『スキュラ』が堕とすは、ラグナロク!

    作者:階アトリ

    ●海辺の少女たち
     千葉県の南部、安房。
     夕暮れ時の海辺に、ぽつりと座る少女がいた。
    「……はぁ」
     夏の夕日を頬に受けながら、溜息を吐いた彼女の名は、海空・夏美(みそら・なつみ)。
     少し前まで、中高生に人気のジュニア向けファッション誌でモデルをしていた。
     自分で一生懸命考えてつけた、モデルとしての名前は「なっちー」。知っている子は知っている、人気のジュニアモデルだった。
     モデルからジュニアアイドルへのステップアップを夢見て、頑張っていたけれど、デビューは叶わなくて。
     だんだんと疲れてゆく娘の姿を見かねた両親が、東京を離れることを決め、引っ越した先が、実家のあるこの小さな町だった。
     東京を離れることになったと告げたら、雑誌との契約はあっさり切れた。
     学校も、この町の公立中学校に転校となった。
     クラスメイトたちは、東京からの転校生を、海空夏美という一人の少女として、暖かく受け入れてくれた。
     そう。
     何も特別なところのない女の子、ただの、夏美として。
     誰もモデルの「なっちー」のことを知らない場所での、穏やかな学校生活は、両親の期待通り夏美の疲れた心を癒してはくれた。
     けれど、どこか、何かが、満たされない。
     そんな気持ちを持て余して、夏美は海辺にいるのだった。
     誰もいないから、流れる涙を拭いもせずに海を眺めていた時。 
    「なっちー!」
     背後からの声に、夏美は慌てて目元を拭った。振り向けば、そこには同じ年頃の少女がいた。
     知っている顔――クラスメイトの来栖・綺亜羅(くるす・きあら)だ。
    「学校の外で会ったの、初めてだね。ふふ、夢が叶っちゃった」
     綺亜羅は笑顔で夏美に近づいてくる。
    「なっちーの私服、ナマで見てみたかったんだ。やっぱ、うちのガッコのダサい制服着てるより、断然可愛い!」
    「なっちーって……」
     戸惑いに目を瞬く夏美の隣に、綺亜羅はすとんと腰を降ろした。
    「知ってるよ。海空夏美ちゃんは、あたしの大好きなモデルのなっちー」
     綺亜羅に真っ直ぐに見詰められて、モデルの仕事で人の視線には慣れていたつもりなのに、なんだか落ち着かなくて夏美は俯く。
    「ねえ、なっちーは、もうモデルはしないの?」
     夏美は一瞬言葉に詰まった。けれど、綺亜羅になら本当のことを言ってもいいと、不思議と思えて、口を開く。
    「……私、東京から逃げ出して来たの」
    「そっか。休憩中なんだね」
     綺亜羅は本心から残念そうにそう言ってから、にっこり笑った。
    「でも、なっちーがこの町に来てくれたのは、あたし、すっごく嬉しい!」
     この出会いをきっかけに、夏美はこの浜辺を度々訪れて、綺亜羅と共に過ごすようになる。
     綺亜羅は夏美を元気付け、心からの笑顔を取り戻させてくれた。
     夏の海辺で、少女たちは関係を深めてゆく。クラスメイトから、親友へ。
     やがて夏美は、自分の過去について多くは語らない綺亜羅もまた、心に何か傷を負っていることを知る。
     そんな綺亜羅に、華やかなステージにもう一度上がってみないかと勧められて、ついに夏美は頷いた。
    「私、頑張ってみる」
     と。

     ごく常識的に見るならば、これは。
     少女たちが、身を寄せ合い励ましあいながら、未来へ歩み出そうとしている物語。
     けれど、裏にある事情を知れば、物語の様相はがらりと変わる。
     綺亜羅の正体は淫魔と呼ばれる種族のダークネス。
     そして夏美は、特殊肉体者『ラグナロク』――ダークネスが欲して止まないサイキックエナジーを、体内に無限に生成し蓄積する特性を持つ者、だった。
     淫魔の罠により、少女は絶頂に導かれた後に、絶望の奈落へと落とされる。
    「嬉しい。ずっと一緒だよ、なっちー」
     闇に堕ち、強大なラグナロクダークネスへ覚醒しようとする夏美の耳元で、綺亜羅は愛しげに、甘く囁き続ける――。

