かけがえのない宝物

    作者:柚井しい奈

     明かりを落とした部屋の中、尚久はベッドの上で膝を抱えていた。視線を落とした右手の内で小さな文字盤が差し込む微かな光を反射する。
     ところどころメッキのはがれた古い腕時計は小学校に上がる頃、祖父にねだって譲ってもらったものだ。
     高価なものでも希少なものでもない。あえて言うならねじまき式の腕時計は祖父が買った時にもすでに少数派ではあったらしい。いちいちぜんまいを巻かなければいつの間にか止まってしまうのだから確かに不便だ。
     それでも、しわだらけの手でぜんまいを巻かれる時計が幼い目には魔法の品に見えて、駄々をこねたのだ。
     子供の手首には重たかったが、それも大人になったみたいで。
     譲り受けて以来ずっと大切にしていたのに。
    『うわ、ぼろっ』
    『そんなのまともに使えねーじゃん』
     からかわれて、喧嘩になって――弾みで机の角にぶつかった時計は動かなくなってしまった。
    『いいじゃん、捨てちまえよ』
    『あら、おじいちゃんの時計まだ使ってたの。壊れたなら新しいの買いましょうか』
     クラスメイトも母親も、誰もわかっていない。
     不便でも何でもこの腕時計がよかったのに。この時計が大切だったのに。
     動かない文字盤を掌に握りこむ。
     きっと彼らにはこれほどまでに大切なものがないからわからないのだ。そんな奴らの前に大切なものを晒してしまったのが間違いだった。気づいたからにはもう外になど出るものか。
    「そのためには……母さんには、理解させないと」
     殺して、眷属にしてしまえばいい。
     胸の奥から湧き出た衝動に、唇の端が醜く歪んだ。
     
    「ちょっとだけわかるよ」
     スレイヤーカードをきつく握って、草薙・彩香(小学生ファイアブラッド・dn0009)はそこに描かれたマテリアルロッドを見つめた。
    「わたしもフランチェスカの悪口言われたら嫌な気持ちになるもん」
    「クラスメイトとのいさかいをきっかけに、彼はノーライフキングになりかかっています」
     通常ならば闇堕ちすればすぐさまダークネスとしての意識が表に現れ、人間の意識はかき消える。しかし彼――越智・尚久(おち・なおひさ)はまだ人としての意識を遺している。彼はダークネスになりきっていない。
     隣・小夜彦(高校生エクスブレイン・dn0086)がアンティークグリーンの瞳に灼滅者達を映した。
    「灼滅者の素質があるかもしれないんだね」
    「はい。そうであれば闇堕ちから救うことも可能でしょう。ですが、完全なダークネスになってしまうようでしたら……その前に灼滅をお願いします」
     目を伏せる小夜彦。
     頷く気配を感じてか顔を上げると、彼は手元のファイルをめくった。
    「尚久さんは中学1年なのですが、腕時計が壊れて以来自室に閉じこもっています」
     共働きで父親は出張中、母親もこの日は帰りが遅いため、部屋への侵入はたやすい。
     問題は接触した後だ。
    「自分の宝物を否定され、尚久さんは周囲の人間を信じられなくなっています。ただ理解を示す言葉を投げても彼の心には届かないでしょう」
     人間は大切なものも持たないくだらない存在なのだと思い込み、周囲を拒絶している。
     小夜彦の言葉に彩香の頬が膨らんだ。
    「わたしにはあるよ。フランチェスカは大切な相棒だもん」
    「ええ。ですから彩香さん、そして皆さん自身の大切なものを、その思い入れを聞かせてあげてください」
     他者から与えられる価値によらず大切だという思いを抱くのは彼一人ではないのだと示せば闇に沈みかけた心が揺らぐはず。
    「いずれにせよ戦闘は避けられませんが、皆さんの言葉が尚久さんの心に届いたなら彼の戦闘力は大きく下がります」
    「素質があるなら、1回倒しちゃえば灼滅者として生き残るんだよね?」
    「そうなります」
     戦闘になれば尚久はエクソシストと同等のサイキックを使用してくる。ノーライフキングとはいえ、なりかけの状態ではまだそこまで強力ではない。
    「俺に手伝えるのはここまでです。あとは皆さんの思いが届くよう願っています」
    「きっと大丈夫だよ。みんなもそう思うよね?」
     スレイヤーカードを胸に押し抱き、彩香はツインテールを揺らした。


