輝く月が招く屍姫

    作者:六堂ぱるな

    ●満月になったら
     あえかな光を放ちながら、庭を蛍が舞う。
     夜風が茅葺屋根から滑り落ちた先にある縁側で、少女が月を見上げていた。
     祖母のお下がりの、古風な蝶の柄があしらわれた浴衣はお気に入りだ。団扇で静かにあおぐと暑さもしのげる。

     今のままがいい。
     傷みが進んだ家は雨漏りしたり、戸がちゃんと閉まらなかったりして苦労するけど、住み慣れればなんてことはない。
     祖父と祖母と、穏やかに日々を重ねていくことが幸せなのだ。

     少しずつ月が満ちて行く。

     満月になったら、私はなにか違うものになってしまう。
     ちょっと怖いけれど、でも。
    「お祖母ちゃんも楽にしてあげなくちゃいけないものね」
     少女が微笑む先には、腐臭を放つ死体があった。死体はぎこちなく動きながら、庭の片隅に咲く白い桔梗を摘んでいる。
    「明日はお見舞いだから、お祖父ちゃんはお留守番しててね」
     ほつれた髪を耳にかける少女の左手は、月光を通して輝く水晶だった。
    ●屍王か、人か
     長い黒髪、儚げな容貌の少女の写真を置いて、神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)はおもむろに口を開いた。
    「竹間・伽久夜(ちくま・かぐや)。彼女がノーライフキングになりかかっている」
     一般人が闇堕ちすれば、元の人間としての意識などなくなってしまうのが普通だ。彼女はその例外であり、まだ人としての意識を残し、ダークネスにはなりきっていない。しかしそれも時間の問題だ。
    「既に眷族を作っている。灼滅者の素質があるかもしれんが、もし完全なダークネスになってしまうようなら……灼滅してくれ」
     両親を亡くして祖父母に育てられた彼女の闇堕ちのきっかけは、祖父の死だった。
     入院した祖母が余命幾許もないとわかって間もなく、祖父が突然の心臓発作で亡くなってしまったのだ。伽久夜はその現実に耐えられなかった。

     屍王の力に目覚めた彼女は祖父を眷族とし、今までどおりの暮らしを装っている。
     祖父母と一緒に変わりなく生活していくことが彼女の望みだ。
     そして満月を迎えれば祖母をも眷族として、彼女は完全な屍王となる。
    「祖母の看病とか言って、学校を休んでいる。郊外の竹林に囲まれたいわゆる古民家で、一番近い家まで1キロはあるから一般人が紛れこむ心配はない」
     祖母の病院へはバスで通っている。午前10時に出掛け、午後3時には自宅へ戻るのが彼女の日課だ。自宅付近の人通りはなく、邪魔は入らない。
    「彼女はゾンビにした祖父の他に、自宅の庭に生息する蛍も眷族として従えている。まあ蛍は大した問題じゃない」
     伽久夜はエクソシストのサイキックを使って抵抗する。また輝く鋼糸を使った攻撃もしてくる。
     変化を望まない意思と、ノーライフキングの力がたまたま噛み合ってしまった。
     祖父母を眷族にすることが本当に幸せなのか、人でなくなることを受け入れるのか。
     それらの問いかけが、彼女の力を大きく削ぐだろう。
    「戦って倒さないことにはどうにもならない。彼女が戻ってこれるかどうか、そいつはお前達次第だ」
     気をつけて行って、必ず戻れ。ヤマトはそう締めくくった。


    参加者
    錠之内・琴弓(色無き芽吹き・d01730)
    竹端・怜示(あいにそまりし・d04631)
    埜口・シン(夕燼・d07230)
    アレクサンダー・ガーシュウィン(カツヲライダータタキ・d07392)
    九条院・那月(暁光・d08299)
    ヴェリテージュ・グランシェ(混沌たる白の花・d12844)
    御門・美波(アストライアの落とし子・d15507)
    八祓・れう(先生のたまご・d18248)

