憤死

    作者:日暮ひかり

    ●scene
     北国の冬は早い。
     あといくらか月が巡れば、この海岸も雪に閉ざされるのだろう。けれど夏の威がいまだ衰えぬ今、磯に流氷が乗り上げているのは、流石に奇妙な光景に思われた。
     夕日の橙を照り返し輝く氷に、不意にひびが入る。卵の殻を破るようにして現れたのは、そびえ立つ要塞であった。ややあって、要塞はロボットの如くに変形し、一応の人の形を取る。
    「漸く日本に辿り着いたか。……む? 誰か見ているな」
     怪人は崖の上の人影を睨む。
    「来るなら来るがいい。我こそはサンクトペテルブルクの要塞、怪人サンクトピチルブールクスカヤクリェーパスッチ。簡単には崩れぬ!」
     ひゅん、と空を切る音がした。
     怪人は、己の頑強な左半身を破壊したものを目で追った。城壁の装甲に覆われた腕にひびが入っている。肘を貫通した筈の物体が見当たらない。まさか、今のは衝撃波だとでも言うのか。
     崖上から誰か落ちてくる。人だ。灰色のタンクトップから、刺青の入った逞しい腕が覗いている。ありていに言えば、今風のチーマーめいた男だ。 
     ――ガァン!
    「……イライラすンだよ。名前が長ェ」
     男は右手に握った鉄の棍で岩肌を殴りつけた。
     三白眼を獣のように輝かせ、額に青筋を立て、怪人へ飛びかかる。
     
     男は見た目以上の怪力の持ち主だった。
     鈍器であるはずの棍で、力任せに怪人を貫ける程に。だが、要塞怪人もそれをやすやすと抜かせる事はなかった。
     男が怪人に刺さったままの棍を掴む。怪人はそれを待っていたとばかりに、至近距離から砲弾を浴びせた。腹にめりこんだ弾が爆ぜ、衝撃が男の身体をくの字に曲げる。
    「がぁっ……っ」
    「その闘気。貴様、さてはアンブレイカブルか。まったく笑わせる、貧弱な和製ダークネス如きに我が要塞が破れるとでも……ん?」
     怪人は目を疑う。男の手は武器を掴んだままだ。その手に、ぐっと力がこもる。
     男の血走った三白眼が、ぐりんと上を向いた。
    「なっ……なんだとぉぉ!?」
     怪人の足が浮く。重い身体が、重力に反して宙を移動する。
     男は怪人が刺さったままの棍をアーチ状に思い切り振り抜き、渾身の力で岩に叩きつけた。
     怪人の身体を覆う城壁と兵器が、岩もろとも大破する。要塞怪人はぴくぴくと痙攣しながら、今際の口上を呟こうとした。
    「わ、我は……がァッ!!」
     ――ガンッ!
     ガッ、ガッ、ガコォン!
     勝敗はもう明らかだ。だが、男は怪人をひたすらに棍で殴り続けた。
     なぜか。そこに深い理由はない。
    「はあッ、はぁッ……うぜェんだよ……往生際もセンスも悪ィてめェらご当地怪人はよォ~……死ね! 死ねッ! 死ぬならとっとと死ねッ!! 闘いで敗けた奴に何か言う資格なんて、無ェんだよ……ッ!!」
     男は、ただ腹を立てていただけだ。全てに腹を立てているだけなのだ。
     
    ●warning
     男――アンブレイカブルの名は舞阪・祐という。
     オホーツク海を通過し、北海道各地に流れ着いている季節外れの流氷。そこにはロシアのご当地怪人達が封じられている。もとはひとつの巨大な流氷だったと思われるが、何かあって破壊されたようだ。
     これを、己の腕試しの機会と見たのがアンブレイカブル達であった。
     彼らは漂着したロシアン怪人に片っ端から喧嘩を売り、己の技量を磨こうとしているという。
    「事件背景の不明瞭さは気がかりだが、まぁバカとバカが潰しあってくれるのは万々歳だな。勝った方のバカは俺達で潰す」
     そう勝気に笑う鷹神・豊(高校生エクスブレイン・dn0052)は、なぜだか存外に機嫌が良さそうだった。
     