    ●灼滅者たちよ、海へ行け!
     場所は東京、武蔵坂学園に移る。
    「皆聞いて! 新しい『ラグナロク』の存在が、感知できんだ!」
     須藤まりんが、講堂に集まった灼滅者たちに告げた。
    「名前は海空夏美、中学生の女の子だよ。彼女は、親友の女の子……ううん、親友って信じてた淫魔の罠によって、堕とされようとしてるの!」
     だんっ! まりんは講壇をたたく。
    「情報を解析した結果、来栖綺亜羅を名乗る淫魔の正体は、太古の強大なる淫魔『スキュラ』!」
     灼滅者たちがどよめく。スキュラといえば、西洋の神話に出て来る怪物だ。
    「スキュラは江戸時代くらいに日本に流れ着いて、安房国、つまり今の千葉県の南部あたりを支配していたんだけど、サイキックアブソーバーが稼動してからは弱体化して、今は海と山のある小さな田舎町にしか影響力を持っていないみたい。
     謎の奇祭でサイキックエナジーを補充して、数日間だけなら全町民を操ったりすることはできる程度の力は保ってきたみたいだね」
     その町に、たまたま『ラグナロク』が引っ越してきたのだ。食指が動かぬはずがない。
    「スキュラは、夏美ちゃんに友達として接して、友好度をあげておいてから、ラグナロクダークネスとして覚醒させて自分の新しい『犬』にするつもりみたい。
     犬っていうのがよくわかんないんだけど、忠実な配下ってことかな?」
     とにかく、とまりんは話を続ける。
    「スキュラの罠は三段階! そのそれぞれに灼滅者の皆が介入して、夏美ちゃんがスキュラの手に堕ちるのを上手く防いであげて欲しいんだ」
     罠の第一段階は『成功』を体験させること。
     スキュラは自分に残された町民への影響力を駆使して、町内の海辺で水着コンテストを開かせる。そして言葉巧みに夏美を参加させ、優勝させるのだ。
    「このイベント自体を妨害すると、夏美ちゃんは『邪魔をした相手を敵と認識して』ラグナロクダークネスに覚醒しちゃう。でも、放っておいたら優勝っていう絶頂を体験して、淫魔としての資質が強まってラグナロクダークネスになりやすくなっちゃうんだよね」
     ならどうすればいいか。
    「わかるよね。そう、灼滅者の誰かが優勝すればいいんだよ!」
     したーん! まりんは手にしていたペンで講壇を叩いた。
    「これは主に女子ががんばってね!
     コンテストは水着で浜辺のステージに上がって、トークと特技を披露。審査員の採点と会場の一般投票で入賞が決まるっていうざっくりしたものだよ。
     審査員はスキュラの支配下にあるけど、夏美ちゃんに怪しまれないよう、極端に理不尽な採点はしないんだ。
     それに、会場の一般人たちにまでは力が及んでいないから、そっちの票を集めればなんとかなると思う」
     灼滅者の参加者同士で連携を取って、ギスギスせずみんなで仲良く……という雰囲気を伝える事で、淫魔になりにくくすることもできるだろう。
     罠の第二段階は『絶頂』へと導くこと。
    「スキュラは配下の男性淫魔たちを、夏美ちゃんに接触させるんだ」
     淫魔たちはそれぞれ、華やかな職種を名乗る。
     有名美容室のカリスマ美容師。有名なファッション誌の編集長。その雑誌と契約してる有名カメラマン。それから、たくさんのアイドルを抱える、プロデューサー兼作曲家。
     毎日恋や愛を囁かれて逆ハーレム状態の上に、芸能業界に近しい男性ばかり。都会やモデルの仕事、ひいては、努力が実らなかったアイドルデビューへの思いが再燃することを、夏美は止められないだろう。
    「イケメンにちやほやされたら、やっぱ流されちゃうよね。そこで!」
     マリンは声を大にする。
    「これは主に男子ががんばってね!
     スキュラ配下のイケメン淫魔たちは、夏美ちゃんがいつもの海辺に遊びにくるのをいつもこっそり待ち構えてるから、ちゃちゃっとやっつけて、イケメン淫魔たちの身代わりになっちゃって!」
     初めて見る顔に夏美は戸惑うだろうが、そこは美容師の同僚とか、編集長の部下とか、新人アイドルとか、イケメン淫魔たちの関係者を装うことで切り抜けて穏便に接触しよう。
    「夏美ちゃんはそれまでに受けた誘惑の中で『夢』を見つけているよ。それを壊さないように、でも、なるべく良い方向に軌道を修正して『それなりの目標』に収めてあげて欲しいんだ。あ、でも気をつけてね、夢を全否定しちゃうと、それも闇堕ちのきっかけになっちゃうから」
     夢を否定しすぎず、また、ラグナロクダークネスがより強力になってしまわないように、強すぎる幸福感を抑えてあげることも重要となる。
     罠の第三段階は『挫折と絶望』を与えること。
    「スキュラの計画の最終段階だよ。これまでと正反対に、挫折と絶望を与えて、夏美ちゃんをラグナロクダークネス化させちゃうんだ」
     与えられる挫折と絶望は『思ってもみなかった、超強力なライバルの登場』である。
    「夏美ちゃんは『夢』を叶えるために、スキュラが仕込んだ『海系アイドルスカウトキャラバン』のオーディションに参加するよ。
     そこに、マイっていう、以前一緒に雑誌のモデルをしていた子が現れるんだ。闇墜ちした本人なのか、そういうふりをしているのかはわからないけど、マイの正体はスキュラの配下の淫魔だよ」
     ラグナロクとはいえ、能力的には一般人の夏美が、敵うわけのない相手だ。
    「オーディションには絶対合格できない、自分なんかが夢を叶えることはできない。
     そんな絶望に陥った夏美ちゃんを、スキュラは言葉巧みに誘惑するんだよ。
     ラグナロクダークネスになっちゃえば、何でもできるんだよ、って」
     灼滅者が介入できるタイミングは、夏美が絶望し、スキュラの誘惑が始まった瞬間から。
    「この最終段階は、スキュラにとっても勝負どころだからね。邪魔が入らないように、現時点で持っている配下淫魔や強化一般人をかきあつめた、大規模な軍勢を控えさせてる。
     そいつらをやっつけないと、夏美ちゃんとスキュラの元へはたどり着けない」
     当日はの天気は晴れ。戦闘の舞台は、潮が引き広々とした砂浜となる。
    「戦力的に、勝つことはできると思う。でも、完全勝利してから夏美ちゃんのところに行ったんじゃ、闇堕ちが完了しちゃってる可能性が高いよ」
     よって、全員が戦闘に集中するのではなく、戦闘中に誰かが敵中を突破して、夏美の元に急ぐ必要がある。
    「境界にいる夏美ちゃんを説得して、人間の側へ呼び戻してあげて。側にはスキュラがいて、親友として夏美ちゃんに語りかけることで邪魔してくるから気をつけて」
     闇堕ちする前に夏美の元にたどり着いても、彼女を説得できなければ意味がない。どういう説得をするかが重要だ。
    「あと、オーディションを受ける時の夏美ちゃんがどんな気持ちなのかによって、説得の難易度が変わるよ。
     つまり、罠の第一段階、第二段階の妨害が上手くいっていればいるほど、説得しやすくなってると思う」
     逆に言うと、どの段階の作戦も重要で、失敗できないということになる。
    「ラグナロクダークネスになっても夢を叶えることはできない。自分の幸せは、人間としての生活の中にある。彼女がそう納得することができたとしたら、それは、そう教えてくれた誰かと、信頼や愛情によって結ばれたっていうこと」
     特殊肉体者『ラグナロク』は、身体のどこかに『契約の刻印』を持っている。
     夏美が深く信頼した、もしくは強い繋がりを持った人に『刻印』を触れさて『契約』を結べば、彼女は体内に蓄積された膨大なサイキックエナジーを空気中に放出することができるようになる。
     その上で武蔵坂学園に来れば、サイキックアブソーバーにサイキックエナジーを吸収させることで、一般人の――普通の女の子としての生活ができるようになるのだ。
     演壇から、まりんは灼滅者たちに呼びかける。
    「夏美ちゃんが『夢』で自分を壊してしまわないようにしてあげて。でもってスキュラの卑劣な罠を、すっきりすっかりパーにしてあげちゃってね!」

    ●このシナリオは『ドラゴンマガジン』連動シナリオです
     このシナリオは、7月20日に富士見書房から発売された『ドラゴンマガジン9月号』との連動シナリオです。
     このオープニング内容は断片的なものになっています。
     夏美が綺亜羅と、どのように親交を深め、そして堕とされていくのか――。詳しい経緯は、ドラゴンマガジン9月号で詳しく語られていますので、そちらをお読みください。
     ドラゴンマガジンは、全国の書店やインターネット通販サイト等で購入できます。
     また、このシナリオのリプレイは、9月20日に発売される『ドラゴンマガジン11月号』に掲載され、全国書店で販売されます(PBWでのリプレイ公開は、11月号の発売日以降になります)。

    ●このシナリオは『参加無料』です
     みなさん気軽に右下の『参加する』をクリックし、参加してください。
     参加者は必ずリプレイで描写される訳ではありませんが、冒険の過程や結果には反映されます。今回のシナリオでは、プレイングの内容によって十数人程度を選抜し、描写する予定ですが、それ以外の人のプレイングも、作戦の成否に大きく影響を与えます。

     まだキャラクターを作成していない方は、ここから作成してください。
     キャラクター作成も無料です。
     https://secure.tw4.jp/admission/


