Chimeratech flame

    作者:那珂川未来

     燃え立つ赤髪は、翼の羽ばたきを思わせるほど激しく揺らめき、生々しい傷口から憤慨を表すかの如く、血液は炎となって吹きあがっていた。
     本来は見事な双角を持ち合わせているのに、左の角を綺麗に斬り落とされ奪われて。混沌とした火炎纏うイフリートは、自尊心を傷つけられ、憤っていた。
     サイキックで再生できる角をそのままにしているのは、自身の戒めか、それとも己が角をこれ見よがしに奪い取った男の場所を感じ取る唯一の手掛かりにするためか、それは分からないが。
     ひとまず身を落ちつけるため、入りこんだ路地の裏では、イフリートの神経をさらに逆なでする事態が待っていた。
     性質の悪そうな青年五人に、暴行を受けている女性。
     仄暗い路地裏が一瞬にして明るくなったのは、彼の頭が燃えあがったせい。
     慌てる青年らの前に現れたイフリートの目に浮かぶものは、酷い嫌悪。細切れに刻み、瞬間的な爆炎で肌を溶かし、殴りつけ、執拗なほど男に攻撃を加える様は異様にも思えた。
     見る影もないほど八つ裂きにされ、人が本当に五人もいたのか分からぬほど。
     恐怖に気を失った彼女へ、イフリートは特に手を加えることなく放置したまま路地を往く。
     その時、頭の中で何かがごとりと音を立てた。
     精神の闇の中で、必死に、必死に、抗っている矮小な存在が、人を殺してしまった感触に絶望して、打ちひしがれていて。
     ふんと鼻を鳴らすと、取るに足らぬものなど置き去りにする。だが、あれほど精神的に追い詰められていても諦め悪くしがみついてくるそれは、酷く滑稽で憐れに見えた。
     しかし、邪魔くさいものであることは変わらない。この障害を取り除くには、もっと人を殺すこと。特に縁が深いものは優先的に、だ。
     路地の先、小学生の男の子が、子犬と散歩している。
     殺戮と破壊を好み、男というものに嫌悪を抱いているはずのイフリートだが――仲良く散歩をしている彼らを無表情な顔で一瞥すると、地を蹴った。
     そして別の場所で――そのイフリートを待っている男がいた。
    『……来ねぇな。テキトーに人食っているだけならいいが』
     ナイフでごりごりと戦利品を削ってピアスを作っている男は、まぁ話に聞いていた、救出とかいう余計なお世話にとっつかまったんじゃないかと予測した。
     想像以上に早いことに内心驚きつつも、
    『魂は名前に縛られるってな。気位高そうなイフリートちゃんに超可愛い名前を付けてやろうとしているところへ……』
     どのくらいチャレンジャーな愛称を捻り出したのかここでは言えないが、とにかく男は完成したピアスを左耳にぶっ刺すなり、ぐるりと振り返り拳銃を構え返り討ちに一発。
    『……この野郎。俺へのイヤガラセに繰り出した灼滅者諸君に誑かされたらどう責任とりやがる。抱くことはおろか乳すら揉んでねぇんだぞ……』
     これだけ労力費やして、戦利品角一本って冗談じゃねぇ。据わり切った目で睨むジェイルと、そして華麗にヘタ打った誰かさん。
    『シモの毛もロクに生えてねぇクソガキが! ひんむいて、テメーのみっともねぇ姿、どこぞの校門前に晒してやる!』
     その校門とやらが、明らかにこちらへの当てつけだと気付いたのはつい先程。
    「今回の救出依頼は、緊急性が高い。だから」
     心してかかってほしいと、仙景・沙汰(高校生エクスブレイン・dn0101)は普段は見せない素の表情で語る。
     見つかったのは、先日の闇堕ちゲームでイフリートと化した夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)だという。半獣化していて、燃え立つような赤髪と、艶やかな双角が特に目を引く。
    「角が折れてる。どうやらジェイルと戦ったらしいな。脇腹にも抉られたような傷が残っている。報告書を見て、きっと皆は救出の余地に関しても勿論、様々な心配をしていると思う」
