灯籠流し

    作者:立川司郎

     ぼんやりと川面に、ろうそくの明かりが反射する。
     月明かりの青白さと、蝋燭の鈍く淡い橙が混じり合ってゆらりゆらりと川を流れていく。
     一組の男女が、それをじっと眺めていた。
     二人が川に流した灯籠は、名残惜しそうにいつまでも川をゆらゆらと漂っている。
    「……まだ行かないね」
     男が呟くと、女は黙ってうなずいた。
     しっかりと二人手を繋ぎ、灯籠を見送る。あれから一年だからと男はつぶやき、女はまだ一年と返したけれど。
     それでも二人で灯籠をひとつ流そうと決めた。
    「……あの子、賽の河原で困ってないかしら」
    「お守りを入れておいたよ。きっと大丈夫」
     男が言葉を返した。
     賽の河原で石を積む子は、積んでは鬼に崩され、崩されては積みを繰り返すという。
     心配そうにする女の手を引き、男は立ち上がった。
     これはまた、前に向かって歩き出す為の二人で決めた儀式……だったから。ようやく女が笑みを浮かべる事が出来た、その時男の背後に巨大な影が立った。
     夜空の月を隠すような巨体は、黒くつやつやと不気味に鈍く光っている。腕に金棒のようなものが握られ、その頭に黒い角があるのに気づくとようやく女は悲鳴をあげた。
     ……鬼。
    「な……お、おに?」
     男は驚きつつ、女の手を引こうとする。
     しかし男が一歩二歩、と歩いた所で鬼は金棒を振り上げた。なすすべもなく、男の体は吹き飛んで水中に沈む。
     月光に照らされた水面に、じんわりと染みが広がっていく。
     抵抗する気力を失い座り込んだ女は、呆然と川に視線をやった。……ああ、娘の所に行けるのなら……それもいいかもしれない。
     そう、小さく呟いたのが、最後の言葉であった。
     
     静かに、エクスブレインの相良・隼人は道場の床に小さな灯籠を置いた。
     それは、和紙と和蝋燭で作られた灯籠である。触れると思いの外しゃんとしており、容易に沈みそうに無い。
    「灯籠流しに行かないか?」
     普段は緩やかな渓流である。
     人里の側にあるが、背後は隼人に囲まれていて、普段は子供の遊び場にもなっていた。
    「ここに、鬼が一体出る」
     分かって居るのは地獄絵図に出るような、絵に描いた黒鬼であるという事。3m近い巨体で、棍棒を持っている。
     鬼は突然現れ、河原にいた男女を惨殺する。
    「詳しい事はまだ分かっちゃいないが、ともかくこの鬼を……地獄に叩き返して来てやってくれ」
     鬼は力もスピードもこちらを上回り、棍棒を振り回して主に手近な敵をたたき伏せようとする。
     遠くに居る敵には手が届かないが、その分傍で戦う灼滅者は攻撃に晒されやすい。
    「一体だからといって油断するな。……ああそうだ、被害者の男女は三十代の夫婦でな。ちょうど遭遇する頃にお前達が到着するだろう」
     河原で灯籠流しをしている所に、鬼が林の中から現れるという。間に割って阻止しなければ、彼らは鬼に殺されてしまうだろう。
    「この人達を無事保護しつつ、鬼を倒す。……お前達が逆に地獄に引きずり込まれる事のないようにな、気をつけていけ」
     皆を叱咤激励すると、隼人は灯籠を手渡した。


    参加者
    月翅・朔耶(天狼の黒魔女・d00470)
    墨沢・由希奈(墨染直路・d01252)
    月見里・都々(どんどん・d01729)
    鮎宮・夜鈴(宵街のお転婆小町・d04235)
    埜口・シン(夕燼・d07230)
    三味線屋・弦路(あゝ川の流れのように・d12834)
    木元・明莉(楽天陽和・d14267)