    参加者
    七咲・彩香(なないろのこころ・d00248)
    一・真心(幻夢空間・d00690)
    橘・彩希(殲鈴・d01890)
    敷島・雷歌(炎熱の護剣・d04073)
    ヘカテー・ガルゴノータス(深更の三叉路・d05022)
    刻漣・紡(宵虚・d08568)
    置碁・春実(優游涵泳・d12043)
    ミスリル・メディス(無色万彩クリマトリー・d15889)

    ■リプレイ

    ●宝箱に鍵を差して
     忍び込んだ家の中、かすかな足音が響く。
     玄関に揃えられた靴を見てなお、誰もいないのではないかと錯覚するほどの静寂。
     照明のついていない廊下は外から差し込むわずかな光に曖昧な輪郭を浮かべている。子供部屋を目指して足を進めながら、ヘカテー・ガルゴノータス(深更の三叉路・d05022)は暗がりを見通すように目を細めた。
    「そう高価なものでなくとも、愛着をもって大事にする心は尊いものだな」
    「見たことしか無いけど、ねじ巻き時計って私も好き。大事な人から貰ったっていう思い出を傷つけられたら嫌になるよね」
     一・真心(幻夢空間・d00690)の手がそっとベルトに下げた二眼レフカメラを撫でた。
    「今回は手段が限りなく問題だが」
     ヘカテーの零した言葉に唇を引き結ぶ。
     取り返しのつかない問題が起こる前にここまで来たのだ。
    「止めてあげなくちゃ」
     マーガレットの髪飾りを揺らして拳を握る草薙・彩香(小学生ファイアブラッド・dn0009)。手伝いに名乗りあげた寛子を振り返り、よろしくねと笑いかける。
     閉ざされた部屋のドアの前で一行は立ち止まり、顔を見合わせる。小さく頷きを交わし、敷島・雷歌(炎熱の護剣・d04073)が手を伸ばした。
    「開けるぞ」
     拒絶を示しているかのようなたたずまいに反して、ドアノブはさしたる抵抗もなく回る。軽い音とともに開ける視界。
    「…………だれ」
     薄闇に包まれた部屋の中からぼんやりとした声がした。
    「お話をしにきました」
     照明のスイッチに手を伸ばしながらミスリル・メディス(無色万彩クリマトリー・d15889)はサウンドシャッターを発動する。もし事態が長引いて家人が帰ってきたとしても、いくらかの時間は稼げるだろう。
     伏し目がちな瞳で見つめれば、少年――尚久は目を細めて右手を胸元に引き寄せた。
    「僕には話なんてないよ」
     誰何の声は一度きり。もはや彼にとって相手が誰かなどどうでもいいことなのだろう。自分以外の誰もが下らない存在なのだから。
     剣呑な光を宿した瞳が灼滅者を一瞥し、一瞬で興味をなくしたように俯く。
     取りつく島もない沈黙に、ミスリルはゆるやかに髪を揺らした。
    「ボクにも大事なものがあります」
     彼にとって誰もが等価であるならば、余計な前置きなんていらない。
     闇の縁に立つ少年を救いだすために。
     ――さあ、宝物の話をしよう

