アタシも花? ヤダー! 玉ちゃんったらお上手!」
     玉ちゃんも花だけどねと言い捨てた雅は、通行人にシャッターを託す。
    「……というかこのメンバー、男性陣が微妙に性別不明な外見よね」
     というルナエルの言葉が端的というべきだろう。
     遙かな水面では陽光が躍り、橘花は笑顔を咲かせる。ジンベエザメは大きく迫力があるが、優しそう。まるで海そのものだ。 
     初めての水族館での思い出。この海と空の色に、心からの感謝を。
     翔に水族館が好きかと聞けば、そうかもしれないと笑みが返る。その声に顔を覗かせたのはマリーだ。
    「どのお魚、好き?」
    「どれも良くて決められないんだ」
     マリーの好みは綺麗な色の可愛い魚。ナノナノのりんたろうにもあとで好きなの訊いてみようという決意に、翔の眦が緩む。
    「うーっわ、水族館自体初めて来たけどすっげーわーコレ!」
    「話には聞いていたがこんなに……!」
    「……大きいです! ……これが有名な水族館……なんですね……」
     水槽を前に興奮気味に見入る面々だが、この場所を選んだ勇騎自身驚嘆を隠せない。実物のスケールに圧倒される。
    「キラキラと踊るように泳ぐ魚達を見るとやっぱりすごいよな」
     亨が群泳を示すと、陸が知識の一片を引っ張り出す。
    「一匹のデカイ魚に見えるようにこんなキレーな群れになって泳いでんだっけ?」
     綺麗なのは戦っているから。そーいうの好きだわと陸が口の端を上げる。
     忙しなく視線を動かしていた唯が目を瞠る。勇騎も目を見開く。ジンベエザメだ。
    「……大きいなぁ……」
    「つーか本当にデカ……傍のコバンザメが妙に可愛く見えんな」
     分かち合う感動。亨の口から素直な言葉が零れる。
    「本当に来てよかった!」

    ●海底
     クラスメイトで揃ってベンチに座り、アクアルームの煌く光景を眺める。
     目を輝かせた瑠璃羽が、横切るジンベエザメに思わず拍手。セイナもあまりに見事で声も出ない。
    「ジンベエザメ、大きいですね……」
     セイが感嘆する。それを複数飼えるこの水槽もすごいですけれどと、付け足して。
    「最大とは聞いていたが、直接目にすると……凄い迫力だな」
     何せ影で皆を覆うほどの大きさだ。真人が舌を巻くのも無理はない。
     他の魚達も回遊していく。人々を包み込む青い空間に、有斗は驚きと感動を隠せない。エイラも興味津々で見上げたままだ。
     ふと再び大きな影。ナンヨウマンタだ。
     幾人かが目で追い、そして。
    「えっ、あれ、あれ? ……にゃぁっ!?」
     見事に仰向けに転がったのは瑠璃羽。咄嗟にセイが背を支える。同時にエイラが首を鳴らした。
    「すみません、見上げてたせいかちょっと首が痛く……った!?」
    「痛! ご、ごめん!」
     マンタに夢中になるあまり頭と頭がぶつかってしまい、有斗は慌ててエイラに謝る。何となく和やかになったのは、瑠璃羽が照れ笑いをしたからだ。
    「でも……寝転がったら、海で泳いでる気分だよー」
     海中に取り残されたような不思議な感覚になっていた真人は目を瞬く。級友が心強く感じるのは、気のせいではない。
     セイナの言葉も優しく響く。
    「誘ってくれて、本当にありがとうね」
     綺麗な青。海底から見上げたらこんな感じかと考えていた綾香の頭上をジンベエザメが横切る。白いお腹に高鳴っていた胸が一層跳ねた。
    「随分と、可愛いんだな」
     微笑んで、新しいデジカメに手をかける。
    「すごい綺麗!」
     アクアルームに足を踏み入れた瞬間、潤子の口から声が漏れる。近くで見てみようよと真琴を誘い、水槽の側に向かう。
     眺めていると、お目当てのジンベエザメが悠々と泳ぐ姿が目に留まる。
    「わ、おっきいです、すごいよ潤子ちゃん」
    「ふわーっ! かっこいい!」
     真琴は感激のあまり、片手で潤子の腕を取り片手でお腹を指差す。
    「おっきいのにかわいい」
