『人でなし』の恐怖

    作者:君島世界

     ある夜、無人となった駅のホームで、男が一人ベンチに座っていた。最終電車のアナウンスが聞こえても、男は片膝を抱えたまま、動き出そうとはしない。
     その足元にあるボロ袋には、大量の現金が詰め込められていた。時折風に吹かれて、上っ面の紙幣が飛んでいくが、男はそちらを構いもしない。
     ただ、じっと闇を見ていた。
     男はデモノイドロードである。他人を虐げその財を奪うことに、もとより抵抗を持たない男であったが、そんな彼にも一つ、恐ろしいことがあった。
    「……今回も、結局このままだったな」
     悪の心が薄れると、デモノイドロードはデモノイドへと変貌し、そして人間に戻れなくなってしまう。善人になど、いまさら何の奇跡が起ころうがなる気はない。が、このところの『仕事』の簡単さに、なかばルーチンワークめいたものを感じ始めてきたのは確かである。
     自分の経験に照らし合わせてみるならば、無感動は悪とは言えない。警備を黙らせ、金庫を開き、追っ手を皆殺しにした時に感じる、あの暗い情欲が、いつか無くなってしまうのではないのだろうか。
     悪の心が退屈に食い尽くされたとき、男は自分を失うのではないかと、そう恐怖していたのだ。
     対面のホームに、終電が滑り込んできていた。男は自分の右腕を見る。変形し、異形の砲台となった時の威力を、もしあの列車に打ち込めばどうなるだろうか。
     全損くらいにはできるだろうか。そして、逃げ出してきた乗客たちを一人ずつ殺していくのは、さぞ――。
    「――なんでしょう。問答無用に撃つつもりですの?」
     線路を挟んで少女が一人、終電の消えたホームにいた。学生だろうか、どこかの学校の制服に身を包んだ彼女は、その緑の長髪を軽く払って言う。
    「その気は無い様で幸いですわ。用件を一言で言うなら、そうですわね……」
     ふわりと、少女の身が宙に浮いた。そしてこちらのホームに音もなく着地し、男と同じベンチに腰掛ける。
    「多々益々弁ず、といったところでしょうか」
     
    「それじゃ、デモノイドロードについておさらいしておくね。みんな知ってるとは思うけど、まあ、復習は大事だよって事で」
     教室に灼滅者たちを集めた須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)が、資料ファイルを教卓に置いて言った。
    「デモノイドロードは、普段は灼滅者――デモノイドヒューマンのみんなと同じ能力を持つんだけど、危険が迫ったりするとデモノイドの力を使いこなし、姿もまた強力なデモノイドに戻って戦うことができるようになるんだ。
     例えるなら、自分の意思で闇堕ちできる灼滅者。と、これだけでも厄介なんだけど、今回さらに厄介な出来事が重なっちゃってるんだ」
     はあ、と溜息をつきながら、まりんは重いファイルから地図を取り出す。
    「このデモノイドロード、元の名前は依田・克己(よりた・かつみ)っていうんだけどさ、そいつが事件帰りに休憩しているところにヴァンパイアが接触して、そのまま連れ去って行っちゃう……って予知が出たんだよ。以前、クラリス・ブランシュフォール(蒼炎騎士・d11726)さんが心配してた、『デモノイドロードを自勢力に取り込もうとするダークネスが現れる』というのが、実際に起こってしまうようだね。
     現時点でヴァンパイアの勢力と戦争になる事態は避けたいから、この事件はできるだけ穏便に解決する必要があるんだ。その為に、デモノイドロードが事件を起こしてから、ヴァンパイアが接触するまでのわずかな時間の間に、このデモノイドロードを倒しておいてもらいたいんだ」
     
     デモノイドロード『依田・克己』は、そのままの状態ならばデモノイドヒューマンと同じ戦闘能力・サイキックを持つ。だが、灼滅者と戦闘になりデモノイドへと変身した場合は、サイキックの種類こそ変わらないものの、能力値は跳ね上がることとなる。
     克己とは、終電前の駅ホームで接触することができる。乗降客は終日まばらのため、駅員は常駐しておらず、この日の終電でもここを利用する一般人の乗客はいない。だが、ベンチに腰掛けて『追っ手をまいて一息つくことができた』と判断するまでは、克己は出会った瞬間に逃げ出すだろう。そうなった場合、逃走に一体どのような手段・ルートを用いるかは、まったく不明である。
     克己が改札を突破してホームに現れ、灼滅者が接触できるようになった時点で、そちら側のホーム・下り線では既に終電が通過している。逆側・上り線は、それから十分後にヴァンパイアが乗ってくるため、この十分間のみが事に当たることのできる時間となるだろう。
     
