臨海学校~flaming sunset

    作者:中川沙智

    ●あたかも燃えるように
     太陽が西に傾く。
     群青に染まっていた空が、海が、緋に浸り始める。
     博多湾に位置するとある海水浴場。海水浴にはやや遅く、花火見物にはやや早い時間帯。それ故に大盛況とまではいかずとも、それなりの人々で賑わいを見せていた。
     波打ち際で足先から零れる小さな水飛沫も、夕映えで若紫色に煌き。
     海の家にてプラスチックのスプーンで掬うかき氷も、仄かに橙色を帯び。
     雲さえも妖しくたなびき、玄妙な趣の一部となる。
     紅は『思ひの色』ともいう。『ひ』と『緋』をかけた言葉だと言われるが、その日の夕暮れはその言葉に相応しい。炎の如く燃える赤。焦がれるような火の色。
     『願ひの色』と言い換えるのも、いいかもしれない。
    「……そう、俺が『願い』を叶える日にはおあつらえ向きだぜ」
     青年は大振りのサバイバルナイフを手にほくそ笑む。
     仲間と思しき柄の悪い男三人も同様だ。ざらついた鋭い視線は獲物を狙う獣のそれ。目立たぬよう、人目につきにくい路上に駐車した車から次々に躍り出た。
     思い描いた無差別殺人を現実のものにするために。
    「きゃああああっ!」
     悲鳴が迸るまでさほど時間はかからなかった。
     砂浜ということもあり人々は思うように走る事が出来ず大混乱に陥る。その隙を青年達は見過ごさない。腹を抉る。膝を砕く。目を潰す。
     血飛沫が上がる。
     日暮れとは似て異なる、鮮烈ではあるが、どす黒い赤が散る。
     青年は歓喜にむせび叫ぶ。
    「俺はこの瞬間から選ばれた人間として生まれ変わるんだ!!」
     
    ●海に臨むは
    「夕焼けって実は夏の季語だったりするのよね」
     それはさておき、と小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)は資料を捲る。
    「夏休みといえば臨海学校、なんだけど。実は臨海学校の候補地だった福岡で、大規模な事件が発生する事がわかったのよ」
     教室に揃った灼滅者達の間に緊張が走るが、鞠花は軽く肩を竦める。
    「大規模といっても事件を起こすのはダークネスじゃないわ。眷属や強化一般人でもない。ごく普通の一般人よ。灼滅者の皆なら事件の解決は難しくないでしょうね」
    「……どういう事なんだ?」
     怪訝な表情で鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)が問う。鞠花は眉間に人差し指をあて、説明を続ける。
    「問題は、この事件の裏に組織的なダークネスの陰謀があると思われるって事なのよ」
     現段階では敵組織の正体も目的もわからない。だが、無差別連続大量殺人が起こるのを見過ごす事はできない。だから灼滅者の皆に対応してもらいたいのと、鞠花は告げた。
    「殺人を起こす一般人は何かカードのような物を持ってるわ。それに操られて事件を起こすみたい。だから事件解決後に原因と思しきカードを取り上げればいいのよ」
     そうすれば直前までの記憶はなくした上で気絶するだろう。後は適当に休憩所や日陰に転がしておけば大丈夫でしょと鞠花はさらりと言ってのける。
    「今回事件を起こす一般人の名前は『谷本・智也』。まぁうん、ある意味どこにでもいる普通の青年ね。彼が主犯格。仲間のごろつきがあと三人ほどいるわ」
     その誰もが一般人であることには変わりはない。
    「彼らが現場となる海水浴場にやってくるのは日没時。ちょうど海水浴に来た人が帰り始めて、夜の花火見物に来る人が来始める頃合かしら」
     日中や夜中ほどの人ごみではない。だが、その分人々も程良い疲労と充足感で油断しているのがこの時間帯だ。だからこそ彼らもそこに狙いを定めたのかもしれない。
     鞠花は対象となる青年達の写真を机の上に並べながら続ける。
