夜叉の岩

    作者:矢野梓

    「あ、あ……ああ……」
     奇岩の苑にうっとりとした女の呟きが流れていく。白い岩肌をつたう紅蓮の流れに指を浸して、女は更に陶然と笑んだ。指はつつと走って、尖った岩の先端に。こびりついた男の肉片を摘み取ると何か大切な物のようにこねまわし、唇を寄せ。
    「あ……ああ……っ」
     串刺し状態の男の四肢がだらりと伸び、彼が最後まで手放さなかったカメラが無機質な音を立てて落ちた。獲物の息絶える瞬間の痙攣が女に更なる快感を与える。どんな誘惑よりも快楽よりも、彼女はこの瞬間が好きだった。人は久遠の責め苦に耐えられるほどには強くないけれど、苦痛の死の一瞬はどの生物よりも美味しい。
    「くくく……」
     喘ぎにも似た呟きが喉の奥で小さな笑いに変わった。見る者がいれば鬼も嗤うことができるのだと背筋を粟立てたに違いない――そう、それは正しく鬼の所業。目の前に広がる奇岩の風景と写真とに夢中になっていたとはいえ、大の男をつかまえ、一息に串刺しにして見せるなど、とても人間業ではない。しかも今や女はその手に大きな斧を構え。
     ごつり――と、何とも言えない音が岩場に響く。斬り落とされた腕から流れる血に女の衣装が朱にそまった。
    「……く、くくく」
     再び聞こえる笑いのあとに、ねちゃねちゃと意味の悪い音。それが咀嚼の音だというならば――。

     そこは地獄。この世の地獄。どこからともなく現れた女夜叉が作り出す叫喚の巷。

    「……鬼が出た」
     開口一番、水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)は灼滅者達にそう言った。
    「鬼?」
     灼滅者達の間に不穏な空気が流れる。鬼といえば彼らが知るのは羅刹だが、羅刹に何か異常でも起きているのだろうか。
    「なん微妙に違ェ……いや、違う感じがするんですよね」
     鬼は女性の姿を持ってはいるが、いわゆる黒曜の角は見当たらない。ダークネスというよりはどちらかといえば仏教説話とか日本の昔話とかそう言ったもので語られる地獄の鬼のような――。
    「で、そんなもんが一体何を……」
     灼滅者の問いに慎也はさらりとシステム手帳を開いた。人を襲って快楽となす以上、鬼の目的は恐怖を与えることであろう。そして恐らくはサイキックエナジーの収集も……。
    「現時点では何かが動き出しているとしか言えないんですが」
     行ってもらえますね――慎也の問いに否を唱える者は、今ここに集まってはいない。

    「鬼の女が次に現れるとすればこの岩場……」
     慎也が出した写真にはなるほど、とがった岩が天を衝かんとする、中々見ごたえのある場所である。町からは結構離れているものの、写真家や旅行者が立ち寄ることは多いとか。今、彼女は次なる獲物を探している段階であるから、囮作戦を使えば案外うまく接触できるかもしれない。
    「勿論、本物の旅行者などは近づかないようにしておいて下さい」
     女はどうやら大男が好みらしいのだが、いたぶれるとなればあまり我儘も言わないはずだ。まずは戦闘状況を整えること。それができれば戦いも五分以上に持ち込めるはずだ。
    「能力的には羅刹そのものといっても間違いじゃねぇ……ありません」
     ゆえに鬼の腕を自在に操ることは無論のこと、癒しを乗せた風をあやつることも得意技である。勿論その風を凶刃へと変えるのもお手のものだ。
    「加えてこの鬼のようなもの、斧使いでもあるんですよ」
     それもかなりの怪力でね――慎也は小さく息をついた。いい体格の大人をさっくりと串刺しにしていることからも察せられるように、その膂力はとても女のものとは思えない。斧を振り下ろされれば人の骨などメダカの骨とも大差なく断ち切られてしまうし、数に物を言わせて襲い掛かっても目にもとまらぬ一閃で薙ぎ払わられてしまう。
    「1体しかいないのが幸いつーのか、不幸つーのか……」
     独り言のように零した少年に、灼滅者達も沈黙する。さてターゲットが1体であることをわかりやすいと思えばいいのか、11対8となるからには相当の覚悟をと思うべきなのか、心は俄かには定まりがたいものではあるのだけれど。

