射殺す豪弓

    作者:波多野志郎

    「はぁ……」
     男は疲れた体を引きずり、帰路についていた。
     時刻は深夜を回っている。終電に飛び乗ってようやく我が家のある団地の目の前までたどりついたのだ。
    「みんな、寝てるだろうなぁ」
     家に帰っても家族はもう寝ているだろう。その事に文句は無い。ただ、愚痴をこぼさずにはいられなかった、それだけだ。
     だからこそ、近道をしたくなったのも人の情だ。そこは街灯が壊れたまま直されてもいない、人通りのまったくない道だ。むしろ、地元の人間でもよほど急がなければ使わない――はずなのに、今日は多くの先客がいた。
    「……え?」
     疲労に鈍った男は、それが何なのか一瞬理解できなかった。
     アスファルトの壁が、濡れていた。そして、いくつもの影がそこに貫かれ差し止められていたのだ。
     その影が――ニンゲンなのだ、と男が気付いたその時だ。
     ヒュガ! と男が壁に叩きつけられた。もはや反応にすぎない、男の視線が上を向く。
     使われていない団地の屋上――そこに『鬼』がいた。浅黒い筋肉の鎧に身を包んだ巨漢。汚れた腰布。額に伸びる一本の角。その『鬼』の手には人の身の丈よりも大きな弓が握られていた。
     男は絶命するその時まで、その意味に気付かなかった。壁を濡らしていたのはおびただしい血であり、壁に並んだ影は自分と同じように壁に矢で刺し貫かれたのだと。
    『――――』
     おぞましい地獄絵図を生み出した鬼は、無言で矢をつがえる。いつやってくるかもしれない、新たな獲物を待つ、そのために……。

    「……不意打ちもいいとこっす」
     湾野・翠織(小学生エクスブレイン・dn0039)が呼吸を整えるために一つため息をこぼした。
     今回、翠織が察知したのは鬼による凶行だ。
    「あれっす。団地のあるそこで、あまり使われない道を通る人を矢で射殺す……でも、決して使われない道ではないんすよ……」
     そう、未来予測の通り何人もの一般人が被害にあい、死に至る。決して見逃していい状況ではない。
    「みんなには、鬼が射始める前にこの使われてない団地の屋上で待ち構えて倒して欲しいっす。鬼は夜になってから現われるっす。正確な時間はわからないっすから、準備を整えて待機して欲しいっす」
     敵は一体のみ。ただし、その実力はダークネスに近いものがある。決して単騎だからと言って油断していい相手ではない。
    「特に、その弓を使う戦闘能力は侮れないっす。数の優位を覆される可能性は充分にあるっす。みんなが力を合わせて戦う必要のある強敵っすよ」
     加えて、屋上は決して広くない。明かりに乏しいために光源も必須となるだろう。鬼は遠距離近距離問わず高い攻撃力を誇っている。その強敵との真っ向勝負が求められるという事を忘れてはいけない。
    「今なら、犠牲は出さずにすむっす。あんな悲惨な光景、現実のものにしちゃ駄目っすよ。厳しい戦いになるっすけど、お願いするっす」
     翠織はそう厳しい表情で締めくくり、灼滅者達を見送った。


    参加者
    古室・智以子(中学生殺人鬼・d01029)
    王子・三ヅ星(星の王子サマ・d02644)
    譲原・琉珂(高校生ダンピール・d07746)
    関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)
    伊織・順花(追憶の吸血姫・d14310)
    フィア・レン(殲滅兵器の人形・d16847)
    九重・玉藻(春眠から醒めた狐・d18284)
    水守・渚(水天・d18983)

