ハートブレイカー

    作者:佐伯都

     自分のものとは思えないくらい身体が軽い。湊元・ひかる(みなもと・―)はそんなことをぼんやり考えながら、他人の夢の中を駆ける。
     気がついた時にはやり方なんて全部わかっていて、そうする事が自分にとってはとても自然で、そして人として越えてはいけない一線を越える行為だということも知っていた。
     まるでよくあるドラマか漫画のような、朝の登校風景。
     そして自分はあの背中に駆け寄って、あかるく言うのだ。おはよう、と。
     ――決して現実では言うことのできない言葉を。
     
    ●ハートブレイカー
     皆揃ってるな、と呟いて成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)が手帳を開いた。
    「シャドウに墜ちかけの中学生が、片思いの相手になけなしの勇気ふりしぼって告白しようとしてる。……ソウルボードの中で、な」
     ふつう闇墜ちが起これば人間としての意識はそこで消失するが、今回のターゲットである湊元・ひかるはまだダークネスになりきらない状態にある。しかしこのまま放置すれば、ほどなく彼女は完全なシャドウとなるだろう。
     墜ちきっていない以上、まだこちら側に戻って来られるかもしれない。
     彼女は放課後、誰もいない教室で居眠りしている同級生の更衣・桐也(さらい・きりや)に近づいてソウルアクセスを試みる。
    「何せ夢の中じゃないと声もかけられないような性格だからな、すぐに桐也のソウルボードが荒廃するような真似はしないし、できない」
     しかし、だからと言って私欲で他人の精神世界に入り込んでもいい道理はなく、いつひかるの理性のタガが外れるともわからないのだ。
    「幸い、接触するタイミングはいつでも構わないんだが……何せ闇墜ちのトリガーが片思い、しかも桐也には好きな相手がいるんだな、これが」
     救うためには彼女を一度KOする必要があるため、その状況はよく考えたほうがいいだろう。
     一つ、教室に入る前なら告白することもなく失恋するが、桐也のソウルボードには侵入せずにすむ。
     二つ、桐也を起こし話をさせてからならば、灼滅者の説得内容次第といった所だろう。そして何らかの対処をしなければ、ひかるは想い人に自らの闇を晒す事になる。
     三つ、言えずにいた言葉を夢で言わせてからとなる場合、告白もでき、想いに応えることはないが夢の中の桐也と多少良い思い出が作れるかもしれない。しかし桐也のソウルボードを侵した事実は永久に残る。
    「どの案も一長一短だからね、だからどうするかは皆に任せるよ」
     そして、もしひかるへの説得が上手く行った場合、戦闘となった時に彼女の力を削ぐことができるはずだ。
    「それじゃ、よろしく頼むよ」
     もし桐也に好きな人がいなければどうなっただろうな、と樹は最後に呟いた。


    参加者
    伊舟城・征士郎(アウストル・d00458)
    来栖・清和(武蔵野のご当地ヒーロー・d00627)
    辻堂・璃耶(アニュスデイを導くもの・d01096)
    京極・茅(呉織・d02318)
    夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)
    日野森・沙希(劫火の巫女・d03306)
    有馬・由乃(歌詠・d09414)
    霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)

