天文時計に捧ぐ唄

    作者:中川沙智

    ●天文時計に恋い焦がれ
    「もう土産は買い終えたのかい?」
    「うーん、もうちょっと。ジャパンは小物が興味深いのよ」
     成田国際空港にて。
     まだ買い物の手を緩めようとしない恋人に、ヤンはやれやれとため息を零す。だが文句も言えまい。英語で凌いだとはいえ、チェコ語が碌に通じない日本という国での商談滞在中に支えとなってくれたのは彼女だ。
    「そういうヤンは? 全然買い物してないじゃない」
    「必要なものは荷物と一緒に送ってあるしね。第一僕は仕事で来たんだよ」
     口を押さえれば、噛み殺しきれなかった欠伸が漏れる。大口の提携案を確約させたのはつい二日前。溜まった疲労が出てくる頃合だろう。
     瞼を閉じる。夢だろうか、鮮やかなほどに目の前に浮かぶ、故郷の懐かしい――。
    「それより僕は旧市街広場の例の店で、天文時計を眺めながらビールでも呷りたいよ」
     恋人は肩を竦めて苦笑する。
    「またそんな事言って。あの店は立地的に観光客も多いし、もっといい店があるじゃない」
    「そう言うなよ。僕は小さい頃からあの天文時計を見て育ったんだ」
     中欧の国チェコ。その首都プラハのシンボルとも言える、旧市庁舎塔に鎮座する天文時計。プラハのオルロイとも呼ばれている。
     石畳広がる広場。アストロラーベを思わせる美しき文字盤。定刻になると絡繰が動き出す仕掛け。そして塔に登り眺める、愛おしきプラハの街並み。
    「ねえ、ヤン。それでどうするの? 向こうのお土産屋さんに行きたいんだけど」
     腕を引く恋人に現実に引き戻され、ヤンは苦笑を浮かべるしかない。
     
    ●天文時計の廻る国
    「シャドウの一部が日本から脱出しようとしているらしいっていう話、聞いてる?」
     開口一番、小鳥居・鞠花(高校生エクスブレイン・dn0083)はそんな事を言い出した。
     日本国外はサイキックアブソーバーの影響により、ダークネスは活動する事が出来ない。
    「でも件のシャドウは、日本から海外へ飛び立つ外国人のソウルボードに侵入して、国外へ出ようとしているの。目的も不明、その上この方法でシャドウが国外へ移動出来るかも未知数だわ。ただ……」
     最悪のケースを想定した場合、日本から離れた事でシャドウがもしソウルボードから弾き出されたとしたら、それが国際線の飛行機の中だったら――実体化したシャドウによる被害は想像するに余りある。
    「飛行機が墜落して乗客全滅なんて洒落にならないわ。国外に渡ろうとするシャドウの撃退をお願いしたいの。よろしくね」
     集まった灼滅者達が頷く姿を確認し、鞠花は資料のファイルを捲り始める。
    「そのソウルボードの主はヤン・パヴェルっていうチェコ人の男性よ。鼻筋の通った……美形っていうより好青年っていう面立ちの人ね。で、ソウルボードの中では、現状特に事件は起こっていないわ」
     ただし灼滅者がソウルボードに侵入してきたとわかると、シャドウは迎撃してくるだろう。
    「ソウルボードの中は……ヤンさんの故郷、チェコの首都プラハの光景よ。プラハは観光でも名高いけれど、特にヤンさんは旧市庁舎の天文時計が大のお気に入りみたい。天文時計を望む旧市街広場――そこに、皆は降り立つことになるわ」
     いつもは観光客で賑わうそこも、夢の中とあっては人の気配はない。広さも充分だ。
     プラハの屋外の地面はほとんどが色々なモザイク模様。石畳だ。とはいえ戦闘には支障はないだろう。
    「問題はソウルアクセスのやり方ね。ヤンさんには故郷から一緒に来た恋人がいるの。彼女を引き離して眠らせないといけないわ。ヤンさん自身は日本へビジネスで来て疲労困憊という事もあって、うまく安心させて仮眠を促せば眠ってはくれるはず」
     接触できるのはショッピングモールへ向かうその瀬戸際。
     恋人は買い物に夢中。だがヤン自身は疲れていて少しでも休みたい。とはいえ、うまく間に立たなければ、ヤンは恋人に引きずられて買い物に付き合わされてしまうだろう。見知らぬ日本人の子供達がいかに信頼を勝ち得るか、あるいは口実を見つけるか――そこが焦点になるだろう。
     空港内各所には勿論、ショッピングモールの近くにも小さな休憩所があるから、上手く誘導出来ればいいんだけどと鞠花は零す。流石に周りには人目も多い。騒ぎにならないようソウルアクセスを試みるのが、ある意味最も難関だ。
    「シャドウの戦闘能力自体は、幸い大したことはないわ。劣勢に追い込めば撤退する。サイキックもシャドウハンターと同様のものを使うだけだし、皆なら手を抜かなければ問題ないわよ」
     ちなみにヤンは英語も通じるが、チェコ語だと尚ベター。ただ日本語は通じないから、こちらも一工夫が必要そうだ。チェコ語で初めましてはチェシー・ムニュ、こんにちははドブリー・デンですってと鞠花は手元の手帳を見遣る。
    「さっきも言ったけど、失敗したら最悪飛行機墜落よ。それは避けなきゃいけないし、失敗させるわけにいかないの」
     皆なら大丈夫よね?
     そう問いかける鞠花の視線は自信に満ちている。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    十七夜・狭霧(ロルフフィーダー・d00576)
    鹿野・小太郎(バンビーノ・d00795)
    童子・祢々(影法師・d01673)
    埜口・シン(夕燼・d07230)
    和歌月・朱彦(宵月夜・d11706)
    獺津・樒深(燁風・d13154)
    春夏秋冬・初衣(泡雪ソネット・d15127)
    久瀬・隼人(反英雄・d19457)