     楽しい想いは二人共、同じ。
     水族館は稲穂が一番楽しみにしていた場所。絶対見たい。でも、昨日の日程の疲れか少し眠い。
     ベンチに座り少し休憩。小さな魚も目で追いじっくり楽しもう。
     いつしか寝息が、漏れていたけれど。
     輝が興味深げに歩く速さに、微笑みを深めた晃はゆっくり歩調を合わせる。手を繋ぐだけの初々しい恋人関係だけれど、充分幸せ。
     晃がジンベエザメの大きさに僅かに目を見開いた瞬間。
    「あっ! わっわっ! 見て下さい! マンタですよっ!!」
    「そうだな、輝殿」
     マンタの優雅な泳ぎ。一際はしゃいで指差す輝の姿に、晃の胸中にぬくもりが灯る――来てよかった。
     ジンベエザメがラシェリールの孔雀色の双眸に映る。立派な佇まいに目が釘付けだ。
    「実際に海で一緒に泳いでみたいものだな……」
     うっとりと呟く。海中の世界は落ち着くから、ゆっくり楽しもう。
     魚になり、海底から見上げたらきっとこんな気分。ゆったりと揺蕩い癒されるよう。横切る大きな影に、自然と火花の頬が上気する。
    「おわっ、ジンベエザメでかっ!! めっちゃカッコエエ!」
    「火花くんよりもおっきいね! でも可愛い顔してるからあんまり怖くないかも」
     こちらを向いた巨体に志狼はやっほーと手を振る。が、隣の透が淡々と言い放った。
    「『カッコエー』とか『カワイイ』っつーより、ちょっとマヌケに見えるのは俺だけ?」
     火花と志狼其々の口調を真似て。挙句どの魚が美味そうで不味そうかと見分するから、火花が透をジト目で睨んだ。
     空腹なのかも。煮魚はメニューにないけれど、カフェに行こうか。
     詠乃が想像した通り、海中トンネルと喩えるのが相応しい。床以外水槽なのだ。里緒は周りに沢山魚が泳ぐ様子に感激を隠せない。
     視界が陰る。ジンベエザメだ。悠然と泳ぐ姿に、マイアは何故か安堵する。
    「……可愛い」
     白いお腹がふかふかしてそうと詠乃が思い巡らせていたら、知らず言葉が口に出た。マイアはあまりわからないが、と首を傾げるが。
    「この後、ショップにでも寄ろうか」
     確かぬいぐるみもあったはず。詠乃の表情も華やいだ。
    「あ、マイア先輩、詠乃先輩ー! こっちですこっち、今マンタちゃんがすごく近くにいるんですよ!」
     くるんと翻った瞬間に里緒の歓声。笑みを刷き、二人は里緒へ近寄った。
     群れ成す回遊魚の一方で、由良は一匹で泳ぐ魚を見つけた。
     自らと重ね、常のクールな雰囲気が和らぐ。周囲の賑やかさにあてられたのかもしれない。
    「次は……誰かと一緒というのも良いかの」
     アクアルームに移動してきた翔の背に、置始・瑞樹の声が飛ぶ。
    「何か面白いものを見たか?」
    「色々。……返事になっていないかな」
     ベンチに腰掛け、他愛もない会話を交わす。置始は翔についてあまり知らないがと告げるが、翔は今知り合えたからと穏やかに答える。
     ジンベエザメのお腹が白く、浮かぶ。
     杏理のデジカメに収まったのは、銀鱗閃かせる回遊魚達。パネル越しに指先で魚の動きを追いながらも、視線は自然と上を向く。
    「あそこ、トラフザメの卵があるよ」
     教えられて翔も目を凝らす。丁度繁殖期らしい。いい時期に来られたねと杏理が笑えば、翔も頷いた。
     真ん中のベンチに座った翡翠の視界には、見た事のない魚ばかり。
    「……迅様、迅様。あそこに泳いでいるのは……何ですか……?」
    「お腹を見せているのが、ナンヨウマンタだね」
     沖縄ではガマーカマンタっていうらしいよと、迅がパンフレットを手に解説する。悠々と泳ぐ魚を眺めるのも悪くない。
    「にしても、気持ちよさそうに泳いでるなぁ」
     迅が呟けば、翡翠もふへと表情を緩ませる。
     眺めていると、僕も幸せ。
     唯人は頭上を横切るジンベエザメに、手を翳す。
    「手が届きそうだけど届かない。星空と同じ?」
     ここは魚座が大量発生中――と笑んだ唯人に、生鏡も微笑み返した。