    「幸い彼らは人目につかない道路脇に車を止めてから、海岸に向かって人々を襲い始めるわ。彼らの到着時点で決着をつけてしまうのがいいでしょうね。下手に海辺で騒ぎを起こされたら問題だもの」
     逃がさぬよう工夫しカードを取り上げて欲しいと鞠花は説明する。手加減攻撃でもいい。所詮は一般人だ、有用なESPがあれば使用するのもいいだろう。
     その時ならば車通りや通行人もなく、足場も特に問題ない。
    「敵組織の狙いやカードの分析なんかは、皆が戻ってきてから行う事になるわ。現場ですぐに調べられるものでもないでしょうしね」
     というわけで。
     神妙な様子で聞き入っていた灼滅者達に鞠花は片目を瞑ってみせる。
    「そんな暗い顔しなくたって大丈夫。皆ならすぐ解決出来るわ。それに今回の事件解決、臨海学校と同時に行われる事になっているのよ」
     灼滅者達がひと仕事を終え海辺に向かう頃は、ちょうど人々が少なくなったタイミング。
     全力で遠泳や潜ったりするのは厳しいかもしれないが、軽く泳いだり水遊びをするくらいなら十分可能だ。空と海が燃えるように染まる壮麗な景色を眺めるのもよし、海の家でかき氷や軽食を購入し、ゆっくり楽しむのもよし。
     じんわり肌を照らす夕焼けに沈む、掛け替えのないひと時。
    「あたしは用事があってどーしても行けないんだけど、その分、皆が楽しんでくれるって信じてるから♪」
     にっこり湛えられた笑顔には、あたしだって行きたかったわよと雄弁に書いてある。
    「そういえば小鳥居は夕暮れの景色が好きだと聞いたような……」
    「うんその通りよ」
     どきっぱり。
     だからお願いねと翔にデジカメが渡される。否と言う隙などこれっぽっちも存在しない。翔も生来の気の弱さからか、わかったと頷くのが精一杯だ。
    「でも」
     翔の表情に柔らかさと決意が入り混じる。
    「俺達が守った場所で、臨海学校を楽しめるのなら、それ以上のことはないな」
     そういうことよと鞠花も肯定する。
     いつもの明るい調子で、灼滅者達を送り出す。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    置始・瑞樹(殞籠・d00403)
    童子・祢々(影法師・d01673)
    函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)
    クラリーベル・ローゼン(青き血と薔薇・d02377)
    青海・竜生(青き海に棲む竜が如く・d03968)
    多和々・日和(ソレイユ・d05559)
    安土・香艶(メルカバ・d06302)
    東屋・紫王(風見の獣・d12878)

    ■リプレイ

    ●赤
     世界が焔の如く染まり往く頃合に、灼滅者達は予測で示された道路近くの日陰で身を潜めていた。
    「せっかくの臨海学校なんだから空気を読んで欲しいよね」
     手早く片付けて海を満喫したいなと呟く青海・竜生(青き海に棲む竜が如く・d03968)の心境は、その場にいる灼滅者達の皆に通じるところ。竜生と姉弟を演じる予定の多和々・日和(ソレイユ・d05559)も彼の隣で頷く。
     日和は末っ子。仮初でも弟が出来て頬が緩むけれど、嬉しさは心の裡にしまっておこう。
     今は竜生と共に囮役として、谷本・智也達の気を惹く事が一番の役目だ。
    「来たよ」
     最も死角になる位置で様子を窺っていた童子・祢々(影法師・d01673)の声と同時、一台の車がスピードを落とし停止する。
     車から躍り出る四人の男達の姿を確認し、闇を纏った安土・香艶(メルカバ・d06302)は日陰から一足飛びで移動する。車の後方、左車輪の横まで移動し身を隠す。待機する事を鑑みて夏物のブラックスーツを着てサングラスをかけ、冷却ジェルシートを仕込んでおくという徹底具合だ。男達は彼に気づかない。