    ■リプレイ

    ●立ち止まった世界
     午前の強い日差しを遮る竹林に囲まれ、民家は時から切り離されたようにぽつんと建っていた。昔話から抜け出たようなその風景は、時間の流れを否定した主の支配を想わせる。
     覆水盆に返らず――死者は蘇らない。
     だがその思いを受け継ぐ者が居る限り、その足跡が消えるわけではない。彼女が新しい水を汲み直せるようになればよいが、とアレクサンダー・ガーシュウィン(カツヲライダータタキ・d07392)は思っている。
     家は敷地の奥に鎮座し、玄関まで手入れの行き届いた庭が広がっていた。玄関に近い一角では白い桔梗が風に揺れている。そのひっそりと咲く花を、ヴェリテージュ・グランシェ(混沌たる白の花・d12844)は哀しい想いで眺めた。

     午前十時。伽久夜が家を出る頃合いだ。
     九条院・那月(暁光・d08299)が玄関前へと出ると、静かに声をかけた。
    「御免下さい」
     はい、と小さな声が応じ、しばらくして引き戸ががらがらと音を立てて開く。
     蝶の柄の浴衣をまとった伽久夜は、予期せぬ訪問者たちを不思議そうに眺めた。長い髪をひとつにまとめて、水晶化した左手を隠す為か包帯を巻いている。
     祖母には闇に呑まれた彼女ではなく、人として会って欲しいと八祓・れう(先生のたまご・d18248)は思っていた。
    「私たちは月の使者じゃないけど、伽久夜、君を迎えに来たよ」
     埜口・シン(夕燼・d07230)の言葉に、驚いたように目を瞠る。アレクサンダーが桔梗の傍らに立ち、静かな声で語りかけた。
    「この花、綺麗に咲いているな。これは誰が?」
    「植えたのは祖母、ですけれど」
     躊躇いがちに応えるその手にも白桔梗の小さな花束があるのを見て、那月が鋭く切り込む。
    「生前の御祖父の趣味か? それとも御祖母の好きな花か?」
     伽久夜が顔色を変えた。ただの訪問者ではないと彼女が悟ったとみて、竹端・怜示(あいにそまりし・d04631)が穏やかに言葉をかける。
    「この庭を見れば分かるよ。花が咲いて散り、次に種を残す……そうした命の営みを愛おしんでいた方の筈だ」
     口許をきっちり隠した怜示の言葉に、錠之内・琴弓(色無き芽吹き・d01730)も無言のうちに同意した。
     今を盛りと女郎花や槐が花をつけているが、別の一角では杜若やツツジが花を終え、次の世代へと命を繋ぐ準備をしている。時の流れが覆ることはない。
     御門・美波(アストライアの落とし子・d15507)とて、確かに不幸なのかもしれない、と思っていた。だが、自分の幸せのために死者を愚弄するなど許されない。その怒りが、笑顔となって現れた。
    「ねぇ、貴女……ちょっといいかな♪」
     怒りを潜ませた静かな威圧感が、かえって口調を軽くしている。
    「自分の大好きな人を弄ぶなんて、どんな気持ちかな?」
     伽久夜の頬が、さっと紅潮した。

