臨海学校~紅砂舞う

    作者:牧瀬花奈女

     海水浴場は、その日も大勢の人で賑わっていた。
     透き通った海は思わず歓声を上げてしまうほど美しく、泳ぎや水遊びを楽しむには最適だった。
     白い砂浜には日除けのパラソルが幾つも広がり、その下で寛ぐ人々は眩しい夏の光景をのんびりと楽しんでいる。まだ幼い子供たちは、両親の側で駆け回ったり砂山を作ったりしてはしゃいでいた。海岸沿いに建てられた海の家からは、食欲をそそる香りが漂って来る。
     それはごくありふれた、平和な夏の光景。
     時刻は15時。夏の日はまだ高く、海の賑わいはもう暫く続く筈だった。
     3人の女が、海水浴場に現れるまでは。
     薄い水色のパーカーを羽織った彼女らは、右手をポケットに突っ込んで砂浜をまっすぐに進んでいた。サンダルが砂を踏む度、首から下げたネームホルダーが揺れる。
     彼女らのネームホルダーの中には、一枚の黒いカードが収められていた。
     HKT六六六。カードに記された文字の意味を知る者は、ここにはいない。
     女達があるビーチパラソルの側まで来た時、走っていた幼い少年が一人の足にぶつかった。すぐに母親が飛び出して、ごめんなさいと頭を下げる。
     髪をポニーテールにした彼女は笑って、右手をポケットから出した。握られた細いナイフの刃が、陽光を受けて眩く光る。
     母親が何かを言う間も無く、ポニーテールの女はナイフを少年の頭に突き立てた。
    「はりきって、殺したーい♪」
     きゃはは、とナイフが引き抜かれ、落ちる滴が砂浜を赤く染めた。悲鳴を上げる母親の喉を、血に濡れた刃が裂く。
    「人間卒業試験、はっじまっるよー♪」
    「やーん、あたしもやるー♪」
     ポニーテールの女と一緒に歩いて来た二人も、そんな意味不明な事を口走りながらナイフを振り回す。
     血に染まった砂が、女のサンダルに蹴られて辺りを舞った。
     
     エクスブレインの先輩から聞いたんだけど、と御厨・望(小学生ファイアブラッド・dn0033)は灼滅者達に言った。
    「臨海学校の候補の一つだった九州で、大きい事件が起きるんだって」
     そこで起こるのは、大規模な無差別殺人だという。
     大規模と言っても、事件を起こすのはダークネスでも眷属でも、強化一般人でもない。ただの、普通の一般人だ。灼滅者なら事件の解決は難しくないだろう。
     だが、この事件の裏には、組織的なダークネスの陰謀があると予想されている。
    「何が目的かは、分かんないんだけどね。事件が起きるのが分かってるのに、ほっとくのは、やだなって」
     だから、一緒に来て欲しいのだと、望は言った。
     向かう先は、博多湾に面した海水浴場。事件を起こす3人の女は、15時になると現れる。揃いの水色のパーカーと、可愛らしいデザインのネームホルダーを身に着けているため、入り口付近に注意を払っていれば簡単に見付けられる。
     彼女らはネームホルダーに黒いカード入れて持ち歩いており、そのカードに操られて事件を起こすようだ。事件を阻止した後カードを取り上げれば、彼女らは直前までの記憶を失って気絶する。後は海の家の近くに設置されている休憩所まで運べば問題無いだろう。
    「なんか、最初は小さい子を狙うみたいだから、うまくすればこっちに誘導できる……かも?」
     橙の瞳を瞬かせ、望は小さく首を傾げる。
     ともかく、相手は一般人。ESPで怯ませる等して、その隙にカードを奪ってしまえばそれで終わりだ。敵組織の狙いやカードの分析は、学園に戻って来てから行う事になる。
    「それでね、今回の事件解決って、臨海学校と一緒になってるんだって」
     つまり、事件発生前と、事件解決後は、海で思い切り遊んで良いという事だ。
     がんばろうねと、望は笑った。


    参加者
    泉二・虚(月待燈・d00052)
    篠原・朱梨(闇華・d01868)
    立見・尚竹(貫天誠義・d02550)
    比良坂・八津葉(死魂の炉心・d02642)
    八十神・シジマ(黒蛇・d04228)
    霧月・詩音(凍月・d13352)
    九条・雪音(紅玉姫・d16277)
    蒼華・真実(中学生デモノイドヒューマン・d20154)