     ナイフを手に意気揚々と海辺を目指そうとする男達の前を竜生と日和が横切る。姉弟が偶然通りかかった体で視線をさまよわせれば、男達は鋭い視線を二人に向けた。
    「あ? なんだてめぇら」
     他人が紛れ込む事など想定外だったのだろう、男達は不信感と不快感をあらわにする。
     日和が身を強張らせる。この年頃の『普通の』少女としては至って当然の反応だ。竜生も姉を懸命に庇うように前に進み出る。もっとも、竜生はきっと灼滅者でなくても同じような対応をしただろう。
     違和感は感じさせていない。竜生が注意を惹き付けながらも念のため戦闘音を遮断した事も、他の仲間達が次手へ移っている事も勘付かれていない。
     その証拠に智也らしき青年がサバイバルナイフを掲げた。夕陽が眩く、エッジを際立たせる。
    「まあいいじゃねぇか。海辺の奴らの『仲間』がここで一人や二人増えても変わんねぇだろ」
     舌をなめずる智也の姿に、東屋・紫王(風見の獣・d12878)は柔和な茶の瞳を細めた。
     今回の主犯格である彼が、これから『選ばれた人間として生まれ変わる』と言い人殺しをするのだと思い出す。
    「選ばれた人間?」
     紫王は薄く笑む。
    「残念、落選のお知らせです」
     囁きが漏れたのが早いか、紫王が手を翻す。
     一瞬風が止まった気がした。
     刹那の後には、智也達は力なく体の横に腕を垂らした。先程の凄みは微塵もなく、委縮した状態で立ち竦んでいる。
    「えと、いい感じ、かな?」
    「ウム。そろそろみども達の出番のようだな!」
     顔を見合わせ、函南・ゆずる(緋色の研究・d02143)とクラリーベル・ローゼン(青き血と薔薇・d02377)は決意を新たにする。
     置始・瑞樹(殞籠・d00403)が有事にすぐ対応出来るよう身構えている姿に背を押され、彼女達は髪を靡かせて地面を蹴った。

    ●紅
    「お兄さん達、ちょっとお時間いいですか?」
     丁寧に尋ねる祢々の声に、智也達は恐る恐る顔を上げた。
     並んでいたのは四人の少女達。智也達は憧憬を籠めた眼差しで祢々達を見つめる。
     クール系、スポーティー系、お嬢様系、大和撫子系。誰かが彼女達を新生アイドルグループだと吹き込んだら、男達はあっさり信じたかもしれない。
     さておき、皆で臨海学校を楽しむためにしっかり事件解決しなければ。祢々は意を決して言葉を紡ぐ。
    「多分お兄さん達、何かカードを持っていると思うんです。見せてもらえませんか?」
     それぞれがポケットや財布からカードを取り出す。ポイントカードやキャッシュカードに紛れた、『HKT六六六』と書かれた黒いカードに灼滅者達の視線が集中した。
    「そのカードをこちらに渡してくれないか?」
    「お願いします!」
     クラリーベルが気品に満ちた物腰で黒いカードを示すと、日和も続いて頭を下げる。
    (「鼻につく血の緋じゃ、なくて」)
     燃え立つような夕暮れの緋を。海辺を訪れた人々も臨海学校の参加者も、穏やかに眺められるように頑張りたい。想いを胸に、ゆずるは可愛らしく首を傾げてみせる。
    「そのカードいいなぁ、ちょーだい」
     トドメだった。
     最初に差し出したのは智也。男達がカードを目の前に並べる姿に日和は目を瞬く。女子全員でラブフェロモンを使用していたのだが、初めて使用したためここまで効果が覿面だとは思わなかったのだ。
    「も、申し訳無いくらい効きますね」
     勿論紫王が使用した王者の風との相乗効果という事は言うまでもない。とはいえ何だか恐縮してしまって、日和は肩をすぼめてしまう。
     カードを灼滅者達に渡し終えた途端、男達は一斉に倒れ込む。控えていた置始や香艶ら体格のいい男性陣が中心となり、とっさに受け止める。
    「楽勝だな。ま、それに越したことはないか」
    「ええ。見事だったと言わざるを得ないかと」