    ●ひとつひとつ違うもの
    「この子がボクのたからもの」
     七咲・彩香(なないろのこころ・d00248)はぎゅっとうさぎのぬいぐるみを抱きしめる。かつて持ち主に忘れ去られ、少しくたびれた白うさぎ。
    「前は人を襲うわるい子だったのだけど、ボクの大切な友達。この子だって寂しかったの」
    「夢の話なら家で親にでもすれば」
     尚久は顔を上げない。都市伝説にもダークネスにも関わりなく生きてきた少年にとって、ぬいぐるみが人を襲うなんて妄想の類でしかなかった。
     心を閉ざす堅い殻。伝わらない想いに、長い白髪が藍を帯びて左右に揺れる。
     そっと彼女の肩に手を置いて、刻漣・紡(宵虚・d08568)が前に出た。
    「私の、大事にしてる物は両親から貰ったリボン」
     ロンググローブに包まれた手を胸に当てる。下げられた十字架を結ぶリボンはなじんだ手触り。
     歳を重ねるたびに1本ずつ増えたリボンは、生まれたことを、生きていることを祝福された証。
    「最初に貰った物は、もうボロボロ。他の人から見たら、唯の布切れかも。でも、私にとっては宝物」
     膝を抱えた少年の肩がぴくりと動いた。
     彼の心は悲嘆の中で闇とせめぎ合っている。
     ならば想いつなげと紡は目をたわめた。
    「リボンを眺めると、昔の優しい時間に、戻れるの。だから、いつも一緒なの」
    「そうだよ。尚久さんの時計と同じ。わたしもフランチェスカが大好きだから、いつも一緒だもん!」
     愛用のマテリアルロッドをぎゅっと握って少女は胸を張る。
    「俺は自分の家が一番大切かな」
     頼りなく視線を揺らす尚久を前にして、置碁・春実(優游涵泳・d12043)が一歩前に出た。
    「家には皆で暮らした思い出があるし、傷みとか独特の匂いとかも愛着があって、全部ひっくるめて好きなんだ。……それに何かあったとき皆が揃うのもあの家だと思うから」
     暮らしと共にあった場所だから、ことさら思い描くまでもなく色も匂いも鮮明に胸の中にある。食卓では誰がどこに座るかとか、たくさんの何でもない光景を連れてきて。
     自然と浮かぶ表情のまま語られる春実の言葉が、膝を抱える少年の手を震えさせた。
    「大事に使ったり、手入れしたりするのも楽しいけど、人に思い出を話したり、どこが気に入ってるとか話すのも楽しいよな。話すうちに忘れかけたことを思い出したりなんかもしてさ」
    「でも皆は大事な物なんて……」
    「私にも大切な物はあるさ」
     ヘカテーが古い地図帳を広げる。
    「自分の出身なのか知りたくて、幼い時に紙に穴が開くほど見つづけたものだ」
     金の瞳が今も残っているのかわからない地名を辿る。
     出自の手掛かりにはならなかったが、今でも時折眺めている。
    「今まで私を助けてくれた人、そして両親のことを思い出すからだ。この思い出が私の支えなんだ」
     大切な物。まつわる思い出。
     それを持っているのは決して一人ではないのだと。
     灼滅者達は尚久の心覆う殻をノックする。
     橘・彩希(殲鈴・d01890)の左手で黒い刃がきらめいた。
    「小学校に上がるより前に、祖母から貰ったこのナイフ」
     本当は指に輝くピンクゴールドのペアリングも大切な物だけれど。少年の想いに寄り添うならば、きっとこちらに抱く想いの方が近い。
    「物騒だね」
     研ぎ澄まされた長刃は殺意を乗せるにふさわしい。手向けを予感させる銘は美しいがゆえに残酷だ。
     探るような目つきを向けられたところで、楚々とした笑みは揺らがない。海色の瞳にどこかうっとりとした光さえ浮かべて、彩希はナイフの腹に指を滑らせた。
    「それでもこの刃は私にとって替えの効かない、大切な物なのよ。貴方と同じ」
     祖母からの期待。応えたいという想い。そういうものが詰まっているから。
     他人がどう思おうと関係ない。
     尚久は、そう断じることが出来なかった。肩が震える。
     真心がベルトに下げたカメラを持ち上げた。マゼンタのボディはところどころ傷ついていて、指先に凹凸を伝える。
    「これ二眼レフカメラっていうんだけど、初めて友達に見せた時はいまどきフィルムカメラ? って笑われたよ」
     贈ってくれた恩人や、その人の撮った写真までもけなされた気がして、悔しかった。喧嘩にもなった。結果、レンズにも傷をつけて。
    「そんな奴……許せないだろ」
     尚久が呟く。右手はきつく握りしめたまま、いつの間にか顔を上げて。
    「でも……大切な人からもらった大事な物なんだって話したら分かってもらえたよ」
    「なんで、だって傷つくはめになったのに」
     わかってもらう? そんな酷いことをした人間に?
     尚久の眉間にしわがより、眦はつりあがる。拳を震わせる感情はいかなるものか。
    「大事なものなら何言われても気にしちゃ駄目。そしてなんで大事なのかをちゃんと伝えないと」
     七咲がうさぎのぬいぐるみを抱きしめる。
    「分かりあえないかもしれん。『大事』の形は人それぞれだからな。けど」
     雷歌は掌に銀の懐中時計を乗せて奥歯を噛みしめる。
    「『大事』の気持ちはみんな同じだ」
    「そんなわけ……っ」
     尚久に見えるように差しだした懐中時計は傷だらけ。家に代々受け継がれてきた、最後の誕生日プレゼント。
    「形見なんだよ、死んじまったオヤジのな。オンボロでもこれにはオヤジの……いや、その前から受け継がれた思い出が詰まってんだ」
     お前の時計もそうだろう?
     正面から見つめれば、尚久はぐっと息を詰まらせた。
    「誰でも、思いの詰まったもんを持ってる。人のその気持ちまで否定しちまったら……大事なもんをお前に託した爺さんだって悲しいんじゃないか?」
    「っ、じいちゃん……は……」
     誰も大切な物を持っていない。なら、腕時計を譲ってくれた祖父は?
     ひび割れが大きくなる。声が震える。
     握りしめた腕時計は時を刻まない。ガラクタと呼ばれかねないそれは、もう誰の目にもさらすものかと思っていたけれど。
     目の前に現れた彼らは、誇らしげで、愛おしげで。