     エクスブレインから提示された作戦は以下の通りだ。
     要塞怪人と舞阪の戦いに決着がつくまでは、戦場付近の岩壁に身を潜めて待つ。
     そして怪人との戦いを終え、消耗した舞阪を襲うのだ。
     舞阪が意味もなく怪人を殴る行為を止めるかは灼滅者たち次第だが、それ以前に割って入るのはけして勧められない。
     そうなれば怪人と舞阪は、まず無粋な邪魔者を排除しにかかるだろう。
     舞阪だが、棍を用いた独自の格闘術を使用するようだ。
     彼は、闘志を突き詰めるうちに怒り以外の感情を失った男であるという。
     灼滅者たちの登場には怒り狂い、怒りは怪人が負わせた傷を塞いでしまう。
     だが、戦闘中に癒しきれない深手は残る。手強いが、じっくり攻めていけば勝ち目はある。
    「全く呆れた連中だ……奴がどれだけ怒ろうと、謀略を恥じることはないからな。なにしろ被害が少なくて済む。俺達が守るべきは、こいつらの誇りなんかじゃないだろ」
     鷹神はそこで話を終える。
     頑張れとも、気をつけろとも言わないのは相変わらずだった。


    参加者
    大堂寺・勇飛(三千大千世界・d00263)
    皆守・幸太郎(微睡みのモノクローム・d02095)
    室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)
    銀・紫桜里(桜華剣征・d07253)
    エデ・ルキエ(樹氷の魔女・d08814)
    吉沢・昴(ダブルフェイス・d09361)
    蘚須田・結唯(祝詞の詠い手・d10773)
    イリス・ローゼンバーグ(深淵に咲く花・d12070)

    ■リプレイ

    ●1
     北国は冬が早いんじゃない。夏が短いだけだ。
     皆守・幸太郎(微睡みのモノクローム・d02095)の言である。涼やかな潮風が、室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)の薄藤の髪を揺らす。秋の訪れを感じながら、香乃果は迫る激戦に向け髪を結い上げた。
     大砲の轟音と、鉄のぶつかる金属音。戦闘音はまだ途絶えない。夏休みも終わりだってのに、地元に出向いてバカの相手か――口の中で珈琲飴を転がしながら、幸太郎は一概に『バカ』と評された者を黙して眺めた。
    「ロシアからはるばる来たのにあっさり殴り殺されるとは……世は無情だねぇ」
     大堂寺・勇飛(三千大千世界・d00263)がこめかみを叩き、見守るその先。
     若い男と、珍妙な物が戦いの前座を演じている。
    「アンブレイカブルとなんか名前の長いご当地怪人の小競り合い、ね。わざわざ敵同士が潰し合ってくれるならこれほど楽な事はないわね」
     唇に酷薄な笑みをにじませ、イリス・ローゼンバーグ(深淵に咲く花・d12070)はそう言い捨てた。
    「ピリピリするなって。終わったら飯でも食おうぜ、折角北海道まで来たんだしな」
     岩陰になじむ外套を纏った吉沢・昴(ダブルフェイス・d09361)は軽口を叩くが、彼やエデ・ルキエ(樹氷の魔女・d08814)を始め身を潜めて勝負を見守る灼滅者の表情は厳しい。癖を見切り、戦いに活かせればと考えていたが、それが易々と通じぬのが『格上』だ。
     怒りに身を任せて、どれ程動きに幅を持たせられるのか。昴はそこに興味を持っていた。怒りが臨界に達すと相手を屈服させる事にのみ意識が集中し、却って感覚が研ぎ澄まされる者が居るという。