    「てなことで……何が起きているかわかりませんし」
     慎也はそこまで言うと灼滅者達を見渡した。敵側にどんな動きがあるにせよ、その所業まさしく鬼そのものであるとするならば、こちらの取る道は1つしかない。
    「……確かにな」
     立ち上がった灼滅者に慎也はゆっくりと頷き、教壇を降りる。
    「よろしくお願いします」
     静かに頭を下げて、彼らを送りだすと、今年初めての蝉が遠くで鳴き始めていた。


    参加者
    伊舟城・征士郎(アウストル・d00458)
    迫水・優志(秋霜烈日・d01249)
    雪片・羽衣(朱音の巫・d03814)
    竹端・怜示(あいにそまりし・d04631)
    リリアナ・エイジスタ(オーロラカーテン・d07305)
    九曜・亜梳名(朔夜ノ黄幡鬼嬢・d12927)
    ラティファ・アフマド(炎の手を持つアフマドの娘・d15253)
    御印・裏ツ花(望郷・d16914)

    ■リプレイ

    ●地獄への入口
     風さえも唸りをあげる他のない奇岩の苑。その底に生ぬるく空気は澱む。そこ至るまでの道は灼滅者達によって既に封鎖され、観光客はおろかその地の案内を生業とする者でさえ、殺界の力やらその他諸々の小細工の向こうに押しやられていた。
    「夜叉ね……」
     ラティファ・アフマド(炎の手を持つアフマドの娘・d15253)の呟く声が、エクスブレインがそう呼んだ岩の森に吸い込まれるように消えていく。地獄の門でも開けようとしているのかな……そんな些細な問いにも答えを用意できる仲間はいない。ただ毘沙門の部下に与えられたその名にぞくりと悪寒めいたものを覚えるだけで。勿論リリアナ・エイジスタ(オーロラカーテン・d07305)もそっと首を振った。見上げれば天をも衝くかと尖る岩。人を苦しめ続ける鬼女の住処にはいやに似つかわしい風景だ。
    「目的知らないけれど、地獄に帰ってもらうからね」
     ひたすら静かに紡がれた呟きに御印・裏ツ花(望郷・d16914)は火焔の色の瞳を揺らめかせ。既に起り、これからも起きるかもしれない凄惨な絵図を思えば気分は爽快とは程遠い。
    「悪趣味な相手ですこと……」
     風にのせられた囁きに、竹端・怜示(あいにそまりし・d04631)も僅かに目を伏せる。常ならば興味をかきたてるであろうこの風景も、帰らぬ命あることを思えば愛でる気分には勿論なれない。ましてその原因が殺人に愉楽を覚える輩にあると知る身には。だからこそ次なる犠牲者は出せない――想いがオーラのように彼の全身を覆っているのを迫水・優志(秋霜烈日・d01249)も敏感に感じ取る。そういえば以前怜示と同じ事件に立ち会った時もやはり山だった。今回は緑の欠片もない岩場に現れる鬼女退治であるけれども。
    「岩場に鬼女なぁ……」
     岩と鬼女に関わる伝承って何かあったか――あれこれ思い出そうと努めてみても結論らしいものは浮かばない。そもそも本当に鬼の、羅刹の一族であるのかさえもはっきりとはしていないのだ。
    「鬼によく似た、まがい物……くだらない」
     雪片・羽衣(朱音の巫・d03814)はただ一言に吐き捨てる。だがこれもいわば鬼祓い、鬼成敗。少なくともぶちのめすことに良心がうずきはしない筈だ。伊舟城・征士郎(アウストル・d00458)もゆっくりと頷いてみせた。鬼に似ている何かなら行く先も地獄と相場は決まっている。まして殺戮を好むというのであれば行き着く先は……。
    「私共が閻魔の下に送って差し上げますよ」
     奇岩の苑に風がゆく。どこか不穏な匂いをはらみ。人影のまるで絶えたその地には今や灼滅者達の靴音だけが残されていく――。

    ●夜叉か羅刹か
     無機質な岩を縫うように糸が伸びていく。アリアドネの名を冠された赤い糸。その先には囮となっている怜示と優志がいる筈だ。裏ツ花はその糸のごく僅かな感触に全神経を集中する。ここから先は文字通り地獄となるのだから。いざ遭遇という瞬間を逃すことなく駆けつけねばならない。征士郎も通話状態の携帯電話にちらりと目をやった。こちらと同じく微かな風の音が聞こえてくるそれ。あちらの人々の緊張が伝わってくる――。