     囮とESPの合わせ技が上手くいかなかった場合、香艶は車のタイヤをパンクさせ逃走を阻止し、置始はバトルリミッターを掛けながら男達を確保するつもりだったのだ。幾重にも準備していた灼滅者達の手並みは鮮やかとしか言いようがない。
     今のうちにと竜生やクラリーベルを中心として、男達の刃物は回収されていた。これで万一の二次災害も防げるだろう。
     車内を覗きこんだ香艶が喜色を浮かべる。
    「お、ラッキー。手間省けたな。車に鍵つきっぱだぜ」
     目立たぬ場所に停車しているため盗まれる心配もないと思ったのだろう。戻ってきた時に暑いのは勘弁だと考えたであろうあたり、所詮は俗物という事か。
     冷房の効いている車内に男達を率先して運び入れたのは置始だった。淡々と担ぎ上げていく。
     ゆずるが熱中症予防の水を添えておく傍らで、
    「……悪い子にはお仕置きも必要だよね-?」
     清々しいほどイイ笑顔で香艶が取り出したのは油性ペン。
     男達の額や頬に『ドM』だの『変態』だの、次々と書いていく。日和も悪さしちゃ駄目ですよと一息ついた。
     ひと段落ついた頃、鴻崎・翔(中学生殺人鬼・dn0006)が近づいてくる。
    「俺の出る幕がなくてよかった」
     翔は紫王に頼まれ、万一男達が包囲を抜けた際の海水浴場への見張りをしていたのだ。
    「無駄足になっちゃったね」
    「皆が手際よく事を進めてくれたからだと思うよ」
     ならちっとも無駄じゃない。紫王も眦を和らげる。返事の代わりに紫王は翔に水のペットボトルを手渡した。
     これで仕事はおしまい。あとは臨海学校を残すのみ。灼滅者達にも自然と安堵の気配が漂う。
    「カードの正体も気になりますが、今は目一杯遊びましょう!」
     日和が笑顔を輝かせると、傍に居た竜生が素直に頷いた。

    ●朱
     西が艶やかな緋色に染まる。海も、例外ではない。
    「事件解決お疲れ様」
     東屋達のおかげでのんびりできるねと椿は笑みを浮かべる。彼女の浴衣と、名と同じ赤い椿が意匠された平打ち簪での髪結い姿に、紫王の表情も緩む。
    「やっぱり似合う、綺麗だ」
     浴衣姿楽しみだったんだと冷えたコーヒーを手渡す紫王の言葉に、椿の不安も溶けていく。礼を告げて肩を並べ、波音まで赤く囁くような静かな時間を味わおう。
     緋色は紫王の好きな色。思い浮かべて横顔を見ると輪郭までも鮮明に模られる。視線に気づいた紫王へ、椿はぽつり呟いた。
    「ごめん、つい。紫王がカッコイイから見とれてた」
    「だからそういう口説き文句は」
     誤魔化そうとすれば言葉が空回る。だって、見惚れていたのはこちらのほう。
     紫王は花火の場所取りへと誘う。折角早く来たのだから特等席を探そう。
     けれど君の隣が一番の特等席。
     差し伸べた紫王の手と朱が浮かぶ椿の頬が、雄弁にそれを物語る。
     いつもは自転車に乗るクラブの仲間達。でも今回は、自分達の足で。
     かき氷を食べながら波打ち際を歩く日方と涼花に水をかけたのは、一足早く水が深い場所に入った慧樹だ。司も海に足を入れテンションが上がったのか便乗する。
    「かき氷が塩味になるじゃねーか!」
    「塩味になったら、熱中症対策にいいと思いますよー」
     日方の抗議にも司は面白がるばかり。涼花も男子に負けじと応戦態勢。
    「あ、すずねいいもの持ってますよ! 水鉄砲!」
     準備していた水鉄砲を配れば、水かけ合戦はますますヒートアップしていく。
    「やるな! スミケイさん協力しましょう!」
     と見せかけ司が背後から奇襲する。避けきったかと思えば慧樹は海に尻餅をついてしまった。別の意味で無事じゃない。
    「おあー! 全身びっしょびしょじゃん!」
     ぼやきながらも笑顔のまま。濡れる事すら楽しいのは、日方や涼花にとっても同じだ。笑い声が夕空に響く。
     最初に視線を留めたのは誰だっただろう。夕焼けを四人一緒に眺める。
     昼は青。眩い金を経て燃える赤に至り、いつか濃紺に沈む空。