    「電車のダイヤは正確だけど、万全を期すなら八分程度でデモノイドロードを灼滅して、撤退まで終わらせるのがベストだね。ただ、十分を超えても、ヴァンパイアが来ても戦い続けるってのは、絶対に避けて欲しいんだ。
     今回現れるのは、以前に転校生作戦で関わった朱雀門高校のヴァンパイア、『イメルダ・サイサリス』。緑の長い髪が特徴的で、ダンピールと妖の槍に似たサイキックを使ってくる……んだけど、まともに戦闘になっても勝つのは難しいと思う。
     それに、さっきも言ったけど、今はヴァンパイアの勢力と事を構えたくはないんだ。デモノイドロードを灼滅する前でも、ヴァンパイアが現れた時点で、戦闘を中止して撤退してほしい。悔しいけど、そうなったら仕方がないからね……。
     でも、みんなには十分の時間がある。制限時間内に、速攻で終わらせることができれば大成功! いろいろ注文の多い作戦だけど、みんななら成し遂げることができって、信じてるよ!」


    参加者
    十七夜・奏(吊るし人・d00869)
    椎葉・花色(夜鷹・d03099)
    文月・直哉(着ぐるみ探偵・d06712)
    深廻・和夜(闇纏う双銃の執事・d09481)
    高峰・緋月(全力で突撃娘・d09865)
    ルビードール・ノアテレイン(さまようルビー・d11011)
    月叢・諒二(魍魎自若・d20397)

    ■リプレイ

    ●ノック・ザット
     始まりを告げたのは、自動販売機を破る小さな異音。
    「……よっと」
     引き抜かれた腕には、缶コーヒーが掴まれている。窃盗を手際よく済ませると、依田・克己は、ベンチに腰掛けた。
     缶を開けた克己が、ふと何かに気づいて隣を見る。そこに見つけたのは、光を反射する金属の塊だった。
    「コンバンワ! 仕返しに来ましたァ!」
     炎上する金属バットと理解させるよりも早く。飛び退こうとした克己に、椎葉・花色(夜鷹・d03099)が襲い掛かる。
     ゴーグルをつけた花色の笑み顔を、克己は残像として知覚した。落ちた缶コーヒーが、粘った音を立てる。
    「ターゲットを確認……『調教を開始します』」
     横っ面を張り飛ばされた克己に向けて、深廻・和夜(闇纏う双銃の執事・d09481)がガトリングガンを構えた。狙う視線を辿るようにして、赤く燃える弾丸が降り注ぐ。
    「スキアー、出番だ!」
    「――――!」
     和夜の下す命令に従い、ビハインド『スキアー』は霊障波を放った。
    「ぐッ、き……ケ……ェエッ!」
     衝撃に踊らされる克己の肉体が、見る間にデモノイドへと変身を遂げていく。振り切るように腕を払った怪物に、月叢・諒二(魍魎自若・d20397)が駆け上がっていった。
    「ギョォオオオォォォオ!」
    「うんうん、さっさと終わらせようか」
     雪駄の軽い足音が、暴れる豪腕を潜り抜ける。そこから立ち上がる影の触手に、怪物は足を絡め取られた。
    「!? ギッ、イイィイイ!」
     縛めにもがく怪物の目の前で、ごとりと、重たい機械が落ちる音がした。ルビードール・ノアテレイン(さまようルビー・d11011)は、小さな足で踏みつけにした『それ』――チェーンソー剣の始動ハンドルを、引き上げる。
    「行くよ、おじさん」
     いななき始めたチェーンソーを、ルビードールは片手で突き込んだ。肉の鎧を破る騒音が、けたたましくホームに響く。
    「……呼びましたか」
     その時のことだ。この駅のホーム下、闇の中から、青白い腕がぬうと突き出してきた。
     腕はコンクリートに爪を立て、主である十七夜・奏(吊るし人・d00869)を引き上げる。足裏をホームに乗せた奏は、屈んだまま槍を振るった。
     放たれる氷柱を追うように、さらに三名の灼滅者たちが同じ場所から上がってくる。チェーンソー剣を提げた高峰・緋月(全力で突撃娘・d09865)は、闇から影を縫って、デモノイドに肉薄していった。
    「ギッ! ジイイィイィ!」
    「加減はしない。死んで、怪物」
     ザン、と鋸の歯がデモノイドを刻む。夜の空気に血を散らす傷痕が、また次の瞬間、文月・直哉(着ぐるみ探偵・d06712)の放った妖冷弾に氷結させられた。
     目つきの悪い黒猫の着ぐるみの中で、直哉はさらに剣呑な表情を浮かべている。
    「よう半端者。その惨めな生、ここで俺たちが終わらせてやるからよ――」
    「――ここで清算をして貰おうか。その悪道暴虐に、お前は代償を支払わねばならん」
     言い放ったエリスフィール・クロイツェル(蒼刃遣い・d17852)は、手にした魔導書のページを手繰った。指先が呼び出した禁呪を、迷うことなく詠唱する。
    「爆ぜよ」
    「ア、アアアァァァ!」
     デモノイドの内部から、爆炎が上がった。燃え始めた怪物からは、熱に煽られた風が吹き出していく。
     腐肉を焼く悪臭が周囲を包んだ。その中心で、怪物は殺意に燃えた瞳を大きく見開く。
    「バアッ! ゴ、グォ、ズウウウウオオオオオオ!」
     意味を成さない罵声と共に、デモノイドの腕が剣を形成していった。

