夏葬

    作者:日暮ひかり

    ●scene
     夏が終わる。
     優しげな色合いに照らし出された夕暮れの寺の境内を、心地よい温度の風が撫ぜていった。
     白い太陽が。肌に纏わりつく熱気が。秋へと移りゆく街並みから、毎日少しずつ取り残されてゆく。
     まだ近くに聴こえている蝉の輪唱も段々と細くなり、そうと気付かないうちに今年もひっそりと消えてしまうことだろう。

     ――夏の終わりを、まだ幼いあの子は『さみしい』と言ったっけ。
     啓祐はうっすらと額ににじんだ汗を左手で拭い、右手で大切に抱えてきたプラスチックのカップに目を落とす。
     鮮やかな色のいちごシロップに甘い練乳。ふわりときめ細やかな氷の上からそれをかければ、ひんやり美味しいいちご練乳かき氷の出来上がり。
     おととしの夏に交通事故で亡くなった、啓祐のいとこが大好きだったものだ。年の離れたまだ10にも満たない少女で、向日葵みたいな黄色のカチューシャがお気に入りだった。
     夏生まれの少女は夏が大好きだった。
     そして、夏の終わりに命を落とした。
     かすかな蝉時雨の響く中、白む日差しの向こう側へと旅立った彼女は、やはり夏の終わりを惜しんでいただろうか。

     少女の墓にかき氷を供え、立ち去ろうとしたその瞬間。
     氷よりもひやりと冷たい誰かの手が、首筋に触れる。
     強い力で喉を締め上げられ、一声を上げることすらもままならない。
     ただ、ひどくちいさな掌だと思ったのだ。刹那、夏の空に高く火柱が上がった。
     
    ●warning
    「ぺんぎんがかき氷を食べたら、可愛いと思いませんか?」
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)が冗談めかしてくすりと笑い、放課後の教室に集まった灼滅者たちに問いかける。
     皆さんはかき氷はお好きですか、と。ほんの少しさみしげに微笑み、姫子は目を細めた。
     武蔵野から電車でいくらか多摩地区のほうへと下った都内某所の寺で、都市伝説が発生した。
     生前かき氷が大好きだった少女の霊が、かき氷を食べている人をうらやんで悪戯をするらしい。たったそれだけの罪のない噂から、『彼女』は生まれたのだと。
    「はじめは本当に、ほんのちょっぴり悪戯をするだけだったんですよ。でも」
     サイキックエナジーの力を享けて実体化した少女は、近いうちに、墓参りに訪れた親族の青年を殺めてしまうのだと姫子は語った。
     切欠は、啓祐青年が彼女の墓に供えたかき氷。
     広い寺の境内の入口付近には、毎年かき氷の露店が出ている。とても冷たくてふわふわで、それはもう美味しいのだそう。そこらのかき氷とは一味違うらしい。 
     
     姿を現した都市伝説は一見幼い少女の姿をしているが、蝉の抜け殻のように背中が裂けている。それに中身は空洞なので、一般人との見分けは容易だ。
     夏に焦がれるように、炎の力を使った攻撃を放ってくる。
     かき氷を供えた者を一番に狙い、後は年の近い者が居ればそこから狙うだろう。
     少女の墓は、境内の広場から墓地に入ってすぐの場所にある。
     墓地も戦えないほど狭くはないが、できれば広場のほうに誘き出せるといい。方法はお任せしますと姫子は言った。
    「きっと、皆さん淋しかったのかもしれませんよね」
     説明を終えた姫子がふいに呟いて、ほうと息を吐く。聞いていた生徒の一人が何事かと首を傾げても、やはり彼女は躱すように笑うだけだった。
    「夏が終わってしまうのは、さみしいと思いますか?」
     それなら。皆さんでかき氷を食べてから帰るのも、すてきだと思いますよ。
     にっこりと微笑む姫子の後ろでは、もう蝉が弱々しく鳴き声を上げていた。


    参加者
    汐谷・茜織(狭霧の果て・d00985)
    芹澤・朱祢(白狐・d01004)
    浅葱・カイ(高校生ダンピール・d01956)
    蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)
    各務・樹(虹色魔法使い・d02313)
    司城・銀河(タイニーミルキーウェイ・d02950)
    サシャ・サミュエル(アルジャンシーニュ・d03520)
    流鏑馬・アオト(ロゼンジシューター・d04348)