    ■リプレイ

    ●まずは、第一の罠を破れ!
     真夏の太陽の下、灼滅者たちは水着コンテストの開かれる浜辺に集った。
     目的は、スキュラの罠から海空・夏美(みそら・なつみ)――ラグナロクの少女を救うこと。
     舞台袖の控え場所は、武蔵坂からのメンバーが来たため想定以上のエントリー数になったのだろう、水着姿の少女たちでごった返していた。
     正統派ビキニあり、スク水あり、ゴスロリ風あり、アラビアンあり、ネコ巫女水着あり、全身包帯あり。スポーティーだったり、フェミニンだったり、お色気だったり、ネタ系だったりする、さまざまな水着を眺めているだけでも圧巻である。
    「とりあえず夏美ちんを優勝させなきゃ良いっぽいよね」
     柳谷・凪(お気楽極楽アーパー娘・d00857)はセクシービキニで余念なく、悩殺グラビアポーズの練習をしながら、近くにいる伊奈波・白兎(妖怪骨髄喰らい・d03856)と深嶋・怜(麁玉・d02861)に話しかけた。
    「だね。本人は知らないとは言えコネで優勝とは。フフフ……夏美ちゃんとやら、世の中そうは甘くないんだよ」
     頷いた白兎は、白のフリルつきビキニとパレオに身を包んで見た目に文句なく可愛らしく清楚だったが、瞳の輝きが若干邪悪である。
    「淫魔の思い通りにはさせたくないからね」
     持ち運びサイズの竪琴の弦を弾いて調律の仕上がりを確認しながら、怜も頷いた。
     ポロン……。小さな、美しい音が余韻を残して消えた時、入り口にひょこりと黒髪の少女が顔をのぞかせた。来た。夏美だ。しかし、沢山の参加者に驚いたのだろうか、すぐに外に引っ込んでしまった。
    「あんたも参加するの? たまたまだけど……宜しくね?」
    「よ……よろしく」
     禰宜・剣(銀雷閃・d09551)が声をかけたのが聞こえ、しばらくして夏美と一緒に入ってくる。
     見たところ夏美は一人。親友である来栖・綺亜羅――スキュラは別行動中のようだ。この好機を逃さす手はない。
     剣の動きの美しさに見惚れている夏美に、稲垣・晴香(伝説の後継者・d00450)が声をかける。
    「誰にも負けない鍛錬を積んできた自負があるからこそ、どんな時でも自分の姿を見せつけられるのよ」
     晴香は、ほとんど紐のような大胆なビキニで惜しげなく体を曝け出している。鍛えた肢体で魅せることも、プロレスラーの大事な仕事なのだ。
    「心、技、体、総てを極めし者にこそ理想の肉体は宿ります。私も堂々と勝負致しますわ」
     花宝院・アリス(灼光操りし片生の姫・d01077)は夏美に微笑みかけると、ヒールの細いサンダルでよろめきもせず、優雅に砂の上を歩いて去ってゆく。
     夏美は灼滅者たちの言葉や態度が何か琴線に触れるものがあったのか、少し考え込んでいるような表情をしていたが、しばらくしてぶるぶると頭を振った。
    「私も練習しないと!」
     コンテストで良い結果を出したいのなら、確かに考え事をしている時ではない。夏美は慌てて舞台での台詞やポーズを練習しはじめた。
    「お互い、がんばろうね!」
    「イイ勝負しようね、よろしく」
     天羽・梗鼓(颯爽神風・d05450)と朝山・千巻(依存体質・d00396が、左右から夏美の肩をぽんぽんと叩いてゆく。
    「あ、ありがと……」
     梗鼓の空色の組紐を結んだポニーテールと、千巻のさくらんぼ柄の水着の後姿を、夏美は意外そうに目を丸くして見送った。恐らく、これまでエントリーしたコンテストやオーディションでは、参加者はお互いライバルで、いわば敵、といった雰囲気だったのだろう。
    「ほら、きちんとしなきゃですよ。アイドルって、綺麗じゃなきゃダメでしょう?」
     猪坂・仁恵(贖罪の羊・d10512)は、夏美の髪飾りの花が曲がっていたのを見つけてそっと手を伸ばし、直してやる。敵に塩を送る行動に、ますます夏美は拍子抜けをした顔になった。
    「その髪飾り素敵だね。青い髪に良く似合ってるよ!」
    「ありがとう。友達とお揃いなの」
     新海・リタ(小学生魔法使い・d18507)の笑顔に、夏美も笑顔を返したが、友達、のところで綺亜羅の不在を思い出したようだ。
     綺亜羅が来てくれていないかと、心細げに周囲を見回した夏美に、睦月・恵理(北の魔女・d00531)がすかさず声をかけた。
    「こんにちは。あの、貴女も学生ですか? そうなら少しお話しませんか……ほら、あそこで学生同士意気投合してるんですよ」
     恵理の誘う方には【夏色小箱】の面々。望月・みとわ(薫る碧風・d04269)が、人懐こい笑顔で夏美に手を振った。
     仲良く、けれど馴れ合おうというのではなくお互い全力で勝負しようという心地の良い雰囲気に、夏美の緊張の表情が、徐々に薄らいでゆく。
     そして、コンテストが始まった。
    「それでは、最初の浜辺のエンジェルたち、どうぞ!」
     エントリー者が多く全員を一度に舞台に上げることはできないので、司会にあわせて番号順に数人ずつ舞台に上がり、自己紹介と特技披露をしてゆく。
    (「アナも闇堕ちをしたことがあるから分かるけど、あんな思いを夏美にさせないためにも精一杯頑張るよ!」)
     アナスタシア・ケレンスキー(チェレステの瞳・d00044)はテンポの良い曲を流してもらい、元気いっぱい、ダンスを披露した。スポーティーな水着は弾けるような健康的な可愛らしさを強調して、暑さに負けないくらいの熱いダンスに会場が盛り上がってゆく。
    「えっと、中学2年の柳真夜です」
     続いて、柳・真夜(自覚なき逸般人・d00798)が前に出た。ボーダー柄のチューブトップとデニムのショートパンツタイプの水着は、溌剌とした彼女の雰囲気によく似合っている。
    「特技は父に教えてもらったクナイ……もとい、ダーツです。ちょっとお見せしますねー」
     一緒に舞台に上がっている友人の頭に林檎を載せてもらって、真夜はクナイ投げの要領でにダーツを投げた。
     見事命中し、頭の上からコロリと落ちた林檎を、空中で受け止めたのは千菊・心(中学生殺人鬼・d00172)。
    「千菊・心、中学生です。将来の夢はパティシエになることです」
     心は林檎の皮を、くるくると手際よく剥いていった。
    「わあ……すごい……!」
     舞台の袖から、緊張の面持ちで眺めている夏美に、九条・雷(蒼雷・d01046)と白神・柚理(自由に駆ける金陽・d06661)が通り過ぎざま声をかける。
    「勝とうが負けようが関係ない、楽しんだ奴が一等だ」
    「そうそう。自分の晴れ舞台を楽しむといいよ!」
     舞台に上がった雷は豪快に瓦を割り、柚理はチアリーディング系のダンスを、元気が良すぎて途中でサンバイザーが落とすという失敗もありつつも、最後まで力いっぱい披露する。
     次々と参加者たちの特技披露が終わり、いよいよ夏美のいるグループが舞台に上がった。
     順番が先の朝倉・くしな(初代鬼っ娘魔法少女プアオーガ・d10889)が前に出た。鬼っ娘姿で舞台にスイカ柄の紙風船をセットする。
    「特技は『西瓜割り』です! この棍棒で見事当てますともっ! ただしスイカ割りは独りではできません。皆さんの声の誘導をお願いしますっ!」
     くしなは夏美を振り向き、にこっと笑うと、器用に目隠しを結んで、棍棒を構えた。
     夏美は最初は戸惑っていたようだが、周囲の皆と一緒に声を出すうち楽しくなってきたようだ。
    「今です!」
    「えいっ!」
     夏美からの指示にあわせて、くしなは棍棒を振り下ろし紙風船を割った。会場に拍手が湧き上がる。
     スイカ割りのおかげでリラックスできたのか、夏美は自分の番になって、笑顔で前に進み出た。
    「海空夏美です。『なっちー』っていう名前で、ティーン向けのファッション誌でモデルをしていたことがあります。なので、ポージングは、ちょっと得意です!」
     途中でよろめいたものの体勢を立て直し、最後までポーズを披露すると、夏美は笑顔で一礼した。
     灼滅者たちの声かけや、皆で作り上げた雰囲気が、夏美に良い影響を与えているようだ。
     これで、優勝さえ阻止できれば。
     固唾を飲んで見守る中、審査は進行し、優勝者として名前を呼ばれたのは、仁恵だった。
     夏美の優勝を阻止するためと割り切って、灼滅者としての特殊能力を駆使して勝ちに行った作戦が功を奏したのだ。また、下馬評を集めて誰に投票を集中させるべきか決めたり、一般客にさりげなく学園からの参加者をお勧めしたりといった皆の工作も上手い方向に働いたのだろう。
     夏美は準優勝だった。
    「惜しかったね、夏美ちゃん。でもね、優勝しなくても、自分の頑張りを認めてくれる人がいるなら、それは素晴しいことだよ」
    「ありがとう」
     亜麻宮・花火(平和の戦士・d12462)に、夏美は素直に頷いている。
    「えっと……おめでとうございます! 負けちゃいましたけど、楽しかったです」
     優勝トロフィーを持った仁恵ににも、夏美は爽やかに笑って言った。それは本心、なのだろう。
    「……自分は自分以上になれない、なっても虚しいだけですよ。実力以外の力で勝っても楽しく無いですもの」
     仁恵は踵を返して舞台を去る。
    「負けるかと思った、……君はとても魅力的だった。ただ、まだ君は原石だと思う。これから、磨いて」
     夏美に、そんな言葉を残して。
    「なっちー、残念だったね。でも、準優勝おめでとう!」
     舞台を降りた夏見に、綺亜羅が飛びついた。
    「綺亜羅ちゃん……見ててくれた?」
    「うん、もちろんだよ! はぐれてごめんね。迷子に捕まっちゃって……寂しかったよね?」
     綺亜羅は夏美の手を握る。
    「準優勝だってすごいよ! すっごく可愛かったから、きっと雑誌社の人の目に止まってるよ」
    「もう、綺亜羅ちゃん。それって、友達の欲目だよ?」
     夏美が、全力を尽くしての準優勝という今日の結果に、満足とはいかなくても、納得はしているのが見ていてわかる。
     スキュラの罠の第一段階は、うまく邪魔することが出来たようだった。 

