鬼鳴きの家

     摺り硝子をはめ込んだ玄関戸を開け放せば、甘く濡れた花の香りと冷えた空気が通り抜ける。視界を白く乱す程ざあざあと降り続く夕立は、一向に止む気配が無かった。
    「まだかなぁ……」
     急に降ってきた弱い雨はあっという間に雨足を強め今に至る。雨が降るなんて思っておらず、嗅ぎ慣れた甘い香りに誘われるようにしてやって来た家は数年前から人が住まなくなった広めの日本家屋。久しぶりに再会した知人と共に歩く見慣れた景色。それがいつもと違って見えたのは彼が自分に告げた言葉のせいであろう。答えを返す前に夕立に襲われて、この家に来てしまったのは予想外であったけれど。しかし、玄関先に咲く花がまるで今の自分を表している事を思い出せば、この偶然がとても嬉しかった。
     遠くでごろごろと雷の鳴る音が聞こえる。
     幾らか前にこの家の奥から聞こえてきた大きな音。ちょっと見てくる、と彼は言い残して家の奥へと姿を消してから、まだ帰ってきていない。聞こえてくるのは雨音と小さな雷鳴ばかり。奥から彼の、何かの気配がする様子はない。
     だから、少し心配になったのだ。
     奥から何も音がしない事に、彼が帰ってこない事に。
     そっと玄関を上がって、廊下を歩く。雨と土、そして所々に落ちている白い花の香りが混ざり合っているのか、不快な匂いが漂っていた。歩くたびに軋む木の廊下。閉められた襖の並ぶ廊下の向こう側に一つだけ、閉められていない入口を見つけた。
     この奥へ行ったのだろうか。
    「おーい……」
     薄暗く物の輪郭もはっきりとしないけれど、その部屋には箪笥や前の持ち主の物であろう物が見える。それがどこか気味が悪い。雨漏りでもしているのか雫が跳ねる幾つもの音がその気持ちを増やしていく。
     意を決し、一歩。踏み出して彼を探す。本当にこの部屋のどこかにいるのであろうか。
    「……わっ」
     ぽつりと高い天井から漏れ出た雫が頬を掠めたのと同時に、下ろしかけの足がぬるい水面を踏む。雨漏りをしている所を通ったのか、それを確認するように視線は自然と天井の方に向けた。こちらをじぃっと見つめる眼。揺れる金の腕輪の先、大きな手から溢れ垂れていた律動する赤。その色を見るよりも早く、全て感覚は消え失せた。
     
    「雨の日に鬼を倒してきてほしいんだ」
     身の丈八尺、逞しく頑丈な黒い躰。怒りの表情を浮かべ、唯一身に纏っているのは腰に巻いている布のみ。須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)が黒板に描いていくのはそんな日本の昔話にでも出てきそうな程、典型的な鬼の姿であった。
    「鬼って言っても、鬼みたいな姿をした眷属だから鬼じゃないんだけどね」
     しかし、この見た目では鬼として形容する他ないであろう。とりあえず鬼って呼ばしてね、と灼滅者達に説明をしながらまりんは言葉を続けていく。
    「鬼が出てくるのは、この村にある廃屋だよ。数年前に住んでいた人が引っ越してからは、誰も住んでいないみたいなんだよね。だから、特に何かない限りは誰も来ない場所なんだ」
     民家が飛び飛びにあるような小さな村。そこにひっそりと佇む少し大きめの日本家屋が鬼のいる家である。前の住人が植えたのか、玄関先や裏庭には梔子の花が咲き乱れており、その近くを通るだけでも甘い花の香りを嗅ぐことが出来るであろう。
    「鬼がいるのはこの家の少し奥にある大きな部屋だよ。多分、行ったらどの部屋かはすぐに分かると思うよ」
     幾つもの襖の並ぶ廊下であるが、その中でも一つだけ襖が開かれているところがある。そこに鬼はいる。普段ならば日光で照らされる部屋も、雨の日ならばその光は失われる。その日にしか鬼は出ないのだとまりんは言葉を添えた。
    「みんなが鬼のいる部屋に入っても鬼はすぐに襲ってこないみたいだよ」
     高い天井を持つその部屋の中に鬼はいる。きっと部屋の中に入ればその気配を感じることは出来るであろう。しかし、鬼の姿は無い。天井付近に鬼は潜んでいそうであるが、光を通さない暗さが灼滅者達に鬼がどこに潜んでいるかを教えてくれることは無い。
     鬼はその強靭な体と鋭い爪でもって灼滅者達を攻撃するだろう。どれもこれもが重い攻撃であり、その爪には毒が滲む。そして、この鬼は嗤う。その声は遠くで鳴り響く雷鳴にも似ており、嗤う鬼の意気は上がり傷も癒える事であろう。
     敵は強い。一瞬の油断が命取りになるかもしれない。それに敵は鬼だけではなかった。
    「鬼の他にもね、今まで鬼に襲われた人達が鬼と一緒に行動するみたいなんだ」
     まりんが沈んだ声で口にするのは、鬼の配下であった。灼滅者達がこの家に来るよりも前に鬼に襲われた者達。彼らの体はとうに朽ち果てても良いのに鬼はそれを許さず、変色し腐敗し傷ついた体は未だに鬼と共にある。数は三体。どれもこれもが脆いが、鬼と同様の方法で同時に襲いかかってくるであろう。また、嗤う鬼の恩恵も同様に受けることができると、まりんは言った。
    「今回の敵は強いから、みんな気をつけてね。みんなが帰ってくる事を待っているから」
     不安を押し込めた様な笑みを浮かべながら、まりんは灼滅者達に一礼をした。


