ぞんさんが来た ~猿倉お掃除日記~

    作者:矢野梓

     ――ぞんさんが来た。うざい。くさい。じゃま。
     だから、おそーじにきてもいいよ。

    「これを依頼というべきがどうかはおおいに迷うところなんですが……」
     水戸・慎也(小学生エクスブレイン・dn0076)は1通の手紙を示すと、教室に集まった灼滅者達を見渡した。事の起こりは皆もよく知るクロキバ派。『何かあったら連絡を』というのが徹底しているのか、この頃は学園にこんな便りが届くようになっている。
    「まあ、何かあったことは間違いがないですし……」
     拙いとはいえこうして情報を届けてくれたのもまた何かの縁。依頼の形式をとっていようといまいと退治にゆくのが筋というもの。
    「……え~っと、要するに眷属退治、ですか~」
     慎也の長々しくも理屈っぽい口上をよそに、高村・乙女(天と地の藍・dn0100)の要約は単純明快。素直ここに極まれりという点では、手紙の主とよく似ているかもしれない。
    「……そうとも言う」
     対する慎也少年の方はどことなく不満げではあったけれど、乙女の言うことに間違いがあるわけではなし。前置きもそこそこに写真と地図をボードに貼り出した。緑濃い八甲田の峰々、猿倉温泉である。

    「おおお~、さ、猿倉~♪」
     乙女の語尾が跳ね上がった。猿倉といえば彼女の実家のすぐ近く――もっとも地方の住民のすぐ近くはあまりあてにならないが――夏でも涼しい温泉地である。東京の連日の猛暑を思えば天国のような場所なのだ。
    「正確に言うと、温泉から少し奥へ入った山の中、なんだけどな」
     慎也は地図の一点に印をつける。どうやらそこには廃墟となった小さな家があるらしい。ごく小規模な温泉施設を作ろうとした、そのなれの果てらしいのだが、詳しいいきさつは今回は関係がない。問題なのはそこに8体のゾンビが棲みつくようになったということで――。現場にはまだ人の気配がないとはいえ、一般人がゾンビ達に遭遇してしまう事件はいつ起きてもおかしくない。ことに今は夏の観光シーズン。涼を求める観光客は結構多いのである。
    「……ああ~! それで、ぞんさん……ですか~」
     感心するところが違うだろうという少年のツッコミもどこへやら、乙女はうっとりと八甲田山系を見つめている。
    「ゾンビ達はスコップとか鉈みたいなのを手に、わらわらと襲いかかってきます」
     乙女の方にはさっさと見切りをつけて慎也は灼滅者達に向き直る。ゾンビは8体。腐りかけにしては体格がよく、破格に力が強いけれども戦い方は単純だ。
    「殴ったり切ったりという感じですね」
     ただ数にものを言わせてという訳ではないが、同じ敵を狙おうとする癖のようなものがあるらしい。
    「各個撃破とかいうようなレベルのモンじゃあねー……ありませんが――」
     手負いの気配とか血の匂いに群がろうとする程度のものだろうと慎也は言うが、1人に攻撃が集中するとすれば笑ってもいられない。
    「ゾンビはあまり移動するタイプではないし……」
     件の廃墟に近寄りさえすれば戦闘に持ち込むのは難しくない。

    「ま、折角の温泉だから、退治後には浸かってくるといいですよ」
     どうせ日帰りは無理な距離、泊まる手配をしておいたから――慎也はさらりと付け加えた。
    「猿倉、猿倉~」
     乙女の目が輝き始める。なるほど、確かに腐った者の退治のあとに温泉というのは理にかなっている。
    「件のイフリートは姿を見せねーし、他に大したこともないだろうけから……」
     眷属を倒した後はのんびりと北の夏を満喫するのも悪くないだろう。そのためにもまずは確実な退治をというわけで。
    「んだな。油断せばわがんね………え~っと、油断せずちゃんと退治してから楽しみましょう~」
    「……そういうわけで、よろしくお願いします」
     一瞬戸惑った慎也の声に送られて、灼滅者は猛暑の東京を後にする。