    ●爆ぜよ! 第二の罠
     第一の罠への介入は、夏美に『成功』を味わわせることを阻止できた上に、夏美の心に良い影響を与えた。
     しかし、第二の罠によって、夏美は不自然な『絶頂』へと導かれる。そして、折角近づきかけていた彼女の『夢』への答えから、遠ざかろうとしていた。
    「ラグナロクったって、中身は普通の女の子だからなー」
    「ちょろい仕事だぜ!」
     第二の罠開始数日後、海辺で夏美を待ち構えるイケメン淫魔たちは、とてもろくでもない感じの会話をしている。
     気配を消した灼滅者たちが岩陰に潜みながら、じりじりと彼らを包囲していることになど、まるで気付かずに。
    「イケメンと言うなら……敬意を表して顔面にトラウナックルを叩き込んんであげようか」
     姫宮・杠葉(月影の星想曲・d02707)が、その拳を握りながら言い。
    「俺、閃光百裂拳にしよっかな。とりあえずイケメン爆発させる方向で」
     如月・雀太(高校生ストリートファイター・d16284)は、輝くオーラをその身に漲らせて言い。
    「うんボコろう」
     チーム【イケメンブレイカー】のメンバーである枝折・優夜(咎の魔猫・d04100)をはじめとした仲間たちも深く頷いた。
     心は一つ。灼滅者たちは一斉に襲い掛かる。
    「イケメン共め、爆ぜろ!」
     慈山・史鷹(妨害者・d06572)は問答無用で漆黒の弾丸を放つや否や、次撃に備えて双刃を構える。その刀身もまた、漆黒。まるで嫉妬の情念を映し込んでいるかのように。
     襲撃を受け、淫魔たちも一斉に正体を現しハサミやナイフを武器に抵抗してくる。淫魔お得意の歌やダンスも、なかなかの威力だが、数は四体。
     開けた場所である砂浜で、圧倒的多数の灼滅者に囲まれては儚いものだった。
    「……見逃してくれたら、いい夢見せてあげるよ?」
    「はいはい、淫魔系イケメンさんは不合格。可愛らしい女の子に近付くなら、正統派イケメンじゃないとね?」
     あと一撃も食らえば灼滅されると悟って、懐柔しにかかってくるエセプロデューサー淫魔を、苑田・歌菜(人生芸無・d02293)はロッドに魔力を込めて、容赦なく殴りつける。
    「あの子をちょっといい気分にさせてあげてるだけなのに!」
    「お前らが仮初めの幸せ与えてもよ、彼女の本当の幸せにはならねぇーんだ。だから吹っ飛ばす!! 人間のことは人間に任せとけってんだ!!」
     永舘・紅鳥(ノンストップリベンジャー・d14388)は深紅のバトルオーラをみなぎらせ、見苦しく言い訳するエセカメラマン淫魔に閃光百裂拳を叩き込んだ。
     淫魔がよろめいた先には、狼姫・兎斗(白闇バーチカル・d01087)の影業。
    「残念だな、後ろが留守になっているようだ」
     兎斗の操る影狼の牙が、淫魔を獲物として切り裂き、とどめを刺した。
     残る淫魔二体も順調に追い詰められてゆき。
    「こいつで滅びろぉぉぉっ!!」
     炎天下に轟いた誰かの叫びが戦いを締めくくり、静かな海辺が戻って来る。全体的に皆、イケメン淫魔の顔面に攻撃がヒットすると満足げだったような気がするが多分気のせいだろう……。
     戦闘にだけ手を貸すつもりで来た者たちが立ち去り、残ったものたちも武装を解いたのとほぼ同時に、普段着姿の夏美が砂浜へとやってきた。
    「あれ……っ?」
     いつものイケメンたちがおらず、代わりに小学生から高校生くらいまでの少年少女たちが浜辺にいたことに夏美は驚いた様子で、きょろきょろとあたりを見回した。
    「カリスマさんたち、今日は用事があって」
     花檻・伊織(懶惰の歌留多・d01455)は夏美に物腰柔らかく声をかけ、自己紹介をする。
     それに続いて、皆がイケメンたちの関係者を名乗った。
     良い素材がいると聞いたので来てみた、と説明された夏美は、納得してしばらく灼滅者たちと一緒に過ごすことにしたようだった。
     最初の内こそ、イケメン淫魔たちほどちやほやとはしてくれないことに不満や戸惑いがあった様子の夏美だったが、やがて灼滅者たちとの会話を楽しみ始めた。
     甘い快楽ばかり与えられるイケメンたちとの時間に、舞い上がりつつも少し飽きてきていたのかもしれない。 
     海風の気持ち良い岩陰で、談笑する。
    「他人に頼らず、人として努力を重ねた結果が今の俺と獅央なんです」
    「こういう討真の考え方とか人となりが魅力なんだよな……って何言わせんだよ」
     そんな風に語るアイドルユニットTOMA×SHIOこと緋神・討真(黒翼咆哮・d03253)九牙羅・獅央(誓いの左腕・d03795)が、軽くハモって歌うのにあわせ、夏美も歌った。
    「やりたい事、いっぱいあると思いますが、自分が本当に何をしたいかよく考えてくださいね。その方が練習もしやすいですし」
     鏡・瑠璃(桜花巫覡・d02951)がボイストレーナーとして、ギター片手に本格的トレーニングを指導する。背筋、側腹筋等の使い方を意識したもので、真面目にやればとてもハードなものだ。
    「うううっ、腹筋が! お腹痛い!」
    「でも、芸能界って、本当にライバルが多くて大変だよね。だからこそ生き残るには、ちゃんと実力つけなきゃな、って。人間としての魅力がないのに、ただ好きになってーっていっても、ダメかなって思うんだっ」
     途中で力尽きてしまった夏美を、土邑・景(桜舞・d00818)がそう言って力付ける。
     何かに気がついたような顔で、夏美は景に頷き、瑠璃のギターに合わせて再び歌い始めた。
     イケメン淫魔たちに不自然に持ち上げられて忘れかけていた、夢をかなえるための努力というものを、灼滅者たちと過ごすことで、夏美は思い出し始めたようだ。
     周囲からの扱いは、人を変える。夏美の変化は、まるでその実例のよう。
     歌い終え、ちょうど良い岩に座って一休みする夏美の髪に、伊織がブラシを入れ、様々なヘアスタイルを試してゆく。
     杠葉は、夏美が髪をいじられている間、手を取ってネイルケアをしていた。
    「自分を見てくれる人に最高の幸せをあげたいものだね」
     そんな言葉を挟みながら、杠葉は器用に爪を仕上げていく。
    「可愛い! ありがとう」
     綺麗になった爪を空にかざし、嬉しそうにお礼を言う夏美。伊織が結った髪はツインテールで、ふんわりと海風に揺れた。
     グラビア撮影中のアイドルのような姿で、波打ち際に歩み出て行った夏美の後姿に、雀太が大声で叫ぶ。
    「夏美。お前は可愛い! 超カワイイ! 結婚したいくらい!」
     ストレートなその言葉に赤面した夏美に、雀太は語りかける。かわいい子は他にもいるけれど、そういう子も夏美と同じにアイドルを目指しているわけではない、と。
     有名になれなくてもお客さんに喜んで貰うのが夢だと語る人。外見一つ整えるにも、基礎をおろそかにしてはいけないこと。
     今日、さまざまな人に出会い、話を聞いて、夏美には考えさせられるものがあったようだ。
     イケメン淫魔たちによって導かれた『絶頂』の状態から、ゆっくりと階段を降りるように、夏美は冷静な状態へと戻って来たのだろう。
     もう少し、あと一押し。
    「その、あんたがかなえたい夢ってやつは、ほんの一握りの人間しかなれねぇんだろ?」
    「それをわかってて、夏美ちゃんはどうしてアイドルになりたいんだ? アイドルじゃなくても今の夏美ちゃんは魅力的であると思うけどな」
     此花・大輔(ホルモン元ヤンキー・d19737)と、久篠・織兎(糸の輪世継ぎ・d02057)が、帰り際、かわるがわる声をかける。
    「私はもう、夢を目指す事が出来ないの。私の夢、ゆめ……もう、思い出せもしないわ。貴女は、私の様になってはダメよ」
     最後に浜辺に残っていた桜庭・理彩(闇の奥に・d03959)は、静かに、夏美に考えることを促してから皆を追って踵を返した。
    「アイドルを目指す理由……私の『夢』……」
     とぼとぼと帰路についた夏美の前に、旅の僧を装った椋・緋衣(高校生ストリートファイター・d18223)がタイミング良く姿を現す。
    「友達に応援してもらって、また夢を叶えるために頑張ろうって思ったんです。でも、色々な人に出会って、言葉を聞いたら、叶えようと思っていたアイドルっていう夢のことがよくわからなくなってきて」
     緋衣に道案内を請われた夏美は、案内の道すがら、自らの心を吐露した。僧侶に語ることで、心の整理ができるかもしれないと思ってのことだ。
    「アイドルとしての成功って、やっぱり、皆が私のことを知ってて、好きでいてくれて――っていうことですよね。でも、今日気付いたんです。最初から『私のことを好きになってー!』じゃ、ダメなんじゃないかなって。東京に居たころの私は、アイドルになりたいっていう結果だけを欲しがって、そんな気持ちになっていたんじゃないかって……今になって気付くなんて、恥ずかしいですね」
     本当に恥ずかしそうに頬を染めた夏美は、確実に、気がついている。これまでの自分の、駄目だった部分に。
    「なるほど、過去を悔いるか。ならばその逆に、常に誇れる自分であれば、想いは叶うか?」
    「……わからないです……」
     緋衣からの問いに、夏美は頭を振る。
    「そうだな。拙僧にもそうは言えない。だが――そう在れば、胸は満たされるだろう」
     緋衣の言葉に夏美は胸に手を当てて考え込み、やがて顔を上げた。
    「そう……ですね。そうかもしれません。何があっても、今までの自分を誇れるような。そんな私になりたいです」
     はっきりと言った、夏美の表情は、明るかった。

