●篠突く雨
大粒の雨が降る。強く激しい雨が降る。
山道を彼女は歩く。雨の日にのみ散策する事は、彼女しか知らない。
ウィザードハットが雨粒を弾く。黒の羽織の下には赤い着物が覗く。血の上に喪服を羽織っているかのようだ。腰まで届く紫がかった黒髪は、大人びた端正な横顔を隠してしまう。
けれど右目の上には黒曜石の角。隠れる事などありはしない。
ふと、視界の隅に震える影を見つける。
「……迷い人かしら」
出来る限り近寄らぬ。視認できる距離で様子を見る。道に迷った登山客だろうか。老人とまでは行かない壮年の男性に、機嫌の悪さをさらけ出す。
「去りなさい」
赤く染めた爪先を添え、刃こぼれした大鎌を突きつける。水草の影は霧の様に儚く、だがすぐに喉元を掻き斬れる程に近く、綻ぶ。
冷徹な脅しに男性は慌てて逃げ出した。紅色の唇から零れる、ため息。
雨に濡れる木々の香りと血の匂いが混ざった空気が好きなのに。
冷たい、冷たい、雨が降る。
●鬼たる魔女は雨の中
小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)は暗い窓の外を眺めている。雨が降り続き、雲が立ち込めている。
教室に灼滅者達が揃っている事に気づき、弾けるように視線を向ける。
「集まってくれてありがとう。……羅刹の行動を予測したわ。皆には対応をお願いしたいのよ」
普段の明朗さは影を潜め、冷静に説明するのが精一杯という雰囲気だ。
その理由は鞠花が続けた言葉で明らかになる。
「先日闇堕ちした青柳・百合亞(あおやぎ・ゆりあ)さんの行方がわかったの。その羅刹は――間違いないわ、青柳さんよ」
教室中に緊張が走った。皆の顔を見渡し、鞠花は口を開く。
「六六六人衆との戦いの後、何処に行ったかもわからなかったから……無事がわかっただけでも、少しほっとはしているの。けれど、……けれど」
視線を伏せる。鞠花の瞳が揺れているのは、百合亞が今は羅刹として存在しているからだ。
感情をどうにか押し込めて、鞠花は灼滅者達に向き直る。
「……あたしに言えるのはこれだけよ。出来る限りの力を尽くして、青柳さんを倒してきて」
その先に辿り着くのは救出か灼滅か。鞠花が救出をと軽く言葉に出せないのは、羅刹となった百合亞が強敵である事を暗に示している。
資料を広げる。写真に映っていたのは、とある山道だ。
「青柳さんはこの山に辿り着いたみたい。普段は何処かに身を隠しているからか見つける事が出来ないの。ただ、雨の日だけは山道散策をしているわ。遭遇するチャンスがあるとすれば、その時しかない」
ただでさえ緑生い茂る山なのだ。その上更に視界も足場も悪くなる。鞠花が指定した日は大粒の雨が降るため一般人は寄りつかないだろうが、油断は厳禁だ。
「あと注意しなければならない事は他にもあるわ」
今教室にいない人達にも百合亞の事を伝えようとして待機していた鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)に視線が止まる。
出来れば闇堕ちから救いたいと願っていた。翔が動揺する。
「……俺が行くと拙いんだろうか」
「鴻崎がっていうよりは……今の青柳さんというか、ダークネスの人格ね。かなり人間不信の人間嫌いみたいなの。特に男性」
配慮して頂戴ねという言葉に潜む緊迫感は、百合亞の精神状態に影響する可能性を鑑みての事だ。少年から紳士まで駄目だけどお爺さんは平気らしいと鞠花は続ける。お婆さんは割と好きなようで、女性は特に何とも思わない。