     そのあたりは、解析の結果によると心配ない。だから、何もかも塗りつぶされる前に、無事に連れ戻すチャンスはある。
     沙汰は机に資料や地図を広げ、
    「バベルの鎖を掻い潜るには、治胡がこの裏路地のこのあたりに入った時。幸い接触まで隠れる場所も時間もたくさんあるんだが……」
     待っている最中、路地の奥で、女性が暴行され始める。しかしそれに先に係われば逃げられてしまうという。
     暴行が始まって二分の間、治胡が来るまでの非常に精神的に辛い時間。だが、ここで気付かれては、治胡は永遠に戻らなくなる。
    「……辛いよな。俺も辛い。だが、この二分を耐えて接触できれば、女性も救えるし……治胡に人殺しをさせずに済む」
     確かに暴力は振るわれるが、その後の介入で傷害だけで済むという。下衆な男どもではあるけれど、こういうのは法で裁いてもらうのが一番良い。こんな奴らを殺めて治胡が消えてしまうなんてもってのほか。
    「……わかりました。悔しいけど、頑張って待って……治胡さんと接触できたら、僕はすぐに悪いおにーさんに捕まったおねーさんを助けに行きます」
     良かったら、誰か僕のお手伝いをしてくれませんかと、サポートしてくれる灼滅者に、レキ・アヌン(冥府の髭・dn0073)はお願いを。
     そして当の治胡――いやイフリートであるが、完全に回復しきっていないようで、残存体力は六割といったところらしい。しかし誇り高いイフリートは、尊大な態度を崩さず、覇気漲らせ迎え撃つ。
     イフリートはファイアブラッドのサイキックのほか、近列に炎を奔らせたり、遠距離にも届く火炎弾を打つなどして、対象を火達磨にする。
    「イフリートは、治胡のトラウマか何かを強く引きずっているんだろうか、俺が解析した感じ、敵意を向ける対象に差がある。男……そうだな中学生以上の男に対する敵意は半端じゃない。それが特に親しければ顕著に表れる……」
     女性や小学生以下の子供、動物に関しては敵意は薄いものの……だからといって全く手を出さないというわけでもない。障害とみなせば攻撃してくるだろう。
    「そして、ここが一番大事な話だ。ジェイルが救出の邪魔をしてくる」
     といっても、すぐには来ない。運のいい事に序列争いが勃発して、それを始末してから向かってくる。
    「辿り着くのは接触してから20分後。それまでにケリをつければ」
     灼滅か、救出か、結果に対して反応は変わるかもしれないが、ただその場では潔く結果を受け止め、大人しく帰る。けれどそれが間に合わなければ、治胡の援護を行いそのまま連れ去る。
    「これが最後のチャンスだ。ここで救えなかったら、もう二度と俺たちの知っている治胡には会えない。そして……」
     ジェイルは早々に彼女を殺すだろう。
    「俺は、灼滅なんて結果は望んでいない。彼女は俺にとっても大事な戦友だからな……。だが、もしも、現場の判断で無理だと感じたらその時は……」
     いや、決してそんなことは、目の前の灼滅者が阻止してくれると信じ、強敵ばかりを押しつけた責任を沙汰は感じつつ、深々と頭を下げて。
    「彼女を、宜しく」 


    参加者
    蒼月・悠(蒼い月の下、気高き花は咲誇る・d00540)
    玖・空哉(雷鶏・d01114)
    槌屋・康也(荒野の獣は内に在り・d02877)
    藤堂・朱美(冥土送りの奉仕者・d03640)
    織神・皇(鎮め凍つる月・d03759)
    五十里・香(魔弾幕の射手・d04239)
    椎名・亮(イノセントフレイム・d08779)
    雪柳・嘉夜(月守の巫女・d12977)

    ■リプレイ

     胸を締めつけられるような声が耳に届いてから、緩慢すぎる時の流れが良心を犯してゆく。
     平手を打った音が聞こえて、蒼月・悠(蒼い月の下、気高き花は咲誇る・d00540)、自分を抱きしめるその指に力を入れた。