    ■リプレイ

    ●1
     昼と夕方の間を満たす空気は、未だ夏の熱気を残して火照っている。けれど、太陽は盛りの季節を終えてしまった。
     からりと晴れた、過ごしやすい残暑の一日だった。きっと都に住まう誰もが秋の訪れを感じ、ほっとしたり、寂しがったりしているのだろう。誰もがそんな事を思いながら、今年も静かに夏が終わっていく。
    「夏が何か特別なのは、夏休みがでかいよな」
     夏休みを終え、人気もまばらな寺の境内を見回して呟く蛙石・徹太(キベルネテス・d02052)の表情は、深く被った帽子と、夏の日差しが落とす濃い影に阻まれて読めない。
     灼滅者たちと言えども、まだ学生なのだ。集まった皆は一様に、彼の言葉に同意するばかり。
    「夏休みが好きなのは、どこの国も一緒ね」
     各務・樹(虹色魔法使い・d02313)がぽつりと言葉を零せば、皆が不思議そうな顔をした。
     帰国子女の転校生は、まるで洋画に出てくる少女のように優雅な仕草で小首を傾け、言葉無くすこし笑んで見せる。異国の彩を纏った祖母譲りの金の髪が、緩い風に揺られてきらめいた。
    「おぉ、来た来た。こっちだぞー。見りゃわかるか、一本道だし」
     その時、硝子細工の露店を眺めていた芹澤・朱祢(白狐・d01004)が顔を上げ、入口の方から歩いてくる眼鏡の少年にひらひらと手を振った。
     いちご練乳かき氷を買いに行った浅葱・カイ(高校生ダンピール・d01956)が戻ってきたのだ。
     派手なのを買うのはやっぱり慣れないな、と笑うカイに駆け寄って、汐谷・茜織(狭霧の果て・d00985)は本当に美味しそうだねと瞳を輝かせる。
    「ん、汐谷はいちご練乳好きかな?」
    「うん! でもね、今日は別の味って決めてきたんだ」
    「サシャもかき氷早く食べたいー!!」
     サシャ・サミュエル(アルジャンシーニュ・d03520)はもう待ちきれないといった口ぶりだ。その様子を見てうんうんと頷き、司城・銀河(タイニーミルキーウェイ・d02950)は人懐こい笑顔を浮かべた。
    「私も。でもその前に初仕事……だよね!」
    「そっか。初めてのお仕事ね……ちょっとドキドキするよ!」
    「緊張はするけど……きっと大丈夫。皆で力を合わせれば、やれるやれる!」
     ほかの者にとっても、これが武蔵坂学園での初めての戦いになる。
     ひとりでは太刀打ち出来ぬ相手とあって、不安はあるけれど。
     ひとりではないから、きっと大丈夫。
    「可哀想な女の子だよね……」
     流鏑馬・アオト(ロゼンジシューター・d04348)がしんみりと呟いた。
     少女は『ひとり』だ。誰がどう願っても夏には帰れないし、帰らない。同情を感じる者は少なくない。
    「でも啓祐さんを殺させたら、もっと可哀想な事になってしまう」
     だから戦うんだと、アオトは相棒が封じられたスレイヤーカードと視線を交わす。
     ――それだけは絶対に駄目なんだ! 頼む、力を貸してくれよ……!