もっとも年配者は学園の灼滅者にはいないのだけれど。
「とはいえ一般的な社交性はあるわ。コミュニケーションが不可能とかそういうわけじゃない。けれど、そうね。笑顔で本音を隠す感じよ。猫かぶりというか……でもどうしてかしらね。ダークネスじゃなくて青柳さん自身を護る盾のように思えてならないのは」
鞠花はサイキックアブソーバーから流れてきた情報を思い返し、哀しげな笑みを浮かべる。
熱い説得とか正義のヒーロー気取りとか大嫌いで鬱陶しい。
言うだけならダークネスだって出来るし、嘘だって吐き放題じゃない馬鹿なの。
言葉を信じて傷つくより、信じず何も感じないほうが良い――。
「説得するとしても、言葉の選び方に気をつけなければならないんだな」
翔の言葉に鞠花は頷く。翔自身はあくまで他のメンバーの手助けに回るつもりではいるが、同様に留意するつもりだ。
「あとダークネスの性質として、かなり保身的だから気をつけて。人格ゆえか戦闘よりも逃走を重視するわ。そして逃げる為には手段は問わないのよ。……人間不信のダークネスが『手段を問わない』、この意味がわかるわよね?」
訊く声は厳しい。手を汚す事も、自分の身を投げ出す事も厭わない。
誰かに殺られるくらいなら自殺だってするかもしれない。
「……青柳さんは神薙使いや影業のサイキックすべてを使いこなすし、シャウトも使うでしょうね。基本戦闘術のひとつだし」
迷いを挟めば必ずや致命的な隙となってしまう程の相手だ。
それをどうか忘れないで、と鞠花は念を押す。
「今回助ける事が出来なければ完全に闇堕ちしてしまうわ。もう、助ける事は出来なくなる。だから、お願いね。あたしは頼む事しか出来ないんだけど」
鞠花は再び窓の外を見る。ふと、息を零した。
「あたしね、青柳さんにはこの間の闇堕ちゲームだけじゃなくて、阿佐ヶ谷地獄の時も現場に向かってもらったの。大変な案件ばっかりお願いしちゃって、ね。青柳さんはあたしにとっても頼りになる――大事な仲間なのよ」
灼滅者達を送り出す鞠花の表情には、静かに深い信頼が滲んでいる。
向かう者達への、そして、百合亞への。
「行ってらっしゃい、頼んだわよ」
冷たい、冷たい、雨が降る。
参加者 | |
---|---|
守安・結衣奈(叡智を求導せし紅巫・d01289) |
大松・歩夏(影使い・d01405) |
村雨・嘉市(村時雨・d03146) |
丹生・蓮二(エングロウスエッジ・d03879) |
青柳・諒(ゆるふわ魔法少年・d04524) |
青柳・琉嘉(冒険魂・d05551) |
ヴェイグ・アインザッツ(魔王代理・d10837) |
柏枝・葉月(雲翳の乙女・d19374) |
●雨滴
雨は草木を、岩肌を、激しく打ち付ける。
灼滅者達は山道を歩く。ぬかるむ地面に怯む事なく、足を踏みしめ進んでいく。
すべては百合亞を救出するため。
各々の決意を固めどれほど歩いた頃だろうか。雨で陰る道の先に、人影が見えた。
青柳・琉嘉(冒険魂・d05551)の顔が徐々に喜色を帯びる。
「姉ちゃん……」
「……百合亞だ!」
野球帽越しに見遣った大松・歩夏(影使い・d01405)の声がわななく。姿が変われど見間違うはずもない。心のどこかが慕わしい気配を確かに感じ取る。
大人びた面立ちに長い黒髪、赤と黒の和装を纏う羅刹。
だが彼女は、その日集まった灼滅者達にとっては確かに『百合亞』だった。
顔を見合わせ頷く。あらかじめ打ち合わせた通り、女性陣と肉親である青柳兄弟が先行して説得にあたるべく前へ出る。人間嫌いで特に男性が苦手というダークネスの性質を鑑みての事だ。