    ●目を閉じ、耳を塞ぎ
     草履を履いて玄関から出て来ると、伽久夜は静かに口を開いた。
    「お帰りください」
     彼女の言葉に誘われるようにして、家の中から腐臭を放つゾンビが姿を現した。彼女の祖父であろう。伽久夜の側へと並び、獣のようなうなりをもらしている。
    「どんな形であれ天寿を全うした、祖父殿をこんな形で動かして幸せか」
     那月は引かなかった。
     彼自身が灼滅者となったきっかけは、祖父のゾンビ化だった。似ているようで、彼と伽久夜の状況は同じではない。彼女は闇を受け入れたのだから。
    「放っておいて!」
     悲鳴のような叫びが、伽久夜の喉から迸った。
     陽光を跳ね返し、きらめく十字架が彼女の前に現れる。それは激しい光を放ち、前に立つ灼滅者たちへと襲いかかった。
     アレクサンダーは愛機スキップジャックのエンジンを噴かすと、シールドを展開して突っ込んだ。庭から突如姿を現した蛍の群れが、彼の攻撃を受け止める。
    「祖父を動く死体として操っても、最早昔の様に笑いかけてはくれまい」
     アレクサンダーに続いて、斬艦刀で蛍を薙ぎ払いながらシンは言い聞かせるように口を開いた。
    「お祖父さんとお祖母さんは、変わりゆく時を経て、出逢い別れ、皺を刻んで、そうして君の大好きな二人になったんだよ」
     受け入れたくないものから目を逸らしたくなるのはわかる。
     だがそれを理由に、人を辞めていいはずがない。
    「無理矢理捩じ曲げて、変わらないなんて嘘から……目を逸らさないで、伽久夜!」
     一度は散りながらも、蛍が再び集まってくる。そのただ中へ怜示は彗星のような一矢を放った。伽久夜を守るべく集まりはしたものの、蛍は夜ほどの防御力を持てないらしい。
     その一撃で、蛍は消え去っていった。
     前に出た祖父を塞ぐ位置に立ったのはヴェリテージュだった。
    「……貴方の相手は私だよ」
     味方に攻撃が行かないよう、掴みかかるその腐りかけた身体を盾で押しとどめる。
     ヴェリテージュは伽久夜へと、そっと声をかけた。
    「耐えがたい事なのは私も良く分かるよ……傍に居てくれれば、それだけで良い。でも、死んだ人はもう戻らない……何も答えてくれないんだよ」
     それは現実だった。彼が知っている、そして伽久夜が直面している、容赦のない確固たる現実。
     彼の後ろから、琴弓が必死に声を張り上げた。
    「眷属にしちゃったら、お爺ちゃんもお婆ちゃんも人間じゃなくなっちゃうよ。隣のお爺ちゃん、生きていた時のお爺ちゃんと違うでしょ?」
     彼女にとって近しい死といえば、隣の幼馴染の母親だ。
     もう一人の母親のように慕っていた彼女の死は、確かに衝撃だった。一年ほどもかけてやっと、幼馴染も自分も、その死に向き合えるようになったところだ。
     伽久夜の選択は間違っていると伝えなくてはならない。
     渾身の歌声を響かせて琴弓が訴える。
    「笑ってくれないよ。叱ってくれないんだよ? 竹間さんの言うことを聞くだけの操り人形と何が違うの?」
     手にしたウロボロスブレイドは、愛する人と分かち合った姉妹剣だ。そっとくちづけて、美波は必ずまた傍らへ戻ることを誓う。大切な人を裏切るような真似は絶対にしない。その鞭のような剣で防御を敷く。
    「どんな綺麗ごと、世迷言を言ったところで、貴女が貴女を愛してくれた人を利用してることには変わりないの。そう、利用よ! 自分が楽になりたいがために死んだ人を操り、人としての尊厳を踏みにじる」
     怒りに跳ねあがりそうになる声を抑えるので精一杯だ。
    「あまつさえ、まだ精一杯生きようとしている人すらその手にかけようとしている!」
     伽久夜がダークネスに身を任せた、その意思が許せない。
     凍りつく浴衣姿へと、那月とその霊犬がコンビネーションを仕掛けた。
    「幾ら死した者を操ってここに縛り付けても、天に召された魂は戻って来はしない」
     ヴェリテージュの抑え込みに逆らい、尚も前へと進もうとするゾンビの身体を、かろうじて見えるほど細い鋼の糸が縛りあげて動きをとどめる。糸をすっぽりと鎧で覆った右腕で操りながら、れうが声を振り絞った。
    「本当に、これがあなたの幸せなのですかっ……?」
     そうなら何故、彼女は泣いているのか。
     魂を蝕むダークネスの闇に沈みかけている、彼女を呼び醒まさなくてはならない。