    「おい――」
     怜示が岩の道に屈みこむ。拾い上げたのはカメラの部品らしきもの。薄くではあるけれど雨にも流し切れなかった血の跡が、持ち主の怨嗟を告げてくるようで、優志も眉をひそめる。
    「近い……か」
     ごく短い確認に怜示はマスクに指をかけた。目の下ぎりぎりまで引き上げればその声もまた僅かにくぐもって。刹那、その純白は一滴の紅に穢される。すっと広がる血の染みに2人の青年は天を衝く岩を振り仰ぐ。ひらひらと揺れるのは着物の袖か。白地に赤い牡丹を散らしたような裾模様からは棒切れのように痩せた足。
    「前衛映画かお伽噺のような取り合わせだね」
     怜示の眉間に深く険が刻まれる。だがまるで意に介さぬが如く鬼はふわりと岩肌を蹴った。白い花が舞うかのような身のこなし。だが彼らの前にふわりと降り立ったその顔に鬼女伝説定番の美など欠片もない。
    「……いい……おのこだな」
     喉の奥で鳴ったのは確かに嗤い。手には斧。そしてもう片方は――。ごぼりと優志の喉がなった。鬼神変――神薙使いたちがそう呼ぶ異形の腕が腹を貫いている。攻撃は一瞬。優志が己がダメージを量るのもまた一瞬。鬼の本気はこんなものでは無いはず。それは肌に大きな粟立ちを呼び。
    「女性に好かれるのも良し悪しだな……」
     呟く彼に怜示はすぐさま浄化の光を指先に。うちだされた祭霊の光に優志自身のジャッジメントも輝きを増し。だがそれでもまだ癒しきれない。
    「……悪いけど、俺にも好みってのはあるんでね」
     それでもゆらりと立ち上がった優志。怜示も慎重に身構える。
    「あなたの凶行、見逃す訳にはいかないな」
     携帯電話を意識してはっきりと口に出す宣戦布告。足元から伸びる赤い糸が仲間を導いてくれるまで、彼らはこの攻撃に耐え続けねばならない。
     巨大な斧がまるで小枝でもあるかのように風を斬り、優志の骨を断つ。自らの中に骨の砕ける音を聞くのは気分の良いものではない。ディフェンダーの加護と2つの光に守られていてさえ、状況は劣勢だった。長い。仲間を待つ時間がこれほど長いものだとは思わなかった。怜示は浮かぶ脂汗をそっと拭う。皆との合流までは回復をとは無論織り込み済みのことではあったけれども、敵は彼らの予想を軽く上回っていた。
    「……」
     くつくつと嗤いながら近寄ろうとする女。間合いを取る2人。だがそれが文字通りの鬼ごっこに過ぎないことを彼らは誰よりも痛感していた。

    ●鬼を喰らう者達
     できる限り急いでラティファと裏ツ花が駆けつけたのは女の剛腕が唸りをあげたその瞬間だった。殆ど反射の速度でラティファは自らの腕に鬼神を宿す。長くのびた異形の腕は優志の脇を抜け、鬼女の元へ。だが女は下卑た笑いと共に身をひるがえした。さすがに自らも得意とする技への対応は見事だった。
    「わたくしが躾して差し上げますわ」
     間髪を入れず裏ツ花の影が触手の形に変化する。敵を絡め捕り、痛みを与えるその影に女の顔が僅かに歪む。だが彼女が今もっとも愛する獲物は血の匂いの濃厚な優志であったのだろう。生み出された風は渦を巻き、瞬く間に鋭い刃を形作る。吹き上がった新たな血に女は歓喜の声をあげ、怜示はみたび祭霊光を指先に。裏ツ花も今度は小さな光輪に癒しを乗せて。
    「――お前は何者なのだ」
     優志に並ぶようにラティファは前に出る。人の体を持ち、羅刹の技を振るうあの女。戸惑いの赴くままに問うてはみても返答はなく。ならばその身に問いただすのみ。自らから噴き出すこの炎によって。ラティファの武器に宿った炎が激しい動であるならば、優志の左手は止水の如き静。五芒星の形に放たれた符は防御の壁へ。その向こうで鬼の女はそれでもくつくつと嗤っていた――。