    「色の移り変わるのを見るのが好きなんだ。皆みんな、同じ色に染まる、この時間が何だか好きなんだ」
     日方の呟きに、静かに夕陽を見つめていた司も同意する。慧樹もいつしか手を止めている。思いを馳せるうちに涼花が思い出す。
    「デジカメも持ってきてるよ!」
     色んな表情の空と海を背景に皆で記念撮影。また一緒に遊べますようにと願いを籠めれば、賛成の声が次々と上がった。
     この時間に泳ぐと身体が冷えるかもしれないが、暑さが苦手な置始にはちょうどいい。波に身体を委ね赤い空色の海に浸れば、火照った体温も緩やかに溶けていく。
     波打ち際を散歩していた翔に声をかけ軽く水遊びに興じた後、夕焼けの砂浜で写真撮影の提案を。
    「楽しそうな姿を見せつけるくらいでなければな」
     臨海学校を羨ましがっていたエクスブレインを思い出し、翔が笑みを浮かべる。置始は通りすがりの女性に撮影を頼み、記念の情景を切り取った。
    「紅は『思ひの色』ね。そう言えば私は赤いわね」
     己の瞳を彷彿とさせるも、有栖が何かを思うことは少ない。
     夕方だし泳ぐのはまた今度。二人で砂浜を散歩していく。華月が波打ち際で水を掬いながら微笑んだ。
    「お散歩も楽しいですね。一人より二人だと、もっと楽しいです」
     有栖は目を瞬く。一緒にいると無駄に落ち着いてしまうのが困りもの。
     でも、嫌じゃない。
    「手、繋ぎましょうか」
    「はい、一緒に行きましょー」
     差し出した手を握られれば、そっと指を絡める。噛み締めるように囁いた。
    「何処へ行こうかしら、何処まで行こうかしら」
     華月は何を思っているのだろう。
     夕焼けは只管に、美しい。
     折角の学校行事だから制服で。裸足までお揃いだ。
    「海ですよー! 宗佑君早く早く!」
    「わー待って日和さん足早、うぉう!?」
     鼓動が追い立てるままに水際で追いかけっこ。その最中、振り向きざまに日和が宗佑の表情をデジカメで激写した。
     満足げな彼女に対し、不意打ちを避けられなかった彼は今日一番の間抜け顔を思い肩を落とす。日和はそわそわと再びデジカメを掲げ。
    「……あの、良かったらその……一緒に一枚……」
     否などない。さっきのは消してという申し出は却下されてしまったけれど。
     ツーショットのために緊張してしまう、なんて。
    「深呼吸! しよ!」
     宗佑の言葉に日和は笑顔が止まらない。
     恋人になった今も彼に恋をしている。
     笑顔を見るたび、名前を呼ばれるたび、愛しさで胸が一杯になる。
     息抜きを全身で堪能し、想い出を糧に明日を駆けよう。
    「はい、チーズ」
     夕陽と照れで染まったはにかみ顔がふたつ。
     恋する笑顔で、宝物の一枚を。

    ●丹
     深雪が用意したパラソルは鋭い西日を遮ってくれる。赤いビキニとパレオ姿で、深雪は事件の対処に尽力したクラリーベルを労るべく帰りを待っていた。
    「御嬢様、お帰りなさいませ」
     夕方とはいえ陽光は強い。ビーチチェアに寝そべり日焼け止めを塗ってもらうクラリーベルのお嬢様っぷりは、まさに堂に入った様子。
     各種飲み物も取り揃えられている。特に目に留まったのは、レモン果汁や蜂蜜に少量の塩を加え、冷水を加えた深雪特製ジュースだ。熱中症対策ということらしい。
    「みどもは楽しい」
     その言葉こそが深雪への掛け替えのない報酬だ。
     黄昏に目を向ける。そして思い浮かべるのは――ラグナロク。北欧神話では世界の滅亡を意味するが、学園が保護に向かっている彼女達の呼称の所以は。
     そして今回のカードは誰にとっての黄昏となるのだろうか。
    「実に紅い夕暮れですわね、御嬢様」
     深雪の声が、耳朶を揺らす。
     杏理は波打ち際でカメラを構えていた。空と海、波と砂、あるいは砂浜で楽しむ皆を被写体に。
    「お疲れ様」