他の男性陣はやや後方、見守るような立ち位置を確保する。村雨・嘉市(村時雨・d03146)が戦闘音を遮断し、丹生・蓮二(エングロウスエッジ・d03879)が殺気を迸らせる。万が一にも一般人が近寄らないようにという配慮だ。
その上で彼らはレインコートのフードを深く被り直す。鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)も倣ってフードで顔を隠した。
ヴェイグ・アインザッツ(魔王代理・d10837)も同様ながら、静かに状況を見つめている。有事にはすぐに仲間を庇えるように。
姿形が見て取れる距離で互いの足が止まる。
沈黙が横たわる。
雨音だけが響く。
「こんにちはだよ。雨の日の山道散策、どうなのかな?」
努めて明るく挨拶したのは守安・結衣奈(叡智を求導せし紅巫・d01289)だった。直接の縁は無い。だが学園の仲間である百合亞に、皆に想われている事を伝えたいと結衣奈は願う。
相手を必要以上に警戒させないようまずは少し話し、説得のきっかけを掴みたいと青柳・諒(ゆるふわ魔法少年・d04524)は考えていた。それは皆も、同じ。
諒は百合亞に謝らなければいけない事が沢山あると思っている。
話したい事も聞きたい事も、山程ある。
だから。
「どうって……そちらは? どうして雨の中にこんな山奥まで。ここには何もないわよ」
言外に含む立ち去れという意思。
百合亞の口調は上品でありながらも冷淡だ。既知の顔にも表情は変わらず、別人格の存在を思わせ誰しも心を痛める。
冷静に控えめに、けれどこみ上げる感情が琉嘉の口から言葉になる。
「迎えに、来たよ」
ここに集まった灼滅者達の総意。
百合亞を百合亞として救出する、迎えに行く、連れて帰る。その決意は固い。
「皆、貴方の事を想ってここまで駆けつけてくれたんだ」
知己ではない自分が臨む事への不安を呑み込み、柏枝・葉月(雲翳の乙女・d19374)は百合亞に向き直る。
「私は貴方と会うのは初めてで、何も話した事は無いけれど、貴方が皆に愛されている事は分かったよ」
「百合亞……今回の一件でよく分かった」
歩夏が伝えるのはありのままの気持ち。声が震えぬよう、真直ぐ届くようとに願う。
「あなたがいないと私本当にダメみたい。私一人では何も出来ない。どうにかなってしまいそうよ。――だからお願い。戻ってきてくれ」
「ああ……私ではないあの子の事ね」
百合亞の赤い唇が模った微笑は優美だ。けれど声音に含まれるのは、拒絶。
「言葉だけなら、幾らでも言えるんです」
水草の影がざわめく。
雨に濡れ、色濃く揺れる刃が伸びていく。
「去りなさい」
●翠雨
水草の影が迸る。歩夏が飲み込まれる刹那、体勢を整えていたヴェイグが前に滑り込んだ。衝撃でフードが翻り顔が晒されるが構わない。
「ほら見ろ。お前の攻撃なんてこんなもん。こんなんでオレらを遠ざけようなんて甘ぇんだよ」
影に覆われたヴェイグはトラウマに苛まれるも、瞳の輝きは失わない。むしろ肩を竦め全然効いてませんと言わんばかりの仕草だ。
「人を信じられないのはしょうがない。でもそれを理由に人から逃げるのは違うんじゃねーのか?」
あくまでクールに言葉を重ねるヴェイグに結衣奈は頷いた。
「ここから先は言葉じゃなくて、だね」
戦う事でも百合亞を取り戻す意志を示そうと、結衣奈はスレイヤーカードを閃かせる。闇から救う願いを込め、封印解除コードを告げる。
「神薙ぐ力、清き風の祝福を!」