    参加者
    池添・一馬(影と共に歩む者・d00726)
    迫水・優志(秋霜烈日・d01249)
    月雲・悠一(紅焔・d02499)
    樋口・かの子(天爛桜花・d02963)
    神津・暁仁(黎明を待つ焔の獅子・d05572)
    祁答院・哀歌(仇道にして求答の・d10632)
    津軽・林檎(は寒さに強い・d10880)
    仁科・あさひ(明日の乙女・d19523)

    ■リプレイ

    ●かさね緑の奥へ
     夏風ゆたかに八甲田。緑鳴り、せせらぎ歌うこの季節は山の生命力が最も判りやすい形で発露する時。バスが山路を切り開くように進んでゆけば、光も緑もますます濃くなってゆくような――。
    「久しぶり……」
     窓辺に顔をつけたまま津軽・林檎(は寒さに強い・d10880)が呟くと、高村・乙女(天と地の藍・dn0100)もぱっと顔を輝かせた。細い指をとんとその肩に置くと、林檎の表情も……。
    「わい! 高村さんも青森だの?」
     たちまち始まる地元後の応酬。どこか緊張を含んでいた空気がほろりと解ける。それがデビュー戦を控えた仁科・あさひ(明日の乙女・d19523)の心にはまた温かい。バスの窓を開ければむせ返るような夏の香り。
    「にしても……」
     池添・一馬(影と共に歩む者・d00726)も大きく息を吸い込んで、木漏れ日に目を細めた。光が踊る道とはまさにこのこと。こんな世界には動く腐臭もイフリートも似合わないことこの上ない。
    「……我が宿敵ながら、こう……気が抜けるよな、色々」
     月雲・悠一(紅焔・d02499)の溜息もごもっとも。

     ――ぞんさんが来た。うざい。くさい。じゃま。

     手紙の内容を思い出しているのだろう、その顔にはなんともいえぬ表情が浮かんでいる。
    「一般人に被害出させるわけにはいかねぇしな……」
     宿敵イフリートという点では神津・暁仁(黎明を待つ焔の獅子・d05572)も同じ立場。彼らからの依頼と聞けば少々複雑になるのも致し方無いこと。だが依頼主がどういう存在であれ、眷属退治は灼滅者の仕事。
    「まぁ全方位に喧嘩売り歩く訳にも行かないし……」
    「……やることはちゃんとな」
     悠一と暁仁の呟きは『妥協の産物』という枠から一ミリもはみ出してはいないけれど、そこはかとなく感じられる使命感にあさひはそっと笑む。
    (「ぞんさんって響きは可愛いんだけど……」)
     人間より鼻がよければその分腐臭もキツイんだろうし――イフリート達の思惑が奈辺にあるかと疑い出せば、それはそれでせんのないこと。なんとかしなければならない事実がそこに転がっているならば、まずはそこからだ。
    「ま、何はともあれ、さくっと片してとっとと温泉堪能したい」
     最近連続で出血大サービスな依頼内容だったからなぁ――そんなことを呟きつつ、迫水・優志(秋霜烈日・d01249)も行く手を見やる。ゾンビ達が出てきたのが温泉ならばそれこそ奇貨おくべしである。
    「うんうん、雪ん子美人の秘密は湯の花たっぷりな温泉にあると聞いたよ♪」
     ここはぜひね――樋口・かの子(天爛桜花・d02963)も身を乗り出してくる。
    「はいはい、あったかいのですよ~」
     もうすぐ着きますから~と乙女もふんわりと微笑返し。眷属達の出るところまではしばし歩かねばならないだろうが、仕事の後に最高の温泉が待っていると思えば、血腥い依頼にも少しは花を添えられるというもの。
    「さて、では行きましょうか」
     バスが速度を落とし始めたのにいち早く気づき、祁答院・哀歌(仇道にして求答の・d10632)は仲間達に向き直る。現世に縛られた骸に、せめてもの救いを――。