    ●恐怖のための戦場
     デモノイドの巨体がホームを蹂躙する。一歩一歩が床を砕くほどの重さでありながら、気を抜くと見失ってしまいそうなほどに素早い。
     が、その異様に恐れをなしていられる余裕はない。逆に自分たち灼滅者こそが、あの怪物に恐怖を刻み込まなければならないのだ。
     ……もしくは、この場での灼滅を。尖る気配を察してか、デモノイドは剣腕を振りあげる。
    「イイイイアアアア!」
    「ッ! わたし狙いですか、最初から!」
     刃が叩きつけられたのは、先制攻撃を仕掛けた花色であった。歯を食いしばる花色の後方、余波を被った自販機が斜めに断裁される。
    「い……ッたくないね、この程度!」
    「ハハハハハァッ!」
     そのままメッタ斬りに腕を振るうデモノイドを、花色はようやくいなして後退。即座にバトルオーラを展開する。
    「そうやって、何人もの人を手に掛けたのでしょう、あなたという人は!」
     体力の回復を図る花色に、デモノイドは伺うような視線を向けた。……答えはなくとも、こちらの言葉は通じているのかもしれない。
    「でまかせじゃありません。何してもわたしたちにはバレバレなんですよ、依田さん?」
    「ッ……!?」
     デモノイドの気配が変わる。と、エリスフィールが、見せつけるように同じデモノイドの力を解放した。
    「その通り、天網恢々疎にして漏らさずというわけだ。……するつもりもなかろうが、詫びなど今更要らぬ。ただこの世から消え去るがいい」
     完成した砲をアジャストするエリスフィール。初めて見るのか、同種の力を前に、デモノイドは目を大きく見開いた。
    「キ……ギィイ!」
    「ああ、同じ力だ。私とお前とでは、違いは紙一重かもしれない。……だが」
     息を吸う。
    「踏み越えた人間と自重できた人間とでは、全く別種の存在だよ」
     閃光が走った。ガードを固めたデモノイドに対しても、毒はたやすく染み込んでいく。
    「アグ……グルルル……ギキィ……」
     唸るような声を上げはじめたデモノイド。それを前に、直哉はしばし考えを巡らせた。
    (「こいつは多分、『組織的に動く』ダークネスのことを知らないはず。なにせ生まれたてだ、奴らが人類を支配していることも、自分がそいつらから同一視されていることすら……」)
     間もなくここに来るという吸血鬼勢力から見れば、これほど御しやすい存在もないだろう。知らず、握る拳に力がこもる。
    「ともあれ、だ。お前の悪意は、今ここで断ち切らせてもらうぜ!」
     膨らんだ殺気に、デモノイドが慌てて振り返った。黒猫シルエットの直哉が、上げた視線のさらに上から拳を突き下ろしてくる。
    「うらあっ!」
    「ブガッ! ア、ア……!」
     ズン、と重い一撃が骨肉に沈んだ。追う二発目は届かないものの、デモノイドは苦痛にたたらを踏む。
    「……どうです、退屈は晴れましたか」
    「!?」
     苦し紛れの裏拳が、背後の奏に飛んだ。額の皮一枚を衝撃波に破らせながら、奏は腰の剣帯からナイフを取り出す。
    「フウッ……フウッ……ィイ!」」
    「……こんなにも命を賭けているのに、私は何も感じない。……あなたはどうです?」
     その切っ先は黒い光を灯していた。奏の全身から、想念が一点へ集中しているのだ。
    「……刺激が欲しいのでしたら、最高の方法がありますよ。……恐怖を、今ここで知りなさい」
     身を捻り逃げるデモノイドに、漆黒の弾丸が突き出される。痛みにあえぐデモノイドを見つめるのは、それでも虚無に満ちた奏の眼球。
    「ア、ア、アァ、アアアアアアァァァァァァ!」
     手負いの獣のように、デモノイドは叫んだ――。