    ●潰せ! スキュラの罠
     ついに、罠は第三段階へと突入し、今現在、ラグナロクダークネス誕生の危機にある。
     潮が引き、広々と開けた砂浜を埋め尽くすのは、スキュラ配下の淫魔と、強化一般人たち。軍勢、と呼んでよい数だ。
     けれど、数なら灼滅者たちだって負けてはいない。
     人垣に阻まれて見えないが、夏美と綺亜羅は、この先にいる。
     スキュラの軍勢に、灼滅者たちは熱砂を蹴り上げながら、正面切って斬り込んでいった。
     まずはディフェンダーとクラッシャーが、ぶつかる。
    「さぁて、始めようか」
     ジョイ・フレミット(宵闇の狩り手・d02356)は鋼糸を繰り、挨拶代わりに結界糸を食らわせた。
     相手の先頭がプレッシャーに一瞬ひるむ――が、その後ろから次から次へと、敵は湧いて出て来る。
    「人生まったりに過ごせるなら過ごしたいが、まぁこういう刺激も偶には必要だよな?」
     樋村・河陰(高校生ファイアブラッド・d18918)が学園に来て初めての案件が、これ。それでも気圧されることなく、櫻華(ビハインド)と共に行く。ナイフにレーヴァテインの炎を宿し、向かってくる敵に叩きつける。
    「道を開けないのであれば、撃ち開くのみ!」
    「ひゃっほーい! 大暴れしますよー!」
     御影・籐眞(中学生神薙使い・d19533)が腕を振れば神薙刃が吹き荒れ、その嵐が開いた切り口へと、野良・わんこ(駄犬と暮らそう・d09625)が鎖から放たれたかのような勢いで飛び込んでいった。
     ラグナロクの少女が、第一段階、第二段階での灼滅者たちの働きかけにより、エクスブレインが未来予測したような、浮かれた状態でオーディションを受けたのではないことを祈ろう。彼女の心が良い方向に変わっていなければ、説得で闇堕ちから救い出すのは至難の業となってしまうのだから。
    「はあ……。正直、殴ったりとか斬ったりとかあんまり好きではないんですけどね」
     上木・ミキ(ー・d08258)は溜息を一つ吐いてから、意識を切り替えてマテリアルロッドを前方へ向けて構える。ミキが全力で放った轟雷が、先へ進もうとする仲間を阻む淫魔に、天罰とばかりに落ちた。
    「人を凹ませる系の企みは、ムカつくのでジャマします」
    「君たちの思い通りにはさせない、不幸は起こさせないから」
     蓬生・梓(守護の優炎・d10932)は闇堕ちの経験を思い出しながら、ミキに頷き軍勢に対峙する。闇堕ちを、新しく誰かが体験することなど、あってほしくない。絶望を選ばせてなるものか。
     龍砕斧を掲げ、梓は突進していった。
    「一人の有志としても、出来ることはある! 仲間の援護だ!」
    「その通りでございます。……掛かってきなさい有象無象共。貴君等のココでの役割は『決戦』と『勝利』に華を添える『障害物』でございます」
     宗方・龍一朗(鬼祓い・d09956)が自分に敵の攻撃を集中させるよう動けば、ソリニア・カラストーリォ(サンタマリアの狂犬・d16008)はバスターライフルを確りと構え、飛び込んでいった仲間たちを援護できるよう、炎の弾丸をぶちまける。
     灼滅者たちはただ漠然と戦っているのではない。
     一刻も早く、誰かが夏美の下へたどり着けるように。
     援護を選んだ者たちは全力で、道を切り開いてゆく。
     そして夏美との対話を望む者たちは――その道に分け入ってゆくのだ。
     味方の放つ弾幕と共に、前へと駆け出したのは、月次・永治(須臾命生・d19381)。
    「気に入らないんだ。スキュラも夏美も」
     永治は海を、綺亜羅と夏美がいる方向を見据えていた。進路を塞いだ敵を足元から立ち昇った影の刃で薙ぎ払うが、一人退ければまた次が来る。
    「行かせないわよぉ、遊びましょ?」
     永治の前に立ちふさがり、尖った長い爪を赤い舌で舐めたのは、露出度の高い水着姿の、ポニーテールの少女。背に蝙蝠の羽、尻からはくるりと尻尾を生やしている。夏美のライバルとしてスキュラが用意した、淫魔マイだ。
     ダークネスを一人で相手取るのは分が悪い――しかし、永治は一人ではない。
    「ぎゃっ!?」
     背後より巻き起こった風の渦が、刃となってマイを切り裂く。
     はっと、永治が振り向けば。
    「行くんですよね? そう、あれです。ここはボクに任せて先に行け?」
     露木・菖蒲(戦う巫覡さん・d00439)が、立っていた。その背では黒いテイルデバイスが、獲物を見つけた猫のそれのように、ゆらゆらと左右に揺れている。
    「はあ? アンタなに勝手にカッコつけてんのォ!?」
     苛立たしげに喚くと、マイは爪を立てて菖蒲へと踊りかかる。ネコミミ型のイヤーデバイスをピンと立て、回避する菖蒲。
     菖蒲にばかり集中していたマイは、気付かなかった。自分の周囲に、動きを妨げる結界が敷かれていたことに。
    「そうそう。戦いは効率良く、ですよね?」
     菖蒲は除霊結界を展開してくれた隣の誰かを振り向き、笑顔を向けた。
    「ですね!」
     縛霊手を軽く上げ、笑って頷いた犬童・朱花(拒魔犬・d05354)の、鮮やかな赤い髪と橙色の瞳が、夏の陽光にきらきらと輝く。
    「このォオ!」
     マイが吠えた。淫魔の声が、威力を伴って灼滅者たちを傷つける。
    「アタシが一番役に立つんだ! 一番役に立って、スキュラ様のお側に置いてもらうんだ!!」
     マイが振りかざした爪が、ギン!と鋭い音を立てて受け止められた。
    「……」
     桜庭・翔琉(徒桜・d07758)は愛用の刃の向こうに垣間見えるマイの醜い形相を、静かな目で見ていた。
    「何よ……!」
     マイは激昂に表情を歪めながら腕に力を込める。ぎり、と爪がいやな音で軋り、一本、折れた。しかしそれを引き換えに、マイは残った爪を翔琉の肩口に突き立てることに成功する。
     傷はけして浅くはない。しかし翔琉は、にやりと笑みを零した。
    「スキュラ様のお役にはあまり立ててないんじゃないか?」
     翔琉が軽く顎をしゃくった先には、マイが翔琉たちの相手をしている間にこの場を通り抜けた、仲間たちの背中。
    「こ……のぉオオ!」
     マイは翔琉の肩から爪を引き抜くと、血の雫を散らしながら再び腕を振り立てた。