    ●ぞんさん、がでた
     まるで自宅の庭のように乙女が歩き出し、戦士たちは隊列を整えて緑の中を進む。
    「どこかうきうきしてそうだよな、高村……」
     優志が思わず苦笑するほどに、彼女の足取りは軽い。
    「あはは~。ぞんさん~。現れると大変ですけどね~」
     でも現れないと倒せません~――歌うように口ずさみに警戒に余念のなかった一馬も笑みを誘われ。
    「そういや、ぞんさんって何?」
     乙女は一瞬きょとんとし、それからおもむろに野生の紫陽花の茂みを指差した。
    「ぞんさん~ゾンビさん~、あれです~」
     瞬時、がらりと変わったその場の空気を一体どう表現すればいいものか。ぴしりとはりつめたのは一馬の殺界か、それとも灼滅者達の緊張の糸か。わずかに咲き残った紫陽花の花は数秒前とまるで変わりがないのに、最早誰もそれを目にしてはいない。
    「ぞんさん、とか言うとなんかゾンビも可愛く思える不思議――」
     暁仁の平板な呟きだけがやけに大きく仲間達の耳に響く。が、何しろ相手はゾンビ。イフリートをして『ウザい、臭い、邪魔』と言わしめた腐臭は健在(?)である。
    「……んなこたーなかったぜ!」
     無論次の瞬間には戦闘モードも全開で。
    「イグニッション」
     悠一が叫ぶや、紅蓮のごとき炎を纏い、林檎はさらりと杖を構えた。
    「青森の平和は、わたし達が守ります!」
     それがどこまで敵に通じたものかは判らない。だがゾンビ達もまた灼滅者を敵とみなしたことはどうやら間違いがないようだ。

    「どういうネットワークがあるんだろうな、イフリート達……」
     全くこんな厄介な物を押し付けて来て――口ではそんなことを言いつつも、優志の影業は切り取られた夜の如くに黒々と。何よりも早いその攻撃に一馬の槍が続く。掌に伝わってくる柄の捻り。まっすぐに伸びる鋭い穂先。トラウマの影に覆われたゾンビの1体から人の物とは思えない――実際人でないと言われればその通りだが――叫びが上がる。もっともその叫びも暁仁が操る火焔を前には長く尾を引くことを許されなかったが。哀れゾンビ、握る鉈ががくがくと震えているのが悠一の目にもはっきりと見える。あれならどんなにハンマーを大振りしても外すということはないだろう。灼滅者達の攻撃は由緒正しい兵法そのままの一極集中。鳳が翼を広げたならば当然かの子もそれに乗る。反撃すらかなわないゾンビの襟首に手をかけたかと思うと、最初の1体があっさりと大地に叩きつけられた。
    「そう強くもないよ!」
     かの子の明るい声が味方に走ると、林檎はシールドの守りを自らに。1体1体の強さがそれほどでないとは言っても、数は数。スナイパーやメディックといった後方支援が重要なのは言うまでもないこと。優志、乙女らと素早く視線を交し合うと、彼女もまた戦いの渦の中へ。
    (「……迷わないっ。記憶はなくても、戦っていくって決めたんだからっ!」)
     後方からの有形無形の援護の中、あさひも確実に敵懐へ飛び込んでいく。生まれた闘気は雷撃に、2体目の鉈使いを餌食にすれば、同じく前衛を担う哀歌が小さく頷いてくれる。
    「タゲはこちらで受け持ちます。攻撃をどうぞ」
     哀歌が狙うのは、スコップを振り回す屈強――だったに違いない男。かつては隆々としていだろう筋肉も今はシールドに叩き散らされるだけ。怒りに満ちた赤い目でスコップ使いは哀歌に反撃してくるけれど、それも灼滅者達の作戦の内。怒りを誘発し、敵に標的を絞らせる。その上で無傷な者は全力を挙げて集中攻撃を――。作戦はほぼ完全に遂行されていった。