    ■リプレイ


     ――夜。その廃団地の屋上で、ガリ、と舐めていた棒付きキャンディに歯を立てて譲原・琉珂(高校生ダンピール・d07746)が言い捨てる。
    「鬼退治、って感じだねぇ。これだけだとお伽話みたいな気はするかも」
     放っておくと犠牲者が出るしそんなに軽い話じゃないんだけどね、とそうこぼす琉珂へ古室・智以子(中学生殺人鬼・d01029)が小さく呟いた。
    「なにが目的なのか判らないけど、悪趣味にも程があるの」
     所詮は、無抵抗の者を射殺すだけの外道――そんな輩に負けるつもりは更々無い。智以子にとっては灼滅すべきダークネスに他ならなかった。
     時間が、経過する。鬼がいつ現われるかわからないからこそ、灼滅者達は慎重に身を隠して、その時を待った。
     水守・渚(水天・d18983)は呼吸を沈める。初めての依頼だ、だからこそ気負い過ぎないようにと感覚を研ぎ澄ます。
    (「守ること……癒すことくらいが、僕の取り柄だしね」)
     そう渚が、胸中で呟いた、その時だ。
    「みなさん、あれを!」
     それに気付いた渚の言葉に、仲間達もそちらへ視線を向ける。
     廃団地の周囲に生える木。その一本の上によじのぼる巨大な人影が、木を足場に跳躍――ズン……! と地響きを立てて屋上へと着地したのだ。
    (「あれが羅刹、か……哀れな程に醜いな……」)
     かって羅刹だった自分を良く覚えていない九重・玉藻(春眠から醒めた狐・d18284)は、その姿に軽いショックを受ける。正確には羅刹ではない――しかし、それは見事なまでな鬼だった。
     浅黒い肌。異常に発達した鎧のような筋肉。汚れた腰布。額に伸びる一本角。その背から人の身の丈はあるだろう弓を手にする鬼の姿に、王子・三ヅ星(星の王子サマ・d02644)が小さな笑みを浮かべる。
    「弓使いの宿敵だなんて……。ふふっ。相手にとって不足無し、だな!」
     愛用の武器であるヒコボシ――弓を手に、三ヅ星は言い放った。
    『――――』
     鬼が、隠れていた灼滅者達へと視線を向ける。狭い屋上だ、その気配を隠しきれなかったのだろう。
    「犠牲が出る前に鬼退治しないとな、この世を凄惨な地獄にしてたまるか」
     鬼の視線を真正面から受け止め、関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)は歩み出た。不意を打つ気でいた、しかし、それを許してくれる甘い相手でもないらしい。
    「……鬼……退治。……どうして……出てきたか……わからない。……けど……人を……殺すのは……ダメ。……大人しく……わたしに……殺されろ」
     淡々と機械のように言い捨てるフィア・レン(殲滅兵器の人形・d16847)は、スレイカーカードを手に解除コードを唱えた。
    「Sie sehen mein Traum,Nergal」
    『オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
     その殺気に反応してか、鬼が吼える。殺気混じりの風を巻き起こすその咆哮に、玉藻は言い捨てた。
    「これより暫し、我の眼前に於いて何人たりとも膝を着くは無し!」
     仲間を誰もしなせない、そう宣言する玉藻の決意に微笑し、伊織・順花(追憶の吸血姫・d14310)も静かに告げる。
    「もう、誰も失いたくないんだ」
     ESPサウンドシャッターによって音が外部と遮断される――それは、ここに戦いが始まった証だった。


     灼滅者達が身構える――その瞬間に、鬼は素早く弓を引き絞った。
    (「――速い」)
     同じ弓使いだからこそ、その動きのスムーズさに三ヅ星は気付く。弓の所作は六工程に分けられる。足踏みから始まり胴造り、弓構え、打ち起こし、引き分け、そして狙いをつける会に至るまで。鬼はこの工程をただの一瞬でやってのけたのだ。
     そして、鬼が矢を射放った瞬間、分裂した大量の矢が灼滅者達へと降り注ぐ。
    「……灼滅する」
     その中へ迷わずバトルオーラを開放したフィアが、翼をはためかせ駆け抜けた。そして、鬼の眼前で漆黒の残像を残し死角へ、真紅の刃で鬼の足を切り払う。
    「まずは、その動きから奪わせてもらうよ」
    「――――」
     三ヅ星の言葉に、智以子もうなずいた。二人が同時に突き出した右手をグッと握り締めたその瞬間、鬼を四方八方から影が襲いその身を縛り付ける!
    『オ、オ――ッ!』
     三ヅ星と智以子の影縛りを受けて、構わず鬼が足場を蹴った。影を力づくで引きずりながら走る鬼へ、順花が白狼を振りかぶる。
    「上手くいけばいいほうかね?」
     ダン! と強く踏み込み、白狼を横一閃――月光衝の飛ぶ斬撃を鬼が弓で受け止めた。ドゥ! と衝撃が爆ぜ、踏ん張った鬼の足が足場を削る。
    「お前をこの世に野放しにする訳にはいかない」
     衝撃を掻い潜り、峻が鬼の懐へ。両手に強いオーラをまとわせ、鬼が弓を引き戻すより速く、拳打を繰り出した。
    「――此処は地獄じゃないからな」
     ガガガガガガガガン! と鬼の鋼のような腹筋へ、峻の拳が豪雨のように放たれる。鬼が後方へ跳ぶ。屋上の端を蹴った直後、その巨体が颶風を巻き起こし疾走した。
    「弓兵の癖に、よく動く」
     ガキッ、と棒つきキャンディーを噛み砕き、琉珂は殺気を黒い霧へと変え鬼へと放つ。琉珂の鏖殺領域をものともせず駆け込んでくる鬼に、玉藻が言い捨てた。
    「させぬ、そう言ったぞ?」
    「こっちは任せろ」
     玉藻と渚が、清めの風を吹かせる。その優しい風が前衛の傷を癒していく――だが、殺気を内側から吹き飛ばし鬼は渦巻く暴風を放った。
    「この程度で、ボクをどうこうできるとでも?」
     その風を受けてなお、三ヅ星の笑みは崩れない。決して軽い傷ではない、しかし、仲間に不安を抱かせたくない、その三ヅ星の想いを砕くには至らなかった。
     だが、もしもその暴力がただの一般人に振るわれてたのなら? ――未来予測にあった地獄が生まれるのだ、その事を順花はより深く理解した。
    「お前に人の命を奪わせはしない!」
     順花のその言葉は、その場にいる全員の総意だ。それを受けて、鬼は咆哮した。
    『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
     互いの存在を否定しあう意志が、戦場で激しく激突する。それは、そのまま戦いの激しさに比例した。
    「紅くはない、か」
     無意識に、頭上の月の色を確かめて峻が足場を蹴る。三日月へと届けと言わんばかりにマテリアルロッドを掲げ、峻は言い放った。
    「ご自慢の遠方から一方的に狙い撃つ手は俺達には通用しないぞ!」
     そのフォースブレイクの一撃が、衝撃音を戦場へと轟かせた。