    ■リプレイ

    ●Mluvit
     空港の搭乗口付近にて。雑踏の中、灼滅者達はヤンの姿を探す。
     この季節に中欧に向かうとなるとビジネスか、夏休みを取り損ねた人々といったところか。ヤンの場合前者だ。
     誰しも外国での商談は普段以上に疲弊する。ヤンの表情に浮かんでいたのは、色濃い疲労。
    『ねえ、ヤン。それでどうするの? 向こうのお土産屋さんに行きたいんだけど』
     彼が恋人に腕を引かれるその間際、ヤン達の視界に二人の少年少女が映り込む。
    『あの……チェコ語、話されてますよね? チェコの方ですか?』
     手にしたチェコの観光案内本に栞を挿み、埜口・シン(夕燼・d07230)は夕陽色の双眸に強い興味を浮かべる。シンの口から滑り出たのは流暢なチェコ語、まさか日本で聞くとは思わずヤンも恋人も驚きを隠せないようだ。ハイパーリンガルの効果であることは言うまでもない。
    『いきなりすみません。俺達、一緒にチェコに旅行に行くところなんです。綺麗なチェコ語が聴こえたので、つい』
     旅行用のキャリーバッグを傍らに、十七夜・狭霧(ロルフフィーダー・d00576)が言葉を継ぐ。狭霧に寄り添うシンの姿はさながら年上の彼女といった風情で、ヤンはつい眦を下げる。
    『日本でチェコ語で話せるとは思っていなかった。嬉しいよ。でも……』
     ふと途切れた会話に、狭霧とシンは目を見合わせる。
    『知らなかったよ。日本では君達くらいの年齢でも、カップルで海外旅行をするのかい?』
     二の句が継げなかった。
     国内なら辛うじてまだありえる状況だろう。だが、未成年カップルでのヨーロッパ旅行は常識的に考えて皆無に等しい。それを支えるだけの理由も言い訳も、用意されてはいない。
     あるいは兄弟姉妹で親戚を訪ねるといった理由のほうがまだ、信憑性はあったかもしれない。
    『ヤン、二人が困ってるじゃない。それで? どうしてチェコに行こうと思ったの?』
     言葉を詰まらせた狭霧とシンに助け船を出したのは、ヤンの恋人だった。興味を持ってもらって悪い気はしないけどと肩を竦めて笑みを浮かべる。
    『恋人同士ならイタリアとかフランスとか、ヨーロッパでももっと人気の国があるでしょ? 単純に不思議に思ったのよ』
     彼女はカップルでの旅行先に母国を選んでくれた事に好感を抱いたらしい。その機を失うまいと、シンは声を紡いだ。
    『その、憧れだったんです。特にプラハの……天文時計が』
     案内本を握る手に力が籠る。
     童話のように美しい街並。歴史を刻み続ける文字盤のプラネタリウム。
     きっとそれはヤンの胸中に抱かれているものと、同じ。
    『そうか。それは是非見てもらいたいな』
     ヤンの頬に喜色が上り、声が手に取るように弾んだ。その変化を獺津・樒深(燁風・d13154)は見逃さない。もっとも、闇を纏った樒深の姿は一般人の誰の目にも留まらないのだけれど。さりげなく狭霧に視線を流せば、頷きが返る。
    『さっき、お二人の話が耳に入ったんですけど、お買い物をされたいんですよね?』
     もし叶うなら恋人が買い物をしている間自分達にチェコの事を教えて欲しい――ヤンに狭霧が申し出れば、シンも恋人の表情を窺うのを忘れない。
    『いいんじゃない。私は一人で見てくるから、その間この子達にプラハの話でもしてあげたら』
     ヤンと恋人両方の顔を立てた頼み方が功を奏したのだろう。先に了承してくれたのは彼女のほうだった。そう言われてしまえばヤンにも否はない。
     立ち話も何だからと、ショッピングモール近くの休憩所への移動を提案すると快諾された。天文時計についてヤンが生き生きと語り出すと、シンが合わせて歓声を上げる。
    (「シャドウの一部が日本から脱出、最悪飛行機墜落とか何仕出かすか分かったモンじゃねぇな」)
     樒深は未だ見ぬプラハの景色を思い僅かに瞑目する。問題なく四人が動き始めたのを確認し、樒深は雑踏に紛れる程度の小さな声で囁いた。
    「大丈夫そうだな。俺達も行くか」
    「……了解」
     近くの休憩用ベンチに腰かけていた久瀬・隼人(反英雄・d19457)が立ち上がる。
     すらりとした長身を翻し、ショッピングモールの方向へ何気なさを装って歩き出す。