     棍を支柱に、怪人の身体が宙を舞う。
    「なっ……なんだとぉぉ!? ……ぐはぁッ!」
     敵を岩に叩きつけてなお、男の眼は治まらぬ憤怒を宿す。
     怒りは、舞阪祐の求める至高の戦意だ。

     舞阪は瀕死の怪人を睨む。怪人が口を開こうとした時、巫女服の少女が岩陰より走り出た。『咎人に、永久の安らぎを』、少女――蘚須田・結唯(祝詞の詠い手・d10773)がそう呟くと掌のカードはたちまち槍へ変じる。
     舞阪が棍を振り上げた。そうはさせまいと、結唯は強く地を蹴る。
     ――ギィン!
     金属のぶつかる音が響いた。
    「誰だてめェ」
    「許してはおけません。もう勝敗は決しているのに、腹が立っているというだけで、意味のない攻撃を加えるなんて……これ以上はやめて下さい! ここからは、私達が相手になります!」
     突如間に割って入った横槍に、舞阪は著しく顔を歪めた。唇が震える程の憤怒が男の傷をみるみる塞いでいく。棍を槍で押し返す結唯の腕には、鈍い痺れが走っていた。凄い力だ。
    「正義の味方様かよ。うぜェ……殺してやる」
     舞阪は急に棍を退き、結唯の槍を下から打ち上げた。武器を跳ね飛ばされ、隙の生じた結唯に攻撃を加えようと足を踏み出す。刹那、舞阪の腱が大量の血を吹いた。
    「見ていて不愉快なんですよね」
     銀・紫桜里(桜華剣征・d07253)の握った長大な大刀が男の足を貫いたのだ。一瞬ぐらついた舞阪の身を、更にエデの魔矢が貫く。砲撃の傷痕が残る腹を押え、舞阪は周囲を見回した。八人と、一台に取り囲まれている。男はふざけンなよ、と悪態を吐いた。
    「口上を無視するとか、アンブレイカブルなら戦いの様式美を理解して欲しいです。さぁ、剣戟音を奏でましょう」
     紫桜里は横目でちらと怪人に視線をやる。舞阪を貫いたエデの矢が空中分解して小さな鳥と化し、追撃を見舞った直後であった。エデは涼しげな笑みを浮かべる。
    「倒した敵に念入りにトドメを刺すのは良い心掛けだと思います。でも怒りに任せて殴ろうとしただけなら、聞いた通りのおバカさんですね」
    「あぁ!? 誰に俺の事を聞いた!」
     舞阪の注意が他に向いた。その間に結唯は落ちてきた槍を取り、構え直すと、風車のように回転させながら敵へ突っこんだ。槍の穂先が腕をかすめ、舞阪は舌打ちする。だが、本来広範囲の注意を引きつけるための技ゆえに、彼の怒りは買い損ねた。間髪入れず、後方の香乃果が弓をひく。
     敵を貫くかと思われたその矢は、舞阪の横をすり抜けた。攻撃か? いや、今のは――。
     気配を殺し、前衛に紛れて背面へ回っていた昴が軌道の先にいる。
     ――味方への支援!
     これだけは、確実に当てる。飛び込みながら矢を受け、一拍の隙すら残さない。
     矢の魔力が一族秘伝の殺人技巧を研ぎ澄ます。抜き打ちから放たれた昴の刀の突きは舞阪の頸椎を刺し貫き、運動神経を大きく狂わせた。
    「……何してくれやがんだァァッ!!」
     これで、攻撃はだいぶ当たり易くなる。穴の開いた喉から奇妙な声を漏らす舞阪を蔑むように眺め、イリスは軽く眉を寄せた。
    「嫌ね、馬鹿のヒステリーって。正直こっちの方がいらついてくるわ。あなたちょっと五月蝿いのよ。少し黙りなさい」
    「そんなに暴れ足りないようなら、俺たちが相手をしてやるぜ」
     勇飛の跨る相棒、龍星号が大きなエンジン音をあげる。一連の様子を朧げに見ていた怪人は、幸太郎と香乃果へ息も絶え絶えに尋ねた。
    「日本人……何故、我を救った」
    「……ま、宿題やってるよりはマシだからな。バカは放置すると面倒だ」
     ゆったりしたカーゴパンツへ気怠げに手を突っ込んだまま、幸太郎は軽口で返す。だが、胸に灯る黒いスペードのマークはどうも穏やかでない氣を微かに纏っている。同じ闇を抱える香乃果はそこに舞阪への敵意を感じ、僅かに俯いた。
    「正義の味方に情をかけられるは、怪人として屈辱よ。……早く我から離れよ、日本人」
     最後の力を振り絞り、怪人は海の方へ這っていく。言葉の意を汲み、二人は振り返らなかった。
    「サンクトペテルブルクの都よ、永遠に。ロシアンタイガー様万歳!」
     怪人は海中へ身を投げ、直後大きな水柱が上がった。皆を爆発に巻き込むまいとしたのだ。
     弾かれた氷塊の欠片が飛んでくる。結唯はとっさにその中の一つを掴み、冥福を祈るように両の手で包みこんだ。