結衣奈は己が腕を異形巨大化させ渾身の力を叩きつける。
前傾姿勢の布陣だ。葉月が目指したように短期決戦を、だが説得に時間を有するのなら耐えられるよう、護りと癒しの手も欠かさない。
蓮二の霊犬、つん様が除霊の力を込めた眼光を届けると、ヴェイグを取り巻くトラウマが消滅する。
「まるで何か隠したいみたいだな……」
降り続く雨に独りごち、蓮二は王冠の意匠が輝く盾で一撃を入れる。本当は女の子は出来れば殴りたくない。百合亞なら尚更だ。
だが救出するためならと思考の隅で冷静に判断する。
「俺らの家でまだやり残してる事、あっただろう? お前が居ないと終わらないんだけど」
至近距離で呟く。蓮二が言う『俺らの家』は、百合亞や蓮二、ヴェイグを始め大切な仲間達が集うシェアハウスだ。百合亞の居場所がある事を述べる声は、雨音に遮られない。
嘉市が部長を務めるクラブでも、百合亞は大事なメンバーだ。
知り合いが闇堕ちするのは嘉市にとって初めての経験。堪えるもんだなと胸裏が疼くも、こんな時だからこそ前を見据える。
「百合亞の発案でやったこの間のお菓子パーティー楽しかったよな。帰ったらまた皆でやろうぜ」
鋭い眼光に陰りはない。それはダークネスとして灼滅なんてさせない、絶対に助けるという意志の表れ。嘉市は構えた槍に螺旋の捻りを加える。
「皆ってのは百合亞も含めての皆だ、一人だって欠けたら皆にならねえ」
あくまでダークネスのみを討つ心意気で一気に穿つ。百合亞の懐に鋭く傷が入る姿に心を痛め、だが熱くなり過ぎないよう意識する。琉嘉が出した声に込めた想いは届くだろうか。
「昔みたいに、兄姉三人で手をつないで帰ろう? 闇堕ちしてもしなくても、俺にはたった一人の姉ちゃんだから!」
護り手に攻撃を惹きつけるべく琉嘉もシールドを翳す。大好きだから構ってほしい、離れたくない。
琉嘉の発言は羅刹たる百合亞には意外だったらしく、僅かに目を見開いた。微かな時間だったから気づいたのは注視していた諒くらいだろう。
諒は百合亞の退路を制限するように位置を定める。大きなつばのウィザードハット越しに影を放ち、足元の動きを阻害しながらも告げる。
「ここには誰も、お前の心を傷つける人はいないんだよ。だからね、怖がらなくても、いいんだよ」
「……去るつもりはないみたいですね」
埒が明かないと判断したのか、百合亞が一気に肉薄したのは――最も体力が劣る葉月だった。
「!!」
迫るは凄まじい膂力に満ちた巨腕。阻止できるよう心構えていたが、そんな葉月の気持ちごと薙ぎ払い突破する。琉嘉が飛びつこうとした手は空を切り、僅かに百合亞に届かない。
傍から見れば道とも言えぬ獣道を走っていく。
戦闘より逃亡を優先する。事前に得た情報の通りだ。
「私は大丈夫。だから、百合亞を……!」
「ああ、行くぜ!!」
見失うわけにはいかない。葉月の後押しもあり、隠された森の小路を用いる歩夏が先陣を切り灼滅者達は百合亞を追う。
逃亡時は空飛ぶ箒で先行追跡すると決めていた諒はつん様を見遣る。
少しだけ躊躇し、何かを察したのか大人しく蓮二に付き従うつん様を残して、諒は箒に跨った。戦力に不安はあれど、速度を優先させるべきとの判断だ。
百合亞が駆ける獣道を追い、箒は全速力で雨空を翔る。
山の木々は諒を百合亞の元へ誘うように、枝葉を曲げる。
●涙雨
冷たい雨風と木々を抜けた向こうに空が広がる。
辿り着いた場所は充分な足場があるが、その先は切り立った崖。諒の顔から血の気が引く。
迷いはなかった。