    ■リプレイ

     月明かりが瞬く河の傍に、あかりが一つ揺れていた。
     そっと河の傍にしゃがみ込んだ夫妻の手の中に、それは大切そうに抱えられていた。灯りを目印に、八名は疾駆する。
     鈍く頼りなげだが、確かなあかり。
     その気配を察したのか、月見里・都々(どんどん・d01729)が指を差した。今まさに灯籠を長そうとしている夫婦の向こうに、黒い影が堕ちたのを見たのである。
    「まだ気がついてないよ、急いで!」
     やや後ろを走っていた都々は、先頭を走る木元・明莉(楽天陽和・d14267)とマーテルーニェ・ミリアンジェ(散矢・d00577)に伝えた。
     先に到着するのは明莉とマーテルーニェ、沮止をするなら二人……都々の考えは、二人にも分かって居た。
     悲鳴が一つ聞こえたのは、そこに在る鬼の影が二人の傍に落ちた時であった。スピードを上げて、夜闇を風が二つ飛び出していく。
     巨大な縛霊手をもたげて鬼の棍棒を受け止めたマーテルーニェと、次の攻撃に備えて横に立ったビハインドの暗であった。
     夫妻への攻撃は出来る限り沮止する事、との指示を既に明莉から受けている。がっちりとマーテルーニェの腕が受け止めた鬼の攻撃が再び開始されぬうち、明莉は斬鑑刀を振り上げた。
     巨体に唸りを上げて、刀が食い込む。
    「ガアアアアッ!」
     鬼の咆哮が響き、明莉へと目を向けた。
     力任せに、豪腕から棍棒が振り下ろされる。そのパワーで繰り出される力は、マーテルーニェだけでは沮止する事が難しい。
     棍棒を受けて地面に叩きつけられたマーテルーニェの前に、埜口・シン(夕燼・d07230)が立った。
     月夜の影を落とす、巨大な鬼。
     その周囲をシン、マーテルーニェ、暗、そして月翅・朔耶(天狼の黒魔女・d00470)の傍を離れて飛び出した霊犬のリキが四方からがっちりと囲んだ。
     ゆらりと立ち上がったマーテルーニェが、静かに双眸を鬼へと向ける。
    「ここで排除させて頂きますわね」
     闇は闇へ。
     マーテルーニェは、凜とした声を鬼へと放った。
     斬鑑刀を握った明莉が、ちらりと後ろを振り返る。あの子の灯籠は、壊れてしまっていないだろうか? 夫人の手の中に蝋燭の明かりを確認すると、明莉は安堵の息を漏らしたのであった。