    ●Dobrou noc
    「あ、あの、朱彦、さん、こ、れ、す、ごく、すてき、です……」
     ショッピングモールに並ぶのは普段見慣れぬ品物ばかり。闇纏いを使用している以上大きな声では周りの人々が驚く。だから声を潜めて、春夏秋冬・初衣(泡雪ソネット・d15127)ははにかんだ。
     品物に目移りする初衣に、同様に旅人の外套を纏う和歌月・朱彦(宵月夜・d11706)もゆるりと笑みを返す。
    「せやねぇ。初衣さん可愛ええからなんでも似合いそうやね」
     瞳を輝かせる姿が愛らしくて、無事に終わったら何かお土産を購入するのも悪くないと朱彦は思案する。その一方、ヤン達から離れた恋人の姿を視界の隅で捉えるのも怠らない。
     万一にも、恋人がヤンを気にして引き返す事のないように。
     だが幸いにもそんな気配は感じられない。手帳片手にあれこれと買い物に励むヤンの恋人は、しばらくショッピングモールを堪能するようだ。
    (「この分やとかなり時間はかかりそうやな」)
     朱彦がふと視線を巡らせると、鹿野・小太郎(バンビーノ・d00795)が清掃中と示す看板を休憩所入口に立てる様子が目に入った。不審に思われないよう、小太郎の側で童子・祢々(影法師・d01673)が周囲を見渡している。小太郎や祢々もまた、一般人から姿を隠すべくあらかじめESPを用意していた。抜かりはない。
     二人は互いの連絡先を交換し、ヤンに接触する仲間達に先んじて行動を開始していた。清掃員は制服ですぐにそれと判別出来る。小太郎はさりげなく清掃員が働いている隙に看板を拝借し、祢々にそれを連絡した。合流から設置までの手際の良さは見事としか言いようがないだろう。
     あらかじめ看板を配置していたおかげで、ショッピングモール最寄りの休憩所は必然的に使用客が減っていく。そしてヤンや狭霧達が辿り着く時にだけ、看板を避けておく。
     今休憩所の中に居るのは、ヤンと狭霧、シンの三人だけだ。
     再び清掃中の看板を祢々が置くと、背後から声がかけられる。樒深だ。
    「首尾は上々だな」
    「はい。多分もう少ししたら……」
     祢々の言葉が終わるのを待たずして、軽く休憩所のドアが開けられる。順調のようだ。小太郎から連絡を受けた初衣と朱彦も揃い、これで仲間達すべてが集まった事になる。
     中へと向かう。何も知らない人間からすれば、隼人が一人ふらりと休憩所へ入っていく。そう見えただろう。
    「……随分素直にお眠りなこって」
    「うん。ひとしきり喋った後『少し仮眠しては』って促したら、この通り」
     隼人のぼやきにシンは表情を緩めた。故郷について会話を交わし、緊張の糸がぷつりと切れたのかもしれない。勿論それは、チェコについて好意的に接してきた狭霧とシンの努力の賜物だろう。
     念のために隼人は魂鎮めの風を発動させる心積もりでいたが、その必要はなさそうだ。ヤンは休憩室の椅子に深く腰掛け、健やかな寝息を立てている。
    「よーしじゃあ万事オーライですね。夢の中のプラハへお邪魔しましょう」
     小太郎がヤンへそっと手を伸ばし、触れる。
     ソウルアクセスが開始され、灼滅者達の意識は深い精神世界へ誘われる。