道から抜けてきた百合亞に飛びかかる。庇うように抱き寄せる。二人揃って地面に転がる。百合亞の赤と黒の装束も泥だらけだ。
諒はそれでも尚、離しはしない。
「大丈夫? 百合亞」
百合亞は勢いをつけて振り払う。その時に気づいた。
周囲に次々と姿を見せる灼滅者達の姿に。
事前に山の地図で道を把握していた者、逃走経路を先読みしていた者、殺界形成で人払いをした者達がいた。
あからさまな包囲はしないが、退路は完全に絶たれている。
(「話だけでも聞いてくれるといいな……必ずみんなが、迎えに行くよ」)
原・三千歳が願う。祈る。
いつしか雨は皆を優しく包み込む。
「大丈夫だよ」
椎葉・花色が笑顔を見せる。
「あの依頼、百合ちゃんのお陰で皆帰って来れましたよ。よく頑張りましたね。闇堕ち、怖かったでしょうに」
ご褒美に頭撫でとハグと膝枕と、マニキュアもしてあげるから。
「だからさ、帰っておいでよ。寂しいよ。帰ってこなかったらわたし、泣きますよ。……好きですよ、百合ちゃん! だから安心して花色お姉さんの胸に飛び込んでおいで!」
反射的に身を翻した百合亞の行く手を阻んだのは、『あの依頼』で共闘した科戸・日方だった。文字通り体当たりしてその場に留める。
「雨が、なんだか涙みたいだ。百合亞、待ってる奴の所に、早く帰れ」
ぐずる子供を諭すように告げる。シエル・ランスターが言葉を継ぐ。バレンタインに百合亞がザッハトルテを作ってくれた話だ。
「すごく美味しかった。がんばってくれたんだって思えた。今度はわたしもアオヤギにチョコを贈りたい」
来年もチョコ、たべようよ。願いを素直に声に乗せる。
他にも百合亞が暮らすシェアハウスから駆けつけた仲間は多い。白・彰二もその一人だ。これからも一緒に過ごしたいという本心を実直に伝えたい。
「隣の部屋、百合亞が居なきゃ寂しいんだぞ」
「君がいないとね。妙な違和感が出来て困るんだ。それは何とも気に入らない」
常通りの捉えどころのなさで影夜・鏡平も続ける。
彼の隣に立つのは神終・人だ。百合亞が他人のために自分を捨てる事を厭わないと身をもって知っている。
「人間不信なんて笑わせるなよ。自分を犠牲に他人を救っておいて、自分だけ助からずにいようなんてかっこいい自分勝手が許されるわけないだろう」
ふと伏せられる百合亞の視線。下げた左手に揺れる飾りに、天木・桜太郎の視線が留まる。
「俺があげたやつ……かなぁ。もしそうだとしたら、闇堕ちしても付けてくれてたんだな」
ありがとう。その声は確かに百合亞の耳朶を揺らす。
「帰ってこいよ。このまま会えなくなるなんて、寂しいじゃんか。帰ってくるの、待ってる」
その瞬間、百合亞が駆け抜けてきた道から追いかけてきた灼滅者達が飛び出してくる。息を切らし、そこに百合亞がいる事に安堵して、ヴェイグが畳み掛けるように言う。
「早く帰ってこいよ。聞いたんだろ? 家でセンパイたちが待ってんだよ」
「百合亞がどう思ってようと、待ってる奴等はずっとお前を待ち続けるよ」
蓮二の言葉を証明するように、百合亞に懐いていたつん様が目と鳴き声で早く会いたいと静かに訴えかける。
静かに雨が降り続く中戦闘が再開される。だが百合亞が逃げるにはあまりに周囲に隙がない。嘉市を始めとした高火力の攻撃は堅実な回復に支えられる。
何より百合亞を取り巻く闇の力が剥がれ始めている。
「世の中信じられる人間ばっかじゃねえけど、でもそういう時は皆に頼りゃいい」
嘉市が撃つ魔法弾が百合亞の動きに制約を与える。
「だから帰って来い、お菓子用意して待ってっから」