     この人たちはわかってくれる? 馬鹿にしてきた奴らとは違う?
     でもじゃあなんでこの人たちはあいつらを許せないって言わないの。あんな奴らが同じ気持ちを持っているだなんて、そんなわけ。

     尚久の揺れる瞳を受け止めて、紡と彩希が微笑んだ。
    「尚久君の、螺子巻き時計も大事な時間いっぱい刻んだ筈。それは、お爺さんの、時間や想いも継いでる筈」
    「そういった人の想いも詰まっているから、貴方は否定されて哀しかったのではないのかしら?」
    「う、あ、ああああああああぁっ!!」
     首を左右に振って、尚久が叫ぶ。
     悲鳴はせめぎ合う心のきしむ音か、あるいは砕けそうな殻を再び閉ざそうとするダークネスの咆哮か。
    「なおひさくんを屍王にはさせません」
     バトルオーラにやわらかな髪を波打たせ、ミスリルは苦しげな少年を見据えた。

    ●蓋を開けよう
     尚久の体から溢れるサイキックエナジーが肌に刺さる。
    「同じなら、あんなふうに馬鹿にするわけないだろ! 許せないだろ!?」
     泣きだしそうに歪んだ表情。掲げた左手に収束する闇を見て、灼滅者達もまた力を解き放った。
    「不要な死をわずかでも減らすために」
    「スレイヤーモードおーん!」
     ヘカテーは地図帳に挟んでいたスレイヤーカードを取り出し、七咲の後ろには霊犬、シルキーが現れる。
     身構えた直後、長針と短針を重ねた形の十字架が暗い光を爆発させた。
    「オヤジ!」
     一歩前に踏み込みながら雷歌が叫ぶ。身の丈ほどある無敵斬艦刀の腹で光を防ぐ傍らにビハインド、紫電が立ち並ぶ。
     七咲の前に出た春実もまた、腰を落として十字架から放たれる攻撃に耐える。ちらりと後ろへ走らせる視線。
    「ケガはないですか!?」
    「大丈夫だの。シルキーは回復お願いするの」
     頼もしい鳴き声を背に聞いて、七咲はグレネードショットを振りぬく。唸りを上げたハンマー。空薬莢が床に跳ねる。
    「つっ」
     入れ替わるように前に出たヘカテーがバイオレンスギターの弦を弾いた。耳をつんざく音に尚久の顔が歪む。
     ミスリルは真心に光輪の盾を飛ばしつつ、尚久から目を離さない。闇堕ちしかかっている少年の力は個々に比べるならば自分達より強いだろう。けれど、彼の心は乱れている。人であろうとあがいている。脅威と断ずる程の力は発揮できていない。
    「まだボク、半人前でよわっちいですが、おっかなびっくり今此処に立っているのは皆のこころを裏切りたくないからです」
     だから、なおひさくんも。
     淡い表情の奥に決意を覗かせ、ミスリルはオーラを立ち上らせた。
     胸にスートを浮かべた彩希が軽やかな足取りで回り込む。すかさず風を切る左手。不調のある場所を見定めた花逝が虚空に紅の道をつけた。
    「貴方にとっての真実を忘れないで」
     左右の手に別のものを掴み、薄く笑う。今は闇への道を断つ花として。
     腕時計を握りこんだ右手に攻撃を当てぬよう、雷歌は無敵斬艦刀、富嶽を上段から振り下ろした。間をおかずに別の角度から走る紫電の刃。
     肩から胴にかけて深々と走る赤に尚久がたたらを踏んだ。肩口に光を当てるが傷をふさぐ光は弱々しい。
    「つっ、あんたたちにも大切な物があるって言うなら、わかるだろ?」
    「悲しかったのはわかるよ。でも、それで喧嘩したままひとりぼっちになっちゃうのは寂しいもん!」