    ●2
     怪人は、既に舞阪の頭から消えているようだ。棍が赤い怒気を纏った。腕を上体ごと大きく捻り、四方を囲み込む前衛五人と一台を、迷いなく一気に薙ぎ払う。
    「包丁4本も隠し持ってンじゃねェ!」
     接敵していた紫桜里がまず跳ね飛ばされた。
    「カタツムリに乗って楽してンじゃねェ!」
     勇飛を振り落とし、棍の勢いを殺そうと突進した龍星号も同様に。
    「闘いはコスプレ大会じゃねェッ!」
     結唯の槍でも受け切れず、四人目のイリスが構えた光壁の盾がようやく止める。代償として盾は壊れ、イリスも脇腹を強打した。攻撃範囲と直線的な軌道を読み、うまくコースを外れたエデのみが難を逃れる。
    「……フフッ。あなたみたいな粗野で下品な服装、とても着こなせないわ」
     彼女の素で、また護り手としての意地でもあるのだろう。倒れ込んでも高圧的な姿勢を崩さず、下から睨んでくるイリスを、舞阪が殺意の籠った眼で睨み返した。
     ――なぜ、理由無くそんなに怒り続けられるの。
     怒りしか感じない心、とはどのようなものだろう。傷を顧みず吼え続ける戦闘狂に、香乃果は言いようのない恐怖と不安と、少し悲しみを覚えた。
     首を刺し貫かれる痛みも、恐怖も、闇は男から奪い去った。これはもう、人間ではないものだ。
     胸騒ぎがする。作戦に齟齬はないのに、妙な不協和を感じる。香乃果は鮮やかな石が耀く短刀を構え、皆の無事を願った。
     儚くきらめく夜霧が前衛の受けた傷を癒す。数が多いぶん、効果はやや薄まっていた。
     負傷をカバーすべく、紅桜の闘気を纏った紫桜里の剣が舞阪の魂を喰らおうと迫る。だが男は大振りな横薙ぎを身をひいてかわし、喉の高さから腕めがけて振り落された昴の毛抜形太刀を棍で弾いた。
    「もう少し足止めが必要ですね」
     ココロは熱くとも、頭は冷静に。
     怒りと闘志はけして結びつくものではない。己に言い聞かせ、紫桜里は落ち着いて舞阪の足取りを注視する。昴もペースを乱されている様子は無い。口をつぐんで集中したまま、紫桜里の言葉に頷いた。
     二人の間を強引に突破した舞阪は、螺穿槍の要領で棍をひねり、立ち上がったイリスの肩を抉って貫いた。
    「イリスさんっ!」
     結唯の叫びと共に、エデは男の行動を阻害しようと光輪を投げつけた。狙いすました攻撃は舞阪の身を切り刻んだが、腕にこもる力は少しも緩まない。
    「死ねッ!」
     怪人より随分軽々と、イリスが宙を舞ったのは一瞬。彼女は岩肌に叩きつけられ、棍を抜かれた肩から血が噴き出す。
     空いた背に突き出された赫い短槍を舞阪はかわした。だが直後、身体中に追突の衝撃を受けて吹っ飛び、岩にダイブする。
    「殴って解決ってのには賛成だぜ、ニイちゃん」
     小難しい事を考えずに済むからよと、龍星号に跨った勇飛は真紅のマフラーをなびかせ、指をバキバキと鳴らす。邪魔者が退いた隙に、結唯はすかさずイリスへ光輪の盾を飛ばす。着実に敵の動きを封じていきたいのだが、予想以上に味方の負傷が激しい。重ねて幸太郎もラベンダー色の光輪でイリスを癒す。
     立ち上がったイリスは優雅に服をはたくと、再度舞阪に接敵し盾の平手打ちを放つ。香乃果は祈るような思いで、前衛に向けて癒しの力を宿す弓をひく。
     殴打音が響く。男の頬が歪み、歯が飛んだ。眼に今までと違う種類の怒りが宿った。
    「……殺す……」
     向かってくる前衛を、舞阪はまたも纏めて薙ぎ払う。その攻撃が外れることはなかった。