部長の言に頷いたのは友井川・喬助だ。あのクラブで過ごす時間がすごく好きで。
「でも百合亞ちゃんあってのクラブだから……そこに百合亞ちゃんがいないと、だめなんだ」
白・理一も共に重ねた日々を思い返す。
「百合亞ちゃんが、みんなでわいわい遊びたいって言ったの、覚えてるよ。何でもない日常をキミと、みんなと、過ごしたいなあって思ってる」
つられて歩夏が記憶を反芻するのは部長を務めるクラブの事だ。
「覚えてるよな、百合亞」
設立時も問題があった時も、いつも相談に乗ってくれた。正直百合亞がいなければどうなっていた事か。瞼の裏に思い描く。
「本当に、あなたは私にとってかけがえのない友達だったわ。それは今でも変わらない。だから、戻ってきてくれ。頼むよ。百合亜」
繰り返す、戻って欲しいという願い。隣に控える上木・ミキがきっぱりと宣言する。
「私は百合亞さんの事が好きです。お気に入りです。側にいてほしいです。居なくなったら私がイヤで、私が寂しくて、私がテンションだだ下がりなんです」
百合亞がどう思うとしても、連れ戻せるよう尽力する事は変わらない。
「覚悟してください。いなくなったら泣きますから」
姉への数多の想いに触れ、我慢を重ねた琉嘉の感情が、決壊する。
「姉ちゃんがいなかったら、オレ……笑えないんだから……!!」
頬を熱い涙が伝う。止めようと思っても止まらない。
「姉ちゃんを追いかけてクラブに押し掛けるくらい、好きなんだから! 逃げるなら、オレを殺してからにしてよね!!」
制したのは諒だ。諒にとっては百合亞も琉嘉も大切な妹弟。弟の背を撫でて、妹に向き直る。
「最初にどうしてって言ってたね。みんな、百合亞の事が好きなんだ。じゃなきゃこんな天気の中、こんな所に来たりしないよ」
「貴方の心の壁は分からない、けど、ここまでしてくれる人たちがいるんだ。ねえ、聞こえてるんだったら分かるよね?」
葉月が囁く。後は百合亞が壁を越えるだけ。
満ちる。
波打ち揺蕩う水面が静まる。
水草の切先が鈍る。百合亞の表情が揺れている。もう、猫かぶりではいられない。本当の怖さや不安や寂しさが湧き上がる。それを皆が受け止めてくれる事も。
道に足をとられ到着が遅れた結衣奈にも状況は充分理解できた。
それ故に力を揮う。人の繋がりが心を救うと信じている。
宥めるように魔力を放出すると、百合亞の世界は暗転した。
●涙滴
黒曜石の角は、今はない。
薄ら瞳を開けた百合亞の横っ面を、歩夏が思いっ切り引っ叩いた。瞬く百合亞の視界は、眦に涙を溜めた歩夏の抱きつく姿で埋まる。
「……よかった」
結衣奈はほっと息を吐く。間を置かず琉嘉も逆方向から百合亞にしがみついた。
「姉ちゃんの馬鹿! 離ればなれになるかと思って、怖かったんだから……!」
「おかえり、おかえり」
諒が妹弟まとめて抱きしめる。其々の目からぼろぼろ溢れる滴は、只管にあたたかい。百合亞の帰還を喜ぶ仲間達の視線のように。
地面を弄る振りで涙目を誤魔化していた蓮二が髪を撫でる。
「さあ、帰ろう。会いたい人が待ってるよ」
冷たい雨は止んでいる。
優しい、優しい、雨が降る。
作者:中川沙智 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年7月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 11/素敵だった 21/キャラが大事にされていた 0
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