     同じく写真撮影中の翔に声をかけると、どうやら上手くいかない様子だ。逆光時は難しいよねと、画面を見ながらアドバイス。
    「一緒に来れなくて残念だったけど、喜んでくれるといいね。思い出のお裾分け」
     海の家で購入しておいたジュースを手渡しながら微笑めば、翔もありがとうと答えて受け取った。
     忍は今回白い花のついたビーチサンダルと一緒にお出かけだ。少し嬉しい。
    「九州なら故郷にも近いし何ていうかまぁ、郷に浸れるんじゃないの」
     堤防でレモン味のかき氷を口に運びながら壱里が呟き、余計なお世話ですよねと付け足せば、確かにという返事。
     けれど普通の高校生活について考えながら青いかき氷を食べていたら、感じる視線。しかも壱里はにやにやしている。単に舌の色が気になるだけなのだが、
    「はい、どーん」
     食べているところを見られるのは好きじゃない。直球な理由で忍は壱里を海へ突き落した。落ちるのマジで? と壱里が思う間もなく、紅の海に綺麗な水飛沫。
     抗議にも笑い声が返る。ライバル達の、ひと夏の想い出。
     夕方の海で泳げばやはり身体は冷えるもの。スタニスラヴァは海の家で温かいスープを食べていた。
    「……ん、おつかれさま。みんなケガとかなかった?」
     以前依頼で一緒だった翔の姿を見止め声をかければ、笑みと共に頷きが返る。
     みんなかき氷買ってたよとお勧めすれば、翔は定番のいちご味を選ぶ。同じテーブルに座り、撮ったばかりの写真を見せてもらった。
     何事もなく楽しめれば、本当は一番よかった。言葉には出さないけれど。
    「よっしゃ! 張り切って遊ぶぞーっ!」
     香艶が大きく伸びをする。経験者の錠が助言することでサーフィンに挑戦するらしい。
    「クソあちぃのに元気だなぁ、お前ら」
     ここで見学しておくわと葉が浜辺に腰を下ろす傍ら、エルメンガルトが実は泳げないんだよねとさらっと告白。香艶も海で泳ぐのは初めてだ。
     まずは基本、サーフボードの上に腹ばいになり両腕でこぐパドリングから。
    「どわぁっ!?」
     見事にバランスを崩し香艶がひっくり返る。波に乗れなくても楽しくて、笑い続けるのを止められない。
    「お、エルさん上達早ェ!」
    「えっ? そう? まあ溺れたくないからな」
     けれど褒められたらまあ嬉しい。エルメンガルトはコツを掴んだらしく、隣の香艶にテイクオフはスキーから応用出来そうだけど違う? と声をかける。
     しばらく指導に専念していた錠も波に乗り始める。そんな彼らを、葉はコーラ片手に眺めている。潮騒に笑い声が混じる。夕陽が影を作り表情は見えないけれど、楽しそうで。
    「持ってけ」
     通りがかった翔に投げて寄越されたのはお茶。ありがとうと呟くも、
    「ほら、うるせぇのが来っからあっち行っておくと良いぜ?」
     葉が指差した先には、浅瀬で手を振る錠の姿。翔が手を振り返す前にボードがすり抜けて錠も海にご挨拶。
     香艶が葉にビーチボールを投げつける。海を堪能し戻ってきた連中のコーラくれの連呼に、葉は思いっ切り振った後のを渡してやる。
     潮騒に叫び声が混じる。
     花火まで、もうしばらく。
     本当は一緒に来たかった人が居た。香艶は今はただ、瞳を伏せる。

    ●緋
     あまり夕暮れは眺めないけれど、綺麗だ。恋人と一緒に見られたらとも思う。それはまた今度にとっておこう。
     竜生は携帯のカメラで夕陽を撮影する。
     来年の夏も見られますようにと願いを籠めれば、黒い髪を潮風が攫った。
     重なる波音も、願ひの色も、次の瞬間にはひとつとして同じものはない。
     一瞬も逃したくない。ハナの足が自然と波打ち際まで進む事も、樒深の瞳に無意識に影が差した事も、気づかずに。
    「……どうして夕焼けって、こんなに寂しくなるのかしら」
     ふと零したのは終わりを感じずにいられないから。陽との別れの時でもある時間。