    ●絶望するのも人
    「お願い、帰って!」
     伽久夜からきらきらと輝く鋼の糸が奔って、前衛に立つ者たちを襲った。
     糸をかわしたアレクサンダーはソーサルガーダーを使って、小柄な美波の傷を癒した。
    「お前が祖父母に愛されたという事実は変わらない。桔梗の花言葉は『変わらぬ愛』。その証だ」
     押し出すようなその言葉に、伽久夜がかすかに唇を震わせる。
    「だがその事実も『伽久夜』の存在が消えてしまえば無意味になる」
     シンとヴェリテージュが刻みつけられた傷を癒している間に、口を開いたのは怜示だった。
    「君に訪れた変化が大したものではないと言うつもりはない」
     ヴェリテージュが抑えていた伽久夜の祖父へと、怜示の縛霊手が向き直る。
    「開け、千の眼」
     その一言ともに厳つい縛霊手の目が開き、霊的結界が命なき身体の自由を奪った。
    「君に必要なのは、変化を拒み偽りの不変に浸ることではなく、ゆっくりとでも受け入れ、前に進んでいくことではないかな」
    「いつわりの、不変?」
    「家族だったら、大切に思うなら、人間として最期を見届けてあげようよ。私は大丈夫だから安心してって言って見送るのが、最期の親孝行だと思うんだよ」
     少しずつ様子が変わってくる伽久夜に届けとばかり、琴弓は正面から訴える。
     美波はもどかしそうに小さな身体から裁きの光を撃ち込む。はるかに年が上の伽久夜に、叫ぶように彼女はぶつかっていった。
    「彼は死んでるの……もう、その身体に心は存在していないのよ!」
    「……嘘よ……満月にならないから、私が完全じゃないから、きっと」
     熱に浮かされたように首を振る伽久夜へ、那月は指輪を掲げると漆黒の弾丸を撃ち込んだ。その足元から霊犬が舞うように飛び出し、ざっくりと傷を入れる。
    「愛情を持って必死で育てて来た二人の愛を否定して、人であることを捨てるのか? ……それでいいのか?」
    「こんなことをして、あなたのことが大好きだったお祖父様が、喜ぶと思いますかっ……!」
     れうが鋼の糸を操り、伽久夜を傷つけるものへと立ち向かおうとする祖父を縛り上げ、足止めを続けている。
     真摯な那月とれうの言葉に、伽久夜はぼんやりと祖父へと目を向けた。

     何かが胸の内から湧き上がり、「ずっと一緒にいられる方法」を囁いた、あの時から。
     伽久夜の目と耳を塞いでいた闇が一瞬晴れた。

     人としての死を許されず、腐りながらなお蠢く祖父の姿。
     手にしたと思っていた永遠の幸福が紛い物だと、それははっきりと伽久夜に突き付ける。
    「……お祖父、ちゃん……?」
     茫然と祖父だったものを眺めて、伽久夜が途方に暮れたように呟く。

     次の瞬間、びくんと細い身体が跳ねた。
     彼女の魂を押しのけて、目覚めたダークネスが、打倒しなくてはならない敵がその身体を支配しようとしている。
     先ほどまでとは別人のように殺気を漲らせた伽久夜が、輝く糸を操りシンを狙う。その攻撃を受け止めたのは、割って入ったアレクサンダーだった。激しく切り裂かれ血を噴きながらも、ウロボロスブレイドを手に複雑な軌跡を描く斬撃を加える。
     シンが操る無敵斬艦刀のうなりは、慟哭のように空気を引き裂いた。

     ――永遠になれなかったことが、今も、こんなに痛い。
     シンにも痛いほど、伽久夜の心を掻き乱す悲嘆がわかる。
     灼滅者ならば誰もが経験する別離、奪われる日常。
     その日々が余りにも輝いていたから、穏やかな日々が永遠に変わらずに在って欲しい、誰もがそう願うのだ。それが手の届かない場所へ去ってしまう。
    「……私も、一緒に……」
     喪われてしまうのならば。
     涙とともに伽久夜の唇から零れる一言を、シンが、美波がひと呼吸もおかず否定した。
    「そんな言葉、だめ! 諦めなきゃ、切り捨てなきゃ……いけないの!」
    「目を覚まして! 今ならまだ戻ってこられる!」
    「一人じゃないよ、ここに貴女を助けたいって人がこんなにいるんだよ!」
     容赦なく加える打撃も、彼女を引き戻す為。琴弓もその一線を踏み越えて行かせたくない。
     怜示と共に祖父を抑え込んでいるヴェリテージュが、傷の回復をしながら口を添えた。
    「強く生きて欲しいと、祖父は願ってくれているんじゃないのかな。家族の幸せを願わない人は居ないと……そう、思うから」
     彼女が祖父の死を乗り越えないと、今人としての死を得られずにいる彼が救われない。
    「二人はお前を自分で歩いていけるよう育てて来た筈だ。大切な人の死が悲しくない者などいない」
     再び、那月と霊犬の「いぬ」が華麗なコンビネーションで伽久夜を切り裂く。
    「悲しいままでいい。前へ歩くんだ」
     れうのギターが傷を癒すメロディを奏で――それからまもなく、伽久夜は力尽きた。