    ■リプレイ

    ●閃く
     茹だるような暑さの中でも、海水浴場に集った人々は溌剌としていた。子供達のはしゃぐ声や、そんな彼らに注意を促す両親の声が明るく響く。
     砂浜の白さに目を細めながら、泉二・虚(月待燈・d00052)が思いを馳せるのは殺人思考についてだった。黒いカードに操られ、ここにやって来る女達の。そして、その裏にあるものの。
     泉二くん、と篠原・朱梨(闇華・d01868)に声を掛けられ、彼は思考を中断する。ビーチボールを手にした彼女の側では、御厨・望(小学生ファイアブラッド・dn0033)がきょろきょろと周りを見回していた。
     灼滅者達がいるのは、海水浴場の入り口付近。やがて現れる女達が起こす事件を未然に防ぐため、彼らはここで待機する事にしたのだ。
     HTK六六六。黒いカードに記されているという文字を、比良坂・八津葉(死魂の炉心・d02642)は脳裏に思い浮かべる。闇を纏った彼女の姿は、周囲の一般人の目には映っていない。
     赤城山の忠次郎は、鬼が人の恐怖の引き金となり、羅刹へ堕ちる可能性を謳っていた。ならば、人が人に恐怖を与えたなら――そこまで考えて、八津葉は軽く首を振った。これ以上の考察は、カードを回収してからの方が良さそうだ。
     遠くのビーチパラソルの下から小さな女の子が駆け出して、海に入って行く。その様子を眺めながら、同じく闇を纏った蒼華・真実(中学生デモノイドヒューマン・d20154)は眉を寄せた。
    「まったく嫌になりますね……」
     こんな穏やかな光景が広がる場所で、大量殺人が起こる。苦々しく思う気持ちを言葉にすれば、こちらも闇に身を隠した九条・雪音(紅玉姫・d16277)と霧月・詩音(凍月・d13352)が頷いた。
    「せっかく海に来たのに、何かあったら大変、なの」
    「……暑いですし、早く片付けましょう」
     エクスブレインの予測によれば、最初に狙われるのは小さな子供だという。
     流石に見過ごされへんしね、とこちらは特殊な気流を纏った八十神・シジマ(黒蛇・d04228)も、ぽんと宙を舞ったビーチボールに目を向ける。藍を基調とした可愛らしい水着姿の朱梨と、浅緑のパーカーを身に着けた望に対し、平服の虚は少しばかり目立っていた。しかし、これだけ大勢の人がいれば、気に留める者は少ないだろう。
     仲間達が入り口の近くで身を隠す中、立見・尚竹(貫天誠義・d02550)は少し離れた場所にいた。しかしその黒い瞳は、ボール遊びを続ける朱梨達の位置をしっかりと捉えている。
     程なくして時計の針が15時を指す。姿を潜ませている灼滅者達が身構えた。
     薄い水色のパーカーを羽織った女達は、他の観光客に混じって、ごく自然な足取りで現れた。虚が望と朱梨の手に触れ、彼女らの到来を告げる。
     朱梨の手からビーチボールが離れて、女達の方へと飛んで行く。あ、と取り損ねた風を装い、望がボールを追い掛けた。朱梨と虚も、少し遅れて後を追う。
     ビーチボールは軽やかに転がり、ポニーテールの女の足元で止まった。ごめんなさい、とボールを拾った望が彼女を見上げる。
    「ごめんなさい! ぶつかったりしませんでした?」
     黒髪を揺らし詫びる朱梨に、ポニーテールの女はにっこり笑った。パーカーのポケットから出た右手には、細いナイフが握られている。
     陽光を受けて輝く刃が振るわれるより早く、虚は望のパーカーのフードを掴んで自らの方へ引き寄せた。
    「お前ら、何をしようとしている?」
     素早く距離を詰めた尚竹が鋭い眼差しを向け、ポニーテールの女の足が竦んだ。残る二人の女達も、ポケットから手を出しかけた格好のまま、おどおどと視線をさまよわせている。
    「な、何よ、あんた!」
    「通りすがりの正義の味方だ」
     尚竹の声に応じるように、シジマがポニーテールの女の傍らに姿を現した。
    「物騒なモノは取り上げさせてもらおかー」
     ぷつん、と彼女の首に下がっていたネームホルダーの紐が切れ、黒いカードが彼の手に受け止められる。女は悲鳴すら上げずに意識を失い、砂浜に倒れた。
    「こっちも没収、なの」
     雪音が詩音と共に、もう一人の女からカードを取り上げる。うろたえる最後の女の首からは、八津葉がネームホルダーを抜き取った。鈍い音を立てて、彼女らも砂浜に倒れる。
    「海の家まで運びましょうか」
     女の一人を助け起こし、真実が言うと、皆も頷いた。彼女らが倒れた事に気付きざわつく人々へ、熱中症みたいですと告げ、灼滅者達は3人を海の家へと連れて行く。
     気を失っていた女達は、それほどの間を置かずに目を覚ました。
    「あれ……?」
    「大丈夫ですか?」
     声を掛ける真実を不思議そうに見る女に、熱中症やったみたいです、とシジマは言葉を添える。
    「ところで、最近、誰かから黒いカードを貰った事はありませんか?」
     尚竹の問いに、女達はきょとんと瞬きをした。
    「うーん……貰ったような……」
    「黒っぽい服のお兄さんから貰ったかも……」
    「え? おばさんじゃなかったっけ?」
     3人揃って首を傾げるが、具体的な情報は出て来ない。どうやら記憶が曖昧になっているらしい。
     ともあれ、事件は阻止された。後は、臨海学校を楽しむ時間だった。