     全員が到着して戦いが激しくなる頃には、夫妻は鮎宮・夜鈴(宵街のお転婆小町・d04235)の巻き起こした風により、眠って傍に横たわっていた。棍棒を振り回す事しか知らぬ鬼は、ここまで手が届かない。
     四方を固めた上、明莉や三味線屋・弦路(あゝ川の流れのように・d12834)といった面々が守る壁は容易に突破出来まい。
    「鮎宮、少し後ろに下げた方がいい。後衛の足の届かない所まで、下がれ」
     弦路が、鬼の足取りを糸で絡めながら夜鈴に言う。墨沢・由希奈(墨染直路・d01252)は弦路と夜鈴が動きやすいよう、サイキックソードの光を爆発させて鬼に目くらましを計った。
     強烈な光が夜闇にほとばしり、鬼の目に焼き付く。しかし鬼の攻撃は止む事がなく、由希奈の前にいた暗が上から強烈な一撃を喰らった。
     力任せの鬼の足止めをするには、相手の弱い攻撃方法をとらねば。由希奈が暗を支えて起こすと、明莉はちらりと振り返った。
    「暗はまだ大丈夫、それよりリキの方が多分キツイよ」
     軽やかな明莉の口調は、暗の力を理解しているからだろうか。その言葉を信じ、由希奈はリキの方を見やった。
    「分かったわ、少しでも攻撃が来ないようにしてみるから」
     攻撃に晒される仲間の様子を見ながら、由希奈は鬼へもう一度剣を掲げた。
     今度はそれを爆発させず、光の刃を放出させる。闇を切る一陣の風は、仲間の間をすりぬけるようにして鬼の体を切り裂いた。
     ……今度は効いた。
     ほっとしつつ、由希奈は後ろを振り返る。
     妻の方は夜鈴が抱え、夫の腕を弦路が抱えて後ろに下がっていく。目が覚めないだろうかと夜鈴は顔をのぞき込み、目を細めた。
     傍らに立ち、夜鈴は腕を巨大に異形化させた。
     その大きな腕で、鬼に殴りかからんと駆け出す。勢いをつけた夜鈴は、しっかりと鬼を睨み付けて拳を握りしめる。
     迅速に、そして勢いは火の如く。
    「鬼の所業に天罰覿面。天国のお子様に代わり、鮎宮夜鈴……いえ、我ら十名ただいま参上ーっ……なのですわ!」
     力任せの豪腕が繰り出す攻撃は、その性質が羅刹のものである証であった。
     鬼を倒すは、鬼の力。
     しかし鬼を殴り飛ばした夜鈴は、その腕に器用に糸を使い鬼の体を切り裂いていく。攻撃あるのみ、の夜鈴の行動にシンは思わず高笑いをした。
    「その粋だ。地獄から這い出た鬼なんか、私達の敵じゃないよ!」
     夜鈴をフォローするように、鬼の攻撃の盾になり続けるシンは影を這わせる。幾つもの糸と影と武器とが交差し、シンは夜鈴たち攻撃班をフォローすべく影で鬼の体を縛った。
     彼女の影を、弦路の糸が支える。
     糸と影とが、闇に降りた蜘蛛の糸のように鈍く光った。鬼はその拘束を解こうともがき、棍棒を振り回した。
     影と糸とを振り払い、鬼の棍棒が周囲にいた弦路達を吹き飛ばす。鬼の腕に食いつこうと飛びかかったリキは、衝撃で由希奈の前まで吹き飛ばされた。
     鬼の爪で切り裂かれたリキは、力尽きて崩れ落ちる。
     今までリキとともに攻撃に徹していた朔耶は、その時はじめて表情を変えた。思わず飛びだそうとした朔耶であったが、マーテルーニェがその前方を阻んだ。
    「リキはいずれ復帰しますけれど、その時鬼が倒されていなければ今までの奮闘も水の泡ですわよ」
     すうっと沮止した腕を降ろし、マーテルーニェは祭霊光を明莉に掛けた。よく耐えているが、明莉と暗もあまり長くは保つまい。
     足止めをするより、攻撃で一気に削らねば。
    「長期戦は不利ですわ、力尽くでも地面に這いつくばらせなければこちらが押し負けますわよ」
    「攻撃って事だね!」
     都々の声が軽やかに響き、マーテルーニェの前に盾を作り出した。マーテルーニェそして次は明莉へと盾を作り出す。
    「皆にも二人にも近づけさせないよ! 大丈夫、最後に一発ドカーンと撃っちゃうからね。……それまでは私が支えるよ?」
     くすりと笑い、都々がぐっと拳を握る。
     そう、とマーテルーニェは短く答え、縛霊手をゆっくりと動かした。タイミングを合わせるように、呼吸をする。
     後方から放たれた由希奈の光刃が鬼を切り裂くと、マーテルーニェも攻撃に乗り出した。叩き込まれる光刃は、光を迸り闇を照らす。
     鬼の拳がマーテルーニェの横っ面を叩くが、彼女はビクともしなかった。
     ただ、仲間を支えその場を動かない。
     ただ、攻撃を繰り出す。
    「攻撃からは守ります、だから反撃は確実に当ててくださいませ」
    「信用してるよ、マーテルーニェ」
     シンはすうっと笑いと、影で横凪ぎに斬り払った。
     踏み込みつつ、更に影で斬り払う。断末魔のように鬼の声が響き、傷が塞がっていく。しかしそれよりも、シンの刃や由希奈の光刃といった攻撃のダメージが多い。
     ぐらりと鬼の体がかしぐのを見ると、都々はようやくバスターライフルを肩に担いだ。
    「それじゃあ最後に、ずがーんとね!」
     闇に放たれた一撃は、轟音とともに鬼の体を消し去った。

