夢見のゴンドリエーレ

    作者:西宮チヒロ

    ●retrouver
     もう幾度目だろうか。
     恐らくは、両の指では少し数え足りぬほど。例えその間に数十年が過ぎたとしても、それだけの数この成田空港を訪れていれば、異国の地である日本であっても慣れたものだ。エリオは滞りなく搭乗手続きを済ませると、仲間たちの集うベンチに腰掛けた。
    「俺たちの便はそろそろだけど、エリオは? ついでに帰省するんだろう?」
    「ああ。時間はもう少し先かな。ま、適当に時間を潰しているよ。また来月、楽団で会おう」
    「待っているよ。我らがコンダクター」
     そう言って手を振り立ち去る仲間たちを見送ると、さてどうしたものか、とエリオはひとつ息を吐いた。
    「少し早すぎたかな」
     母国イタリアへのフライトまでは、まだ相応の時間がある。こういう場合はぶらりと買い物に出るのが相場だろうが、生憎さして物欲がない上に、己の好きな音楽の話し相手も、愛らしい小動物も近場にいないと解っていると、どうも心が動かない。
     ふと、何気なく触れた上着のポケットから手帳を取り出した。気紛れに捲ったページに挟まれていた1枚の写真を見つけ、手に取って眺め見る。
     それは、数年前に撮ったものだった。映っているのは自分と、芬蘭人の旧友とその夫、そしてその娘。
    「今回は逢う時間が取れなかったけれど……また君のピアノを聞きたいものだ。──可愛い『パピヨン』ちゃん」
     白い肌にふわふわと波打つミルクティ色の髪は、どこか彼の愛らしい犬に似ていたから。
     そんな理由で名付けた渾名を楽しげに唇に乗せると、エリオは懐かしむように微笑んだ。
     
    ●forcefully
    「彼を……いいえ、空をゆく多くの人を、助けて貰えませんか」
     暮れなずむ音楽室の一角。集った灼滅者たちへと視線を巡らせると、小桜・エマ(中学生エクスブレイン・dn0080)は時間を惜しむかのように話を始めた。
     ダークネスは皆、サイキックアブソーバーの影響によって、日本国外では活動できない。
     それは彼等も良く知ったこと。であるにも関わらず、一部のシャドウが日本を脱出しようとしているらしい。
    「シャドウは、日本から帰国する外国人のソウルボードに侵入して国外脱出を図るようです」
     彼等の目的は解らない上に、この方法で国外に移動できるかどうかも定かではない。
     最悪、日本から離れたシャドウがソウルボードからはじき出され、国際線の飛行機内で実体化してしまう恐れもある。そうなってしまえば、飛行機が墜落して乗客全員が死亡──そんな悪夢のような未来が訪れてしまう。
    「ですから、皆さんには彼……エリオ・クレスターニさんが飛行機に乗る前に対応して欲しいんです」
    「ん。つまりは、そのエリオを眠らせて、ソウルボードに入って、シャドウを撃退してくればいーんだな?」
     エマから受け取った写真を手に多智花・叶(小学生神薙使い・dn0150)が窺えば、エクスブレインの娘も確りと頷く。
    「はい。ですが、彼がいる場所はロビーです。周囲にたくさん人もいますから、いきなりその場で眠らせると騒ぎになったり……カナくんの魂鎮めの風を使うにしても、不用意に他の方も巻き込まれてしまいます」
     故に、彼を人気のない場所へ移してから眠らせる必要がある。
     とある管弦楽団の指揮者である彼であれば、好きそうな音楽の話を振ればすぐ会話も弾むはずだ。他にも、歌や自前の演奏した曲を聴いて欲しいと言ってみたり、サインをねだったり。
     また、小動物が好きなことから、その方面で接触しても良いだろう。検疫前だと言ってケージに入った動物を見せたり、動物の写真が詰まったアルバムを見せたり。
     手段は色々と考えられるから、どれかひとつを決めてみよう。
    「ソウルボードの中は、エリオさんの故郷である水の都・ヴェネツィアの街並みが広がっています」
     中で何かの事件が起こっているわけではない。
     だが、灼滅者たちが侵入してきたと知れば、シャドウも迎撃してくるはずだ。
     現れる場所は、ヴェネツィアの名所でもある運河。しかも、大きなものではなく、街中を流れる細い運河──そこを流れる幾つものゴンドラの上が戦場となる。
     とは言え、足場としては不安定に見えるが、灼滅者ならば戦闘に支障はない。
     また、敵はシャドウハンターと同様の攻撃手段を用いるが、それとて大した強さでもない上に、シャドウにとっては生死を賭けてまで勝たねばならない理由もないため、劣勢と見て取ればすぐに撤退するという。
    「ですが、油断は禁物です。失敗すれば……彼が……皆さんが」
    「大丈夫だって。まずは接触を成功させて、でもってシャドウも倒す! だろ?」
     笑う叶に、エマもその瞳から憂いを払って頷き反す。無意識に触れていた指輪から、その細い指先を静かに離すと、託すように胸にあてる。
    「待ってます。皆さんのこと。……とびきり美味しい珈琲を淹れて」
     どうかお気をつけて。
     娘はそう添えると、ふわりと髪を揺らして柔らかに笑った。