    ●Pražský orloj
     目覚めれば、青。
     樒深が最初に感じた変化は建物等より天候そのものだった。日本の空が顔料を刷いた透明な青色だとすれば、プラハの空はインクの染料を滴らせた鮮やかな青色だ。
    「……プラハ。日本とはまた違う空気、つーか」
     空気から違って澄んでるのな。声が、石畳に響く。
     灼滅者達が降り立ったのは事前の説明通り、プラハの旧市街広場だ。勿論ヤンの夢の中。だが流麗な建築様式や見慣れぬ文字の看板には目が釘付けになるし、精緻なレリーフに彩られた窓辺には見知らぬ赤い花が飾られていて綺麗だ。
     そして壮麗なる、旧市庁舎の天文時計が聳えている。十二宮環を戴く文字盤は当然の事ながら、彫像や暦表の細やかさも見事だ。シンは話で聞いた以上の光景にため息を漏らさずにはいられない。
     狭霧も同様に、熱く語っていたヤンの姿を思い返した。狭霧も時計が好きだから尚の事、気持ちがわかる気がする。
    「ヤンさんが大好きなのも納得っすね」
    「数多のソウルボードを見ましたが、こうも美しい世界を持つ人は初めてです」
     小太郎の呟きにはヤンの愛国心への敬意が籠められている。愛され、慈しまれている事がよくわかる。
     一方でシャドウの動きについて考え込んでいたのは祢々だ。落ち着かない様子で、自らの肩を抱く。
    (「まだシャドウの狙いがわからないんだよね。どうしてそんなに国外に行きたがるんだろう?」)
     祢々が国外脱出を図るシャドウと対峙するのは二度目になる。だがその意図を手繰るための手がかりは一向に掴めていない。何かわかれば今後の対応に役立つのにと思うほど歯痒くてたまらない。
     後手に回らざるを得ない現状に、焦れる。
    「けれど今は冷静に立ち回らないとね」
    「……隠れん坊シャドウ見っけ」
     祢々と小太郎の声が重なったのは同時だった。
     一気に灼滅者達の視線が集中する。石畳を辿り姿を現したのは――悪趣味にも、天文時計の文字盤を模した大きな首飾りを下げた、シャドウだ。
    「飛行機が墜落とか敵わんわ。ここできっちり灼滅しとかんとね」
     同じクラブの初衣と頷き合って、朱彦は殲術道具を構える。
     本当はもう少しプラハの街並みを見ていたい。けれど。
    「……で、も、たたか、わ、ない、と」
     内気ながらも初衣が精一杯の気力を振り絞る。
    「熄」
     静かに、只管静かに。
     樒深がスレイヤーカードを解放したのが合図となった。
     先手を制したのは狭霧だ。手にする星空描かれし魔導書は天文時計にも似る。シャドウが何を考えているかはさっぱりだけれど。
    「おいたをする子にはおしおきしないと」
     美しい風景の中悪い奴と戦う――。
     実に粋な演出だ。狭霧が口の端に笑みを刻んだ刹那、原罪の紋章がシャドウに刻まれ精神を沸騰させる。
     シャドウが怒りを振り払った時には既にシンが肉薄していた。魔力そのものを叩きつけると体内にまで侵食し、シャドウの存在そのものを食い破ろうと暴発する。
    「街の情景に釣り合わねぇよ、お前」
     天文時計を模したとしてもかえって不恰好。樒深の低い呟きに添うように影業が疾走する。影は広がりシャドウを覆い尽くし、トラウマを深く植え付ける。
     だがシャドウとて黙ってはいない。金環揺らし生み出したのは深淵に潜む暗き想念。漆黒の弾丸が弧を描き放出される。
     小太郎の目の前まで迫ったそれを阻んだのは祢々のライドキャリバー、ピークだ。穿たれた傷をものともせずフルスロットルを高く鳴らせば、夢のプラハによく響く。
     飛行帽ゴーグル越しにその姿を見遣り、祢々は制約の力を孕む弾丸を撃ち出した。
    「今だよ!」
    「うん。因果応報ってやつだね」
     相手と同じ技でお返ししてみせよう。小太郎が指を拳銃型にしてばきゅーんと嘯けば、昏き弾丸がシャドウの正面で大きく破裂する。
     どうやら情報通り力を合わせれば問題のない相手のようだ。とはいえ容赦などしてやる義理はない。
    「うぜェんだよ、失せな!」
     見る間に隼人の片腕が異形と化す。巨大化したその腕を掲げ一気に懐に入り込むと、力づくでシャドウを叩き伏せる。叩き潰すといったほうが正しいか。
     朱彦が血のように赤い瞳を眇める。ずっと戦局を見据えていた狭霧も促した。あと、一息。
    「そろそろ仕舞いにしましょか」
    「朱、彦さ、ん、デッド、ブラ、スター、い、きま、す」
     意を汲んだ初衣の言葉に朱彦も微笑む。返事は迸る黒の弾道、初衣も同じく弾丸を放出する。衝撃で反ったシャドウの身体に更なる漆黒が畳み掛けられる。それが、止めとなった。
     石畳に転がる金属音は首飾りだった金環。それも徐々に砂のように霧散していく。もう、この夢の中にシャドウの気配は感じられない。
     残るは遙かなる美しきプラハ。誰もが惨事を回避出来た事実に安堵の表情を浮かべる。
    「ここともお別れか。何だか名残惜しいね」
     シンが零した言葉は本心だろう。いつか、頼もしい仲間達との冒険の記憶を連れてこの地を実際に踏めたら良い。小さく笑みを零した。
    「写真が撮れれば良かったんですけどね」
     生憎あくまでソウルボードは『精神世界』だ。あくまでプラハに行った夢としか認識されないし、現実物質に影響を及ぼす事は出来ない。小太郎はその分心に焼き付けられるだけ焼き付けておく。
     代わりで口で伝えよう。どんなに綺麗な風景だったかを。きっと友達も、喜んでくれるはず。
     そろそろ戻ろうとした祢々が、傍らのピークに手を添えながら首を傾げる。
    「あれ? そういえば……」
     一人足りない。
     樒深はゆっくり石畳の上を歩く。多分少しなら時間もあるっしょと胸中で囁いた。
     掌で感じ入るように、石壁に触れる。
     質感も材料もやはり日本とは違う。キュビズムからアールヌーヴォーまで、プラハは街がそのまま建築文化の博物館だ。
     造築の思想が見えるようだ。国の違いは、面白い。
    「うん。良い気分転換になったすわ」
     呟きと同時に飛んできたのは仲間達の声。呼ばれればプラハの空を背に、歩を進めた。