     今それに囚われるのは危険だとわかっていながらも、揺さぶられる嫌悪感。そして彼女への罪悪感。付いて回る影のように張り付く葛藤から、必死に自分を保とうと。
    (「辛い、よ」)
     複雑な運命の交差に、藤堂・朱美(冥土送りの奉仕者・d03640)も泣きそうな顔で我慢。
    『彼女』を、必ず助ける。だから――。
    (「二つを両立するため、放置の罪、甘んじて受けよう」)
     五十里・香(魔弾幕の射手・d04239)は出来過ぎた罠の中、ただ暗がりの中より咎を受け入れる。
     槌屋・康也(荒野の獣は内に在り・d02877)は髪を留めている焦げたクリップの感触を確かめる。
     歪に曲がっているクリップは、自戒と、今此処に在ることへの感謝の証。
    (「大丈夫、俺はまた、守れる」)
     自分が獣を再び制する事が出来た様に、彼女だってもう一度それが出来るはずだと。
     刻む時に『あの日』を重ね、その時を待っていた椎名・亮(イノセントフレイム・d08779)は、突如雄々しき鷹の如く羽ばたく炎が目に入って、はっと顔をあげて。
     一瞬にして差し込んだ光は、瞬間的に物体を破壊する滅びの色。目聡く青年らの姿を見つけ、侮蔑の視線は、完全に嫌悪を乗せている。治胡の記憶を共有しているのか、イフリートは別段驚く様子もない。
     亮は開け放たれた扉の向こう、煤けた毛布の中から見たあの光が潰えそうになっている瞬間を目の当たりにして涙ぐむと同時に、救いとは程遠い濁流のような炎を消し去る決意は更に強くなって。
    「皆さん、今のうちにお願いします!」
     雪柳・嘉夜(月守の巫女・d12977)は香の殺界形成と合わせて魂鎮めの風を。暴漢とはいえ人なのである。あまりいい気分ではないにしろ、命は命。レキ・アヌン(冥府の髭・dn0073)や、あの時共に戦った織久と焔、桃夜や在雛らも手分けして抱え上げる。
     織神・皇(鎮め凍つる月・d03759)は、ヘッドフォンをゆっくりと外しながら炎の前へ。
    「夜鷹にはまだまだ聞きたい事があるんでねぇ。同クラブの役員としてさ」
     皇は見下すような視線に、怯むことなどなく受け止めながら、
    「……おい、夜鷹。聞こえるか? 帰ってこいや。心配してる奴も多いぞ。お前のために、どれだけの人間がサポート志願したと思ってるんだ」
     55人。バベルの鎖の関係があるから、全員がこの場にはいないが、一般人のサポートを連携して取り行うため、今も必死に動いている。
    「夜鷹先輩、アンタ言ってくれたじゃいすか……アイツが、ジェイルの糞がまた来たら、そんときゃ一緒に殴りに行こうって」
     二分を耐え、血の滲んだ手をぐっと握り、玖・空哉(雷鶏・d01114)も精神の闇の中にいる治胡へ強く訴えかける。
     イフリートは見るもの全て消炭にしてしまいそうなぎらりとした目を向けるなり、問答無用で殴り伏せようと。
     迫る炎の塊を自身の剛転号が受け止めて。後輪を滑らせながら体勢を立て直す剛転号へと空哉は騎乗するなり、シールドバッシュを打ち込みながら突き抜ける。
    「時間制限もあるんだし……ジェイルにさらわれる前にやるよっ」
     どんな言葉をかければいいのか、考えれば考えるほど形にならない。なら思いの丈をこめた拳ほうがきっと治胡に伝わるはずと朱美は信じて。
    「治胡さん、貴方は私の憧れ。男性のようでいるのに女性である事を忘れない貴方は――」
     目標の人を失いたくない一心で、悠も鋭く矛先を押しこむ。
    『邪魔立テスルカ』
     主戦力は大なり小なり何らかの接点がある者たち。特に男性陣に強い殺意を向けるとは言っても、忌むべき存在に縁のある女性陣も決して生かしてはおけないものたちばかりだ。
     イフリートは吠えながら爆炎を打ちこむ。
    「誰も倒させねえ! 全員で帰る! 絶対だ!」