    ●3
     なぜ追いつかぬのか。手番の多くが回復に費やされていく。
     前衛のほとんどが気魄回避防具を選んだ。術式回避を選んだ者がおらず、敵の力や命中を削ぐ事にもあまり手が回らなかった。結果として六人全員がきれいに列攻撃を受け、衝撃は護り手達に降り積もった。
     一度に多くを攻撃すれば多少は威力が下がる。が、六人分の総ダメージは、一人が単体攻撃を受けた時よりずっと多い。幾ら頑張っても香乃果一人で賄える量ではなかったのだ。
    「ったく、他の芸無ェのか!」
     気魄技を繰り返す龍星号の攻撃は見切られている。蒼い闘気を纏う勇飛の拳を受けながら、舞阪はなお吼えていた。怒りの矛先はイリスのみに集中している。
    「怒っちゃダメですよー、血圧上がっちゃうから。乳酸菌摂ってなさそうですね」
    「あ? てめェはカルシウム摂れチビ!」
     幼くも利発なエデは戦線崩壊の危機を察していた。だが敵の消耗も深い。ここで焦っては勝機を逃す。余裕を装ってくすくすと笑い、魔の矢で腹の傷口を貫く。舞阪はかまわず獣のように駆けた。
     イリスの頭に棍が振り下ろされる。
     白い長髪を、鮮やかな血が染めていくさまは奇妙に美しかった。
     怒りに息を切らし、うぜェ、と吐き捨てる男へ、崩れ落ちた彼女はこう返す。
    「奇遇ね、私もあなたみたいな奴は大嫌いなのよ」
     怪人にしたように、舞阪は彼女を殴り続ける。イリスが意識を手放してもなお続くと思われた攻撃は、気怠い声に中断させられる。
    「加減を知らないバカはこれだから困る」
     幸太郎が静かに歩み寄る。胸のスートが仄暗く燃えていた。彼の影がイリスの元まで伸び、棍を受け止めている。
     手は変わらずポケットの中だった。彼の周囲を漂っていた紫の光輪がまどろむように不規則に飛び、かと思うと急激に加速し、正確に舞阪の肘後部を裂く。その時舞阪の頭上を影が過った。
    「上か……バレバレなんだよ」
     舞阪は上を向く。だが、そこにあったのは昴の投げた外套だった。
     変則的な踏み込みが間合いの感覚を狂わせる。予備動作のリズムを消し去った無拍子の剣技は、足止めを重ねられた舞阪には簡単にかわせるものではない。
     覚悟はある。
     昴は、躊躇なく舞阪の右手首を斬り落とした。
     舞阪は聞き取れない事を叫び、すぐに左手で棍を拾った。
    「邪魔だッ!!」
     千切れた己の右手すら煩わしいのか、海に放り投げる。
    「それが貴方の強さですか? 戦いとは、刃を交える前に戦略によって勝利しているべきものです」
     細かなミスの積み重ねで仲間が倒れた今、エデの言葉は残る灼滅者達の胸にも響いた。
    「……野蛮な人って嫌いです」
     何が修行だ。己の勝手で多くの苦しみを生み、心を顧みず何が最強の武か。
     彼らも等しく屑だ。
    「怒りに我を忘れては、闘いを愉しむ事も出来ないでしょうに」
     紫桜里の斬艦刀が冷たい氣を帯び、月のように輝く。理性に律された斬撃は、舞阪の纏った怒気を一気に散らす。イリスが倒れたことで、回復せず力を削げる手番が一瞬生まれていた。