     ギィン! と戦場に火花が飛び散る。
     弓を刃のように振るう鬼と月華の銀色の刃を操る琉珂が、足を止めて己の武器を振るい合っていたのだ。しかし、一撃一撃の重みは鬼の方が勝る。それでも後退せずに打ち合えたのは、琉珂の技量と意地だ。
    「オ――ッ!」
     刃を跳ね上げ弓を弾き、琉珂はその流れで月華を上段に構えた。打ち合っていた鬼が、そこで初めて後方へ身を引こうとする――だが、琉珂はそれを許さずに雲耀剣の斬撃を繰り出した。
     袈裟懸けに腹を斬られ、鬼は跳ぶ。ズンッ……! と鬼が、地面を踏みしめた。跳躍からの着地と同時に、鬼は牽制の裏拳を振り返りざまに繰り出す。それを三ヅ星は身軽なステップで掻い潜り、巨大な怪腕となった自身の右拳を突き上げる。
    「……っ、入った?」
     手応えはあった。しかし、その拳から感じた微妙な違和感に三ヅ星は反射的に後退する。半瞬遅れで、弓がそこを轟音と共に薙いでいた。
     鬼は三ヅ星の鬼神変を己の拳で、強引に受け止めていたのだ。その鬼の足元から、ごぶり、と影が溢れ出す――智以子の影喰らいだ。
    「……来るの」
     自身の影の中でなお動く鬼の気配に、智以子が小さく呟く。その呟きと同時、内側から影が砕け散り大量の矢が灼滅者達を襲った。
    「……それだけ?」
     矢を受けながら、フィアは構わず紅い刃を振り抜く。そして走る月光衝の衝撃を鬼はすかさず構えた矢で迎撃、相殺と同時に爆ぜた衝撃が夜の屋上を揺るがした。
    「そのような姿でも、射る弓筋に此れ程の迷いも無いとは……このような出会いでなければ従者として仕わしたものを! ……フフッ」
     玉藻は微笑し、清めの風を吹かせる。それを見て、渚は弓を構えて順花へ癒しの矢を射て、回復させた。
    (「この狭い空間で、これだけ暴れまわるのか」)
     屋上の狭さを事前に知っていたからこそ、空間の把握に務めた。そんな渚だからこそ、鬼の強さをより深く理解出来る。弓という武器の特性上、この空間での戦いは鬼にとっては決して好ましいはずはない。だからこそ、鬼の空間の使い方がよくわかった。巨体を活かし暴れ回り、わずかに間合いを空こうと言うのなら、強引にその弓の射撃でねじ伏せる――あまりにも強引な戦法だった。
    「奪わせてもらうぜ」
     その間合いを許さない、と言うように駆け寄った順花は緋色のオーラをまとう白狼を薙ぎ払い、鬼の脇腹を斬り裂く。そして、峻もそこへ続いた。
    「強い敵ほど戦い甲斐があるってもんだ」
     ヴン! とチェーンソー剣が唸りを上げる。その騒音の刃を峻は力強く、渾身の力で振り下ろした。
    「だが、必ず俺達が勝つ!」
     ――灼滅者達と鬼の戦いは、互いに譲らぬ接戦となっていた。
     八人の灼滅者を相手に、鬼は思う様に荒れ狂った。単騎でなお灼滅者達を追い詰める攻撃力は、確かにダークネスにも匹敵しただろう。だが、玉藻と渚の回復に支えられた灼滅者達は、その攻撃を耐え切る。
     耐え切ったのだ、だからこそ、その攻防の一瞬が一気に戦況を動かした。
    『ガ、アアアアアアアアアッ!』
     鬼が射た一矢が、狭い屋上を走る。その狙いは三ヅ星だ。
    「キミも弓が得意のようだ、ボクと一緒だね。でも――」
     眼鏡を上げ、真剣な眼差しで三ヅ星はヒコボシを構える。弱さがコンプレックスの三ヅ星にとって弓は唯一、自信の持てるもの――だからこそ、弓で敗北する気は一切無かった。
     鬼の矢が眼前に迫る。瞬きも許されないその刹那を、三ヅ星は見逃さなかった。