     最初の衝突が終わり、夏美たちの元へ向かう者たちと、彼らのために道を切り開こうとする者たちの動きがはっきりと別れはじめると、役割分担が功を奏し始めた。
    「チームカピバラさんのお出ましやで。有象無象の相手はうちらが引き受けますんで、ちゃっちゃとなつみん救ってな」
     桜庭・智恵理(チェリーブロッサム・d02813)が、なの美(ナノナノ)を従え【カピバラ】の皆と、そしてビッグサイズのカピバラぬいぐるみと共に、立ちふさがる一般人を矢の雨で薙ぎ払う。
    「親友を装い、闇落ちを狙うだなんて……そんな下種な存在とその配下になんて、負けません」
     同じチームの安中・榛名(超灼乙女マハルーナ・d07039)は、前へ進む仲間たちに、矢継ぎ早にシールドリングでのエンチャントを与えていっていた。
    「道を拓く役目、存分にを担いマショウ!」
     ローゼマリー・ランケ(ヴァイスティガー・d15114)は一体の淫魔にとどめを刺すと、【チームはじめ】の仲間たちと共に前へと押し進んだ。このチームが取っているのは、多段ロケット作戦。説得班の前に飛び出しては戦闘を引き受け、道を切り開いて送り出すのを繰り返すのだ。
    「風花!」
     姫子松・桐子(稲荷の巫女・d14450)の命を受け、風花(霊犬)は駆けて行く磐梯・想子(高処から・d15361)を邪魔しようとする強化一般人に斬りかかって行く。
    「上柳さんも早く! ……ノノ、回復は任せるよ」
     星空・みくる(お掃除大好きわん子・d13728)はノノ(ナノナノ)にふわふわハートを飛ばさせながら、仲間を前へと促す。そして自分はハタキという名のマテリアルロッドに魔力を力いっぱい込めて、フォースブレイクを叩き込んだ。
    「行かせるな!」
     近くにいた淫魔が強化一般人に命令し、【チームはじめ】に追いすがろうとする。しかしチームの前進を阻止することはできなかった。
    「ここは任せて先へ行け!」
     飛び込んで来たのは、猫の尾のように一つに結った、長い赤茶の髪。黒瀬・夏樹(錆色逃避の影紡ぎ・d00334)は叫びと共に、【チームはじめ】と淫魔たちの間に立ちふさがったものの、照れ臭かったらしい。
    「いやその、一度くらい言ってみたかったんですよね」
     呟いた小さな声は、夏樹自身のふるったウロボロスブレイドが猛烈な勢いでしなった音に、かき消された。
    「チッ」
    「しばらく僕らに付き合ってもらいますよ。退屈はさせません」
     変幻自在の刃に切り裂かれ、舌打ちした淫魔の退路を、金剛不壊の文字が描かれたシールドを嵌めた森沢・心太(隠れ里の寵児・d10363)の腕が塞ぐ。
     二の足を踏んだ淫魔の足元に、影業が絡みついた。
    「ほな、お相手してな? 戦うスリルも面白いもんやからね、……一緒に遊ぼ?」
     霊犬を従え、柔らかく笑んだのは千布里・采(夜藍空・d00110)。
    「折角の道を塞がれないように!」
     足止めに成功したのを見て取れば、天風・美琴(高校生シャドウハンター・d05754)は【プリンシパリティーズ】の面々と一緒に、ディフェンダーの特性を生かして敵を「道」から押し出して行く。
     個々が、グループが、効率を考えて動いている。とはいえ、前進を第一の目的とする仲間たちが多くおり、それをフォローするという作戦であるぶん、灼滅者たちのほうが若干手数に不自由する傾向にある。
    「わかっちゃいたが、戦力はいくらあっても足りねェっつー感じだな」
     佐々賀谷・充(猩血衣・d02443)は、シールドバッシュで殴りつけた敵を怒りで自分の身に引き付けた上で返り討ちにしてゆくその合間に、側にいる仲間に語りかけた。
    「それでも! 我が前に立ち塞がる者は全て薙ぎ払う!」
     銀・紫桜里(桜華剣征・d07253)はその思いの強さを込めて、身の丈を遥かに超える大刀を振り下ろす。
    「一人では挫けてしまいそうな絶望を乗り越えるために、【絆】と呼べる人間が、そばに居る。それを誰か……この群れを突破した者が伝えてくれると信じよう」
     片桐・秋夜(ナイトリッパー・d08958)は言い、行く手を塞ぐ一群に向かって、ガンナイフの引き金を引いた。
     流れはおおむね順調。しかし戦いが続けば、傷を負った灼滅者が増える。砂浜を海へと進軍してゆくにつれ、メディックたちが忙しくなった。しかし、ジャマーたちが積み重ねた攻撃補助がものを言い始めており、回復に手を取られるからといって不利になった気はしない。
    「ほら、まだまだ行けるっしょ?」
    「だから、さっさといってください」
     城・漣香(焔心リプルス・d03598)の祭霊光が先を行く者を照らし、縛野見・火和理(カワリのコード・d13137)のリバイブメロディが前へと背を押す。
    「無理無茶せずさせず!」
     狗川・結理(よだかの星・d00949)は【武蔵坂軽音部】の皆と共に、休む暇もなく防護符を投げていた。
     と、そこへ聞こえてくる「ボエー」としか表現のしようのない歌声。
    「き、緊張感が……!」
    「まァ回復は回復だ、問題ナシ!」
     思わずガクリとなった結理に、ボエーなエンジェリックボイスの主、二十世・紀人(虚言歌・d07907)が笑いかける。
     戦いが、どれほど続いた頃だろう。
    「誰か……届いたでしょうか……」
     折紙・栞(ホワイトブックガール・d15951)は目の前の強化一般人を絶妙の手加減で倒した後、海へと視線をやる。
     ずっと遠くに、仲間たちに助けられながら、全力で敵陣を切り開き駆けて行く、背中が見えた。
     武蔵坂学園高等部の、女子の制服だ。肩の上で跳ねるのは藍色の三つ編み。想子だ。
     想子が更に前へと道を開く。輝く海が現れる。
     海と砂浜の境界に、スキュラと夏美が――見えた。
    「ああ……!」
     栞の唇から、僅かに安堵を含んだ声が漏れる。
     間に合え!
     それが、この場にいる灼滅者たち皆の、祈り。