    参加者
    来栖・清和(武蔵野のご当地ヒーロー・d00627)
    平田・カヤ(被験体なんばー01・d01504)
    赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)
    貳鬼・宿儺(双貌乃斬鬼・d02246)
    栗原・嘉哉(幻獣は陽炎に還る・d08263)
    高城・璃乃(菫露・d08516)
    天神・ウルル(ヒュポクリシス・d08820)
    神楽・識(欠落者・d17958)

    ■リプレイ

    ●雨降りの家
     降り続く雨は止む気配もなく、灼滅者達をも出迎える。出迎えたのは雨だけでは無い。甘い花の香りも、共に彼らを出迎える。
    「せっかくの良いうちなのに……ううん、こういう古くて良いうちだからこそ鬼にも好かれたのかな。なんて」
     平田・カヤ(被験体なんばー01・d01504)は、重く空を覆う灰色の雲と目の前にある廃屋に目を向けてぽつりと呟いた。カヤの目の前には少々大きな日本家屋。いくつもの時をこの地で過ごした建物。今の主は人ならざるものである。
    「鬼ね……。気を引き締めていかないと」
     羅刹でもなく、鬼の姿をした眷属。しかしその力は強い。気を引き締めるように神楽・識(欠落者・d17958)は自身のビハインド――悲壮に視線を向けて互いに頷きあう。元より人が来なかった場所。更に貳鬼・宿儺(双貌乃斬鬼・d02246)が施した殺界形成により再び灼熱者達がこの地を踏むまでは誰も来る事は無いであろう。宿儺の胸の内には、中に潜む鬼へ馳せる思いは無く、ただ敵を斬る刃となれば、という思いがあるのみ。
    「鬼は外ですよねぇ。とっととぶっ飛ばしてぇ、とっちめるのですぅ」
     天神・ウルル(ヒュポクリシス・d08820)の間延びしたような緩やかな声。住む人がいなくなった家に入ってきた鬼。これが一年の行事であるなら、豆を撒くことで鬼は外に出ていくが今回はそうではない。この状況とこれから繰り広げられるであろう闘争に桃色の瞳は爛々と輝くばかり。そして、彼女の言葉の端々からは余裕にも似たものが滲んでいた。
    「うし。それじゃあ鬼退治とやらに行こうか」
     栗原・嘉哉(幻獣は陽炎に還る・d08263)は逆立った銀髪を揺らし、灼滅者達に呼びかける。向けられたいくつもの視線に笑みを向け、嘉哉は玄関の摺り硝子戸を開いた。
     外に漂う雨と花の香りは玄関より奥には届かない。閉ざされた襖が並ぶ廊下のいたる所には茶色く変色した花が落ちている。
    「僕達を誘っているみたいだ」
     廊下の向こう側まで道標のように花は落ちており、最後の一輪は唯一開かれた襖の前。来栖・清和(武蔵野のご当地ヒーロー・d00627)がそれを見ながらも一歩、また一歩踏み出していく。
     雨音だけが支配していた静寂を破るように、廊下木は軋む音を立てる中、どこか遠くの方でぐずる赤子の小さな声の様な雷鳴が聞こえてきた。
    「それじゃあ、ウルルさん達は少しお待ちやす。すぐに置いて来ますね」
     奥へと入っていくにつれて暗くなっていく室内。開かれた襖の前で高城・璃乃(菫露・d08516)はウルル達に声をかける。
     敷居の向こうに広がるのは廊下よりも更に深い闇。ウルルや清和――後から部屋に入ってくる者達が見送る中、事前に決めていた通りの者達が、闇が広がる部屋の中へと入っていった。