    ■リプレイ

    ●夢揺れ
     まだ残暑の色濃い西日に半身を晒し、夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)は溜息をついた。
     オレンジ色の斜陽に炙られる放課後の校舎は、驚くくらいに人影がない。
    「恋愛とかワカンネーな……」
     流血沙汰をめくるめく愛し合いと表現する変質者なら一人だけ心当たりはあるが。
     治胡の呟きを聞きながら、有馬・由乃(歌詠・d09414)は目を細めた。
     誰かを好きになるという恋心はとても尊いものだと思うし、同時に、憧れもする。既に別の人間がその心にいる以上どのみち実らない恋かもしれないが、それ以上の悲しみで染まらないようにできる事があれば、してやりたいとも由乃は思う。
     校庭からだろうか、遠く、どこかの運動部のものらしい掛け声が聞こえていた。
     誰もいない、誰も通らない廊下の奥にひとつ、人影が現れる。
    「いらしたようですね」
     辻堂・璃耶(アニュスデイを導くもの・d01096)が囁くのと同時に、姿を空気に溶かしていた伊舟城・征士郎(アウストル・d00458)が不可視の衣を脱いだ。
     彼女が向かおうとしている教室はこの廊下の一番奥、その扉を開ける前に全てを終わらせたい。
    「こんにちは、湊元……ひかるさんっ。ちょっといいかな? あ、話し辛かったら聞いてもらえるだけでもいいからね」
     まだ何も知らない、居眠りしているはずの彼を守ること。
     それは違和感のような、空気のズレのようなものを漂わせ灼滅者たちを眺める、湊元・ひかるの心を守ることと同じ――来栖・清和(武蔵野のご当地ヒーロー・d00627)はそう思っている。
    「特別な力を持った感想はどうかな。他人の心に無闇に入り込むことが良いことではないと、認識してるみたいだけど?」
     清和は無理にやりとりを強要しないように心がけてはいたものの、それでも彼女は見慣れぬ相手に一歩を踏み出す勇気すら持たない。
     同級生にすら、ろくに声もかけられないような性格。その情報の通り、およそ見慣れぬ面々を前にしたひかるは声もなく立ちつくすばかりだった。
     およそ一般人にはありえない違和感、闇の匂いを醸し出しているというのに。
    「貴方がた……だれ、ですか……」
    「貴方のその能力使わせるわけにはいかないの」
     恐らく、闇の匂いをさせていてもその勇気がないのは罪を犯す自覚のせいだろう。日野森・沙希(劫火の巫女・d03306)は悲しげに、しかし曲げられぬ事実として静かに告げた。
    「……動機に口を出す気はございません。但し『其の線』を超えたが最後、私は貴女を狩らねばなりません。それ程の事と自覚されているとは思いますが……踏みとどまっては、いただけませんか」
     霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)の声に、ひかるは大きく肩を震わせた。
     してはいけないことを咎められた子供と同じ反応だなと、京極・茅(呉織・d02318)は冷静に観察する。
    「本当に、『それで』宜しいのですか?」
     征士郎の声に、ひかるは青ざめた顔で一歩後ずさった。