    ●2
    「途中で戦闘を始めざるを得ない状況になったら、これで知らせろ。すぐ駆けつけるから」
     囮役のカイと、補助役のサシャ・徹太に緊急合図用のホイッスルを手渡す朱祢の面持ちは、常になく真剣だった。相手の驚きを察したのか、すぐにいつもの緩い調子に戻った朱祢はへらりと笑ってこう言う。
    「悪戯だけなら可愛い、で済んだんだけどな」
     惜しむような、けれどどこか割り切っているようでもある彼の声音には、不思議な切なさが滲む。徹太は帽子を深く被り直し、皆にも己にも言い聞かせるように言った。
    「啓祐さんの気持ちになったらさ。ちゃんと送ってやろう」
     広場で待機する5人を残し、3人は墓地へと向かう。
     少女の墓の周りは綺麗に掃除され、まだ新しい供花が夏風に揺れていた。この花もじきに、秋の彼岸のものへと変わる。
     季節は巡って次の夏が来る。でも、死んだらもう来ない。
     花の隣にかき氷を備えながら、カイは少女の生の儚きを朧げに想った。
    (「ちょっと酷だけど、寂しかろうが何だろうが生きてる人を巻き込むのは勘弁願いたいね」)
     けれどそれ以上を考えるのはやめる。誰かの歩む、楽しい今を守れればいい。
     その時、カイの背後でふいに空気が歪んだ。墓地の入口に隠れて機していたサシャと徹太が警戒の声を投げる。
    「――!! っ、う」
    「徹太……?」
     現れた少女の表情は徹太からは伺えない。代わりに目に飛び込んできたのは、からの背。
     どうして。手を噛む事で己を律しようとするのは常の癖。惨い姿に込み上げる感情はそれでも消し切れず、気付けば残った歯型の痕は鬱血していた。
     サシャも、初めての驚異を目の当たりにし心揺れる。不安を押し殺そうと胸のロザリオをぎゅっと握り、今は離れた大切な家族を想う。
     怖いけど、サシャ頑張るよ。念じれば震えは止まった。
     対してカイは正面から敵と向き合っていた。黄色いカチューシャの似合う愛らしい少女だ。だが、笑顔のままで動かぬ表情は、少女が既に夏の遺影であることを物語る。
     素早く腕に掴みがかってきた少女の冷たい手が、一瞬で太陽の熱を帯び、カイの身を焼いた。初撃を受ける覚悟はあった。援護の破壊光線と石化の呪いに少女が怯んだ隙を見て、するりと逃れる。
    「かき氷好きなんだ? あっちで売ってたの買ったんだけど、もっと欲しかった?」
     広場のほうを指さし、カイは仲間のもと目指して駆けだした。負った火傷の痛みに表情が歪む。けれど止まるわけにはいかない。
    「かき氷食おうぜー」
     徹太の声にぴくりと反応した少女は、再びカイの方を向き直ると、とてとてとその背を追いかけていった。誘導成功。サシャと徹太も顔を見合わせて頷き合い、追って広場へ走る。
    「ライド・ザ・サーヴァント! いくぜ『スレイプニル』ッ!」
     待ち構えていたアオトが後衛から天星弓を引き絞り、同時に彼のライドキャリバーが走る。神の軍馬の名を授けられた青と白の騎士は、傷を負ったカイを護るべく立ちふさがった。癒しの矢の力が先程の傷を塞ぎ、朱祢がタイミングを見計らって、霧の防護壁を展開する。
    「都市伝説って、痛み感じんのかな。痛くても泣くなよ?」
     すぐに、それすら解らなくしてやるから。
     愛用の解体ナイフを逆手に持てば、紫の瞳が夜陰の冷たさを宿して冴えた。
    「『悠織』……おねがいっ」
     同じく茜織も、召喚したビハインドを前衛へ配置した。
     護符を扇のようにばさりとはためかせ投げれば、心惑わせる力が少女の虚像を縛る。次いで銀河のバスターライフルから放たれた強力な光線がその身を焼いた。
     数で見れば一方的な、10対1の戦い。しかし灼滅者たちを圧倒する体力を備えた少女は、次々と叩きこまれる攻撃にも、さして怯んでいるようには見えなかった。
     武器を握る手が汗ばむのは、夏の陽気のせいだけだろうか。