    ●闇に蠢く
     赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)が部屋に入ると漂う匂いに鼻をしかめる。
    「……冗談キツイぜ、まったく」
     雨と土の匂いが漂う室内。そこに混じり潜んでいる鉄にも似た匂いと腐った様な匂いが分かってしまう。腰に吊り下げた小型ライトを揺らしながらも、都布乃は部屋の隅に持ってきていた据置式ライトを設置する。
    「……感知。――頭上より気配有り」
     電燈を床に置きながら宿儺は頭上に広がる闇を見た。
     いる。
     下からでは何がいるか見えない闇の中、ここよりも更に天井に近い場所に、何かが動いているのが。いつ起こるか分からない奇襲に備え宿儺は既に鈍く光る刀を抜刀していた。
     静かに蠢きながらも灼滅者達を見下ろすその気配は、宿儺だけではなく警戒をしていた布都乃も感じた様。じぃっと天井を見つめるも、そこは光の届かない場所。自分たちをねっとりと、見つめるような気配しか感じられない。
     設置されていくライトや電燈を灯せば、ぼんやりとした闇が払われて部屋の中を明るくする。
    「これは……」
     様々な光源に照らされた部屋に入ってきた識は、言葉を詰まらせた。それは他の者たちも同じ事。先に部屋に入っていた者達は、なんとも言えない様な顔で後から来た者達を出迎える。
     部屋に広がっていたのは黒く変色した赤。部屋こそ荒らされておらず、以前の住人が置いていったのであろう家具は何も傷付いていない。ただ、こびりつくように黒く変色したその色が部屋中に飛び散っていた。
    「血です、ね。……それにしても」
     カヤが穏やかな声で、しかし端的に目の前の色の正体を述べればすっと頭上に広がる闇に目を向けた。
    「鬼は来ないようだし見てきましょうか」
     未だ降りてこない鬼。カヤの言葉に、清和、璃乃、ウルルが共に行くと声を上げた。そうして、四人が跳躍の為に膝を曲げれば、思いついたかのように清和が持って来ていたライトを頭上高くに放り投げる。
    「下の明りはもう十分だからね。頑丈な物を持って来て良かったよ」
     清和の投げたライトは鈍い音を立てて天井付近のどこかに着地したらしい。天井の一部が人口光で照らされれば、今までと違い慌てるように木の軋む音が聞こえてきた。
    「さぁ、行きましょうか」
     軋む音が鳴り響くのが止まぬうちにと、璃乃の声と共に跳び上がる四人。高い天井へ、空中でもう一度跳躍をすればゆうに天井に届く程の高さまで跳べる。下よりも濃く広がる闇。しかし清和の投げたライトのおかげかその闇も目を凝らせばぼんやりと見える。
     着地した梁の上で、籠手に包まれた手で握り拳を作りながらウルルは辺りを見渡した。何もいない。
    「おーにさんどーちら!」
     ずるり、と重たい物を引き摺る様な、それでいて濡れているような音。
     鼻につく腐った肉の匂い。
    「そこですね!」
     眩い光を爆発させたウルルの前には生き物としての色を成しておらず、その形でさえも何とか留めていると言っても良い程の腐乱死体。それは同じ様に璃乃、清和の前にも表れていた。そして。
    「まさか一番初めに会えるなんて思ってもいませんでした」
     黒く大きな体はカヤを包む闇よりも尚濃く、牙がのぞく口は愉快げに弧を描く。カヤの方に背を向け小さくしていた身を緩慢な動きで回せば、金色の腕輪がきらりと光る。次の瞬間、鬼の拳が消えており。
     鈍器で殴られるのとは比べ物にならない程、重い拳がカヤの腹にめり込み内臓を圧迫する。口から洩れる音と共に空気までも漏れていて。
     風を、感じた。