     他の仲間達が合流してからも女の顔から愉悦の笑みが消えることはなかった。巨大な鬼の腕が狙うのは優志の心の臓。胸から背へと抜ける異形のうでは駆けつけた征士郎の目には不吉が形を成したかのように映った。立ち姿だけはすらりとした女が半歩引いて腕を抜く。戦場が逼迫していることを見抜くとすぐさま征士郎は前衛陣へのシールドを張る。ビハインドの黒鷹は霊撃を操り、羽衣は影業を捕縛の触手へと転じさせ、鬼の女の気をそらす。いきなり増えた頭数にも女は口唇をわずかにあげて見せたのみ。
    「……邪魔……か」
     きろりと羽衣を射抜いた目つきは蛇のそれ。人の腕には血塗れた斧。片や鬼の腕も真っ赤に染まり、女の姿は正しく『鬼』。
    (「……闇に落ちれば、ああなるか」)
     征士郎が僅かに首を振る。その心情を裏ツ花はほぼ正確に察することができた。彼女もまた思っていたのである。自らの中に眠る鬼という性を。
    (「わたくしの可憐な細腕が、このように……グロテスクになるなんて」)
     シールドの力を優志に送りつつ、彼女も微かに目を伏せた。口を開けば零れだすのは溜息ばかりだろう。だが士気を下げるような真似だけは絶対にできない。思いは誰しも同じであっただろう。引き絞られた怜示の弓からは彗星の矢。長く引かれる光の尾を追いかけて、九曜・亜梳名(朔夜ノ黄幡鬼嬢・d12927)も防護の符をとばした。
    「我が身に集え罪穢れのことごとく」
     対価として彼らの疵を祓い雪ぎ給え――祈る言葉はもっとも傷ついた囮の仲間へ。これだけしてもまだ万全とはいかない傷を抱えているからには、あの鬼の力はどれほどのものなのだろう。
    「……いい……おのこだ」
     女はまだ薄ら寒い笑みを張りつけたまま。距離を詰めてくるクラッシャー陣を等分に眺め。ちらりと目を移した先には鋭くとがった岩の峰。こいつはどういう風に刺してやろうか――そんな呟きが聞こえてきそうで、リリアナは柳眉を逆立てる。
    「誰の指示でこんな酷いことをっ。羅刹が関わっているの?」
     その指が操るのは鋼の糸。夏の光にきらりと輝くそれは敵をとらえる蜘蛛の糸。封縛という名に相応しく、女を捕えればラティファのオーラが百の拳を作り出す。踏み込むステップはあくまで軽く、しか連打の拳に容赦はない。敵は確かに強かった。だが己が己の仕事を果たし、皆が皆の務めを果たすのであれば、決して勝てぬ敵では無いだろう。