    ●3
     熱のこもった空気を静かに浸食する夜霧の向こう側で、少女が動く。
    「くるわ。中衛、気を付けて……!」
     バベルの鎖で感覚を研ぎ澄まされた樹の瞳が、少女の視線の先をとらえた。
     中衛には、最年少の茜織と銀河がいる。そこに目標を定めたのだ。
     少女の掌がかっと白く輝き、灼熱の炎がほとばしる。空気が歪み、うだるような真夏が帰ってくる。
    「そこでインターセプトだ!」
     後衛にも届いた熱気が顔を煽ったが、アオトは怯まずスレイプニルに命じた。守られるだけはもうこりごりだ。皆を守るために力を使いたいと、アオトは強く願う。
     主の意思に応え、友たるスレイプニルは素早く反応を見せた。銀河への炎を肩代わりし、再びエンジンを掛け直す。
    「ありがとう、アオト先輩! スレイプニルも!」
     アオトとスレイプニルに声をかけて、銀河は身の丈に似合わぬ巨大なバスターライフルを肩に担ぎなおした。
    「恨みは無いけど……見過ごすわけにはいかないから!」
     光線を放つたび、強い反動が身体をゆする。けれどしっかりと、銀河は地を踏みしめて耐えた。
     器用には終われなくてもいい。誰かが壊さなくてはいけない物語なら、私達が。小さな体に愚直なまでのひたむきさを秘めた娘は、わずかな胸の痛みを殺し、まっすぐに討つべき敵を見据えて立つ。
     重ね掛けた呪詛とプレッシャーで力を削いだはずも、彼女の攻撃を阻むには一歩至らない。容赦なく襲いくる炎の嵐。真夏以上の夏が場に広がっていった。
     熱気に飲まれそうになりながらも、サシャは心を奮い立たせ契約の指輪に祈りを捧げた。祈りは聖なる十字架を召喚して、裁きの光が敵を焼く。予定にない攻撃だったが、見切り対策には問題ない。
    「神様にお尻ペンペンされちゃうよ? 早く塵にお帰りね♪」
     揺れるピアスに双子の兄弟を思いだせば、もう心は揺れない。帰ったら、頑張ったよって伝えよう。彼もきっと喜んでくれる。
     前衛で戦う悠織の攻撃で、初めて少女の身体がぐらついた。そこを見逃さず、茜織は続けざまに風の刃を放つ。
     悠織の背を見つめるとき、わずかな痛みが胸を過ぎる。朧気な記憶の奥底へとつながる鍵は今も失くしたまま。気付かないふりでそらした、まっすぐな茜色のまなざしはそのまま少女へ。
    「きみも、きみが大好きな夏も、俺たちが送ってあげる」
     啓祐だって、きっといつかは少女を記憶の海へと沈めてしまうかもしれない。それを想うと胸が痛い。
    「最後まで、きちんと見届けてあげる。だから、さみしいなんて言わないで」
     ――あのね、ほんとは俺も、夏が終わるのはさみしいよ。
     心ひそかに語りかけたのは、秋は己がすべてを失った季節だから。

     何を言われても、どれだけ傷ついても少女は笑みを崩さず楽しそうに笑っている。
    (「啓祐くんや、皆の記憶の中の彼女はきっと、ずっと太陽みたいに笑っていたのね」)
     都市伝説を生むのは生きる者の思念だ。そこに少女自身の意思はない。樹は瞳を伏せ、考える。夏をほんとうに愛していた少女は、人々が思い描いた夏の幸せな彼女のまま、都市伝説と化した。
    (「囚われては、駄目」)
     軽くかぶりを振って、雑念を打ち払う。マテリアルロッドをくるりと回して、少女の身体を打ちすえた。その空洞の内側で魔力が爆ぜる。
     衝撃によろめきながらも放とうとした炎は、呪いの力で暴発を起こし少女自身の身を焦がした。来るべき攻撃に備えていたカイが、無言で太刀を握りしめ、振るう。彼女は『本物』ではないと思う。それでも願う。どうか安らかであってほしい、と。
     帽子のつばを引いたのは、何度目だろう。徹太は数えるのをやめていた。
     少女を空虚で邪悪な存在へと変えた力が、この身にも流れていたってけして負けない。鬱血した手の痕が、今は迷いも恐れも内側へ封じてくれた。せめて少女の愛した熱をバスターライフルに込め、見送ろう。
     満ちた熱気が徐々にひき、少女の輪郭がしだいに褪せていく。地に伸びる幾本もの影は、いつから長くなりはじめただろう。
     ――もう、夏も終わる。
    「一緒に眠ってしまえ」
     これも業だろうか。少女に手を下すのは自分のようだった。朱祢がそれを自覚したのと、最後のナイフを突き立てたのはどちらが早かったのか。
    (「きみの見る夢は、甘い、だろうか」)
     答えを下す間もなく、夏の少女は眩い光と共に消えていく。
     そこに残ったのは、太陽の香りだけだった。