    ●ぞんさん、は倒れる
     攻撃、反撃、反撃。回復、攻撃――フーガの如く繰り返される戦いの旋律。静かな癒しの歌が終わればすかさず奔るのは捌きの光。
    「はやいとこ湯治させてくれ……」
     下がる必要性もないくらい、きっちり回復してやるから――まんざら冗談でもなさそうに優志が呟けば、暁仁と悠一がそれに応える。
    「……おい、ホーミング」
     派手に空を切ったロケットハンマー【軻遇突智】に悠一は一瞬呆れ声を出しはしたけれど、その表情が余裕を失うことはなく。燃え上がる炎に照らされた横顔に、にやりと一馬は笑みを向けると、その手に雷神の怒りを宿す。クリーンヒットは眷属の顎を砕き、のけぞった所を見逃さず林檎がりんごビームを送り込む。青々とした草の上に生ける屍など似合うはずもなかったが、それはかの子も同感だったのだろう。クラッシャーの誇りをかけた百の拳は果てなく回る追撃の――あっという間に死の淵に追い込まれた2体目の背中を、あさひは念入りに押してやった。巨大な刀と化したその腕に逆らう気力など、当のゾンビに残されているわけもなく、死の坂を下るようにそれはどこか遠くへ旅立っていった。
     1体また1体と灼滅者達は確実に敵を屠っていく。当然のことながらゾンビ達の反抗も熾烈を極めるものではあったのだけれど、目下のところ、反撃は哀歌、暁仁、あさひがほぼ等分で受け持っている。怒りという名の糸が引ければ、どこが反撃されるかの予想はそれほど難しいものではない。庇い、庇われての攻防に優志ら回復陣、その補助に回ってくれた咲結達の力が添えられれば耐え切ることはむしろ楽な部類だ。
    「前線の維持が戦の要。耐えましょう」
     哀歌の呟きに周囲の者達も無言で同意。一馬の影が全てを切り裂く刃へと形を変えると、暁仁も有罪の逆さ十字を召喚し。影と光と、左右から走る傷口に悠一は我知らず口笛を吹き。とどめのスマッシュは気持ちよいくらい大地を揺るがせ、遠距離攻撃持ちの鉈使いを余すところなく屠りさる。
    「いよいよ、ですね?」
     林檎はくるりと傍らの乙女を見やった。
    「――組み替えは?」
     それ程の消耗があるか――悠一の一言にこもる思いを仲間達は完璧に読み取った。だがそれも今となっては単なる確認以上の意味はない。
    「必要なし!」
     かの子のはつらつとした返答に笑い声が湧く。残るは半分、スコップ勢力のみ。灼滅者達は再び攻撃のために地を蹴った――。

    ●ぞんさん、おそうじ
    「俺達も良く使う戦法だけど、やられるとえげつないよな。集中攻撃ってのは……」
     善なる者へ回復の光を……暁仁の傷口が煌めきの中に消えていく。
    「しみじみしてんじゃねーよ」
     だがその口調に毒はなく、暁仁はぐるぐると腕を回した。時に焔を纏い、時に影を操るその腕はこれまでどれだけの命を救って来たものだろうか。返り血だけが防具を染める立ち姿は軍神さながら。哀歌は遠い2人のやり取りに微か身笑みつつ、シールドをスコップ使いに叩きつける。見る間に眉を吊り上げたところを見れば、これもまた怒りに我を忘れてくれるだろう。幾重もの怒りはそれなりのリスクも生むけれど、哀歌と林檎が延々仕掛けて来た攻撃はダメージのマリンスノウを徐々に徐々に積み重ねてきている。
    「こっちを――」
     一閃、りんごビームがはしるのと彼女の声が通るのはほぼ同時。鉈使いを片付け終えた仲間達の目がすでに弱らされたその1体を正確に射抜く。その頼もしさを背に感じつつ、哀歌は舞うようにステップを踏んだ。肉薄した腐臭に一打、シンプルかつ大胆に浴びせたそれは冥土の坂の道しるべ。傾いだゾンビに見舞われるのは紅蓮の斬撃に弧を描く巨大なハンマー。一馬の方からすとんと力が抜けたのはその一瞬。とどめと意気込んだ勢いがそがれたのは残念だが、ならば新たなターゲットを一撃のもとに屠れば済む話。銘無しと名付けられた朱塗りの槍に薄青い冷気の神が宿る様は妖しいまでに美しい。氷の氷柱が腐った喉元を突き破れば、ゾンビには断末魔も赦されない。
    「はやい、です~」
     乙女はただただ息をのむ。その感嘆を背に聞きながら哀歌は静かに笑んだ。残るは2体。ほぼ無傷ではあるけれど、この糸があるならば――呪詛で強めた鋼の糸は奴ら如きに切れる代物に非ず。2体まとめて縛り上げてみせれば、賞賛の代わりに林檎の魔法の矢が飛ばされる。白羽の矢が立てられた、という訳ではないけれど、これがターゲットを決定したことは間違いない。電撃に火に、スマッシュに投げ技に鮮やかな攻撃が一気にはじけた。
    「……終わりよね」
     かの子の豪快な投げに死にゆくゾンビから、最後のゾンビへあさひは視線を移す。その腕は夏の光をはねかえす刃。きらりと銀の光が走ったかと思うと、暁仁の炎が更なる光を添えて。
    「早くこの臭いと汚れ落としてぇ……」
    「もうすぐ叶いますよ~」
     乙女の掌には弾けるオーラ、優志の足元からは敵を斬り刻む影の刃。
    「ああ、すぐにな」
     長く伸びる影は一足早い夜の如く。静けさの内に総てを浄化していく漆黒に最後のゾンビの悲鳴が長くながく尾を引いた。