    参加者
    結月・仁奈(華彩フィエリテ・d00171)
    三兎・柚來(小動物系ストリートダンサー・d00716)
    江楠・マキナ(トーチカ・d01597)
    奥村・都璃(黎明の金糸雀・d02290)
    鈴木・総一郎(鈴木さん家の・d03568)
    淳・周(赤き暴風・d05550)
    灰咲・かしこ(宵色フィロソフィア・d06735)
    サフィ・パール(ホーリーテラー・d10067)

    ■リプレイ

    ●本日、飛行日和
     ほんの少しばかり足を伸ばした先。次第に溢れてきた自然に、鈴木・総一郎(鈴木さん家の・d03568)はサングラス越しにひとつ瞬き、あたりを見渡した。前を歩いていた淳・周(赤き暴風・d05550)と多智花・叶(小学生神薙使い・dn0150)も、自然と足を止める。
     道路の両脇を彩る木々。夏を過ぎ、どこか柔らかみを帯びた午後の陽を透いた葉は穏やかな影を落としながら、砂と土の地面へ木漏れ日を描く。道端の草花を揺らす風は柔らかく、見上げた空はどこまでも穏やかだ。
     ごうごうと、近いようでどこかくぐもった飛行機のエンジン音。
     気づけば幾分落ち着き薄らいだ青空を渡る機体が、陽を浴びて煌めきを零してゆく。
    「結構近くにこれだけの自然があるんだな」
    「本当、緑が多いね。あっちには神社もあったし、向こうには川辺もあるし。この辺りで良いだろう」
    「ああ」
     総一郎に頷き、周が手早くメールを打った。場所と写真を添付して、仲間へと送信する。
    「にしても、ダークネスの日本脱出か……」
    「シャドウも海外旅行する時代か? なんか引っかかるが、飛行機事故は避けねえとな……」
    「ああ」
     周の言葉に、総一郎が首肯する。どうなるか解らぬ上に、場所が場所だ。見過ごすわけにはいかない。
     瞬間、周の手元でコール音が鳴り響いた。ディスプレイには、仲間である灰咲・かしこ(宵色フィロソフィア・d06735)の名前。
    「灰咲か。動きあったか?」
    『ああ。接触班は無事エリオ氏と合流。今、三兎先輩の誘導で移動し始めた。私もこれからそちらへ向かう』
    「解った。こっちは木陰にでも潜んで待ってるぜ」
    「周ー。総一郎がいーとこ見つけたぞー!」
     少し離れた木々の側で手を振る叶の隣には、穂純と良太の姿もあった。時間の無駄なくこの場所を見つけられたのも、予め適所がないか穂純が空港内を探していてくれたお陰だ。手洗いやフロアの隅でも良かったが、エリオの乗るであろう飛行機の離陸時間まではまだ随分ある。近場の屋外で適所があれば、そちらの方が、奥村・都璃(黎明の金糸雀・d02290)たちが犬変身しての小動物で気を惹く作戦も、功を奏しやすいだろう。
    「カナは戦いで一緒するのは初めてになるか。頼むぞ!」
    「おう、とりあえず、まずはエリオが来たら眠らせればいーんだよな? 任せとけ!」
    「私はここでみんなの身体をしっかりと見てるね」
     だから、どうか安心して戦ってきてね。
     叶君、みんな、頑張って。応援してるの。
     拳をぐっと握る穂純に頷き反すと、灼滅者たちは生い茂った緑の裏へと身を潜めた。