    「届かないからこそ魅力的なのかもしれませんね」
     ふと気づけば唯人がデジカメを取り出している。最初は生鏡だけを撮ろうとしていたが、
    「せっかくの旅行なのですからご一緒にどうですか?」
     と誘われたら、仕方ないかなと唯人の強がりも解けた。
     泳ぐ魚、光る水面を見上げれば、海の世界に溶け込んだ気持ち。
     鮫と聞くと怖いイメージがあるけれど、ここで泳ぐ子達は可愛いと華凜は言う。
    「ね、鴻崎君はお気に入りの子、いました?」
    「どれもというのはずるいかな」
     困ったように翔が零すと、華凜は微笑んで首を横に振る。
     心の中にぎゅっと刻んで、大切な想い出にしよう。
    「わー……天井までびっしり海、海、海……!」
     神華ははしゃぎながらも真剣に見入る。神楽も映画館みたいやねと感嘆の息を吐く。ジンベエザメのお腹が頭上を埋めたから、神華はつい神楽の袖を引っ張った。
    「ね、ね、守咲くん、すごいよ!」
    「見ちょんよ。凄いわー」
     沖縄の大自然を感じているからにこやかに同意する。
     説明して、聞き入って。それでも互いの心の根底は同じ。
     相手が楽しんでくれてたら、嬉しい。
    「おい、桂花……桂花!」
     青の空間に魅了され、見上げるばかりだった桂花が瞬く。
    「大口開けて見上げてんじゃねぇよ」
    「お、大口なんて開けてませんよう!」
     千秋に反論するも、座ろうと誘われたら笑顔が咲く。
     懐かしむのは幼い頃の想い出話。水族館で、迷子になって。手を繋いで親達を探しに行った。あの時の千秋が格好良くて――今も、と桂花は小さく囁く。
     今日の出来事も、幾年後に共に語る想い出になる。
     雄大に泳ぐ魚達に狭霧が胸を熱くしている最中、視界を横切ったのは一際大きいジンベエザメの、お腹だ。
     海の生物を見ていると自分の存在がちっぽけに見えてくる。
    「流石母なる海の子等……凄いなあ」
     錠が天井を仰ぎ見ると、ジンベエザメと目が合った気がした。笑みが漏れる。『観られてる』のは、果たしてどちらか。
    「ガラスを隔てた先はまるで別世界ってカンジだな」
     すぐに向こう側へ手を伸ばしたくなると錠は言う。翔の眼鏡もそれと似ている、とも。
    「いつかお前が裸眼で世界を観たくなったら外すのか?」
     どうかなと、翔は曖昧に答えるだけだった。
     レンヤが振り返ると、瞳に飛び込んできたのはきすいの姿。アクリルパネルに魅入るように、マリンブルーの輝きに浸る彼女は夢見がちにねだる。
    「……この世界に閉じ込めて」
     きすいが冗談めかして腕を引けば、レンヤはアクリルパネルに両掌をつけて彼女をそのまま、海の籠へ誘った。こんな風に? そう問う声も、冗談めいて。
     唇が動く。
     二人だけの秘密。
     応える。
     今だけ、二人だけの青の世界。
     ここは声なき聖域。
    「すごい……!」
     三義はぽかんと口を開けジンベエザメを見上げる。大きくて格好いい、こんなサーヴァントがいたらいいのに。
     大好きな兄にも見せてあげたいと思っていたら、似た容姿の誰かにぶつかった。
    「にいちゃん!?」
     生憎違った。ジンベエザメ大きいですねと小さく呟けば、翔も目を細め頷く。
     小さな魚でも華麗に回遊する姿に斎は感心する。隣の衣幡・七も同じ方向を見て楽しんでいたら、大きな影に二人で歓声を上げた。
    「……お、来た来たジンベエザメ!」
    「わー凄いっ! ほんと迫力ある!」
     思わず拍手で出迎える。きっちり二人と一匹で写真を撮る事も忘れない。
    「そろそろお昼だし、カフェにでも行こうか。何食べる?」
    「大賛成! メニュー見ていっぱい迷おうか」
     それもきっと、楽しい。

    ●海憩
     カフェ『オーシャンブルー』で小さなクラス親睦会。アクアルーンと沙希が席を確保し待っていると、杵築・悠が注文した飲食物を手にやって来た。