    ●人でなしへの教育
     刻々と時は過ぎていく。恐るべき生命力を誇るデモノイドを、灼滅者たちは確実に削り落としていった。
    「もう、わからないのね、おじさんは……」
     クマのぬいぐるみ・エメリーを抱いた腕を軸に、ルビードールは軽々とチェーンソー剣を振り回す。身を飛ばし、前髪が瞳を横切るたびに、デモノイドに新しい傷が増えていった。
    「……ひとを傷つける怖さも、この暗い力をたのしむ怖さも」
     呼吸に半開きとなったルビードールの口から、時折、小さな舌がのぞき見える。気を抜けば唇を渡ろうとするそれを、少女はしかし押しとどめていた。
    「ルビーは子供だけど、知ってるよ。だから、ルビーたちがおじさんの『恐怖』になって、教えてあげるの」
     そう言ったルビーの足元から、チェーンソーを模した影業が立ち上がる。がしゃがしゃと音立てる影を前に、デモノイドは一歩を退いた。
    「どうしたんだい? 無敵の化け物が、こんな小さな子を恐れているとでも言うのかな?」
     笑う顎の間を縫って、諒二が前に出た。夜風に羽織の裾をはためかせ、悠然と立つ。
    「そんなわけないよね。肩で風切る大悪党、刺激を求めて夜の町へ……そんな男が、まさか」
    「ジィイイッ!」
     異論を挟むように、デモノイドが声を上げた。その様子を見て、諒二は口の端を上げてにやりと笑う。
    「そう吠えるなよ、君」
     何気なく、鋭く諒二は踏み込んだ。怪物が気づいた時には、その仕事は為されている。
     バン、と、デモノイドの肉体が弾けた。諒二の持つ枇杷の杖が、余韻に震える。
    「グ、ゥアアアアアァァァァァ!」
     大きく傾いたデモノイドの腕が、まっすぐ空に向かって伸びた。その先にあった刃は姿を消し、かわりに砲身が形成される。デモノイドのサイキック、DCPキャノン――緋月にとっても、それはよく身に覚えのある技だ。
    「ねえ」
     努めて無表情に無感動に、緋月は口を開いた。
    「そうやって誰かを殺そうするのって、どんな気持ち?」
    「アア……ヒ、ヒヒヒヒヒヒ……ヒ!」
     答えはない。
    「ッ!」
     デモノイドの口角が上がる。銃口が開くと、デモノイドは即座に光砲を発射した。
    「ヒィーッハハハハハハハァ!」
     緋月の全身が死の光に飲まれる。ごうごうと己を蝕んでいく苦しみの中、緋月は己の心を研ぎ澄ませていく。
    (「悲鳴は上げない……! 冷酷な、殺戮マシーンに徹するんだ!」)
    「ハハッ、ハハハハハ……ハ……ッ!?」
     緋月の足が、一歩を踏んだ。二歩、三歩が連続し、四歩目から緋月は走り出す。
    「アナタの持つ力と同質の力で滅ぼされるなら、本望だよね?」
     走りながら、緋月の腕はチェーンソー剣を飲み込んでいく。そして完成したDMWセイバーが、するりと敵の首筋を抜けた。
    「カ……!」
     一拍遅れて、デモノイドの喉から鮮血が吹き出す。びしゃびしゃと地に零れ落ちた場所から、遡るように影が立ち上がった。
     和夜の『影喰らい』だ。
    「強盗だ殺人だって、あんたは好き勝手やりすぎたんだよ。んな事してたらお仕置きされるって、そんくらい想像出来るだろ?」
     薄れて消えた影の中から、デモノイドが弱々しく抜け出してくる。次の瞬間、誰も触れていないのに、デモノイドの体が崩壊した。
    「グ……グァ、あ、ああああああああ!?」
     トラウマの効果が出ているが、まだ致命傷ではない。そう見切った和夜は、油断せず敵の動向を見守った。
     音も無くガンナイフを抜き、デモノイドの額にポイントする。がくがくと膝を振るわせる敵に、いつでも風穴を開けられるよう引き金を絞り、そして舌打ちを一つ。
    「調教、中断……!」