    ●犬と、そして音楽と
     ──時間は少し遡る。

    「あの、管弦楽団で指揮者とかされています、か?」
    「……っ!」
     頭上から掛けられた柔らかなソプラノ。繊細な少女の声音にエリオは顔を上げると、淡い青を映した瞳を見開いた。緩やかに微笑む結月・仁奈(華彩フィエリテ・d00171)と視線が合い、そのミルクブラウンの巻き髪がふわりと肩口へ零れる。
    「あ、いきなり話しかけてしまってすみません……」
    「いや。Non ti preoccu……ああ、んー……」
     恐らく「気にしないで」とでも言いたいのだろう。背を向けてベンチに座っているかしこにも、彼の人柄の良さは感じ取れた。咄嗟に出てしまった母国語を打ち消し、知り得る僅かな日本語を探すエリオへと、今度はサフィ・パール(ホーリーテラー・d10067)が声を掛ける。
    『イタリア語の方が、良い、でしょか?』
    『君は……?』
    『サフィ・パール言います。イタリア語も話せるです』
    『それは素晴らしい。見たところ母国はイギリスかな? 彼のブリタニアの娘子はさすが才色兼備だ』
     はにかむサフィへとひとつウィンクをしすると、「どうか気にしないで、と隣の彼女へ伝えて貰えるかい?」と言葉を託す。
     仁奈へ通訳をする傍らから、動物用ケージの中からくぅんとちいさな声。黒ロングヘアードのミニチュアダックスへと転じた、江楠・マキナ(トーチカ・d01597)だ。
    (「この人がエリオさんかー。中々素敵なダンディですね」)
     金の短髪に碧眼の素敵なおじさまへと、足の先で扉の網をかしかしと叩きながら、円らな瞳で見上げて熱烈アピールをすれば、
    『あはは、どうしたんだい? 外に出たいのかな? 瞳が綺麗なお嬢さん』
     ケージ越しなのに女だってバレた!?
     さすがイタリア人男性。そう静かに驚くマキナの飼い主役、三兎・柚來(小動物系ストリートダンサー・d00716)もまた、同じ驚きを口にする。
    『良く女の子だって解ったねっ。この仔はマキナ、俺は三兎・柚來だ。もしかして、管弦楽団の指揮者のエリオさん?』
     背中越しのかしこにも解るほどの歓びが、エリオの声に滲む。
    『君たちのような日本の若者が、私を知ってくれているとはね。とても嬉しいよ』
     そう言って綻ぶエリオにつられて微笑みを浮かべると、仁奈も名乗り、手元の都璃──こちらはちいさなポメラニアン。もふもふです。可愛いです──がこくりとお辞儀をした。いつもは仲の良い娘たちも、今日は海外旅行に行く飼い主とペットという役柄だ。
    『欧州では素晴らしい演奏を聞かせていただき、ありがとうございます』
     写真の少女を思わせる髪型も奏してだろう。名乗りながらそう続けるステラに、エリオも一層喜びを滲ませる。
    「私は、少し前に両親に連れられて」
    『ああ、先日の日本公演を聴きにきてくれたのかな? ありがとう』
     彼の手元にある1枚の写真。そこに映るミルクティ色のふわふわと波打つ髪の少女と、恐らくは雰囲気が似ているのだろう。紡がれたこの縁に仁奈もまた歓びながら、応えるかのように柔らに笑う。
    『俺の専門はダンスなんだけど、曲は趣味で色々聞いてるんだっ。ワーグナーのマイスタージンガーとか俺好きだな~、エリオさんは?』
    『おお、私もとても好きな曲だ。今年は彼の生誕200周年だからね、うちの楽団でも演奏したよ』
     彼の表層意識に浮かぶ、幾つもの単語。そこから選んだひとつを話に織り交ぜれば、どうやら私たちは好みが合うようだ、と声を弾ませるエリオ。専門ではないにしても、管弦楽団も興味がある。何よりも、同じ音楽を愛するものとして助けてやりたいと、嬉しそうな彼に柚來もまた強く思う。
    『うちのマキナも音楽好きなんだぜ♪ なっ?』
    『わんっ』
     目立たぬように鳴くと、マキナは尻尾をぱたぱた。隣のケージの都璃もまた、小首を傾げながら愛らしい視線を向ける。
     シャドウが日本を脱出して何をしようというのか解らないが、やらせはしない、止めてみせる。
     友人であるエクスブレインの少女の不安を打ち消すためにも、今はやるべき事を、出来る限りやるだけだ。
     自分が動物にされたら嬉しい事──記憶を辿りながら、ふわもこの前脚をくいくいとケージの隙間から出してみせれば、
    『ああ、たまらなく可愛いね、この仔たちは……!』
     撫でたそうにうずうずとするエリオの様子に、サフィと仁奈、柚來と──そしてかしこは、頷きを交わす。
    『良ければ、少しこの仔たちと遊ばない?』
    『え? でも……良いのかい?』
    「私たちは全然構いませんよ。うちの都璃ちゃんも、すごく可愛くて人懐っこいんです」
     だからお時間あるなら是非、と続く仁奈に同意するかのように、マキナと都璃もエリオの指先に額をこすりつける。
    『ど、どうでしょか。懐いちゃったみたい、ですし』
     申し訳なさそうに添えたサフィの言葉は、後押しとしては十分すぎるほどだった。