    「お待たせ致しましたお嬢様方……なんてなっ」
     タコライスにオレンジジュース、アイスコーヒー。テーブルに並べ、水槽を並べながら話は弾む。アクアルーンの質問に杵築は律儀に答えるが、いざ話を振ると、
    「わたくし『謎の転校生』ですの」
     と黙秘された。そのはぐらかし方にそれはそうとして、と微笑んだのは沙希だ。
    「やはり海の生き物は素敵ですわね」
     無駄のない洗練されたシルエット。海の中はかくも幻想的ですわねと視線を水槽に向けると、魚の群泳が視界を埋める。
    「すごい……な」
     直人が息を呑む。店名の由来でもあるオーシャンブルーの、大パノラマ。
    「海の碧を見てると、心が落ち着くような気がする」
    「なんちゅうか潜水艦の中から外を眺めよるみたい♪」
     由宇の言葉に浪漫を感じ、稲葉が頷く。いつものクラブを彷彿とさせる静謐な空間に直人は目を細めた。見慣れた仲間の顔も青く染まり、より魅力的に見える。
     思い思いのメニューを味わう間、明らかに直人の前にだけ大量の食事があるのは皆承知だ。
    「そういやここ、写真撮っても大丈夫なんかな?」
     由宇がカメラを取り出すと、ジンベエザメとの妄想もとい交流を図っていた遥香が顔を上げる。
    「写真撮るなら園観ちゃんも写りたいっ!」
     最初直人が撮影役を申し出たが、皆揃ってという事で店員にシャッターを任せる事に。
     ヤマトナンカイヒトデもみたいのです! と遥香が力説すれば、後で見に行こうぜと稲葉も同意した。
     水槽を見上げて小休憩。東京の水族館じゃこうはいかないわよねと沙紀の頬も緩む。沖縄らしいものをと悩んだ末、タコライスとアセロラジュースを選ぶ。
     目の前にすれば尚、瞳も輝く。写真を撮るのも忘れない。
     普段の生活は朝四時起き。八重波家の三人にとっては修学旅行の起床時間は逆に遅くて辛いのだ。
     でもこうして揃ってゆっくり出来るのは、悪くない。
    「むしろ沖縄ならではの軽食とジュースを味わえるのならば、プラスだ」
     飛廉が嘯くと、智水もゆっくりと水槽に視線を向ける。
    「それに、ジンベイザメ見られるのは素敵だと思うな」
     ゆらり動く大きな姿を眺めるうち、感激のあまりわぁ、と声が出ている真忌に気づく。喉を慣らし指摘したのは、飛廉だ。
    「声出てる」
    「え、こ、声出してた!?」
     真忌の頬に朱が上るが、智水も首肯する。恥ずかしがる姿も可愛いと付け加えて。
     水槽側の席で、唯はアクリル向こうの青い海に目を奪われる。指先すら水に染まるよう。
     動く魚を追う一姫の視線に、少し違う色を感じた唯は携帯のカメラを向ける。
    「お腹が空いても、此処の子たちは食べちゃだめよぉ」
     心臓が跳ねた音は聞こえたか。食べないーと返すも、シャッター音が重ねられる。
    「うふふ、一枚頂きました」
     これで我慢してねと唯は紅いもアイスをひと匙、一姫の口元へ。後で反撃に遭うのは、別の話。
     最初は水族館のパンフレット等に視線を走らせていた。だがいつしか飛良の興味は実際の大いなる流れへと移る。
    「海の中にいるようで、不思議な感じがします」
    「そうだな」
     飛良はブラックコーヒー、翔はカフェオレ。飲み物は違えど、見る水槽は同じだ。
     魚になりたい。
     あんな風に泳げるのいいな。
     双子揃って同じような事を考えて、水槽側の席に着く。二人で出掛けるのは久々だ。
    「みて、彼処でぼんやり流れてる魚」
     僕達みたいと煌人は呟く。常より雄弁な弟に機嫌良いのかなと霧人は胸中で零す。応えるように、嬉しいから、かなと更に呟きが重なった。
     紅いもアイスとシークワーサージュースを交換こ。たまにはこういう場所での息抜きも、いいかもしれない。
    「水族館、初めてって言ってたかしら……楽しかった、ユエ?」
     一通り回った後の休憩。百花が訊くと、白イルカのぬいぐるみを抱きしめたユエが瞳を輝かせる。
    「すごい、ね。すごい。きれい、きらきら、してた」