    ●雷鳴嗤う
    「何か来るぞ!」
     仲間達が跳んでいった頭上を見つめていた布都乃の声が部屋に響く。布都乃の前に落ちてきたのは腐乱死体が一体。嫌な音と共に布都乃の前に落ちてきた。
    「死人にクチナシってか?胸糞悪ィハナシだ」
     梔子――クチナシ。物言わぬ死体は緩やかな動きで布都乃に寄ってくる。そこに彼らの意思は無く、紡がれるはずであった言葉も伝えたかった思いも、もう伝えることはできない。忌々しそうに言葉を吐き捨てながらも布都乃は片手でガトリングガンを構える。視界の端では識と悲壮の前にも同じように腐乱死体が現れていた。
    「悲壮。いつも通り盾役よろしくお願いするわね」
     今は前に出てしまっているものの、本来であれば後ろにいる識を守るように悲壮はいる。隣にいる悲壮に視線を向けた後、一歩、識は後ろへ下がれば悲壮は霊撃で腐乱死体を攻撃しはじめる。
     そして、まるで地が揺れるような衝撃が二度。
    「平田っ!」
     嘉哉の叫び声。長身は一度地に叩きつけられた後、小さくリバウンドして再び地に落下する。そしてその横にいるのはカヤを追うように降りてきた黒い巨躯。
    「……帰還。――黄泉路を迷う鬼共よ。疾く住処に戻る時也」
     衝撃に間髪いれぬよう、漆黒の着物の袖をはためかせ宿儺が炎を纏う刀を鬼に叩き込む。最も鬼に近く、そして腐乱死体よりも鬼の方が近かった宿儺の刀が纏う炎はそのまま鬼へと燃え移った。それは黒い肌を小さいながらも赤く燃やしていく。
     戦場は刻一刻と目まぐるしく変化している。天井付近に登った者達が下に降りてくる僅かな間にも戦況は変化していた。
    「おらよっ!」
     赤き炎を宿した拳を放てば炎はまるで生きているかの様に奔流となり、鬼や腐乱死体達を飲み込み燃やす。赤い炎に映る黒い影から見えたのはどろりと溶けて小さくなりゆく腐乱死体の姿。炎が姿を消すと同時に、腐乱死体は一つ消えていた。
     勢いよく吐き出されるシャボン玉。それは璃乃のナノナノ――すあまから吐き出されたものであった。シャボン玉がぱちんと弾ける度に腐乱死体の体も少しずつ削り消えていく。蓄積され続けていたダメージは確実にその身を更に脆く蝕んでおり、すあまのシャボン玉があっというまに腐乱死体の身を覆えば、ぱちんぱちんと弾けていく。そうして腐乱死体のいた位置には濡れた跡が残るのみ。
    「私の攻撃を受けるのです!」
     上から降りてきたウルルが打ち出した光の刃。放たれた刃は最後に残った腐乱死体を襲い行く。それは確実に腐乱死体の身を貫いた。まるでバケツに満たした水をひっくり返したように、姿を維持できなくなった腐乱死体。その体は水のように床に広がり再び形を成すことはなかった。
     三体の腐乱死体が消え去ったこの状況、数の上では灼熱者達にとって有利の状況。しかし、鬼にとってはこの状況変化は些細なものでしかない様で。黒い体を回しながら、あたりの状況を見ればその口は楽しそうに歪む。喉の奥からでる声は、まるで遠くで鳴る雷鳴そのもので。低く響く音が部屋の空気を揺らしてく。
    「笑ってられるのも今だけだ」
     鬼をまっすぐに見据えた嘉哉が鬼に近づきながら言い切った。その瞳は闘志で燃えており、新たな攻撃のための構えを作り出す。
    「カヤさん、回復しよか」
    「……大丈夫だ、よ」
     降りてきた璃乃が様子を伺うようにカヤに声をかける。しかし、カヤの胸にトランプに描かれているマークが具現化しているのを見れば、事を把握し璃乃は鬼の方へと向き直る。
    「それやったら、私も攻撃しよか。すあまには回復をお願いするな。さぁさ、鬼さん。私の影と遊びましょう? ……って、なぁ?」
     雨露に濡れる菫の様な瞳を細め璃乃は己の影を鬼へと向かわせる。巨体を覆うように薄く引き伸ばされた影に飲み込まれた鬼。それと同時にまだ回復しきっていないカヤへとすあまはふんわりとしたハートを飛ばす。続くように識が飛ばした小さな光輪達も回復の手助けをする。
    「二次元ロマン! アニメティックキィィィィック!」
     高らかな声はまるでヒーローの登場の様。鬼よりも高い位置から仕掛けられたのは清和の蹴りであった。
    「……くっ!? 固い!」
     清和の蹴りは確実に鬼を捉えていたはずなのに、鬼の体はびくともしない。頑丈で大きな鬼に対して灼滅者たちは未だ有効な一手を加えられていない。
     鬼の死角を狙うように宿儺の刃が鬼を切り裂く。ゆらりと宿儺に向けられた鬼の顔。怒りを宿した目は爛々に目の前にある獲物に輝き、歓びに歪む口元は笑が張り付いていた。