     ガッ! と零距離で鬼の矢と三ヅ星の矢が激突する。射落とす必要は無い、その精緻な狙いは鬼の矢の軌道を横へと逸らし、三ヅ星自身の矢は弓を構えたままの鬼の肩に突き刺さった。
    「……畳み掛ける」
     そこへフィアが間合いを詰める。紅と漆黒が混ざり合ったその刃を、フィアは横回転する遠心力を利用して、鬼の胴を薙ぎ払った。
    『ガ、ハ――ッ』
     鬼が後方へ跳ぶ。それを見て、玉藻はそのたおやかな手を鬼へと向けた。
    「あー……言葉が伝わるものか分からんが……お前の狙う『ソレ』は的じゃないし、団地は射場でもない。そして何より……『ココ』はお前のいる場所ではない……!」
     ドン! と放たれたオーラの砲弾は胸元に直撃、鬼が大きくのけぞる。鬼が体勢を立て直そうとしたその瞬間、鬼の左腕に蛇腹の刃が巻き付く――琉珂だ。
    「その腕、もらうよ!」
     ジャラン! と琉珂がウロボロスブレイドを引く。ザザザン! と切り裂かれる鬼の左腕、それでも鬼は弓をしっかりと握って離さない。
    「――ッ」
     そこへ、真正面から智以子が跳びこみ、その鍛え上げた小さな拳を鬼へと叩き込んだ。踏ん張った鬼の足が、足場から無理矢理引き離される。智以子の鋼鉄拳に床を転がった鬼は、自分へと迫る足に気付き、転がりながら牽制の矢を放った。
     その矢を、渚は駆け抜けながら跳躍。自身の弓を引き絞る。
    「そこだ……っ!」
     ヒュオッ! と尾を引く渚の一矢が、鬼を射抜いた。かろうじて屋上の縁で止まった鬼はすかさず立ち上がる。
    「この世界にお前の居場所は無い、大人しく地獄に還りな」
     その鬼の胸へ、緋色の輝きをまとうチェーンソー剣を突き立て、峻は言い捨てる。チェーンソーの騒音に峻の言葉はかき消される――そこへ、順花が頭上から舞い降りた。
    「叩っ斬る!」
     豪快に振り下ろされた黒い刃が、鬼を切り捨てる。ズン……、と大の字に倒れてかき消えていく鬼に、順花は言い捨てた。
    「さよなら……悪く思うなよ」


    「何も無さそうだな……」
     戦いの疲労が残る体で周囲を探索するが、鬼が発生した理由は見つからなかった。それでも、峻の表情には安堵の色がある。
    「でも、惨劇を未然に防げて何よりだ」
    「ああ、まったくだ」
     新しい棒つきキャンディーを口に放り込み、琉珂もようやく笑みをこぼした。少なくとも、ここで生まれるはずだったあの地獄のような光景はもう起きない、それだけでも大きな戦果だった。
    「拳だけでも強いのに」
     あの弓を使う鬼の姿を思い出し、三ヅ星はそう呟く。弓を使う理由があったのだろうか? その疑問の答えは出なかった。
    「それにしても……」
     智以子がこぼす。あの鬼の目的はなんだったのだろう? それを知る術は、いまだ見つかっていない。
    「……帰ろう」
     帰りを恋人が待っているフィアが、そうぽつりと呟いた。それに、仲間達もうなずき歩き出す。鬼についての答えはまだ出ていない。それでも、誰かの命を救う事が出来た、その事実こそ重要だ。
     誰もが、帰るべき場所へと歩き続ける。それを邪魔する者は、もうここにはいない……。

    作者:波多野志郎 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年7月4日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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