     海の底にいるみたい、そう語るユエの表情はいつもとあまり変わらない。だが頬を薔薇色に染め懸命に歓びを伝えようとする姿に、百花も瞳を細める。
     ケーキを食べ終わり百花が差し出した手を、ユエが嬉しそうに掴んだ。
     人生初の水族館、表情こそ変わらないが携帯を操る小太郎のテンションは高い。
    「見て見て、携帯の画像フォルダが水槽みたい」
     写真の情報交換会だ。ジンベエザメをなまらでっかいと小太郎が方言で零したのもご愛嬌。衣はお気に入りのクラゲと熱帯魚の写真を探す。
    「後で一緒に記念撮影しませんか」
    「なら一番大きいのの前で、撮って貰いましょ」
     実は水槽に映り込んでいた飾らない想い出は、帰るまでのお楽しみ。
    「あの大きさの違うお魚さん達も仲良しね」
     水槽で魚達が並ぶ様子にトレニアが囁く。みをきとの身長差もそう、彼が少しだけ越えていた。
     月日が経つのは早いと返せば、トレニアの転がるような笑い声が響く。
     でも、穏やかなトレニアの笑顔は変わらないのだろう。みをきは思う。
     テーブルの上のケーキ、一緒に食べる時はいつも半分こ。これからも。
    「任せろ。今日も綺麗に切り分けてやる」
     料理を口に運んでいた京音の手が止まる。美味しさが広がり、作ってみたくなりメモを取り始める。
     すると将真からからかいの声が降ってくる。
    「水槽の魚を食べる気か?」
    「ち……違うよ、美味しかったからレシピ書きとめてるの……!」
     他人に聞かれるのは気恥ずかしい。小声で抗議すると、将真ははぐらかして口の端を上げる。
     けれど輝いた瞳で水槽を楽しそうに眺める京音を見ると。
     誘ってよかった、そう思った。
     クラブの仲間と一緒にカフェのメニューとにらめっこ。
    「折角の沖縄なんだからならではのモノを食べたいけど、何が良いかな?」
     一樹が皆に問えば、答えも多種多様。
     シークワーサーアイスに紅茶と軽く決めた陵華に対し、いろははタコライスに加え数種類のデザートを制覇するつもり。デコレーションが可愛い限定マフィンに、しずくの目は釘づけだ。
     注文した品をテーブルに広げれば、賑やかさでは水槽にも負けないくらい。
     交換したり舌鼓を打ちながらアクリルパネルを眺めるのも一興だ。いろはに差し出されたソフトクリームを、リーファもご相伴に与る。デザートは別腹だ。
    「綺麗だな」
     実は陵華は寝不足。けれどこの青い世界と雄大な魚達には、感動を覚えざるを得ない。
    「あ、あれはさっき写真撮ったから分かるぞ。えーと、ジンベエザメ、だっけ?」
     一樹が諳んじれば頷く仲間達。呼ばれた巨体がゆっくり横切った。
     沢山回って疲れたから少し休憩。
     其々フルーツジュースを手に一息つけば、竹緒と埜子の視線が治胡に集まる。正確に言うと、スタイルの良さに。
    (「てぃこちゃんってお腹まわりが凄いひきしまってるなぁ……」)
    (「……治胡ちゃんって、胸、大きいね?」)
     神妙な顔して疲れたのかと思えばそうでもなさそうだ。後でぎゅーしてぎゅーさせて! との応酬に、治胡も首を傾げつつ快諾する。
     そんな友達とのやりとりも元気の源なのかもしれない。
    「一休み出来たし、もっと回ろう!」
     竹緒が席を立てば他の二人も腰を上げる。
     綺麗な青色に何だか海のパワーをもらったみたいと埜子が大きく伸びをする。
    「ジンベエパワーで遊びつくそうね!」

     修学旅行はまだ二日目。
     どうぞよい、ひとときを。
     

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年6月19日
    難度:簡単
    参加:104人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 16/キャラが大事にされていた 6
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