    ●赤に染まる鬼
     雨音ともに時は刻一刻と過ぎていく。
     光の刃にビーム光線。ロケットハンマーからの強力な打撃に続くのは絡みつく影と影の刃。爆炎の力を込めたガトリングガンから吐き出される空薬莢は数え切れないほどとなっていた。
     宿儺が紅蓮に燃える刃で鬼を斬りつければ鬼の体に火が爆ぜる。宿儺の斬撃を追うようにして璃乃の影が鬼を鋭く斬りつければ漸く鬼の体が少し揺れた。
     長く続く戦いは鬼を少しずつ、しかし確実に傷つけていく。だが鬼の方も一筋縄ではいかないらしい。強力すぎる攻撃は盾となるべき者達の体力を一度に多く削り取ってしまう。識とすあま、回復はそれだけでは足りない。傷ついた仲間を癒す者が増えていく中、ウルルのオーラを纏った拳が鬼の体にのめり込む。初めこそこの鬼の強さに疑問を持っていたウルルであるが、長引く戦闘と戦況に焦りの色が滲み、抱いていた感覚のズレを身をもって理解するしかなかった。
    「……これでどうですか!」
     続く連撃の最後の一撃は強力な一撃。ウルルはそれを叩き込めば、鬼の足元はふらついている。きっと、後、少し。ウルルが鬼から距離を取り、息を整えていればしゃらん、と金属の揺れる音。桃色の瞳は見開くことしかできなかった。
     目の前に、今までにない距離で鬼の顔が、そこに。
     燃えるように鋭い痛み。それが、全身を襲う。的確に急所までもを狙う一撃。毒の滲む爪で切り裂かれた勢いで、空中に上げられたウルルの体は床に叩きつけられ、そこから動くことはなかった。
    「悲壮は攻撃を。……癒しを」
     傷つき動かなくなったウルルの姿に衝撃を受けつつも、急いで識が最も傷ついていた布都乃へ光輪を向かわせれば、布都乃の傷は癒えていく。
    「よくも仲間を……。いくぞっ、大いなる台地の力!武蔵野台地セイバー!!」
     清和の怒りを孕む声。清和は高く飛び上がるとサイキックソードで鬼を切り裂いた。
    「それで終わりやあらへんよ。……可哀想に、起こされてしまったんか……。もう、眠ってええんよ」
     璃乃が言葉を紡げば、現れるのは影の刃。清和の斬撃と共に黒い刃が鬼を切り裂けば、先ほどよりも尚、鬼の体はふらついた。そうして鬼は今まで灼滅者たちに見せることのなかった疲労の色を表に出す。鍛え抜かれた超硬度の布都乃の拳が鬼を打ち抜いた。続くのは嘉哉の炎。嘉哉の内に秘め燃え滾ぎるそれが拳に宿り、咆哮にも声と共に嘉哉が燃える炎を鬼に叩き付けた。
     鬼の体がぐらり、と揺れればその黒い巨躯は膝をつく。しかし、鬼もそれだけでは終わらない。もっとも近くにいた嘉哉に爪を伸ばせば、その身を深く抉り行く。
    「……焔太刀。――平坂逝く灯火と成せ」
     宿儺の憤怒の鬼面が、刀に宿る炎で赤く色づいた。
     紅蓮の一太刀。
     それが最後の攻撃。身を焦がす炎と共に消えゆく鬼。
     宿儺の炎が消えた後、灼滅者達に残されたのは、ぱらぱらとまばらな雨音だけであった。

     布都乃がカラカラと軽い音を立て開けた雨戸の向こうには、雨に打たれ瑞々しく輝く深緑色が広がっていた。来る時は降っていた雨は既に止んでおり青い空が広がっている。心地の良い風が、部屋に籠っていた淀みを孕む空気を攫い入れ替えて行く。
    「……この場所も、少しは花言葉らしくなったかね」
     誰かに向けられた訳ではない呟き。布都乃の視線の先にはぽってりとした梔子の花。そっと静かに笑みを向ければ、布都乃は他の者達の元へと向かって行く。
     各々が片づけや手当てをする中、識は庭先から摘んだ梔子の花を供えていた。想い馳せる所は犠牲となり隷属され続けた人々へと。幸を運ぶこの香りが、彼らに届けば良い。
     鬼と雨。それは璃乃にとって特別な物であった。胸に浮かぶ言葉を口にすると、ぽつり。見上げれば空は変わらぬ青天のままである。
    「……お天気雨や」
     陽光に煌きながら、穏やかに優しい雨が降り始めていた。
     

    作者:鳴ヶ屋ヒツジ 重傷:天神・ウルル(天へと手を伸ばす者・d08820) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年7月8日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 2
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