    ●Hezký výlet
    『よく眠っていましたね。飛行機の時間、大丈夫ですか?』
     私達はもっと後の便なので平気ですけどと濁してシンが告げれば、薄ら目を開いたヤンが顔色を変えた。
    『も、申し訳ない。僕が眠っていた間見守っていてくれたのか……』
     時計を確認すると、ちょうどいい頃合だったらしい。ほっとした息を零すヤンの表情からは、やや疲れの翳りが消えているように思えた。
    『恋人さん、いらしてますよ』
     狭霧が示せば肩を竦める恋人の姿。ヤンを探しに来たところを迎え入れたのだ。荷物を抱えて小言を言われているところを見ると、しばらくは頭が上がらない予感がいた。
     他の仲間達は既に休憩室から立ち去っている。狭霧とシンも休憩室を出て、恋人達の出立を見送る。
    「――Děkuji!」
     シンが笑顔で告げたのは、チェコ語でありがとうという意味の言葉だ。ヤンも満面の笑みを浮かべ、大きく大きく手を振る。
    「狭、霧さ、ん、こ、このあ、と、あいて、ます、か……?」
     少しお店見たいですと初衣がお願いすれば、狭霧に断る理由はない。
    「俺で良ければ喜んで。可愛いお姫様……なーんてね」
     睦まじい様子を眺めれば和やかな空気が漂った。シンが清々しい思いで伸びをする。
    「さあ、私たちも皆で一緒に帰ろうか」
     武蔵野の、あの校舎へ。
     仲間達が歩を進める中、小太郎はふと立ち止まり搭乗口に向かい目を細めた。チェコ人のカップル達に、祝福をと願う。

     末永くお幸せに。
     どうぞ良い空の旅を。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年10月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 5
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