    ●夜叉は消せ
    「お前達鬼が、羅刹が悪いとはいわない。そんなの、わからないもの」
     でも私は、お前達が大っ嫌いなの――羽衣の宣言は高らかに。あたかも女の気を一身に浴びようとでもいうように。
    「……きらい? 否……」
     うつくしいわよ――鬼の唇がそんな形に動くのを、羽衣が認めたのは僅か一瞬。肩口から腰へと衝撃が走るその寸前。亜梳名の顔から血の気が引いた。クラッシャーたる羽衣が受けた攻撃は致命傷に限りなく近い。回復を。すぐに動けぬ自分に代わって――叫びにも似た祈りにすぐさま応えてくれたのは征士郎。敵を討つ為のオーラは瞬く間に癒しの温かみをまし、羽衣の身に宿る。続けて裏ツ花のシールドに優志のジャッジメント。それでも半分強の回復がやっとのことであったのだからやはり鬼の力は侮れない。リリアナはきっと唇を引き結ぶ。黒鷹の毒は確かに効いているように見えるのに、自らの刀は渾身の居合でさえもさらりと見切られてしまう。亜梳名はそんな彼女の背中に心配そうな一瞥を投げかけたが、今はどんな言葉もかける時ではないだろう。羽衣の百の拳は眩いばかりのオーラを弾けさせ、怜示の霊力は天網の如く敵をとらえる。
    「……これ以上の凶行、繰り返させません!」
     亜梳名の鋼の糸が岩々を貫くかの如く。ひたすら敵へと延びるそれの名は『羅睺乃鋼蛇』。巨大な斧を握る手が幾重にもからめ捕られたその刹那、ラティファの腕が鬼神に変わった。
    「……」
     女の顔が初めて苦痛の色に歪むのに、灼滅者達の胸に安堵とも呼ぶべき思いが生れた。クラッシャーの全身全霊にはやはりそれだけの意味がある。このまま攻めることさえ叶うなら……。
    「……」
     その時女の歯の間から零れた怨みをはっきりと言葉で聞き取った者はない。だが女の形相は今や夜叉そのものだった。手の内に生まれる狂風が凶刃を形作る。狙いをつけられた羽衣は総毛立つ。
    「!!」
     その瞬間を征士郎はよく覚えていない。ただ目の前には歯ぎしりする鬼の顔。背後にはあわや撃沈の悲劇が回避されたことを知る仲間の安堵。風の刃の残した痛みは尋常なものではなかったが、征士郎は耐えきった。戦線の守護者たれ――そんな言葉を彷彿とさせる主の働きに黒鷹の霊撃もこの日最高の冴えを添え。一瞬の沈黙の後、リリアナと裏ツ花が弾かれたように動いた。片や敵をとらえる鋼の糸で、片や持てる魔力を爆炎に変えて。灼滅者達の一心の攻撃が一斉にはじけた。優志の影業は噛み裂く犬となって奔り、怜示の弓は満月のごとく引き絞られる。催眠を呼ぶ符に紅蓮の炎。それでも鬼の心は折れぬもの。いや初めから心などないと思えばそれももっともなことだろうか。
    「……なぜ……」
     女の目が灼滅者達と尖った岩との間を揺れ動く。簡単に串刺せると思ったものを。もっと楽しめる筈だったものを、とそんなことを思ってでもいるのだろうか。自身の血に汚れた着物は裾が乱れ、髪は黄泉の醜女も顔負けの。それでもリリアナを狙う鬼の腕の鋭さはいささかの衰えをみせず。
    (「逃げ切れ……な……」)
     リリアナの両の目がぎゅっと握られた。だが襲ってくるはずの痛みを引き受けてくれたのは下半身のない人の影。
    「黒鷹……」
     瞬間、征士郎の癒しのオーラがその全身を包み込む。回復の手応えに彼は仲間達を振り返った。
    「武器の威力が……」
     封じ込まれているらしい――言葉は最後まで紡がれなかったけれども、それが仲間達に希望を与えたことは間違いない。裏ツ花は一瞬の間もおかず漆黒の触手を解き放ち、優志は星の形に符を放つ。強力な一撃が来る可能性が低くなっているならば、畳み掛ける時は今をおいてない。灼滅者達は追撃の手を緩めない。

    ●鬼果ててのち
     攻撃は長く続いた。女の反撃は相も変らず灼滅者達を苦しめ続けていたけれど、攻めが不断であり、守護者が的確に動き続けるならばいつかは夜叉も手に負いきれぬ時がくる。大きな斧が攻撃ではなく癒しに転じた時の喜びを彼らは長く忘れることはない。
    「さあ……」
     誰からともなく上がった声に、全員の声が応えた。漆黒の影が走り、紅蓮の炎が燃え盛り、そして無数の拳が爆ぜる。
    「……なぜ」
     絞り出すような女の声も時を追うごとに細く小さくなってゆく。その無尽にも見えた体力の尽きてゆくさまを示すように。
    「戦うことは……」
     戦うことは我が責務――亜梳名は誰にも聞き取れぬ声で零す。目の前で炎の柱と化した鬼女は遠い未来の自分の姿であるかもしれない。ならば能う限りの力を尽くして。鋼の糸は銀色の光。それが鬼をあちらへ導くただ1つのしるべとなることを、仲間達は予感する。無論、それが外れることはなかったのである。

     鬼の消えた奇岩の苑に穏やかな風が帰ってきた。来た時には死の香に思えた風が今は汗に濡れた灼滅者達の額を優しく冷やしてくれる。
    「誰かに呼ばれた……?」
     安堵を滲ませながらリリアナは呟く。横たわった女の体には彼らがつけた傷以上のものは見当たらない。周辺を調べてみても犠牲者の痛ましい痕跡が僅かに残る他は目を引くものも特にはない。事件はまだ始まったばかりということなのだろうか。
    「羅刹でないならばこの者は一体何なのでしょう」
     胸騒ぎがしますわね――裏ツ花の呟きに怜示と優志は互いに顔を見合せ、そっと首を横に振った。囮として近くにあったその時も今も、判っていることに違いはない。ともあれ、任は無事に果たした。後は学園で――漠然とした不安を覚えつつも灼滅者達は武装を解いて、帰途につく。

    作者:矢野梓 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年6月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 4/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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