    ●ハロー・ワールド
     マキナの声を合図に、叶の風で眠りについた意識へと移れば、途端、降り立った場を認識するよりも早く、どこからか鋭い一音が鳴り響いた。
     それが己を狙う漆黒の弾丸だと気づく前に、総一郎がライドキャリバーを呻らせた。瞬時に仲間たちも意を察し、四方へと弾けるようにその場から退く。
     宿敵だからこそ解る。それは、シャドウの一手であった。
    「──いた!」
     白や象牙、煉瓦の色に染む家々の壁が両脇に続く運河。その橋の上から都璃が指さした先のゴンドラのひとつに人影を見留めると、橋の欄干に足を掛けて周が勢いよく飛び出した。跳躍して一気に距離を詰めると、人影の手前のゴンドラへと着地する。
    「いきなりとは随分ご挨拶じゃねえか」
     対峙したシャドウ。
     銀の影を落とす白いざんばら髪は、背に少し掛かるほど。幾重にもかさなる前髪から垣間見える、微睡みを帯びた金の瞳。褐色の肌を纏う白いワンピースはまるで襤褸布で、だからこそなお、裾に揺れる鮮やかな蝶が一層、色濃く映る。
     そして、胸元でよれた肩紐の側に見えるスートは、ハート。
    「てめぇ、コルネリウスに言われて、他の国でもしあわせな夢見せようとしてるのか?」
    「ただ物は試しでやってる訳ないよね?」
    「お前ら、どこ逃げる気なんだ?」
     続く仁奈と柚來の問いに、返ったのは言葉ではなく弾丸だった。周の頬を掠めたそれを、続いて飛び降りてきた総一郎がそのライドキャリバーの身体で止めると、反射的に放たれた影が娘を絡め取る。
    「どうやら、私たちと喋る気はないようだな」
     宵空色の髪を揺らして、かしこがその柘榴石のような双眸を細めた。
     何者かの思惑が働いているのか、それとも単なる気紛れか。
    「……まあ、良いさ」
     いずれにせよ、現時点においては些末なこと。
     今はまず、己たちの行動に多くの命が懸かっている。
     ──ならば。
    「……さあ、此処からが本番だ」
     水の都で戦闘なんて中々に粋じゃないか。無表情ながらも、どこか楽しむかのような声音とともに、かしこの胸元にスートが浮かび上がる。
    「シャドウは、等しく灼滅してさしあげよう」
     狩り人の少女が、獲物へと静かに告げた。