    ●選択するのもまた、人
     伽久夜の痩せた身体を抱き起こして、シンは微笑んだ。彼女の左手はもう、水晶ではなく人のものに戻っている。
     駆け寄ったれうが保温ポットからお茶を出すと、疲れきった表情の伽久夜へと勧めた。
     震える手で受け取ったものの戸惑っている彼女を、那月が見下ろした。
    「悲しいまま歩いてゆくことは難しい」
     那月の強い視線には、哀しさを湛えた強さが見える。
    「出来ないと思うかもしれないが、出来る。俺もその途中だ」
     ぶれも弱りもしそうにない彼の言葉に、伽久夜は驚いていた。
    「無理に、一人で抱え込まなくたって、いいのですよっ。学園には、様々な過去を背負った生徒さんが、いますから」
     微笑みかけるれうの隣で、ヴェリテージュが頷いて武蔵坂学園について軽く説明した。
     同じような身の上の者がいること、施設、そして灼滅者について。
    「大丈夫、皆とても優しくて頼りになる人ばかりだから」
    「あなたの辛さに、共感して……きっと、そっと寄り添ってくれるでしょう。……もちろん、私も、ですっ」
     ほわっと笑うれうの言葉と、お茶の温かさに、伽久夜は涙のたまった目を伏せた。
     なんとかお茶を飲むと、暑い日だというのに冷え切ったようだった身体が少し温まる。

     祖父の支配を解いた伽久夜は、改めて自身がしたことに押し潰されそうになっていた。
     夏場ということもあり、傷みはかなり激しい。
     それでも怜示が時間をかけ、手間をかけて『擬死化粧』を施すことで、ゾンビは「竹間・栄治」という一人の死を迎えた人間へと戻ることができた。
     ヴェリテージュも手伝ったことで、仏間に布団を敷いて遺体を寝かせ、簡素とはいえ弔いの設えが出来上がる。
    「ありがとう、ございます」
     灼滅者たちへと一礼して、伽久夜は少しの間、その枕元で泣いた。
     少し落ち着いた目の前に、ふわりと白桔梗の花束が差し出された。月の光のような銀色のリボンが結ばれている。
     それはシンが選んで持ってきたリボンだった。
    「お祖母ちゃんのお見舞いへ行こう」
     柔らかなシンの言葉に、花束を手にとった伽久夜の瞳から涙がこぼれた。
     頷いて立ち上がりかけたが、くらりと目の前が回り、よろけて膝をつく。
     思い出したように那月が手を差し出した。
    「あと、最期まで親孝行できるようにしっかり食べろよ?」

     小さな病院を出た伽久夜は、とぼとぼと歩を進めていた。
     身のうちで囁く闇に、もう身を任せないと決めたものの、先を思えば心細さだけが募る。
    「伽久夜」
     ささやかな街の喧騒の中から、投げかけられる声。
     顔をあげると、病院の前の道路に特徴的な鰹モデルのキャリバーが停まっている。その周りで灼滅者たちが手招きをしていた。
    「改めて、出来れば我々と一緒に武蔵坂学園に来て欲しい」
     アレクサンダーの言葉が、その意思を代表して紡がれる。

     浴衣の裾を翻し、伽久夜はおずおずと一歩を踏み出した。
     月の光よりも彼女を強く招く、差し伸べられる手と、笑顔へと。

    作者:六堂ぱるな 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年7月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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