    ●煌く
     澄んだ海と白い砂浜の対比は、見ているだけで心が躍る。朱梨は波打ち際に屈み込み、貝殻を拾い始めた。
     少しざらついた表面の感触を指で楽しみながら、淡く紅や青に色付いた貝を集めて行く。こんな、可愛らしく細々としたものが彼女は好きだった。
     水着姿で砂浜を探る朱梨に対し、詩音は藍色のワンピース姿だった。更にその上から長袖の灰のパーカーを羽織り、日差しに備えて麦藁帽子を被っている。
    「……探しものに夢中みたいですね」
     大きな紫の瞳を輝かせ貝殻を集める朱梨を見て、詩音は目を瞬かせた。彼女自身は、砂をかき寄せ、それで戯れる事にした。もし砂の中に綺麗な貝殻を見付けたら、進呈しよう。そんな風に考えながら。
     波打ち際で浜遊びを楽しむ彼女らを、椿は荷物の側で見守っていた。二人に誘われやって来たが、ここは随分と賑やかだ。
     詩音がかき寄せていた砂は徐々に建物の形を成して行き、やがて立派な西洋風の城が砂浜に現れた。朱梨が歓声を上げ、城の屋上に飾るオブジェの作成をリクエストする。
     そういや、二人とも進級したんだよなぁ。彼女達の様子を見ながら、椿はふと思う。何時までも中学生だ何て思っていたのに、時間が流れるのは早いもんだぜ――そう考えた所で、太陽の眩しさに目を細める。
     今日は暑い。二人にカキ氷で涼んで貰うのはどうだろうか。水分補給にもなるし。
     その思い付きを実行に移すべく、椿は一旦その場から離れ海の家へ向かった。戻って来た時、彼は3人分のカキ氷を器用に手に持っていた。
    「朱梨ちゃん、詩音ちゃん」
     カキ氷を掲げつつ名を呼べば、朱梨が目をきらきらと輝かせて飛んで来る。素早いですね、と帽子を被り直しながら詩音も立ち上がった。
    「椿さん、ありがとー」
     朱梨と詩音が手に取ったのはイチゴ練乳。残る椿自身の分は宇治抹茶練乳だった。
    「……まあ、丁度水分と冷たい物が欲しかったところですし」
     ありがとうございます、と詩音はカキ氷をスプーンストローですくう。朱梨も椿の隣で満面の笑みを浮かべてカキ氷をすくっていた。
    「しかし、今日は暑いね。二人とも日焼けには気をつけるんだぜ?」
     美味しいね、と顔を見合わせる少女達に、椿はそう言葉をかける。
     平穏無事な一日、という訳には行かなかったけれど、事件が解決した今はのんびりした時間を過ごせている。
     たまには、こんなのも悪くない。