     皆の怒りが聴こえる。心が軋み、疲れ果てる音が。
     辛かった。深い悲しみを眸の奥に沈め、香乃果は結唯に癒しの矢を放とうとした。だが、結唯は首を振る。
    「有難うございます。でも、私達ももう限界が来ます……銀さんを回復してあげて下さい」
     身体中に深い傷が見える。次の列攻撃で、結唯と龍星号が同時に倒れるだろうという局面だった。盾の全滅は、戦線の崩壊と遠からぬ敗北を意味する。だが、勝利の文字はもう少し近い所に見えていた。
    「……分かりました。私の力不足で、」
    「違うな」
     泣きそうな声でごめんなさい、と続けようとした香乃果の言葉を昴が遮った。この戦闘中で彼が口を開いたのは初めてだ。完璧ではないが、手を抜いた闘いもしていない。格上に対し、戦略と協調なき勝機はありえない。
     ――確実に、勝たねば。香乃果はぐっと悲しみを飲み込み、指示通り紫桜里に矢を放つ。
     すぐさま舞阪の横薙ぎが襲った。ここまでよく耐えたが、やはり結唯と龍星号はその一撃を凌げず、沈む。もはや皆を護る壁はない。
    「こいつは重畳……!」
     勇飛はその状況すら笑ってみせた。壮大な決意を秘めた剣の迷いなき剣筋が、舞阪を斬りつけ叩き伏せる。そこへエデが白鴉を冠す杖を振り下ろした。鴉の紅い眼が輝いた瞬間、爆発が起こり、舞阪の体中の傷から爆風が吹きだす。
    「がはッ……コロ、す……!」
     煩い、と言わんばかりに、昴は倒れた舞阪の喉に武骨な太刀を突き立てる。敗者には何も言う資格はない。そう言っていたのは、この男自身だ。紫桜里はそれを体現する男のさまを見おろし、
    「一刀! 両断ッ!!」
     全体重と刃の重みを乗せ、縦一文字に胴を両断した。凄まじい量の血が岩の隙間に染み入っていった。
     残酷な死にざまだった。だが、もっと残酷だったのはまだ微かに舞阪の息があったことだ。残った左手で自らの顔を引っかいていた。敗北した己に、腹を立てて。男は狂っているが、武人ではない。
    「……こんなバカがいると、俺の故郷が汚れちまうだろ」
     ただの馬鹿だ。影の刃で男を死の苦しみから解放すると、幸太郎は不機嫌そうに缶コーヒーを一気飲みした。休憩は挟まず、倒れた二人の元へ歩いていく。
     憤るだけでは、馬鹿と同じだ。怒りさえ糧として立ち上がらねば。
     夏が終わっても、戦いはまだ続くのだがら。

    作者:日暮ひかり 重傷:蘚須田・結唯(祝詞の詠い手・d10773) イリス・ローゼンバーグ(深淵に咲く花・d12070) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年9月8日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 11/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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