    ●『圧力』
     おそらくという体感の話だが、戦闘開始から8分が経過した。あとほんの少しで灼滅には追い込めるだろうが、それを吸血鬼に目撃され、万が一にでも戦闘となってしまうのは避けたい。
     灼滅者たちは、誰からとも無くお互いにアイコンタクトを飛ばしあう。この場からの撤退を開始するべきと、全員がそう判断した。
    「……?」
     疑問の視線を飛ばすデモノイドを前に、緋月はDMWセイバーを解除する。寄生体の中から出てきたチェーンソー剣も、そのままスレイヤーカードの中へと封印した。
    「命拾いしたなんて思わないで。ここで見逃がしてあげるのは、いつでもあなたを殺しにいけるからよ」
    「終電のひとをまきこむ訳にはいかないから。だから、早くいなくなって、おじさん」
     ルビードールも同じく、チェーンソー剣をしまい込んだ。エンジン音が消えると、急に辺りが静かになったような気がする。
     しかし、遠くからこちらへ向かってくる電車の駆動音が、ルビードールたちの耳には届いていた。空いた両手で、少女はエメリーを抱き寄せる。
    「ただ、物証とかはいろいろ回収させて貰いますがね。特にこの、札束なんかは」
     言いながら諒二が札束の詰まったボロ袋を持ち上げてみせると、デモノイドは急速にもとの姿へと戻った。依田・克己は、人間に戻れたことを安堵することも無く、そのまま諒二の襟を締め上げる。
    「てめえっ! 俺、俺の金だ……!」
     が、その手は難なく外された。
    「やれやれ、虫の息でなにを粋がってるんだい?」
     克己を突き飛ばし、諒二は袋の口を閉めて確保する。尻餅をついた克己に、直哉がしゃがみこんで視線を合わせた。
    「ほら、終電。お前にもそろそろ聞こえてるだろ?」
    「何の話、だ」
    「他の追っ手が来てるんだよ。一般人にまで手を掛けるお前が悪い、せいぜい足掻けよ」
    「ふッ、ざけんな……」
     ざり、と克己の指がアスファルトを滑る。その後頭部を、花色がバットで小突いた。
    「別に冗談だと思って貰っても構いませんがね。けど、ひとさまに手を出す限り、貴方は何度でもこんな目に遭います」
    「……ってえな」
     バットを忌々しげに押しのける克己。花色は素直に引くかに見えて――次はフルスイングで克己を叩き飛ばした。
    「がッ!」
    「ホームラン! ってまあ、凡打ですが気分的に。次はもっと痛くしますからね」
     克己はそのままごろごろと転がっていく。震え、立ち上がろうと手を突いた所を、エリスフィールが強引に引き上げた。
    「立て。そしてそのままどこへなりと消えろ」
    「ケッ、この偽善者どもめ……!」
     男は血混じりの唾をエリスフィールの頬に吐き掛ける。半笑いの克己を、エリスフィールは大振りに投げ飛ばした。
    「偽善? お褒め頂き痛みいる。お前に真なる善人などと称されたら、羞恥心が焼き切れる」
     派手な音を立てて、ベンチの残骸にぶつけられる克己。一瞬こちらをにらみ付けるが、結局はそのまま、転がるように闇の中へと逃げていった。
    「それでは、私たちも急いで撤退しましょう。吸血鬼を殺れないのは残念ですが――」
     と、和夜がいつもの調子に戻って皆に促す。同時に、無人駅のアナウンスが、小さく周囲に流れ出した。
    『まもなく・二番線に・上り・最終列車が参ります。あぶないですから・黄色い線まで――』
    「……ん。……何か、仰いましたか」
     その単調な音声に隠れるように、和夜は何事かを呟いていた。気づいた奏が問いただしてみるが、和夜は小さく首を振るだけで、何も答えようとはしない。
     奏もそれ以上は詮索しなかった。殲術道具を収め、電車が来る方向を見ようとする。
    「……いえ、よしたほうがいいですね。……行きましょう」
     電車のヘッドライトがホームに届く前に、灼滅者たちはその場を去った。件の『人でなし』とは、逆方向に彼らは走っていく。
     追う必要すら、ないだろう。

    作者:君島世界 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年9月21日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 13/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 3
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