    ●夢酔い
    「湊元様の想いがどの様な形になろうと、それは貴女様にとってかけがえのないものであるはず。けれどこんな事を続けていては、いずれご自身の想いすら裏切る事になってしまいます」
    「何かしようとか、そんなつもりじゃ……ただ、言えないことが言えたらって……」
     征士郎へ必死に訴えるひかるの声や表情に、恐らく嘘はない。
     しかし彼女と同じ能力を持つ弥由姫は知っている。この場に居合わせる誰より知っている。熟知していると言ってもいいだろう。
    「人との縁は、人としてのやり方で成さねばなりません。でなければ、その縁はやがて鎖となります。それでは、誰も救われないのですよ」
    「なァお嬢サン……あんた、『何』しようとしてるんだい」
     廊下の壁にもたれかかり、腕組みをしたまま治胡はひかるを一瞥した。
    「この先に行くンなら、約束してくれないか。まやかしの力なんか使わず、アンタの言葉を届けると――それなら俺達は邪魔しない」
     まやかし、という表現でひかるが明らかに動揺する。
     いくら言えずにいた事を言えたとしても夢の中の事でしかなく、事実としては残らない。代わりにひかるに残る現実は、罪ひとつきり。
    「そうですよ。闇なんてモノに囚われず、貴女の想いを大切にして下さい」
    「思いを伝えるかどうかまで、どうこうしようとは思っていません。でも彼の夢に触れるのは駄目です。あなたも後悔するかもしれないし、何よりあなたが伝えた思いは彼の中に残りません。それは悲しいことではありませんか?」
     征士郎と由乃が懸命に言葉を重ね、明確な害意がないとしても得る物は何もなく、誰のためにもならない現実を浮き彫りにする。
    「……」
    「あなたは自分の為に力を使い、闇に堕ちようとしている。堕ちたらあなたはあなた自身ではいられない。これから何をしようとしているか……私達は知っている。本当は応援してあげたいけど、でも」
    「現実世界での答えを恐れ夢を見たいと思うことも、想いをうまく伝えられず孤独を感じることもありましょう。ですが湊元さん、貴女が幸福になりたいと思うならば……夢の世界に捉われるべきではありません」
     沙希の後をひきとった璃耶の指摘に、ひかるは大きく眉をゆがめ、さらに一歩後ずさった。
     灼滅者の言葉を拒絶するのではなく、自分自身ですら気付いていなかった本心を指摘されての動揺。
     うわごとのように何事かを呟くひかるへもう一度、治胡はよく通る声で告げる。
    「夢の中で自分が作り上げた世界での出来事なんて、そんなもの妄想に等しい。……手厳しいか? 相手も、アンタも、傷付くだけじゃないか」
    「……!」
    「ぶち当たって砕けろなんて言えねーし、俺からアドバイスは出来ねーや。ただ、相手を想う気持ちがあるなら押付けだけじゃなく、ちゃんと生身の相手を見てやれ」
     ひかるの頬へ涙粒が転がりおちた。
    「出来ないと思ってるならそれ自体が、アンタの妄想だぜ」
     妄想という語だけなら多少きつい表現だったかもしれない。しかし、『できないと思っているなら』妄想――つまり治胡の真意は別の所にある。
    「……ごめんなさい」
     できないはずがない、と。
     今のひかるでも生身の相手と向き合う心の強さはある、と。
     それは一度闇の深淵を覗きこんだ治胡にしか言えなかった言葉だったかもしれない。
    「ごめんなさい、ごめんな、さ、……ぁ、ああ、ァ」
     己がしようとした事の意味を真に悟ったのか、泣きだしてしまったひかるの身体が唐突に硬直する。
     顔を覆った指のすきま、涙に濡れた瞳が尋常ならざる光を帯びた。
    「……来ましたわね。私は年下ですが……『コチラ』は私の方が年季が入っていましてよ?」
     ブラックフォームで来襲に備える弥由姫の視線の先、いびつなハート形の影がひかるの胸元へ浮かぶ。
     それは闇にあらがうひかるの自我のようにも、力にあかせてねじ伏せんとするシャドウそのもののようにも見えた。拗くれて、歪んで、割れた声音の咆哮があがる。
    『ア、ア、アアあぁアア!』