    ●さるくらくらの湯
    「まんず良い湯だの~」
     僅かに蒼みを帯びた白濁の湯。林檎がそっとすくえば指の間に暖かな光が走る。ここに来るのは小学校以来だが、浸かって見れば肌に何とはなしに覚えがある。
    「んだ~」
     地元言葉で返す乙女も、今は手拭いを頭に乗っけてすっかり湯治客。女湯は他に人影もなく、光に踊る緑を眺めつつの温泉タイム。
    「ついに美人の秘密を解き明かす時だね」
     かの子も首までとっぷり。我知らずラブリンスターの『ドキドキ☆ハートLOVE』などを口ずさみつつの湯の遊び。湯は熱めだけれども頬に当たる風は心地良い。これなら滅多なことでは湯あたりすまいと思っていたら、すっとバニラアイスが差し出される。
    「あ、えへへ。乙女先輩も、ご一緒にどうですか?」
     サポートに徹してくれていた咲結の差し入れとあれば喜んで。熱い湯に冷たいバニラ。何とも絶妙な組み合わせに、哀歌も心をほどいて湯に身を委ね。骨休めというのはこういうことをいうのだろうか。体の芯にまで緩やかな安らぎがしみてくる。
    「あ、子ザル~」
     気がつけばあさひの髪を子ザルがひっぱっていたりなんかもし、
    「っと、そこの無礼者っ」
     時には父親猿がかの子の湯鉄砲に撃退されたりなんかもし、女湯には賑やかな笑いが絶えることが無い。

    「「無礼者?」」
     ぎょっとするようなセリフが聞こえてくることもあったけれど、男湯の方もそれなりに温泉気分を満喫している。
    「あー、生き返る……」
     暁仁が手足を伸ばせば湯の影がゆらゆらと。猿倉の湯は眺望は決していいとは言えないが、この湯は他のどこにもかなうものがない。黒湯もいいけどな、と一馬はご当地自慢も忘れないが、温泉の魅力は千差万別。皆違って皆いいとは誰の言葉だっただろうか。
    「ぞんさんの跡も焼き払っておいたし……」
     一仕事の後の温泉は格別だよな――悠一の呟きに無論反論など起こるはずもない。まあイフリートにいいように使い走りさせられている気はしないでもないが、この湯が全てを忘れさせてくれるのだから――。
     ひとまず湯から上がれば山はちょうど夕暮れ時。夕食までは今少しとなれば、湯上り散歩の案内は林檎と乙女の独壇場。夏緑の小路は正直獣道としか言いようがなかったが、時折聞こえる猿達の会話も今は耳にくすぐったい。
    「お猿さんがお湯に使ってるのを猟師が見つけたのがこの温泉地のはじまりなのかー。あ、このあたりの名物ってなんだろ」
     宿に帰ればあさひと共にお土産を物色し、今夜の祝杯のためのジュースを選ぶ。戦いが絡まなければとことんマイペースの乙女に悠一はくすりと笑う。
    「そうだ、今度は横浜の湯にもこいよな」
     一馬の言う真っ黒のお湯とはどんなものか、はしゃぐうちにも時間がどんどん過ぎていく。
    「これなら星も綺麗そうだな」
     優志の呟きに、勿論乙女は大きく頷き。どうやら今夜は星を見ながらの湯も楽しめることになりそうだ。

     ぞんさんが消えた猿倉の地に、平穏な夜がやってくる。



    作者:矢野梓 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年7月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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