    「炎は壊す為の力じゃない、誰かを救う為の光だ。そうでしょう? 先輩」
     亮へと放たれたその一撃を、康也が気合いで受け止めて。その恩に応える様に、亮のauroraが鮮烈な軌跡を描く。
    「治胡さん! まだ全然、話したこととかありませんが、でも、仲良くなりたいのです!このままですとダークネスさんが過ちを繰り返してしまい戻れなくなってしまいます。負けないで、戻ってきて下さい……!」
     サポートの手厚い援護に行動に余裕をもらい、次いで背より吹き上がったイフリートの炎の守護を鬼神変ですぐに打ち崩す嘉夜。
     吠え猛れば逆巻く火炎。灼滅の拳が亮を壁まで吹っ飛ばすほどの勢いで打ちつけて。
     亮はぐっと拳で口元の血を拭いながら、
    「確かに俺らは弱っちい小さな存在だよ……」
     傷だらけの体から噴き上がる炎は、「炎獣」に対して静かな怒りを湛えて。
    「けど、誰かを護る為だったらどれだけでも強くなれるって信じてる。そう教えて貰ったから――俺達は獣には負けない!」
    『五月蝿イ、人間』
     イフリートの翳す掌より迸る炎の牙が、容赦なく加護の力を噛み砕く。
    「だったら引っ込んでくれ。いや引っ込ませてやる。んでもって連れ帰る」
     回復は完全に嘉夜とサポートに任せ、皇は地面へ槌を叩きつけ、イフリートの足を鈍らせることに助力して。
     そして、たくさんのサポートのおかげで、レキも早々に戦線復帰する。
    「……俺、そんなに治胡のこと知ってるわけじゃねーけどさ……でも、待ってる人がいっぱいいるのはわかる! ……俺だって!」
     自分も闇堕ちした時、助けてくれた仲間たちがたくさんいたから、今ここにいる。
     そして支え合う安心感と、共に歩む喜びが身に染みるほどわかる。
     だって今も、仲間の援護が力をくれる!
     鋭い射線と六花の舞。高明と彩雪の打ち放つ力を援護に、康也はイフリートの胸元へと怖れなく飛び込んで、至近距離からの氷塊の一撃。
     イフリートの胸部に魔氷が浮き、次いで放たれた皇と香の連携攻撃によって、瞬間的に身から噴き上がる炎が減退したほどだ。初めて衝撃に踏みとどまれず、その踵が地を削る。
     それでも、その毅然とした態度は崩さない。多角的に襲ってくる攻撃にも、イフリートは微塵の焦りも感じさせない。強がりなところはやはり治胡、なのだろう。
    『邪魔ダ』
     ちょろちょろ動く空哉を鬱陶しく感じ、火炎の弾を放つ。咄嗟に剛転号がその一撃を受け止め大破。騎乗していた空哉もその勢いにさらわれたものの、上手く身を捻って壁を蹴り、そのままイフリートの胸元まで。
    「……っざっけんなよ! 誰が認めるか! 許すか! 離すか! 俺らで必ずアンタを引っ張りあげてやる!」
     瞳の奥に居る治胡へ、視線完全に合わせ至近距離で怒鳴りながらシールドバッシュ。
    『失セロ!』
     振り下ろされる鋭い爪。ここで誰かが倒れちゃ絶対に駄目ですと、前列移動していたレキが空哉を庇って。狙いがわかりやすいから庇いもしやすい。
    「君に用はないんだっ。てぃこさんを返してよ!」
    「戻って来てください。みんな待ってるんですっ! もう、このイフリート! 治胡さんから、出てけーっ!」
     朱美と嘉夜は、早く助けたい気持を拳と滲む涙へ、溢れそうなほど詰め込んで、殴る。
     舌打ちするイフリート。一瞬動きが鈍る。それは女子供相手であるのもそうなのだろうが、もしかしたら治胡の意識が近い証拠でもあって。
     その隙を、皇が見逃す理由もない。
    「本気で助けに来てるんだよ……! 中途半端はしねぇって決めてるからさ、痛くてもちょっと勘弁だぜぇ!」
     柄を握る腕に筋が浮くほど渾身の力を込め、振り抜いた。大気が衝撃に歪むほどに。
     ぐらり。完全によろめくほどまともに入った、槌の一撃。すかさず放つ香の影が、四肢を完全に捕えて。
    「蒼月!」