    ●綻ぶ
     白い水着の上から薄い長袖を羽織った雪音は、日差しを避けて砂浜に屈んでいた。足元の砂を手で寄せて、作るのは小さなうさぎ。
     うさぎの側に砂山も作って、ちょっとした箱庭のようにしながら、彼女は時折、海の方へ目を向けた。賑やかな声を上げる人々を見ていると、心の奥が少し温かくなる。
     楽しそうだなぁ、と沖の方へ視線を巡らせれば、共にこの海水浴場へやって来た仲間の何人かがゴムボートに乗っているのが見えた。何処まで行くのだろうか。
    「雪音~」
     名を呼ばれて振り向けば、お揃いの水着を身に着けた琴音が手を振りながらこちらへやって来る所だった。
    「そんな所居ないで、海入ろうよー」
    「海で泳、ぐ……?」
     親しい友の登場で明るくなった雪音の表情は、しかし彼女の言葉で曇り空になる。やなの、と瞳を半ばまで伏せる雪音に、琴音はしょうがないなぁと溜め息を吐いた。
    「じゃあ、向こうの海の家行って、かき氷とかアイスでも食べよう」
    「かき氷……アイス……!」
     曇った顔が瞬く間に晴れて行くのを微笑ましく思いながら、琴音は彼女の手を取って海の家へ向けて歩き出す。日除けの帽子を被り直す雪音の足取りは軽やかだった。
    「雪音、どっち食べたい?」
     どっちもはだめだよと、琴音は黒髪に隠れた額を指先でちょんと押した。何しろ、この暑さ。つい冷たいものを思い切り食べたくなってしまうけれど、お腹を壊したりしたら大変だ。
     海の家へ着いた二人が頼んだのは、かき氷とアイスが一つずつ。暑気に疲れた体に、甘味の冷たさが優しく沁みた。
    「次はみんなで来れると……いいね☆」
     スプーンをくるりと回す琴音に、雪音も笑顔で頷く。
     大切な友達と、大好きな人と。みんなで一緒に過ごせたら、どんなにか楽しいだろう。
     かき氷の表面をすくったスプーンが、さくりと涼しげな音を立てた。

    ●漂う
     ゴムボートには、6人の灼滅者が乗っていた。沖へ出てみないかという尚竹の誘いは、日差しを眩しく跳ね返す海に惹かれた彼らには、とても魅力的だった。
    「そういえば、御厨は泳げたのか?」
     ゴムボートの端から海を覗き込んでいる望へ、ふと尚竹は問い掛ける。
    「んーとね……ビート板で、プールのまんなかくらいまで行ける」
    「これからの伸びしろに期待ですね」
     そう言って笑う真実は、少しはしゃいだ様子だった。予測された惨劇を食い止め、カードに操られていた彼女達が罪を犯すのを防いだ。彼にとっては、学園に来て初めての事件解決という事も手伝って、どうしても頬が緩んでしまう。
     尚竹がゴムボートを程よい位置で停めると、八津葉は簡易の潜水道具を手に取った。
    「何か素敵なものを見付けたら、みんなにも報告するわね」
     彼女はそう言って微笑み、海の中へと潜って行く。
     初めての海は、瞬きを忘れてしまうほど綺麗だった。海面から射し込んだ太陽の光がゆらゆらと動き、岩や魚達の表面に優美な模様を描いている。
     今、側を通り過ぎて行ったのはメバルだろうか。視線で追い掛けると、同じように海に潜ったシジマの姿が見えた。
     どうやら彼は、岩の上に何かを見付けたらしい。手にしたそれを見せて貰おうと、彼と共に海面へ顔を出す。
    「……ヒトデが取れた」
    「それは、海に帰してあげた方が」
     ヒトデだー、とゴムボートから上がった声を聞きつつも、八津葉はそう呟いた。その拍子に口の中へ少しだけ入った海水は、以前耳にしていた通りにしょっぱい。それでも、想像していた『塩味』とは違うような気がした。
    「望、浜に戻ったら甘味を食べに行かないか」
    「ん、行く行く!」
     ゴムボートから海へ手を伸ばす望へ虚が声を掛けると、望はぱっと目を輝かせて彼を振り返った。
    「海の家はうとい故、何が美味か教えてもらえると助かる」
    「そだね……やっぱり、カキ氷とかアイスとかかなぁ」
     む、と首を傾げる望に、楽しそうだなと尚竹が話に加わる。少し離れた所から、八津葉とシジマが再び海に潜る音が聞こえた。
     夏の日はまだ高い。海の賑わいは、もう暫く続きそうだった。

    作者:牧瀬花奈女 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年8月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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