     柔らかな風が、吹き抜けた。
     その風を頬に感じ、夫人が目をそっと開いていく。周囲の声は、子供のようであったが……と見まわすと、声の主がようやく視界に入ってきた。
     一人は、そっと笑顔で様子を聞いて来た夜鈴。
     もう一人、朔耶はじっとこちらを見下ろしていた。何か言いたげな朔耶の様子が気になったのか、夫人が見返す。
     朔耶は視線に耐えかねたように身を引くと、そっと声をかけた。
    「怪我は……ないか?」
    「怪我? ええ……そうね」
     曖昧に答えつつ、夫人は体を起こした。
     たしか鬼を見た気がしたが、そんな形跡も無く彼女たちもそんな様子がなかった。それではあれは、一体何だったのか。
     その事について、夜鈴は何も言わなかった。
     由希奈が笑顔で、夫人の手を引く。どうやら一足先に夫は目覚め、灯籠流しについて明莉たちと話しているようだった。
    「灯籠……!」
     はっとして、夫人が立ち上がる。
     灯籠は、弦路の手にぽんと乗っていた。少し崩れていたが、どうやら弦路が直してくれたようだ。今度は手放さぬように、と念を押して弦路が手渡す。
    「失礼だと思ったけど、話を聞いてしまった」
     朔耶が言うと、弦路が少し向こうの道路を指した。
    「偶々通りがかった所、貴方方が倒れそうになっているのが見えた。気分は良くなったようだな」
     こんな時間帯、河原に倒れ込む夫婦を見ては放ってはおけない。その上、賽の河原など聞いては無視も出来ないだろう。
     こうして関わったのも縁である、と弦路は話す。
     さわさわと河原で水の流れを見ていた都々が、ちらりと振り返り声を返した。
    「賽の河原はね、鬼が石積みをジャマするんだって聞いたよ。……でもね、親が恋しいと石積みはもっと終わらなくなるんだって」
     振り返った都々の手には、もう一つ灯籠があった。
     花で作った彼女の灯籠は、中にイチョウが入っている。鎮魂の花言葉を込めた、その花が彼女の子の所へ届くように。
     河原にしゃがみ込んだ都々の傍に、朔耶が寄る。その二つの灯籠を、どうやら見守りたいらしい。少し離れた所で三味線を弾いている弦路の音が心地よく、夜風に混じり耳を撫でる。
     そっと、都々は自分の灯籠へヒャクニチソウを紛れ込ませた。
    「それは……」
     聞きかけて、朔耶は首を振った。
     朔耶が何も言わなかったように、都々も何も言おうとしない。都々はそこで誰かを見ていたのだろうし、朔耶もぎゅっと手を握りしめて考え込んでいた。
     灯籠を流した夫妻の表情は、前より少し穏やかに見える。
    「灯籠には、逝った人の魂も乗っているらしいよ。だから、最後は笑顔で見送れたらいいね」
     泣いた顔を見せたら、前にだって歩き出せないし娘さんだって名残惜しい。明莉は柔らかい声で、夫妻に言った。
     こくりと無言で頷いた夫妻は、お互いに手を握りあい涙を堪える。
     そういえば……。
     と、朔耶がぽつりとある話をしはじめた。
    「地蔵菩薩は、親より先に死んだ子供達を賽の河原で助けてくれのだと聞いた。お地蔵様をお参りして、守ってくれるように祈るといい」
    「じゃあ、灯籠を見送ったら皆で行ってみる?」
     由希奈がふわりと笑顔を浮かべ、皆に聞いた。この近くに地蔵菩薩像があるのを、由希奈はちゃんと調べていたのである。
     灯籠を流して見送り、それで二人が前に進めるならばと由希奈は朔耶と提案すると、夫婦も是非にと答えてくれた。
     流れていく灯籠を見る仲間は、それぞれ思う所があるのか様々な表情を浮かべていた。だが半身背を向けたまま、マーテルーニェは口を閉ざして見送る。
     流れゆくのは彼女のあずかり知らぬ所で儚く消えた命であり、自分とは縁もゆかりも無いはずである。だから、何も言いはしない。
     ……言いはしないが。
    「さあ、地蔵参りに行くんでしょう? 早くしないと夜が明けてしまいますわよ」
     いつまでも名残惜しそうにしていた夫妻と朔耶に、声を掛けた。二つの灯籠は、今度は順調に川を下っていく。
     名残惜しいのは、こちらの方か。
     いつまでも見守る仲間のうちに、口を閉ざしたままじっと見送るシンの姿を見て、その肩にそっと手をやる。
    「ああ……分かってる。ただ、見ていたんだ」
     伏せ目がちで灯籠を見送っていたシンは、振り切るように首を振った。
     脳裏に浮かぶ光景を、シンは忘れられるはずがない。忘れた方がいいのか、それとも別の結果を心がはじき出す事があるのか。
     すっくと立ち上がり、シンも歩き出す。
     のんびりと明莉は夫妻と話しながら歩いており、由希奈は地蔵尊について夫人と話していた。
     案内をしてくれている由希奈の優しさが、伝わる。
     都々と朔耶は一度だけ振り返ったが、二人の心にも誰かが居たのだろうか? シンのように、声が心に聞こえたのだろうか。
     弦路がゆるりと歩き出すと、最後に夜鈴が手招きをした。
    「ああ、今行くよ」
     ただ、見ていたのだ。
     闇に燈る星のような、二つの灯籠を。

    作者:立川司郎 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年6月27日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 6/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