    ●夢破れ
     雄叫びに乗せ、奔流じみた闇色のオーラが膨れあがった。
     廊下どころか校舎を揺るがすような大音声は、サウンドシャッターによって完全に阻まれ残響すら漏らさない。
     黒鷹と共に最前列へ出た征士郎がヴァンパイアミストで前衛の布陣を固め、さらにソーサルガーダーで防御力を上げた茅が並ぶ。荒れ狂う闇色のオーラをまとい、まるで意味を成さない叫び声を上げながらひかるが腕を引いた。
    「あなたの憤りは私が受け止めるよ」
     色鮮やかな巫女服の裾をなびかせ、右拳に乗せたひかるのトラウナックルを沙希は難なく防ぎきる。しかし想像していたよりもはるかに衝撃は軽く、いっそ拍子抜けしたくらいだった。
    「こんな救い方しかできなくてごめんなさい……たとえそれで恨まれても、誰かが不幸になるなら止めるのも勇気だよね」
     手負いの野獣に似た、ひび割れた声音。
     周囲で激しくざわつく闇色はひかるの心を食らいつくそうとして、しかし思うように呑みこめずにいるシャドウの焦燥を映しているのかもしれない。ふとそんな考えが沙希の脳裏をよぎった。
     あの衝撃の軽さは、それを十分に裏付けているような気がする。
    「苦しいよね。言いたいけど全然言い出せなくて、でもとても大事で、大切なんだよね」
     年端のいかない子供がかんしゃくを起こしたような、攻撃とも呼べないような殴りと蹴り。ずっとひかるの様子を観察していた茅には、わずかなりともその苦しさが想像できた。
    『あぁア、ぅァあアォァあっ』
    「そんな大切なものを、自分以外の誰かに渡しちゃ駄目だよ」
     至近距離からの閃光百裂拳でいったん間合いを計り、茅はあらためてひかるを眺めやる。
     罪を犯す一歩手前までに想い窮め、なおかつ誰かの心へ踏み込む罪の重さも知りながら。
     それでも堕ちきらずにぎりぎりで踏みとどまり。
    「オレ達の手を、取って」
     そうすれば『こちら』へ、引き上げてあげる。
     その言葉の通りに茅は腕を伸ばした。
    「手に入らなければ壊してしまえくらいな考えなら力づくでも止めるけど」
     清和のフォースブレイクと由乃の鬼神変でしたたかに打ち据えられ、ひかるが膝をつく。ゆがんだハートのスートが何度も浮かんでは消え、悶えるように闇が踊った。
    「君はそうではないだろ?」
    『ゥ……ア、ぁ、ぉお』
    「湊元さん、貴女は独りではありません。その世界から出ることを希(のぞ)むなら」
     罪は阻む。しかし、灼滅の道を選ぶなら共に。
    「どうか私たちの手を」
     璃耶の声に、ひかるは伏せていた顔を上げる。
     止まらない涙、今にも引き裂けそうなスート、そして天秤が――いま傾く。
    「なぜ経験を誇示したかお分かりになりませんか?」
     そう、もう私は知っているのですよ。
     力を使った結果も。
     僅かな誤ち一つで何が失われるかも……!
     彗星に似た弥由姫の一撃がハートのスートをあざやかに両断した。ゆらりと宙を泳ぐように、しかしまっすぐに伸ばされた腕を、いくつもの手が支え、掴む。
     あれほど荒れ狂っていた闇色の気配はもう跡形もなく、あれほどの獣の咆哮が嘘のように廊下は静まりかえっていた。

    ●虚ろ破る
     校庭からなのか、遠く、どこかの運動部の声が聞こえてくる斜陽の廊下の最奥。
     想いを告げるとも告げないとも言わないまま、目を覚ましたひかるは灼滅者たちに深々と頭を下げた。
    「本当に、ありがとうございました」
    「これから、どうなさるおつもりです」
    「……」
     人として逸脱しない行為であれば協力したいと考えていた征士郎に、ひかるはただ俯いた。
    「もし、今もまだ伝えたいと思われるなら……きっと教室にいると思いますよ」
     由乃が気遣わしげに呟くと、そうですね、とどこか諦観したようにひかるは黙り込んでしまう。
     役目は終わったとばかりに背を向けかけ、治胡はふと肩越しに振り返った。
    「もし、の話だが」
    「はい?」
    「お嬢サンにその気があるなら、その……来るか?」
     一瞬何のことを言われたのか理解できなかったらしく、ひかるは何度か目を瞬かせる。ややしばらくあってから灼滅者が集う場所のことを言われているのだと思い至り、そこでひかるは初めて笑顔を見せた。
    「はい! ……でも、その前に私は、私自身の夢から醒めてこようと思います」
     そう言いおいて、ある教室へ向かった背中。
     それを由乃はどこか眩しげに見送った。
     そしてこの日ひかるが目指した教室の中で、何を言い、あるいは言わなかったのか、それを知る者はいない。彼女ともうひとりの当事者を別にしては。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年9月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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