     波打ち際にほど近い砂の上。
    「綺亜羅ちゃん……私、ダークネスになったら……なんでもできるの……?」
     恍惚として呟いている夏美の髪を、綺亜羅が「その通りだよ」と言うように撫でる。
    「皆が、なっちーのこと大好きになるよ。今みたいに辛い思いすることなんて、なくなる」
    「皆が私を……」
     綺亜羅の甘い言葉に乗って、夏美は現実から逃げようとしている。そのように、見えた。
    「うわ、みっともない……」
     息を切らし、ついにここまでたどり着いた想子は、思わず、感じたままのことを口に出してしまった。
    「なっちーがみっともない、ですって?」
     ぼんやりしている夏美に代わって、綺亜羅が睨みつけてくる。
     想子は負けずに言い返す。
    「だってそうじゃない? 『なんでもできる』って、『皆に愛して貰える』とはまったく別だもの。それを取り違えちゃうのは、私的にはありえないわ」
    「!」
     きっぱりと言いきったその声が、耳に届いたか。
     夏美が、はっと顔を上げる。けれどまだ、その瞳には靄がかかっていた。
     きっかけはつかめた。もう一歩。あと、一歩で、夏美をこちらに引き戻すことができる。けれど、綺亜羅の甘い囁きは、まだ夏美の心を捕えていた。
    「そんなことないんだからね、なっちー。なんでもできるのは強いっていうことだよ。強いものは、は愛される。――全てに」
    「だめ!」
     ルビードール・ノアテレイン(さまようルビー・d11011)が飛び込んでゆく。小さな体で駆けて来た彼女もまた、敵に揉まれて想子と同じくらいひどい格好だった。
    「『夢』を叶えるも、壊すも、なつみお姉さん、しだい。でも……夢を見た、なつみお姉さんまでも、壊してしまわ、ないで?」
    「…………あ……」
     ルビードールの切なる言葉に、夏美の瞳が揺らいだ。僅かに。ゆっくりと、光が戻り始める。