    「星月が顔出すまで、物寂しく思えるんじゃねぇの」
     樒深が伏せていた瞳を向けた時、ハナの眦から感傷が雫となって零れた。また泣いちゃったと謝る彼女の頬を、無言で指のぬくもりが拭う。涙を目にしたのは、二度目だった。
    「ね、手を繋いでもいい?」
     ハナの願いは差し出された手によって叶えられる。
     添い伝わる熱があればきっともう、寂しくない。
     朱色に染まる海に踏み入り、夕色の空で水遊び。
     素足で潮の流れを感じれば空と海とひとつになったよう。
    「ね、紡ちゃん」
     引く波の中、砂が足を流れる感覚は底が抜けるみたいで不思議。足先のくすぐったさに華凜が微笑めば、紡も踏みしめる感触を味わいながら呟く。
    「うん、不思議な感じ」
     戻る砂と一緒に海の世界へ引き込まれそう。
     しばらく歩けば砂とは違う硬質な感触がある。貝殻と波に磨かれたガラスの破片だ。隠れた宝物か、想い出の欠片みたいで。きっとこの子達も海の一部。
     写真も撮って帰ろうと華凜が提案。紡も勿論快諾する。
     思ひ色に浸る景色、伸びる影、繋いだ手。
     いつか思い返せるように。縁がずっと続くように、願いを籠めて。
     もうすぐ太陽が完全に姿を消し、花火の打ち上げ時間が近づいてくる。海の家では、その瞬間を待ち望む面々で賑わっていた。
     黄昏の地平線に視線を向け、ゆずるが手にするのは練乳いちごかき氷。祢々はいちご味、悠はメロン味、尚竹は少々渋くスイを選ぶ。ひとつ、ため息。
    「これからも学校行事の行き先毎に事件が起きるのだろうか」
    「考えても仕方ないと思うのよねー。普通の学校だって、他校生との小競合いとか話に聞くし」
     そういう意味では平和だと思うよと、甘いものが苦手な水瀬・瑞樹はアイスティーを片手に、唇の端を上げた。夏休みの雑談といえば。
    「宿題終わったー?」
     水瀬の顔には余裕の笑み。祢々も少し首を傾げるも、淡々と答えた。
    「大体片付けてたから、八月一週には全部終わったよ」
     流石はクラス屈指の優等生だ。反面、咳払いをするのは尚竹、あからさまに視線を逸らしたのは悠とゆずるだ。尚竹は苦手教科が少し残っているのだろうか。悠に至っては思い出させないでー! と頭を抱えた。
    「し、翔くんは、どうなの?」
    「俺も、臨海学校の前に終わらせてきたんだが……」
     何となく申し訳なさそうに申告する。だよねーと追従する水瀬に、確かにねと祢々も肯定する。
    「間近で見る打ち上げ花火って凄く迫力あるんでしょ、楽しみだな」
     魅入ってかき氷溶かさないようにしないとと零す表情は歳相応。
     あまり他人に近寄らない祢々にとって、徐々に距離を縮めつつあるクラスメイトは特別なのかもしれない。
     緋色の光景に目を細め、ゆずるがぽつりと呟いた。
    「海も空もキミもわたしのすきな色に染まる幸せな時間」
     隣に座る翔の向こう側には、紅蓮。
    「なのに、こんなに紅いとわたしに眠る何かまで疼く気がして、少し怖い」
     翔も目を眇めた。否定など、出来なかったから。ゆずるは翔の眼鏡の奥を覗き込む。
    「ショウの優しい瞳、すごく安心できる、の」
     ずっとこの幸せな時間が続けばいいのに――その言葉は、潮風に乗って、掠れてしまっただろうか。
     クラスメイトの明るい雑談が耳に届く。心地良く、慕わしい気配。

     緋色の時間は終わる。世界はやがて濃紺に染まるだろう。
     叶うなら、それぞれの想いや願いが、途絶える事がないように。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年8月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 11/キャラが大事にされていた 2
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