     香が叫ぶと同時に悠が地を蹴る。月光が撃たれたように透明な蒼の一閃が、真上からイフリートを穿った。
    「心を澄ませて聞け、お前を呼ぶ仲間達の声を――!」
     凍てついた氷の破片が、蒼く煌めき飛び散って。その刹那、まるで時まで凍ったかのような寂静。無音の世界に、香の声が綺麗に響く。
    「部長! アンタには誰も殺させないから!」
    「……何時までそんな姿でくすぶってんのよ! いい加減めぇ覚ましやがれ!!」
    「夜鷹さんは、自分の闇に! 過去なんかに! 絶対、負けたりなんかしないっ!!」
    「治胡様のお母様も心配していらっしゃいますよっ。一緒に帰りましょうよぅ……」
     呼太郎、昴、空、優希那――他にもたくさんの慕う声。
    「もらった言葉、そのまま返してやるよ。お前までクソ親父の真似、すんな!」
     あの時の逆。彼女が重ねたモノをたぶん一番わかっている朱祢が、絆にも似たその矛先から、放つ。
    「貴方はその力で弱いものも守ってた! そんな貴方だから、こんなにも色んな人が集まってる」
     凛と氷蒼の欠片散り、悠の一撃に獣の動きが止まる。
    『……スマン』
     懺悔する様な声が、牙突き出す唇から零れ落ちた。
     彼女は、誰かを救うことが、自分の救いにも繋がると信じていた。
     母親が、灼熱と化した娘を、ただ無償の母の愛で抱きしめてくれたように。
     そして何故母親があんな男の事を愛したのか、理解しようと。
     けど分からないことが、辛くて――。
    「ヨダカ……泣いているのか?」
     クリスは悲しげに彼女を見つめ、けれど強い親愛を滲ませ、
    「あんなやつに心奪われるなんてホント、バカだよ君は。一発殴ってやるからこっちへ来い!」
    「……このまま終わるの、悔しいじゃない。最後まで全力で向き合って、満足してからじゃないとさ」
     貴方の戦いは、まだまだこれからだよ。宿敵と呼べる相手が自分にもいる燐音としては、治胡の決断は貴くきれいだと思ったから。
    「俺は先輩のことを信じてます。だから、先輩もどうか自分自身を信じていてください!」
     亮はありったけの感謝と敬愛をこめて、叫んだ。
     貴女の選択は、きっと間違いじゃなかったと。
     矛先の輝きが、真っ直ぐとイフリートを突き抜けて。残った角が一部欠け、じゃらりと身を飾る鎖が崩壊する。
     それはイフリートが治胡を抑えていた牢獄なのか。
     それともイフリートを治胡が抑えていた精神の形なのか。
    『……茨ヲ歩ムカ』
     もう決着はついているのだ。それなのに未だ光の淵に居座るイフリート。そのまま堕ちていれば、後悔も懺悔も心残りも全部無と化し楽になれたろうにと。むしろ戻る意味も理解できぬと嘲笑する。
    『……茨かどうかは、テメーが決めることじゃねぇ……』
     亮は偶然にも手に落ちた角の欠片をぐっと握り、治胡を見つめ、頷いた。
    「決めるのは、夜鷹先輩だ」
    「諦めろ、てめぇ程度の闇で夜鷹の炎を飲み込めると思うなよ?」
     やせ我慢してるんじゃねぇよと淼。
    「お前の負けだ」
     笑み零し、皇がきっぱりとイフリートの敗北を告げる。
     イフリートは肩を震わせたあと、嘲笑を浮かべ、
    『今一度深淵ニ座スルノモマタ一興……セイゼイ抗ッテミセロ、人間』
     留まることなく吹きだしていた業火は一瞬にしてかき消え、そして彼女は帰還する。
     激しい精神のぶつかり合いでぼろぼろのはずなのに、それでも治胡は外壁を僅かに支えとするだけで、立って、ゆっくり顔をあげた。
     涙流し、満面の笑み浮かべ駆け寄る悠と嘉夜を見て、溢れる感謝と喜びは形にならない。
     どんな顔をしたらいいのかわからなくて、どこか拙い笑顔になって。
    『これならとっとと愛して、永遠の中ぶちこんどくんだったなァ……』