    「突破されたわ!」
    「他の連中に構わずあっちを倒せ!」
     スキュラの軍勢が、突破されたことに気付き、残った戦力を夏美たちの許へ集中させようとしていた。
     けれど、そう動くだろうことは、灼滅者たちの予想の範囲内だった。次々と、近くにいた灼滅者たちも集まってくる。
    「そっちには行かせないよっ!」
     彩藤・かなで(藍彩奏・d03137)が、いつも持っている相棒のような契約の指輪に手を添え、きゅっと息を吸って、制約の弾丸を撃ち出す。
    「やぁ。ここは地獄への一本道だよ。――地獄の騎手に轢かれにやってきたかい?」
     轟天(ライドキャリバー)の機動力を生かし、佐々・名草(無個性派男子(希望)・d01385)がキャリバー突撃と共に。
    「邪魔はさせないよ。君の相手は僕らだ」
     影宮・咢(仮想人格・d10721)は敵を戒める影と共に。
    「さぁ、こっから先は通させんよ! 喧嘩したい奴ばらからかかって来ぉ!」
     三島・緒璃子(稚隼・d03321)は、拳に抗雷撃の光を握って。
     夏美たちに語りかけている仲間たちを、守る。 
     皆が必死だった。そして、ついに。
    「本当にやりたかったことは見つかった? 今まで、色んな人がいたでしょ!? 夏美はどんな風になりたい?」
     天衣・恵(無縫・d01159)からの問いかけに顔を上げた、夏美の瞳には正気の光が戻っていた。
    「どんな風になりたいかは、決まっていたの。ありがとう。私、折角教えてもらったことを、もう少しで忘れるところだった。間違うところだった」
     夏美は恵に微笑みを向けた。続いて、想子にも、ルビードールにも。
     綺亜羅――スキュラは、かつて大淫魔と呼ばれたダークネスだが、今は分が悪いと踏んだのだろう。夏美の手を強引に引き、退路を探して視線を走らせる。
     しかし、その背後に人影が立った。
    「そんなに急いで逃げないで、ちょっとお話しようぜ?」
     ロイ・ランバート(忘却の旅人・d13241)だった。
    「なぜ夏美を傷つける真似をした」
     続いて、ジャック・アルバートン(ヒューマノイドヘビータンク・d00663)が飛び込み雷のような声で問う。
     相手が人間であったなら、動揺したかもしれない。しかし綺亜羅の表情には、邪魔者への怒りしかない。
    「確かに、ちょっとは傷つくけど、闇に堕ちさえすれば、なっちーは絶対に傷つかない存在になれるでしょう?」
     綺亜羅は胸を張り、ごく当然であるとばかりに、そう返す。何故わからないのか、と言わんばかりだ。
    「人間のままじゃ、弱いじゃない。やりたいことがあっても、できるかどうかもわからない。それに、すぐ死んじゃう。でも、ダークネスになればなっちーはしたいこと何でもできるよ。普通の人間なんていくらでも夢中にさせられる。皆が、いくらでもなっちーのこと褒めてくれるよ」
     夏美が震えていることに、綺亜羅は気付かないのだろうか。夏美は喜ぶに違いないと、信じて疑っていない顔で笑い、一心に語りかけ続ける。
     綺亜羅に握られていた手を、夏美はするりと引いた。
    「夢中にさせられるって……あの人たち……みたいに?」
     そして周囲の強化一般人たちを見回し、呟く。
    「うん!」
     夏美の愕然とした表情に、笑顔で頷いた綺亜羅は、やはり気付かない。
    「それに、なっちーなら、あんなマイなんかメじゃない淫魔になれる! ラグナロクダークネスだもの。とびきりだよ」
     綺亜羅が言うのと時を同じくして、悲痛な呼び声が聞こえてきた。
    「スキュラ様!」
     マイだ。軍勢の中では実力のあったほうだったのだろう、灼滅者たちと開戦直後からぶつかっていたわりにはまだ生き残っていた。しかしもう、限界だ。
    「スキュラ様! たす、けて……!」
     綺亜羅はマイを振り向きさえしない。
     夏美は倒れ消えてゆくマイを見て顔色をなくす。綺亜羅は――気付かない。
    「想い出してください。私たちと触れ合っていた時間を。そして強くイメージして下さい。これからなりたい自分を!」
     息を切らし、淫魔たちと交戦しながら、風花・蓬(上天の花・d04821)が、叫ぶ。
     ややあって、夏美は顔を上げた。その表情は、決然として。
     綺亜羅に向かって口を開く。
    「私ね、色んな人に会って、話を聞いて、私なりに、考えたの。アイドルになれる子は、勇気を出した子なの。応援する人たちは、報われないかもしれない世界に一歩踏み出した勇気を、アイドルの輝きの中に見るんだと思う。私は、輝けるのなら、そうやって輝きたい!」
     勇気をもって放たれた言葉、だったけれど。
    「なっちー。どうして、そんなつまんないのがいいの?」
     綺亜羅の答えに、夏美はうなだれた。
    「私、綺亜羅ちゃんに応援してもらえて、背中を押してもらえて、嬉しかったよ。だから私も勇気を出して、綺亜羅ちゃんに勇気をお返ししたかった。でも……綺亜羅ちゃんは……違ったんだね……」
     夏美は、灼滅者たちの方へと後ずさる。
    「なっちー……!」
     伸ばされた綺亜羅の手を取ることなく、頭を振り、背を向けて、小走りに駆け寄っていたのは、想子の前だ。
    「ありがとう。間に合ってくれて。さっきあなたに『みっともない』って言ってもらえなかったら、この町に逃げてきた時と何も変わらない、かっこ悪い私のまま、私じゃなくなっちゃうところだった」
     夏美は想子の手を取り、頬を寄せた。
     掌と頬が触れ合った場所から迸った光は、サイキックエナジーそのもの。
     ラグナロクと契約者との契約が成立し、夏美の身の内に生成されていたサイキックエナジーが放出されたのだ。
    「なっちー!」
     綺亜羅の絶叫が響き渡る。
     しかし、動揺が見えたのは一瞬のこと。
     綺亜羅は唇を噛むと、前傾し身を低め、獣じみた素早さで夏美の許へと駆ける。
     そして、夏美から放出されたサイキックエナジーがサイキックアブソーバーに吸収されて消えてしまう前に、その大部分を――奪い取った。
     ほんの一瞬の出来事だった。
     サイキックエナジーの強烈な光が消えた時、綺亜羅は後方へと跳び、波打ち際へと引いていた。
    「……ふふ」
     海を背に、灼滅者たちと向き合った綺亜羅には角と、鱗の生えた魚の尾が生え、淫魔の正体が現れている。
    「すごいなあ、なっちー」
     頬を紅潮させ、興奮を抑えきれないような表情で綺亜羅は夏美を見た。
    「ちょっと取りこぼしたけど……充分だよ」

    ●そして
     灼滅者たちに向けて、綺亜羅は両手を突き出し、甲を向けてパッと指を開いた。
     親指を折り人差し指から小指まで、両手合わせて八本の指。
     その指先に陽炎が立ち、揺らめきの中にホログラム映像のように、一文字ずつ漢字が浮かび上がっている。
     仁。義。礼。智。忠。信。孝。悌。
    「このコと、このコにしよう」
     ロウソクの火を吹き消すように、ふっ、ふっ、と。
     綺亜羅は孝と礼の文字に息を吹きかける。吹き飛ばされた陽炎は弧を描き、渦を巻き、円を描いて、二つの白い珠になった。そしてそれぞれが人影を形作る。
     一方は白い和服姿の女に、もう一方は馬頭の悪魔のような姿をした男に。
     どちらも現れてすぐに、綺亜羅の足元に跪いた。
    「ありがと、なっちー。八匹全部には足りなかったけど、二匹、取り戻せたよ」
     綺亜羅は左右に跪いた男女の喉許を、するり、するり、と両手でかわるがわる撫でる。
    「お絹。オロバス。我が犬士たちよ、よく戻った。寂しかったぞ」
    「「は」」
     女と男は異口同音に応え、呼ばれた順に口を開いた。
    「『孝』の犬士・白露のお絹。御側に」
    「『礼』の犬士・オロバス。復活させて頂きましたこと、感謝致します」
     八犬士!
     あちこちで、息を呑む気配がした。
     南房総というこの土地、犬というキーワード。
     そこから何とはなしに、江戸時代に成立した物語が思い出されはしたが、つながりがあったとは。
     お絹と名乗った女が顔を上げた。
    「伏姫様」
     鷹揚に、綺亜羅は頷く。
    「その名で呼ばれるのは久方ぶりだ。あの頃が一番楽しかったな。……何だ? お絹よ」
    「命を下さいませ。姫様に刃を向ける無礼者どもを、この『村雨』でひと撫でにして差し上げまする」
     お絹の白い手は、腰に佩いた日本刀の柄を握っている。
     オロバスが顔を上げた。
    「逸るな、お絹よ。スキュラ様には何かお考えがあるのだろう」
     馬面から出たとは思えぬ、理知的な声がお絹を制する。
     綺亜羅が頷いた。
    「その通りだ、オロバス。私は新しい『犬』が欲しい」
    「なるほど。小娘一人、堕とすのは簡単ですが、犬にするには……」
     夏美を指さして言う綺亜羅に、オロバスは何かを納得した様子で頷いている。
    「まずはこの町を完全に我がものにしよう」
    「御意にございます、スキュラ様」
    「伏姫様の御心のままに」
     オロバスとお絹を従えて、綺亜羅は夏美に向き直った。
    「じゃあね! またね、なっちー。準備ができたら呼ぶね!」
     お絹とオロバスは犬の頭部に姿を変え、綺亜羅に寄り添った。よく見れば、二体の犬は下半身に融合している。
    「スキュラ、ギリシャ語で即ち、『犬の子』……」
     丹下・小次郎(神算鬼謀のうっかり軍師・d15614)は、鬼だんびらを構えたまま呆然と呟く。
     神話に聞くスキュラの姿。
     スキュラとは、伏姫が八犬士と融合した姿のことだったのだ。
     犬士がたった二体しかいない今でさえ、凄まじい威圧感がある。
    「また来てね。この町に」
     スキュラは悠々と灼滅者たちの頭上を跳び越え、街並みの中へと去った。
     ラグナロク、海空夏美の救出は成功した。
     しかし、スキュラという強大な敵の存在は残った。
     当面の危機を脱することができた安堵が一番大きい。しかし、次に大きいのは、この先にスキュラによって起こされるであろう何事かに対する不安。
     ――灼滅者たちの胸中には、さまざまな思いが、複雑に渦巻いていた。

    作者:階アトリ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年9月20日
    難度:普通
    参加:3281人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 97/感動した 3/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 17
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