    ●4
     久々の団体客の到着に、露店の店主が笑顔で応じる。目の前でハンドルをぐるぐる回せば、雲のようにまっさらで細やかな氷の山が次々に生み出された。
    「よし、中学生と女の子には先輩が奢ってやるよ。でも一つだけな?」
    「やったー!」
     財布をちらつかせ、笑う朱祢は高校生の余裕だ。各々好きなかき氷を注文し、広場に戻る。
     その前に墓地へも寄った。墓に刻まれた少女の名は、あおい。
    「あおい、か。向日葵の葵なのかな」
     アオトはそう言って、静かに手を合わせた。
    「悲劇が増えなくてよかった。本来のあなたが望んだことじゃないはずだもの」
    「そうだね。二度とこんな事が起きないように、願おう」
     樹とカイも、サシャと一緒に短い黙祷を捧げる。
    「あおいちゃん、意地悪してゴメンだったよー。これ、センベツね」
     あおいのぶんのかき氷は、皆で少しずつお金を出して買った。味はもちろん、いちご練乳だ。
     サシャがちょこんとかき氷を置いても、もう悲しい都市伝説の『少女』は現れない。

     皆で石段の上に座り、せーので氷をすくって一口。冷たい氷がふわりと口の中で溶け、戦いの疲労と暑さを吹き飛ばす。
    「んー、レモンちょっとすっぱーい! けど美味しいよー♪」
    「だよな。やっぱりレモンだよ、夏は」
    「蜂蜜レモンも甘くておいしいよ! ちょっと食べてみる?」
     一番人気は爽やかで甘酸っぱいレモン味。朱祢とサシャがレモン、茜織が蜂蜜レモンを選んだ。レモンと蜂蜜レモンをすこし交換して、茜織とサシャはちょっぴり得した気分で笑いあう。
    「朱祢先輩は?」
    「こういう時は遠慮するのが大人だ」
    「おい、なぜに皆レモンだ。定番と言ったらメロンだよメロンは正義」
     徹太はちょっと不服そうに鮮やかなメロンのかき氷を見つめた。けれど、口に運べば表情も緩む。
     8月で3歳になった弟の寝顔が浮かんだ。将来的には夏休みな時期だ。寂しがったら、俺が誕生日を祝おうかとふと思った。切なさと楽しさが混じる夏を、あいつも好きになるといい。
    「俺はやっぱりこれが落ち着くなあ。地味だけど美味しい」
     鮮やかなかき氷を手にする面々を見回し、カイは色合いも涼やかなみぞれのかき氷を頬張る。シンプルイズベストの素朴な甘みに目を細め、堪能する。今この時を楽しめることが、幸いとかみしめて。
    「樹先輩が宇治金時って、ちょっと意外だな……!」
    「……そうかしら? そうね、コーラと迷ったのだけれど」
     お菓子通の樹は渋い宇治金時をチョイスした。甘苦い抹茶とあんこに、もちもちした白玉はどれも日本ならではの味。意外だが、それゆえに彼女らしい。
    「あっ、銀河さんもやっぱりそれなんだ」
    「アオト先輩も?」
    「必殺のレインボー味にしたかったんだけどねー。でも、今日は」
     銀河とアオトが持っていたのは、少女が好きだったといういちご練乳かき氷だった。
     その味は。

    「……うん、良い味だ。あの子が好きなのも分かる気がする」
     アオトがしみじみと呟いた。
     銀河はすこし、泣いていた。
    「……大丈夫?」
    「……うん。急に頭がキーンと痛くなっちゃって」
     美味しいから、ちょっと急いで食べすぎちゃったよ。そう言って銀河は涙を拭い、笑った。

     石段に並んで眺める夏の空は次第に暮れゆき、地平には夕焼けの赤がにじみ始める。夕方に鳴く蝉が控えめに歌いだす。
     いちごと練乳の絡み合った甘いあまい味は、氷が溶けてもあとを引いて、口の中にずっと残っている。
     去りゆく夏が、わたしを忘れないでというように。
     いつか記憶の輪郭がおぼろげになっていってしまっても、この甘さだけはどうか胸に留めていて。
     思いだせばきっと、すこしだけ夏が近くに来た気がするから。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年9月8日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 11/素敵だった 6/キャラが大事にされていた 1
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