     フランチェスカの尖端が尚久に突きつけられる。放たれた雷を左腕で受けた彼は、焦げた袖も気にせず暗い光を乱舞させる。
     桜色のブレザーを翻し、寛子が声を張り上げた。
    「彩香ちゃんには指一本触れさせないの!」
    「ありがとう。もうちょっと頑張ろう!」
     武器を封じようとする光はミスリルの風が浄化する。衰えぬ勢いで振るわれる灼滅者の攻撃。
    「一緒に皆に話に行こう!」
     狙い定めた真心の両手からオーラが弾丸のように放たれた。
     尚久の肩は大きく上下に揺れている。
     天色のリボンを揺らし、紡は槍を反転させた。
    「自分の時間を、大事な時計を止めないで。確かな時を、一緒に歩む為に、帰ろう」
     なびく栗色の髪。穏やかな光を湛える夕闇の瞳。軽い動作で、石突きが尚久の胸を叩いた。
    「あ、ぁ……」
     ゆっくりと傾ぐ体。ベッドにもたれる形で倒れた少年の表情から、暗い色は消えていた。

    ●宝物の輝き
     何日かぶりに目が覚めたような感覚だった。
    「大丈夫?」
     うさぎのぬいぐるみを抱えた少女がこちらを覗きこんでいた。
     思い出す。自分がふるった力も、彼らが何者なのかもわからないけれど。取り返しのつかないことをせずに済んだのだ。
    「あ、りが、と……?」
     紡の瞳がやわらかな色を浮かべる。
    「時計の修理方法、一緒に考えよう?」
    「そうだな。メンテならともかく、修理となるとどこで頼めるか」
     顎に手を当てるのはヘカテー。2人の言葉に尚久はぽかんと口を開け、ずっと握っていた右の拳を解いた。ねじに指を伸ばしても、何かにひっかかったように動かない。うっすらと視界がにじむ。
    「貴方はきっと、他の誰かのささやかで大切な物や想いにも気づいてあげられる、とっても素敵な人なのね」
     海色の瞳を細める彩希。痛い位に大切な物への想いを噛みしめているなら、今心開いてくれたように、他の誰かにだって。
    「一番大事なのは、"やどったこころ"だと思うんです」
     ミスリルが淡い笑みを浮かべた。
    「なおひさくん。かけがえのない宝物――こころもどうか全部大事にしてください」
    「ん」
     震える声でかろうじてそれだけ返し、尚久は額に腕時計を押し付けた。
     目尻に光るものは見えぬ素振りで、雷歌は視線を壁にそらした。
    「俺達は武蔵坂学園ってとこから来たんだけどな。いろんな奴の宝物の話、聞きたくないか?」
    「……今更だけど、どうしてここに?」
     それは追々説明しよう。これからわかりあう時間は十分にあるのだから。
     正面にしゃがんだ春実がそっと肩を叩いた。
    「……越智の時計のことも、それを持っていたお祖父さんのこともいつか聞かせてほしいな」
    「私も聞きたい」
     真心が笑い、皆が頷く。
    「うん、話せること、たくさんあるよ」
     晴れやかな笑みを浮かべた少年は、大切にすることの意味をもう間違えることはないだろう。かけがえのない想いは、胸の内で時を刻んでいるのだから。

    作者:柚井しい奈 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年6月25日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 8
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