     シャドウの娘は、柳のようにつかみ所がなく、けれど棘のように鋭かった。
     柚來と叶の巨手によって、その細い身体をゴンドラへと叩きつけられる。手繰り寄せた闇の力諸共打ち砕かれるも、娘は構わず、指で形作った銃口を柚來の胸へとあてた。
    『──バン』
     まるで遊戯で交わす言葉のような、ささやかな声。至近距離から放たれた深淵なる弾丸は、そのまま皮膚を破り、血肉を貫き破壊する。
    「柚來くん……!」
     すかさずサフィが、光輪を幾つかに分けて解き放った。護るように展開する治癒の光は柔らかで、幾分楽になった身体を起こして柚來が笑って礼を告げる。
     その主の横を、彼女の霊犬たるヨークシャー・テリア、エルが駆け抜けた。反動で大きく跳ねたゴンドラにサフィの足許もぐらりと揺れれば、叶が咄嗟にその手を取った。
    「大丈夫か?」
    「あ、ありがとうございます……」
     恥ずかしさのあまり顔を火照らせるサフィに、ほら、と叶が微笑み視線を促す。四肢を撓らせて軽やかにゴンドラを飛び渡るエルの姿にはらはらとするも、そんなサフィの心地も知らぬまま、エルはシャドウの娘の身体ごと、咥えた刃を横に薙ぎ払う。
    「あーいいなーヴェネツィア。……くっ、あくまで今回の目的はシャドウだよ、シャドウ!」
     いつかちゃんと旅行で来るんだ、と名残惜しげに呟くマキナ。相棒である一輪機、ダートがひとつ吼えてゴンドラを飛び出すと、
    「この美しい街並みに、キミは似合わないよ。私たちと一緒に日本にかーえりーましょ」
     ダートの軌跡が生んだ水飛沫がシャドウの視界を遮り、その水壁を突き破ったマキナの弾丸が、娘の肌に、肉に、無数の風穴をあけてゆく。
    「なあ、どうせ移動するなら、飛行機より広くて騒ぎになり難い船のがいいんじゃね?」
     周の連打の雨を正面から浴びて崩れ落ちた娘へと、思ったことを問い掛ければ、やおら陽炎のように立ち上がった娘が、ざんばら髪の奥に潜む瞳を丸くした。そうかもしれない。そんなことを思ったのだろうか。
     けれどそれも一瞬。
     娘は獣のような機敏さで総一郎の間合いに入ると、影を宿した指輪ごと拳を繰り出した。
     細腕から放たれたとは思えぬほどの、重い一撃。
     それを獲物で弾くと、総一郎はそのままライドキャリバーで旋回した。古の武人を思わせる跳躍でゴンドラを渡り、加速した勢いを乗せて、彼もまた娘と同じ一打を放つ。
    「くッ……流石宿敵、手の内はお互いほぼ見えてるか、油断ならないね……ッ」
     空を切った獲物。
     後ろのゴンドラへと移った娘へ総一郎が呻るも、
    「逃がしはしないよシャドウ……今だ!」
    「都璃ちゃん」
    「ああ!」
     ソウルボードでの初国外。美しい運河の街並みに目を奪われそうになるも、戦闘となれば話は別。
    「逃がしはしない、ここで倒す」
    「貴方が外国の夢を見るのは、ここで終わり。優しい音楽家さんの心のなかから、はやく出てって」
     都璃と仁奈、ふたりが呼気を合せて放った光と影の刃が、ひとつのうねりとなってゴンドラごと娘を飲み込んだ。
    「お前の居るべき場所は、此処ではないよ」
     美しい風景を堪能するのは、後でも構わない。
     今はただ──討つまで。
     かしこの魔導書から生まれた影狼が、ゴンドラを蹴り上げた。一度、二度、斜めにゴンドラを移ると、眼前に迫る橋を高く飛び超え、敵頭上へと躍り出る。
     穿たれた牙。どうとそそり立った水柱に塗れながら、けれど娘は、皮膚が千切れるのも厭わず腕ごと振り抜いた。
    「逃げる気だ……!」
     動きを見ていたから解る。それは、逃走の気配。
    「なら、もう一発食らっていけよっ♪」
     ただ逃がすのも癪だと言わんばかりに放たれた、柚來のオーラ。

    『──またね、スレイヤー』

     飛沫の音に紛れた、娘の声。
     気の塊はそれごと喰らうと、全てを飲み込み盛大に爆ぜた。

    ●空は、世界へ
    「エリオさんの飛行機、あれかなー?」
     仰ぎ見た秋晴れの空。ひとつ光った輝きに目を細めたマキナが、口許を綻ばせる。
     犬と遊んで寝ちゃった。
     そう誤魔化した柚來に笑み声を立てたエリオ。
     共に過ごした、楽しいひととき。
     柔らかに撫でる掌。抱きしめるぬくもり。周とのフラメンコギター談義に笑う声や、人を癒す旋律を奏でたいと悩む優歌に、「君自身は癒されているかい?」と問い掛けた優しい眼差し。
     そうして、そんな彼の生まれた、あのヴェネツィアの街。
     カーニバルに、ゴンドリエーレの唄。
     昔、絵本で知った通りの素敵な場所だったと零したサフィに、仁奈も笑う。
     またいつか訪れたい。
     けれど、今は。
    「エリオさんたちを護れたこと。それだけで、十分だね」
    「何とか、最悪は免れたしね」
     そう空を仰ぐ総一郎につられて、皆も青を瞳に映す。

    『また会えたら嬉しいなっ』
    『ああ、ユズキ。また会えるさ。楽しい時間をありがとう、みんな』

    「次会うときは人の姿が良いなぁ」
    「ああ、そうだな」
     呟くマキナに都璃も頷けば、
    「あ、都璃ちゃんポメラニアン超可愛くて! もうもう、ぎゅーってしたいの抑えるの大変だった」
    「に、仁奈……!」
     遥か異国へと続く青。
     どこまでも澄んだ秋空に、軽やかな笑い声が響き渡った。

    作者:西宮チヒロ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年9月6日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 13/キャラが大事にされていた 1
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