     感動の瞬間に現れやがったアレ。闇堕ちさせた顔を見て因果と歪な愛を滲ませ、そして愛し合った者達へは衝動に駆られ、なんだかんだとジェイルは笑っている。
     ビルの屋上からにやにやしながら見下ろす因縁の相手。空哉は敵意をあからさまに出して睨みつける。
    「何の用っ。ここにあなたの探してるのはいないんだからねっ」
     ふーっと威嚇する朱美。雛は二体のドールをその周りに戯らせつつ、
    「この子は簡単にヤらせないわ。それにあの素敵な不良おっぱいを、そんな穢れた手で易々と触らせるなんて!」
    「どっかの誰かに揉ませる胸なんて無いんだからね! 胸はわたしが先なんだからね!」
     先にぎゅーする約束してるのわたしなんですからと埜子。
     何処に居たんだ、何時から居たんだ。人垣で治胡が見えないほど群がるサポート女子の皆さん。このモテモテ具合、さすがの変態も手が出せまい。
    『つーか、お前ら貞操守って勝った様な気になっているらしいがな……』
     そう、不良おっぱいは変態より死守したのだ。なのにあの変態ときたら唇舐めながら何か別のところで勝っているからいいみたいな顔して何かむかつく。
    「フラれたようですね」
     これ以上醜態晒す前に帰ったらどうです、容赦なく傷を抉って差し上げる哀歌。真剣に愛し合った相手のみ、わりと寛容なジェイルは、面白そうに笑い、
    『おかげで俺のちっちぇハートがズタボロだ。おい空哉、失恋した者同士仲良くベッ――』
     失礼な言葉もそうだが、無節操で背筋が凍り付きそうなことをのたまう前に、
    「誰が! いつ! 失恋したんだ!」
    『そのイメチェンは失恋したからじゃねぇのかよ!?(初見金髪だった)』
     空哉の閃光百裂拳を受けた平手からぷすぷす上がる黒煙呑気に払いながら、
    『まぁとにかくだ、済んじまったもんはしょうがねぇ。俺の目論見壊された意味ではムカつくが、もう一度絞めながら堕とす快感味わえる機会が出来たってことは感謝してやる』
     勿論目論見とはスケベ根性丸出しの展開だけではない、念のため。
    「今度はオレが愛してやっから、待ってやがれよゲス野郎」
     琥太郎の宣戦布告を楽しげに受け止めると身を翻し、背後の闇の中日本刀を構えていた男を一瞥し何処かへと消えて。
     ほっとしたのも束の間。詞貴が明らかに怒っているとわかる様子でいきなり平手を打って、
    「怪我が治り次第耐久説教」
     理由がわかり過ぎるくらいわかっている治胡は、ただ無言を返事として。
    「……まいった」
     どっちが先にくたばるかなんて結果が見えているだけに。
    「てぃこー、てぃこー!」
     一般人避難を終えたウグが怒涛の勢いで治胡に抱きついて。本当に良かったとおいおい泣いて。
    「夜鷹先輩、一般人の方も安心してくれ」
     蝶胡蘭が、女性は平手を打たれただけで済んだし、暴漢共もしっかり正当防衛という名のお灸を据えたうえで警察に突き出しておいたと報告を。
    「届いたか?」
     語らずともわかるだろう問いに、治胡はぐっと拳を作って見せ、
    「ああ、届いた」
     香は平静ながらも、幾分満足さを滲ませて。
    「おかえり!」
     康也は、あの時言われた言葉を、今度は治胡へ。
     なんだか改まって言うとなると、照れるけど。
    「ただいま」
     

     救いの光幾つも煌めく君の前に、茨なんてきっとない。
     あるのは君の決断が創る、真っ白な世界。


    作者:那珂川未来 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年8月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 13/感動した 5/素敵だった 10/キャラが大事にされていた 31
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